2017/07/21

マクルーハン 生誕 106周年なんだそうだ

Google に行ってみたら、見慣れぬロゴが表示されていて、ちょっとクリックしてみると 「マーシャル マクルーハン 生誕 106周年」 と表示された。「ふ〜ん、そういえばそんな人いたなあ」 ぐらいの感覚だが、よく考えてみると、私自身も案外影響を受けているのかもしれない。

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マクルーハンが生きていたのは 1911年から 1980年までの間だから、死んでからもう 40年近く経つ。フツーの社会学者だったら、「過去の人」 扱いされてもおかしくない。しかし私の学生時代に出てきた彼の新しい主張は、今でも新鮮さをもっている。

私はお恥ずかしいことに、マクルーハンの著書は 1冊も読んでいない。しかし彼のアフォリズム的なもの言いはかなり注目されていて、「メディア自体がメッセージである」 「テクノロジーやメディアは人間の身体の 『拡張』である」 「メディアには 『ホット』 と 『クール』 がある」 などはかなり知られている。

とくに 「メディア自体がメッセージ」 というのは、「なるほど」 と頷ける。同じニュースでも、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットなど、異なるメディアを経由すると受け取り方が確かに違う。というか、異なる受け取り方をするそれぞれの人間が、受け取る際のメディアを選択していると言っていいだろう。そのため、メディアは受け手に合わせてさらに明確な特性を得ることになる。

さらに 「テクノロジーやメディアは人間の身体の拡張」 というのは、私の考え方のベースみたいなものともなっている。大昔に書いた 「コンピュータは 『脳みその大腸菌』」 というのは、栗本慎一郎氏の思想にヒントを得たものだが、元々はマクルーハンの思想ともいえる。この記事は 15年前の日付となっているが、元になったのはさらにその 5年前に書いたコラムである。

マクルーハンが死んでから 17年後だ。それを思うと、マクルーハンってすごい。

マクルーハンはとてもキャッチーなフレーズをどんどん提供してくれていたが、そのスタイルこそがメディアの変化を先取りしていたのだろう。彼の時代にインターネットがあったら、ものすごい影響力を発揮していたと思ってしまう。

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2017/07/20

白内障の手術をした

このブログの 6月 8日付7月 2日付で書いたように、白内障の手術をした。もう 10年も前から眼科にかかると 「白内障の 『ケ』 (『ケ』 って何だ?) がありますが、まだ手術をするほどではありませんね」 と言われていたのだが、ここまできて、ついに 『手術しちゃいましょう』 ということになったのである。

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手術は今月 11日に、両目いっぺんにやった。ちょっと前までは、白内障の手術は数日おいて片目ずつするというのが常識だったようで、「両目一度にやる」 と言うと、手術経験者に 「そんなバカなことがあるか。ちゃんと医者に確認した方がいい」 と怒られていたが、最近の技術と機器の進化のおかげで、やっぱり同じ日に両目の手術ができちゃたのである。

目の手術というのはさすがに緊張してしまって、神経がどっと疲れる。片目の手術に要する時間は 15分足らずだったと思うが、まず右目が終わった時点で、「まだ半分で、これから同じことを左目でやるのか。もう勘弁しておくれ!」 とヒイヒイ言っていた。しかし結論から言うと、両目一度にやるのは正解だったと思う。というのは、何日かおいてしまったら再び眼科医に足が向くかどうか自信がない。

手術直後は、目が安定せずに視界がぼやけ気味だったが、だんだんとよく見え始め、2時間ぐらい経って帰る頃には 「世界はこんなに美しいものだったのか!」 と感動するほど視界が一変していた。とにかくもやが晴れたようにモノの輪郭がすっきりと見え、さらに色彩が瑞々しいほどきれいなのである。これまではよほど歪んで濁った世界を見てきたようなのだ。

手術後 1週間は、目に雑菌を入れないために顔を洗うのと洗髪は御法度と言われたので、この夏の暑い中を清浄綿で拭き拭き耐えていたが、一昨日やっとシャンプーできてすっきりした。その意味では、白内障の手術は涼しい時が本来の 「旬」 なのだろうが、まあ、今回は仕方がない。

目の具合がすっかり安定するには 1ヶ月ぐらいかかるそうで、確かに今はまだ、細かい作業を続けると目が疲れる。ただし、これまでのように、PC に 1時間向かうと目がウロウロになって開けていられなくなるなんてことはなくなった。今月 26日が誕生日で、晴れて 65歳の 「高齢者」 の称号を得るのだが、その前にかなり若返ったような気になってしまっている。

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2017/07/19

関東の梅雨明けと、蓮舫氏の戸籍公開

今日、関東甲信、東海、近畿、中国地方が一気に梅雨明けしたと発表された。ただ少なくとも関東に関して言えば、ずっと前から 「梅雨ってもう、明けてるよね」 という感じだったから、古きよき日の梅雨明け宣言ほどのすかっとした嬉しさはない。

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問題は、こんなに早くから真夏日が連続する暑さに突入してしまって、この夏は一体どんな酷暑になってしまうんだろうということである。このままだと、8月初旬なんて死ぬほどの暑さになってしまうんじゃなかろうか。

ちょっと都合良く考えると、天気というのは季節の終わりに締めてみると案外帳尻合わせをしてくれているものなので、8月に入る頃にはぐずついた天気が続いて、猛暑日なんてことになりにくく、お盆過ぎには案外早く秋風が吹くなんてことになるんじゃあるまいかなんて期待してみたくなる。しかしその反対にますます熱くなって、その帳尻は厳冬で合わせるなんてことになったら、大変なことになる。

話は変わって、民進党の蓮舫代表が戸籍の一部を公開したらしい。直前まで 「公開する」 と言ったり 「排外主義者・差別主義者の方たちに言われて公開することは、絶対にあってはならない」 と言ったり、態度がコロコロ変わっていたが、「本来あってはならないことまで、特例としてやってあげたんだから、もう文句ないでしょ」 というココロのようだ。

しかし現実的には 「もう文句ない」 というわけじゃない。今回の公開で 「ずいぶん長い間、二重国籍のまま国会議員を務めるという違法状態にあったわけなのね」 という事実が客観的にも証明されたわけだ。これに関しては、「公職につくものとして深く反省している」 の一言であっさり済ませており、ケジメとして代表辞任なんてことは、彼女の辞書にはない。

私自身は、蓮舫氏の戸籍なんて見たくもないが、公開が遅れたのは、これまで 「子どもが成人前だったから」 という理由らしい。しかし子どもの情報まで公開したわけじゃないから、それは筋の通った理由とは到底思われない。とにもかくにも他人には厳しく、自分には甘い人のようだ。

世の中には、この問題の根底には 「排外主義、差別主義がある」 と主張する人もいる。毎日新聞のの編集委員、与良正男氏もその一人のようだ (参照)。私なんかこうした主張に接すると、当人の中にそんな意識があることの裏返しなんじゃないかと疑ってしまう。

少なくとも私が問題にしているのは純粋に法的な 「国籍」 であって、「出自」 なんかではない。どんな血が流れていようと、肌の色がどうであろうと、法的にすっきりと 「日本国籍」 ならば (「すっきりと」 というのは、二重国籍問題などをクリアしていればということ)、日本の国会議員になるのに問題はない。

そんなのは言うまでもなく当然のことだ。「いくら日本国籍をもっていても、流れている血が違うのは......」 なんて言う人は、それこそ日本の恥である。「あんたの好きな 『八紘一宇』(世界を一つの家とする) はどこに行ったの?」 と聞いてみたいものだ。

というわけで、蓮舫氏の今回の戸籍公開は、今年の梅雨明けと同様、「それがどうした?」 ということでしかない。

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2017/07/18

登山ブームで低山での事故も増えているらしい

登山ブームで、首都圏の低山でも死亡事故を含む遭難が増加していると、読売 Online が報じている。(参照

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警察庁によると、昨年の山岳遭難は 2495件、2929人と、共に過去 2番目に多く、死者・行方不明者は 319人。低山が多い首都圏(東京、埼玉、千葉、神奈川)に限ると、件数、遭難者数とも5年連続増で、昨年は 34人が死亡。今年も遭難は多発しており、最高峰が 400メートル強しかない千葉県でも、5月末までに 3人が死亡した。

昨今の登山者は結構高年齢者が多いようで、元気な人も多いが、中には途中でヨレヨレになっちゃう人もいる。グループ登山でリーダーがしっかりしていればいいが、単独行なんかだとどうしようもなくなるケースもあるだろう。

私が昨年 (ありゃ、それとも一昨年だったかな?) 付き合った高齢者のグループ登山 (赤城山に登ったのだよね) でも、途中でへたり込んでしまった人がいる。回復を待ったので、下山したのは計画より 2時間遅れで、辺りは薄暗くなりかけていた。

よれよれになっちゃった人は、高齢になってから周囲に誘われて登山を始めた人で、見るからに体力がありそうにない。少しは普段からトレーニングすればいいのだが、ほとんどぶっつけ本番だったようだ。

「山を甘く見た」 と言えばそうに違いないが、こうした人は単独行なんか絶対にしないから、死ぬなんてこともまずない。危ないのは若い頃に多少登っていて、久しぶりに一人で登ってみたなんて人だろう。いくら若い頃に登っていても、オッサンになって腹が出まくった状態では、途中でへばって当然だ。

それに低山ほど甘く見るから危ない。375メートルしかない鋸山で死ぬなんて、ちょっと考えにくい話だが、考えにくい話だからこそ危ないのだ。

私としても、3000メートル峰にガンガン単独行しまくっていた若い頃に比べたら、体力は相当落ちているし、バランスも悪くなっているのを自覚する。あの頃みたいなハードな山登りなんて到底無理だと思う。さらに、低山ハイクで遭難なんて恥ずかしいことにならないよう、気をつけよう。

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2017/07/17

艶歌を聞かない若い世代は、選挙に行かない

コンビニの店先でウンコ座りしてたむろする若い連中を追い払うのは簡単なことで、スピーカーで小さく艶歌を流せばいいらしい。艶歌が聞こえてくると、ニイチャンたちは居心地悪く感じて、自然にいなくなってしまうのだそうだ。 「ここは俺たちの世界じゃない」 と思ってしまうようなのである。

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選挙で若い連中の投票率が低いのも、実は 「コンビニ店頭の艶歌」 と共通する効果 (逆効果?) によるものだと気がついた。若者たちは政治の世界を感覚的に 「居心地悪い」 ものと感じており、そのため自然に投票から足が遠のく。「俺たちの世界じゃない」 と思っているのだ。

議員のオッサンたちの様子を見れば、それはよくわかる。年齢的には完全にオッサンの私でさえ 「あいつらとは絶対に一緒にメシを食いたくない」 と思ってしまうのだから、若い連中が居心地悪く感じるのは当然のことだ。よほどの義務感でもなければ、進んで 「選挙に行こう」 なんて思わない。むしろ 「関わりを持ちたくない」 世界なのだ。

今の政治の世界は、「艶歌世代のオッサンたち」 の感性で成立しているので、若い世代とは下手すると言葉すら通じない。こればかりは 「感性」 の問題だから、いくら 「社会を変えるのは選挙を通じてしかできない」 なんて 「理屈」 を振りかざしても、若者の足を投票所に向ける力にはならない。それは、オッサンたちにとって EXILE のライブが、地球の反対側に行くより縁遠いものと感じられるのと同じである。

あの世代のオッサンたちが消えてしまわないと、もっと直接的に言えば、あの世に行ってもらわないと、若い世代が政治の世界を 「自分たちと関係のある世界」 と感じるのは無理なのだ。

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2017/07/16

「旅館」 という施設には、できるだけ泊まりたくない

『新・観光立国論』 で山本七平賞を受賞したデービッド・アトキンソン氏が、東洋経済 Online で "外国人が心底ガッカリする 「日本の旅館事情」" という記事を書いている。日本の 「旅館」 は、外国人の富裕層が泊まるには多くの問題がありすぎるという指摘だ。(参照

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この記事は富裕層向けの高級旅館に限った話だが、実はごくフツーの旅館も問題ありすぎだ。私は年間 20回以上いろいろな地方に出張するが、宿泊はビジネスホテル専門で、日本に生まれて日本で育った日本人なのに、よほどの事情でもない限り 「旅館」と名のつくところには泊まりたくない。

旅館というのは、とにもかくにも宿泊料金のコストパフォーマンスが悪すぎる。地方のビジネスホテルでは、6,000円も出せばまともな部屋に泊まれる。5,000円で簡単な朝食付というのも珍しくない。

ところが、旅館だと同じ値段で部屋が 「バス付き」 でないことが多いのである。温泉旅館ならまだいいが、家庭用風呂に毛が生えたようなのに交代で入らされることも珍しくない。こんな風呂だと大抵排水が悪く、シャンプーし終えて目を開けてみると、泡だらけのお湯が排水口から溢れて、足をヒタヒタにしているなんてことも覚悟しなければならない。さらに 「トイレ共同」 なんてのもざらだ。

最近ではかなり改善されたが、それでも 「布団が短すぎることがある」 というのも要注意ファクターだ。私は日本人としては長身のため、冬の東北や北海道で短い布団に遭遇すると、足が冷えて往生してしまう。押し入れから予備の掛け布団を引っ張り出して、すっぽりと足を覆わなければならないが、下手すると予備の布団がないこともある。

また、「割烹旅館文化」 というのも始末が悪い。昔、某地方都市に出張した際に、訪問先の会社の世話で、その町に古くからある割烹旅館に泊まらされた。夕方過ぎに部屋に通されてお茶を飲んでいると、さっきまで訪問していた会社のお偉方がいきなりずかずかと上がり込んできたかと思うと、あれよあれよという間に酒肴が運ばれて、酒盛りになってしまった。

何のことはない。あの人たち、その旅館の女将とツーカーになっていて、出張してきた人間をダシにして経費で飲み食いしたいのである。それで 「おもてなし」 と勘違いしてるから始末が悪い。私は酒の無理強いとご馳走攻めは苦手だから (参照)、これ以後、この町に宿泊するスケジュールは絶対に組まないことにした。

そうそう、ビジネスホテルでは常識の LAN や Wifi のサービスが、旅館ではほとんど期待できないのも困る。今どきはスマホ経由でインターネット接続できるからまだいいが、それだとスピードが遅いしね。それに夜になってから座卓に座椅子でデスクワークすると、腰にきてしまうのもしんどい。

というわけで、私は 「旅館」 という施設にはできるだけ泊まらないようにしている。どうやら、ライフスタイルというか、旅のスタイルが全然合わないようなのだ。上の写真をみても、70歳過ぎか、一時の非日常性で盛り上がるギャル以外は喜びそうにない雰囲気である。

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2017/07/15

「加計さん」 という名字を巡る 冒険

加計学園問題で、日本に 「加計」 と書いて 「かけ」 と読む名字があることを初めて知った。Wikipedia の解説によると、加計勉氏が 1961年、岡山市に 「加計学園」 を創立したのが、 「加計学園グループ」 の始まりだそうだ。

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「加計」 と書いて 「かけ」 と読むのは、ちょっと意外と思われるかもしれないが、実は 「か」 と 「け」 という平仮名は、上の画像にあるように、「加」 と 「計」 という漢字から作られたものである。「加」 が 「か」 の字の元というのは誰でも知っているが、「計」 が 「け」 の字の元というのは案外知られていない。

「計」 の 「ごんべん」 を草書体ですらすらっと書いちゃうと、どんどん 「け」 の字の左側に近付いちゃう。だから、「加計さん」 は 「かけいさん」 じゃなく、「かけさん」 なのだね。「かけいさん」 だと、「掛井さん」 とか 「筧さん」 とかの文字になってしまいやすいようだ。

ちなみに 「名字由来 net」 というサイトで 「加計」 を検索すると、全国では上から 17,569番目という結構珍しい名字で、日本中におよそ 290人しかいないという。その由来は次のように説明されている。

現広島県西部である安芸国山県郡加計村が起源 (ルーツ) である。懸と起源をともにする。近年、山県郡など広島県に多数みられる。

なるほど、加計学園は岡山市にあるというし、広島県にルーツをもつ加計勉さんが、隣の県の岡山で学校を作ったのかもしれないと想像する。

で、ここからはまったく余計な話なのだが、「かけ」 と言ったら、私はごく自然に 「もり」 を思い出してしまうのだよね。いうまでもなく蕎麦つながりである。

平仮名の 「も」 と 「り」 の元になった漢字は 「毛」 と 「利」 なのだが、「毛利さん」 はなぜか 「もりさん」 じゃなく、「もうりさん」 なのだよね。ちなみに 「もりさん」 は 「森さん」 一強だと思っていたが、他にも 「茂里さん」 や 「茂利さん」 「盛さん」 「守さん」 がいるらしい。(参照

ただ、「毛利さん」 といえば最強の有名人は戦国大名の 「毛利元就」 で、地元は安芸国 (現在の広島県) だから、ここに 「かけ」 と 「もり」 は、広島県つながりでめでたくリンクする。ちょっと無理矢理だが、このオチにたどり着いて、私は何となくすっきりしてしまったのだった。

これで、森友学園の籠池さんが広島県とか岡山県とかの出身だったら、「かけ」 と 「もり (とも)」 の関係がより濃厚になったところだが、彼は香川県出身ということらしい。残念。ちなみに 「籠池」 という名字は全国で 37,603番目で、およそ 70人しかおらず、「加計さん」 よりもさらに少数らしい。

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2017/07/14

小池都知事とクールビズと築地

小池都知事のこれまでの最大の功績は、2005年、環境相時代に「クールビズ」 を提唱・定着させたことだと思う。それ以前は、「省エネルック」 などという珍妙なスタイルがあって、大昔の大平正芳、羽田孜両首相が着用していたが、冷笑のタネでしかなかった。

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まあ、それ以後にしても民主党政権時代に鳩山さんとかが妙ちくりんなスタイルで登場してくれたりしていたが、最近に至って、ようやくフツーに見られる格好に落ち着いてきたようだ。それまでは 「ムショ帰り」 とか 「草刈り作業中」 とか、いろいろ言われていたものである。

クールビズが提唱された翌年の 6月、アパレル業界のとあるバーティで、来賓として招かれた平沼赳夫衆院議員が挨拶をする際、女性 MC が 「テレビで素敵なクールビズ姿を拝見しました」 と、にこやかに紹介した。しかし登壇した平山氏はにこりともせず、開口一番 「只今、クールビズ姿と紹介されましたが、自慢じゃないが、その格好は一度もしたことがありません」  とやったことがある。

会場は大受けだったが、さすがに MC は真っ青になっていた。あの人たちって、結構テキトーなこと言うのだね。ちょっと考えれば、あのいかにも頭の固そうな平沼さんが、ノーネクタイで公衆の面前に現れるわけないじゃないか。

その場に居合わせた私としては、「平沼さんも、そろそろ降参してネクタイ外したら?」 と思って聞いていた。そしてその翌日の当ブログに、さっそくそのネタを使わせてもらっている (参照)。思えば、あれから 12年以上経つのだね。我ながらずいぶん長く毎日更新してきたものだ。

ともあれ小池さんがクールビズをにこやかに発表した時は、「CO2 排出を抑えるために、室温を 28度以上に保ち、ネクタイを外しましょう」 という建前だった。しかしその後の成り行きをみると、室温を 28度以上にしている会社なんてほとんどないのに、ネクタイだけはしっかり外すという、完全な 「骨抜き」 状態になっている。

つまり日本の男性 (平沼赳夫氏と小沢一郎氏を除く) は、暑い夏はネクタイを外したくてたまらなかったのに、その大義名分を見い出せなかった。そんなところにもってきて、小池さんがいいタイミングでクールビズを提唱してくれたので、温度設定なんかどうでもいいけど、ノーネクタイというスタイルだけは大喜びで受け入れたのだった。私はそのずっと前から、ネクタイなんかしてなかったけどね。

というわけで、小池さん、築地市場問題はクールビズ以上のヒットにできるだろうか。それが問題だ。

「暑い夏にネクタイなんか、締めたくないよね」 という意識にうまく訴えかけたクールビズの成功に倣えば、「築地はやっぱりブランドだよね。豊洲って、ちょっと遠いし」 という声にならない根強い意識にどう答えるかが問題だ。例えば、「マスを扱う豊洲」 に対して、魚介類に限らず 「少量高品質の食材なら築地」 といった棲み分けを訴求するとか。

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2017/07/13

ホリエモンの Tシャツ炎上と、「しまむら」 の 「スウェッターズ」 CM

ホリエモンが NHK の番組に出演した時の Tシャツが、「ヒトラーを想起させる」 とする指摘があったため、アナウンサーが 「不快な思いを抱かれた方にはお詫び申し上げます」 と謝罪したというニュースに、「どれどれ、どんな Tシャツなんだ?」 と画像検索してみたら、こんなのだった。

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この写真ではちょっとわかりにくいが、ヒトラーらしき人物の隣には "No War" とのメッセージがあり、左襟にには昔懐かし 「ピースマーク」 がある。つまりこれ、反戦メッセージのシャツなのだが、NHK に抗議した人たちにはちっとも伝わらなかったらしい。

ホリエモンは 「どっからどう見ても平和を祈念しているメッセージ Tシャツにしか見えないだろこれ笑」 と tweet したが、そのせいでさらに炎上しちゃったらしい。でもまあ、世の中ってそんなものなのだよ。

"No War" のメッセージ部分は、画面上で読みづらいし、この中学英語の意味わからん人も多いし、もっといえば、そもそも英語なんて 「読むもの」 と思ってさえいない人だらけなのだ。そしてピースマークなんて、もう忘れ去られているのかもしれない。

英語のメッセージについてだが、「このくらいの簡単な英語なら、誰だってわかるだろう」 と思うのは、甘すぎるのである。何しろ多くの日本人にとっての英語は、単にもっともらしい 「模様」 に過ぎないのだ。これは肝に銘じていい。

Tシャツで思い出したのだが、例えば、えぇと、社名出さざるを得ないけど、今、「しまむら」 店頭にはこんな看板が飾られており、ウェブサイトにもがでかでかと掲げられてある (参照)。

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「みんなの! みんなの!! 汗の スウェッターズ」 って何かと啞然としたが、とりあえず、大文字の ”T" に着目して 「みんなのスウェット Tシャツ」 というココロなんじゃあるまいかと思っていた。「スウェッターズ」 には依然として引っかかっていたけどね。しかしこの精一杯の親切な深読みは、TV CM で見事に裏切られた。

なんと、"sweaT's" で 「スウェッターズ」 と読ませたいらしいのである。いやはや、こんなの、CM を見なけりゃ誰もわからないよね。

ちなみに ”sweater" といえば 「セーター」 のことだが、最近は "t" を重ねて "sweatter" でスウェットシャツを指す言い方が、徐々に認知されつつある (参照)。言葉は生き物だから、これは認めるにやぶさかではないが、こなれた英語の発音であればあるほど、"sweater" と同じにしか聞こえないってことはあるだろう。

ともあれ、いくら何でも "sweaT's" で 「スウェッターズ」 とは乱暴すぎるだろうし、もっとはっきり言えば 「ダサすぎ」 だ。ただ、これだけ堂々とやられたら 「まあ、お好きなように」 と言うしかない。

というわけで、ホリエモン、"No War" と書いてあるからといって、メッセージがきちんと通じるわけじゃないのだよ。この国では、英語は単なる飾り文字か、勝手な造語のネタ以上の何物でもないのだから。

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2017/07/12

蓮舫さん、戸籍公表で済む問題じゃないよ

民進党の蓮舫代表が、自分の戸籍を公表する意向なのだそうだが、それに関して、いろいろな意見が乱れ飛んでいるようだ。

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このブログで一昨日も書いた (参照) ように、民進党内部から 「戸籍を公表すべきだ」 との指摘が出る一方で、山口二郎法政大教授は Twitter で「政党の消長よりも、日本における基本的人権にかかわる重要な問題」 「公的な活動、発言をするときに、自分は真正な日本人であることをいちいち挙証しなければならないなんて、全体主義国家だ」 と書き込んでいる。(参照

この山口氏の発言にはいささか違和感を覚える。ちょっとモノを買う時だって、「原産国表示」 が義務づけられている世の中で、自ら 「中国製」 と言ったり 「日本製」 と言ったり、「どっちだか曖昧だったけど、やっぱり日本製でした」 では、信用なくすではないか。いわんや政治家においてをやである。

モノと人間を一緒にしちゃ申し訳ないけど、問題は 「国籍そのもの」 よりも 「信用」 なのだ。彼女が中国人だから、あるいはだったから、どうこうという問題ではなく、彼女自身がこれまで色々矛盾することを言ってきたことが問題なのだ。

私としては別に今さら、蓮舫代表の戸籍なんて見たくもないし、確かに公表なんてしなくてもいいと思う。そもそも公表されたからって、蓮舫代表の 「嘘つきイメージ」 が覆るわけじゃない。要するに 「何をしても、もう遅いよ」 ってことだ。

いずれにしても、蓮舫代表は戸籍を示して 「はい、ご覧の通り、私は日本人であり、二重国籍疑惑は晴れました」 として、「本来なら公表すべきじゃない戸籍まで公表したんだから、この問題に関してはもう一丁上がりよ!」 としたいのだろう。しかし繰り返すが、コトの本質はそんなところにあるのではない。

一昨日のブログでも書いたことだが、蓮舫代表の国籍に関する発言は、これまでも二転三転してきている。要するに、その時々で都合のいいことを言っており、過去の自分の発言と矛盾する発言を臆面もなく繰り返してきたのだ。つまり本当の問題は彼女の国籍問題というより、「過去の発言に責任を持たない人を代表としている民進党って、一体何なの?」 ということである。

国籍に関して何度も矛盾する発言を繰り返してきたという事実から導かれるのは、「嘘つき」、あるいは 「自分のアイデンティティに関して信じられないほど無頓着な人」、はたまた 「国籍を曖昧なままにして、その時々のおいしい結果を享受してきたご都合主義の人」 といった印象である。それこそが問題なのであって、「戸籍まで公表したんだから、これ以上は文句ないでしょ」 で済む話じゃないのである。

彼女は昨年、「息をするように嘘をつく」 と安倍政権を批判し、当然の如くどえらいブーメラン効果を引き起こしたが、自分自身もかなりの嘘つきとは、自覚していないみたいなのである。知って犯す罪より、知らずに犯す罪が重いとは、まさにこのことのようだ。(参照

【7月 13日 追記】

本日の記者会見で、蓮舫氏は 「戸籍は個人のプライバシーに属するものであり、積極的に、あるいは排外主義者・差別主義者の方たちに言われて公開することは、絶対にあってはならないと今なお思っています」 と、戸籍公開の報道を否定した。(参照

彼女は、自身のこれまでの曖昧なもの言いに関する明確な説明を求める声に関して、「排外主義者・差別主義者」 とくくるわけなのだが、これは明らかに問題のすり替えだ。しかも、そうした 「排外主義者・差別主義者」 は、民進党内にもいると言っているに他ならない。これは、安倍首相の 「こんな人たち」 以上に見過ごせない発言だ。

ちなみに私は既に述べているように、彼女の戸籍謄本なんか見てもしょうがないと思っている。

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