2019/04/18

オッサンたちのゴルフ談義は、はっきり言ってうるさい

一泊二日で四国の松山に出張し、羽田空港に戻ると既に夜の 7時を過ぎていた。四国は西国だから日没が関東より 1時間近く遅いので、7時でも薄明るかったが、羽田は完全に日が暮れている。

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モノレールで浜松町に戻り、上野で夕食を食べ、常磐線の快速電車に乗ったのが、8時半近く。完全に夜になっていてそれほど混んではおらず、運良く座席に座れた。近くにちょっと高級そうなスーツを着たオッサンの 4人組が座り、ゴルフ談義で盛り上がっている。それも、タイガー・ウッズがどうのこうのじゃなく、完全にチマチマした付き合いゴルフの話だ。

やれ、どこそこのゴルフ場まで行くと帰りの道路が混んで大変だとか、どこそこは房総半島の南過ぎて疲れるとか、あそこのコースは設計が気に入らないとか、どこそこの会員権は割高だとか、そんな話ばかりである。決してゴルフが好きというわけじゃなく、付き合いゴルフをせざるを得ない身の上に自家撞着しているだけの話題である。よくそんなので 30分以上も盛り上がれるものだ。

ゴルフ談義が一段落すると、今度は仕事関連の人脈の話題に移る。誰それは東大卒だが、あまり世渡りが上手じゃなくて出世できなかったとか、誰それは慶応卒だが、息子が京大に入ったとか、誰それは青学出身だが運だけで支店長まで出世したとか、誰それは晩年が不運だったとか、そんな話ばかりである。決して仕事が好きなのではなく、学歴とか出世とか人脈とかが好きということのようだ。

私は 3年前に 「本当にムッとくるほど無神経なのは、オバサンよりオッサンである」 という記事を書いたことを思いだした。この記事も電車の中で声高にゴルフ談義をするオッサンたちについて書いたものである。電車の中では、大阪のオバチャンたちもやはり賑やかではあるが、とくに気に障るほどうるさいというわけじゃない。気に障るのはオッサンたちの周囲を気にしないゴルフ談義の方である。

それは、当人たちにとってだけ重要な意味をもっているようだが、周囲にしてみれば面白くもなんともない話だからである。その面白くもなんともない話を、ちょっと自慢げに大声で語り合うので、さらに気に障るというわけだ。

 

 

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2019/04/17

「首かしげポーズ」というのがあるらしい

下の写真は、スマホの無料アプリと抱き合わせで無理矢理送られてくる広告の写真で、多分、女の子に人気のあるアイドル・グループか何かなんだろうが、なんというグループなのかすら知らない。

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なんでこんな写真を保存したのかというと、あまりにも「イラッとくる」写真なので、「何がこんなにもイラッとさせるのか」を分析してみたくなったのだ。そしてわかったのは、全員が首をかしげたポーズを取っていることが、この「イラッと感」の源泉ということである。

右端と真ん中と左端の 3人はビミョーに、そして残る 2人はさらにイラッとくるほどのかしげ方である。とくに左から 2人目のやつなんて、「イラッとくる以上」のものだ。私だったら、隣の男がこんなふざけたポーズでこちらの肩に肘を乗せてきてくださったりなんかしやがったら、悪いけど次の瞬間にはぶっ飛ばさせていただくほかないと思う。

あまりの違和感にちょっとインターネットで検索してみたら、世の中には「首かしげポーズ」というものがあるらしいのである。その中で「まあ、これなら確かに可愛いかもね」と思えるのは、人間ではなく、子猫や小犬の「首かしげポーズ」だ。

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子猫というのは、多分本能的に相手の「保護してやりたくなる本能」みたいなものをくすぐってしまうのだろう。その決めポーズが、この「首かしげ」だ。そして子猫なら許せるが、子どもというわけでもない若い女子にこれをやられると、私としては気持ち悪くなって、「可愛いぶってんじゃねえよ!」と言いたくなってしまうのである。

ただでさえイラッとくるのに、「女性の決めポーズは、顔の近くでサイン。首は8度にかしげる!」なんてウェブページまで作られてしまうと、「勝手に死ぬまでやってな!」と放り出すほかない。できることなら、私の視界内でそんなポーズをしないでもらいたい。

で、若い女子の「首かしげポーズ」でイラッとくるのだから、男が、しかも 5人並んで揃いもそろって首かしげてる写真なんか見せられたら、もう、「俺の目の前に現れるな!」と言うほかないではないか。このポーズが飽きられて、「その手にゃ乗らないよ」と言われる時代に早くなってもらいたいものである。

 

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2019/04/16

雪平鍋? 行平鍋?

唐突だが、鍋の話題である。鍋と言っても「鍋物」ではなく、さらにそれに使う土鍋のことでもなく、いわゆる「雪平鍋」、あの周りにボコボコした打ち出しみたいな凹凸のある小さめの片手鍋の話だ。

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実は私はこの鍋のことをずっと「行平鍋」と書くのだと思っていた。百人一首で「立ち別れいなばの山のみねにおふるまつとし聞かば今帰り来む」の歌で知られる、あの在原行平である。ところが ATOK で変換させると「雪平鍋」となり、「行平鍋」というのもないではないが、順位がずっと低い。いやはや、私は今日の今日まで「雪平鍋」なんて表記はちっとも知らなかった。

で、どっちが正統的表記なんだろうと調べてみると、どうやらどちらも正しいらしい。2通りの表記があるということのようなのだ。

しつこく調べてみると、「由来・語源辞典」というサイトでは「雪平鍋の由来・語源」として「平安時代の歌人、在原業平の兄である行平が、須磨で海女に海水を汲ませて塩を焼いたという故事にちなんでの名で、もとは塩を焼くのに用いた」とあるだけ(参照)で、「雪平鍋」と書かれる理由はちっとも説明されていない。これを書いた人は自分で気持ち悪くならなかったのかなあ。

この点に関して、「釜浅商店」という店のサイトでは、在原行平が須磨に流された時に「その島で塩を鍋で作り、そのできた塩が雪のようであった」とし、「それにより、その在原行平から『行平鍋』、また雪の様な塩が出来た事から『雪平鍋』とも言われるようになった」とある (参照)。うん、これはもっともらしい。

また Daily House Chore というサイトには、「在原行平説」のほかに 「鍋の強度を上げるために周囲に付けられた打ち出しの模様が雪に見えたことから『雪平鍋』という名が付いたという説もあります」と書かれている(参照)。ふうむ、いずれにしても日本人はどうしても「行平」を風流に「雪平」と表記したかったようなのだね。

さらにこのサイトには、雪平鍋はもとは厚手の土鍋だったという記述があり、蓋がないのは、今の雪平鍋は熱伝導のいいアルミ製が多いので火の通りがよく、蓋が要らないからだとある。さらに、アルミは柔らかく凹みやすいので、周囲に打ち出しの凹凸を淹れて強度を上げているとしている。なるほど。

それにしても、ごく普通の日用品の名前というだけでも、いくつになっても知らないことって結構あるものだ。

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2019/04/15

「50代の男」がアセったりブチ切れたりすると

昨日の当欄で、のぞみドア開け線路に降りた男、車掌ら連れ戻す」というニュースについて、「まさに『はあ?』としか言いようのない事件」、「『なんでそうなるの?』と言うほかなく、コメントのしようがない」というわけで、「謎の男」と書いた。

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そして今日になって、初めてこの事件の種明かしが報道された。「のぞみ、新神戸駅前で緊急停止 線路に飛び降りた 54歳男逮捕 反対方向の切符所持」というのである。要するに、上りと下りを間違えて乗ってしまい、駅でもないところで降りようとして非常開閉用コックのふたを開いてしまったらしい。

ニュースによると、コックは停車しなければ作動しない仕組みとなっており、男は停車後に開いた扉から線路内に飛び降りたとみられる。とはいいながら、非常開閉用コックのふたを開いたのは列車が走行中のことであり、この男はとにかく何でもいいから、ドアを開けて飛び降りようとしたとしか思われない。

この事件の前日に起きた「容疑者の妻『止めたけど…』 遮断機の棒切断」という事件は、開かずの踏切でブチ切れた男が、ノコギリで遮断機の棒を切断して踏切に進入したというのだが、これも 50代の男である。この世代の男って、短絡的な行動に走りやすいんだろうか。

50代の多くは 1960年代の生まれで、「バブル世代」と言われることがある。彼らの多くは、初任給で高級ブランド物が買えるという贅沢を味わった。なるほど、こうした短絡的な行動を起こす男というのは、バブル期を過ごすうちに心の導火線が短くなっちゃったのかもしれない。

遮断機の棒を堂々とノコギリで切ったら、いくら何でもすぐにつかまるだろうし、新幹線から飛び降りても、反対方向の列車に乗り移ることができるわけでもない。それでも、「えーい、やっちまえ!」になるのだから、こうしたメンタリティの 50代が高齢者になったら、かなり突拍子もないボケ方をしないとも限らない。心してもらいたいものである。

 

 

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2019/04/14

「ボケちゃった人」「キレちゃった人」そして「謎の人」

今月になってから鉄道に関して、中年以上の年齢の男性起こした 「はあ?」と言いたくなるような事件が 3件相次いだ。「女心はわからない」なんて言う男が多いが、男心というのもよくよくわからないことが多い。

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まず 4月 5日の夜に起きたのが、「北陸新幹線線路内を 10キロ歩いた 77歳逮捕 新幹線特例法違反の疑い」という事件である。毎日新聞の記事から引用しておく。

5日午後 8時 10分ごろ、長野県佐久市の北陸新幹線佐久平駅で、男がホームドアを乗り越えて線路内に立ち入ったのを駅員が目撃した。約 3時間 20分後、約 10キロ離れた線路上で、新幹線の乗務員が男を見つけ、長野県警上田署が新幹線特例法違反(線路内への立ち入り)の疑いで現行犯逮捕した。

逮捕されたのは 77歳の男性で、警察によると「容疑を認めているものの意思疎通がはっきりしない時がある」ということらしい。老人性の痴呆症が入って、自分でやってることが「わからなくなっちゃう」人なんじゃあるまいかと思う。老人人口がどんどん増えているので、これに類似した事件が今後増えるかもしれない。

そして 13日に起きたのが、「容疑者の妻『止めたけど…』 遮断機の棒切断」という事件だ。これは「開かずの踏切」状態になったことにブチ切れた男が、ノコギリで遮断機の棒を切っちゃったということのようだ。容疑者の妻のコメントが笑える。

「急いでて、(踏切が)もう絶対開かないんじゃないかなって。これ以上、絶対開かない。人身事故だなって感じだったので。あーもうだめだっていうか、(止めたけど)行っちゃって、(遮断機の棒が)切れちゃうとも思わなかったし。これはもうまずいなぁって。絶対に警察に捕まることはわかりますよね」

ニュースでは堂々とノコギリで遮断棒を切断している夫の様子が動画で流されるのだが、それと対照的なのが妻のコメントの呑気さ加減である。あまりの対照的イメージに、「変わった夫婦だなあ」と思うばかりである。まあ、いずれにしても中年男がブチ切れると結構アブない。

そして本日流れたのが、「のぞみドア開け線路に降りた男、車掌ら連れ戻す」というニュースだ。「山陽新幹線『のぞみ17号』の運転士が、ドアの緊急開閉用コックの異常に気付き、緊急停車した。乗務員が確認したところ、9号車のドアの一つが開き、乗客の 50歳代の男が線路に降りているのを見つけた」という、まさに「はあ?」としか言いようのない事件である。警察に引き渡された男は、容疑を認めているという。

最初の事件は「ボケて、わかんなくなっちゃったんだろうね」としか言いようがなく、2番目は頭の中の回路が短すぎて、「相当ブチ切れちゃったんだろうね」ってなことなのだろう。ところが 3番目の事件となると、「なんでそうなるの?」と言うほかなく、コメントのしようがない。

3件のうち、2件は容疑者が 「50代の男」というのも、コメントに困る事実である。本当に「男心もわかなない」ものである。

それから、ちょっと付け足し。「遮断機の棒切断」に使われた動画は、一飯の人が撮影したものなのだろうけど、この類いの動画は、「縦位置」じゃなく、どうか「横位置」で撮影してくれないかなあ。縦位置だとテレビ画面でこなすのが大変だ。

 

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2019/04/13

「いい人要素」と「デキる人要素」

昨日の記事、「下手に大臣なんかになっちゃったから」の、ちょっとした続き。コメント欄にハマッコーさんが 「蓮舫さんは『辞任した理由を教えて欲しい』とまだ鞭を振っている。この人も困ったもんだ」 と書かれていることに刺激されて、ここまで書きたくなってしまった。190413

私は蓮舫さんの桜田さんに対しての姿勢に関しては、自分のブログで次のように書いている。(参照

鞭を手にした女王様の如き鋭い眼光で、哀れな子羊を一片の容赦もなく責めに責める。まさに 「ドS 体質」 丸出しだ。この役者っぷりが鼻につきすぎて、田舎の小芝居を見ているような、もの悲しい感覚に襲われる。

私は桜田さんに関しては、決して「悪い人じゃない」と思っている。昨日の記事でも書いたように、「結構お馬鹿だけど、お膳立てさえしてやれば逆らわずに汗だけはかくから、実害は少ない人」である。ただ大臣の職だけは「荷が重すぎる」ということだ。ハマッコーさんのコメントに対するレスの中で、このことをもうちょっと具体的に次のように書いている。

周囲にもいますね。おとなしくニコニコしてる役どころに徹してくれていればいい人なんだけど、だんだん妙に調子に乗ってしまって、当人は無意識なんだけど、イラッとくる言動が増えちゃったような人。

こうしたタイプの人は、本当に「汗をかく」ことに徹してくれていれば、「あの人は、本当にいい人だね」で済む。しかし「いい人」と持ち上げられすぎて当人が勘違いしてしまうと、困ったことに「エラい人」になりたがってしまうことがある。すると周囲も「いい人」と持ち上げてしまった手前、「なんだかなあ」と思いつつもある程度まではお付き合いしてしまう。

そして幸か不幸か、実際に「エラい人」になりすぎて「いい人要素」だけでは完全に荷が重いというところまできちゃうと、これはもう、悲劇としか言いようがない。桜田さんの場合は、その典型例である。

「ただの人」だった頃は笑って済まされるようなご愛敬でも、 「エラい人」の発言としてはことごとく「イラッとくる」ものになってしまう。基本的に自分と周囲の数々の「勘違い」が重なった、「瓢箪から駒」的結果としての「エラい人」というポジションでしかないのだからどうしようもない。

一方、蓮舫さんは「デキる人」というタイプである。当人にしても、「私はデキる女」と思っているだろう。ただ、ちっとも「いい人」じゃないから、桜田さんみたいなタイプにはことさらに「イラッとくる」ということになる。それで「鞭を手にした女王様」という本性をさらけ出す。

つまり、「いい人要素」だけでも「できる人要素」だけでも、「エラい人」というポジションはなかなか務まらないのである。頃合いのいいブレンドが必要なのだね。

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2019/04/12

下手に大臣なんかになっちゃったから

桜田さんがようやくオリンピック・パラリンピック担当大臣を辞任した。辞任したといっても自分で判断して辞表を書いたってわけじゃなく、「書かされた」ってことのようだけどね。ただ、この人に関しては蓮舫さんみたいに鞭を手にした女王様のごとき責め方をしてもしょうがないから、政治家たちの世界にあまり期待しすぎないように冷静に総括・解釈しておこう。

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桜田さんの迷言、失言は枚挙に暇がないが、今回の辞任の直接の引き金になったのは、あの震災の被災地、岩手県で「復興以上に大事なのは高橋比奈子さん」なんて発言しちゃったことだ。先月 31日の記事で書いたようにこの人は、話の流れの中で自分が発する言葉の前後の脈絡がぶっ飛んでしまうので、アドリブ発言はアブなくてさせられない。

さらに今回の発言で確認できたのは、「前後の脈絡」だけでなく、その時まさにリアルタイムで口走っている短いセンテンスについても、ほとんど自覚的でないということである。だから後になって「そんなことを言ったつもりはないが、言ってしまったようだ」なんて、こっ恥ずかしいコメントを発することになる。「当人の意識」がボンヤリなのだから、「結果」のコントロールなんて不可能だ。

こんな風だから、「決して自分で判断しない」「責任の生じることをしない」「周囲の用意したミコシに乗る」という生き方に徹しなければならない。あまり表に出過ぎなければ 「結構お馬鹿だけど、お膳立てさえしてやれば逆らわずに汗だけはかくから、実害は少ない人」で済むが、下手に大臣なんかになってしまうと、それまでは「知る人ぞ知る」程度だった「自分で言ってることを自分で理解していないお粗末さ」が、満天下に知られてしまう。

安倍首相としては、このような人を大臣になんか任命しちゃいけなかったのだ。任命しても務まらないというのは、結果が雄弁に物語っている。ということは、安倍首相、あるいはその取り巻き連中はよくよく「人を見る目」がなかったのだ。自らの歴史観にはこだわるが、大臣の能力には必ずしもこだわらないということなのだろう。なんだかなあ。

要するに、政治家の世界には期待しちゃいけないってことで、これは元々わかっていたことがよりはっきり確認できたということに過ぎない。当たり前すぎる結論でごめん。

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2019/04/11

「ふるさと納税」の返礼品って、食い物ばっかり!

私は仲間内でも結構な「物知り」と思われていて、「あいつに聞けば、大抵のことはよくわかるように説明してくれる」なんてことになっているが、その実、知らないことは徹底して知らない。とくに工学系や経済系のことは、「社会常識」と言われているようなことでも知らないし、より卑近な例で言えば、カタカナ名前の食い物についても「カレーとラーメンとハンバーグしか知らないんじゃないか」と言われるほど知らない。

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とにかく、興味のないことは全然覚えようとしない傾向があることは、子どもの頃から自覚していた。おかげで、小学校の頃の成績は常にクラスで断トツだったのに、かけ算の「九九」を覚えるのはクラスで三番目ぐらいに遅かった。「そんな呪文みたいなもの、馬鹿馬鹿しい」と思っていたのである。決まり切ったものを覚えるだけというタスクには、まったく興味がなかった。

ただ、基本的な計算への必要性を理解してからは、「それならそれで、仕方がない」と、あっという間に覚えた。九九を覚えるのがいくら早くてもそれは「単純記憶」に過ぎないから、論理思考ができるわけじゃない。「単なる呪文」を覚えることには興味がなかったが、それを論理思考に応用するのはクラスで一番得意だった。

というわけで、私はこれまで「ふるさと納税」についてまったく知らなかった。最近になって「ふるさと納税新制度云々」というニュースが流れても、基本的な理解がないから全然わからなかった。「どこか関係のない地方に税金納めて、その金額の何割か分の特産品なんかもらうより、そんなに欲しかったら初めからその特産品を直接買っちゃう方が手っ取り早いし、得じゃん」と口走って、妻に「あなた、大丈夫、年のせいで社会常識がなくなってきたんじゃないの?」なんて心配されたほどだ。

「私だって完全にわかってるわけじゃないけど、好きな自治体に納税すると、その分だけ自分の地元に納税した金額から控除されて戻るらしいのよ。だからどうせ同じ額の税金として取られるんなら、返礼品をもらえる方がいいということで、ふるさと納税がはやってるわけよ」と、妻が説明してくれた。社会常識を妻からレクされるなんて、3年に 1度あるかないかのレアなことである。

「へえ、知らなかった。要するに、『好きな自治体の発展を願って』なんてことじゃなくて、何も戻らない税金より、少しは品物の姿で戻ってくる税金の方がいいってことでしかないのか!」私は純粋に驚いてしまったのである。地元への税金は目に見えるカタチでは何も戻らないが、多少は地域の役に立ってるのだから、気持ちよく払っとけばいいのに。

で、人気のある返礼品ってどんなものなのかをネットで調べたところ、とことん食い物ばかり多い。まず、断然「肉」。しかも高級牛肉。そして「ブランド米」「高級果物」「うに」「かに」「明太子」その他モロモロ、とにかく高級食材のオンパレードである。

個人的には、たまたまもらっちゃえば食うけど、自分で求めてまで食わなくてもいいと思うものばかりで、とくに「肉」に至っては、ここ数年は肉食を避けているからもらいたくもない。高級牛肉の返礼品欲しさで牛肉産地を選んで納税するなんて、日本人、どんだけ食い物に執着があるんだ。

返礼品をもらうならもらうで、ほかにももっとおもしろいものがあるだろうに。和紙とか、粋な柄の手ぬぐいとか、切れ味のいい鋏とか、塗り物の箱とか引き出しとか、世の中には魅力的な特産品がいくらでもあるじゃないか。

ただ、そんなものをアピールしても全国から「ふるさと納税」が集まらないんだろうか? 食い物の圧倒的なパワーには歯が立たないのか?これだけ食い物に執着が深いようだと、国全体が餓鬼道に落ちてしまうんじゃないかと、はかなんでしまうよね。

【4月 12日 追記】

食い物以外では、福岡県直方市の バルミューダ製トースター、Apple Watch、iPad などを返礼品とするプロジェクトがあるらしいが、これは製品がまともに仕入れられず、トラブっているらしい。そもそも地元の特産品じゃないという点が「人の褌で相撲を取る」みたいなものだし、ふるさと納税の返礼品として iPad をもらおうなんていう発想も「はあ?」って気がする。多分、もらってもあまり活用しないことになりそうだ。

 

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2019/04/10

「男もすなる」と「してみむとてするなり」の違い

「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」というのは、紀貫之の『土佐日記』の有名な書き出しである。今さらのようだが、貫之の時代は男は文章を漢文で書くものという常識があったため、漢字仮名交じりの日記を書こうとした彼は便宜上、自分を女と仮想したものと言われている。

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(クリックで拡大表示されます。草書体じゃないから、結構読みやすい)

で、高校の時(だったと思う)、教科書に載っていた『土佐日記』の序文を見て私は、「ありゃりゃ?」と思ってしまったことを思い出す。

というのは、「男もすなる」という句は「す」+「なる」(助動詞「なり」の連体形)なのに、「してみむとてするなり」は 「する」(「す」の連体形)+「なり」になっているからだ。同じ「す」という古語の動詞が、「なり」という助動詞が付くと「すなる」と「するなり」の 2通りになっている。これって、ちょっとした違和感ではないか。

この件に関して、高校の古文教師はテキトーに流してしまって、詳しい解説はしてくれなかったと記憶している。それで私としては、「昔の人って、文法には案外テキトーだったんだなあ!」と思い込んでしまったのだ。

大学入試では運良くこれについての問題が出ることもなかったため、そのまま何ということもなく数年経った頃、やっぱりどうにも腑に落ちなくて、自分で調べてみたところ、「さすが、古今和歌集の選者をつとめたほどの人物だもの、決して文法にテキトーってわけじゃなかった」と再認識したのだった。「紀貫之先生、今まで不埒な考え違いをしていてごめんなさい!」である。

日本語の助動詞「なり」には、意味的に 2種類あるというのである。伝聞推定の「なり」と、断定の「なり」だ。前者は動詞の終止形に付き、後者は連体形に付く。

だから「男もする(書く)という日記というものなんだけどさぁ」という「伝聞推定」の文脈では終止形の「す」について「すなる」となり、「女(の自分も)やっちゃえってんで、する(書く)んだわよ」という「断定」の文脈では、連体形の「する」に付いて「するなり」となる。これ、日本語文法の常識なんだそうだよ。

現代の日本語だと、伝聞推定の「なり」は「〜という」に、断定の「なり」は「〜だ」に相当するだろう。「行く」という動詞を例に取れば、伝聞推定は素直に終止形そのままを使って「行くという」になるが、断定の場合は単純に「だ」を付けて「行くだ」では吉幾三の歌になっちゃうから、フツーは「行くのだ」と、連体形に近いニュアンスにしてから「だ」が付くものと思えば理解しやすい。

いやはや、地域で一番の進学校とはいえ、やはり半世紀近く昔の田舎の高校である。そんなところまで詳しくは教えてくれなかった。いや、もしかしたら私が授業中にぼんやりしていて聞き漏らしただけかもしれないが、いずれにしても「これ、大事なポイントだから、しっかり理解しておくようにね」みたいな教え方はしてもらえなかったのである。

で、時を経た今、私ってば高校時代には思いもしなかった「ネット歌人」(めちゃくちゃ粗製濫造だけどね)として「和歌ログ」なんてブログを持ち、なんと毎日のように文語で歌を詠むようになっちゃったのである。ああ、人生の途中で「すなり」と「するなり」の違いに気付いておいて、本当によかったよ。

というわけで、このブログはかなりカジュアルな文体で書いているとはいえ、意識の根底の部分では古典的な日本語にもずいぶんこだわっていないわけじゃないのである。その流れとして、「バイト敬語」なるものにずいぶんな違和感を覚えてしまうのもご理解いただきたいってなものなのだ。

【追記】

この土佐日記の冒頭、「男もすなる日記といふもの」を「おとこもすなるにきというもの」と読み下す向きも多いが、上の画像をクリックして拡大して見ると、「男」には「ヲノコ」と仮名が振られ、「日記」の「日」の横にも「ニツ」と仮名が振られている。

ということは、現代の我々としても「おのこもすなるにっきというもの」と読み下す方がいいのかもしれない。ちなみに、上の画像は二松学舎大学附属図書館所蔵の写本で、筆写者不明、年代は承平五年(935年)以降とされている。(参照

「にき」か「にっき」かという議論に関しては、"『土佐日記』の冒頭、「日記」の読みー「促音無表記」とは" の記述に賛成するので、参照されたい。この記事では、平安時代には「促音無表記」の原則があるとされているので、写本の振り仮名も後から加えられた可能性も否定できないが、書き加えられたにしてもその時代には「にっき」の読みが少なくとも間違いじゃなかったということだ。

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2019/04/09

不具合続出のココログだが、改善点がないわけじゃない

先月 19日の「大規模メンテナンス」以来、ココログは惨憺たる有様で (参照)、Twitter などを見ると、19日以後の 3〜4日間は「ココログにログインできない」という不最悪の不具合に関する tweet がやたら多かった。

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今ではさすがにそれは解消されたようだが、ログインに時間がかかるという現象は改善されていないし、さんざん待ってログインできても、それ以後の操作に対する反応もやたら遅い。さらに今月 6日の記事でも書いたように(参照)、iframe に対応しなくなったので、こちらとしては本宅サイトの基本デザインまで滅茶苦茶になってしまった。

まさに "ココログの「大規模メンテナンス」はまともに済んだ試しがない" のだよ。14年以上も毎日更新し続けているヘビー・ユーザーの私が言うのだから、間違いない。この会社、運営には日頃からまともなスタッフを使っていないんじゃないかと思ってしまうほどである。

で、ココログのサイトには「障害情報」というページがあり、ちょっと覗いてみると、今年 3月 19日(「大規模メンテナンス」当日)以後の障害が上下スクロールするだけでうんざりするほど報告されている。「おいおい、こんなに障害だらけにしちゃう行為を『メンテナンス』なんて言っていいのかい?」と驚くほどだ。

さらに不安を煽るのは 19日の障害状況レポートで、「ココログが閲覧できない」という不具合の対応について、「ログインしづらい状況は解消中になります」なんて寝言が書いてある(上の画像)ことだ。これにはかなりイラッと来た。

ココログにログインできないという最悪の状況については、もとより自分の身にも降りかかってわかっていたことだが、この場合は最悪よりさらにひどい「閲覧できない」という障害へのクレームである。それに対して「ログイン」の問題は解消中なんて言うのは、完全にアサッテの方向を向いた対応だ。「ココログ、大丈夫なのかなあ?」と不安になってしまうよね。

さらにその状況説明に「バイト敬語」と言われる日本語が多いので、つい「ココログのメンテって、バイトでまかなってる?」なんて思っちゃうのだよ。あるいは、ココログのスタッフはコンビニでバイトしながらやってるのか?

上記で触れた 6日の記事でも、iframe 不対応について「理由はクリックジャッキング攻撃などでココログが悪用されてしまうことを防ぐためになります」なんて書いてあってイラッときてしまったが、「ログインしづらい状況は解消中になります」に至っては、相当理解のある人間でも「はあ?」と言いたくなってしまうではないか。

「モノを指し示す」場合に「〜になります」という言い方をするのは、まあ、この際認めよう。しかし「時系列」を表す「解消中」に「〜になります」という言葉をつなげたら、論理が混乱してしまう。こいつ、自分で書いた一文に自分で気持ち悪くならなかったのかなあ。

というわけで、ココログの「大規模メンテナンス」は問題ありすぎだったと言っておく。ただ、改善された点もないわけではないので、とりあえずこれまで気付いた点を挙げておくのが、フェアな態度というものだろう。

  1. 「記事作成」画面で、全角/半角文字の区別が付きやすくなった。
    これまでは、記事作成画面では英数字の半角文字の方が全角より大きく表示されてしまっていて、例えば 「2019年 3月 20日」と半角数字で書いたつもりでも、実際のブログ画面では「2019年 3月 20日」なんて、間の抜けた全角表示になってしまうことがあったのである。これが今回のリニューアルで解消された。

  2. 括弧やカギ括弧の前後が寸詰まりになる現象が解消された。
    これまでは、括弧やカギ括弧の前後が不細工なほど寸詰まりになっていた。あるいは上述の不具合の関連で、括弧はすべて半角表示というのがデフォルトだったのかなあ。私はわざわざ半角スペースを入力することで不細工な寸詰まりを回避していたのだが、リニューアル後はその手間が不要になった。

これらは続出する不具合に比して少なすぎる改善点で、「これまでがおかしすぎたんだ」と言ってしまえばそれまでだが、まあ、とりあえず評価しておくべきだろう。ココログのスタッフにはこうした改善点をもっと広範囲に拡げて、使いやすく見やすいブログにしてもらいたいものである。

 

 

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