2019/02/18

「独立双頭峰」 を眺める暮らし

最近 「双頭峰」 という言葉でググってみて、その検索結果にこちらの期待ほどのものがないことに驚いてしまった (参照)。「大辞林」 でも 「双頭」 という項目では 「頭が二つ並んでついているもの。両頭」 なんていう説明しかなく、子項目としても 「双頭の鷲」 があるだけで 「双頭峰」 なんて言葉はまったく無視されている。

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私は高校を卒業する 18歳まで故郷の山形県酒田の地でいつも鳥海山 (「ちょうかいざん」 と読む) を眺めて暮らし、ここ 40年近くは茨城県つくばの地で筑波山を眺めて暮らしている。どちらも日本を代表する双頭峰で、しかも周囲の山並みとは一線を画す独立峰なので、しっかりとインスタ映えもする。

この際、「独立双頭峰」 という造語を提案しておこう。思えば人生の 85パーセント以上を独立双頭峰を望む土地で生きてきたわけで、「この類いの景色によほど縁があるようだ」 と思ってしまう。つくばの地に引っ越して来たときも、筑波山を見て 「ミニ鳥海山かも」 なんて思ったほどだし。

上の写真の、上 2枚が鳥海山 (左は初夏、右は初春)、下 2枚が筑波山 (左が秋、右が春) だ。どれも自分の 「和歌ログ」 に収めた写真である。こうしてみると鳥海山はさすがに 2200メートルを超す山だけに、あまりズームの効かないスマホのカメラで写しても裾野がはみ出し、筑波山はコンパクトに収まっている。

日本を代表する山は富士山ということに誰も異論を唱えないだろう。確かにあのほぼ左右対称の姿は美しいが、鳥海山や筑波山などの双頭峰も捨てがたい魅力がある。非対称の美しさというものも、なかなかのものなのだ。

そう思っていたところ、「富士山 NET」 というサイトの 「富士山の成り立ち」 というページに出会った。このページによると、実は縄文時代までは富士山も 「古富士」 と 「小御岳」 で成り立っていて、つまり双頭峰だったらしいというではないか。

その後に古富士が大噴火を繰り返して噴き出した溶岩が堆積し、今の形の富士山になった。そして今も富士の山腹にある 「宝永の大噴火」 の火口は元の古富士山頂のあったところで、つまり 「双頭峰の名残」 なのだという。へえ、そんなことはちっとも知らなかった。

ということは、うちの田舎の鳥海山も 「新山 (酒田から見て右側の高い峰)」 が大噴火なんかしちゃったら、溶岩流が山全体を覆ってとんでもなく高い山になってしまう可能性がなくもない。あくまでもそんなことにならないことを祈るが。

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2019/02/17

私は 「シャルリー」 でも 「一本気な子ども」 でもない

Newsweak にフローラン・ダバディというフランス人が、「ブラック・ユーモアを忘れた日本は付き合いにくい」 というコラムを書いている。日仏関係はゴーン問題もあって揺れているが、フランス文学界の鬼才、ウェルベックの新しい小説に、日本人をバカにしたような登場人物が描かれているいることに関連し、彼は 「今の日本人は、こんな 『侮辱』 を受け流せるのだろうか......」 と危惧している。

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このダバディという人、「どこかで見たことのある顔」 と思ってしまったが、サッカーで日本代表監督を務めたトルシエの通訳兼アシスタントをしていたと紹介されているので、 「道理で」 と得心した。今は Newsweek なんかにコラムを書いたりしてるのだね。

ミシェル・ウェルベックという作家の最新作 『セロトニン』 関しては、私はまったく読んでいないのでなんとも論評のしようがないが、ダバディ氏によると全体的にはこの作家らしいブラック・コメディ的なタッチであるらしい。そして登場する日本女性を小馬鹿にしたような描写が多々あるのだそうだ。

で、彼は 「この本が日仏関係にとって危険なのは、最近の日仏関係がよくないせいだけではなく、そもそも日本人が風刺の心を忘れてしまったせいです。そしてそれは、フランス人との関係に限らず、国際社会から孤立する原因にもなりうるのです。危機感を抱いたほうがいいと思います」 と述べている。へえ、日本人は今、フランス人にこんな心配をされるほどしゃっちょこばった存在と思われているらしい。

彼は学生時代、日本の 「スネークマン・ショー」 のファンだったそうで、英国の 「モンティ・パイソン」 を連想したりして、「日本とヨーロッパは笑いのツボが一緒」 と思っていたという。しかし残念なことに、「今ではもう日本では通じない斬新過ぎるユーモアになってしまったのかもしれません」 なんて言っている。

彼はまた、2014年の 「シャルリー・エプド」 事件を持ち出している。IS に関して風刺的に描いたフランスの週刊誌、シャルリーの編集者が、襲撃され殺されてしまった事件だ。あの時、西欧社会は ""Je suis Charlie" (私はシャルリーだ) というスローガンのもとに、案外単純に 「報道の自由の侵害」 と捉えたのだった。

しかしこれについて私は 2015年 1月 11日 と 12日の記事で少々疑問を呈している。12日の記事なんかは 「"Je ne suis pas Charlie" (私はシャルリーではない) と言う自由」 というタイトルだ。11日の記事では、次のように書いている (参照

風刺やパロディが単純に 「報道の自由の範疇」 と思っているのは、ある意味、西欧的傲慢である。喩えは悪いかもしれないが、すれっからしの大人が妙に一本気な子どもをブラックジョークで挑発しても、それは洒落にならないのだ。

ダバディ氏は 「昔の日本人はもっと洒落が通じたのに、最近は通じなくなってきていて、ちょっとヤバいんじゃないの」 と言いたいみたいなのだが、今だろうが昔だろうが、日本には洒落の通じるやつもいれば、まったく通じないやつもいる。ある意味、今は通じないやつがかなり大きな顔をしているわけだが。

ただいくらなんでもフランスの現代文学を読むような日本人は、多少は洒落が通じるから、ダバディ氏の心配するほどのことはないだろう。もしいきり立つようなやつがいたとしても、日本人同士でちゃんとなだめてしまうから心配ないと思っていていい。

とはいえ、もっと大衆的なメディアで日本人がブラックジョークの対象にされたりしたら、かなりエラソーな顔をして真剣に憤慨し出す 「一本気な子ども」 みたいなのが出てくるだろう。面倒な話だが、それは確実だ。

取りあえず今日のところは、「私は 『シャルリー』 でも 『一本気な子ども』 でもない」 と宣言しておこうと思う。

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2019/02/16

個々人に最適化したメニュー表示なんかされたら

日経ビジネスが 「客ごとにメニューが変わる すかいらーくの新システム」 という記事を紹介している。すかいらーくは、現在展開中の 「マルチブランドアプリ」 というスマホ向けアプリを使って、それぞれの顧客のデータ履歴から情報を蓄積し、個別に最適なメニューを表示できるようにするのだそうだ。

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各テーブルに置く 「デジタル・メニューブック」 と連動させて、それぞれの顧客に 「オススメ・メニュー」 を表示するという。来店時刻や天候・気温、季節、店舗の立地なども考慮して最適のメニューを提案するだけでなく、客単価を引き上げるために、一定の時間が経てばデザートをすすめるなんて、「余計なお世話」 までするらしい。

要するに 「顧客のニーズにきちんと対応するため」 というよりは、「より効率的で利益率の確保できる仕入れや商品提供を行うため」 ということなのだろうから、下手すると 「つまらないメニューになる」 なんて逆効果だってあり得るだろう。ニュースでは 「プライバシーを見透かされるような居心地の悪さを感じる」 なんて反応まであるらしいし。

ところで私は 2年ぐらい前から肉食を止めたので、外食をしようとすると 「メニューの選択肢がないなあ」 とつくづく感じている。街でレストランに入っても、軒並み肉メインや肉の入ったメニューばかりで、それを避けようとすればパンとサラダぐらいしか食うものがなく。それがいやならば蕎麦屋に入るだけだ。

地方出張の時など、すかいらーくホールディングスの運営する 「ガスト」 みたいな店に入らざるを得ないなんてこともあり、そんな時は煮魚定食ぐらいしか食うものがない。それを繰り返したら、そのうちガストに入っても私向けには、他のメニューが全然表示されないなんてことになるに違いない。

ドリンクバーでもホット・コーヒーを何杯かおかわりするだけで、他の飲み物は飲んだことがないなんていう私のような客が増えると、飲み物の種類が減ったりするのだろうか。個人的にはその方が面倒がなくてありがたいぐらいなのだが、店にしてみれば、運用を間違えると 「両刃の剣」 になるだろう。

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2019/02/15

今どきの 「ぶっきらぼう」

最近若い知り合いに、「転職で面接を受けるんですけど、親戚に 『ぶっきらぼうな態度は直した方がいい』 って言われました。でも、『ぶっきらぼう』 って何ですか? どういう感じなんですか?」なんて質問された。簡単に説明してあげたのだが、彼自身はあまり身に覚えがないようだった。

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確かに彼は、私の前では決してぶっきらぼうという印象はない。もしかして家族や親戚の前だと、ついそんな感じになってしまうのだろうか。それより何より、彼が 「ぶっきらぼう」 という言葉の意味を知らなかったことの方が私には驚きだ。最近の若い人は、こうした類いの日本語に弱いのかもしれない。

上の画像は、LINE STORE で 「ぶっきらぼうなおとこ」 というテーマで販売されているスタンプの一部である (参照)。「めんどくさがりで、ぶっきらぼうな男がダルそうに返事する。温かみのある手描きで使いやすく、とりあえず返信しとくかって時に役立つ! 表情豊かなくせ毛の (ハゲてない) 男」 と説明されている。

「ぶっきらぼう」 というのは、どちらかと言えば無表情なやつと思っていたのだが、最近は 「表情豊かなくせ毛」 という 「ぶっきらぼうの新イメージ」 が登場しているようなのだ、多少は愛嬌を交えないと、ぶっきらぼうも生きづらくなっているのだろうか。

ちなみに 「語源由来辞典」 によると、 「ぶっきらぼう」 は 「打っきり棒」 から転じた言葉だが、それが具体的に何を指すかということに 2通りの説がある。一つは 「水飴を煮詰めて回転させながら、引き延ばして切った白い棒状の飴」 で、その素っ気ない様から 「ぶっきらぼう」 に転じたというもの。

そしてもう一つは、単に 「ぶっ切った木の切れ端」 であるという説。丁寧に切られたものに比べて愛想なく見えるからだという。まあ、どちらも 「ぶっ切っただけ」 ということに関しては共通するから、まあ、そんなところなのだろう。

「ぶっ」 という接頭語は 「打つ (ぶつ)」 が促音化した接頭語なのだそうで、「ぶっきらぼう」 の他にも 「ぶっ飛ばす」 「ぶっ倒れる」 などがある。「ぶち」 の撥音化による 「ぶん」 では、「ぶん投げる」 「ぶん殴る」 などがあるという。「ぶち」 そのものには 「ぶちのめす」 なんてのもあるよね。いずれにしても穏やかな言葉じゃない。

「表情豊かなくせ毛」 ってのは、どちらかと言えば本来の 「ぶっきらぼう」 を多少モディファイした、「21世紀的変化ワザ」 ということになってしまうのだろう。言葉も吟味して使わないと、受け取り方が微妙にずれてしまう可能性がある。

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2019/02/14

年は取りたくないもの

いやはや、1日のうちにショックな出来事が 2つ重なってしまった。年は取りたくないものである。

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今日の午前 10時過ぎにちょっとした休憩として、コーヒーを飲みながら 「大麦ダグワース」 というものを食べていたのである。これは栃木県在住の友人からお土産としてもらったもので、写真からは硬いもののような印象を受けるかも知れないが、実際はフワリとした食感でなかなかイケる。

ところが、このフワリとした食感のダグワースを食べていると、突然ガリリと硬い物が歯に当たった。何かと思えば、なんと 「自分の歯」 である。あまりの思いがけなさに舌で探ってみれば、下の前歯が欠けてしまっているではないか。

漱石の 『吾輩は猫である』 に登場する水島寒月という人は寺田寅彦がモデルとされているが、この御仁は椎茸を食って前歯を欠いていて、小説の中では猫の飼い主、珍野苦沙弥 (「ちんのくしゃみ」 と読む。念のため) 先生とこんな会話をしている。

「その、少し椎茸を食つたんで。椎茸の傘を前歯で噛み切らうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」
「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」

苦沙弥先生が 「俳句にはなるかも知れないが」 などとことさらに言っているのは、モデルの寺田寅彦が物理学者であると同時に随筆家、俳人でもあったからだ。しかしダグワースで欠けてしまっては、恋はおろか俳句にもなるまい。せいぜい川柳だ。

と、ここまで書いたところで、「まてよ、前にもこんなようなことがあったな」 という気がして自分のブログを検索してみると、なんと、一昨年の 8月 23日付で 「桃を食って前歯が欠けた」 という記事を書いているではないか。

桃で欠けたなら俳句にはなったかもしれないが、恋にならないのは今に始まったことではない。しかも一昨年のブログでも、同じように水島寒月のエピソードを紹介している。ここまで来ればもはや 「老いの繰り言」 じみてきて、「また同じ話?」 なんて言われかねない。

ようやくショックから立ち直って近くの歯科医に電話すると、午後 2時半に治療予約が取れた。明日からは出張の予定が入っているから、仕事先で前歯の欠けた姿をさらさずに済むのはとりあえずありがたい。

ところが、ここでさらにショックが重なった。電話予約の際に受付の看護師さんが 「健康保険証を忘れずにお持ちください」 と言うので、念のため自分のカード入れを確認すると、その保険証が見当たらないのである。どこにしまい込んだものか、あるいは置き忘れてしまったものか、皆目思い出せない。まことにもって、年は取りたくないものである。

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急遽、仮保険証みたいなものでも発行してもらえるかと期待して市役所に行ってみると、15分もかからずに仮ではない本物の保険証を再発行してもらえた。近頃はお役所も電子データ化が進んでいるので、こんなことは簡単なのだろう。

ありがたいことだが、「交付年月日」 の欄を見ると、今日の日付の次に、再発行されたものであることを示す 「(再)」の文字がしっかりとあり、「この保険証の持ち主は、結構うっかり者です」 と言外に語っている。とはいえ、最近は年寄りが増えているから、こんな保険証も決して珍しくないのだろうと、自らをなぐさめている。

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2019/02/13

桜田大臣の希有でナチュラルな役どころ

朝一番で仕事に出かけ、昼過ぎに帰宅途中でカーラジオのニュースを聞くと、「桜田大臣が発言撤回」 云々なんていっている。ちなみに 「云々」 は 「でんでん」 ではないのでよろしく。

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「桜田大臣って、あの人?」 と記憶を辿ると、いかにも残念なオッサンの様子がありありと思い出された。昨年 11月の 「哀れなオッサンを責め立てるしかない、政治の劣化」 という記事を読んでいただければわかるが、私はこの人に関しては、単純に責め立てるというような気にはなれず、ただひたすら 「残念なオッサン」 と思うばかりである。

この人が今回責められているのは、例の水泳の池江璃花子選手の白血病報道に関して 「がっかりしている」 なんて口走っちゃったためらしい。「残念に思う」 ぐらいの発言ならここまで責められなかっただろうに、いかにもこの人らしいプリミティブ過ぎるぶっちゃけ表現をしたのがヤバかったんだろう。

で、帰宅してから Google ニュースをのぞくと、やはり平和な日本らしく、この話がトップにきている。朝日新聞の記事の見出しは "桜田大臣、がっかり発言撤回 「今までの分も挽回したい」" というものだ。「今までの分も挽回したい」 というのが何だか泣かせる。

発言撤回に関しては 「配慮を欠いたと思うので」 と述べたらしいが、この人が欠いているのは 「配慮」 以前に 「語彙」 である。単純な話だ。こんなに言葉の不自由な人が、国会劇場の 「お笑い担当」 みたいな役どころで政治家をやっていられるのだから、日本はのどかな国である。

この記事の末尾に 「国民民主党の岡本充功氏に 『なぜ失言が多いのか』 と問われると、『私にはよくわかりません』 と答えた」 とあるのも、まさにこの人らしい。「語彙が足りなくて...」 なんて本当のことを言ったら、変にシラける。

で、今回の 「不適切発言」 に関するニュースなんかは、ただひたすら 「残念」 というほかなく、そこから関連ニュースとしてリンクされている他の話の方が、実はずっと興味深い。こんな具合である。

桜田五輪相サポートへ職員増員 答弁不安 「異例の対応」 (2018年11月14日)

桜田義孝五輪相は 13日の閣議後会見で、自身をサポートする職員を増やしたと明らかにした。国会答弁に何度も詰まったり、間違えたりしたことへの対応とみられる。(中略) 桜田氏は 「国会関係の業務が増加したからだ」 と説明するが、政府内には 「桜田氏の不安定答弁を受けた異例の対応」 (内閣官房幹部) と指摘する声がある。

桜田五輪相 「教室通ったがパソコン覚えるのやめた」 (2018年11月22日)

桜田義孝五輪相は 22日の衆院内閣委員会で、パソコンについて 「教室に行ったが、忙しすぎて覚えるのはやめた。打てなくて不自由を感じたことは一回もない」 と語った。この日はサイバーセキュリティ基本法改正案の質疑だったが、大半はインターネットの初歩的知識や桜田氏の資質に質問が集中し、議論は深まらなかった。

桜田義孝五輪相 「首相目指すのやめる」 根底に英語への劣等感 (2018年12月20日)

「首相を目指すのはやめる」-。桜田義孝五輪相が 20日、2020年東京五輪・パラリンピック大会に向けて多言語サービスを推進する東京都内のフォーラムで、突然こう表明する場面があった。理由をたどると、「言葉の壁」 をめぐる劣等感があったようだ。

いやはや、「じゃあ、これまでは首相を目指していたのか!?」 とツッコまれそうな発言だが、まあ、希有なまでにナチュラルな 「ボケ担当」 なんだから、いいか。ややこしい他意はなさそうだし。

こんな具合だから、"「桜田五輪相はシステムエラー」 海外メディアが皮肉次々" というのは、まさに 「言えてる!」 ということになる。まあ、オリンピック担当ということに関しては、本番までには別の人に交代するから、あまり問題ないよね。どうせ何もしないんだから。

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2019/02/12

「ブレグジット」 と日本

FNN PRIME が 「どこに向かうの? ヨーロッパ」 という連載をしていて、2月 8日付は 「我々はヨーロッパとは違う!…EU離脱支持の奥底に流れるもの」 という記事だった。

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FNN の記事は冒頭に要点が示されることが多いが、この記事の場合は次の 3点だ。

  • イギリスはEUから 「半身」 が離れているような特別な立場
  • 「欧州懐疑主義」 は元来、保守層に根強くある
  • イギリス国民の世代間の 「断絶」 も深刻

そしてこの記事は次のような書き出しで始まる。

「もし日本が中国や韓国と同じルールに縛られて、物事を決める時に彼らの意見を聞かないといけなければ、あなたはどう思う?」 あるイギリス人女性に私が言われた言葉だ。

なるほど。そう言われてみれば、英国人の気持ちが多少わかるような気がしてしまう。「ブレグジット」 してしまうと、英国は EU との貿易や経済交流においてかなり面倒な立場になってしまう。英国人が大陸を旅行するにも大変だろう。それでも保守層を中心に、「我々はヨーロッパとは違う」 という根強い意識が拭い去れないようなのだ。

それを日本とアジアの関係に置き換えて考えてみよう。将来アジア諸国が経済的に発展し、中国、韓国 (もしかしたら北朝鮮と一体になるかも知れず)、タイ、ベトナムなどが連合して一つの経済圏 (Asian Union = AU とか) を構成しようという気運が高まるかもしれず、「100円で 1エイシャ」 なんて通貨単位にならないとも限らない。

そうなるとしたら日本は、英国人女性の言うように、ある程度は 「中国や韓国と同じルールに縛られ」 てしまうことになるだろう。物事を決めるにも、彼らの意向を尊重せざるを得なくなる。そうした事態を、日本人は簡単に受け入れることができるだろうか。

英国保守層が 「欧州懐疑主義」 を根強く抱いているように、日本人の多くも 「アジア懐疑主義」 を抱いている。何を決めるにも中国や韓国との擦り合わせが必要になるとしたら、彼らは確実に憤慨してしまうことだろう。

英国の意識調査では、49歳以下の若い層では 「EU 残留派」 が多数を占め、とくに 24歳以下では 71%と、圧倒的多数を占める。50歳〜64歳の層でも、「離脱派」 は 60%程度なのだから、このあたりを境にして世代間ギャップは大きい。つまり何はともあれ 「ブレグジット」 したがっているのは、かなりの高年齢層が中心なのだ。

一方日本では、少なくとも今の段階で 「アジアとの経済統合」 なんてことを言ったら、若い層でも 「とんでもない!」 という反応が圧倒的多数となるだろう。しかしアジア諸国の経済発展が続いて、世界経済におけるポジションが今より遙かに高くなるとしたら、どうなるかわからない。

何十年先になるかわからないが、そうなる頃には日本経済も英国同様に 「斜陽」 なんてことが言われるだろう。アジア大陸との関係性も、今のような形では継続できないはずだ。

今の 20代は、30年後には 50代になってしまうが、その頃に登場する新しい 20代の日本人は今の状況を経験せずに成長するのだから、「アジアと一体の経済圏を構成する方がメリットがある」 と判断するようになるかもしれない。大きなジェネレーション・ギャップが顕在化してしまうだろう。

今の英国は 「EU からの離脱」 がテーマだが、その頃になったら日本では 「アジア統合経済圏に加わるべきか否か」 (「ブレグジット」 ならぬ 「ジャパネントリー?」) なんていうのが難しいテーマとなるだろう。まあ、私はそんな時代までは生きていない可能性が高いから気楽だが、後に続く世代が間違った判断をせずに済むような空気を醸し出しておく責任はあるだろうと思う。

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2019/02/11

「慣用読み」 という便利すぎる言い訳

一昨日に 「安倍さんの 「勘違い言葉」 に学ぶ」 という記事の中で、「実は読み間違えている漢字ランキング 1位から 10位」 というページを紹介した。このページによると、漢字の読み違えベスト 10 は、「乳離れ」 「貼付」 「続柄」 「礼賛」 「依存心」 「漸く」 「早急」 「間髪」 「代替」 「一段落」 なのだそうだ。

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順に正解を記すと、「ちばなれ」 「ちょうふ」 「つづきがら」 「らいさん」 「いそんしん」 「ようや (く)」 「さっきゅう」 「かんはつ」 「だいたい」 「いちだんらく」 である。私は 2番目の 「貼付」 を 「てんぷ」 と読み違えていたほかは、無難に正しく読めた。「貼付」 はコメント欄を見ても読み違えている人が多いのだろうと思われる。

ただ、最近は 「貼付」 を 「てんぷ」 と読んでも一概に間違いとはされず、ATOK でも 「てんぷ」 と入力して何度かスペースボタンを押せば 「貼付」 と変換される。「ちちばなれ」 で 「乳離れ」、「ぞくがら」 で 「続柄」、「いぞんしん」 で 「依存心」、「そうきゅう」 で 「早急」、「かんぱつ」 で 「間髪」、「ひとだんらく」 で 「一段落」 と変換されてしまうのも同様だ。

「言葉は生き物」 だから、元々は誤読でもそれが一般的になってしまうと、「慣用読み」 という便利な言い訳の元に認めざるを得ないことになってしまうようなのである。

ただ、「漸く」 を 「しばらく」 と読むのは意味の違いからしても認めるわけにいかない。そもそも 「しばらく」 には 「暫く」 という立派な漢字があり、歌舞伎ファンにはおなじみだ (参照)。また 「礼賛」 を 「れいさん」 と読むのも、まだ 「慣用読み」 としてさえ認られていないようだ。

さらにいくら 「慣用読み」 と言っても、 「依存心」 を 「いぞんしん」、「早急」 を 「そうきゅう」、「代替」 を 「だいがえ」 とは、個人的には決して読みたくないし、「一段落」 で 「ひとだんらく」 というのは、他人がそう読むのを聞いてさえ何だかムズムズしてしまう。

このほか、この記事のコメント欄では 「有無」 を 「ゆうむ」、「重複」 を 「じゅうふく」、「憧憬」 を 「どうけい」 と読み違えるなどの例も指摘された。この 3つとも 「慣用読み」 の入力でちゃんと変換されてしまうから癪である。

「じゅうふく」 と読むのは、今や完全に多数派になってしまった気がするが、それでもやはり 「ちょうふく」 と読む方が、「私はまんざらバカというわけじゃありません」 と言外に主張できるし、「憧憬」 を正しく読めたら文学青年を気取れるかもしれない。一方、「有無」 を 「ゆうむ」 と読むのはかなりお恥ずかしいレベルではあるが、「云々」 で 「でんでん」 よりは遙かにましだろう。

ちなみに、上に示した 「PC 電源代替えボタン」 は Yahoo ショッピングでの表示 (参照) だが、Amazon ではさすがに気恥ずかしく思われたのか、「PCケース 電源ボタン リセットボタン 移動可能 ボタン スイッチ」 なんて妙に長ったらしく言い換えられている (参照)。

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2019/02/10

マイナス 10度以下のところでテントで寝ると

ニュースでは 「最強クラス寒波襲来」 と報じられ、読売新聞にそのメカニズムが単純な図解で示されている (参照)。偏西風が南に蛇行したせいで、北極の冷気 「極渦」 が南下して北海道まで降りてきているのだそうだ。というわけで、北海道各地は軒並みマイナス10度以下の寒さとなっている。

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ちなみに私は東北の出身だが、山形県の庄内地方は内陸ではなく海に近いということもあって、それほどべらぼうな寒さにはならない。地吹雪はものすごいが、気温だけをとれば、私の記憶にあるのはせいぜいマイナス 5〜6度ぐらいが一番低い。

昔のこととて家屋の防寒対策はそれほどじゃなく、隙間風だってあったから、高校時代までは自分の部屋で寝ていても寒風で顔が撫でられる実感があった。今のように羽毛布団が出回っていたわけじゃないから、よくまあ、あんなので寝ていたなあと思う。人間の適応能力って、かなりすごい。

ところで、自分が一番寒いところで夜を過ごしたというのは、やはり冬山に登っていた若い頃だろう。山小屋泊まりなんてことはせず、テントで単独行の夜を越していたのだから、我ながら立派なものだ。テントが雪に埋もれるぐらいだと、逆に雪が保温材になって無茶苦茶凍えるような寒さにはならなかったような記憶がある。

奥秩父の標高 2000メートル以上のところで夜を越すと、地上はマイナス 3度ぐらいでも、標高 100メートルごとに 0.6度低くなるといわれるから、マイナス 15度以下まで冷え込んでいただろう。テントとその中の内張り程度の布の中で、結構着込んだまま極寒用寝袋に入って寝るのだが、夜中を越すと寒くて熟睡なんかできない。

そんな経験からすると、マイナス 12度ぐらいまで冷えても、寒冷地モデルの住宅の中でしっかりした羽毛布団にくるまっていれば、それなりには眠れるだろう。ただ、一步外に出れば顔が痛いぐらいの寒さだろうが。

冬山に登っていた頃のことを思い出すと、一晩のうちに新雪が降り積もって、歩くにもラッセルしながら行かなければならない状況だと、「誰か早く出発してくれないかなあ」 と期待しながら辺りを窺う。屈強の冬山慣れした様子のパーティが先に出発してくれると、その後を行けばいいので楽ができるが、他の連中が逆方向に行ってしまったりすると、単独行の私が死ぬ思いでラッセルしなければならない。

だから歩き出しさえすればそのうち暖まってしまうのだが、寝ている間は本当に震えていたなあ。

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2019/02/09

安倍さんの 「勘違い言葉」 に学ぶ

安倍首相が国会で 「総理大臣でございますから、森羅万象すべて担当しておりますので...」 なんて口走ったというので、ネット界隈では 「誇大妄想」 なんて揶揄されちゃってる。確かに、ちょっとまともなセンスがあったら、そんなことコワくて言えないよね。

「おそらく 『森羅万象』 という言葉の意味をまともに知らないで言ってるんだろう」 というところに落ち着きかけていたところで、立川談四楼が 「安倍さんの 『云々 (でんでん)』 はマクラに過ぎなかったんだ」 なんて tweet したもので、昔のことまで蒸し返して盛り上がってしまっている (参照)。

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そういえば 「でんでん」 とか 「立法府の長」 とかいうのもあったよねと、余計なことまで思い出してしまったよ。

ところで、私はどうしてまた、安倍首相が 「云々」 を 「でんでん」 なんて読んでしまったのか、さっぱりわからなかったのだが、今日、頭の中に電気が灯って、「そうか、「にんべん」 が付いたら 「伝」 だから、そう思っちゃったのか」 と思い当たった。わかってみれば、似たような間違いを自分もやっちゃわないとも限らない。気をつけよう。

ちょっと心配になって 「実は読み間違えている漢字ランキング 1位から 10位」 というページを見ると、「乳離れ」 「続柄」 「礼賛」 「依存心」 「漸く」 「早急」 「間髪」 「代替」 「一段落」 の読みは無難に OK だったが、「貼付」 をつい 「てんぷ」 と口走ってしまった。「添付」 じゃあるまいし、正解は 「ちょうふ」 だそうだ。「貼」 の付く熟語なんて他に知らないし、おお、やばいやばい。

そういえば、ちょっと前にチラッとみたテレビ番組に、英単語のスペルを出演者が 1文字ずつ順番に言うクイズがあり、「特別な」 という意味の単語 (special) の最初の文字は "S" だが、2文字目以降は何かという問題だった。そこでオードリー春日というお笑い芸人が、モロに自信たっぷり ”U!" と言い放ち、大コケになっていた。

4〜5文字目以降で間違えるのはありがちかもしれないが、どうも意識的にボケをかました様子にも見えないので、「一体どんな単語と間違えたんだろう。”super” か何かと思ったかなあ?」 と、ずっと不思議だった。

ところがそれも、今回の 「云々 - 伝々」 がわかったついでというか、その勢いで思いがけなくもわかってしまった。「そうか、『ペシャル』 だから、ローマ字式に "su〜" と思っちゃったんだろうなあ!」 と、合点できたのである。なるほど、わかってみれば、ある意味可愛げのある間違いである。

まさに言葉の勘違いというのは誰しもあるもので、妙なところで意図せぬ笑いを取ってしまわないように、「人の振り見て我が振り直せ」 ということなのかもしれない。あれ、こういうのって、「他山の石」 でいいんだったよね。

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