2018/02/22

旭川から帰ってきた

今朝の早朝の飛行機に乗って旭川まで行き、最終便に乗って帰ってきた。北海道にいたのは日帰りだが、昨夜と今夜は都内に泊まっているので、2泊 3日の日帰りという、妙なパターンである。

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旭川は一面の雪景色だった。朝に着いた時の気温はマイナス 10度だったが、風が弱いので、それほどの寒さは感じなかった。一日中屋外の取材だったが、なかなか楽しかった。そして午後 5時を過ぎた頃からかなりの寒さとなり、空港に着いた頃には震えるほどだった。

写真は、空港から市内に向かうバスから前方を移したもの。とにかく青空と白雪の 2色しかない世界だった。雪の質も乾いて軽いので、握っても雪合戦に使えるような雪玉にならない。内地とは雪質が違っていて、歩くとキュッキュッと鳴る。

無事に帰って来てほっとしているが、何しろ強行軍だったので疲れた。今日はこれにて失礼。

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2018/02/21

韓国カーリング女子チームのややこしい事情

HUFFPOST に 「韓国カーリング女子チーム、全員同じ名字 ⇒ 混乱避けるための秘策が想像を超えていた」 という記事がある。

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韓国カーリング女子チームは、全員が 「金」 という名字なので "Team Kim" と呼ばれているらしい。全員の名前を挙げると、「キム・ギョンエ、キム・ヨンミ、キム・ソンヨン、キム・チョフェ、キム・ウンジョン選手」 ということになるという。で、あまりややこしいので、全員に 「英語名」 を付けて解決しているというのである。

ところがその 「英語名」 というのが何とも珍妙で、「マリー」 や 「ナタリー」 とかではなく、その日に食べた朝食がもとになっている。ざっとこんな具合だ。

キム・ウンジョンは、食べていたヨーグルトの商標から名前を取って 「エニ」、キム・チョヒはチョコレートから 「チョチョ」、キム・ヨンミは 「パンケーキ」 となった。

キム・ソニョンは、片面だけ焼いた半熟の卵・サニーサイドアップを食べたので 「サニー」。お肉が好きなキム・ギョンエは 「ステーキ」 になった。

ちなみに 「エニ」 とか 「チョチョ」 とかというのは、果たして 「英語名」 と言っていいのかなあ。私の耳には韓国人の名前にしか聞こえないが。

こんなややこしいことをするより、単純に名字でなく名前で呼べばいいじゃないかと思ったが、「いや、多分ややこしい事情があって、単純に名前で呼ぶわけにはいかないんだろう」 と思い直した。試しにネットで検索してみたら、「韓国語の名前の呼び方」 というページが見つかった。うぅむ、やっぱりね。

まあ、とにかくややこしくて、ざっと呼んだだけではわかりにくいのだが、まとめるとこんな感じらしい。

  • 相手が親しい、または目下の場合
    相手の名前の最後にパッチムがある場合:아(ア)を付ける
    相手の名前の最後にパッチムがない場合:야(ヤ)を付ける 
  • 相手が親しい、または目下の場合はフルネームではなく下の名前で呼ぶ
  • 야(ヤ)は名前の前には付けない
  • 相手が目上の場合はフルネームに씨(シ)を付ける
  • 役職がわかっている場合は名字に役職名で呼ぶ

とにかく、単純に 「〜さん」 とか 「〜ちゃん」 とか、名前の呼び捨てとかで呼ぶわけにいかないというのである。とくにスポーツの世界は上下関係がきびしいだろうから、呼び方だけで余計な気を使っていたら、試合の戦略に集中できなくなってしまうのかもしれない。とくにカーリングは試合中のコミュニケーションが大切だし。

とにかく、韓国人の名前の呼び方については、ちょっと間違えたら喧嘩になってしまいかねないほどの、厳しい上下関係による 「決まり」 があると指摘するページがいくつも検索される。というわけで、余計な気を使わずに済む 「英語 (?) 名」 を付けたということなんだろう。

それにしても、もうちょっと気の利いた名前にしてもよかったんじゃなかろうかと思うのだがね。

それから、HUFFPOST の元記事でも混乱があるようで、1人は 「キム・チョヒ」 と 「キム・チョフェ」 の 2通りの表記があって、どっちが妥当なんだかわからない。

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2018/02/20

米国の金持ちも辛いのだね

一旗揚げた後は、温暖なフロリダで優雅な老後を過ごすというのが、多くの米国人の憧れる暮らしだと思っていたが、なんとそうは理想通りには運ばないことがあるようだ。自宅の敷地内に突如大穴が開くというケースが相次いでいるらしい。(参照

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記事によると、地面が陥没するメカニズムというのは、「地下にある岩や土でできた層が地下水に浸食され、地中で徐々に陥没していくことで形成される」 とある。秋吉台などの鍾乳洞ができるメカニズムと共通していて、地中に空洞ができたところの上に住宅なんか建てて、足元の地層がさらに浸食されたら穴が開いても不思議はない。

これには 「少しずつ進行する沈下型と、突如として崩落する崩壊型の2種類」 があるというのだが、フロリダでは突如として崩落するタイプの陥没が稀ではないらしい。結構コワいよね。ニュースに添付されたビデオをみると、フロリダ半島の中央部西側に赤いドットで示されたところが多く、これはすべて陥没した土地を示している。こんなところによく住んでいられるものである。

ニュースのインタビューに応じたティナとジョンのファーロウ夫妻の自宅も、あちこちに穴が開いて、家の床や天井にも何本もの亀裂が走っている。ところが、画面に登場する夫妻はあまり深刻な表情ではなく、妻のティナさんなんて、いつも微笑を湛えている。さすが米国の金持ちで、鷹揚なものなのである。

このくらい鷹揚に構えていないと、どうしようもないのだろうね。必要以上に深刻でアンハッピーな顔をしていても、「どうせ金持ちなんだろ」 ってなもんで、あまり同情なんかしてもらえないのかも知れない。米国の金持ちも、つらいのである。

私としては、陥没問題そのものより、このあたりのことに興味を覚えてしまったのであった。

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2018/02/19

来週からは春の気配が感じられるらしい

ウェザーニュースのお天気キャスター、増田雅昭氏によると、冬の寒さが続くのは今週で終わりになるだろうということだ (参照)。長かった冬もようやく先が見えたということか。

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「来週は、『おっ、春が近い』 という暖かさの日が出てきそう」 というのだが、そりゃそうだ。そうでなければ困る。この予報、信じる。裏切られたらかなり辛いだろうが、とにかく信じないではいられない。何しろ 2月は短いから、来週の木曜日はもう 3月 1日なのだよ。梅がどんどん咲き始めてもいい頃なのだ。

関東付近の季節感としては、長らく 2月中旬過ぎれば 「春っぽくなってくる」 という実感があった。ところが最近は冬と夏がやたらと長く、春と秋が短い。11月から 2月までの 4ヶ月は冬で、5月から 9月までの 5ヶ月間が夏。残りの 3、4月の 2ヶ月間が辛うじて春で、秋となると、10月の 1ヶ月しかないという印象である。

いや、もしかしたら、4月の後半はもう夏で、春は 3月から 4月前半の 1ヶ月半だけかもしれない。東日本大震災のあった 平成23年 3月 11日からしばらくなんて、冬の季節風が吹きまくっていた。おかげで原発の放射能が内陸まで入り込むのが最小限で済んだと思っているのだが。

昔は春夏秋冬がきれいに 3ヶ月ずつあって、春と秋を穏やかに楽しめた。ところが最近は天気が極端化していて、モデレートな季節が短くなってしまった。今年もあっという間に春が過ぎて、夏が来るだろう。自然は帳尻合わせしたがるところがあるから、冬が寒かった分、夏は暑くなるんじゃあるまいかと、覚悟を決めている。

いずれにしても、北海道の旭川に行くのは今週のことだから、春の気配なんて期待しないで行くほかないだろう。

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2018/02/18

「きれいなだけの女性」 って、退屈なんだよね

元オリンピック選手のオーストラリア人女性コメンテーターが、平昌オリンピックのテレビ実況中継で、「中国人はみな同じに見える」 と差別的な発言を行なったと話題になっている。当人はパフォーマンスが皆似ているという意味で言ったのだと言い訳しているらしいが。(参照

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これ、かなりナイーブな発言である。ここでいう 「ナイーブ」 とは 「幼稚な」 という意味だ。こんなことを言ったら差別発言として問題になるに決まっているのは、過去の例からも明白ではないか。ただ、私の率直な感想を述べるとすれば、今回のオリンピックの観客席にいる韓国女性の顔の方が、よっぽど同じに見えてしまう。

毎回の 「ミス・コリア」 選考会でも話題になるのだが、韓国女性は整形をするのが盛んらしく、しかもその結果が本当に同じ顔に見えて区別が付かない。で、オリンピック観客席にも似たような 「コリアン・ビューティ顔」 がずいぶんいるのである。まあ、確かに美しい顔立ちではあるんだけどね。

韓国では 「美人の基準」 というのが画一的すぎるんじゃないかと言われている。ただ、「美」 と 「個性」 というのは捉え方が難しく、下手に 「個性的な顔立ち」 なんて言ったら、我が国でも不興を買ってしまうことの方が多いし。

で、結局のところ何が問題なのかというと、要するに 「見た目」 を優先させがちというか、もっと言ってしまえば、女性にあまり 「内面」 を求めないという価値感がいけないんじゃないかなあ。要するに女性蔑視なのだよ、きっと。

私の感覚で言うと、「きれいなだけの女性」 って、退屈なんだよね、悪いけど。まあ、これは 「ハンサムなだけの男」 も同様なわけだが。

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2018/02/17

飛行機にするか、新幹線にするか、エンドレスの議論

神戸、姫路への出張から戻ったばかりである。先月は広島に行って来たし、今月初めは八戸まで行った。海外出張と比べれば全然大したことないが、それでも青森だの大阪以西だのいうのはちょっとした長距離移動である。

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遠くまで旅するとき、飛行機を使うか新幹線で行くかという選択が、かなり議論になる。人それぞれに好みやポリシーみたいなものもあって一概には言えず、エンドレスの議論になりがちだが、私の場合は案外単純で、原則的に本州内の移動だったら鉄道で、北海道、九州に行く場合は飛行機を選ぶ。

ただ、本州内でも新幹線がフルに利用できない山陰に行くときは、鳥取県までなら鉄道だが、島根県だと飛行機だったりすることもある。四国の場合は、香川県は鉄道で行くことも多いが、徳島県、愛媛県、高知県なら飛行機だ。ただし、遠方でも途中で寄り道する用があると、鉄道を乗り継いで 3日がかりで長崎に行ったりすることもあり、そんな時にはさすがに腰にきてしまう。

一番議論の分かれるのが広島あたりに行く時で、私がいつも新幹線を利用すると言うと、「暇だなあ、飛行機の方がずっと短時間で行けて、早割を利用すれば運賃だって安いのに」 と言う知人が何人もいる。まあ、確かにそれはその通りだ。

しかし私はなにしろ茨城県の片田舎在住なので、羽田空港まで行くだけで結構時間がかかるのだよ。東京駅までの方がずっと気が楽だし、東北、上越新幹線なら上野から乗れる。それに飛行機は搭乗手続きもあるし、実際に乗り込むのに 1列に並んで延々と時間がかかったりする。実際に飛んでいる時間は短くても、その前後に要する時間を考えると、決して圧倒的に短時間で済むわけじゃない。

それに、飛行機の場合は地方に行くほど便数が少ないし、鉄道の方がまだフレクシブルに移動できる。さらに、急に出張が決まることも多いので、いつも早割が利用できるわけでもない。そんなこともあって私としては、北海道や九州でなければできるだけ鉄道にしたいのである。それに鉄道は飛行機と違って、落ちて死ぬこともないしね。

来週は旭川に行くし、来月は北九州に行く。旭川に行く飛行機の便は既に予約したが、北九州ぐらいだったら、関門トンネルを潜って鉄道にしたい気もするのだよね。どうしようかなあ。

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2018/02/16

極寒の土地から、生きて帰りたい

神戸に出張している。今夜前泊して明日中に仕事を終え帰る予定だ。先月下旬にも大阪に出張したが、その時は米原付近は完全に雪野原だった。今回はかなり解けていて、写真にあるように北の斜面が少し白くなっている程度である。

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日が暮れても、先月ほどは寒くない。ただ、これで寒さはおしまいというわけではなく、天気予報のサイトを調べてみると、「週明け 関東で雪予想 降る時間と影響」 なんてことになっている。ちょっとイヤな感じだ。

私は来週半ばに、なんと北海道の旭川に出張の予定があるのだよ。旭川といえば、1902年 1月 25日と、100年以上前の話だが、マイナス 41度という日本の最低気温を記録した土地である。富士山頂よりまだ寒い記録だ。今回は立春過ぎだからそんなにべらぼうな寒さにはならないだろうが、かなりコワい気がする。

ウェザーニュースのサイトで調べてみると、来週半ばの旭川は、最高気温がマイナス 6〜7度 (最低気温ではなく、最高気温だよ)、そして最低気温はマイナス 13度になると表示されている。いやはや、一体どんな格好をして行ったらいいのだろう。

とにかく生きて帰りたいものである。

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2018/02/15

「かんばしい」 と 「かんばせ」 は別々の成り立ちの言葉

「元々からして別の言葉なんだろうな」 と思いつつも、敢えてきちんと調べてみたことのない言葉に、「かんばしい」 と 「かんばせ」 というのがあった。とくに 「かんばせ」 の方は死語になりつつあると思う。

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改めて辞書にあたってみると、「かんばしい」 は次のように出ている。

かんばし・い 【芳しい/×馨しい/▽香しい】 の意味

[形] [文] かんば・し [シク] 《「かぐわしい」の音変化》
1  においがよい。こうばしい。「―・い花の香り」 「栴檀 (せんだん) は双葉より―・し」
2  (多く打消しの語を伴って用いる) 好ましいもの、りっぱなものと認められるさま。「成績が―・くない」
[派生] かんばしげ [形動] かんばしさ [名]
類語  香ばしい (こうばしい) かぐわしい

一方、「かんばせ」 はこうだ。

かん‐ばせ 【▽顔】 の意味

《「かおばせ」の音変化》
1 顔のようす。顔つき。容貌 (ようぼう) 。「花の顔」
2 体面。面目。「何の顔あって父母にまみえんや」

いずれも Goo 辞書からの引用だが、「かんばしい」 は 「芳しい」 と表記するように、「においがよい」 というのが元々の意味で、「香ばしい (こうばしい) 」 「かぐわしい」 が類語になっている。「栴檀は双葉より芳し」 というのは、元々の意味に沿っているが、「好ましい」 という一般的な意味の場合は 「成績がかんばしくない」 「かんばしい結果ではない」 などと、もっぱら否定形で用いられることが多い。

そして 「かんばせ」 という語の漢字表記は 「顔」 になるというのを、今回調べてみて初めて知った。「顔つき」 「体面」 の意味がある。用例としては、芭蕉の 『奥の細道』 で、松島の様子を 「その気色 (けしき)、窅然 (えうぜん) として美人のかんばせを粧 (よそほ) ふ」 というのがよく知られているが、最近では 「花のかんばせ」 以外の用例を知らない。

「かんばせ」 がほとんどいい意味で用いられるので、「かんばしい」 の名詞形が 「かんばせ」 のような気がするほどだが、実際は語源も違っていて、まったく別の言葉というのが確認された。そして近頃では 「かんばしい」 が否定形の中で生き残っているものの、「かんばせ」 の方はどんどん死語になっていくのだろう。

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2018/02/14

松井須磨子の歌、下手っ!

先日妻との話の中でなぜか 「『カチューシャの唄』 ってどんなんだっけ?」 という話になり、「『リ〜ンゴ〜の花ほころ〜び、川面〜に霞み立ち』 でしょ」 とやったら、「それはロシア民謡の 『カチューシャ』 で、『カチューシャの唄』 は松井須磨子の歌よ」 と言う。

『カチューシャ』 と 『カチューシャの唄』 は、明確にタイトルも違っているというのを、この年になって初めて知った。さらに 『カチューシャの唄』 の方は、「カチューシャかわいや、別れのつらさ〜」 以後の歌詞もメロディも知らないということに、改めて気付いたのだった。

さて、どんな歌だったんだろうと YouTube で検索したら、「復活唱歌 (カチューシャの唄)  ~松井須磨子~」 というのが出てきた。「へえ、こんなのが残ってたんだ!」 と驚いて聞いてみたのだが、思わず 「下手っ!」 と吐き捨ててしまったのである。

まあ、上の画像をクリックして聞いてみれば誰でもわかると思うが、単に口先でつぶやいているような発声で、モロに音痴ってわけでもないのだが、音程もかなりアヤシい。 「日本初の歌う女優」 と言われる松井須磨子って、この程度のものだったのか。

あまりのことに、同時に検索された 『ゴンドラの歌』 の方も聞いてみると、初めの方に芝居のセリフが入っているというオマケがついていたものの、歌になってみると 『カチューシャの唄』 に輪をかけた下手さ加減である。その後に入っている森繁久弥版の方が何倍もいい。

「にっぽんの旧聞」 というサイトに "駄作 「マッサン」 と 「ゴンドラの歌」  (1)" というページがあり、そこに 1968年 1月 12日付朝日新聞からの次のような引用がある。孫引きになってしまうが、紹介しておこう。

「ひどい声でしたね。親父の佐藤紅緑が帝劇に作品を出していた関係でお須磨さんの舞台はほとんど見ましたがね。まるで歌にもなんにもなっていない」 —— サトウハチロー氏
「まるっきり落第です。お須磨さんという人は一種のオンチじゃなかったかと思うんです」 ——時雨音羽氏。悪評さくさくである。

とまあ、こんな具合だ。当時から 「松井須磨子の歌は下手」 と認識されていたらしい。それでも絶大な人気だったというのだから、世に 「最近のアイドルたちの歌は、下手すぎる」 と嘆く御仁が多いが、アイドル (的な存在) の歌なんて、今に始まったことじゃなく、昔から下手と相場が決まっていたのかも知れない。

改めて興味が湧いて、今度は佐藤千夜子の歌を聴いてみようと探してみた。「日本初のレコード歌手」 で、『東京行進曲』 の大ヒットでも知られる存在である。それもすぐに見つかった。こんなのである。

う〜む、東京音楽学校 (現・東京芸術大学) に在学していたという割には、「へえ、この程度のものなの?」 という印象である。音源の質の悪さを割り引いたとしても、特別うまいわけでもなんでもない。今の芸大には絶対に入れない。

いろいろ考えてみたが、昔の日本人というのは西洋音楽に馴染みがなくて、音符を読める人も稀だったのだから、この程度の歌でも、ずいぶんハイカラで上手に聞こえてしまったのかもしれない。うむ、きっとそうなのだ。多くの人は民謡や小唄なら歌えても、西洋音階の歌は 「毛色の変わった別物」 だったのだ。

それを裏付けるように、彼女の 『須坂小唄』 というかなり日本調の歌を聴くと、『東京行進曲』 なんかよりもずっと生き生きと歌っているように聞こえてしまうのだ。まさに 「日本人の血」 のなせるわざである。

日本人の西洋音楽感覚がまともにこなれてきたのは、佐藤千夜子以後のことなのかもしれない。彼女が途中でイタリアに渡り、1934年に帰国してみると 「日本国内での復帰を目指すが、若手の台頭などもあり、果たせず終わる」 と Wikipadia にある (参照) のも、そうした事情があるのだろうと察せられる。

佐藤千夜子以上の歌をフツーに歌える人材は、短期間のうちにいくらでも出てきたのだ。老人たちが 「昔の歌手は、基本ができていてうまかった」 なんて繰り言を言うのも、彼らの聞く耳ができていないというだけのことという可能性も大なのである。

昔の日本人が西洋音楽をまともに歌えなかったというのは、もしかしたら、今の若い連中が和音階の歌、例えば小唄や都々逸をまともに歌えないことの裏返しなのかもしれない。

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2018/02/13

「雪道で滑ったら前に倒れろ」 という無理難題

先日の大雪の時、自宅でシコシコ仕事をしながらラジオを聞いていると、雪道での転倒事故が相次いでいるというニュースが流れた。米国でも、滑って転ぶのは障害事故原因の多くを占めるという (参照) から、大きな問題だ。なにしろ、シロクマでも滑るときは滑るというのだから。

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転倒事故多発のニュース受けた番組進行役の男性パーソナリティ (とくに名を秘す) は、「雪道では後ろに転ぶと、尾てい骨や後頭部を打って大怪我することがありますから、転ぶならできるだけ前に転ぶようにしてください」 と、いかにももっともらしく呼びかけている。これだから、トーシロは困る。雪道で咄嗟に前に転ぶことができたら、誰も苦労しない。

一体どうやったら、雪道で滑って前につんのめることができるというのだ。雪道での転倒は、ほとんど後ろにひっくり返ってしまうものなのである。たとえ注意して歩いていたとしても、転ぶときは大抵尻餅ついてしまう。前につんのめってアイスバーンに顔面強打したなんて話は、聞いたことがない。

これはもう、物理的な道理なんだからしょうがない。前に出した足がツルンとすべり、そのベクトルを維持したまま前の方に跳ね上がるから、残された体は当然のこと、後ろにひっくり返る。前に転ぶというのは滑った場合じゃなく、何かに躓いた時である。原因としては正反対なのだ。

それだからこそ、「雪道では滑らないように、足の裏全体を着くように歩きましょう」 というのである。これ、経験がないとあまりよくイメージできないかもしれないが、要するに、凍った地面に足全体を真上から着地させるようにすればいいということだ。

真上からおろせば、たとえビミョーにスリップしても大きなベクトルが働かず、少なくとも足が前に跳ね上がるなんて最悪の事態にはつながらない。いくら足の裏全体をついていても、滑らすような歩き方をしていたら、転ぶときは転ぶ。

というか、そもそもの話をすれば、都市人間は底がツルツルの靴なんか履くからいけないのだ。クルマでも 「ノーマル・タイヤじゃなく、スタッドレスに換えましょう」 と言われるのに、底が文字通りツルッツルの靴で雪道に出たら、そりゃ、どんな歩き方をしても滑るさ。お洒落っぽい靴を履いた女性なんか、ちょっとした雨でもタイル床で滑りまくってる。

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