2014/07/22

気にかかるのは、Amazon の大きすぎる段ボール箱

Amazon はとても重宝していて、しょっちゅう買い物しているのだが、一つだけ気になることがある。品物が届く時の段ボール箱が、無駄に大きすぎるのだ。新書版の本 1冊とか、SD カードリーダー 1個など、ほんの小さなものを買っても、ほぼ例外なく、週刊誌が 30〜40冊は入りそうなサイズの段ボール箱で届く。

Img_9430今回も偏光レンズのサングラスを 1個買ったら、いつもと同じサイズの段ボール箱の底のど真ん中に貼り付けられた姿で届いた。箱の容積の 80%以上は空気で占められている。ああ、もったいない。

思うに Amazon としてはこれが最小サイズで、これより小さいのは用意していないのだろう。この大雑把な感覚は、やっぱり米国の企業なのだと思ってしまう。日本の企業だったらもう一回り、二回り小さな箱を用意するだろう。

しかしAmazon としては、多サイズで取りそろえると、紙素材を多少節約するよりもコスト増になってしまうし、あまり多様なサイズの箱があると、バックヤードの処理もしにくくなるので、標準化しているのだろう。

しかしエコ派の私の感覚では、多少コストがかかっても無駄のないサイズの箱を用意する方が、結果として企業イメージのアップにつながると思うのだがなあ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2014/07/21

無法自転車について、さらに論じてみる

昨日の 「自転車のマナー」 という記事が、思いの外に関心を呼んでしまったようで、あっという間に 5件もコメントがついた。みなさん、自転車のお行儀の悪さには腹に据えかねておいでの様子である。山辺響さんのおっしゃるように、これは 「マナーの悪さ」 というより 「議論の余地のない法律違反」 というべき問題である。

ところで、コメント欄にも書いたことだが、私は自転車で右側通行をしている連中も、「自転車は左側通行」 という基本中の基本のルールを知らないはずがないだろうと思っていた。学校でも自治体でもこれだけ啓蒙に力をいれているんだから、知っていて平気でルール違反してるんだろうと思っていた。しかしどうやら、その考えは甘かったようなのだ。

「自転車は左側通行」 というルールを、本当に知らない人が多いようなのである。というか、「なんだかややこしいルールを聞いたことがあるような気がするけど、人は右側だし、自転車は 『車』 ってわけじゃないし (実は 『軽車両』 なのだが)、まあ、どっちでもいいんじゃないの?」 ぐらいに思っている人が多いみたいなのだ。

私は 「国民の大多数に正しい情報がきちんと行きわたるなんて、期待しちゃいけない」 と思っている。テレビでもラジオでも、地方自治体の広報紙でも、これだけ 「振り込め詐欺に注意」 と情報発信しているのに、引っかかる人が後を絶たないのだから、それは明白である。

だから、3年前にテレビが地デジに切り替わった時、「突然テレビが映らなくなった」 という問い合わせが集中したのだ。血相変えてそんな問い合わせをするぐらいだから、テレビへの依存度は高い人なのだろう。そんな人たちが、何年も前からあれだけ 「アナログ放送の終了」 を知らされても、「なんか、あるらしいな」 ぐらいにしか思っていなかったのである。

「人は右、車は、自転車も含めて左」 という、ごくごく当たり前の情報でも、実はその辺のじいさんばあさん、オトンオカン、ガキンチョまでには、きちんと届いていないのである。少なからぬ人たちが、この辺りのことに関しては、まったく 「無意識」 なのだ。

そしてそれは、学校や自治体が啓蒙活動に努力すれば届くのかといえば、そういうわけでもない。情報を受け取らない人というのは、何がどうあっても、金輪際受け取らないのである。

「拒否」 しているというわけじゃなく、「無意識だから届かない」 のである。無意識だから、当然受け取るべき情報を、自分はきちんと受け取っていないということに気付いていない。だから、「あ、こりゃいかん」 と反省することもできない。そしてその無意識さ加減は、命に関わる情報でも変わらないのである。

だから、「夜間に自転車のライトを点けるのは、車から認識してもらうためで、点けなきゃいきなりぶつけられてしまう可能性が高まるんだよ。命が惜しけりゃ、無灯火運転しない方がいいんだよ」 と、いくら口を酸っぱくして言っても、ライトを点けない人は、闇夜だろうがなんだろうが、金輪際点けないのである。

リスクに関する一般的原則から、彼らの意識はかけ離れている。いつの場合でも 「自分は別」 なのだ。「正常化の偏見 (normalcy bias)」 が、無意識に強すぎるので、自分はいかにぼうっとしていても、まず大丈夫と思っている。結果的には、周り中に 「ヒヤリハッと」 させまくり、迷惑かけまくりの上での 「大丈夫」 なのだが。

釈尊が 「知って犯す罪より、知らずに犯す罪の方が重い」 と言われたのも当然の話なのだ。それについては、2年半前に "「無明」 と 「罪」" というタイトルで論じているので、ご参照いただきたい。

で、私としては、世の中そういうもので直りようがない、不治の病みたいなものだからしょうがないと、諦めている。気付いてしまった者が気をつけるしかないのである。鈍感な者よりも敏感な者が気を利かせるしかないというのは、悲しいお話だが、自分が鈍感な方じゃなくてよかったとせめて喜ぶ方が、精神衛生にはいいだろう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2014/07/20

自転車のマナー

自転車に乗る時のマナーが問題になっている。とにかく、自転車に乗る人の多くは、ルールを守る気がないようで、車を運転していて、危なくてしょうがないのである。

近所でよく自転車とすれ違うのだが、右側通行をする自転車がやたらと多いような気がずっとしていた。ただこれは、ルール違反をしている自転車の方が印象に残りやすいので、実際には右側通行は少数派なんだろうと思っていたのである。ところが、そうじゃなかった。

この 3〜4日、意識して観察してみたのである。すると、すべてを観察することが不可能な大通りは別として、生活道路と呼ばれるレベルの幅の狭い道路では、なんと、見かけた自転車が 100%右側通行だったのである。

くどいようだが、100% ということはつまり、1台の例外もないということである。老若男女に関わりなく、じいさんばあさんから子供に至るまで、少なくともこの近所の狭い生活道路では、きちんと左側通行している自転車は皆無だったのである。年齢に関わりないから、徐々にまともになると期待することもできない。

若い子の乗った自転車は、細い道を左側通行しているこちらの車に、平気で真っ正面から向かってくる。オカンやじいさんばあさんは、右側通行のまま、道ばたに止まってすれ違うのを待つ。止まって待つぐらいなら、まともに左側通行すればいいのに、気が知れない。

それに彼らは、サドルに腰を下ろしたままではなく、自転車から完全に降りて側に立つので、必要以上に幅を取ってしまう。ただでさえ邪魔なのに、こちらはずいぶん大げさに避けてあげなければならなくなる。

先日は丁字路で、こちらが左折したくてウィンカーを付けているのに、右側通行してきたオカンの自転車が丁字路のど真ん中で、こちらが左折する進路をふさいで止まってしまい、いつまでも動かないので、お見合いのまま動けなくなってしまった。あの人たちは、自分がルール違反をしても、いざという時には停まりさえすりゃいいいう了見違いをしている。

その数日前は、狭い道で対向車とすれ違う時に、前から右側通行してくる高校生ぐらいの男の子の乗った自転車がいるので、こちらは一時停止せざるを得なかった。そして対向車が行ってしまってからも、その自転車は私の車の目の前に呆然と止まっているので、こちらは発車できない。

むこうはこちらが大きく道の真ん中に避けて発車するものと思っている。自分はあくまでも右側通行し続けたいようなのだ。ちょっとぶち切れて 「お前がどくんだろ!」 と怒鳴りつけてやると、恐れをなしたように左側に移動したが、あいつ、もしかしたら自分がどうして怒鳴られたのか、理解できていないかも知れない。

夜間の無灯火については、だいぶ前にも書いたことがある。この辺りはかなり田舎っぽいところで、夜には真っ暗になるのだが、そんな暗くて細い道を、無灯火で右側通行してくる自転車には、本当に驚かされる。「そんなに死にたいか!」 と言いたくもなるのである。

私も高校時代まで過ごした田舎では、自転車に乗りまくっていた。しかし杓子定規なまでに左側通行を守り、夜にはライトを付けていた。遵法意識というより、無駄死にしたくなかったからである。自分の身を自分で守らずに、誰が守るというのだ。

この辺りの自転車乗りの意識はかなり遅れているようで、ヨーロッパのように自転車がきちんと生活にとけ込むには時間がかかりそうな気がしている。意識の高い自転車乗りもいるにはいるのだが、本当に彼らが気の毒になってしまう。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2014/07/19

「顎関節症」 というもの

完全に私事で恐縮だが、左耳の奥が痛いのである。そう言うと、人は 「中耳炎じゃないの? 耳鼻科に行ってみたら?」 と言ってくれるが、どうも中耳炎なんかじゃない。どうやら、「顎関節症」 というもののようなのである。「がくかんせつしょう」 と読む。

何を食ったのか、よく覚えていないが、2〜3日前に出張先でなんだか固いものを食った時、左側の顎の関節が 「バキバキッ」 といったのだ。一瞬顎が外れかけたようなのである。あまりに痛かったので、何を食った時なのか記憶が飛んでしまったようなのだ。私はノー天気なので、嫌なことは忘れてしまうのである。これって、自己保存本能なのかもしれない。

顎の関節は外れかけてすぐに戻ったようで、その直後は別段なんてこともなかったのだが、昨日辺りから、左側の耳の奥と、こめかみ、首筋がズキンズキンと痛いのだ。あまりに痛いので接骨院に行ったら、「顎関節症」 と言われたのである。顎関節の亜脱臼によって、周囲の筋肉が炎症を起こしたものと疑われるというのだ。

ズキンズキンというのは神経的な痛みであり、それは筋肉の炎症に伴うものと思われるので、その炎症が収まれば治る可能性が高いが、もし治らなかったら歯科医に行かなければならないという。こういうのって、歯科医の領域なんだそうだ。まあ、しばらく接骨院に通院しなければならないようだ。

ああ、固いものを無理矢理ほおばって、顎が外れかけたなんて、いい年をして恥ずかしいのである。若い頃はわしわし食えていたものが、還暦を過ぎるとちょっと無理になってしまうらしい。気は若いつもりでも、体は確実に年を取っているようなのだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014/07/18

「PC の時代」 の 「終わりの始まり」

今月 8日に ”「PC の時代」 は来年終わる" という刺激的なタイトルの記事を書いたが、その 「終わりの始まり」 は既に顕在化しているらしい。日本経済新聞は昨年 6月3日付で 「誤算のウィンドウズ 8 マイクロソフトに迫る落日」 という記事を載せている。

この記事には、「ある大手情報機器販売会社の場合、企業向けの販売台数に占める (Windows) 8 はわずか 5%。実に95%が (Windows 7に) ダウングレードされている」 と書かれている。そりゃそうだろう。個人向けでも 「Windows 7 機が欲しい」 というユーザーが多いのだから。

ましてや企業では、「XP はもう使い続けられないから PC を更新しなければならないが、OS は Windows 8 ではなく 7 にするのが常識」 と言われているほどだ。「XP で、ようやくほとんどの従業員が PC 操作に慣れたのに、8 にしてしまったら、仕事の効率が一時的にせよガクンと落ちるのが目に見えている」 というのである。

効率が落ちるのは 「一時的」 とはいえ、それが 1週間続いたら、年間の業績にそれなりの悪影響が出る。同じ人件費で、従業員が激減してしまったのと同じようなものだからだ。もしそれが 1ヶ月続いたら、まともな仕事にならない。影響は深刻だ。

問題は、Windows 8 という新 OS のマーケティング失敗だけに止まらない。日経の記事はさらにこう続く。

米調査会社 IDC が 4月にまとめた今年 1~3月のパソコン世界出荷台数は前年同期比 13.9%減の 7629万 4000台。IDC のプログラムバイスプレジデントのボブ・オドンネルは、「8 はパソコン市場の活性化に失敗した。むしろ、足を引っ張っている」 と嘆く。

従来は、マイクロソフトが新 OS を発表したら、それが牽引役となって PC 市場は確実に活性化した。しかし今回に限っては、それが足を引っ張っているというのである。これはもはや、1つの OS の失敗というストーリーではなく、PC というデバイスにとって、時代の区切りが来ているとみていいのではなかろうか。

先月の記事で私は 「『PC の時代の終わり』 とはいえ、PC がまったく不必要になるわけじゃない。私だって、業務で使っているのだから、今後も PC は使い続けるだろう」 と書いている。ただ、「従来型の Windows PC」 には、もう伸びしろはない。

そしてその 「従来型の Windows PC」 を牽引してきたマイクロソフトは、既にその使命を果たし終えてしまいつつあるようなのである。使命を終えた人間や企業は、やることなすことがピンぼけになりがちだ。

今月に入り、マイクロソフトのサティア・ナデラ CEO は、従業員に 「それぞれが変わる勇気を持たなければならない」 という内容のメールを送ったという。そのために、今後半年間で新たなトレーニングや試験を実施すると説明している。

これは同社が相当な危機感を持ち始めたことを意味している。「今までのやり方ではダメだ」 と言っているのだから。ただし、これほどの巨大企業が迅速で大きな舵取りをするのは、なかなか大変なことになるだろう。

「古い皮袋に新しい葡萄酒を入れてはいけない」 と、イエス・キリストは言った。市場全体の視点からすれば、新しいプレイヤーに新しい市場を牽引させる方が、利益は大きいだろう。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2014/07/17

個人情報は漏れるものである

例のベネッセの顧客情報流出の件である。当初は流出情報は約 760万件と言われていたが、今回捕まった容疑者は 2000万件以上のデータをダウンロードしていたという。私が驚いたのは、なによりまず、この数である。

日本の総人口は約 1億 2500万人といわれる。このうち、65歳以上の高齢者が 25%を占めるほどだから、子供の人口なんか、たかが知れている。昨年のデータによれば、0〜14歳の人口比率は12.9%である。高齢者のほぼ半分しかいない。まさに 「少子高齢化」 そのものである。

今回の流出データが 5〜18歳ぐらいの若年層のものと仮定すれば、まあ、だいたい 15%ぐらいなのかと想像され、計算すれば約 1875万人となる。とすると、ベネッセのもっているデータは、これを遙かに上回ることになる。

まあ、その中には子供の親と 「昔の子供」 のデータも含まれて、とりあえず役に立つ 「今の子供」 関連に絞れば、今回漏れた 760万ぐらいの数になるのかもしれないが、それにしてもものすごいデータ量である。日本中の子供の半分ぐらいは、ベネッセに情報を握られていると言っても過言ではないんじゃなかろうか。

ベネッセのデータは、教育関連のイベントに集まった子供たちに関する情報が多いらしい。だったら、それほどデリケートな情報は含まれていないだろうが、それにしても、ダイレクト・マーケティングを行うためには、名前、性別、年齢、住所がわかるだけでもとりあえずは十分だ。これに、得意科目や好きなスポーツ、趣味なんかの情報が加われば、かなり貴重なものになる。

子供に限らず、我々の個人情報なんて既に広く知れ渡っていると思って間違いない。だからこそ、あちこちからこんなにも DM が舞い込むのである。それも、ビジネス情報誌だの家のリフォームだの墓地だのの話ばかりで、最近は英会話教材みたいなものの DM なんか来なくなった。ということは、年齢まで正確に知られている。

こんな情報は、ネット販売のアカウントを作った時の情報を始め、商品購入の際に答えたアンケートなど、とにかくいろいろなところから漏れているのだろう。今回はベネッセみたいな会社から漏れているのだから、通販でものを買ったら大抵漏れると思った方がいい。

アンケートなどには、得た情報は他には出さないみたいな断り書きがあるが、そんなのはほとんど信用できない。この類いの情報は、漏れるものと思った方がいい。

ちなみに、今回の 760万件のデータは、大体 250万円ぐらいで買い取られたのではないかと言われている。相場は 1件 1円というところらしいが、今回は件数が多すぎて、しかもあまりデリケートな情報が含まれないとなると、この程度のようだ。今後請求される損害賠償額を考えると、まったく割に合わない犯罪である。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014/07/16

ちょっとお行儀の悪い人心掌握術

Twitter で キュア行政書士つがね さんという方が  "人との新密度をはかるバロメーターとして 「失礼なことを言って受け入れられるかどうか」 を無意識にやっている人って、迷惑なことに本当にいるんですけど、そういう人は逆をされるとだいたい怒るのってあれなんなんすかね" と tweet しておられる (参照)。まさに 「あるある」 である。

それに対して Masaharu Aono  さんという方から "「自分の方が相手より上」が無意識にあるから、な気がいたします" というコメントが付いている。これもまた、「あるある」 である。

しかし、必ずしも 「無意識」 でない場合もある。半分は意識的にやっている人もいるから面倒くさい。私の今月 11日の記事 「国会や地方議会は、ガラもセンスも悪いものである」 にハマッコーさんが次のようなコメントを付けてくれた。

昔、自民党の有力議員の自宅へ仕事で行く機会がありました。
場所がわからなかったので、外から電話すると、“おう、おめえ、いま何処にいんだよ“ と言われて面食らったことがありました。

自宅を訪ねると、あいかわらずべらんめえ口調で、私をむかしからの子分のように私に話しかけてきます。そのバンカラさにはクラクラしましたが、帰る時には、人が変わったように紳士的な態度で私を送り出すんですね。これにはまたびっくり。

こういうタイプの人は、人心掌握術として、半ば意識的に (そして残りの半分は無意識的に) こういう態度を表に出す。案外よくいるタイプである。人はさんざん子分のように扱われたあとに、下にも置かぬ丁寧な態度でお辞儀して送り出されるので、そのギャップ故に 「魅力的な人物」 と思い込んでしまいがちだ。

こんな感じの人心掌握術を駆使する人物というのは、大抵は人間関係を上下関係で捉えている。そして自分は圧倒的に上の立場に立ちながら、その位置関係をはっきりさせたり消滅させたりしながら、相手を混乱させ、心をつかむ。

ちょっと変則的な 「飴と鞭」 である。女をたらし込む男がよくやるメソッドのバリエーションと言っていいかもしれない。ある種の共犯関係に引きずり込みつつ、要所要所で大きなご褒美をあげてしまうので、そこにはちょっと濃いめの人間関係が生じてしまう。

ところが私はそういうのが体質的に合わないので、そんな気配を感じると、さっと距離を取ってしまうのである。せっかく苦労して身につけた人心掌握術を駆使している御仁には悪いけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/07/15

「radiko.jp プレミアム」 に登録した

今年 3月に、Radiko の地域限定を外した新サービス 「radiko.jp プレミアム」 に、いちゃもんをつける記事を書いた (参照)。ちょっと引用する。

わざわざユーザーの現在地を特定して、それによって放送を流したり停めたりするシステムを継続する方がずっと面倒で、そんな無意味なフィルターを解除する方が、ずっと楽に決まっているではないか。つまり、地域の限定を取り外すのに余計なコストがかかっているのではなく、既存システムの方が、本来なら世界中に広がるネットワークをわざわざ一手間かけて地域限定にするために、余計なコストを使っているはずなのである。

つまり、既存システムの方が余計なコストがかかっているはずなのに無料で、余計な一手間を省いてインターネットとしてフツーのスタイルにした途端に有料というのはおかしいじゃないかというものである。とはいえ、別に 350円の会費を惜しんでいるわけじゃなく、地域限定解除でラジオを聞きたいのは山々だから、いちゃもんばかりつけていてもしょうがないと諦めて会員登録をした。出張先でもいつもの番組が聞けるのはありがたい。

ところで、"Radiko" という名称が、「ラジオ」 からの洒落だと、つい最近気がついた。

妻に、「もしかして 『ラジコ』 って、『ラジオ』 が男の子で、それに対する女の子っていう洒落なのかなあ」 と言ったら、「そんなの、当たり前じゃない。今ごろ気付いたの?」 と驚かれた。いやはや、そんなに当たり前の感覚だったのか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

«酒で 「魔が差す」 タイプの人