2014/09/22

行列を作ってまで新製品を買う、新たな理由

今月 19日付の 「iPhone 6 を買うための行列」 という記事で、私は、話題の新製品の発売開始日に行列ができるのは、企業が行列要員のバイトを雇って並ばせることもあるからだと指摘して、次のように書いた。

企業がバイトを雇ってまで長い行列を演出したがるのは、それが大変な宣伝になるからだ。とにかく長い行列ができれば、テレビや新聞がこぞってニュースにしてくれる。広告料に換算したら、何億円の効果があるか知れない。それに要するバイト料なんて安いものである。

しかし世の中はさらに進化して、次のステージに進んでしまったようなのだ。発売元の企業とは無関係のところからバイト代をもらって行列に並ぶという新しい現象が発生しているのである。

例の iPhone 6 の発売開始日、世界中の Apple Store 前で、中国人の異常なまでの行列が発生し、周囲の顰蹙を買ったらしい。Gigazine は、「iPhone 6を購入するために大勢の中国人がニューヨークの Apple Store 前に集結、やりたい放題の末に最後は iPhone を闇市に流した模様」 と、日本語解説付きのビデオで告げている。

iPhone なんかには何の興味もなさそうな、中国人のオカンやオッサンたちが、発売日の 2日も前から大挙して Apple Store 前に並び、通りをゴミだらけにして、あげくには喧嘩騒動まで引き起こし、ようやく 2台の iPhone 6 (判で押したように 1人が 2台買っていたらしい) を入手すると、そのまま元締めに製品を渡して現金を受け取っていたというのである。

似たような騒ぎは日本でもあり、並んだ行列に中国人が集団で割り込みして騒動になるという事件を引き起こしていたようである (参照)。まあ、こう言っちゃナンだけど、中国の人たちって、割り込みするのは当然と思っているフシがあるからね (参照)。

今回の世界各地でのトラブルは、iPhone 6 の発売日が未定の中国で高値で横流しするために、各国にいる中国人ブローカーが暗躍したようなのだ。中国でも、話題のアイテムはいち早く入手したいという、金に余裕のありすぎる連中が増えているのだね。そして今回のケースに限っては、Apple としては行列要員なんか雇う必要なんてさらさらなかったわけだ。

こまでくると、長い行列を作ってもらってマスコミの記事にしてもらい、新製品のキャンペーンに最大限に利用するというパブリシティ戦略は、もう風化しつつあるとみてもいいだろう。下手すると、逆効果でイメージダウンになってしまう。

Apple としては、次の iPhone 発売日には、何か対策を考えるか、あるいはまったく別のシステムで販売するしかないんじゃなかろうか。

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2014/09/21

カタルーニャの独立機運

スコットランドの独立は否決されたが、スペインのカタルーニャは、11月 9日に独立の是非を問う住民投票を実施することになったという。これに関する関連法案を、カタルーニャ自治州議会が可決したのである。

ところが、スペインの中央政府はこれを 「違憲」 として、憲法裁判所に訴える方針であるらしい。見たところ、スコットランドよりはカタルーニャの方が独立機運が高いようなので、中央政府はその動きを何とかして抑えたいのだろう。

言うまでもないが、カタルーニャの住民も独立賛成派ばかりではない。中には、「自治州が独立のための法整備をするのは違法であり、米国の州が合衆国憲法を無視して勝手な州法を作るようなもの」 と言っている大学教授もいるらしい。

しかしよく考えてみれば、そんなことを言うなら、憲法に 「植民地と構成自治体の独立は認めない」 なんていう条文を作ったら、あるいは、独立の手続きなんて無視して、一切言及せず、「そんなことはあり得ない」 という態度に徹したら、その国では憲法改正か独立戦争をしない限り、永遠に独立できないことになってしまう。

しかし独立なんていうのは、早く言えば、独立宣言をして、他の多くの国からそれを認めてもらいさえすれば果たせるのだ。それは、クリミアの独立がウクライナ憲法に違反するから認められないなんて言っても、ロシアとしては強引にやっちまえば何とかなると思っているようなものである。

つまりカタルーニャが本気で独立しようというなら、独自外交をして、独立の国際的支持を獲得するのが先決だ。十分な準備と根回しをして、その上で独立宣言すればいい。ただし、それには長い時間がかかるだろう。

それから、もしカタルーニャが独立するとしても、サッカーのリーガ・エスパニョーラは名前を変えて連合リーグとしてでも、とにかく存続させてもらいたい。

英国のように、プレミア・リーグがそれぞれの国にあって独立しているなんてことになったら、バルサ対レアル・マドリードの 「クラシコ」 (伝統の一戦) がなくなってしまう。それはあんまりだ。

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2014/09/20

スコットランドの独立は否決されたが

スコットランドの過半数の人たちは、「スコットランドの国民であると同時に、連合王国の一員でもありたい」 という意思表示をした。他国のことだから、私ごときがどうこう言っても仕方がないが、個人的には賢明な選択だったと思う。

住民投票で独立は否決されたが、いずれにしても大幅な自治権拡大を約束されている。この約束が反古にされることは、まずないだろう。あとは、どのレベルまでの自治権を得られるかで、それは今後のネゴシエーションにかかっている。

私が面白いと思ったのは、スコットランドの住民が投票前のキャンペーンでアピール用に使っていたプラカードである。賛成派が "Yes" のカードを掲げていたのに対し、反対派は "No Thanks" のカードを持っていた。

"No Thanks" (あるいは "no thank you")は、普通には 「結構です」 と訳すことになっているが、直訳的には 「ありがたくない」 という意味では決してなく (日常の会話でそんなこと言ったら、喧嘩になるでしょ)、「いらないけど、まあ、いずれにしても気にかけてくれてありがとうね」 といったニュアンスである。

このプラカードを見て、「独立しなくても、自治権が大幅に拡大されるんだから、いずれにしても我々の勝ちさ」 と言わんばかりと、私は感じてしまったのだった。

さすが、「大人の 対応」 である。

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2014/09/19

iPhone 6 を買うための行列

iPhone 6 の発売開始の今日、表参道の Apple Store には 1000人以上の行列ができて、隣の外苑前の駅までつながったと伝えられ、銀座店にも 1000人近い行列ができたと報じられた。世の中には、新製品は夜通し並んででも他人に先駆けて入手したいという人が、一定数いるようなのである。

私は一昨年 5月、東京スカイツリー開業の直前に 「行列に並んでもホットスポットに行きたいか?」 という記事を書いた。TBS ラジオがこのテーマで聴取者対象のアンケートをとったら、「並んででも行きたい」 派は、僅か 15%だったというのである。圧倒的多数は、「並んでまで行きたくない」 派だった。

時事通信はスコットランド独立を問う住民投票の結果を、「予想外の大差」 と報じている (参照) が、55:45 がどうして 「大差」 なのかよくわからない。本当の 「大差」 というのは、この 「並んででも行きたいか」 アンケートの結果ぐらいの、圧倒的なものでなければならないと思うがなあ。

話を元に戻そう。話題のスポットに行列してでも行きたいという人と、iPhone 6 を行列してでも入手したいという人とは、多分それほどカブらないとは思うが、メンタリティとしてはかなり共通するものがあると思う。「ホットな話題の渦中に、最初に加わることに意味がある」 と考えているらしいということだ。

同じメンタリティの、発揮される分野が違うというだけのことだ。ターゲットが、東京スカイツリーだったり、ゲームソフトだったり、iPhone だったり、人気のアイドルだったり、評判のラーメン店だったりする。

ただ、こうした行列情報は、ちょっと眉に唾を付けて受け取らなければならない。世の中には、アルバイトで行列に並ぶという仕事が存在するからである。行列要員の求人は表立って行われることがないため、世間ではあまり知られていないが、そこはそれ、蛇の道は何とやらいうもので、専門の業者に登録しておけば、求人が発生する度にメールで知らせてくれるらしい。

企業がバイトを雇ってまで長い行列を演出したがるのは、それが大変な宣伝になるからだ。とにかく長い行列ができれば、テレビや新聞がこぞってニュースにしてくれる。広告料に換算したら、何億円の効果があるか知れない。それに要するバイト料なんて安いものである。

IT 技術というのは、小さなハードウェアの入手のために前夜から行列に並ぶなんてことをしなくて済むようにあるはずなのだが、Apple みたいな会社が行列のできることが必至の売り方を続けるのは (私は今回の行列のほとんどがバイトだなんて、言ってないからね)、それがものすごくいい宣伝になるからなんだろうね。



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2014/09/18

「結婚したらどうだ」 発言を巡る冒険

東京都議会の 「男女共同参画社会推進議員連盟」 野島善司会長の 「結婚したらどうだとは、私も平場では言う」 発言が問題になっている。まあ、この人も言わなくてもいいことを言ってしまったものである。産経ニュースによると、こんな具合になっている。(参照

野島都議は 「(プライベートでは) 結婚したらどうだと言う」 との発言は取り消さず、「かつて地域には世話を焼く人が多くいたが、今はその機能がない。政治信条というよりも、私の生きざまだ」 と強調。「議連会長という立場を切り分けせずにご迷惑を掛けた。申し訳ない」 と陳謝した。

プライベートだろうがなんだろうが、「結婚したらどうだ」 と言われるのは、人によってはうっとうしく感じるものである。そりゃ、全然気にしない人もいるだろうが、目の前の人がそのどちらのタイプなのかをいちいち判断するのは大変だから、とりあえずは、そんなことは無闇に言わない方がいいに決まっている。

つまり、公的な場だろうがプライベートだろうが、「結婚したらどうだなんて、無闇に言わないものよ」 というのが、最近ではマナーということになっているのである。ただそれだけのことだ。だから、まあ、「平場では自分も言う」 なんていうのは、とくに公職にある人の発言としては、ナンセンスということになる。

まあ、この野島さんという都議会議員は、公式の場では言ってはいけないことでも、プライベートでなら、なんと 「生きざま」 として堂々というというのだから、他にも 「生きざまとしてのダブルスタンダード」 をいろいろ持っている人なのだろうと推測される。

少なくとも私は、自分の娘 (3人とも 25歳以上で独身) にだってそんなことは言わない。父親にそんなことを言われたら、娘としてはうっとうしい気がするに決まっているからだ。

別に 「娘を嫁に出したくない」 なんて、メロドラマでありがちなことを思っているわけでもない。ただ、そんなことを言おうが言うまいが、当人が結婚したくなったらするだろうし、その気がないうちに押しつけても、多分幸せにはならない。無理に変な男とくっつかれるよりは、独身でいられる方が、まだいい。

「世話を焼く人云々」 の話では、「私、結婚したいんですよぅ、誰かいい人、紹介してください!」 と言われたら、私は喜んで世話を焼く。今までもそんなケースがあったしね。ただ、「結婚したらどうだ、いい人を紹介するよ」 なんて、こちらから言うことは、決してない。そんな 「余計なお世話」 で、相手を居心地悪い気持ちにさせたくないからね。

冒頭でリンクした記事は、共産党の大山とも子幹事長 (58) が 「あらゆる場で言ってはいけない発言で、議連会長にふさわしくない」 と批判したと伝えている。これに関しては、いくら私でも 「あらゆる場で言ってはいけない」 ってのは極端すぎるなあと思ってしまう。そんなことを言うから、ますます余計なナンセンス議論に陥るのだ。

それとも、「そんなことは言わないのがマナーよ」 程度の済ませ方では、野島さんのような 「生きざまとして言いたくてたまらない人」 が、あちこちでポロポロ言っちゃうので、アブなくてしょうがないってことなんだろうか?

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2014/09/17

日本人の新聞への信頼度が、ようやくフツーの先進国並みに下がる

2010年の 「世界価値観調査」 で明らかになった日本人の新聞に対する信頼度は、「非常に信頼する」 と 「やや信頼する」 を合わせて 70.6%にのぼったというのが、今さらながら話題になっている (参照)。これは先進国の中では断トツに高い数字であるらしい。

同年に行われた電通総研のメディア信頼度についての調査でも、日本人の 72.5%が新聞や雑誌を信頼しているという結果が出ている。これは、アメリカの 23.4%、ドイツの 28.6%、フランスの 38.1%、イギリスの 12.9%と比較すれば、ものすごい数字であることがわかる。

日本の 「メディア情報鵜呑み度」 がこんなにも高いのは、「日本人は情報の取捨選択を行う訓練を受けていないから」 というのが理由だと言われてきた。しかしこれは、もっともらしいが、「ちょっと待てよ」 と言いたくなるお話だ。というのは、日本のマスメディアには 「取捨選択」 して意味があるほど、多様な価値観による情報発信があるとは思われないからだ。

大手マスコミの情報は、ほとんど 「どれをとっても大した違いがない」 ものでしかない。ちょっと 「違いを感じさせる」 のは政治的な記事で、今回問題になっている朝日の 「従軍慰安婦記事」 はその典型だ。しかしこれが報道された当時は、朝日の報道を真に受けるのが 「正しい進歩的文化人」 の姿で、それに異を唱えたら 「右翼」 扱いされていた。

当時の世の中では、朝日の報道を 「鵜呑み」 にせず、今から思えば 「まともなこと」 をまともに主張してしまうと、大音響の街宣車で走り回る人たちと同じ扱いをされかねなかったのである。なるほど、それまでに 「メディア情報鵜呑み度」 が高い国だったのである。

皮肉なことに、メディア情報を鵜呑みする傾向が最も高かったのは、最も 「情報の取捨選択を行う」 ための訓練を受けていたはずのインテリたちだったのだ。というか、朝日的メディアと、進歩的文化人といわれる人たちが、同じ価値観をもって 「政府の暴走をチェック」 しているつもりになっていたのである。

こういう構造だったら、そりゃもう、「メディアを信頼」 しちゃうよね。ある意味、運命共同体みたいなものなんだから。

ところがその後の調査で、こうした傾向が崩れ始めていることが明らかになっている。「経済広報センター」 が昨年 8月に発表した 「情報源に関する意識・実態調査」 によると、新聞を 「信頼できる」 と答えた人が、ようやくというか何というか、60%を割り込んだのである (参照)。

この調査では、新聞への信頼度は常に 70%以上をキープしていたのだが、2012年に 68.9%となり、昨年は 57%にまで落ちた。今年の結果は、私はまだ知らないが、いずれにしても、例の朝日の誤報問題が反映されるのは来年の調査になるだろうから、まあ、1年待てば惨憺たる数字になるだろう。

とはいいながら、ようやく 「普通の先進国並みの数字」 になるだけのことなのだが。

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2014/09/16

年寄りばかりで子供がいない世の中になると

昨日の敬老の日ネタとばかりも言い切れなかったのが、「75歳以上 「8人に1人」 に  65歳以上も 3296万人で過去最多」 というニュースである。今や、65歳以上の高齢者が 25.9%に達し、4人に 1人以上が年寄りという世の中になってしまったのである。

近頃では、それをしみじみと実感する。先月 20日の記事でも書いたように、田舎に還れば、実家の周りは年寄りばっかりだし、今住んでいる家の周囲も、住人の多くが 70歳を過ぎた人ばかりになってしまった。

この傾向はどんどん進展する。前回の国勢調査のデータから類推した 「日本の将来の推計人口」 といのが総務省から発表されており、それをグラフにしたのを眺めると、ちょっと背筋が寒くなる。

まず、2020年の推計である。そんなに遠い未来ではない。この年、東京ではオリンピックが開催されるが、老齢化はかくの如く進行している。

2020x

今回、団塊の世代が 65歳以上になったと報じられたが、2020年には全員が 70歳を越えるのである。そして、依然としてこの団塊の世代は人口ピラミッド (いや、ピラミッド型はとっくに消滅しているから、もう完全に死語だな) の中で突出した世代となっているので、どこを見渡しても年寄りばかりということになる。

さらに、その 10年後の 2030年を見てみよう。

2030

団塊の世代はさすがに少しはあの世に行っているようだが、それでも 30〜40代の人口より多い。それに 「団塊の世代ジュニア」 といわれる年代が、確実に年を取って還暦に近付く。もう本当に、後期高齢者とアラ還ばかりの世の中になる。

それがどんな光景か見たければ、地方都市に行ってみるがいい。とっくに 10数年後の状態を先取りして、年寄りばかりが寄り添って、まあ、案外平和に暮らしている世の中が、リアルに体験できる。

で、さらにその 10年後となると、90歳、100歳以上の人間がかなりたくさんいて、団塊の世代ジュニアが 70歳にさしかかって、それより年下の連中はもう、ちらほらしかいないという世の中になる。なかなか大変な状態だ。

そうなると、子供の数は今よりずっと少なくなって、小学校なんてやってられないから、家庭にいてネット授業になり、リアルの学校には週に 1度通えばいいなんてことになっているかもしれない。そうなると、不登校とかいじめとかいう問題も様変わりする。いじめ方すら知らない子が出てくる。

「人間とはいかなる存在なのか」 を、しっかり突き詰めて探求しないと、まともな精神をキープして生き残るのが大変な世の中になるかもしれない。

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2014/09/15

”Thank you for your patience" という言葉が、日本語にも欲しい

NAVER の "「全盲なら乗るなよ」 「相当イラつくのは確か」 川越線での全盲女子負傷 加害者への同調がツイッターで続出” というまとめ記事に、かなり驚いた。

基本的に、タイトルにもなっている 「全盲なら (ラッシュ時に) 電車に乗るのは、控えるべきだ」 という、ややおとなしい意見と、「ただでさえ混んでるのに、全盲の人が紛れ込んだらイラつく」 という感情的発言が多いが、さらに 「障害者だからといって、無条件に被害者ヅラするのはおかしい」 という攻撃的発言もある。

まあ、正直言ってわからんでもない。似たような気持ちに、自分がちらっとでもなったことがないと言ったら、それは嘘になる。でもそれをぶっちゃけた話として言うってのは、まともな人間として恥ずかしいという感覚をもつ方が、世の中の多くのことは円滑に運ぶんじゃないかと思うのだよね。

まあ、実際にはラッシュ時の駅構内の雑踏や満員電車の中で、白い杖をついた人や妊婦や、足の不自由な人がいたりしたら、私はいつも自分の体を盾にしてでも、彼らを守ってきた。だって、行きがかり上、そうするしかないじゃないか。様子がわからないうちは私が不自然に体を突っ張っていることで憤る人もいたが、隣の誰かを守っているのだと知れば、「そうだったのか」 と納得してくれた。

私は常々、英語の ”Thank you for your patience" と同じニュアンスの言葉が、日本語にないことを、とても残念に思っている。これは直訳すると 「あなたの忍耐に感謝します」 ということだが、実際の場面では、日本語だったら 「お待たせいたしました」 なんて言うだろうというケースで、案外気軽に使われる。

何かのオープニングで、朝から長い列ができて、ようやく開場になったというような場合なんかの、決まり文句みたいなアナウンスの言葉と私は理解しているが、用例はそれだけではない。例えばバスから降りる時に料金を支払う場合など、全然要領を得ないお年寄りなんかが、もたもたしてものすごく手間のかかることがある。

そんな時、日本だったら列の後ろの方であからさまに舌打ちしたり、これみよがしにため息をついたり、下手すると 「早くしろよ!」 なんて声が上がったりすることもあるが、欧米だと、別に紳士淑女ばかりでなくても、案外みんな呑気に待つ。

それがごくフツーのことのようなのである。そしてようやくことが済んで列が動き始めると、運転士が  ”Thank you for your patience" と、決まり文句を言ったりする。

まあ、並んでいる人たちは、そりゃあ、少しもストレスを感じないわけじゃないだろう。多少はイライラしたりするはずだ。しかしそれをあからさまに態度に表したりするのは大人げないし、相手の尊厳を傷つけるようなことをするのは、人間としていかがなものかという共通認識があるんじゃないかというような気がする。

それで、いらついた素振りは見せず、解決するまでおとなしく待つ。いくらなんでも 10分も 20分もかかることなんかないから、待ち時間なんて実際には知れたものだ。そして、そのちょっとした 「我慢」 に対して  ”Thank you for your patience" (あなたの忍耐に感謝) と言われるのだから、そりゃあ、悪い気はしない。いい言葉である。

ところが日本では、運転士が 「忍耐に感謝」 なんてことは言わない。感謝せずに、一方的に 「大変お待たせして済みませんでした」 なんて、謝ったりする。本来は、彼が謝る筋合いではないのに、なぜか謝るのである。

こんな場面で謝られちゃうから、客の方は何か悪いことをされて、被害を被ったような勘違いをする。その悪いことをしたのは、あの多少ボケかかったじいさんだと思えば、「料金の払い方も知らない年寄りは、バスに乗るな!」 なんてことを、つい言いたくなる。

これが年寄りじゃなくて、視覚障害者で、バスを降りる時に多少手間取ったりした時に、「全盲なら、バスに乗るな!」 なんて、口汚い言葉をわめいたりしたら、それがもし米国だったら、いきなり隣の客に殴り倒されても文句は言えない。

川越線で全盲の女子高生の膝の裏を蹴っちゃった奴は、ここが日本だったおかげで、周りからボコボコに袋叩きにされずに済んだのである。まったく命冥加な奴である。

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