2015/05/26

カモガヤ花粉症だってさ

いつもはスギ花粉の時期が終わればケロリと楽になるのに、今年はちょっと一段落してすぐにまた似たような症状が出始めた。初めはヒノキ花粉かと思っていたが、どうも様子が違う。外出先では楽なのに、帰宅するとくしゃみと鼻水が止まらないのである。目も痒い。

念のため医者に行ったところ、「カモガヤの花粉症だろう」 と診断された。カモガヤとはイネ科の植物で、畦道や土手にフツーに生えている。どうやら今年は、カモガヤの花粉が多いらしいのだが、我が家は土手際にあるので、とくに症状が出やすいわけだ。

カモガヤの花粉は来月になるまで飛散するらしい。これで私は 2月から 6月まで、ほぼ 5ヶ月間は花粉症に悩まされる人になってしまったわけだ。ただ、花粉の飛散量は年によって差があるので、あまり多く飛ばないように願うばかりである。

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2015/05/25

久しぶりにヘビに遭遇

我が家の玄関先で、久しぶりにヘビに遭遇した。30年以上前にここに引っ越して来た頃には、少しも珍しくなかったのだが、近頃では姿をみかけることが滅多になくなっていた。だから、遭遇は 10年ぶりぐらいだったかもしれない。

Img_2617aは虫類に弱い人には恐縮だが、写真を載っけておく。模様がはっきりしていたため、初めは 「もしかしてマムシ?」 と思ったのだが、それにしては胴体が細長すぎる気がしたので、安心して何ショットか写真に収めた。これは先方も 「しつこい人間だなあ」 と辟易しなつつも、必死に逃亡しようとしているところである。

写真に撮ってから安心してインターネット上の図鑑を調べてみると、これはどうやら、アオダイショウの幼蛇らしい。アオダイショウといえば、私の記憶では緑色の大きなヘビと思っていたのだが、成長する前はこんな模様があるというのだ。ニホンマムシへの擬態であると考えられているというが、こちらは騙されなかったわけね。

最近、家のすぐ裏の土手でキジを見かけたりしたこともあり、一時よりも少しは自然が戻ってきているような気がする。カエルの鳴き声も減り続けていたが、今年は盛んに鳴いているように思う。下水が普及して、あんなに濁りきっていた用水路や川の水が少しはきれいになったり、農薬の使用が少し抑えられたりしていることで、野生の動物が復活しているということなのだろう。

ただ、下水の普及という点が大きいので、一方ではカやハエは少なくなっている。本当の自然度が戻ってきたというわけではないので、ちょっと複雑な思いがないではない。

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2015/05/24

ドローンとインターネット

近頃 「ドローン」 というものが何かと話題というか、物議を醸している。福島の土を積んだまま首相官邸の屋上に落下したとか、三社祭にドローンを飛ばすような予告をした少年が逮捕されちゃったとか、もっぱらイメージの悪い事件がニュースになっているが、使いようによってはなかなか面白いものだと思うだけに、ちょっと残念な気もしている。

「ドローン」 (drone) という言葉自体は、元々の意味は 「ブーン」 という単調な連続音を指し、その音を出す蜂という意味もある。蜂は蜂でも、ミツバチの中で蜜を集める仕事をせずに女王蜂のお伽をする雄蜂を意味するんだそうだ。まあ元々の言葉の意味からして、そんなような感じの、ちょっと怪しいものという雰囲気が漂う。

いかにも怪しいものではあるが、うまく使えばかなりイケてるものになると思う。最近はどこにでもある監視カメラの、移動バージョンとして用いれば、かなり機動性に富んだものになるだろうし、小さなモノの配達なら人手を使わなくてもいける。もしかしたら、ピザの配達なんてドローンを使ってできちゃうかも知れない。

私はドローンはインターネットとよく似ているという気がしている。インターネットは形のない情報というものにおいて、素人でも世界に向けて手軽に発信することができるという、ある意味革命的な役割を果たしたが、ドローンは 「素人でも手軽に空中からの視点を得ることと、形と重さのある物体を空中に飛ばして移動させることを可能にしたこと」 という 2つの点で、かなり大きな意味をもつと思うのだ。

問題は、インターネットもかなりいろいろ 「負の機能」 をもつように、ドローンも反社会的な使い方がいろいろできてしまうということだ。インターネットが運ぶのは形のない情報というものだが、ドローンは物理的なモノを飛ばしてしまうことができるだけ、かなり直接的な影響がある。

例えば、インターネットはサリンの製造方法を伝えることができるが、サリンそのものは送ることができない。しかしドローンは、サリンそのものを積んで飛行し、狙った地点に落下させることができるのである。「直接的な影響」 というのは、そうした意味だ。

ドローンそのものは、「善いモノ」 でも 「悪いモノ」 でもない。使い方によって善くも悪くもなる。そうしたところも、インターネットとよく似ている。インターネットも 「怪しい情報満載」 といって一部では毛嫌いされていた時期があるが、ドローンも今、そんな状態にある。

インターネットは有効な使い道が大きいので、今では市民権を得た。ドローンは 「直接的な影響」 が大きいだけに、これから大きな社会的制約が設けられる方向に進むだろうが、有用な使い方さえも潰してしまうことにならないように望むものである。

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2015/05/23

フランス人は10着しか服を持たない?

『フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~』 という本が、一部で話題だ。著者はジェニファー・L・スコットという米国人女性。ネットの紹介ページにはこんなキャッチフレーズがついている。

典型的なカリフォルニアガールだった著者は、
フランスの貴族の家にホームステイすることになる。 
その家を取り仕切るマダム・シックから学んだのは、 
毎日を“特別な日" のように生きること。

そのマダム・シックのワードローブには、服が 10着しかないのだそうだ。「上質なものを少しだけ持ち、大切に使う」 のが、彼女のポリシーであるらしい。ジェニファーはそうした生き方に感銘を受ける。

しかし、へそ曲がりの私には、ワードローブの中に 10着しか服がないなんてことは。いくら何でも信じられない。

スーツ (上下で 1着とカウントする)、夏用と冬用のジャケット各 1着、シャツ (あるいはブラウス)、スカート、パンツを持つだけで 6着になる。それにコートとドレス、セーターを足したら 9着だ。そして、シャツ (あるいはブラウス) は洗濯しなければならないから、最低限もう 1着は必要だろう。それで 10着になる。

つまり、季節が変わらなければほとんど毎日同じ上着を着て、せいぜいスカートとパンツを交互にコーディネートし、たまにたった 1着のドレスかスーツを着ることになる。しかもそのドレスとスーツは、夏も冬も同じものだ。

私のように、年がら年中シャツとジーンズに、冬はジャケットを羽織るという暮らしをしていても、カッターシャツ、ポロシャツ、Tシャツが 3着ずつ (洗濯や着替えが必要だからね) で、それだけで 9着になってしまう。ワードローブが 10着というのは、針小棒大にもほどがある。

もしそれが本当だったとしたら、フランスのファッション業界はここまで発展しなかっかっただろう。たくさん買う人がいるから、パリはモードの中心と言われるのだ。まあ、輸出比率が高いことは確かだけれど、内需なしには 「ファッション・センター」 たり得ない。

「いや、そうではなく、アウターウェア (つまりジャケット、スーツ、ドレスの類い) が 10着しかないのだ」 なんてことだとしたら、私のような者からみたら、それは取り立てて大したことじゃない。「ごくフツーじゃん。それだけあったら、十分すぎるじゃん」 ということになる。

ジェニファーは結局、「パリの貴族」 という 「ブランド」 を利用しているのではあるまいか。まあファッションの世界では、「パリの貴族」 は確立したイメージがあるから、アピールしやすいのだよね。日本だったら、さしずめ京都の老舗のおかみさんのライフスタイルとか。

ジェニファーがもし、未開の地の部族の家にホームステイし、その部族の女性が、彼らにとっての 「上質」 なものを少しだけ持って大切にし、毎日を 「特別な日」 として生きていたとして、ジェニファーはどんな印象を持つだろうか。

私だったら、そうしたライフスタイルの方に感動してしまうだろう。ジェニファーがもしそうした体験をしたとして、パリでの体験と同様に、本を書くほどに感動するとしたら、それは本物だと思うのだがね。

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2015/05/22

しゃっちょこばらずに動作する

曹洞宗寺院の副住職さんのブログ 「つらつら日暮らし」 に 「禅宗の修行と動作システム」 という記事がある。本日付のこの記事は、「河本英夫先生 『損傷したシステムはいかに創発・再生するか―オートポイエーシスの第五領域』 新曜社・2014年、230~231頁」 からの引用から始まる。孫引きで引用させていただく。

動作の創発に意識はほとんど関与していない。この関与しないことに動作の自然性がある。手足を動かすさいに、いちいちそこに意識を向けていたのでは、とてもなめらかな動作はできない。動作の進行において、意識がそこから消えていくことに動作の自然性がある。この消えていく事態を意識の積極性と考えようと思う。そのため動作を現象学から考察していくためには、意識がそこから消えていく分だけ動作の自然性が出現し、動作がそれじたい作動するように意識が身を引く事象として成立する。こうした設定を行うことが必要である。またそれに応じた工夫が必要である。

卑近なことを言うが、慣れないことをさせられると、動作がぎこちなくなる。若い頃は、葬式の焼香をするのでさえ、しゃっちょこばっていた。前の人の手本を見て、その通りにしようとしてもまったく思いのままにならない。少しはまともにできるようになったのは 40歳を過ぎてからで、故人を追悼する気持ちでできるようになったのは、つい最近である。まあ、それだけ葬式が続いて、慣れちゃったということもあるが。

そういえば、昔習っていた合気道でもそうだった。合気道というのは徹底的に型稽古をする。型稽古しかしないのである。技の型を延々と繰り返すのだが、まともにできるようになるには結構な時間がかかる。

初めはやはりぎこちないもので、そのうちに少しはスムーズに動けるようになり、さらに進むと、ことさらに意識しなくても体が自然に動くようになる。というか、意識しているうちはぎこちない動きから抜け出せない。

武道では 「習うて、而してそれを忘れよ」 などと言う。何度も何度も型稽古を繰り返し、身につけたら、それを忘れてしまえというのだ。せっかく身につけたことを忘れてしまって、初めて本物になるというのである。「動作の創発に意識はほとんど関与していない」 というのは、それと通じると思う。

それは、「条件反射」 というのとも違う。条件反射では、一定の刺激に対して自動的に決まり切った反射的動作しか生じない。しかし 「意識の積極性」 として、動作の中から意識が消えた状態では、自動的な反射行動に留まらない無限のバリエーションが生じる。意識しないからこそそうなるのだというところが、ちょっとおもしろいところだ。

しかし、「意識しない動作」 がいくら 「自然」 だといっても、それでは 「自然の動作」 を行うにあたって、「自己表現」 という問題はどうなるのだという疑問が生じるだろう。「自己表現」 がなければ、それは単なる機械的動作に過ぎないのではないか。「自然」 には見えるかもしれないが、結局は 「決まり切ったつまらない手順」 なのではないか。

この疑問に対しては、まともに答えようとしてもしょうがない。仕方がないから、「自己表現」 しようにも、その表現すべき 「自己」 なんていうものは、実は存在しないんだから、しょうがないじゃないかとしか言いようがないだろう。

「自己」 があると思っている限りはしゃっちょこばってしまう。自己を滅しようとしても、滅しようとしている自己に囚われている。初めからないものを、表現しようとしたり滅しようとしたりしていたのが、そもそもの間違いの元だったのだ。

「動作」 をするというのは、その過程で 「自己」 はないものと少しずつ確認する修行なのかもしれない。恐ろしく手間のかかるプロセスだけれど、そうすることで、「仏性」 に気付くことができるかもしれない。

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2015/05/21

「釣り師」 が 「アングラー」 であることから

釣り師のことを英語で 「アングラー」 というらしい。"angler" である。iPhone にインストールしている Wisdom 英和辞典で "angle" を調べると、同音異義語として 「角度」 の意味と 「釣りをする」 の意味の 2つの単語がある。

ただ、こうした場合には語源は共通していることが多いので、さらに調べてみるとやはりそうだった。複数のサイトにあたった結果、どうやら信用してもよさそうだとなったのは、印欧祖語の "ank" を語源としているということだ。

英語の "ankle" (かかと)、"angle"(角度) は、この "ank" から発生しており、「釣りをする」 という意味の "angle" は、釣り針を使うことから来ているらしい。釣り針は曲がった形をしているから、そうなったようだ。

なるほど、同じ魚を捕るという意味でも、"fisherman" は釣り針よりも網を使うというイメージだから、「釣り師」 というより 「漁師」 ということになる。とはいえ、毛針釣りのことは "fly fishing" というし、"fisherman" はポリティカリー・コレクトじゃないから、おしなべて "angler" と言うべきだという話もあるようなので、このあたりはわけわからん。"fisher" でいいじゃんと思うがね。

釣り針そのものは英語では "hook" と言うのだが、"hooker" というと、釣り師じゃなく、ラグビーでスクラムの中からボールをひっかけて後方に出す役割の選手だ。さらにスラングで 「売春婦」 という意味があるらしい。要するに 「ひっかけちゃう人」 ってことね。

さらにおもしろいことがわかった。"England" の国名も、同じ語源からきているらしいのである。

「コトバ雑記」 というサイトの 「釣り針の国」 というページによると、ドイツの "Angeln" (アンゲルン)という地名は釣り針の形をした地形に由来するという。この地から 5世紀頃にブリテン島に移住したゲルマン民族が "Angles" であり、彼らの住んだ場所が "Angul Land" 、"Engla Land" を経て "England" になった。彼らは同じくドイツの "Sachsen" (ザクセン) から渡ったサクソン族と融合して "Anglo-Saxon" と呼ばれる。

25歳でパリに行った時に、あまりにもフランス語で苦労したので急遽コンパクトな仏英辞書を買った。その表紙には "Français-Anglais" と書いてあって、フランス語で英語のことは "Anglais" というと初めて知ったのだが、なるほど、そういう事情だったのだね。フランス人からすると、英語は 「曲がった言語」 なんだ。

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2015/05/20

オッサンは、平成の歌が歌えない

Slashdot に 「米調査、最新ヒット曲を聴かなくなるのは 30代半ば」 という記事がある。多くの人が、30代半ばを過ぎると最新のヒット曲に追いついていこうとしなくなるのだそうだ。確かに自分自身に照らし合わせてもそんなところがある。

マイケル・ジャクソンのヒット曲で振り返ると、それが如実にわかる。 "Thriller" (私が 30歳の時) まではノリノリで行けたが、"Bad" (35歳の時) でやや苦しくなり始め、"Black Or White" (39歳の時) となると、「そんな曲がヒットしてるらしいね」 と思う程度だった。それ以後は、単なる 「歴史の延長」 と化してしまった感がある。

こうした傾向が如実になる要因としては、ここしばらくの音楽が、思いっきり 「ガキっぽい曲」 の方向に振れてしまっているからだという見方もある。まあ、最近のヒット曲らしいのがラジオから流れてきても、「オジサンには関係ないもんね」 というようなのばかりという気もするから、それもあるかもしれない。

「団塊の世代」 より年上の世代にとっては、最近の曲はリズム感が違いすぎて全然馴染めないということもあるらしい。しかし私なんか、リズムは 「なんでも来い」 だが、最近の音楽はやっぱり 「ま、テキトーにやったら?」 という感じがしてしまうのだよね。単なるリズム感の話ではないと思う。

単に 「ガキっぽい歌になった」 とか 「リズムに付いていけない」 とかいう問題ではないようなのだ。例えば私の年代の同級会で同じ年の仲間が集まり、二次会でカラオケなんかに繰り出した場合、平成になってからの歌が出てくることなんかまずない。思いっきり 「昭和の歌」 のオンパレードになる。

昭和 27年生まれは、平成元年には既に 36〜37歳になっていた。ということは元号の変わり目の頃を機に、まさに 「30代半ば」 を越えてしまい、そのために昭和期のヒット曲は見事にカバーしながら、平成の歌にはまったく馴染んでいないのだ。ここで紹介した説の典型的な生き証人になれる世代である。

何しろ、これは米国での調査の結果というのだからおもしろい。日本だけの話じゃないのだ。米国でこれを紹介した記事のタイトルをみると、'“Music was better back then”: When do we stop keeping up with popular music?' (「昔の曲はよかった」: ポップスに付いていくのをやめるのはいつ?) とか "Do we stop caring about popular music in our 30s?" (30代で流行の音楽を気にしなくなる?) など、「いずこも同じ」 感覚が醸し出されてしまう。

思うに、これは音楽だけの話じゃない。ファッションにおいても同様の傾向があると、私は思っている。人は大体、自分が 30代頃までに主流だったファッション傾向を、いつまでも引きずりがちだ。

団塊の世代は今でも VAN ファッションが最高だと思っているフシがあるし、我々の世代はヒッピー・ムーブメントの影響で、Tシャツにジーンズが一番と思っている。そしてそれ以降は、あの DC ファッションと呼ばれた黒っぽい時代になり。それから下は ボディコンとか、コムサがユニフォームみたいになった時代もあって、各年代がそれぞれ今でも引きずっている。

人の感覚で 「これがカッコいい」 と思う対象が固定化するのは、どうやら 30代頃までのことという気がするのである。煙草に関しても 30代半ばまでに「喫煙はカッコ悪い」 とい意識付けが行われないと、年取って体に赤信号が灯るまで、「どうしても煙草が止められない」 なんてことになっていると思う。

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2015/05/19

nifty @homepage に不正アクセスがあったんだとさ

私は自分のサイトを nifty の @homepage というサービスを使って運営しているのだが、この @homepage のサーバに不正アクセスがあったというメールが届いた。具体的な被害は確認されていないが、念のため FTP パスワードをリセットしたので、新たなパスワードを設定しろというのである。(参照

つまりどういうことかというと、このブログは同じ nifty の運営でも、ココログのサーバにあるから問題ないのだが、本宅サイトの方の更新をしようとすると、これまでの FTP パスワードでは接続できないので、新しいパスワードを設定しなければならないというのである。

私は最近は本宅サイトの方の更新はめっきりご無沙汰になっているのだが、このブログの バックナンバーをみるための index だけは遅れ気味ながら更新し続けているので、FTP パスワードの問題を解決しないと、それができないということになってしまう。

しかも、私の場合は 「知のヴァーリトゥード」 と 「和歌ログ」 という 2つのサイトをやっているので、2倍の手間がかかる。「うっとうしいなあ」 と思いつつも、nifty のサイトに表示してある手順に従って新たな FTP パスワードを設定した。

まあ、自分のウェブサイトを運営しているほどの人ならば、「そんなことを言われても、意味分からん! 一体どうしたらいいの?」 とうろたえてしまうなんてことはまずないだろうが、これがもしブログ (ココログ) の方だったら、「どうすればいいのかわからん!」 となってしまうユーザーが続出しただろう。

で、「これまでずっと、ココログでブログを書いてきたけれど、もう更新できなくなっちゃったから、乗り換える」 ということになってしまう。しかもそれまでのブログの更新ができないってことは、新しい引っ越し先の URL を周知するわけにもいかないから、一から再出発ってなことになってしまいかねない。

nifty さん、不正アクセスされたのがココログじゃなくて @homepage の方のサーバで、不幸中の幸いだったね。ココログの方だったりしたら、ユーザー数が少なくとも 30%ぐらいは減っていただろう。

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«「ユビキタス」 という言葉