2019/03/25

ココログの編集画面が不安定で、滅茶苦茶ストレスだ

ココログの不具合は大分落ち着いてきてはいるようだが、まだ不安定さが残り、油断がならない。


実は、21日から 24日までの 4日分は、かなり忙しい出張に重なるので、「大規模メンテナンス」 とやらが行われる前に作成し、自動でアップされるように設定しておいた。そのためうまくアップロードされたようではある。


しかしメンテ後の編集画面は何だかおかしな感じで、操作の反応がかなり鈍い。この記事にしてもうまくアップロードされるものやら確信がもてないままに書いているので、かなりストレスである。なにしろパラグラフごとの行間がやたら広く取られてしまう設定になっちゃってるのも気に入らない。何とかならないものか。


そんなわけで、今日のところはこんな具合の軽い書き込みで勘弁していただくことにする。慣れるに従ってちゃんとまともな更新ができるようにしていくので、よろしく。


 

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2019/03/24

他人の悪口は蜜の味かもしれないが

よく 「他人の不幸は蜜の味」 なんて言われるが、「人の悪口は蜜の味」 というバージョンもある。世の中、人の悪口が大好きという人はいるもので、誰でも周囲に 1人や 2人は心当たりがあるようだ。

 

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実は私の身近にも迷惑なのが 1人いる。これが 「うわさ話大好きオバサン」 とかいう類いではなく、70歳をとっくにすぎた 「じいさん」 なのである。

このじいさん、時々 「あんたのこと、こんなふうに悪く言ってる人もいるよ」 なんて、余計なことを言ってくることがある。その内容は聞くに値するようなまともな批判ではなく、単に好き嫌いに発するくだらない感情論でしかないのだが、さすがに聞いていい気持ちはしない。

さらに馬鹿馬鹿しいことに、「こんなことを言ってる人もいる」 なんて第三者の言葉めかした言い方をしながら、実際には暇さえあれば陰でそんなふうい私の悪口をくどくど言いまくってるのは、そのじいさん自身でしかないことを、私はとっくに知っている。じいさん、私のことがよほど気に入らないみたいなのである。

つまり自分がしょっちゅう口にしている私に対しての感情論的悪口を、「こんなことを言ってる人もいる」 なんて半ば忠告に名を借りた口ぶりで言うのである。陰口だけでは気が済まず、間接話法に名を借りて本人にまで言わないと気が済まないカラダになってしまったのだろう。言いたいことがあれば、自分の言葉として直接話法で言ってくればいいのにね。

さらに悪いことに、そんなじいさんに限って 「自分は立派な善人だ」 と思い込んでいるフシがあるから、これ、ほとんどビョーキである。私自身はそういうビョーキのじいさんだと知っているからテキトーに聞き流しているが、中にはある程度の地位を経た年配の人間からそんなことを言われたら、かなり気にして悩んでしまう者もいる。

無駄に気にしちゃってるのがいたらあまり気の毒だから、「あんたの悪口なんて、あのじいさん以外に誰も言ってないから、気にしなくていいよ」 とぶっちゃけてあげることにしている。

このじいさんのビョーキは近頃ますます進行して、ようやく周囲にも認知され始め、まともに取り合われなくなってきた。フツーの感覚さえあれば、「このじいさん、いないところでは、俺のこともさぞかし悪く言ってるんだろうな」 とイヤでもわかるのだからしょうがない。

他人の悪口は蜜の味かもしれないが、なめすぎると毒になるってことだ。

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2019/03/23

日本人が電車で席を譲らないのは

日本人は電車内で立っている老人を見かけてもなかなか席を譲らないというのが、たびたび問題にされる。私は決して世界中を旅しているわけじゃないけど、立っている老人をこれほど露骨に無視し続けられる国というのは、世界でも珍しいんじゃないかと思っている。だからことさらに 「優先席」 なんてのが必要になるわけなのだね。

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いろいろなところで 「どうして席を譲らないのか」 というのが話題になっているが、一番目に付く言い訳はいつも 「周りの目が気になって、席を譲るのが恥ずかしい」 というものだ。私なんか既に前期高齢者の年齢に達しているが、幸か不幸か見かけが若いものだから、近くにいかにも哀れっぽい老人が立っていたりすると座っている方がずっと恥ずかしくて、さっさと席を譲ってしまうがなあ。

そして立ち上がってから改めて座っている乗客を見ると、大抵私よりずっと若い連中ばかりなのだ。そこで 「お前ら、よく恥ずかしくないなあ!」 と言いたくなるのを、ぐっと堪えるのが常である。

私は日本人が席を譲りたがらないのには、「譲るのが恥ずかしい」 なんて表面的なものよりずっと根の深い別の理由があると見ている。そのヒントとなるのが、こんなエスニックジョークだ。

大型客船が沈没しかけているのだが、婦人と子どもを優先するとどうしても救命ボートの数が足りない。そこで男の乗客に自発的に海に飛び込ませるために、船長はこんなふうに言う。

イギリス人に向かっては、「あなた達は紳士ですから、飛び込めますよね」
アメリカ人に向かっては、「あなた達こそ真のヒーローです」
ドイツ人に向かっては、「これはルールです」
そして最後に日本人に、「皆さん、そうしてらっしゃいますから …… 」

つまり多くの日本人は、「皆さん、そうしてらっしゃる」 のを目の当たりにしないと、自分からはなかなか動かない。そして一度 「皆さん、そうしてらっしゃる」 のを確認してしまうと、是も非もなくぞろぞろ素直に従うのである。

ところが電車内で 1人の老人に席を譲るのは、1人が席を立ちさえすればいい。何人も続いてぞろぞろ立ち上がる必要はないので、「皆さん、そうしてらっしゃいますから」 という行動原理が成立しない。これが 「日本人が席を譲らない」 ことの根本的な理由である。

席を譲るというのは要するに 「早い者勝ち」 の世界なのだが、この 「早い者勝ち」 というのが、日本人は決定的に苦手なのだ。下手すると 「ええ格好しい」 とか 「抜け駆け」 に思われてしまうので、とことんためらってしまう。

「隣百姓気質」 という言い方がある。隣が種を蒔けば自分も種を蒔き、隣が草取りをすれば自分も草取りをし、隣が刈り入れをすれば自分も刈り入れをする。自分で能動的に考えてやってるわけじゃない。

日本人の行動原理はこの 「隣百姓気質」 にあると、私は思っている。だから何かの弾みで皆が一斉にやり始めると、世界が驚くほどの大きな動きになるが、1人がさっさとやりさえすれば簡単にコトは済むというようなケースでは誰も 「その 1人」 になりたがらず、なかなかコトが済まない。

1人でさっさとコトを済ませたがる私みたいなのは、日本社会ではどうしても 「変人」 扱いされてしまうのだよね。ちょくちょく米国出張していた若い頃、ニューヨークなんか今よりずっと治安が悪かったが、日本のオッサンたちと付き合っているよりずっとストレスがなかったのを覚えている。

 

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2019/03/22

"Huawei" は本当は 「ホワーウェイ」 らしい

最近いろいろ話題の、中国の巨大 IT 企業、「華爲 (Huawei)」 は、我が国では 「ファーウェイ」 と表記されていて、当の Huawei Japan 自身も自社サイトで 「ファーウェイ」 としている (参照)。しかし私は個人的にはこの表記にはとても懐疑的で、「本当の発音とは違うだろうに」 とずっと思ってきた。

ややこしいのは、日本語の 「ハ行」 の子音は、ローマ字では基本的に ”h” で表記されるが、「フ」 だけは "fu" と書かれることである。実際に、「フ」 だけは他の 「はひへほ」 と発音の仕方が明らかに違う。これ日本語の音韻学の常識 (参照) なので、ここでは長々と述べない。

となると、「ファーウェイ」 というカタカナは ”Huawei" という表記ににそぐわないじゃないかと思ってしまうのだよね。このカタカナ表記だと、フツーは "far way" という英語を思い浮かべてしまうだろう。で、あれこれ考えているよりも実際の発音を聞いてみるのが早いだろうと、YouTube を検索してみると、"How to pronounce Huawei" (Huawei の発音のしかた) という動画が見つかった。

この動画では米国ニューヨークのタイムズスクエアで、フツーの米国人に 「"Huawei" ってどう発音する?」 と聞きまくっているのだが、登場する全員が正しい読み方を知らないばかりか、スマホの会社ということも知らない人も結構いる。そんな具合だから 「ハウィー」 とか 「ハウウェイ」 などと言う人が多く、"Who are we?" (私たちは誰?) なんて発音になっちゃう人もいる。これは多分受け狙いだろうと思うけど。

で、最後に種明かしになるのだが、本当の読み方は 「ワーウェイ」 なんだそうだ。米国のビデオなので、"Wa + Way" という文字で示されている。これが取りあえずの結論で、米国的、あるいは無理矢理言っちゃえばインターナショナル的には、「ワーウェイ」 が正解のようなのだ。つまり日本式はインターナショナルじゃないってことね。

さらに無理矢理余計なことを言えば、下手すると "war way" (戦争の道筋) と聞こえちゃうのが、Huawey のイメージが米国で今イチイになってる所以なのかなあなんて思ってしまう。

ただこれだけだと、「おいおい、じゃあ最初の "H" の文字は一体何なんだ?」 と言いたくなってしまうのが人情というものだろうから、念のためもう一つの動画を当たってみた。中国系米国人とおぼしき男性がいろいろな中国ブランドの読み方を説明しているものだから、まんざらガセじゃないだろう。

上の動画開始後 23秒あたりから "Huawei" の読み方の説明になる。この男性によれば、「大抵の人は 『ワーウェイ』 と言ってるけど、"hot Chinese people" (「ギンギンの中国人」 って感じ?) は 「ホワーウェイ」 (これ、無理矢理カタカナにしてるんだけど、ほぼほぼそんな風に聞こえる) って言ってるよ」 とのことなのだ。うぅむ、このあたりが "Huawey" と、頭に ”H” の文字を入れる所以なのだね。

というわけで、結論。”Huawei" は米国的、あるいは西欧社会的には 「ワーウェイ」 だが、中国語にうんとこだわれば 「ホワーウェイ」 のようなのだ。

「ファーウェイ」 の表記を採用した Huawei Japan としては洒落た英語っぽいイメージにしたかったのかもしれないが、私としては違和感ありありで、"far way" がもう一步進んだら "no way" (「とんでもない」 って感じで使われる) になるだろうと思っちゃうんだよね。悪いけど。

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2019/03/21

『東京節』 を巡る冒険

今日の記事は、やたらと動画が多くなることを、予めおことわりしておく。そして元号が改まらないうちに、大正と昭和の話をしておく。

『東京節』 という歌をご存じだろうか。『東京音頭』 ではなく 『東京節』 である。こう言われてわからなくても、「♫ ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ〜」 というリフレインの歌と言えば、「ああ、それなら知ってる!」 という人もいるだろう。

演歌師の添田知道作詞で、大正時代に流行した俗謡である。上に最もベーシックなバージョンで謡われた動画を貼り付けておいた。「パイノパイノパイ」 と 「フライフライフライ」 で韻を踏んでいるのがある意味画期的だ。

この歌の原曲は "Marching Through Georgia" (ジョージア行進曲) という米国のマーチで、『東京節』 はそれを換骨奪胎したものだ。下に原曲の動画を埋め込んでおく。途中で 「スワニー河」 のメロディが入るのがおもしろい。

『東京節』 には、微妙に趣の違うバージョンもある。それも下に貼り付けておく。「最後の演歌師」 と言われた桜井敏雄となぎら健壱の、今では 「貴重な」 と言うほかない共演版である。

一番上に貼り付けておいた土取利行バージョンとの微妙なメロディの違いにお気づきだろうか。実は 「ラメチャンタラギッチョンチョンデ」 の 「ラメチャン」 の部分、土取バージョンは平板メロディで、桜井敏雄となぎら健壱バージョンでは 「ラ」 の部分が高く歌われている。

実は私もつい最近までは、桜井敏雄となぎら健壱バージョンで、つまり 「ラ」 を高く歌っていた。しかし原曲を子細に聴いてみれば、明らかに土取利行バージョンの方が近いのである。ただいずれにしても 「換骨奪胎」 なのだから、「オリジナルに近いから正しい」 とも言い切れない。

で、いろいろ調べてみたところ、Wikipedia の 「パイノパイノパイ」 の項に、次のような記述が見つかった。

唖蝉坊にはどうせ浮世は出鱈目だという人生感 (ママ) があり、口癖になっていてその場でも出た。そうして 「デタラメ」 が 「ラメ」 となり 「ラメチャン」 となって囃子言葉はスラスラと決まり、全体は宿直の一晩で書き上げた。

「唖蝉坊」 というのは作詞者の添田知道の父で、あの演歌師の草分けとして名高い添田唖蝉坊である。『ラッパ節』 『ああわからない』 などの曲が今に残る。今は亡き高田渡は、『ああわからない』 をアメリカン・フォークソングのメロディに乗せ、『新わからない節』 として歌った。

その唖蝉坊が 「デタラメ」 の 「ラメ」 を 「ラメチャン」 として囃子詞に取り込んだというのである。ということは、「デタラメ」 という言葉が平板アクセントである以上、これはやはり平板で歌うべきだろう。

そして、エノケンはわかっている。ちゃんと平板で歌っている。

というわけで、本日の結論。「エノケンは偉大だ!」

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2019/03/20

ココログはまだ不調

ココログはまだ不調のままのようである。
しばらく様子を見ることにする。

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2019/03/19

ココログの 「大規模メンテナンス」 はまともに済んだ試しがない

ココログが 「大規模メンテ」 をすると告知しているのを知ったのは、今朝になってからだった。それを知って私は、大変な不安感に襲われてしまったのである。なにしろココログがメンテを行ってまともに済んだ試しがない。大抵失敗しているのである。
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出先から戻ったのが今日の夕方 5時過ぎで、恐る恐る管理画面にアクセスしてみると、案の定メンテはまだ終わっておらず、Twitter 上で 17:00 までに延長されると告知してある。しかしその 17:00 というのはとっくに過ぎているのだが、埒があかない。

「ほうら、やっぱりね」 と思い、自分の本宅サイトにアクセスしてみると、フレーム内に表示されるはずのココログが表示されない。「ありゃりゃ、ココログのデータ自体が壊れてしまったのか」 と焦ったが、フレーム内ではなく独立して表示させると、かなり不安定だがなんとか表示される。

やれやれ、この 15年近く毎日更新してきたデータは、失われずに済んだようだ。とはいえ、本宅サイトで表示できないのでは、自分のサイトの根本的コンセプトに関わることだから、何とかしなければならない。

いずれにしても、ココログの更新すらできないのでは手の下しようがないから、しばらく様子をみるしかない。疲れるなあ。

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2019/03/18

缶コーヒーはカラダに毒らしい

「週刊大衆」 という週刊誌は知っているが、「日刊大衆」 というウェブサイトがあることを、今日初めて知った。ココログの 「注目のニュース」 という案内の 「缶コーヒーは絶対NG! 体に悪影響を与えない“銘柄”の選び方」 という見出しをクリックしたら、このページに飛んだのである。

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この記事によればフツーの缶コーヒーは砂糖の量が滅茶苦茶多く、砂糖を使わないものでも人工甘味料が含有されていて、これまた体に良くないのだそうだ。

私は 11年前に "コーヒーと缶コーヒーは全然別物" という記事の中で "世の中ではかなり大量に流通しているのに、個人的には一度も買ったことがないという商品が、誰でも一つや二つはあると思う。 私の場合、その代表的なのが 「缶コーヒー」 というものだ" と書いている。というわけで、ありがたいことに私のカラダは缶コーヒーに汚染されずに済んでいるようだ。

ただ、自分では絶対に買わない缶コーヒーというものだが、何かのイベントに参加し、そこで支給されたものを飲んだことは 数回ある。その印象は、とにかく 「甘すぎる!」 というものだ。とてもじゃないが、飲むに堪えない。

私の住む茨城県には、一部では 「チバラキ・コーヒー」 として知られる 「マックス・コーヒー」 というものがあり、これがまたフツーの缶コーヒー以上に激甘だ。私は 5年前に行われた共同草刈り作業に参加した際に配られたものを、自宅に持ち帰って翌日に恐る恐る飲んでみたのだが、聞きしに勝る甘さだった。

この時のことは " 「マックス・コーヒー」 を生まれて初めて飲んでみた" という記事にしているが、幸か不幸か冷蔵庫でキンキンに冷やしてから飲んだので、その甘さに卒倒しなくて済んだ。人間の味覚は低温だと鈍くなるので無事だったが、もう少しヌルかったら、吐き出していたかもしれない。

で、この 「日刊大衆」 の記事では、コンビニコーヒーを選ぶように勧められている。これなら砂糖の量を自分で調節できるから OK というのだ。とはいえ、やはり自分で選んだ豆を直前に挽いて淹れるコーヒーが、一番いいと思うがなあ。もちろんシュガーレスで。

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2019/03/17

筑波山の姿と、ニュージーランドの大量殺戮事件

東海道新幹線に乗って見ればわかるが、富士山は三島付近から眺めるのが一番迫力がある。そして先月 19日には "「自分の家から見る富士山が最高」 という三島市民" という記事を書いた。

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三島ではただでさえ富士山がきれいに見えるのに、その中でも 「我が家から見える富士山が最高」 と言い張る市民が多い。なにしろ 「我が家から見る富士山はちゃんとポーズを決めてくれるし、光線の具合がいいと、スマイルだってしてくれますから」 なんてマジに言う大人が少なくないのである。

これ、ある意味自然なことで、山というのは 「見慣れた姿」 が一番美しく感じるものだ。先月の記事の中でも次のように述べている。

例えば我が故郷の鳥海山は、反対側の秋田県から望むとまったく別の印象になる。さすがに北斜面だけに、山形県から望む穏やかな姿とは異なる厳しさを感じさせるのだ。それで秋田県人は 「山形側から見る鳥海山は間が抜けてる」 なんてことを言う。それに対してこっちは 「秋田から見るとちょっと貧相だ」 なんて言うわけだ。

それは筑波山にしても同様で、「つくば市内からの角度が最高」 と言う人が多いが、他から見るのも変化があってなかなかいいというのも事実である。

ところで今日は、茨城県内の筑西市にある下館 (「しもだて」 と読む) というところに用があって、クルマで行って来た。片道約 50km、往復で 100kmちょっとの運転になるのだが、この下館まで行くと、いつも眺めている筑波山をほぼ裏側から望むことになる。上に掲げた写真の上がいつも見ている筑波山で、下が下館から見る筑波山だ。

そしてご多分に漏れず、私の印象としては 「あれ、下館から見る筑波山って、『裏返し』 になっちゃうなあ」 なんて感じてしまったのである。しかし下館に住んでいる人間に言わせると、「つくば市側から見る筑波山って、アンバランスだよね」 ってなことになるようなのである。

かくの如くに、人間の感覚というのは 「慣れ」 とか 「馴染み」 とかいう要素に大きく左右されてしまうものなのだ。「絶対的な美しさ」 とか 「絶対的な価値」 なんて幻想に過ぎないのである。筑波山は見る角度それぞれに異なった美しさをもつのだが、自分の馴染んだ姿のみに執着すると、多様な価値がわからなくなる。

うどんの例をもち出せば、讃岐うどん派は 「博多うどんはコシがない」 と言い、博多うどん派は 「讃岐うどんみたいに硬いのは、うどんじゃない」 などと断じる。よそ者の私からすれば 「両方それぞれのおいしさがあって捨てがたいのになあ」 と思うのだが。

と、まあ、回りくどく卑近なことを言ってきたが、この度のニュージーランドの大量殺戮事件の容疑者の抱く 「白人至上主義」 というのも、「要するに幻想に過ぎない」 と言いたいわけなのだ。自分の属する狭い世界に異常に執着し過ぎて、他の世界が認められなくなったことの極端すぎる結果である。

馴染んだ価値観を重んじるのはごく自然なことだが、他の価値観の否定につながってはならない。視野は広く持ちたいものだと、つくづく思う。

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2019/03/16

「ローロデックス」 というもの

「ローロデックス」 (Rolodex) というものをご存じだろうか。実は私もその名を今日初めて知ったのだが、モノ自体はアメリカ映画などで十分にお馴染みである。オフィスのデスクの上にお約束のように置いてある回転式の名刺ホルダーだ。(参照

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なんでこんなものを調べてみたのかというと、昨日書いた 「4〜5年ぶりに FAX を送付されてしまったよ」 という記事と関係がある。「知識連鎖」 というサイトの 「未来で消えるいらないもの 固定電話・スーツ・大型テレビ・パソコンのキーボードなど」 という記事で触れられているのだ。

この記事は、2012年のアメリカでの調査を元にしている。7年前の時点で、「5年後の 2017年には消えていると思うものは?」 とのアンケートで挙げられたモノ (及びコト) の動向を調べたものだ。ちなみに 「消えている」 と思われた上位10傑は、次のようなものだった。(括弧内は、全体の何パーセントの人がそう答えたかを示す)

10位    USBメモリ (17%)
9位    仕切りのある個人用小室 (19%)
8位    社長や役員のための部屋(21%)
7位    スーツ、ネクタイ、パンティストッキングなどフォーマルなビジネスの服装 (27%)
6位    デスクトップパソコン (34%)
5位    机の電話 (35%)
4位    標準労働時間 (57%)
3位    ローロデックス [回転式名刺整理機] (58%)
2位    ファックス (71%)
1位    テープレコーダー (79%)

で、2019年の今、検証してみると、6〜10位は今でもしっかり残っているし、3〜5位も案外しぶとい。しかしさすがに 1位と 2位の 「ファックス」 と 「テープレコーダー」 は、少なくとも米国ビジネス社会では消えて久しいだろう。まあ、この 2つは 2012年の調査時点でもかなりレアになっていたわけだが。

で、この中の 3位に挙げられている 「ローロデックス」 というものについて、私は初めてその名称を知ったのである。これ、「コトバンク」 で調べてみると、こんなふうに説明してある。

文具、家庭用品メーカーのニューウェル・ラバーメイド社 (本社:アメリカ) が販売する回転式の卓上名刺ホルダー。1950年代に実業家のアーノルド・ノイシュテッターが発明、1958年販売開始。

ふうん、発売されてから、まだ半世紀とちょっとしか経っていないのだね。印象としては 100年も前からあるような気がしていたが、100年前はまだ今のようなビジネスカードなんて一般化してなかっただろうから、まあ、そんなものだろう。

これ、なにしろ 「ホッチキス」 みたいな 「商標」 だから、元祖のニューウェル・ラバーメイド社以外は使うことができず、Amazon のサイトを見ると日本のセキスイは 「ターボデックス」 なんて、ちょっとダサめの名前にしている。さらに時代を反映してか、「デジタル名刺ホルダー メックル」 なんてものまである。

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こんなの、PC にデータベースとして保存すればいいのにと思うが、ローロデックスのイメージに憧れちゃうようなタイプの人は、つい欲しくなってしまうのかもしれない。ただ、実際に買うのはよほどのもの好きだろうし、「メックル」 というネーミングもスゴい。「究極の B級商品」 と言えるだろう。

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