2018/12/16

正統派よりもイケちゃってるアウトサイダー

久しぶりで 『無門関』 ネタ。今日は第三十二則の 「外道問佛」 という公案である。「外道がお釈迦様に、仏について質問した」 という話だ。

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お釈迦様が座禅しているところに、外道 (仏弟子以外の者) がやってきて、「有言 (うごん) を問はず、無言を問はず」 という、摩訶不思議な質問をした。これ、「仏」 つまり 「覚者 (悟りを得た者)」 とは何か? と問うたのだが、「言葉による説明なんて聞きたくないし、言葉以外のごまかしも受け付けないからね」 と、かなり生意気に出たのである。

こんな風な聞き方をされたら、生半可のことでは答えようがない。しかしそこはさすがにお釈迦様である。ただ慈悲深く座っておられた。すると質問した外道は 「世尊大慈大悲、我が迷雲を開いて我をして得入せしむ」 (お釈迦様の大きな慈悲のおかげで、私の迷いの雲が晴れ、悟りを得ることができました) と、感謝して去ったというのである。

例によってわかったようなわからないような話だが、そこはそれ、禅の公案だから理窟じゃなくインスピレーションで受け取るしかない。つまり、お釈迦様のただ座っておられる姿は、一見すると単なる 「無言」 のようにしか見えないが、実は 「有言無言」 を超えた次元の悟りを現していたので、質問した外道はそれを受け取ることができたというわけなのである。

そこへやってきた仏弟子の阿難は、「あいつ、何でまたあんなに感動して行ってしまったんでしょうかね」 なんて、ちょっと低次元の質問をした。するとお釈迦様は 「良馬は鞭の影を見ただけで走り出すものだよ」 と答えたという。

阿難というのは、お釈迦様の説法をすべて記憶して 「多聞第一」 と言われたほどの優秀な弟子だったが、いかんせん、言葉によらない教えまではピンと来ない男だった。つまり理窟は理解できても、悲しいまでにインスピレーションに欠けていたのだね。

そんなわけで、無門和尚は 「阿難すなわち仏弟子、あたかも外道の見解に如かず」 (阿難は仏弟子なのに、外道の理解に及ばない) と解説している。正統派よりもアウトサイダーの方がイケちゃってることがあるってわけだ。

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2018/12/15

"The Guide of Goods for a Cozy Room" というフレーズ

マガジンハウスの雑誌に 『&Premium』 ってのがある。この雑誌のウェブサイト 『&Premium.jp』 なんてものまであって、その案内ページには 「“The Guide to a Better Life” と宣言して、2013年11月、雑誌 『&Premium』 は創刊しました」 とある。

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「よりよい生活への案内書」 として、「ファッション、インテリア、日用品、ビューティー、食、旅、カルチャーなど」 の情報発信をすることが、この雑誌の基本コンセプトのようだ。で、個人的に 「なんだかなあ」 と思ってしまうのは、「よりよい生活」 というのは 「1つ」 の方向性しかないというのがこの雑誌の基本コンセプトらしいということである。

とにかく "a Better Life" とあるのだから、好意的に読み取れば 「いろいろあるかもしれないけど、オススメはこの一択だからね」 という 「コンセプトの明確さ」 の表現なんだろう。私としては 「よりよい生活」 というのは多様と思っているので、当然ながら "Better Lives" の方がしっくりくるのだが。

で、その 2018年 3月号で、"The Guide of Goods for a Cozy Room" (もっと部屋を心地よくするためのガイドブック) という特集が組まれている。上の写真が、その特集の扉ページだ。

で、やっぱり 「なんだかなあ」 と思ってしまうのが、その特集タイトルだ。雑誌自体のコンセプトは "The Guide to ..." と、一応文法的には問題ないフレーズで示されているのに、この号の特集はなぜかこんなふうに、ちょっと 「フツーじゃない言い方」 になっている。

まあ、何を言いたいかわからないわけじゃないけど、どうして素直に ”The Guide to a Cozier room" にしなかったんだろう。あるいはどうしても 「グッズのガイド」 にこだわりたかったなら、"The guide on Goods for a Cozier Room" がフツーだと思うがなあ。ちなみに "Cozier" と比較級にしたのは、日本語タイトルが 「もっと部屋を心地よくするための」 となっているからだ。

まあ、いずれにしても個人的には "Cozier Rooms" と複数形にしたいところだが、むしろ長々言うより "The Cozy Room Catalog" とするのが一番手っ取り早いかも。

まあ、結局は 「雰囲気のもの」 でしかないようだから、どうでもいいといえばいいのだけどね。

 

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2018/12/14

答えにくい質問もしてこそのジャーナリズム

一昨日は例の 「次の質問どうぞ」 4連発の記者会見に関して、河野太郎外相を 「ヘボ役者」 と批判した (参照) が、今日は会見に出席していた記者について書いてみたい。

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世間では 「日ロ外交交渉の微妙な点について具体的な答弁ができないのは当然なのだから、そんな質問をする記者の方が悪い」 とか 「ちゃんと答えられるような質問をすべきだ」 などと、記者のあり方を批判する声もある。しかしそれは、実はぞっとするほど危険な考え方だ。

そもそも具体的な答弁ができないからと言って、質問そのものを無視するというのはいくらなんでもひどい。記者会見というもののシステムをないがしろにする態度である。差し支えない範囲で答弁するか、あるいは 「答弁を差し控える」 と言えばいいのであって、あんな無礼な態度で対応されたら、記者側も少しは怒って見せていい。

普通なら記者が揃って席を蹴って退席してもいいぐらいのこと (昔は現実にそんなことがあった) だが、そうはならなかった。これは記者クラブというシステムの長年にわたって作ってきた雰囲気のなせるワザで、なんだかんだ言っても、記者側は政府にビミョーなソンタクをしなければならなくなっている。悲しいお話だ。

「ビミョーなソンタク」 と書いたのは、「ちゃんと答えられるような質問をすべきだ」 などというところまでは、譲歩していなかったからである。「ヤバい質問」 はしないでもないが、「その質問をないがしろにされても、コトを荒立てるようなことはしない」 という、実に不思議な予定調和の世界が、あの場では現出していたわけだ。

ところで、一部では 「答えられない質問をしても時間の無駄だから、ちゃんと答えられるような質問に限るべきだ」 などと言い出す輩もいる。誰とは言わないが。

しかしいくら何でもそれは、ソンタクのし過ぎというものだ。政権側がスラスラ答弁できるような質問しかしない記者ばかりの国というのは一体どんな国だろうかと、考えてみるがいい。それはどうみてもまともな国じゃないし、私はそんな国に住みたいとは、決して思わない。

国民の側が 「記者はちゃんと答えられるような質問しかするな」 などと言うのは、「この国を自由のない国にしていただいて結構」 と宣言しているようなものだ。本来は、多少は答えにくい質問もしてこそジャーナリズムというものである。

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2018/12/13

「今年の漢字」 は 「災」 だそうだ

毎年この季節になると一応の話題になって、すぐに忘れ去られるのが 「今年の漢字」 というやつだ。そして 2018年は 「災」 という字になったらしい。(参照

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まあ、今年はずっと天災続きだったから、この字でもいいかなという気もするが、実際にアナウンスされた 「『災』 の字が選ばれた理由」 というのは、FNN によるとこういうものだった。

災害の経験から全国的に防災意識が高まり、多くの人が自助、共助の大切さを再認識した年、仮想通貨の流出、スポーツ界のパワハラ問題、財務省決裁文書改ざんなどが発覚し、多くの人がこれからの出来事を人災や災いととらえたためだという。

「多くの人が自助、共助の大切さを再認識した年」 というのは、なんだか優等生すぎる文言に思える。そしてそれ以上に 「仮想通貨の流出、スポーツ界のパワハラ問題、財務省決裁文書改ざんなど」 までこの 「災」 という漢字の内容に含めるというのは、「ちょっと盛り過ぎかな?」 という印象だ。

このイベントを主催する日本漢字能力検定協会も、平成 7年から 23年もやり続けてしまうと、妙に 「権威」 という色合いを付けてしまいたいという意識が強まっているんじゃないかという気がする。私としてはこの種のイベントには、「権威」 よりも 「ウィット」 を期待したいのだがね。

何しろ一般公募で最も応募数の多かった漢字を 「今年の漢字」 とするという建前を明らかにしているから、その応募結果がいかにダサイものになってしまっても操作するわけにいかない。そうなると、主催者なりの意図を無理にでも盛り込んで、それなりのストーリー付けしてしまいたくなるのも無理からぬことなのだろう。

思い起こせば 2014年 (消費税率が 8%に引き上げられた年) の 「今年の漢字」 が 「税」 と決まった時、私は次のように書いている。(参照

近頃毎年発表される 「今年の漢字」、2014年は 「税」 という漢字なんだそうだ。あんまり 「まんま」 すぎて、「夏とかけて何と解く?」 とふられたお馬鹿なアイドルタレントが、つい 「暑いと解きます」 なんて言っちゃった時みたいな、何とも言えない脱力感を覚えてしまう。

もう少し無理なくウィットを感じさせる 「今年の漢字」 を選定するには、単なる多数決じゃなく、少しはセンスのある文化人を加えた選考をする方がいいんじゃないかなあ。

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2018/12/12

河野太郎のヘボ役者ぶり

今、九州方面に出張中なのだが、ホテルに入ってテレビのニュースを見て驚いた。例の河野外相の、記者会見での 「次の質問どうぞ」 4連発である。はっきり言う。この人、ヘボ役者だ。(参照

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昨日 「いくつになってもコミュニケーション力が向上しないオッサンたち」 という記事を書いたが、その一番いいサンプルがこれだという気がする。その上、とにかくヘボ役者なのである。この人がこんなにヘボ役者だったとは、これまで知らなかった。

ヘボ役者、ヘボ役者と繰り返すが、こんなヘボ役者では、外交交渉の舞台になんか立てまい。つまり、外務大臣なんて務まらないということである。

上記のリンク先の HUFFPOST の記事に添えられた YouTube の動画をみればわかるが、6分 40秒ぐらいまでは、結構まともな質疑応答をしている。ところが時事通信のエチゴ (漢字表記がわからないので、カタカナで失礼) 記者の日ロ関係の質問が始まったとたんに妙に挙動不審になる。

これはまあ、事前に質問内容を知らされていたからなのだろうが、「そぅら、来たぞ」 とばかりに、急にヘボ役者になっている。コップの水を 「ズズズッ」 と音を立ててすすったり、背広の左右の胸の辺りをわざとらしくポンポンと叩いてゴミを払っているフリをしてみせたり、笑っちゃうばかりの 「変なオジサン」 になる。

で、次の質問からは、さすがに背広の胸を叩いたりすることはないのだが、相変わらずコップの水を 「ズズッ」 と何度もすする。あれ、やめてくれんかなあ、一応外務大臣なんだから。それから、挙動不審にキョトキョトするのも、「私はちゃっちい人間です」 と、自分で宣伝しているようなものだ。

世間では、「外交交渉の微妙な問題なんだから、答えないで当然」 みたいに擁護する声もあるようだが、それはおかしい。答えないなら答えないで、もうちょっと 「まともな役者」 でやってもらいたいものなのである。こんな場合にさっとセンス良く切り抜けてみせれば、政治家の器量が上がろうってものだろうにね。

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2018/12/11

いくつになってもコミュニケーション力が向上しないオッサンたち

順天堂大学が医学部入試を巡る不合理さの指摘に対して、「言い訳」 (になると、当事者は思っているらしい) の記者会見を開き、当然の成り行きとして火に油を注ぐ形になっている。(参照

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順天堂大の当事者たちの言い分によると、女子の受験者を不利に扱ったのは 「女子が男子よりも精神的な成熟が早く、受験時はコミュニケーション能力も高い傾向にあるが、入学後はその差が解消されるため補正を行う必要があった」 ためなどということのようだ。つまり 「単に性別によるハンデ戦」 だったというのである。

しかしそんな話が言い訳になると思っているのは、当事者たちだけだろう。まともな神経があれば、もう少しもっともらしく聞こえる言い訳を用意しておいてもよかったんじゃあるまいか。まあ、そんなのがあるとすればの話だが。

入学後、つまり成人年齢に達する頃には、男子のコミュニケーション能力も改善されると、順天堂大当事者は言っているわけなのだが、どうみてもそんな気配のないオッサンがいるというのは、今回の記者会見の内容からみても明らかだ。「よくまあ、そんなことが言えるね」 という話である。

順天堂大の 「言い訳」 がちっとも本当らしく聞こえないのは、医者の世界でも、政治の世界でも、還暦をとっくに過ぎた年になっても、一向にコミュニケーション能力が高まったように見えないオッサンがゴロゴロいるからである。

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2018/12/10

『里の秋』 という歌

里の秋』 という歌があるのだが、私はその歌詞をあまりよく知らなかった。「しずかなしずかな 里の秋/おせどに木の実の 落ちる夜は」 という歌詞の 「おせど」 というのもよくわかっていなかったので、今日初めてググって調べてみたのである。そうすると、この歌の深い意味がわかって愕然とした。

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「おせど」 というのは、「尾瀬戸」 とか 「小瀬戸」 とかいう言葉とは無関係で、「お背戸」 、つまり 「裏口の戸」 とわかった。それはまあ、単純なことなのだが、問題は、3番の歌詞である。

さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ とうさんよ ご無事でと
今夜も かあさんと 祈ります

このように紹介すれば、わかる人にはすぐにわかると思うが、戦争が終わり、南方の島から命からがら復員してくる父の無事を祈る歌詞だ。『里の秋』 がそうした歌だったとは、私は恥ずかしながら今日まで知らなかった。

さらに驚いたのが、この歌の歴史的変化である。Wikipedia (参照) によると、作詞者の斎藤信夫は国民学校の教師をしていた 1941年 (昭和 16年) に、この歌を 『星月夜』 というタイトルで童謡雑誌に発表した。そして当初の歌詞は、1番、2番 は現行の 『里の秋』 と同じだが、それ以後が違っていた。

それは 3番、4番まであり、歌詞の内容は 「父さんの活躍を祈ってます。将来ボクも国を護ります」 というような、いわば戦争賛美につながるものだった。その後終戦 (敗戦) を迎え、ラジオ番組の歌として 『星月夜』 は蘇ることになるが、その際に 3番、4番が現行の 3番の歌詞に書き換えられたという。

そしてその時、作詞者の斎藤信夫は、自分が学校教育において戦争で戦うように教えていたことに責任を感じ、教師を辞めていたというのである。これはちょっとヘビーなサイドストーリーである。

そして今、この歌を単純な 「反戦歌」 として位置付けることはちょっと気恥ずかしいが、そうした背景を知りつつ、じっくりと味わって歌いたいと思うのである。

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2018/12/09

必要なファイルを見つけ出すのに苦労する人が多いらしい

スラドの記事に 「オフィスで働く人の多くが必要なファイルを見つけ出すのに苦労しているという調査結果」 というのがある。M-Files の調査によると、そういうことになっているのだそうだ。そんなことで時間を潰していたら、せっかくの PC が泣いちゃうよね。

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この記事を読んで真っ先に思い浮かべたのが、あちこちでよく見かける 「ぎっしりと並ぶアイコンに埋め尽くされたデスクトップ」 である。今年の 3月にも、長崎空港のロビーでそんな PC を広げ、30分以上ただじっと眺めているだけの人がいて、そのことをブログに書いている。(参照

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作成したファイルをあんな具合にデスクトップ一杯に置いといたら、後からそのファイルを探して開くのにさぞかし苦労するだろう。これはきっと、ある種の依存症なのだろうと思う。そしてこの記事にらむねさんは、次のようなコメントを寄せてくれた。

フォルダ・ファイルの階層構造がわかってないとこうなりますよね。 ちなみに私の父もそうです。父が自治会長をやったときの様々な書類作成やその整理に対する私のフルサポート1年間は、お金が発生するレベルでした(笑)。

そんなフル・サポートを 1年続けたら、さぞかし大変だったろう。よっぽど美味いものでも奢ってもらわなければ合わない。さらに重箱の隅さんは、こんなコメントをしてくださった。

同僚に同タイプがいますが、依存症というよりは不安症に近いようです。デスクトップ以外の場所に動かしてしまうと永遠にそのファイルが見つからなくなるような気がするそうで。

なるほど、そりゃ、依存症というより不安神経症だ。他に動かすと見つからなくなる気がするので、見つけにくいデスクトップに置くというのが救いがたい。そもそも、ファイルを格納しておくのはデスクトップではなく ”My Documents” が標準なのだということを知らないか、薄々知ってはいても、怖くて使えないという人がやたらに多いのである。

というわけで、私の知り合いにもファイルをデスクトップに置いとくせいで、アイコンで一杯になっている人が少なくない。もしかしたら、3人に 1人以上はそんな感じかもしれない。

そんなタイプの人は、月例報告のファイルを毎月のように上書きしてデスクトップに保存してしまったりするので、ファイルネームはずっと 「2012年8月報告.docx」 とかいうままだったりする。それだとまあ、いつもデスクトップの左上隅近くにあるいつものアイコンをダブルクリックすればいいので、ファイルを探す手間は省けるかもしれない。

しかしその手の人の PC には、先月以前の報告ファイルが残されていないのである。せっかくのたっぷりとした保存領域のある道具に、数年以上前から上書きし続けた最新のファイルがあるだけだ。もし古い報告書が必要になったら、メーラーの送付済みのフォルダから添付ファイルを探し出すのにやたら手間がかかるだろう。

それに、数年前の日付のファイルネームで最新の報告書を送ってこられたら、相手は 「いつものこと」 とわかってはいるだろうが、うんざりするだろう。

「大丈夫です。私は Excel のファイルを使って、単に 『報告書』 というファイルネームです。いつも新しいシートを作って上書きしてますから、ずっと履歴は残ってます」 なんて言う人もいる。

しかし、そんな報告ファイルを毎月送付される身にもなってみろと言うのである。既に見たことのあるシートがぎっしりと並んで、一番右端に今月の報告のたった 1枚のシートが付いているだけだなのだ。これもまたうんざりだろう。

My Documents の階層構造の作り方を 1時間かけて説明してあげたくなるような人が、私の周りにはめちゃくちゃ多い。

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2018/12/08

老人性難聴というもの

昔から付き合いのある 6〜7歳年上 (つまり 72〜73歳ぐらい) の人に、耳の遠くなっている人が多いことに驚く。現役、あるいは OB としても仕事を続けていてしょっちゅう会う機会のある人は、ほとんど耳が確かなのだが、家に引っ込みがちで久しぶりで会う人ほど、聞こえにくくなっているような気がする。

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Medical Note というサイトの 「老人性難聴とは―加齢のみが原因ではない」 という記事には、年取って聞こえにくくなるのは 「有毛細胞の減少など内耳の機能の低下だけではなく、脳の中枢機能の低下、そしてことばを認識する認知機能の低下が合わさって起こっている」 とある。なるほど、これでは家に籠もってしまっている人ほど聞こえにくくなっているように思われるのも道理だ。

さらに、「音源の定位:つまり音がどの方向から聞こえているのかがわかりにくく、大勢で同時に話しているときに会話を聞き逃してしまう」 ことがあり、「ゆっくりと話してもらわないと理解しづらい (時間分解能の低下) というのも老人性難聴の特徴」 とある。なるほど、だから何人かで談論風発している時に、こうした人は取り残されがちになる。

Medical Note の記事では 「老人性難聴は加齢だけではなく、酸化ストレスによって進行が早まることが分かっています」 とあり、その酸化ストレスを避けるためには、「強大音を避ける」 「バランスのよい食生活:カロリー・塩分をとりすぎない」 「適度な有酸素運動」 「禁煙」 が有効であるとされている。

ということは、大音響のロックをイヤフォンで聴きまくり、ファーストフードだけで生きていて、運動不足の上にスモーカーという人は、若いうちから難聴になってしまっても不思議ではないということだ。幸い私は、この 4つの項目の 1つも当てはまらない。

上述のサイトはメディカル専門だけに、難聴が発生したら早いうちに補聴器を上手に使う方がいいと推奨されている。しかし手っ取り早い対策としては、脳の老化を避けることの方が有効なんじゃないかという気がするのだよね。

要するに、年を取っても家に閉じこもってばかりいないで、いろいろなことに興味をもって人との関わりを維持することが大切なんじゃあるまいか。難聴防止ばかりでなく、ボケ防止のためにも。

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2018/12/07

最寄りの人は 「高輪ゲートウェイ」 の単語登録を急げ

世間は山手線の新駅名、「高輪ゲートウェイ」 の話題でもちきりだが、「言いにくい」 「字数多すぎ」 「違和感たっぷり」 など、おしなべて不評である。こんなことでは新駅名の公募なんて、意味がなかったよね。

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東洋経済 ONLINE の記事 (参照) によると、新駅周辺は JR 東日本が 「グローバルゲートウェイ品川」 というコンセプトで再開発している 13万㎡の再開発エリアの玄関口にあたる。そして新駅名は投票 1位の 「高輪」 と、再開発コンセプトの 「ゲートウェイ」 の合わせ技というわけだ。つまり、この意表を突いた駅名は、JR 東日本の 「商売上の都合」 としか思われないのである。

で、JR 東日本の思惑はバレたとして、それで割を食らうのは、一般乗客である。違和感があって言いにくいとかいうのは慣れである程度解消されるだろうが、最大の問題はスマホなどで駅名を入力する時に字数が多すぎてうっとうしいことだ。

とくに仕事場がこの付近で、新駅で待ち合わせすることが頻繁になるであろう人たちは一苦労である。「高輪ゲートウェイ駅〇〇口で、〇時〇分に待ち合わせましょう」 なんてメールするにしても、余計なカタカナ 6文字分を打たなければならない。ただでさえ時間に追われているシチュエーションになるだろうに。

そこで、こうした事態が予測される人は、早めに PC とスマホの両方で 「高輪ゲートウェイ」 を楽に打てるように、単語登録しておくことをオススメする。私自身はこの駅を頻繁に利用するとも思われないのだが、単にこの記事を書くだけでもうっとうしい思いをするので、「たかげ」 の省略形で単語登録したばかりである。

ちなみに 「たかなげ」 だと 「高投げ」 などと誤変換されやすいので、「たかげ」 の方が面倒がないだろう。

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