2019/06/17

ラウンドテーブル・トークの苦行

還暦を過ぎて、もうそろそろ 7年にもなるというのに、相変わらず早食いである。人と一緒に食事をしても誰よりも早く食い終わってしまうので、手持ち無沙汰でしょうがない。だから食事会なんて時には、時間をもたせるためにできるだけ会話をしながら食べることになるが、それでもやっぱり早食いになってしまう。

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昨年の 4月に 「ゆっくりメシを食うことができないカラダなので」という記事の最後に、次のように書いた。

ただ、いくらなんでも人と一緒にメシを食っても、あっという間に食い終わってしまうので、間が持たないことがある。こればかりは何とかしたいのだが、ゆっくり食うことができない体なのでコントロールできない。

仕方なく食わずに話をすることになるので、tak はメシを食うときによくしゃべるなんて思われているようだが、そうでもしないと場が持たないのだからしかたがない。

というわけで前置きが妙に長くなったが、今回は 「食事の際の会話」というテーマで書こうと思う。

早飯しかできないカラダの私にとって、一番気の重いのが西洋式の正式なフルコースの食事である。前菜から始まって順を追っていろいろなメニューが運ばれて来るのだが、自分のペースで食うとあっという間に一皿平らげるので、よほど注意して周りのペースに合わせないといけない。仕方がないから、まあ、いかにもオシャレに「会話を楽しみながらの食事」をしているフリをしてきた。

ところがどういうわけか、日本人との「お食事会」って、こうした席での会話が弾まないのだよね。「これはおいしい」だの「これ好き」だの「嫌い」だの、「どこそこの何とかは、これよりずっとうまい」だの、目の前の食い物に関する即物的な話題に終始してしまいがちで、文化的というか、ソフィスティケイティッドな話題に進まないのだ。

乏しい経験だが、欧米人(と言っても英語以外の外国語ができないので、米国人と英国人がほとんどだが)との食事だと、英語でしゃべるのにはちょっとしたストレスがないわけじゃないが、結構いろいろな方面に話題が飛んで、「飽きない会話」が楽しめる。こういうの、"round table talk" というらしい。

それに欧米人はガツガツ食うので、こちらが意識して合わせなくてもペース的に楽だ。ところが日本人相手だと、食うスピードは遅いし、日本語だからしゃべることそのものには苦労がないが、肝心の会話の内容が食い物そのもの以外に弾んでいかないしで、ちょっとしたストレスになる。

というわけで私はますます「tak はメシを食う時に、関係のない話題でよくしゃべる」と思われてしまう結果になるようなのだ。このことに、還暦を過ぎて数年経ってから初めて気がついた。個人的には、刺身を食いながら刺身の話に終始して何が楽しいのだと思うのだが。

というわけで、最近の私はちゃんとした食事会の席では、周囲の「これはうまい」だの「どこそこの何とかは絶品」だのというどうでもいい話に、うんうんと頷きながら、ただひたすらゆっくりと食べることに集中しているのである。これは食事のスピードと話の内容の両面で退屈極まりなく、かなりの苦行なのだよね。

 

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2019/06/16

「働く= 傍 楽」「おもてなし = 裏表なし」は、洒落にとどめておこう

"「働く」は 「傍楽」が語源" とか "「おもてなし」は「裏表なし」” とか、ベタな語呂合わせにもっともらしい意味をこじつけた精神論が昨今の流行りのようだ。3日前に取り上げた(参照)「ハタコト」という妙な企画でも「”働く” という言葉に、はた(傍)を、らく(楽)にするという意味があるように」 なんて謳われていたし、これはもう、日本の慢性的風土病みたいなものかもしれない。

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試しに 「働く 傍 楽」という 3つのキーワードでググってみると、出てくるわ出てくるわ、何と 219万件もヒットしてしまった。まあ、この中には 「働く = 傍 楽 は誤り」とするページも相当数含まれるのだろう (私のページもその中にあるはず)が、少なくともその 7割以上は「働くとは、傍を楽にするという意味」と高らかに礼賛する 「トンデモ」なページのだろう。すごいなあ。

この「働く 傍 楽」を東の横綱とすれば、西の横綱は文句なく「おもてなし」だろう。例の「おもてなしとは裏表のない心」という主張だ。私は 三年前にこのトンデモについて連続して書いている。こんな記事だ。

おもてなし」 の語源が 「裏表がない」 とは、乱暴すぎる (2016/04/24)
おもてなし」 の 「語源」 について、再び  (2016/04/28)

後篇の 4月 28日の方の記事には、次のように書いている。

誤解されないように言っておくが、私は「裏表のない心でもてなす」ことに異議を唱えているわけではない。そのように解釈してそのように実行するのは、なかなかいいことである。ただし、"「おもてなし」の「語源」は「裏表なし」" などという寝言を言うのだけはやめてもらいたい。「語源」とさえ言わなければ問題ないが、それを言った時点で、おのれの無知をさらけ出したことになり、せっかくの 「深イイ」 が台無しになる。

例えば「『働く』とは、傍(はた)を楽にすることですよ。周囲のために働くという気持ちが大切ですよ」とか言うのは素敵だ。しかし、"「働く」の「語源」は「傍を楽にする」" なんて言ってしまったら、その瞬間、アウトだ。まあ、この誤解もネット上に溢れていて、かなり気持ち悪いのだが。

というわけで、私は「傍を楽にする」や「裏表のない心」という主張に異を唱えているわけじゃない。そうした心でコトをなすのはなかなか素敵だとさえ思う。しかし真っ向から「語源」だとか「元々はそうした意味」とか言われてしまうと、「そりゃ、違うだろ!」と言うほかない。「深イイ洒落」ならいいが、それを語源と言い張られては、いくら何でも気持ち悪いじゃないか。

こうした「日本の風土病」を意識して辿ると、どうやら「江戸しぐさ」的思想に行き当たるようなのである。江戸しぐさというのは、「傘かしげ」とか「肩ひき」とかいう、「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」なんてことにされているが、その実、なかなかアヤシい。Wikipadeia を読むと、そのアヤシさがよくわかる (参照)。

江戸しぐさが秘密結社によって継承されたとか、江戸開城の際にその継承者の多くが新政府軍によって虐殺されたとかいう話になると、それはもうファンタジーとしか言いようがない。「働く 傍 楽」「おもてなし 裏表なし」がファンタジーであるのと同様である。

そもそも、傘をさしてすれ違う時に互いの傘をひょいと外側に傾けるという「傘かしげ」なんて、特別なことでもなんでもなく、私は誰に教わらなくても昔から自然に実行していた。ただ、「どうして皆、こうしないんだろう?」という不満は確かにあり、そうした不満がその昔、「江戸しぐさ」というファンタジーに昇華されたということはあるかもしれない。

「ちょっとした深イイ」をことさら真っ向から礼賛しすぎては、洒落にならない。元々は洒落から出た話なのだから、洒落にとどめておけばよかったのに、あまりマジに言い過ぎるので「野暮」になってしまうのである。

 

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2019/06/15

iPhone での「モバイル表示」というもの

iPhone でココログを閲覧する場合に「モバイルサイト」という形式 (下図の右側)で表示されるようになったのは、2010年 8月 3日からのようだ (参照)。ところがどういうわけか、私の iPhone ではずっと PC で閲覧した時と同様の形式 (下図の左側)で表示され続けていて、つい 1ヶ月ぐらい前から急にモバイルサイトが表示されるようになった。

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確かにモバイル表示の方が文字が大きく表示されて読みやすいが、PC 表示だって画面をチョイチョイと操作して拡大すれば読みやすくなる。そしてモバイル表示だと、サイト内検索、他の記事のコメント、人気記事ランキングなどが表示されないという制限があるし、さらにデザイン的にも絶望的に美しくない。

そんなわけで私は「うっとうしいなあ。iPhone でも PC 表示で見るには、どうしたらいいんだろう」と、ずっと思っていた。で、最近そのやり方がやっとわかったので、報告させていただくことにする。まだ気付かないでいる方も多いと思うので、好きな表示でこのブログを読んで戴きたいというわけだ。

まず、モバイル場面の右上の上向き矢印のあるアイコンをクリックする。

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すると、次のような表示が現れる。ここで、下の方の段の「PC 版サイトをリクエスト」という名前のアイコンをクリックすると、一番上の図の左側のように、パソコンで見るのと同様の表示にすることができる。字が小さいと感じられたとしても、いくらでも拡大できる。

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問題は、いちいちこんな面倒な操作をしなくても PC 版サイトが初めから表示されるように、それをデフォルト設定にしてしまいたいのだが、その方法がわからないということだ。まだその方法がないのであれば、ニフティには設定していただきたいし、あるのであれば、どなたか教えていただきたいものだ。

【追記】

iPhone 画面の一番下右側の 「・・・」というアイコンをクリックしても「PC 版サイトを見る/モバイルサイトをリクエスト」というメニュー項目が表示されるのを確認した。これでも本文で紹介した操作と同じ結果を得られるが、ほんの数日前までは、この操作ではこんな項目は表示されなかったと思うんだけどなあ。

 

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2019/06/14

不思議なまでにナイーブな「コウペンちゃん」の世界

昨日は阪急電鉄の「ハタコト」企画に関するちょっと嫌みな記事を書いてしまったが、今日は対照的な話題である。西武鉄道の「コウペンちゃん」というキャラクターが妙に好評 (参照)だというお話だ。

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「コウペンちゃん」というのは、るるてあさんというイラストレーターが創作したキャラクターだそうで、「出勤してえらい!」「電車にのってえらい!」「いつもがんばってるのみてるよー!」「きみのおうえん隊!」という、とても「肯定的」なコピーが添えられているという。これって多分、「皇帝ペンギン」の洒落なんだろうね。

昨日のネタの「ハタコト」は、もっともらしさを装った押しつけがましさが不興を買ってしまったようだが、西武鉄道のコウペンちゃんの方はもっともらしさなんてどうでもよくて、ひたすら「可愛らしさ」を前面に押し出している。日本人ってどういうわけか、こういうのにはヨワいみたいなのだよね。

しかも添えられるコピーが、まるで「ほめて育てる」みたいな感覚の内容で、「電車にのってえらい!」だの「出勤してえらい!」だのは、いくら何でも子どもだましすぎると思うのだが、これがなぜか反感を買わないみたいなのだ。不思議なまでにナイーブな世界である。

ちなみに「ナイーブ」というと、『大辞林』で引くと「純真なさま。また、物事に感じやすいさま。素朴」と説明されていて、どちらかといえば「悪くない言葉」と思われている。しかし英語になると、”Wisdom English Dictionary” では ”naive" は「世間知らずの、単純【愚直】な、だまされやすい、お人好しの、(考え方などが)浅はかな」と、散々な意味になる。

副次的な意味として「純粋な、無邪気な」という語義も申し訳程度に添えられているが、おしなべて英語の ”naive" という言葉はほとんどいいイメージでは用いられれない。「あんなナイーブな人とは、一緒に暮らせない」なんて言って、離婚の理由になるほどである。

というわけで、このコウペンちゃんというのは、英語的感性で捉えるか、日本語的感性で捉えるかによって、印象がかなり違ってくる。私は 40代の頃、英語のプレス・リリースを日本語に翻訳するという仕事を数年続けたことがあるせいか、日常生活にもかなり英語的感性が紛れ込んでしまうところがあって、「コウペンちゃん」にはずいぶんな違和感を覚えてしまうのだよね。

さらに言えば、ちょっと考えすぎかもしれないが、同じ企画を関西の電車で展開しても、関東で得られるような好評は期待できないと思う。おしなべて関西人は関東の人間より「ナイーブ」じゃないと思われるからだ。この直観、多分「当たり」だと思うが、どうだろう。

ああ、またしてもちょっとだけ「嫌み」になってしまった。

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2019/06/13

「ハタコト」企画のパラドキシカルな結果

阪急電鉄とパラドックスという企業のコラボによる「ハタコトレイン」と称する「広告ジャック企画」が炎上したという話に関連して、今さらのように「これはちょっと、何か書かなけりゃいかんな」という気がしてきた。例の「50万円で生き甲斐がなくて、30万円で楽しみ云々」とかいうやつだ。

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まず、阪急電鉄がどうしてまたこんな妙な企画を始めちゃったのかということだが、多分、パラドックスという企業から猛烈なアタックがあって、つい口車に乗ってしまったんだろうと想像するのだよね。この企画によって、阪急電鉄の企業ブランディングが向上するとかなんとか、わかったようなわからんようなプレゼンを受けたんだろう。

結局のところは、「そんな企画に何の意味があるのか、さっぱりわからん!」と言っておけばよかったのだが、つい「わかったような雰囲気」にもっていかれて、阪急電鉄内部でも舞い上がってしまったのだろう。こうした企画のプレゼンは、「クライアントをいかに舞い上がらせてしまうか」が重要なポイントなのだ。

で、阪急電鉄がうまい具合に舞い上がってくれたので、この「ハタコトトレイン」企画は実現したわけなのだが、問題はこんな企画を最終的に押しつけられるのは阪急電鉄の乗客なのだということまでに、阪急電鉄、パラドックスの両者の思いが至っていなかったということなのだね。

朝の通勤ラッシュの電車内で、上の写真で紹介されたような言葉を読まされる身にもなってみるがいい。「よく言うわ!」ってなわけで不愉快になるのが当たり前だろう。まったくもって、フツーに考えればわかる単純な話なのだが、パラドックスという会社は最終ターゲットを見誤ったのだ。

この企画の紹介ポスターに、「”働く” という言葉に、はた(傍)を、らく(楽)にするという意味があるように」とあるが、それに対して Twitter で yasudajukucho さんという人が「そんなもんない」と一刀両断に切り捨てている(参照)。これに対するふゆひー9さんの「江戸しぐさ的な何か」という絶妙のコメントを見て笑ってしまったので、ついジョークのレスを付けてしまった (参照)。

「傘かしげ」なんていうのに代表される「江戸しぐさ」というのは、根拠のない空想、創作というのが大方の見方だが、この「ハタコト」もそれに類したものとみるのが妥当なようだ。

パラドックスという企業は、「企業ブランディング」に関するエキスパートであるらしい。簡単に言えば「企業イメージを上げるマーケティング」、とくに新規採用などにおける会社案内や会社紹介ビデオなどを、それらしく上手に作るのが得意な会社とお見受けする。

ちなみに世の中では、この新規採用時ほど企業側の論理が一方的な強さを発揮する機会はほかにない。パラドックスという会社はこうした世界で成功しすぎたせいで、より広い「世間の空気」というものを読めない体質になってしまったのだね、きっと。

というわけで、今回の企画はまさに「パラドキシカル(逆説的)な結果」に終わってしまったってことだ。

 

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2019/06/12

つくば市内で売り出されるとても「知的」なマンション

この写真、今日ポスティングされていたつくば市で売り出されるというマンションの広告の一部である。つくば市という「石を投げれば博士にあたる」といわれる「研究学園都市」の物件だけに、「√2」が「ひとよひとよにひとみごろ」であるという、物件には直接関係なさそうだがとても「知的」なコピーが、真ん中にでかでかと記されている。

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「知的」であることを売り物にするだけに、広告の上部にも「IQ」の文字がどでかく踊る。ただしこれはちょっと紛らわしいことに、 ”International Quality” ということであるらしい。「つくばの人は、やっぱりつくばの中心を選びます」とのコピーも効いていて、私をして「ああ、つくばの僻地に住んでいて悪かったな」と思わせるに十分である。

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さらによくわからないのは、このマンションの名称であるらしい "LEBEN TSUKUBA CORIS" ("CORIS" は「こありす」と読むらしい)の文字の上に "Memorial" の文字があることだ。「あれ、これって新築マンションの広告じゃなくて、何かの追悼施設の広告だったの?」と思ってしまったよ。

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販売業者としては「記念碑的なまでの意味のあるマンション」というつもりなのかもしれないが、この言葉はフツーには過去のことを思い出させるイメージだよね。例えば "memorial service" と言ったら「追悼式典」とか「(仏教の)法事」みたいな意味になってしまう。少なくとも新築マンションのキャッチ・コピーにふさわしい前向きな言葉じゃない。

このマンション、まあ、売れないことはないんだろうが、本当に知的な人は笑ってパスしちゃうんじゃなかろうか。物件は他にもいろいろあるんだし。

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2019/06/11

"NO WAR/NO ABE" を反語的に解釈すれば

Twitter を眺めていたら、ドーピングパワーズさんという人の tweet が妙に注目されていた。7,000人の人が集まって "NO WAR/NO ABE" の人文字を作ったというイベントがネタにされている。(下の画像をクリックすれば、元の tweet に飛べる)

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最近こんな人文字イベントがあったのかと思い、調べてみたところ、実は 2015年 9月 13日に広島で行われたことらしい(参照)。4年近く前の話を蒸し返されるのだから、今どき何をするにも油断ができない。

このイベントで作られた "NO WAR/NO ABE" の人文字は、余計なお世話で "," を足してあげて "NO WAR, NO ABE" として読めば「戦争しなけりゃアベじゃない」あるいは「戦争しないアベなんてあり得ない」という意味になる。"No music, no life" (音楽がなけりゃ人生じゃない、音楽のない人生なんてあり得ない)というような言い回しと同様だ。

で、tweet 元のドーピングパワーズさんは、次のように書いている。

バイリンガルいわく
「これだけ戦争推進しといて9条反対(笑)?」
このアホらはノーとつければ反対らしいです。

まあ、知り合いか何かのバイリンガルがこんな風に言ってるというのだが、この程度の英語は安易に人に頼らず、ちゃんと自分で解釈してもらいたかったところだ。というのは、"NO WAR/NO ABE" というテキストはいろいろに読み取れちゃうからである。バイリンガルだからといって、頼りにし過ぎちゃいけないのだ。

「戦争しないアベなんてあり得ない」と読み取ったとしても、その裏には「アベを指示し続けていると、そのうち戦争になっちゃうぞ」、すなわち「戦争がイヤなら、(かくまで戦争好きの)アベを指示しちゃいけない」という反語的な意味が込められているとみるのも十分に「あり」だ。

イベント主催者側としてはひたすら単純に「戦争にノー!/アベにノー!」を突きつけたかっただけなのだろうが、そのままちゃんとした英語として読んでも、素朴すぎる解釈から脱却すれば帰するところは同じになる。これは多分、たまたまだろうけど。

というわけで、表面的な解釈のみで鬼の首でも取ったようにはしゃいではいけないという教訓である。ただ、反語のスローガンなんてややこしすぎるから、あまりオススメできないのは当然だが。

 

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2019/06/10

北京がベイジンであることと、東京がトンジンであること

6月 6日の「日本人の名前のローマ字表記は、姓が先か、名が先か」という記事には思いのほかたくさんのコメントが付いたが、その中でひろゆき王子さんの、日本の固有名詞についてのコメントが気になった。

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こんなコメントである。

北京、東京、上海、大阪、が
にぽん人は
ベイジン、とうきょう、シャンハイ、おおさか
なのに、中国人は
ベイジン、トンジン、シャンハイ、ダーパン
なののほうが気になります。
とうきょう、おおさかと呼んでほしい。地名なんだから

まあ、日本人は北京のことを大抵は「ペキン」と読むだろうが、中国人は「ベイジン」と言うようだ。英語圏でも最近は "Beijing" と表記するようになっている。

ただ、1963年のアメリカ映画『北京の 55日』では、サウンドトラックを聞いても "Fifty-five days at Peking" と歌われている。ということは、この時点のアメリカ人は "Beijing" ではなく "Peking" と言っていたようなのである。これが ”Beijing” に変わったのはいつ頃だったのだろうと気になって調べてみた。

英語版の Wikipedia の Etymology (語源)の項目に、その由来が書いてある(参照)。そもそも「北京」を「ペキン」と読むのは、最初に中国に入ったヨーロッパの宣教師たちが、中国中部の発音に沿った読み方を祖国に伝えたからだとされている。つまり「ペキン」は中国中部での発音が世界に広まったものだという。

それが現代の共産中国になって、北部の発音が正式なものとされるに従って、欧米での表記も "Beijing" に変わってきたものらしい。ただ北京大学などは今でも ”Peking University" ということになっているようで、完全に一律ではない。

一方、日本では中国と同じ(完全に同じではないが)「漢字」を使っているので、「北京」の表記のまま、発音だけ当初の欧米式で「ペキン」と読むことで定着してしまったようだ。表音文字のアルファベットを専らとする欧米では "Beijing" に移行しても、日本では漢字の字面が変わらないのでそのまま慣習的に「ペキン」で来ているということのようなのである。

で、ひろゆき王子さんは「東京」「大阪」が中国では「トンジン」「ダーバン」になるのが不満で、ちゃんと「トウキョウ」「オオサカ」と言ってもらいたいようなのだが、これはなかなか困難だ。というのは、中国語にはカタカナのような純粋な表音文字がないからである。同じ漢字で「東京」「大阪」と書けば、中国式の読み方で読んでしまうのは当然だ。ローマ字で振り仮名をふるという手もあるが、まだ馴染んでいない。

このあたりは欧米でも同様で、中央アジアの「ジョージア」を、アメリカ人は自分の国のジョージア州と区別しにくくても、当然の如く「ジョージア」と呼んできた。綴りが同じなのだから別の読み方をしろという方が無理である。日本では「グルジア」と呼んでいたが、最近では同国自身の要請で「ジョージア」に変更した。ロシアの影響を感じさせる読み方を同国自身が嫌ったためであるらしい。

ちなみにスイスの首都は日本語では「チューリッヒ」と現地のドイツ語流(?)発音を尊重しているが、米国人は「ズーリック」みたいに発音する。”Zurich” と書かれたらついそう読んでしまうので、こればかりはしょうがない。「東京/大阪」が中国で「トンジン/ダーバン」になるようなものだ。

というわけで、固有名詞の国際化というのはなかなか一筋縄ではいかないのである。

 

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2019/06/09

仙台には取り立ててうまいものってないんじゃなかろうか

二泊三日の東北出張から帰ってきた。初日は青森県の八戸で、二日目は山形県山形市。どちらも食べ物のおいしいところである。八戸では魚介類、山形では蕎麦を堪能した。とくに山形県は自分が 18歳まで育った土地でもあるし、食べ物が体に馴染んでいるから、何を食べてもうまい。

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そして今日、仙台に少し寄って帰ってきたのだが、申し訳ないけど仙台というところは取り立ててうまいもののないところと思っている。いや、単なる偏見で言っているのではない。私の妻が仙台出身だから、結構何度も訪れて長く滞在したこともある。その上で言うのだが、本当にこれと言って「食べたい」と言いたくなるものがないのである。

世の人は「仙台には牛たんがあるではないか」と言うかもしれない。しかしご存じのように私は近頃肉を食わないことにしているから、当然にも牛たんだって食わない。そもそも仙台人だってそれほど牛たんなんてものを好んで食ってるようには思えない。

妻に「牛たんって、いつから仙台名物みたいなことになったの?」と聞いても、「知らない。一度も食べたことないし、食べたいとも思わない」なんて言う。観光や仕事で訪れた人間が話のタネに食うと言うだけのことのようなのだ。

仙台駅ビルの飲食街に行ってみると、「ずんだ小径」「牛たん通り」「すし通り」なんていうのがある。「ずんだ」というのは「ずんだもち」のことで、すりつぶした枝豆をあんこ代わりにした郷土菓子である。つまり、「ずんだもち」と「牛たん」と「すし」以外には別に食うもんがないよと、仙台人が自ら言っているようなものだ。最後の砦のような「すし」にしたって、周辺の漁港のある町で食う方が安くてうまいし。

そりゃあ、個別の飲食店やレストランなどを調べれば、うまいものを提供してくれる店には事欠かないのだと思う。しかし、「仙台に行ったら、何はなくともこれを食う!」と言いたくなるような絶対的な食い物って、まったく思い浮かばないのだよね。悪いけど。

 

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2019/06/08

土下座の作法があるとすれば

昨日から東北方面に出張に出ていて、ホテルで見たテレビのニュース・ショーで、田口淳之介というタレントが保釈された途端に「土下座で謝罪した」という映像がしつこいほど流されていた。こう言っちゃナンだが、違和感と滑稽さともの悲しさの入り交じった妙な映像だった。

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悪いけど、私も一応武道をやっていたので、あれを「土下座」と言うのは抵抗ありすぎだ。あんなのは四つん這いのまま前につんのめっているだけなので、いずれにしても異様なまでに無様な光景としか映らない。やるならやるで、事前に「美しい土下座」を勉強しておけばよかったのにね。

まあ、「正しい土下座の定義」なんてものがあるわけじゃないので、しゃっちょこばったことを言ってもしょうがないが、強いて言えば「通常の座礼」をさらに徹底して、地べたにひれ伏すようにしたのが土下座と思えば、あながち的外れじゃないだろう。

じゃあ、「通常の座礼」ってどんなのかというと、あんなにお尻を高く上げないし、肘を直角に張ったりもしない。正座した状態から両手を膝の前に三角形に揃え、背筋を伸ばしてお辞儀する。すると当然、肘のあたりまでは地に接するようになり、背も丸まらないから頭が地べたに突っ伏すこともない。

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上の写真は天心流兵法のページ(参照)から拝借したものだが、とても立派な座礼である。そして「土下座」となるともっと極端にひれ伏すのだろうから、さらにぺったんこになるものと思えばいいだろう。ただし、いくらひれ伏すと言っても頭だけを下げすぎると背中が丸まってしまうからよくない。ひたすら上半身をまっすぐにしてひれ伏すのが「美学」というものである。

結構筋力も必要だし、ます第一に腹に脂肪が付きすぎていてはできない。美しい土下座をするにも、節制と訓練が必要なのである。

大麻で逮捕されて釈放時にあんな妙ちくりんなパフォーマンスをするってのは、基本的になにやら勘違いしてるんじゃないかと思うほかない。そもそも勘違いしてるからこんなことになるわけなのだが。

それから、「大麻解禁」に向かう国際的潮流の中で日本の警察はことさらナーバスになって頑張っちゃうつもりかも知れないから、隠れて(いるつもりで)ヤッてる芸能人は気をつけた方がいい。「こいつ、何かヤッてるな」というのは、大概わかっちゃうからね。

 

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