2018/05/26

約 40年ぶりの国分寺再訪

今日は東京都の国分寺市というところのホテルに泊まっている。昼から夕方まで高校時代の同級会があり、明日は多磨方面の仕事に出かけるので、自宅には戻らず、中央線でここまで来てチェックインしたわけだ。

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実は国分寺という街は私が 20歳前後に 3年ほど住んだことがあり、かなり懐かしい思い出がある。ところが今日、何十年ぶりかで国分寺の駅で下車して驚いてしまった。私が住んでいた 40年前頃は北口と南口に分かれた小さな駅だったが、今はなんと、丸井や東急ハンズの入るステーションビルになって、ずいぶんスタイリッシュなイメージに変わっている。

試しに自分が 40年前に住んでいた東元町 4丁目あたりに足を伸ばしてみると、当時のアパートは当然の如く跡形もなく、隣にあった小さな公園も潰されて賃貸マンションらしき建物になっていた。通っていた 「桃の湯」 という銭湯も、煙突と建物は辛うじて残っているが、営業している様子はなかった。おそらく近いうちに取り壊されるのだろう。

あの村上春樹が伝説の "Peter Cat" というジャズ喫茶をやっていた頃とは、完全に時代が変わってしまったようなのである。ただ、北口界隈を歩いてみると学生たちが大勢闊歩していて、「学生の街」 という当時のイメージはそのまま残っている。願わくは、このイメージだけは失われることなく続いてもらいたい。

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2018/05/25

「日本人に英語をマスターされると困る人たち」 がいるらしい

Facebook に、下のような 「これすごすぎる・・・」 という書き込みが表示された。どうやらお金を払っていろいろな人のタイムラインに表示させる広告らしい。

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それにしても 「戦後、日本人に英語をマスターされると困る人たちが隠し続けた英語の学習法が判明! 毎日 5分だけで OK なその理由とは?」 というコピーがすごい。英語教育にまで 「陰謀史観」 が持ち込まれているとは、恐れ入った。

この関連では、こんなのも見つかった。ちなみにこの 「早川千尋」 というアカウントはこの書き込みのためだけのもののようで、プロフィル写真の横顔がべっぴんさんすぎるほどで、しかも実在の人物かどうかはまったくアヤシい。

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クリックすると表示されるのは 「スマホ留学」 というサイトで、社名は 「株式会社イングリッシュライフ」 ということのようだ。英語教育の会社が 「英国的生活」 という名前なのは、思わず笑っちゃいそうだが、ここでは敢えて 「ふむふむ」 とだけ書いておく。

おもしろいのは、その 「スマホ留学」 のサイトに飛んでも、「戦後、日本人に英語をマスターされると困る人たちが隠し続けた英語の学習法」 ということにさっぱり触れられていないことである。それって、一体どんな人たちなのだろう。

とにもかくにも、この学習法を開発したという 「塩原祥之」 なる人物が、よくまあ 「戦後、日本人に英語をマスターされると困る人たち」 という闇の勢力によって抹殺されなかったと思うばかりである。それは、その学習法に大した効果がないということの証左に他ならないという理窟も成り立つだろうけれど。

「スマホ留学」 というサイトに飛んで、このシステムのおかげでペラペラしゃべれるようになったという人たちの動画を見ても (聞いても)、「今さらこの程度のかわいらしい英語をしゃべるために、20万円も使ったのか」 とため息をつくばかりだが、これ以上は野暮になりそうなので、これでおしまい。

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2018/05/24

「国民的悪役」 になっている内田というおっさん

先月からずっと忙しくて、日曜祭日もなく、大してお金にもならない仕事で忙殺されていた。連休以後も、5月の最初の 2日間だけは辛うじて休んだが、その他はずっとあちこち出かけてばかりで、今日、ようやく 3週間ぶりの休みである。

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昼前にちょっとテレビのスイッチを入れてみると、どこの局もワイドショーで、例の 「日大アメフト問題」 の推移を大々的に報じている。とくに当事者の宮川君が独自に誠意の感じられる記者会見を開いたことを受けて、昨日になって日大アメフト部サイドがお粗末な会見をしちゃったものだから、どのワイドショーも 「内田ヒドい、井上苦しい」 のオンパレードである。

聞くところによれば日大には 「危機管理学部」 という学部があるというのに、今回のケースではまったく機能していない。思うに日大首脳部はこの件について、「そこまで大袈裟な 『危機』 じゃない」 と高をくくっていたようなのである。実はその認識不足こそが最大の危機要因なのだが。

昨日の記者会見では 「日大のブランドが落ちる」 と指摘されたが、実は既に十分落ちてしまった感がある。私には日大出身の知り合いが結構いるのだが、ほとんどは芸術学部出身で、彼らは 「日大」 ではなくあくまでも 「日芸」 出身と思っているので、あまりダメージは受けていないみたいなのが幸いだ。(27日追記: 参照

ところで、アメリカン・フットボールについてほとんど知識もなかった世間が、この問題に関してどうしてこんなにも釘付けになっていきり立っているのか、ちょっと横っちょの方向から考えてみた。思うに、今回のケースは、このところ立て続けに起こった 「ムカつく社会的事件」 とか、あるいは 「身近のムカつくおっさん」 とかいうストーリーの、最も 「ムカつく要素」 を、あの内田というおっさんが象徴的に現出しているからなのではなかろうか。

「ムカつく事件の当事者」 と言えば、「もりかけ問題」 の総元締である安倍首相を筆頭に、その関連の連中、そして一連の 「パワハラ、セクハラ事件」 の当事者たちも、事件発覚後、一様にとぼけて責任を取ろうとしてこなかった。「会ってない、言ってない、指示してない、知らない」 とか 「そんなつもりじゃなかった、そんな認識はなかった、気付かなかった」 など、ちょっと突っつけばボロボロ崩れるような下手な取り繕いばかりである。

さらに 「チョー強力なむかつき要因」 は、内田というおっさんの、あのゴーマンさである。多くの人の身近にも、あのタイプのゴーマンなおっさんがいて、そうしたおっさんの多くは妙に権力を握ったりしているので、表立っては逆らいづらい。そうした鬱憤を、「内田ってやつはひどい!」 と口を極めて罵ることで、少しは発散できるのだ。

実はその昔、私の仕事関係の付き合いの中にも、あれとそっくりな 「ゴーマンなおっさん」 がいた。あまり具体的に書くと人物が特定されそうだが、同じ日大出身で、風貌と名前まで、兄弟か親戚じゃないかというほどそっくりというとこぐらいまでは、いいや、この際書いちゃおう。一応ネット検索してみてもひっかからなかったから、そこまで有名なおっさんじゃないってことだね。

私は幸いにも彼とは直接の利害関係がなかったから、適当に離れたポジションをキープしていたが、彼の部下たちは結構大変な思いをしていたようだ。その反動で、彼らは自社の上役にはペコペコしながら、一方で発注先には妙に尊大に振る舞うのである。まったくもう、日大アメフト部の井上某じゃあるまいし。

というわけで、あの内田というおっさんを見ていると、世間で苦労している人たちのいろいろなムカつくイメージが次々によみがえってしまうというのが、彼がここまで 「国民的悪役」 にされてしまっている要因じゃないかと気付いたのだった。

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2018/05/23

パワハラとマインド・コントロールの 2点セット

元アメリカンフットボール日本代表でスポーツキャスターの近藤祐司さんという人が、23日放送の TBS 系番組に出演し、日大の宮川泰介選手件について 「そういう指導者に会ってしまった彼の不運を嘆きたい」 と、涙を流したという。(参照

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まさに彼は最悪のタイプの指導者に出会ってしまったわけだ。内田カントクという人は、「パワハラとマインド・コントロールのセット」 で、1人の有望な若者の選手生命を絶ってしまったのだから。

最近、パワー・ハラスメントがようやく問題視されるようになってきた。企業や団体、学校などで昔から行われてきた悪習が、大きな問題として糺弾されるようになるのに長い時間がかかったのは、組織内での上下関係が邪魔をして、被害者がなかなか声を上げにくかったという事情があるだろう。

ただ、パワハラだけの問題なら、被害者は 「嫌々ながら耐えている」 という構図があるので、何かのきっかけで我慢を強いるタガが外れたら、どっと告発されることになる。ところが、大学体育会などの場合は、厄介なことにそこに、「マインド・コントロール」 という要素が噛んでくることがある。

今回のケースにしても、あれだけまともな思慮分別のある若者が、理不尽に日本代表を辞退させられたり、練習から干されたりして精神的に追い詰められ、「相手選手をつぶすので、試合に出してください」 と自ら言い出さなければならないほどの異常な状態に追い込まれている。これがマインド・コントロールでなくて何だというのだ。

日大のコメントでは、「相手をつぶせ」 というのは厳しい姿勢を強調するために日常的に使っていた言葉だというのだが、たとえそうした側面があったとしても、なぜ今回に限って選手がエクストリームな解釈をするに至ったのかについての合理的説明がなされていない。客観的にみれば、選手が極端な解釈をするように、いつも以上に過激で異常な言葉で煽り、反則行為を行ってしまうように、マインド・コントロールで追い詰めていたわけである。

「内田カントクが直接的に反則を指示したか」 という問題については、仮に裁判になった際にはかなり微妙な問題になるだろう。日大側はあくまで 「反則して怪我をさせろとは、直接言っていない」 と主張するだろうから、立証は困難になると思われる。

しかし裁判で有罪になるかどうか以前に、内田カントクというおっさんの卑劣さはすっかり暴露されているのだから、既に晩節を汚しまくって多くを失っている。

日大アメフト部も、退部が続出するだろう。このまま部に留まっても、就職の時に 「あの日大アメフト部に最後までいたのか?」 と、不利になりこそすれ有利になんか働かない。下手したら一生の汚点になってしまう。マインド・コントロールはすっかり解けてしまった。

ついでに、このケースが引き金となって安倍首相案件も、さらにいろいろ暴露されまくればいいなんて思ってしまうよ。

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2018/05/22

内田カントクっておっさんに、ストレートにむかついた

例の日大アメフト部の問題で、関学の選手に怪我をさせた選手が記者会見をするというので、初めは 「どうせ大学側に言い含められて、うやむやなことを言って終わりにするんだろ」 と思っていた。しかし、わざわざ出てきて記者会見をするというのは、それで済まないものがあるのだろうと考え直し、その内容が気にかかっていた。

そして今日は仕事で昼前から出かけ、夕方過ぎに帰宅すると、妻が 「日大の学生さん、ずいぶん核心的なことまで正直に話したみたいよ。やっぱり反則は監督の指示っていうことらしいわ」 と言う。「へえ、よくそこまでしゃべったな」 と、ネットで検索すると記者会見の模様を完全収録したビデオが見つかった。つい、最後まで見ちゃったよ。

で、見終えての率直な感想。宮川泰介という (元) 選手は、してしまったことは悪質極まりないが、その後の反省は本物と感じた。実名と顔を出してまで謝罪したいという意思は、ある意味立派である。一昨日の記事で書いた "「あんたがそこまで誠意をみせてとことん謝ってくれるなら、こちらとしてもある程度矛を収めざるを得ないよね」 と言ってしまうほどの謝り方" のお手本と言える。

一方で、内田カントクの 「卑怯者体質」 が浮き彫りにされた。こんなのをいつまでも 「ナンバー 2」 なんていわれる地位に就かせていたら、日大全体が信頼を失ってしまう。ここは自衛のためにも、とっとと去ってもらわなければならないというのが、学内の共通認識になるだろう。もしそうならないとしたら、日大全体がズブズブの体質に汚染されているということになる (その可能性も大ありだが)。

とにかく、元選手に反則をさせてしまうまでの手口が、ぞっとするほど嫌らしい。内定しかけていた日本代表の立場を理不尽にも辞退させ、学内での練習からも干して精神的に追い詰める。その上で 「試合に出たかったら、関学の QB をつぶせ、怪我をさせろ」 と吹き込み、仕上げとして選手自身の口から 「相手の QB をつぶすので、試合に出してください」 と言わせているのだ。

この会見の直後、大学側は 「潰せと指示したのは事実」 と認めた上で、「これは本学フットボール部においてゲーム前によく使う言葉で 『最初のプレーから思い切って当たれ』 という意味」 などと言い訳をしているようだが、「よく使う言葉」 なのに、なぜ今回に限って選手によるエクストリームな解釈につながったのか、合理的な説明が一切ない。下手な言い訳をすればするほどますます自分の首を絞めることになると、まだ気付いていないようだ。

こういうことであんまり単純に憤るのはカッコ悪いと感じてしまいがちの、ヒネた体質の私としても、今度ばかりはストレートにむかついてしまったよ。

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2018/05/21

樹木希林と森繁久弥と 「セクハラ」 という三題噺

5月 18日の朝、私は宮城県の大崎市というところのビジネスホテルにいてテレビを見ていた。当初の予定では朝 9時にスタートするはずだった仕事が天候要因で 10時からに変更となり、1時間ほどヒマになったのである。

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で、テレビを点けたら NHK の 「あさイチ」 という番組に樹木希林がゲスト出演していたので、つい見入ってしまったのだ。この樹木希林という人、なかなか素敵である。

で、一通りのインタビューが終わると、視聴者から FAX (今どき、FAX というのが、いかにも NHK らしい) で寄せられた質問に樹木希林が答えるという趣向になり、その中に 「森繁久彌さんとの共演が長かった樹木希林さんですが、お尻を触られませんでしたか?」 という質問があった。

あちこちで 「セクハラ」 が問題になっている時節柄、よくまあ、こんな質問を取り上げたものだとちょっと驚いたが、NHK という組織はこうしたことには案外無神経なのかも知れない。

森繁久弥が共演する女優のお尻を触るというのは有名な話だが、この質問に樹木希林は 「森繁さんは、綺麗な女優さんだったらスッーと触るのね。美形が好きみたいで、そういう人は触ってましたね、でも私は触られません」 と答えていた。先日亡くなった星由里子あたりは確実に触られてただろう。

で、森重の場合は、時代的背景もあっただろうが、この 「お尻を触る」 という行為も 「独特のご愛敬」 として済まされていた感がある。触られた女優にしても 「ホントにもう、しょうがないんだから」 と笑ってスルーしていたようなのだ。まあ、それが本音からかどうかは窺うよしもないが。

そんなわけで、「セクハラ」 というのはなかなか複雑なところがある。「相対性理論」 じゃないが、する側とされる側との関係性によって 「もろにセクハラ」 になったり 「まったくもう、しょうがないんだから」 で済むご愛敬になったりするのである。つまり、「セクハラ」 というのは 「両者の間」 にあるのであって、「する側」 の方に一方的にあるわけじゃないみたいなのだ。

「鐘が鳴るのか撞木が鳴るか鐘と撞木の間 (あい) が鳴る」 という禅問答みたいな都々逸 (?) があるが、まさにこの辺りは結構深いところがある。

「する側」 が 「単なるご愛敬」 とか 「他愛ない挨拶代わり」 のつもりでも、「される側」 がシリアスに受け止めたら、それは 「立派な (?) セクハラ」 になるのであって、この辺りのところが無神経な人には理解できないみたいなのである。「そんなつもりじゃなかった」 なんて言っても、それは一方的な弁明にしかならない。何しろセクハラは 「両者の間」 にあるのだから。

思えば、森繁久弥は平和な時代に生きていたのである。今の世でそんなことをしたら、「セクハラ大魔神」 として炎上してしまっていただろう。

セクハラ問題を起こさないためには、「鐘と撞木の間」 に余計な軋轢を作りさえしなければいいのである。要するに 「セクハラと受け取られても仕方のない言動」 をしなければいいだけのことなのだ。

ただ、世の中にはこの辺りのビミョーな判断が全然できない人がそこら中ごろごろいて、そんな人って、つい 「鐘と撞木の間」 に余計なことをグリグリ押し込んじゃうんだよね。端から見ていると、「なんでまた、ここでわざわざそんなバカなこと言うかなあ」 みたいなことを、好んでポロポロ言っちゃうのだ。しかも、いかにもオッサンじみたギトギト・イメージで。

こうなると、もう 「単なるご愛敬」 なんて決して受け取ってもらえないから、覚悟した方がいい。

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2018/05/20

謝り方を知らない人に謝らせると、火に油を注ぐことになる

今日、仕事に出かける直前、朝のテレビで日大アメフト部の内田正人カントク (辞任すると言っているが、まだ正式に辞任したわけではなさそうなので、こう書いておく) の 「謝罪インタビュー」 の様子をちらっと見た。

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私はこれまでアメフトにそれほど関心がなかったし、例の 「悪質反則事件」 以後も十分な情報収集をしたわけでもないので、今回述べるのは単なる 「印象論」 の域を出ないのだが、この内田カントクという人、「これまであんまり謝ったことがない人なんだろうな」 と思った。だから謝ることに慣れてないだけでなく、そもそも謝り方を知らない。

今回のケースのように、誰が見ても 「こりゃ、ひどいね」 というのが一目瞭然の問題の場合は、とにもかくにも 「迅速に、過剰なほど」 の謝り方をしなければ、コトは収まらない。相手方が 「あんたがそこまで誠意をみせてとことん謝ってくれるなら、こちらとしてもある程度矛を収めざるを得ないよね」 と言ってしまうほどの謝り方をするのが、まあ、言い方はナンだが、こうしたケースの 「常套手段」 なのである。

ところがこの内田カントクは、事件直後は雲隠れしてしまい、いざ出てきて謝っても、「ポーズだけの謝罪」 にしか見えないやり方をしてしまった。これでは関学側も、そして世間も、「これで矛を収めたら、バカじゃん!」 と思う。要するに 「逆効果」 でしかない。

で、マスコミというのもこうした 「世間の空気」 というのをしっかり利用して視聴率を稼ごうとするから、囲みインタビューの際のカメラアングルもしっかりと下から仰ぎ気味にして、内田カントクの 「尊大イメージ」 を意図的に増幅していた。上に貼っておいたスポーツ新聞の写真にしても 「下からアングル」 で、ストロボの影が上に写っている。これって、完全に 「イメージ操作」 だよね。

そして内田カントクの発言は、内容も言い方も、まさにマスコミ側の 「期待通り」 だったわけで、私としては、「そこまで絵に描いたように期待に応えなくても」 と思ったほどである。謝り方を知らない人を 1人で前面に出して謝らせると、たいてい火に油を注ぐ結果になる。

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2018/05/19

「セクハラ罪という罪はない」 発言のナンセンスさ

麻生氏の 「セクハラ罪という罪はない」 発言があちこちで顰蹙をかったが、結局この答弁書がそのまま閣議決定されて、正式の答弁書となったらしい (参照)。まあ、「2018年の日本では、こんなお馬鹿さんが財務大臣やってたんだよ」 というのが動かぬ証拠となって後生に残されるという点では、それなりの意味があるだろう。

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麻生氏はもしかしたら、自分では 「うまいことを言った」 と思っちゃってるのかもしれないが、フツーに考えたら 「セクハラ罪という罪はない」 なんて、大いばりで言うようなことじゃなく、「だったら、それは法律の不備でしょ」 ってことになるだけだ。大急ぎで法的整備を行わなければならない。それは政権与党の責任である。

あるいは、別の見方もできる。答弁書を正式のものとする閣議決定に関連して、政府は野党の質問主意書に次のように答えたという。

答弁書では 「セクシュアルハラスメントに該当し得る行為には多様なものがあり、これらの行為をセクシュアルハラスメントとして処罰する旨を規定した刑罰法令は存在しない」 と説明。そのうえで、「セクシュアルハラスメントが刑罰法令に該当する場合には、強制わいせつ等の罪であり、『セクハラ罪』 ではない」 とした。

かなり幼稚な内容である。直接的に 「セクハラ罪」 という罪はないというわけだが、セクハラを処罰するには、他の法律で十分だというなら、言い換えると、「内容的には十分に 『セクハラ罪』 だが、法律的には他の名称で呼ばれる罪は、いくらでもある」 ということに他ならない。要するに 「セクハラ罪」 という名の罪はないが、セクハラは言うまでもなく、十分に罪になるのだよ。

というわけで、麻生氏はどこから見てもあまり意味のないナンセンスな発言をして悦にいっているだけで、しかもその愚かさを指摘されても、ものすごく幼稚な理窟を振りかざしてまで訂正する気がないという、救いようのない人ということになる。

私はてっきり、「あれは他愛のない冗談で、議事録に残すほどのものじゃない……」 という落としどころにするものとばかり思っていたが、どうやらマジで言ったと、大マジで認めたということになるようで、安倍・麻生コンビ、レベルが低い同志で気が合うんだろうなあ。

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2018/05/18

「指づめ注意」 というステッカーが廃れてしまった

今回は関西から折り返して東北に向かう 2泊 3日の強行軍出張を終えて、さっきやっと帰宅した。東北方面は大雨が心配だったが、なんとか晴れ間を縫って仕事を完了できた。自分自身のしぶといまでの晴れ男振りがありがたい。

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ところで、東海道新幹線の車両で、ドアの横に上の写真のようなステッカーが貼ってあるのに気付いた。「指はさみ注意」 という大文字の下に 「ドアのすきまに手や指を淹れないでください Watch your fingers」 とある。それにしても 「指はさみ注意」 とは、なかなか苦しい表現だ。

JR 東日本の車両だと、「開くドアに注意」 とか 「ドアに指を挟まないように」 などの表現になっているように思うが、大阪管内ではもっとどぎつかった。私が 20代の頃、大阪に本社のある会社に勤めていた頃は、大阪の電車に乗ると 「指づめ注意」 というステッカーが貼ってあって、これにはなかなか馴染めない思いがしたものだった。

「まるで極道の世界ですな!」 と言うと、大阪の同僚の反応は 「なんで? これでフツーやんか」 と、あっさりしたもので、これはこれで当たり前の大阪弁なのだと知った。しかしその表現も今ではすっかり廃れたようで、大阪の電車に乗っても、もはや 「指づめ注意」 というステッカーはあまり見られない。

それはそれで、ちょっと寂しい気もするのだよね。

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2018/05/17

苦手なのは 「数学」 じゃなく、「数字」 なのだった

いつの頃からか数学というものにコンプレックスがあって、数字の連なりをみただけでぞっとする。7年近く前に 「「数字数式認識障害」 とでも言いたくなるほど、数字に弱いのだよ」 という記事を書いているほどだ。そんなわけで、日頃から 「因数分解なんて、きれいさっぱり忘れちゃったよ」 なんて自嘲的に言っていたのだった。

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ところで今日、京都駅地下街の本屋にふらりと立ち寄ったら、「中学校 3年分の数学が教えられるほどよくわかる」 という本が店頭に平積みにされていた。こんな本がよく売れるほど、数学の苦手な人が多いと見える。

「どんなんだろう。これ読めば、少なくとも因数分解まではしっかりわかるようになるだろうか?」 と手に取ってパラパラッと立ち読みしてみた。すると意外なことに、内容があまりにも簡単すぎて読んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるほどなのだ。途中を飛ばして 「因数分解」 に関するページを読んでも、「なんだ、こんなの当たり前じゃん!」 と思うばかりなのである。

というわけで私は今日、「中学 3年で習った因数分解は、全然忘れてない。今でも当たり前に理解してるじゃん」 と、自己認識を新たにしたのだった。私が数学が本格的に苦手になったのは、高校以後のことのようなのである。

ただ、記憶を辿ってみると、中学時代でも数学の試験の点数は、他の科目に比べてよくなかった。それは、理論的にはしっかり理解していても、ちょっとしたミスが多かったからだと思い当たったのである。なにしろ、「数字数式認識障害」 と言うほど数字には弱いもので、実際の計算でミスしちゃうのだ。

というわけで、店頭で本のタイトルだけに惹かれて衝動買いしてしまったら、2000円以上を無駄遣いしてしまうところだったが、「自分は数字は苦手でも、中学 3年までの数学の理窟ぐらいは、『教えられるほど』 しっかり理解してる」 ということがわかったのが収穫だったとしておこう。

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«東京駅のゴミ箱、「ぼってる」 状態は解消したが