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2017/01/23

これから我慢の 4年間

ドナルド・トランプが米国大統領に就任して、「世界は 4年間の我慢を強いられる」 と思っていた矢先、ローマン・カソリックのフランシスコ教皇が、国境に壁や鉄条網を張り巡らせるという政策を批判する声明を発表した。内容的にはポピュリズム批判そのものである。(参照

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世界史は 「21世紀の初めの世界は、グローバリズムへの反動でポピュリズム台頭に直面した」 と、振り返ることになるだろう。問題はトランプ大統領の 4年間を世界がどう捉えるかだ。

フランシスコ教皇は 「ヒトラーは指導者の座を盗んだのではない。彼はドイツ国民によって選ばれ、そしてドイツ国民を破滅させた」 と語った。米国民の半数が今後の 4年間でトランプを選んだことを後悔することになれば、破滅からは免れる。

しかしそれだけではない。米国の残りの半数も、民主党候補としてヒラリー・クリントンを選んでしまったことを後悔しなければならないだろう。どちらも安易に流されすぎてしまったのだ。他に人がいなかったわけじゃあるまいし。

まあ、とにかく、我慢し続ける 4年間というのは長いだろうなあ。間違ってもさらに 4年間なんてことにならないように祈りたい。というわけで、今日はこれでおしまい。

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2017/01/22

「ちくわぶ」 というおでん種

恥ずかしながら、つい最近まで 「ちくわぶ」 という食い物を知らなかった。先日のラジオで話題になっていたので、妻に 「ちくわぶって、竹輪のこと?」 と聞くと、「ちくわぶは、ちくわぶでしょ」 という答えが返ってきた。

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というわけで私は、生まれて初めて 「ちくわぶ」 という独立した食品があることを知ったのである。それまでは 「ちくわぶ」 という言葉を耳にしたことはあるが、それは魚肉系練り物の 「竹輪」 の幼児語だろうぐらいに思っていた。

あわてて Wikipedia に当たってみると、次のようにある (参照)。

ちくわぶ(竹輪麩)は、小麦粉をこねたものを茹であげた麩である。

東京 (関東) ローカルの食材で、全国的には 「ちくわぶ」 という存在すら知らない人がいる。近年はテレビなどで取り上げられて知名度が上がり、全国チェーンの大手スーパーなどで真空パックの製品が取り扱われている。だが現在でも首都圏以外ではほとんど見かけることがなく、全国的には現物を見たことすらない人がほとんどである。

"東京 (関東) ローカルの食材で、全国的には 「ちくわぶ」 という存在すら知らない人がいる" とあるのがやや救いだが、18歳で上京して以来、半世紀近く関東に暮らしているのだから、やはりちょっとショックではある。そういえば 20代の頃におでんを食っていて、ついつまんでしまい、そのモソモソした妙ちくりんな食感に 「何だ、こりゃ?」 と思った記憶がある。

今から思えば、あれが 「ちくわぶ」 というものだったのか。見るのも嫌というほどまずいわけじゃないが、金を払ってまで食いたいと思うようなものでは決してない。他においしいおでん種はいくらでもあるのだから、何が悲しくてあんなものを食わなければならないのだ。

ちくわぶの入っていないおでんがあっても、個人的にはまったく構わない。そもそも 「ちくわぶ」 という名称からして、「竹輪」 の代用品としか思われないから、たとえこの世からなくなってしまっても、なくなったことに気付くことすらないだろうと思う。

念のために、おでん種の人気がどんな風になっているのか調べてみると、Softtrain という会社の 「~おでん 4700人アンケート~」 というページが見つかった。「好きなおでんの具の全国 1位は大根、2位たまご!」 というタイトルには納得するが、2行目に 「関東で好まれる具はちくわぶ、はんぺん」 とあるのにびっくり仰天してしまった。

全国ベースの人気ベスト 5 は、「大根、たまご、こんにゃく、竹輪、餅入り巾着」 と続き、ちくわぶはようやく 14位に顔を出す程度なのだが、関東だけに絞ると、このベスト 5 にはんぺんを加え、その次の 7位にランクされているではないか。これには驚きだ。関東を除いた地域では、ほぼ最低ランクに近いレベルだというのに。

なんとまあ、しらたき、がんもどき、さつま揚げ、つみれよりも、ちくわぶなんてものを好む関東人が多いというのである。関東ネイティブのおでんの好みって、一体どうなってるんだ。よっぽどおいしいものを知らないんじゃなかろうか。

とまあ、ちくわぶの好きな人には散々の暴言となってしまったかもしれないが、食の好みは人それぞれなので、お許し頂きたい。

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2017/01/21

稀勢の里は横綱になれるだろう

暗くなった道をカーラジオを聞きながら家路を辿っていると、大相撲初場所で稀勢の里が優勝を決めたというニュースが入った。これで横綱昇進を決定づけたかもしれない。3年前に 「稀勢の里は横綱になれない」 と予言した (参照) 私としては、不明を恥じるほかない。

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私が 3年前に稀勢の里を見限ったのは、下半身の弱さ故だった。四股を踏めば 「悪い四股の典型」 だし、腰を下ろして見合う時も素人みたいな腰高だ。とにかく、上半身の力強さに比べて腰回りが小さすぎるのである。いかにもバランスの悪そうな体つきだった。だから安定性に欠けて、負けなくてもいい下位力士にポロポロ負けていた。

大相撲中継を見るところでは、稀勢の里の四股の踏み方は今でもかなり腰高で、決して褒められたものじゃない。しかし腰回りのアンバランスなほどの小ささは目立たなくなっていて、「よほど下半身強化に取り組んだんだろうな」 と思わせる変化が見られる。30歳を過ぎてこれほどの変化が現れるとは思っていなかっただけに、ちょっと驚きだ。

元々上半身の強さは抜群だから、下半身が安定すれば、序盤戦での取りこぼしも少なくなる。最近の勝率の高さはそれを証明しているだろう。3人のモンゴル人横綱の衰えが目立ち始めているのも追い風だ。

というわけで、3年前の 「稀勢の里は横綱になれない」 発言は撤回させていただくことにする。 ただ今場所も中日を過ぎてからすぐに腰が浮いてしまいがちなので、この欠点は完全に払拭されたわけではない。調子の良い時はいいが、やや体調が悪い時でもそれなりに安定性を確保できるかは疑問だ。

だから横綱になれても、名横綱になれるかどうかはちょっと悲観的である。それに横綱土俵入りの四股は、通常の四股とはちょっと違うけど、きちんと腰を入れてないとカッコ悪くなってしまうから、意識してもらいたいものだ。

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2017/01/20

APA ホテルの印象

中国版ツイッター といわれる 「微博 (ウェイボー)」 という SNS に、日本の APA ホテルの客室に 「南京大虐殺を否定する本」 が置かれているという批判的な記事が掲載され、それからというもの、ちょっと炎上気味になっているようだ。このホテルのサイトもあっという間にハッキングされた模様 (参照) で、下の写真のように 「システムメンテナンスのお知らせ」 という画面が出っぱなしでまだ復旧していない。

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私としては、ホテルといえどもプライベート企業なんだから、客室にどんな本を置こうが勝手で (それに、フツーはそんなもの読まんし)、本が置いているだけで嫌というなら客の方でボイコットすればいいだけの話と思っている。とはいえハッキングしちゃうなんていうのは、ちょっとやり過ぎだろう。

個人的には悪いけど 「APA ホテル、ちょっとなあ。あの女社長 キモいし」 と思っていて、これだけ毎月毎月日本全国に出張の機会がある仕事をしながら、ホテルを予約する際には APA だけは避けている。今さらのように言っちゃうけど、まあ、及ばずながら前々からボイコットしているわけだ。

実は、APA ホテルには 1度だけ宿泊したことがある。もう一つのブログで和歌による日記みたいなものを書いているので、日時まで特定できる (参照)。平成 17年の 8月 11日というから、もうすぐ暦が一回りするほど前のことだ。この日は京都府宇治市の企業を訪問し、その夜は京都祇園の APA ホテルに泊まったのだ。

祇園という立地だけで選択したので、意図して APA を選んだわけではく、さらに 12年も前のこととて詳細な記憶はないが、結構古い造りだったことだけは覚えている。何でも昔の 「祇園ホテル」 というのを APA が平成 12年に買い取って経営しているらしく、カーペットやカーテンも相当くたびれていた。まあ、いかにも祇園らしい気がして、何のことなく眠りにおちたわけだけどね。

APA はいろいろなホテルを買い取って運用しているらしいから、建物自体は新しいのから古いのまでいろいろある。全国各地で APA ホテルの看板に遭遇するが、統一的なイメージは全然ない。他のホテル・チェーンは曲がりなりにも一目見ればなんとなくどこのホテルかわかる造りのものが多いが、APA はその点については 「どーでもいーわ!」 と思っているようだ。

これ、経営側にとっては確かに 「どーでもいーわ!」 という問題かもしれないが、宿泊客にとっては 「イメージが定まらない」 というのは、ちょっと不都合である。ホテル関連の口コミ・サイトをみると、「〇〇の APA ホテルはよかったから、信用して △△でも APA ホテルに泊まったら、ひどかった!」 なんていうのが結構多い。玉石混淆なのだね。

私が APA を避けるのは、「女社長がキモいから」 というほかに、「泊まってみるまでわからないから」 というのもある。繁忙期にはものすごく値段をつり上げるという評判なので、「これだけの値段を払うんだから、結構いい部屋だろう」 という常識が当てはまらないみたいなのである。

経営者の政治信条は別としても、要するに 「結局のところは顧客志向なんてしてないホテルなんだろうね」 と思っているわけなのだ。

【追記】

それにしても、APA ホテルのサイトのシステム・ダウンが長引きすぎている気がする。15日にはダウンしていたはずだから、かれこれ 5日目で、どうも急いで復旧する気がないみたいなのである。公式サイトなんてどうでもよくて、楽天トラベルとか代理店とかから予約が入りさえすればいいってなわけで、「面倒がなくていい」 ぐらいに思っているんじゃなかろうか。

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2017/01/19

例の 「聞き流す英会話」 の CM に関する素朴な疑問

昨日の "パソコン教室と、「聞き流す英会話」" という記事の続編である。まあ、あまり上品な内容ではないが、CM に接する度につい心に湧いてきちゃうことなので、ここらで一度吐き出しておかないと健康によくないと思い、敢えて書いてしまう。

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例の 「スピードラーニング」 の CM についてである。プロゴルファーの石川遼選手も愛用なんだそうで、彼はこの教材のおかげで米国での活動にも不自由していないというのである。しかし私としては、あれだけいつも米国にいさえすれば、フツーは日常会話ぐらいはできるようになって当たり前というものだろうと思うのだよね。

彼が英会話に不自由していないとすれば、それは実践で鍛えたものと解釈する方が自然なんじゃないかなあ。少なくとも私なら、周り中が英語をしゃべっている中で、あえて 「聞き流す英会話教材」 なんて聞こうとは思わない。それよりも現地の人間と積極的に付き合えば自然に身につくだろう。

いやしかし、日本人というのは不思議な人種で、仕事で米国に赴任すると、現地で英会話のプライベート・レッスンを受ける人というのが大勢いるらしいから、もしかして石川遼選手も、英語の溢れる中で、ヘッドフォンでスピードラーニングを聞き流したりしているのかもしれない。ちょっと異様な光景のように思えるが。

もう一つの 「素朴な疑問」 は、いつも流れているラジオ CM に関してである。こんな内容だ。

アパレルの仕事で会ったアメリカ人に 「英語ぐらいできるんだろうね」 と言われ、 「ノー」 と言ったら、「英語ができなくて何の仕事ができるんだ。お前帰れ!」 と言われて傷ついた。

CM ではこれをきっかけに一念発起してスピードラーニングを始め、英会話を身につけたということになっているのだが、この 「英語ぐらいできるんだろうね」 という質問は、英語で聞かれたのか、日本語で聞かれたのか、よくわからないのである。

もし英語で聞かれたのなら、それを理解できたのだから、「ノー」 と答えるのは論理的に矛盾している。だから日本語で聞かれたとしか考えられないのだが、それならば 「できません」 と言えばいいだけのことなのに、どうして 「ノー」 なんて答えたんだろうということになる。

それに相手のアメリカ人がそんなに流ちょうな日本語をしゃべるなら、日本語でやりとりすればいい。英語ができないぐらいで 「お前帰れ!」 なんて言うのは無茶苦茶な話で、初めからまともなビジネスをする気がなかったに違いない。いずれにしてもよくわからない CM である。

もうちょっと言ってしまえば、日本の 「アパレルの仕事」 というのは実は、知る人ぞ知る 「ドメスティックな仕事」で、イメージに反して全然国際的じゃない。業界では密かに 「まるドメ」 (まるでドメスティック) と言われるほどのものである。アパレル業界周辺で 30年メシを食った私が言うのだから、間違いない。

英語ができないぐらいで米国人にこんなにまで口汚く罵倒されるとはリアリティがなさすぎて、できの悪い作り話というのがバレバレだ。

というわけで、私としてはつい教材自体を 「胡散臭いなあ」 と思ってしまうのだよね。悪いけど。

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2017/01/18

パソコン教室と、「聞き流す英会話」

もしかしたら、私自身がまだその機会に恵まれていないというだけなのかもしれないが、パソコン教室に通って PC がバリバリに使いこなせるようになったという人と、例の 「聞き流す英会話教材」 だけで不自由なく英語で会話ができるようになったという人には、少なくとも未だかつて会ったことがない。

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パソコン教室に通ったという知り合いは、数人 (いずれも 60代以上) いる。しかしそこで何を教えてもらったかと聞くと、「電源の入れ方・切り方、マウス操作の仕方、キーボード操作、お絵かきの仕方等々」 だそうだ。その結果、メールぐらいはできるようになったようだが、そのメールにファイル (写真とか) を添付して送付する作業は、何年経ってもできない。

添付ファイルの送り方を教えると、その時だけは 「ああ、そうか、なるほど」 なんて言って、手順をノートに手書きでメモしているが、その日のうちにわからなくなってしまっている。というよりメモというアナログ作業に集中する過程で、PC 操作の実感と結びつかくなっているのだろう。

だから何度教えても、「デジカメで撮った画像をメールで送って下さい」 なんて頼むだけ無駄で、実際に訪問して、デジカメの SD カードからコピーさせてもらわなければならない。彼らの 「会報」 作りなんか手伝わされると、大昔に逆戻りしたような気がする。

彼らは PC のハードディスクにはたっぷり空き容量があるのに、デジカメで撮影した画像を 10枚以上の SD カードで保存している。生きてる間は SD カードの画像ファイルが壊れたりしないことを祈るばかりである。

「こんなことならスマホの方がずっと楽ですから、PC は諦めて、その大昔のガラケーから鞍替えしたらどうですか?」 と言うと、「いやぁ、今どきはパソコンぐらい使わないと」 なんて返事が返ってくる。いやいや、あなた、使えてないからね。

同様に、例の 「聞き流す英会話教材」 で英語ができるようになった人というのも、寡聞にして知らない。パソコン教室の場合は 「通ったことがある」 という話は聞くが、「スピードラーニングをやった」 という知り合いは 1人もいない。

あるいはこっそりとやってみて、そのうちに挫折してしまっているのは何人かいるのかもしれないが、そんな人は 「挑戦してはみたんだけどね」 なんて告白はしないのだろう。あれだけひっきりなしにマスコミで宣伝しているのに、それで成果を上げたという人を 1人も知らないのは、この世の七不思議である。

パソコン教室に通っても添付ファイルすら送れない知人が最近、「スピードラーニングをやってみようかと思っている」 なんて言い出したので、「そんなものやっても、せいぜい道案内ぐらいしかできないと思いますよ」 と答えておいた。

すると彼は、「いやいや、道案内できるようになるだけでも立派なものじゃないですか」 なんてことを言う。

「その程度は、中学生英語でいけるはずなんですけどね」 と言うと、黙り込んでしまった。うぅむ、また余計なことを言ってしまったかな。

本日の教訓は、「習うより慣れろ」 である。

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2017/01/17

「民意」 と 「支持率」

JNN 世論調査で、安倍内閣の支持率が 67%に上昇したことについて、「民意に反して支持率を集めている!!」 とした panama slim さんという方の tweet (参照) が、ネット上で 「なぞのいちゃもん、日本中が笑った」 と dis らまくっている。

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上記でリンクした先の netgeek というサイトでは、「一体何を言っているのか到底理解し難い。こんな短い一文で矛盾することができるとはかなりのギャグセンスの持ち主だ。ウケ狙いでやったのでなければもはや思考回路が正常に機能していないのだろう」 と、散々な言われようである。

しかし、ちょっと冷静になって考えれば、「民意」 が 「支持率」 にストレートに反映されないなんて、それほど珍しいことではない。つまり件の tweet は、そんなにまで寄ってたかって笑いものにするほどのことでもない。「思考回路が正常に機能していない」 とは言い過ぎだろう。

そもそも 「民意」 とは、ちょっと考えればわかるように甚だ曖昧な言葉である。『大辞林』 では 「国民の意思。人民の意思」 とされているが、そんなのは解釈によってどうにでもなるもので、「主観要素」 が入り込む余地がたっぷりある。

一方 「支持率」 というのは、一応は統計的調査によって導き出された 「客観数字」 という体裁を取っている。人の数だけあっても不思議じゃない 「民意」 と、客観数字の 「支持率」 が一致しなくても、不思議ではない。さらに 「支持率」 そのものも調査方法によってバラツキの生じるのは毎度のことで、絶対的なものではない。

ということは、「民意」 と 「支持率」 が一致しないというテキストが存在しても、そんなにまで鬼の首でも取ったようにあげつらうほどのものではない。あまりはしゃぎすぎてはいけない。今回の騒動は早く言えば、左がかった tweet を、右がかった人たちが dis りまくっているという構図に見える。

とはいえ、「民意に反して支持率を集めている!!」 というのが、不器用なテキストであることに変わりはない。そして panama slim さんは後日、次のような補足的 tweet を書き込んでいる。(参照

多数意見ではない民意のほかにも、市民によらない市民運動。個人の多様性は押し付けても、ローカルな社会の多様性は認めないリベラル。日々変化する現実を見ようとしない進歩的知識人。自分で翻訳しつつ読まなければいけない言葉はたくさんあります。

問題の tweetは、「安倍内閣は、私の考える民意に反して支持率を高めている」 と翻訳すればいいのだろうけど、後日の tweet にしても 「翻訳」 の必要度の高いテキストではある。気持ちはわかるけど。

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2017/01/16

『イムジン河』 を遡る冒険

"『イムジン河』 物語" という本を読んだ。「"封印された歌" の真実」 という副題が付いている。高校時代の友人が久しぶりにメールをくれて、この本を読んで 「歌の力はすごいと思いました」 と書かれていたので、その日のうちに Amazon で注文して読んだのである。

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この 『イムジン河』 という歌は、私が中学校 3年生の時に、今は亡きフォーク・クルセダーズの歌 (下のYouTube 参照) で注目されて日本中に知れ渡り、正式なレコード発売直前に、発売中止となった。当時は北朝鮮からのクレームがついたためとしか知らされず、まあ、裏にややこしい事情があるのだろうと思っていた。

何はともあれ歌としてはとても魅力的な作品なので、私は深夜放送で知ったメロディを採譜し、高校に入ってからもギターの弾き語りで歌っていた。いくら政治的に葬ろうとしても、生き残るものは生き残る。歌ってそういうものだ。このほど私にメールを暮れた友人ともコーラスしたりしていたので、彼は自分の読んで感動した本を、いち早く私に知らせてくれたのだろう。

『イムジン河』 のレコード発売禁止事件の裏事情に関しては、後になってからいろいろなルートで聞いてかなり知っていた。北朝鮮で作られた歌ではあるが、本国ではほとんど忘れ去られ、在日朝鮮人を通じて日本でこの歌を知った作詞家の松山猛が、ほぼ忠実な訳詞の 1番に、自由に発想した 2番と 3番の歌詞を加えたものが、放送禁止になったフォークル・バージョンである。

その後、北朝鮮総連主導で、オリジナルに近い 『リムジンガン』 という歌が発表されたが、あまりぱっとしたヒットにはならず、多分 「うたごえ運動」 みたいなところで細々と歌われたのだろうと思う。タイトルが 2通りあるということからして、ややこしい歌なのである。

漢字では 『臨津河』 と書くらしいのだが、なにしろ朝鮮半島では今や漢字はマイナーな文字だから、言っても仕方がない。どうやら北朝鮮の発音に近いのが 「リムジンガン」 で、韓国の発音だと 「イムジンガン」 に聞こえるらしい。

私としては、オリジナルとはメロディと拍子に一部違ったところがあるものの、フォークル・バージョンの 『イムジン河』 の方が気に入っていて、もっぱらそれを歌っていた。下の YouTube で聞いてもらえればわかるように、『リムジンガン』 はちょっとご大層なのである。「将軍様」 のご威光を感じてしまうのだよね。

前世紀末からにわかに復活してメジャーな舞台でも歌われるようになったのは、フォークル・バージョンの 『イムジン河』 が圧倒的に多いのもむべなるかなである。こっちの方がずっと馴染みやすいのだから、こればかりはしかたがない。

メジャーな舞台で復活してからは、キム・ヨンジャが歌って注目されたりしたが、私は彼女のバージョンを聞くと、「うたごえ版 リムジンガン」 以上に息苦しくなってしまうので、かなり苦手である。タイトルは 『イムジン河』 としているが、メロディとリズムはオリジナルの 『リムジンガン』 だしね。やっぱりフォークル・バージョンが一番しっくりくる。

私は 『イムジン河』 という歌を歌う時、音楽と社会 (とくに政治事情) の関わりについて複雑な思いを抱いてしまう。この年になって 「政治には積極的に関わりたくない」 と思っているのは、若い頃の 『イムジン河』 体験が少しは影響しているのかもしれない。

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2017/01/15

ちょっとないほどの冷え込み

寒い! 天気図を見ると日本付近は等圧線が縦に走って、典型的な西高東低だ。夕べからしんしんと冷えてきて、朝起きて外に出ると、関東の平地ではちょっとないほどの冷え込みだった。

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田舎の山形県はかなりの大雪になっているようだ。庄内平野はそんなにどっかりとは積もらないが、ちょっと内陸に入ると、2メートルなんていう積雪になっているという。関東からはまともに行ける感じがしない。ヨーロッパはむちゃくちゃな寒さだというが、ここに来て日本も急に厳冬の様相を呈してきた。

今月は半ばに長崎に出張の予定がある。その頃には少しは寒気も緩んでいるだろうが、経験上、九州でも福岡、佐賀、長崎は、冬には案外寒いということを知っているので、油断がならない。それに来月は能登に行くことになっている。厳冬を避けて、二月中旬以降に日程を組むことにしよう。

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2017/01/14

和式トイレが消えていく時代

2020年のオリンピックに向けた 「東京都、トイレ洋式化に 37.6億円計上へ 17年度」 というニュースに、「時代だなあ」 と思った。都立小中学校、都営地下鉄のほか、多くの公共施設でトイレを洋式化するのだそうだ。

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私が 20代後半から30代の頃、つまり 1980年代は、今では信じられないかもしれないが、都内の百貨店でもトイレは和式ばっかりだった。当時の私は、なんとファッション関連の仕事なんてしていて (守備範囲は 「ファッションそのもの」 じゃなく、「ファッション業界」 だったのだが)、しかも割と国際的なスタンスだったから、欧米のファッション関係者とも結構付き合いがあった。

あの頃は 「コム・デ・ギャルソン」 を初めとする 「東京ファッション」 が世界の注目を集めていた時期で、欧米のファッション・ジャーナリストやファッション・マーケティング担当者 (ほとんど女性) が来日しまくり、私は彼女らの案内役をすることが度々あった。というのは、ちょこっと英語ができたからね。

で、一緒に東京のファッション・タウンや百貨店を廻っていると、彼女らもびしっとお洒落にキメているとはいえ、どうしたって途中でトイレに行きたくなっちゃう。何度も東京に来ている人は慣れているが、初来日なんていうケースだとこちらも気を使う。

彼女らの泊まっているホテルは当然にも洋式トイレだから問題ないが、和式ばっかりの百貨店などではかなり戸惑うらしいのである。さらにこちらは男なもんだから、その使い方をフランクに尋ねるのも憚られてしまうわけだよね。

でも、まあ、全然放っぽらかしとくわけにもいかないから、私は 「日本のトイレは、キャンプの時と同じだよ」 と、さりげなく言うことにしていた。"Just like camping style" である。経験から言えば、これで大抵の場合は理解、あるいは何となく想像してもらえ、「何それ?」 なんてことは一度もなかった。とくに米国人は、子どもの頃に大抵キャンプに行ってるみたいだし。

「欧米人は和式トイレで途方に暮れる」 なんて言われるが、ちょっと大げさすぎる話だと思う。それはきっと、日本人が説明下手というだけなんじゃあるまいか。それに、人間は必要に迫られれば大抵のことは乗り越えられるのである。

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