2016/08/24

「湖」 と 「沼」 の違い

日本一大きな湖といえば、誰もがご存じの琵琶湖だが、2番目は私が居住する茨城県の霞ヶ浦である。私が子どもの頃は霞ヶ浦は 3番目で、2番目は秋田県の八郎潟だったが、これは干拓されて陸地になってしまったので、霞ヶ浦が格上げされたのである。

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さらに 3番目は北海道のサロマ湖で、4番目は福島県の猪苗代湖、5番目が島根県、鳥取県の中海 (なかのうみ) ということになっている。こうしてみると、八郎潟を加えた 6つのうち、「湖」 という名の付くのは半分の 3つしかなく、あとは 「潟」 「浦」 「海」 となっている。同じ湖でもいろいろな呼ばれ方がされている。

私の住む茨城県南西部から千葉県北東部の地域では、牛久沼、手賀沼、印旛沼など、「沼」 という呼称が一般的だ。その他にも 「池」 という言い方もある。さて、「湖」 「沼」 「潟」 「池」 「浦」 という呼称の違いって、どういうことなんだろうか。

「違いがわかる事典」 というサイトに、"「池」と「沼」と「湖」と「泉」と「沢」と「潟」の違い" というページがある。それによると、こんな感じだ。

泉は、「出づ水」が語源であるように、地中から水が湧き出るところを意味し、池や沼、湖などのように水が溜まったところを表していない。

潟は、海の一部が砂州によって外海から分離されてできた低地に水が溜まったところで、海水が混ざっていて、潮の満ち引きによって現れたり隠れたりする。

残りの 「池」 「沼」 「湖」 「沢」 に厳密な違いはないが、大きさ・深さ・植物の有無などが目安となって一応の区分がなされているという。こんな具合だ。

沢は、低地で浅く水が溜まり、アシやオギなどの植物が茂っている湿地である。また、山間の比較的小さな渓谷も 「沢」 という。

池は、自然のくぼ地に水が溜まったところや、地を掘って人工的に造ったところ。ふつう、沢よりも大きく深いが、沼や湖よりも小さく、水深 5m以下のところをいう。水中植物はあまり生えていない。

沼は、池よりも大きく、湖よりも小さいところ。水深は池と同様に 5m以下であるが、フサモ・クロモなどの水中植物が繁茂し、泥土が多い。

湖は、池や沼よりも大きく、水深  5m以上のところをいう。ふつうは自然にできたところを指すが、ダムなどの貯水池を 「人工湖」 「人造湖」などと呼ぶように、人工的に造られた湖も存在する。

というわけで、大方のイメージにあるように、一番大きいのが湖で、沼はその次に大きいけれど泥っぽい感じ、池は人工的なもので、沢はちょっと水の溜まった湿地ということのようだ。私は山登りをしていたので、「沢」 というと山の中の渓谷というイメージの方が強かったのだが、一般的にはそうじゃないらしい。

また初めに触れたように、我が家の近くでは牛久沼、手賀沼、印旛沼など、「沼」 というのが多いけれど、見かけとしては十分に 「湖」 といっていいほどのものだ。まあ、関東は古くは文化果つる 「東国」 だったから、泥臭く 「沼」 ということになっているのかもしれない。

霞ヶ浦の 「浦」 に至っては、上述のページにも説明がない。これなんか、大昔の海とつながっていた時代からの記憶による名称なのかもしれない。行ってみればわかるが、本当にもうちょっと行けば太平洋という感覚なのだ。

こうしてみると、参照したページにあるように、"上記はあくまでも目安で、規模や形態が 「湖」 であっても、固有名詞では 「池」 や 「沼」 となっていたり、「池」 のようなところが 「沼」 と呼ばれていることもある" ということで、名称というのはその土地の文化的背景に左右されるのだろう。

これで思い出したのが、JAS 規格による乾麺の 「うどん」 「ひやむぎ」 「そうめん」 の違いで、こんな感じだ。

うどん 長径1.7mm以上
きしめん 幅4.5mm以上  厚さ2.0mm未満
ひやむぎ 長径1.3mm以上 1.7mm未満
そうめん 長径 1.3mm未満

単純に太さによる分類になっているが、本来の麺文化からすれば、そんな機械的なものじゃないというのは、ちょっと調べてみればわかることである。湖や沼というのも、そんなようなところあある。

(冒頭の写真は、大津から見た琵琶湖の風景)

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2016/08/23

「指紋認証」 というものについて

10年前にも書いたように (参照)、私はこれでも 「家事をする夫」 である。繰り返して書くが、炊事、洗濯、掃除、ボタン付け等々、一通りの家事は、そつなくこなせる。結婚当初は、妻に米の研ぎ方を教えたほどだ。

「妻が病気で寝込むと、メシを食うにも着替えをするにも困る」 なんてことを妙に自慢げに言う、一世代前の甘ったれた男とは違うのである。というか、別に妻が寝込まなくても、少なくとも自分のことは自分でやるのがフツーと思っているのだ。

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というわけで、洗濯も当然ながらフツーにするのだが、先日、漂白剤を使う時にちょっとしくじって、原液をたっぷり指にひっかけてしまった。すぐに水で流したので、皮膚がダメージを負ったわけではない。しかし指先の指紋がちょっと溶けてしまったようで、ずいぶんぼやけてしまったのだ。

この程度では痛くも痒くもないので、日常生活の支障はまったくないのだが、一つだけ不便なことがあった。iPhone のログインをする時に、「指紋認証」 ができなくなってしまったのである。フツーに見ても指紋が完全に消えてしまったわけではないので、大丈夫と思っていたが、どうしても認識してくれない。

幸いなことに私は iPhone の設定で、指紋認証をする指を 1本だけでなく、左右の親指と人差し指の 4本分登録しておいたので、別の指でログインできた。もしそれができなくても、フツーにパスコードを入力すればいいので問題はないのだが、指紋認証に慣れてしまうと、パスコード入力だけでも妙に面倒に感じるものである。

というわけで、iPhone の指紋認証は、少なくとも左右の複数の指の指紋を登録しておくことをオススメする。とはいえ、指紋というのはなかなかしぶといもので、2日後にはしっかりと復活して、ごく当たり前に指紋認証できるようになった。

昔呼んだ探偵小説で、自分の指紋を消してしまった犯人が安心して手袋をはめずに犯罪を犯したものの、消したはずの指紋が知らぬ間に復活していて、あっさり御用になるというパターンがあった。これって、かなりオマヌケなストーリーで、探偵小説としてもレベルの高いものとは言えないよね。

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2016/08/22

台風 9号の接近と、関節痛

台風 9号が関東直撃コースを辿っていて、ここ、つくばの地も朝から大荒れだ。そして昼を過ぎて風雨はさらに強まっている。我が家の裏手を流れる川は、流れの幅がいつもの 3倍ぐらいになり、土手の草も大きく揺れ動いている。

東北生まれの私は、18歳で上京するまで台風をまともに実感したことがなかった。昔は東北直撃の台風なんて滅多になく、たまにあったとしても、九州や四国で体力を使い果たしてよれよれになったようなやつばかりだった。「台風が東北に上陸」 なんていうニュースに身構えていても、よくわからないうちにいつの間にか通り過ぎていたのである。

関東に居住するようになって、ようやく台風というものを実感するようになったが、それでも九州や四国に上陸する 「現役バリバリ」 みたいな台風と比べれば、それほどのことはなかった。ところが最近、様相が変わってきて、台風が時々、南の海上から直接関東に狙い澄まして来たりするようになっている。

今回の台風 9号がまさにそれで、もっといえば、11号なんかは東北北海道を直撃するという、昭和の頃だったら考えられないようなコースを辿っている。これって、地球温暖化と関係があるのかしらん。いずれにせよ、まったく無関係ということはあるまい。

今日の午前 10時頃に仕事関係で東京都心に電話したところ、「こちら、ものすごい雨風ですよ。これがおっつけそっちに行きますから、覚悟しといてください」 と言われた。その頃には既にこちらも十分暴風雨だったのだが、正午を過ぎると雨も風もさらに強まって、一瞬ゴォーっと音がすると、家が揺れたりする。

まあ、これも夕方頃までの辛抱らしいから、それまでは家を出ないでおとなしくしていようと思っているのだが、一昨日辺りから階段を上る時、古傷の右膝が急に痛み始めた。時々雨が降り出す前にちょっと痛みを感じることはあったが、ほとんど気にならない程度のものだった。しかし今回のはかなり痛い。

ものの本によると、天気が悪くなるに連れ、気圧が下がり始めると痛むというケースが多いらしい。とすると、私の膝は一昨日から台風の接近を感知していたものと思われる。しかもいつもの何倍もの痛みなので、今度の気圧低下は、台風だけにかなりのものであると、私の膝関節はしっかりわかっていたようなのである。

台風が遠ざかり、気圧が上がり始めればウソのように痛みが消えることは経験則で知っているので、今はそれを待っている。もうすぐだろう。

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2016/08/21

平幹二朗さんにはなんの恨みもないが

今日は話題が夏枯れ (オリンピックにはあまり興味ないし) で、どうでもいいお話。

カーラジオを聞いていたら、若い女子アナが番組予告で、「本日は平幹二朗さんがゲストでおいでです」 と言っていたのだが、その言い方が 「ひらみき・じろう」 という名前のように聞こえたのである。どうやら平幹二朗を知らないようなのだ。

「へえ! 時代は変わったものだなあ」 と思ったのだが、よく考えてみると、私も平幹二朗ってどんな顔だったか思い出せない。無理矢理思い出そうとすると、『天保水滸伝』 の平手造酒 (ひらて・みき) のイメージが浮かんできてしまい、さすがに 「いやいや、これじゃないよね」 となって、「俺って、古いのか、新しいのか、どっちなんだ?」 と自分でもおかしくなる。

平幹二朗って、歌手じゃなくて、俳優だったはずだとは思うのだが、どんな役どころのヒット作があったのかも、よくわからない。ただ、「ひらみき・じろう」 じゃなくて 「ひら・みきじろう」 のはずだという確信に近いものがあるだけである。

私はこの若い女子アナほどの 「若年層」 ではないが、平幹二朗に馴染んでいるような 「老年層」 でもないようなのだ。嬉しいような面はゆいような、妙な感覚である。帰宅してからインターネットで検索してみるにあたって、まず、どんな顔だったか思い出すために、画像検索すると、こんな顔だった。(写真は、MEG より)

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ありゃ、なんだか想像してたのと違うなあ。さらに Wikipedia で検索すると、ドラマ 『三匹の侍』 とかのほか、シェイクスピア物の舞台にもいくつも出ているようなのである。ふぅん、そういえばそんな気もする。

で、さらに検索すると、元の奥さんが女優の佐久間良子で、一時離婚ネタで週刊誌を騒がせていた時期があったらしい。ああ、そうか。それで、電車内の週刊誌吊り広告の見出しで、この名前は字面だけでお馴染みだったのだ。そしてそんなネタの字面だけで知っていたから、どんな顔だかも、代表作がどんな役柄だったかも知らずにきたのだ。

私はワセダ文学部の演劇学科出身のくせして、実はこの分野にはまるで疎いのだよね。「ひらみき・じろう」 と言っちゃう女子アナと、あまり変わらないのかもしれない。で、平幹二朗さんには何の恨みもないが、つい妙なネタにさせてもらったのである。

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2016/08/20

「美白」 と 「異白」

電車などで見かける日本女性の肌が異様に白い。まあ、それほど異様でもない女性だっていくらでもいるわけなのだが、ざっとした印象では 3分の 1 近くが異様な白さだ。

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この夏の時期に半袖やノースリーブで腕をむき出しにしているのだから、フツーにしていたら少しも日に焼けないはずはない。それでもあんなに白いのは、よほど神経と金を使って 「美白」 に努めているのだろう。ご苦労なことだ。

この夏、仕事で 5日間滞在した京都は外国人観光客がやたらに多いのだが、日本女性の多くは白人よりずっと色白で、どっちが 「白人」 だかわからないほどである。もはや 「美白」 というより 「異白」  (異様な白さ) という造語で表現したい領域で、いくら  「色の白いは百難隠す」  なんていっても、ちょっと気味悪いほどだ。まあ、これは好きずきの問題だから、個人的印象を述べているだけで、いい悪いで言っているわけでは全然ないのだけどね。

一方、「いわゆる白人」  の欧米人種の多くは逆に  「日焼け好き」  のようで、小麦色の肌を惜しげなくさらす。欧米の公園の芝生で寝転がって太陽を浴びているのは 99% 白人で、それは 「人種のるつぼ」 といわれるニューヨークのセントラルパークでも例外ではない。

私は白人というのを  「芝生を見ればゴロゴロ寝転びたがる人種」  と思っているほどで、せいぜい腰を下ろすぐらいの日本人とは大きな違いだ。白人の故郷のヨーロッパは太陽光が乏しいから、少ない日差しを最大限に浴びたがるという説もあるが、南欧なんか太陽燦々だから、全面信用するのもなんだか憚られる。

日本でも 1970〜80年代には小麦色の肌がもてはやされた時期があったが、ここしばらく、少なくとも  10年以上はずっと  「美白」  の天下である。美容の世界では  「日焼けはお肌の大敵」  といわれているらしいが、何しろこうしたトレンドは大抵  「気分の問題」  だから、またいつ  「小麦色志向」  に変わるか知れたものではない。

近頃では私なんかも、こんな風な極端な美白志向に違和感を覚え始めているほどだから、トレンドの変わり目はそう遠くないかもしれない。

ちなみに私は、炎天下でも自転車で走り回ったり、庭や土手の草刈りをしたりしているので、今は結構日焼けしている。ただ、海に行ってないので、二の腕と太腿にしっかりと日焼けの境目ができてしまってるのだよね。

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2016/08/19

混雑時は、メシ食い終わったらさっさと金払って店を出ようね

先日出張先で昼飯を食おうとして店に入ったら、隣に座ったカップルがそれぞれ自分の iPhone をのぞき込みながら四方山話をしていた。そのうち、女性の方がこんなことを言い始めた。

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「最近、送ってもらったはずのメールを受け取れないんだよね。『容量不足』 とか表示されちゃってさぁ」

iPhone が容量不足になるほどのメールって、どんなに重いメールなんだと思っていると、彼氏の方がこう言う。

「お前、写真とか溜めすぎてんじゃない? 要らないの整理したら? 俺なんか、専用アプリ使っていつも要らない写真削除してるよ」
「あ、それよさそう。私も使っちゃう。何ていうアプリ? アブないやつじゃないよね」
「そんなアブないの入れてるわけないじゃん。試してみな」

とかなんとか言って、彼女は App Store にアクセスし、彼氏に教えてもらった、何とかいうアプリをインストールしようとしている。私はそばでそのやり取りを聞きながら、メールも受け取れないほどの容量不足なのに、新しいアプリなんか入るのかなあと思っていると、なんとかギリギリインストールできたらしく、さっそく操作している。

「あれ、ヤバいよ〜。あたしの iPhone、ストレージの使用率が 98%とか言ってるよ〜!」
「え〜、それ、ひどすぎ! よく動いてたよな!」

どうでもいいが、私もそばで聞いていて驚いた。よくまあ、それだけため込んでいたものだ。そしてもっと驚いたことに、昼時の混雑時に注文の品をとっくに食べ終わった様子なのに、食後のコーヒーを注文するでもなく、iPhone のストレージに隙間を作る作業を始めている。こいつら、一体どういう了見なんだ?

「あ、何だか同じような写真が一杯あるから、それ削除していいかって聞いてきてる」
「どんどん削除しなよ。少しでも容量を確保しなきゃ」

いいから、もうそれ、金を払って、店を出てからやったらどうなんだ?

この 2人、後から入った私が食事を済ませて出てくる時も、まだ延々と写真の削除作業を続けていた。まあ、びっくりである。あれじゃ店もたまったもんじゃない。

そもそも、iPhone の中の写真なんか、マメに PC に移しておけば、そんなクリーナー・アプリなんか使う必要もないと思うんだけどなあ。あるいは PC 持ってないなら、iCloud にセーブしておけばいいのに。

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2016/08/18

カローラというクルマについて

先日ある地方都市に出張した際に、駅前でクルマでピックアップしてもらった。前もって電話で到着時刻などの打ち合わせした時、先方は 「クルマで迎えにあがります。こちらのクルマの車種はカローラです。色はグレージュ」 とおっしゃる。

「えぇと、グレージュって、どんな色ですか?」
「グレーとベージュの中間色です。まあ、無難な色ですわ」

「カローラ」 と聞いた時、私としては、「へえ、まだカローラって車種は生きていたんだ!」 と驚いた。もう生産終了したのだと思っていたが、どっこい、まだ健在だったようだ。ただ、色はなんとなくわかったが、私は最近のカローラの形を知らないから 「どんなのかなあ」 と自信なかった。

でもまあ、ものすごく無難な形のセダンなんだろうと想っていたところ、確かにその通りで、この日は無難な色と形のカローラに乗せてもらったわけである。おかげで無難に仕事が進行して、予定より早く帰宅できた。

先月のニュースだが、トヨタはカローラの 「生誕 50周年記念車」 を9月1日に発売するのだそうだ (参照)。「発売 50周年」 ではなく 「生誕 50周年」 というのが、何気にすごい。パチンコのマルハンも 「生誕祭」 というのをやっている (参照) が、さすがにカローラの方がもっともらしく聞こえる。

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この記事によると、カローラの昨年の販売台数は国内でこそピークだった 1973年の約 4分の1 の 10万 9000台だったが、海外では  122万 9000台を売り上げているという。相変わらずベストセラー車種だったのだ。

カローラのコンセプトは、「80点主義+α」 というものであるらしい。すべての要素で合格点の 80点を確保する一方で、どこかにずばぬけた新機能を盛り込むのだという。ふぅん、なるほどね。日本のメーカーが最も得意とする 「量産品の中での最高品質」 というのを貫いてきているわけだ。

当日、駅前で拾ってもらい、あちこち連れて行ってもらった印象では、良くも悪しくも 「さすがにカローラ!」 である。大衆車なのに内装はダッシュボードに木目なんかあしらって、中途半端にゴージャス。室内は広く、足元にも余裕があり、乗り心地は悪くない。ただし、「自分でも乗りたいか?」 と聞かれたら、「別に」 としか答えようがない。

もっと 「とんがったクルマ」 が好きで、カローラの 「80点主義+α」 というコンセプトでは飽き足りないというわけでは決してない。私としては逆に 「80点」 でも 「トゥーマッチ」 と思ってしまうのだ。私はクルマにそこまで求めない。

今乗っているのは、ダイハツの 「ミライース」 という軽自動車で、燃費がとてもいいのが特徴だ。あとは軽自動車だけに、カローラが 「80点」 とすれば、すべての面で 「65点」 程度のクルマである。それで十分 OK だ。カローラなんて別にいらない。

私は 「全般的に 80点主義」 という生き方は 「つまらない」 と思ってしまうタイプなのだよね。

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2016/08/17

"Sitpack" というコンパクト折りたたみイス

ほぼ 1ヶ月前のニュースで恐縮だが、"ペットボトルサイズの超絶コンパクトな折りたたみイス「Sitpack」を使ってみた" という Gigazine の記事が面白い。これは長い行列に並ぶ時や、ベンチのないところで長時間立ちっぱなしでいなければならない時などに、さりげなくこしかけることができる折りたたみイスで、デンマークのデザイン会社が開発し、クラウドファンディングで展開されているらしい。

詳しくはクラウドファンディング・サイトの Makuake で見ることができる (参照) が、ビデオでみる限り、確かに便利なツールに思える。最初の組み立てがやや面倒な気もするが、どんどん改良されればベストセラー・アイテムになるかもしれない。

とくに高齢化が進む日本では、発ちっぱなしでいることが困難なお年寄りが増えているので、これはかなりの便利アイテムとして注目されるだろう。東京の街や駅のプラットフォームでは、気軽に座れるベンチがとても少なく、今のところは自分でイスを持ち歩くしかないのが現状だ。

ただ一つだけ心配なのは、日本で本格展開されると商品名の "Sitpack" の発音が 「シットパック」 になってしまうんじゃないかということだ。「ウンコパック」 ではちょっとね。別の商品名にした方がいいかもしれない。

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2016/08/16

時代は 「面倒な世の中」 の様相を呈している

今は昔の物語となった 「米ソ冷戦時代」 というのは、ある意味で結構なガス抜きの機能を果たしてくれていたのだなあと思う。当時、左側は 「反米帝国主義」 なんて叫んでいれば気持ちよかったし、それに抗して右側は 「反共、反共」 と声を揃えていればよかった。

Cimg7619 物事をもっと深く考えてみようなんて人は、そう多くなかったし、ちょっと反抗的なポーズを取ることさえ 「カッコいい」 ことで、ジェームス・ディーンが時代のアイコンになり、日本でも 『太陽の季節』 なんていうのがもてはやされた。この小説の作者が右翼の頭目というのも、今はなるほどと頷ける。

しかしその 「冷戦時代」 はソ連の自壊で幕を閉じ、一時は 「これで世界は平和になる」 なんて幻想をみる人もいたが、世の中というのはそれほど単純なものではなかった。単純な図式思考で大きな声を張り上げてさえいればいいという時代が終わった分、世の中はもっと面倒くさいものになってしまったのだと、今となっては思う

「テロの時代」 である。テロ問題は 「反米」 でも 「反共」 でも解決されない。政治的イデオロギーの問題じゃないのである。例えば中国の問題を考えてみればわかる。いや、「わかる」 というのは、「わかりにくい問題であるとわかる」 というだけのことだが。

世界最大の共産主義国家である中国は、今や妙な形で発展を遂げつつある 「超資本主義経済」 の国家であるともいえる。この国では富の分配が共産主義のコンセプト通りにはまったく進んでおらず、特権階級と成り上がり階級が独占する形で経済成長を遂げている。これって、マルクスが主張した 「共産主義革命前夜」 を彷彿とさせる状況ではないか。

マルクス主義の理論上では、こうした状況に不満を抱くプロレタリアート階級が、武力を用いて共産主義革命を起こし、特権的ブルジョアジー階級を駆逐するのである。ところが中国では、既に共産党が権力を掌握しているから、これ以上の共産主義革命が起きる余地はない。あるとすれば、「遅れてきた市民革命」 だろう。

そして遙か昔に市民革命を経験したヨーロッパは、今はテロの標的となっている。テロを行っているのは、イデオロギーではなく、別の情念によって動かされる過激なイスラム教徒たちだ。世界はこうした連中にどう向き合うか、まだ明確な解答を得ていない。はっきりしているのは、従来の 「反米」 も 「反共」 も、ほとんど役に立たないということだ。

根本的な話をすれば、世界は 「富の配分」 のシステムを根底から作り替えなければならないということだろう。富の配分システムから脱落してしまった層が、「鬱憤ばらし」 で滅茶苦茶な行動を起こす。そして最も組織化された鬱憤晴らしが、IS だ。

何かを破壊して新システムを構築するという作業を行わなければならないとしたら、まず真っ先に破壊の対象として考えなければならないのは、現在の 「いびつな経済システム」 だろうと思う。IS の連中はそれに気付いてか、あるいは無意識のたまたまか、それを行い始めている。彼らに歴史的な意義があるとしたら、その点についてでしかないだろう。

しかしそれはものすごく困難なことで、しかも彼らはやり方を根本的に間違えているから、必ず失敗するだろう。とにかく、時代は 「面倒な世の中」 の様相を呈しているのだ。

(写真は宮崎市の平和台公園にある、ちょっとおどろおどろしい感じの 「八紘一宇」 の塔)

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2016/08/15

「奥殿」 という言葉

今月 5日の 「比叡山の横川まで行ってみて」 という記事で、「比叡山の奥殿ともいうべき横川」 と書こうとして 「奥殿」 を 「おくでん」 と入力して変換しても 「奥伝」 という言葉しか出てこないのである。「ありゃ、俺としたことが、読み方間違えて覚えてたのかな?」 なんて思って 「おくどの」 で変換しようとしても、やっぱりうまくいかない。

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念のため辞書 (『大辞林』 の iPhone 版) で調べてみると、なんとまあ、「奥殿」 という言葉が見つからないのである。驚いてしまった。仕方ないから、「おくでん」 で単語登録しちゃったよ。

あまり気になるので検索してみると、その昔、三河国に 「奥殿藩」 (おくとのはん) という藩があったらしい。今の岡崎市に旧藩庁の 「奥殿陣屋」 というのが残っていて、もう 「奥殿」 での検索結果はこの関連ばかりずらりと並ぶ。

さらに意地になって検索すると、「週間長野 記事アーカイブ」 に 「駒形嶽駒弓神社 〜神仏融合 善光寺の奥殿?」 というページがあり、さらに 「トリップアドバイザー」 というサイトの貴船神社の口コミのページに 「できれば奥殿まで」 というページもある。ほら見ろ、「奥殿」 という言葉はそれほど一般的じゃないかもしれないが、ちゃんとあるじゃないか。

まあ、フツーは 「奥殿」 よりも 「奥社」 という言葉の方が知られているかもしれない。神社の一般的な拝殿、本殿のさらに奥の方、山深いところに 「奥社」 が祀られているところがある。健脚でもの好きで、多少は信心深い人が体力に任せて詣でるところだ。ちなみに上の写真は四国の金比羅様の奥社である。ここに行った時は、途中に 「イノシシに注意」 という看板があった。

ただ、私としては 「奥社」 より 「奥殿」 という方がありがたみがあるように思うがなあ。だって、拝殿、本殿ときたら、その奥は 「奥殿」 という方がしっくりくるじゃないか。

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