2016/02/13

ゴロゴロ野菜が苦手

まあ、他人にとってはどうでもいいような私事にわたる話で、その中でもとくに馬鹿馬鹿しいことのような気もするが、今日のところはとりたててはかばかしいネタもないので、ちょっとだけ書きおくことにする。

それは 「ゴロゴロ野菜」 が苦手ということである。馬鹿馬鹿しいネタと断っておいて正解だったと思う。とにかく、カレーやシチューに入っている大きめに切った野菜が苦手なのだ。

私は常日頃 「好き嫌いは一切ない」 と公言している。「嫌いで食べられないもの」 なんて一つもない。イナゴの佃煮や蜂の子やヘビの丸焼きみたいなものでも、何でも食べる。よっぽど味付けに失敗したとか、真っ黒焦げを通り越して炭になってしまったとかいう極端なものを除けば、本当に何でも食べる。

しかし好き嫌いというのではなく、「物理的に食べにくくて苦手」 というのがある。それが 「ゴロゴロ野菜」 なのだ。大きな口を開けて大きな野菜を食べるのが苦手なのである。とくに一昨年、顎関節症 (要するに、顎が外れかけたのだ 参照) を経験してからというもの、ますます大きな口を開けるのが苦手になった。あくびをしただけで、今にも顎が外れそうな気がしてしまうのだよ。

まあ、ゴロゴロ野菜が苦手なのは昨日や今日に始まったことではなく、顎関節症を経験する前からのことだった。ウチの家族は私を除いてゴロゴロ野菜が好きなようで、妻が作るカレーやシチューは決まって大きめに切った野菜が入っている。そして私が作ると野菜はすべて賽の目切りなのだ。この点に関しては夫婦で流儀が全然違い、まったくかみ合わない。

娘たちは 「どうしてお父さんがカレーを作ると野菜が小さいの? 大きい方がおいしいのに」 と、いつも言っていた。私としても昔は 「口を大きく開けて食べるのが苦手」 というのをあまり明確に自覚していなかったこともあり、「これが本式なのだ」 なんて言っていたのだが、言ってる当人も言われた家族も、あまり納得はしていなかったのである。

ところが顎関節症を経験することで 「口を大きく開けて食うのが苦手」 とはっきり自覚できてしまった。それで今や、私の作るカレーの野菜がすべて賽の目切りという根拠が周知徹底されてしまったのである。世の中、何が幸いするかわかったものじゃない。

ただ、家族は相変わらずゴロゴロ野菜が好きなので、私用の皿は、食べる前に専用ナイフでメッタメタにカットするということになっている。私としては、自分の皿だけでなく、鍋の中身を全てメッタメタにカットしてしまいたいぐらいなのだがね。

私が大きな口を開けるのが苦手なのは、やはり日本一の地吹雪地帯で生まれ育ったせいなのかなあ。いや、それはあまり関係ないと思うのだが。

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2016/02/12

製造業の国内回帰

"「海外生産が安い」はもう古い、エプソンの国内回帰戦略" という日経テクノロジーの記事を読んで、「そりゃ、もっともだ」 と思った。エプソンによると、「2013年以降、労働集約型の海外工場に比べて、自動化設備を積極的に導入した国内工場の方が労務費の面で安く抑えられている」 のだという。そうなるのはごく自然なことだと思う。同社は次のように説明している。

2012年までは、国内と海外の製品内労務費の差が10倍以上あった。2013年に国内の生産設備の自動化を進め、生産性を10.5倍に向上させた」。この取り組みは組み立てセル間の搬送や除給材といった作業もロボットに置き換えるほど徹底したものだ。

国内の人件費の上昇率は 2~3%。一方、海外での人件費の上昇率が年間で 10~15%である。この結果、同社は 2020年には国内と海外の製品内労務費の差は3.5倍に縮まると見積もる。自動化された国内工場の労務コストはほぼ横ばいなので、国内工場の方が、コスト競争力で大幅に上回ることになる。

さらに国内生産によって経営リスクが排除できること、生産拠点と研究開発拠点を密接に連携させ、知識集約が進められることも大きなメリットになる。こうしたトータルなメリットを勘案すれば、国内生産は海外生産を上回る競争力をもつことになる。とくに最近の中国経済の不透明さは、将来を悲観視するに十分な材料である。

こうしたストーリーは、労働集約型の典型と思われている繊維産業でも可能なことと、私は前々から考えていた。私のキャリアは繊維産業でその大半が形成されているのであろ。

繊維産業の中でも織布や丸編みなどの分野はかなりの部分、装置産業化している。同じ原料と同じ機械があれば同じ製品が生産できるのだ。こうした工場を取材するにつけ、私は 「これならどこで作っても同じじゃん。どうせ同じなら、近い方がいいじゃん」 と思っていた。きめ細かい生産コントロールに対応できる国内工場の方が、有利になる時がくる。

思ってはいたが、本格的にその有利性が表れるには時間がかかるのもしょうがないとも考えていた。その有利性を発揮する前提条件が徹底したロボット生産ということなので、多額の初期投資が必要になるからである。これまで日本の企業はバブル崩壊からずっと続く景気低迷で、それを行うだけの体力がなかった。

しかし今、そのチャンスが巡ってきている。もしかしたら最後のチャンスかもしれない。

定番品ばかりを大量生産するという 「少品種大量生産」 なら人件費の安い国の方の有利性が継続するだろう。しかし 「多品種少量生産」 なら国内生産の方が有利だ。製品の品質管理、出荷コントロールなど、目に見えない部分で国内工場の方がノウハウをもつからである。

徹底したロボット生産が前提なら雇用は増えないので、国内経済への好影響は限定的と思われるかもしれないが、そんなことはない。周辺の品質コントロール、IT 産業、部品産業、ロジスティックスなどが、総合的に発展する。

これまで日本の製造業は、オフショア・ビジネスに過度に傾斜しすぎていたと思う。そろそろ揺り戻しがきてもいい頃だ。その動きは徐々に出始めている。

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2016/02/11

家庭用ビデオが売れないのはもっともな話

近頃、家庭用ビデオカメラが売れないんだそうだ。そりゃそうだろう。動画なんてデジカメやスマホで獲れるんだから、いくら小型化したとはいえ、あんなものを持ち歩く必要はない。

家庭でビデオを撮るケースというのは、赤ん坊やペットのちょっとした可愛い動きを記録するほかは、子供の習い事の発表会とか運動会の記録ぐらいのものだ。言うなればちょっとした自己満足のための 「記録」 でしかない。だったら、デジカメやスマホで十分だ。

本格的なムービーを撮りたいのなら家庭用ではなく業務用の機材が必要になるが、ごくフツーに考えればそんなものが求められる機会なんて滅多にない。だから家庭用ビデオカメラが売れなくなってしまうのももっともな話である。

そもそも自分で録画した動画を繰り返し見る機会なんて、あまり多くない。よほど芸術的な感性に自信があるなら別だが、旅行先で映した動画なんていうのもあまり大した作品にはならない。それよりも何枚かの静止画像を保存する方がずっといい。動画を見るのは時間がかかるが、静止画像なら一覧性があるので楽だ。

ちょっとした 「面白動画」 なんていうのも、見ていられるのはせいぜい 20〜30秒ぐらいのものである。「オチ」 にたどり着くまで 2分や 3分もかかってしまうのでは、そこまで待ってくれる人なんてそうそういない。

こう考えると、一時かなり普及した家庭用ビデオカメラというのは一体何だったんだろうと、ちょっと呆然としてしまう。

ビデオカメラばかりではない。今の時代はスマホで代用可能な商品は売れない。その代表格が紙の百科事典で、これは既にほとんど死に絶えてしまった。そのほか、図鑑、録音機、万歩計、取り付け式のカーナビなどはどんどん市場性を失うだろう。かくいう私も 10年前は 「1台の多機能機より、複数の専用機」 なんていう記事を書いていたのだが、たった 10年足らずで、市場は大きく変わってしまったのである。

今も 70歳以上の人の多くはスマホの多機能性に馴染めず、専用機を持ちたがる傾向が強いが、世代交代が進めば専用機の需要は加速度的に縮小するだろう。需要がなくなれば進化もストップするので、いずれは 「昔は、そんなような機械があったよね」 と言われることになる。

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2016/02/10

「サーモントラウト」 のややこしい事情

ちょっと前からだと思うが、食品の表示で 「サーモントラウト」 というのが気になってたまらなかった。「それって一体何だ? そんな魚、聞いたことないぞ」 と思っていたのである。

ところが手持ちの Wisdom 英和辞書で調べたら "salmon trout" というのがあって、「ウミマス」 という訳語が載っている。ところが 「ウミマス」 というのをあちこち手を尽くして調べても、今イチよくわからない。辞書ってのもいい加減だなあ。

改めて調べてみると、日本でいうところの 「サーモントラウト」 は、いわゆる 「ニジマス」 を指しているのだという。だったらどうして素直に 「ニジマス」 と表示しないのか。一時は消費者庁も 「わけのわからない名前で表示するのは問題だから、フツーに 『ニジマス』 と書いたらどうだ」 と言いかけたようなのだが、最近は沙汰止みになっている。

そもそも 「サーモン」も 「トラウト」 も同じサケ・マスの仲間で、英語圏では一般的に生育の過程で海に下りるのがサーモン、ずっと淡水に留まるのがトラウトとされている。で、私はサーモンは日本でいうところの 「サケ (シャケ)」 で、トラウトは 「マス」 なんだと思い込んでいたのだが、どうやらコトはそう簡単ではないらしい。

水産総合センター北海道区水産研究所のサイトにそれに関する記述がある (参照) 。ただ研究者特有のもってまわったわかりにくいテキストなので、私なりに要点をまとめると以下のようになる。

どうやら古来より日本においては、海に下りるサケマスの仲間は 「サケ」 と 「サクラマス」 の 2種類しかおらず、それらを称して 「サケ」、「マス」 と言ってきたもののようなのである。英語圏の、海に下りるか下りないかによって区分される "salmon/trout" とは無関係の呼称だ。で、古来 「サケ」 の方が高級扱いされてきた。

後年に至り、北海道や北洋方面への漁場の広がりによって市場に 「カラフトマス」 (和名) などが加わった。しかしそれまで 「サケ」 が別格扱いされてきた経緯があるため、「新参者はいっそ 『サケ』 と言っちゃう方が高級っぽいよね」 ってなことで、それらに 「ベニザケ」 「ギンザケ」 などの呼び名を付けて流通させちゃったというのである。とにかく魚の名前のこととて、地方によってもいろいろごちゃ混ぜで区別がややこしい。

いずれにしても北海道産の 「ベニザケ」 ってのは、私の故郷の山形県や新潟県の川を遡上してくる 「サケ」 とは、似てはいても別物だというのである。知らなかったよ。私はサケの中でも北海道産は紅色が強いので 「ベニザケ」 というぐらいに軽く考えていた。で、ベニザケの陸風種 (海に下りないで育ったやつ) が 「ヒメマス」 なんだそうだ。ややこしいなあ。

ここで本来のテーマである 「サーモントラウト」 に戻ろう。これは 「ニジマス」 のことではあるが、いわゆる 「シャケ弁当」 に使っちゃうことが多い。本物のシャケは高いし流通量も限られていいるので、同じような赤い色をしたニジマスが代用品として使われているらしい。

しかしながら 「シャケ弁当」 ということにしちゃってるので、行きがかり上、原材料が 「ニジマス」 とは言いにくい。そこでちょっと英語っぽくボカして、「サーモントラウト」 なんていう日本でしか通じない (いや、日本でもよく通じない) 名前にして表示するようになったようなのだ。なかなかご都合主義である。

とはいえ、単純に 「ご都合主義」 とばかりも言い切れない側面もある。元々の 「ニジマス」 は海に下りない淡水魚だが、「サーモントラウト」 はニジマスを海面養殖 (沿岸の海水を使った養殖) したもので、天然のニジマスとは育ちが違うというのである (参照)。

さらに、シャケは生食できないが、海面養殖のニジマスは生食可能なので、回転寿司なんかで廻っている 「サケの握り」 はみんな 「サーモントラウト」 なんだそうだ。おいおい、知らないうちにそこまで来てたのかい。そういえば、新潟名物の 「鮭寿司」 は、発酵させた押し寿司で、全然別物だしね。

というわけで、「シャケ弁当に使われるマス」  とか 「サケ寿司に使われるマス」 ってなココロなのかどうか知らないが、「本籍は 『ニジマス』 だけど現住所は 『シャケ』 なんで、テキトーに 『サーモントラウト』 とでも呼んでちょうだい」 ってなことになってしまったようなのだ。

こんなような複雑怪奇な事情で、消費者庁としてもあまり固いことばかりも言っていられないと静観しているみたいで、結果として 「うーん、ごにょごにょ……」 となっているのが現状のようなのである。

ああ、本当にややこしい。

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2016/02/09

ANA を選ぶ理由

海外はまた別の話として、国内の出張などで飛行機を使う時には、なるべく JAL は避けて ANA を選ぶようにしている。出雲空港に行く場合などはしかたなく JAL にする (羽田〜出雲間は、JAL しか飛んでないので) が、選べるなら ANA にすることが圧倒的に多い。

それは別に ANA の株を持ってるとか、JAL だと落ちそうな気がするとかいうわけじゃない。単に JAL と ANA を比べると、どちらかといえば ANA の方が居心地いいというだけの、ごく単純な理由からである。

さらにより明快に言ってしまうと、JAL の CA のお姉さん (あるいはおばさん) の、あの己の顔面に自信たっぷりにべったりと貼り付けたような、ことさら度満点の作り笑顔と、「お客様」 を鳥肌が立つような猫なで声で  「うけくせめ」 と発音する言い方が気持ち悪過ぎるからだ。あれこそ望ましいと思っているか、または気にならないという人も確実にいるのだろうが、少なくとも私は居心地悪くてしょうがない。

日本の百貨店とか旅客機とかの業界では、客に対して慇懃無礼なまでに接しなければならないと思い込んでいるフシがあり、サービス係のお姉さんの猫なで声が半ば伝統となっている。その昔、百貨店で 「エレベーターガール」 と称するお姉さん (あるいはおばさん) がいた頃は、「上へ参ります」 を 「うえぇめりめぇっ」 (最後の 「めぇっ」 で裏声にひっくり返る) と発音していたものだ。「うけくせめ」 は、その流れを脈々と引き継ぐ発音である。

この気持ち悪さは圧倒的に JAL の方に色濃く残っていて、ANA の方はかなりマシだ。それで私は飛行機に乗るぐらいのことで背筋がぞくぞくっとしたくないので、できるだけ ANA の方を選ぶようにしているというわけなのである。

だが最近、ANA を選ぶ理由がもう一つあると気がついた。自分でもずっと無意識のままできて、最近ようやく意識化されたことだが。ANA の機内音楽がとても気に入っているのである。離陸前と着陸後に流れる音楽が、とてもいい気持ちにさせてくれるのだ。

この曲のタイトルが "Another Sky" で、葉加瀬太郎さんの作曲だと知ったのはつい最近のことである。道理でいい感じなわけだ。もしかしたら ANA をずっと選び続けてきたのは、この曲で機内から目的地に送り出してもらいたいという理由からだったかもしれない。

この曲を聴くと 「うん、いい旅が始まっているぞ」 という気がするのだよね。音楽の力って、なかなかのものだ。ANA には私が生きている間だけでもいいから、他の曲に変えないでもらいたい。

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2016/02/08

レディー・ガガ、すげぇ!!!

今朝、何気なしにテレビのスイッチを入れて NHK BS1 を見ると、米国のスーパーボウルのオープニング・セレモニーをしているところで、レディ・ガガの米国国歌独唱が始まるところだった。この日の彼女は奇抜な化粧やコスチュームではなく、赤のスーツでシックに決めている。

歌が始まってすぐに、「レディー・ガガ、すげぇ !!! 」 と思った。自分の国の国歌でもないのに、聞いていてこんなに震えるほど感動したのは初めてである。彼女、やっぱり天才だ。聞いている選手も観客も、完全に魅了されている。

今日はもう、これ以上の言葉はいらないだろう。YouTube の動画を見てもらうだけでいい。下のリンクをクリックしてご覧頂きたい。ただ、NFL としては自由にブログに埋め込まれないような措置を講じているようなので、まず画像の 「▷」 をクリックしてから、さらに 「YouTube で見る」 をクリックし、直接飛んでいただくことになる、

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2016/02/07

懐かしのシネサロン

なぜか急に、故郷酒田の 「グリーンハウス」 という映画館のことを思い出した。小さな田舎町の映画館ではあるが、知っている人にとってはとても大きな意味をもつ。その素晴らしさは、あの淀川長治さんが絶賛したというほどのものだった。詳しくは Wikipedia の記事をご覧いただければわかる。

Wikipedia の記事にもあるが、グリーンハウスは昭和 51年 10月 29日の酒田大火の火元となって焼失した。映画館 1軒が消滅しただけではなく、吹き始めていた強烈な冬の季節風に煽られて火は上ではなく横へ横へと広がり、風下の 1767棟が焼け落ちた。繁華街の中心だったこともあり、私の高校時代までの思い出の街並みが、たった一晩で消え去った。

私は中学後半から高校時代に至るまで、グリーンハウスに入り浸った。とくに足繁く通ったのは、客席 14席というミニシアター、「シネサロン」 。正確な金額は忘れたが、当時 200円以下の低額で、田舎の一般の劇場では絶対にかからない、もっといえば都会の名画座でもあまり見られないような、ハイブロウな洋画が見られたのである。

スクリーンの大きさは、畳 1乗より一回り大きい程度のものだったかなあ。私はあのこじんまりとした空間の小さなスクリーンで、昔の名画や、興行的な大成功を収めたわけではないが玄人筋には好評をもって迎えられたアバンギャルドな映画を、毎週のように見ていたのである。思えばませたガキだった。おかげで今でもハリウッド大作とかアクション大作みたいな映画は全然性分に合わない (参照)。

私はこのシネサロンをたまらない懐かしさで思い出す。できることなら、もう一度でいいからあの小さな空間で映画を見たい。そしてその 「もう一度でいいから」 見たい映画は、『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』 にとどめを刺す。

これはペーター・ヴァイスの前衛的な戯曲の映画化で、フランス革命時にジャコバン派に属して過激な共和制を主張していたジャン=ポール・マラーが、シャルロット・コルデーというジロンド派を支持する若い女性に浴槽で滅多刺しに遭って暗殺された事件を描いている。ただしその描き方が劇中劇になっていて、事件当時シャラントン精神病に実際に入院していたマルキ・ド・サドが、この病院の患者たちを俳優として使い上演しているという設定になっている。

とまあ、設定からしてかなりややこしいうえに、劇中劇 (いや、この場合は映画中劇という方がいいかな) の演出がまたとびきり前衛的なので、わからない人にはさっぱりわからなくて、死ぬほど退屈ということにもなるだろうが、演劇好きにはたまらない映画だった。高校生の私は 「こういう演劇に浸りたい!」 と思いながら、わくわくして見ていた。

ああ今どき、あんなに心躍るような前衛的フィルムを、劇場映画として見られることは稀になってしまった。そうした稀なタイプの映画を、もう一度小さなハイブロウなシネマ空間で見たい。私の小さな、しかし途方もない願いである。

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2016/02/06

清原って、一人でメシの食えない男なんだろうな

世間は元プロ野球の清原なんとかが覚醒剤をやっていたという話題でもちきりである。私は元々プロ野球にあまり興味がないし、清原という男も、もしかして一緒に酒飲むことがあっても絶対に話が合わなそうだし、「付き合ったらややこしいことになりそう」 感覚を思い切り発散させているので、完全に別の世界の人間と思っていた。

だからこの件に関しては、ほとんどコメントすることがないようなものなのだが、ひとつだけ言ってしまうと、「清原って、一人でメシの食えない男なんだろうな」 と思ってしまうのである。子分を引き連れて賑やかに飲み食いするのでないと、淋しくてたまらなくなるタイプなんじゃあるまいか。対象的に、桑田の方は一人メシが好きそうだ。

私は人を判断するのに 「一人でメシを食えるか食えないか」 を基準としているところがあって、先月 25日の当欄でも書いている (参照) ように、「一人でメシの食えないやつは、ろくなもんじゃない」 と思っている。その意味で清原は、チヤホヤされているうちはいいが、一緒にメシを食ってくれる子分がいなくなったら、アイデンティティまで喪失してしまったんだろう。

世間では 「スポーツマンは爽やかな男」 と思われているが、当然ながらすべてのスポーツマンがさわやかなわけじゃない。気が小さくて嫉妬深くて、理屈が通じなくて、チヤホヤされてさえいれば機嫌がいいというタイプのスポーツマンは腐るほどいる。

だから体育会系って、人間関係が案外うっとうしいのだよね。私も体育会系に足を突っ込んで生きていた時代があったから、その辺の面倒くささは、うんざりするほどよくわかる。「付き合ったらややこしいことになりそう」 という雰囲気には結構敏感なのだよ。

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2016/02/05

茨城県では選挙カーのウグイス嬢の口跡が悪すぎる

明後日の市議会議員選挙を控え、街中を選挙カーが走り回って、朝からうるさくてしょうがない。さっきはウチの町内を 「くろがね しゅうほう」 という変わった名前の候補の選挙カーがやたらゆっくり走りながら、イライラを通り越して滑稽なほどしつこい連呼を繰り返していた。

「この 『くろがね しゅうほう』 というヤツには、死んでも投票しないぞ」 と思いつつ、ふと窓の外を見ると、その選挙カーが我が家の前を通り過ぎるところだった。まさに喧噪のピークである。ところがその看板をみると、なんと 「ふる○て 智恵子」 という名の候補だった。

その字面を見た上で、改めてよく聞けばそんなように聞こえないこともないが、何気なく聞いている分には 「くろがね しゅうほう」 と耳に残る。安物のスピーカーのボリュームを必要以上に上げているから、音が割れかかって明瞭に聞こえないしね。

致命的なのは、「智恵子」 という名前の語尾を 「こぅ」 と無意味に伸ばしてしまうクセだ。「ちえ」 の部分の発音のあいまいさとも重なって、「しゅうほう」 にしか聞こえない。名字の方も妙に平板に近いアクセントなので 「くろがね」 に聞こえる。このウグイス嬢、口跡悪いにもほどがある。

いくら連呼を繰り返しても、有権者に候補者の名前が正しく届かないのでは意味がない。いや、実は私のように 「こいつには死んでも投票しない」 と思うような人間の方が多いだろうから、逆に届かない方が身のためなのかもしれないが、いずれにしても選挙カーを繰り出すだけ無駄というものだ。

もう一つ気になるのが、「○山×夫でございます」 と連呼する時のアクセントである。ここ茨城県は北関東から福島、宮城にまでつながる 「無アクセント地帯」 と呼ばれるところの真っ只中で、アクセントがメチャクチャなのだ。

「ございます」 というのを 2音目の 「ざ」 にアクセントを置いて、「コバンザメ」 とか 「アノニマス」 とか 「5連勝」 とかと同じ抑揚で言うウグイス嬢が多いので、やたらと野暮ったく聞こえる。そのため、ごく普通に平板に言うウグイス嬢の連呼が妙に都会的に聞こえちゃったりするのも、この地域特有の現象である。

いずれにしても、選挙というものがこれだけ 「なんだかなあ」 と言いたくなるような馬鹿馬鹿しさを感じさせてしまうと、投票率が上がらないのも、もっともという気がしてしまうのだよね。

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2016/02/04

スマホのスクリーンロックは、3割しか設定していない

ジャストシステムの「モバイル&ソーシャルメディア月次定点調査(2016年 1月度)」によると、「スマホのスクリーンロックを設定しているのは 3割、“肌身離さない”は男性で 2割」 ということなんだそうだ。びっくりである。

なにがびっくりかというと、「スマホのスクリーンロックを設定しているのは 3割」ということについてだ。「“肌身離さない”は男性で 2割」 の方は、私も家にいる時はテーブルに置きっぱなしだったりするから全然驚かないが、スクリーンロック (パスワードによる画面ロック) を 3割しかしていないというのは、やはり驚きだ。

私の iPhone の「連絡先」 には、数えたことはないが、多分 1000人以上 (もしかしたら 2000人近く?) の個人情報が入っている。もし私がどこかに iPhone を置き忘れてしまって、スクリーンロックを設定していなかったとしたら、下手するとこれらの個人情報がダダ漏れになってしまう。

そうならないためにも、スクリーンロックぐらいはしておくのが礼儀みたいなものだと思うがなあ。礼儀という言い方がおかしければ、「保険」 と言い換えてもいい。保険料のいらない保険なんだから、設定しておくに越したことはない。少なくとも私は、私の個人情報の入ったスマホにスクリーンロックがかけられていないと知ったら、あまりいい気分ではない。

だがよく考えてみると、スマホを起動する度にパスワード (パスコード) を入力しているように見受けられる人って、そういえば周囲を見回しても少数派のような気がする。「いちいち入力するのが面倒」 なんていう人もいるが、そんなことを面倒がっていたらスマホ操作自体が面倒でしょうがないだろうに。

この記事には "「お風呂に入っているときでもスマートフォンを持って行くことがある」 が 10.2%、「専用のアプリを使用して写真や動画にロックをかけたり、隠したりしている」 が 7.7%" というのもあって、さすがに笑ってしまった。よっぽどヤバい写真や動画を保存してるんだろうね。

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