2017/06/25

「ゆとり世代の行動」 って、そんなにひどくないだろう

うちの末娘は 「あたし、『ゆとり』 だから」 と半分自嘲的に言う。いわゆる 「ゆとり教育」 の世代なので、ビシッとしてないんだそうだ。

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私なんか、「いいじゃん、別に」 と思う。「ゆとり」 って好きだからね。Yomerumo News というサイトに "【激怒】 ゆとり世代の信じられない行動 15選!  「私ゆとり世代ですから」 と開き直る" というのがある。そこに挙げられている 「信じられない行動」 というのは、こんなようなものだ。

  1. 「辞めちまえ!」 と怒ると本当に辞める
  2. 上司や先輩にお酒を注がない
  3. 重役のスピーチ中にガムを噛んでいる
  4. 飲みに誘うと「残業代出ますか?」
  5. 意外とネットは使いこなせない
  6. 欠勤の連絡を親がしてくる
  7. 寝坊で遅刻するのは仕方がない
  8. 頼まれていない仕事はやらない
  9. 社外秘の資料をSNSにアップする
  10. 冠婚葬祭のマナーがない
  11. 言っちゃいけないことをあっさり言う
  12. 冗談が通用しない
  13. 批判的なコメントはスルーする
  14. LINEで欠勤報告
  15. 「私ゆとり世代ですから」 と開き直る

こんなので 「激怒」 する方がおかしいと、私なんか思う。1番目の 「辞めちまえ」 なんて言うのはパワハラだし、2番目の 「酒を注がない」 なんてのも、私なんか勝手に酒を注がれると腹が立つから、かえってありがたい。ガムだって、「クチャクチャ」 と音をさせなければ、気にならない。「ゆとり世代」 が気に入らなかったら、そもそも飲みになんか誘わなければいい。気に入らない者同士で飲んでもつまらないだろう。

ネットの使い方なんて、必要ならすぐに覚えるし、少なくとも団塊の世代の平均よりは上だ。欠勤の連絡を親がするのは 「ちょっとね」 と思うが、本人が相当しんどかったんだろうと思いやればいい。寝坊で遅刻なんて、別に 「ゆとり」 でなくても経験あるだろうし、後々までねちねち気に病むより気分転換する方がいい。

頼まれていない仕事までするのは、「余計なお世話」 になるし、そうでなくても 「サービス残業」 などの労働強化につながるから考え物だ。「社外秘の資料を SNS にアップする」 なんてのは、相当お馬鹿な特殊ケースだし、口の軽いやつは別に 「ゆとり」 でなくてもいくらでもいる。

冠婚葬祭のマナーなんて、そもそも多くの世代にわたってかなりいい加減なものだし、若いやつが慣れてないのは当然で、そのうち慣れる。「言っちゃいけないことをあっさり言う」 「冗談が通用しない」 「批判的なコメントはスルーする」 なんてのは、実は団塊の世代の方がひどいと、私は思う。

「LINE で欠勤報告」 というのも、使えるものならどんどん使えばいいだろう。もっとも私自身は LINE は嫌いだが (参照)。世代論で開き直るのは、団塊の世代の方がひどい。そもそも 「俺は古い男だから」 なんて言う方がずっとうっとうしい。

こうしてみると、「ゆとり世代」 の行動をとやかく言うのは、「ゆとりのない世代」 のことさらな思い込みからくるものとしか思えない。要するに行きすぎさえしなければ、ゆとりはある方がいいのだ。

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2017/06/24

余計なことを言って必要なことをしない政治家

例の豊田真由子議員の 「暴言・暴行」 に関して、元官房長官の河村健夫氏が 「かわいそうだ。男性の衆院議員なら、あんなのはいっぱいいる。気持ちは分かる」 と発言し、その後で自身の Facebook で 「発言を取り消しさせていただきます」 とコメントした。(参照

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この河村氏に限らず、とにかく政治家というのは、余計なことを言いたがる人種のようで、よっぽど因業な商売なのだと思ってしまう。こういうこと、官僚だったら口が裂けても言わない。また普通のビジネスマンでもかなり四方八方に気を使って、不用意なことを言わないように気をつけるものだが、政治家という商売はそういう感覚が育たないようなのだね。

いずれにしても、政治家にはあの手の暴言を吐き、 暴行に及ぶ輩がいくらでもいて、それは当たり前のことであり、たまたま録音を週刊誌に持ち込まれた豊田氏は不運であるという見解のようなのだから、この国も行く末を案じてしまうよね。まあ、ビジネスの世界にも暴力的な上司がいないわけじゃないけど。

とはいえビジネスの世界では、内向きに理不尽なことをしても、外向きにはなんとか取り繕うという空気がある。豊田氏はまさにそんな感じだったようだが、河村氏は外向きにまで余計なことを言っちゃうのだから、ある意味、豊田氏以下である。

それに、発言撤回に使った河村氏の Facebook をみて、そのカバー写真の残念さに笑ってしまった。PC で見ると、写真をクリックすれば完全に表示されるが、何もしなければ上の写真のように、自分の顔が半分切れたまま表示される。(スマホだと、iPhone の Safari でなら完全に表示されるが)

設定画面で写真の位置関係を修正すれば、ちゃんと表示されるのだが、これ、自分で見て気にならないのかなあ。余計なことは言いたがっても、当たり前のことをするノウハウは、しっかり欠如しているようなのだね。お気の毒なことである。

あるいは河村氏は Facebook の更新なんて秘書に任せっぱなしで、自分のページを PC で見たことなんんかないのかもしれない。そうだとしたら、こんな表示になっているのを自分でも知らずにいて、ある日気付いた時点で、「顔が半分切れた表示なんかにしやがって、これ以上俺の評判を落とすな!」 と、秘書をどつきまくるのな。

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2017/06/23

馬鹿はひたすら 「進め!」 と叫ぶ

近頃、『腰まで泥まみれ』 という昔のフォークソングを思い出して歌っている。原曲は Pete Seeger 作詞・作曲の "Waist Deep in the Big Muddy" という歌。中川五郎の訳詞で、日本でも 60年代後半から 70年頃まで多くのフォークシンガーが歌っていた。

その歌が今、もう一度意味をもってよみがえっているように思う。比較的新しいところでは元ちとせも歌っているし、訳詞した中川五郎が沖縄で歌うビデオ (2012年制作) も YouTube に収録されているので、ちょっと聞いてみてもらいたい。歌の内容は次のようなものだ。

昔、軍隊の演習で隊長は歩いて川を渡れと命令したが、軍曹は 「危ない、引き返そう」 と諫める。しかし隊長は 「そんな弱気でどうするか、俺についてこい」 と渡り始める。腰まで、そして首まで泥まみれとなったところで、隊長は溺れ、軍曹以下の隊員は引き返して命拾いする。

この歌にはとりたてて押しつけがましい教訓は含まれない。ただ歌の後半、「馬鹿は叫ぶ、進め!」 というフレーズが繰り返されるだけだ。

この歌は60年代のベトナム戦争が泥沼にはまりかけていた状況を反映したものと言われるが、いつの時代でも馬鹿はただ闇雲に 「進め!」 と叫ぶ。 Pete Seeger の原詞では、「馬鹿」 は "big fool" で、タイトルの "Big Muddy" (大きな泥地) と共通の、ズブズブのイメージが喚起される。

そして途中までは "the big fool said to push on" (馬鹿は 「進め」 と言った) と過去形だが、最後は  "the big fool says to push on" (馬鹿は 「進め」 と言う) と現在形で繰り返される。今も変わらないのだ。

ここにことさらではないが明確なメッセージがあるだろう。あれから 50年以上経ち、21世紀となった今も、馬鹿どもは相変わらず 「進め!」 と叫びたがり、「お友達」 同士で寄り集まり、幻想に酔いながら好き放題をし、泥沼の中で自滅の道を辿る。

最後に元祖 Peet Seeger のビデオも紹介しておく。最後のリフレインで現在形の繰り返しになるのに注目だ。彼がこの歌を最初にテレビで歌った時には、実際の放送ではカットされていたという。

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2017/06/22

北朝鮮のミサイルから身を守るための (?) CM

政府が 23日から放映するという、北朝鮮の弾道ミサイルから身を守るための CM というのが、話題になっている。

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読売新聞の記事によると、身を守るための 「避難行動」 というのは、次の 3点であるらしい。(参照

  1. 頑丈な建物や地下に避難する
  2. 建物がない場合は物陰に身を隠すか地面に伏せて頭を守る
  3. 屋内の場合は窓から離れるか窓のない部屋に移動する

Twitter 上では、「せめて竹槍で迎撃するくらい言って欲しい」 という tweet もあるほどで、とくに 2番目などは、牧歌的と言ってもいいほどの内容だ。「頑丈な建物や地下」 と 「物陰」 の落差が、ほのぼのとしている。

この牧歌性は、北朝鮮からの弾道ミサイルとやらの脅威を、政府はとりたてて差し迫ったものと考えていないことの現れなのだろう。本当に 「頑丈な建物や地下に避難する」 ことが必要な事態が生じるとしたら、それは政府の外交努力の怠慢というものだ。

まあ、脅威は差し迫ったものではないけれど、政府としては一応こんなような CM を流しておいて、「安倍政権支持率低下の勢いから目を逸らすことができたら、ちょっと嬉しいかも」 なんてことなんじゃないかと、よほどのへそ曲がりでなくてもフツーに感じ取っちゃうんじゃあるまいか。

とはいえこの記事を書いている途中で、そんな思惑を吹っ飛ばすような強烈な女性代議士 (安倍チルドレン) のスキャンダルが先に出ちゃったので (もう知れわたっちゃってるから、わざわざ Youtube にリンクするまでもないよね)、安倍さんの悪運も尽きちゃってるのかなという気がしてしまう。

ちなみに、上杉隆氏が 「約18年前、田中眞紀子さんの取材を思い出しました」 と tweet していたのには、「さもありなん」 と笑ってしまった。(参照

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2017/06/21

アパレル業界は 「殺される」 のではなく 「自滅」 している

日経 BP の 『誰がアパレルを殺すのか』 という本が注目されている。注目されていると言っても、限られた業界人たちの間だけのことかもしれないが、まあ、業界の裾野はアパレル業界だけじゃなくて小売業界、出版業界などに至るまで広がっているから、その範囲は案外広い。

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この本の内容は 『日経ビジネス Online』 で連載されていた (参照) もので、私はそれをリアルタイムで読んでいたし、今でもネットで読めるみたいだから、改めて買う必要はないと思っている。意外に思われるかもしれないが、私は 50代半ばまでアパレル業界周辺でメシを食っていた人なので、このあたりのことについては少しは詳しいのだ。

で、あえてエラソーなことを言ってしまえば、この本の内容は、アパレル業界を冷めた目で見ている者にとっては、「知ってた!」 の一言で済ませてもいいようなことである。昨年の 10月頃はこのシリーズの  「百貨店 3社トップ激白、“衣料崩壊” 後の針路」 という記事に反応して 「百貨店は付き合いきれない業界」 という記事まで書いている。

まさに率直に言わせてもらえば、アパレルと百貨店というのは一蓮托生の 「付き合いきれない業界」 という印象を持っている。付き合いきれない業界だからこそ、当然の如くに揃って自滅の道を辿っているのだ。「アパレルは銀行が最も金を貸したがらない業界」 なんて言われ始めて久しいし。

ファッション・ビジネス・コンサルタントの坂口昌章氏はこの本について  Facebook で、「『アパレル企業は誰に殺されたの』 というキャッチーな見出しが注目を集めているが、実は誰に殺されたのでもなく、長年の不摂生が祟り、成人病を患い、特定の原因もわからず、老衰で死んでいくのかもしれない」 (参照) と書いておられる。

この見方には全面的に賛成だ。まさに的確な指摘である。アパレル業界は、誰かに 「殺される」 のではなく 「自滅」 しているのである。どうしても 「殺す」 という表現を使いたければ、「自分で自分の首を絞めて殺している」 としか言いようがない。

遙か昔、ビジネス・スーツや 「お出かけ着」 は百貨店で誂えるという時代があった。しかし今や、そうした刷り込みのされた世代は、とっくにそうした服の需要から離れた 「高齢者」 になっていて、一方、若い世代は百貨店なんかで服を買わない。つまり百貨店の言うところの 「お客様」 なんて、既に幻になっているか、そうでないとしても極端に縮小しているのだ。

そして百貨店以外のチャネルの洋服のほとんどは、単価が安い。多少売れたとしても、高度成長期のような金額には遙かに及ばない。つまり昔のやり方を踏襲していては儲からない構造になっているのだが、それにきちんと対応している企業は少ない。

私は今、アパレル関連の仕事からは極力遠ざかっている。まともな報酬が期待できないし、もはや感覚的に 「付き合いきれない」 のだから、どうしようもない。ただ、中には少しはまともな努力をしている企業もあるので、そこに期待するのみである。

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2017/06/20

はっきり言って、Line は嫌いだ

唐突だが、ここではっきり言っておこう。私は Line が嫌いだ。知人、親戚、家族の多くがこれで連絡を取りたがるから、仕方なく自分の iPhone にもインストールしてはある。しかし自分から積極的に使おうと思ったことは一度もない。

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5月 22日の記事で触れたように、私の iPhone はガラスにひびが入ってしまったので、先日、修理という名目で 「本体交換」 した。実質は 「機種交換」 と同じ結果になったのだが、iCloud と iTunes でバックアップをしっかり取ってあったので、データはほとんど苦もなく元の状態に復元できた。

しかし Line だけは復元できなかったのである。ごくフツーに機種交換しただけでは、元の機種で登録したアカウントが引き継がれないようなのだ。そういえば前に、iPad で iPhone と同じ Line アカウントを登録しようとしてもできなかった。どうやら Line アカウントは、原則的にデバイスに依存するようなのである。デバイスが個人のアイデンティティより優先するなんて、そんなの SNS としてありか?

実際には複数のデバイスで同じアカウントを使う手はあるようなのだ。「Line 移行」 でググると、そのやり方を解説したページがどっと検索される。しかしそもそもの話、こんなことでググる必要があるなんてことが信じられない。移行にはやれ QR コードを撮影してどうこうとかいう手続きが必要らしい。しかし元々好きでもないものでそんな面倒なことをする気はないので、放ってある。

で、新しい iPhone 7Plus にインストールした Line には、元のアカウントが設定できなかった。QR コードなんて撮影していないからね。それにしても、自分で作った自分のアカウントを自分で当たり前に引き継げないなんて、一体どういうことなんだ。アカウントとパスワードさえわかっていれば、どのデバイスでもログインできるという常識が、Line には通じないようなのである。

しかたなく新しいアカウントを設定した。するとどういうわけか、「連絡先」 に登録してある知り合いで Line を使っている人たちと、自動的に 「友達関係」 が成立してしまったようで、あちこちから 「友達申請ありがとう」 とかいうメッセージが大量に送られてきた。

こちらはそんな申請をした覚えはまったくないので、戸惑うばかりである。よくわからないが、「友達申請」 と 「友達関係の成立」 の差がないらしいことにも戸惑う。さらにテキストのメッセージだけならまだしも、妙な 「絵」 がどんどん送られてくるのである。これ、「スタンプ」 というらしいのだが、はっきり言って意味がわからん。

そうかと思うと、妻は外出先から 「Line にメッセージを送ったのに、読んでくれてないの?」 なんて電話をしてきた。妻はどうやら前の iPhone 上のアカウントにメッセージを送ったようなのである。既に述べたように前のアカウントは引き継がれていないので、そちらに送られたメッセージなんか読めない。これって、本当にできそこない仕様だよね。

こんなわけのわからない SNS は、できれば遠ざけておきたいのだが、なぜか日本では Line ユーザーがやたらと多いらしく、とにかく当たり前のように Line で連絡を取りたがる知り合いが多いので、それを受け取るためと、最低限の返信をするだけのために、しぶしぶ使っている。

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2017/06/19

クマよけの音

タケノコ採りなどで山に入った人が、クマに襲われる事故が相次いでいる。昔は腰に鈴をぶら下げたり、ラジオを鳴らしっ放しにしていればクマは近付いてこないと言われていたが、最近ではクマの方もそうした音に耐性がついて、恐れなくなってしまったようなのだ。

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5月下旬にクマに襲われて死亡した秋田県の女性は、鈴を 2個ぶら下げていたというが、効き目がなかった。6月 2日付の毎日新聞は、「そもそも鈴の音が聞こえる範囲には限りがある」、「山菜を採るためしゃがんでいれば鳴らない」 と、鈴への過信に警鐘を鳴らす。

さらにラジオの音についても、「近年はクマが車のエンジン音など人工音を聞く機会が増えている」 ために、音への警戒心が薄れており、「音を聞いたクマが、餌となる物があると考え、おびき寄せられている可能性がある」 とさえ言われる。やつらも生き物だから、学んで慣れるのだ。

私は昔、クマのいる山をよく単独行した。クマがいるような山だからこそ、歩いて自然との一体感を感じ、いい気持ちになれる。そんな自然の中で、いくらクマよけとはいえ、人工的な音を出すのは気が引ける。しかしそうした大自然の中だからこそ、クマとの余計な軋轢を避けるために、敢えてぶち壊しのような音を鳴らさなければならないと考えていた。

私はその頃から、クマよけの鈴なんてあまり信じていなかった。あんなのは音が心地良すぎる、人にとって心地良いのだから、クマだってある程度慣れてしまえば、恐れなくなるだろう。同様に、東北の山の中でも受信できる NHK の番組は、牧歌的すぎてクマが恐れない。ギンギンのパンクロックでも流してくれれば別だが。

私は大自然の中を単独行する時、腰にシエラカップをぶら下げて、時々思いっきり叩いてガシャガシャという金属音を立てていた。そんな音を突然聞いたら、人間だって驚いて身じろぎする。クマに驚いてもらうためには、そのくらいの音でなければならないだろう。

幸か不幸か、私は山歩きをしていてクマに出会ったことがない。よほどの幸運でなければ、自然の中でクマを目撃するなんてことはできないと思っていたが、最近はそんな呑気な話でもなくなっているようなのだ。お互いのためにも、いきなりクマと出くわすなんて事態は避けた方がいい。

自然との調和を乱さないような慎ましい音では、クマよけにならない。思いっきりぶちこわしの不快音でなければならないのだ。余計なトラブルを避けるために、こればかりは仕方がない。のべつ幕なしに鳴らすわけじゃないから、勘弁してもらおう。

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2017/06/18

茨城県の 「男余り率」 は、日本一

ちょっと古い話で恐縮だが、東洋経済 Online の昨年 11月23日付で、「ソロ男プロジェクト・リーダー/独身研究家」 という不思議な肩書きの荒川和久さんという人が、"茨城県が 1位! 「ニッポン男余り現象」の正体  47都道府県「男余りランキング」 一挙公開" という記事を書いている。

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上の "都道府県別 「男余り MAP (20代〜30代)」 という地図は、荒川さんが作成したもので、一見して、フォッサマグナの東側の男余り率が高いように見える。とくに私の住む茨城県の 20〜30代の男余り率は 17.1%で、日本最高となっており、下位 3県 (鹿児島県 1.0%、福岡県 2.9%、奈良県 3.3%) とは、かなり極端な差がある。

茨城県というところは確かに、周囲を見渡しても独身男がやたら多い気がする。さらに私の生まれた山形県の男余り率も、10位に入る 14.1%だ。私は東京で暮らしている間に結婚し、住宅の安い茨城県に移転してきたのだが、山形県から直接茨城県に来ていたら、結婚できたかどうか、知れたものではないという気がしてきた。

荒川さんは、こうした男余りの原因の 1つに 「再婚の際のマッチングに男女差があること」 を挙げている。離婚して再婚する際には、男性が初婚の女性を選ぶ傾向が強いらしいのだ。再婚男と初婚女のマッチングが多いのは、「時間差一夫多妻制」 のようなものと言っている。

なるほど、それでアグレッシブな男は初婚の女性を相手に結婚を繰り返し、ちょっと奥手っぽいおとなしめの男はいつまでも独身ということになるわけだ。これは私の周囲を見たところの印象とかなり一致する。

念のため補足しておくが、「アグレッシブな男が初婚の女性を相手に結婚を繰り返す」 というのは、もう一歩踏み込んでみれば、「粗野で口下手だが、積極性だけはあるというタイプの男が、初婚の女性と結婚するも、すぐに家庭内暴力などで愛想を尽かされて離婚」 を繰り返すというのが多いということなんじゃなかろうか。つまり 「コミュニケーション下手なので、何度結婚しても破綻する」 ということなのだと思う。

それで愛想尽かしをした方の女性は、「もう男はこりごり」 と、再婚率が低くなる。周りを見ればいい年して独身の男はいくらでもいるのだが、そうした男たちは大抵口下手なので、バツイチ女性には痛い思いをした経験則から、見向きもされない。悪循環である。

その点、関西以西の男は平均的にコミュニケーション力が高いので、初婚女性に愛想を尽かされて再婚を繰り返すということが少ないんじゃないかと想像してしまう。それで、「時間差一夫多妻制」 が薄められ、マッチングが満遍なく実現しやすい。

確かに茨城県の男というのは、ちゃんとしたコミュニケーションを面倒くさがるタイプが多いような気がする。県別魅力度ランキング調査で茨城県はいつも最下位の 47位が指定席 (参照) というのは、そうしたイメージの問題なんだと思ってしまうのだよね。

いくら 「メロンの生産日本一」 とか 「偕楽園や袋田の滝など、観光資源も豊富」 なんて言っても、それが魅力度アップにつながることはないのだ。こんな勘違いをしてるから、茨城県庁の 「魅力度アップ」 キャンペーンは功を奏さないのだろうね。

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2017/06/17

ウシガエルの鳴く日

6月 7日の 「ヨシキリの鳴き声 2」 という記事で、「人間は太古の昔から、カエルや鳥の声に囲まれて来たので、それをうるさくは感じない遺伝子になってしまったのだろう」 と書いた。それはあのウシガエルの鳴き声でも同じで、昼となく夜となく 「ブォー、ブォー」 と盛大に鳴いているが、案外平気で安眠できる。

中にはウシガエルの鳴き声を知らない人もいて、気味悪がって 「何の騒音でしょう?」 なんてネットで質問している人までいる。ウシガエルの滅多にいない北海道生まれの人は、本州に引っ越して初めてウシガエルの声を聞くと、本当にびっくりしてしまうようだ。

かくいう私も、山形県庄内地方で暮らしていた高校時代までは、ウシガエルの鳴き声なんて聞いたことがなかった。大学に入って東京に住むようになり、善福寺公園の池の畔ではらわたを震わせるような鳴き声聞いて、「これが噂のウシガエルか!」 と、ちょっと感動したのを覚えている。

「うるさくて眠れない」 なんて言う人は、自然の音への耐性がないのだろう。あるいはウシガエルは20世紀になってから日本に入ってきた外来種だから、遺伝子がものすごくドメスティックな人は、ダイナミックな鳴き声に弱いかもしれない (などとテキトーなことを言う)。

というわけで、ウシガエルの鳴き声を知らない人のために、裏の川土手で取った音声入り動画をアップしてみた。風の音、ヨシキリの声の中で、一際大きく響いてくるのが、ウシガエルの鳴き声である。途中でモンシロチョウが飛ぶ姿もちらりと映っている。

都会のコンクリート・ジャングルの中で暮らしている人は、この動画でちょっとだけリラックスできるかもしれない。いや、驚いちゃうかな。

夜になるとその鳴き声はさらに賑やかになる。10日の 「和歌ログ」 にあげたのだが、こんな具合である。(暗くてよく見えないので、画像サイズは小さめにした)

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2017/06/16

納豆の 「タレ」 再考

最近は北朝鮮のミサイルだの、森友学園だの加計学園だのと、うっとうしいニュースばかりで、そんなのはなんだかこのブログで取り上げる気になれない。とくに森友、加計両学園の問題は、フツーに考えれば安倍政権のゴーマンさが問題というのは明らかなので、今さら書く気にもなれない。それで、つい身近でチマチマしたことを書く方向に振れてしまっている。

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で、今日は 「納豆のタレ」 問題だ。これ、5年ちょっと前にも "納豆に付いてくる 「タレ」 は 「余計なお世話」 の最たるもの" というタイトルで書いたことがあるが、その後日談である。

とにかくこの 「タレ」 というのは、袋を開けようとすると 10回に 8回はこぼしてしまい、下手すると服に飛ばしてシミを作ってしまう。5年前の記事では、こんなことを書いている。

昔、私の上司がビジネスホテルの朝食で納豆のタレのビニール袋を開けようとして、あっという間に自分のネクタイにぶっかけてしまったことがある。しかもその直前に、私が 「注意してくださいよ。飛び散りますから」 と言い、彼も 「そうなんだよね、これ、注意しないとやばいんだよね」 と言いつつ、やっぱりやらかしてしまったのだ。

ことほど左様にこれ、かなりやっかいな代物なのである。「アメリカだったら、きっと訴訟をおこすやつがいるぞ」 と書いたら、アメリカ在住の emi さんが 「間違いないです」 とお墨付きのコメントをくれた。

そもそも私は、この 「タレ」 の濃厚な 「グルタミンソーダ感」 に抵抗があって、あまり好きじゃないのだが、捨てるということにそれ以上の抵抗があって、5年前にこの記事を書いた頃までは、嫌々ながら使っていた。そしていくら慣れても、10回に 5回以上は、1〜2滴テーブルにこぼしてしまっていた。

しかしこの記事を書いたことをきっかけとして、ついに 「こんな馬鹿馬鹿しいことでストレスを感じ続けるよりは、思いっきり捨ててしまおう」 と決心がつき、それ以来さっさとゴミ箱に捨てて醤油で済ませるようになった。こう決めてしまってからは、朝食が想像以上にストレスフリーになったのである。

さらに最近は、スーパーでたった 1種類だけ 「タレ付きでない納豆」 を発見し、それを我が家御用達と決めている。これなら 「タレ」 を捨てることによる良心の小さな呵責からも解放される。あまりにも快適なので、世の中の納豆の少なくとも半分はタレを付けずに流通させるべきだと考えるまでになった。

しかし今回は、その 「タレ付きでない納豆」 がたまたま品切れだったため、仕方なく 「タレ付き」 を買ってきてしまった。そして、このタレをポイと捨ててしまうことによる小さなストレスを、思い出してしまったのである。

そうそう、念のために書いておくが、私は 「カラシ」 の方もいらないのだよね。

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