2018/06/18

大阪の地震について

今朝、出かけようとしているところで緊急ニュースが入り、大阪の地震を知らされた。大阪には知り合いが何十人もいて、とくに 13,14日にはまさにその大阪に出張したばかりだったので、かなり気がかりではあったがそのまま出かけ、途中スマホのニュースで経過を追っていた。

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結論的には私の知り合いで大きな被害に遭った人はおらず、少しは安心したが、震源地に近い大阪北部の人たちは、肝を潰すほど驚いたようだ。先日の出張の時も、「関西の人は地震慣れしてないから、ちょっと揺れただけで大騒ぎする」 なんて話をしていたが、震度 6弱の揺れでは、大騒ぎどころではない。

ちょっと勝手なことを言うが、「大阪出張が今日でなくてよかった」 と思ってしまったよ。大阪の人たち、ごめんなさい。

今回の地震は、大阪北部にとってはまさに直下型地震である。私の住むつくばの地もしょっちゅう直下型地震があり、震度 4ぐらいの揺れがいきなり突き上げるように来るのは、「おなじみ」 になっているほどで、特段慌てもしないのだが、いきなり震度 6弱ではさぞかし驚いたろう。

震度 6弱といえば、7年前の東日本大震災で茨城県南部の揺れがまさにそれだった。この規模の揺れは経験したことのない人が多いだろうが、はっきり言って 「生きた心地がしない」 ほどである。

観音扉は開き、食器棚の中の皿がぶっ飛んで割れる。書棚の本はバラバラに落ちて、後始末が大変なことになる。固定していない家具などは、下手すると倒れる。今回の死者も、ブロック塀や倒れた家具の下敷きになったというケースのようだ。

インフラが整うまでは不便な暮らしになるだろうが、震源地を外れた所ではそれほど大きな被害は出ていないようなので、7年前の時ほど影響が長期にわたることはないだろう。大阪の人たちの暮らしが早く平穏に戻るように祈る。

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2018/06/17

すい臓がんってのは、なかなか怖い病気らしい

今年の元日、長年の仕事仲間がすい臓がんで亡くなった。私より若く、還暦を迎える直前の死だった。その時のことは、このブログの 1月 6日付で 「膵臓がんで死んだ仕事仲間に捧げる記事」 というタイトルで書いている。

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その時の記事にも、すい臓がんは 「がんと診断されてからの 5年生存率が他の部位のがんと比べて格段に低い」 と書いてあるが、約 3年前の 「教えて 健康!」 というサイトの約 3年前の記事 (参照) にあったグラフをみても、その生存率の低さは、上に転載したように圧倒的だ。さらに、すい臓がんの患者数は、全がん患者数の中でも 4位に上昇しているという。

それだけではない。すい臓がんというのは、「痛い死に方」 として多くの医師がトップにランクしているという (参照)。あのスティーブ・ジョブズも、かなりの痛みに耐えたのだろうか。

一方で、前立腺がん、乳がん、子宮がん、大腸がん、胃がんにかかっても、60%以上は 5年経っても死なずに済んでいるというのは、心情的にはいいニュースだ。人間はどうせいずれは死ぬのだが、そんなにすぐに死ぬわけじゃないってことは、いろいろな身辺整理ができるということだ。ただ、男の場合は乳がん、子宮がんというのはないから (乳がんは皆無ではないらしいが)、女性よりややハンディがあるが。

さらに、「予防可能!膵臓がんの原因は肥満・飲酒・喫煙 (タバコ)・糖尿病・慢性膵炎など」 という指摘もある。とくに、肥満、糖尿病、タバコ、酒の悪影響は大きいらしい。周囲の例を見ても、大酒飲みででっぷり太り、タバコもスパスパ吸っていた人は、大抵早死にしている。私の父は酒はほとんど飲まなかったので、同年代の友人の中では長生きの方だったが、スモーカーだったので、最後には肺がんで死んだ。

男性に比べて女性の平均寿命が長いのは、男女の遺伝子の差もあるのだろうが、女性に大酒飲みやヘビースモーカーが比較的少ないということも影響しているんじゃないかと思う。

私は父の遺伝で大酒飲み体質ではないし、タバコも止めてから 40年になる。これといって持病もないから、下手するとどえらく長生きしても不思議ではない。ただ、それはそれで案外リスクといえばリスクだ。「適当なところで死なないと、妙な気苦労が増えてしまうかもしれないしなあ」 なんて思ってしまうのである。

人間はつくづく贅沢なものだ。

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2018/06/16

「フツーの愛国心」 を表現しづらい国

当ブログが 1週間前に 「若い兄ちゃんたちの変な歌」 というタイトルで論じた曲が、どういうわけか大問題になっているようで、RADWIMPS という当事者バンドのライブ会場前で抗議集会を行うなんて話まで持ち上がっているらしい。おいおい、それって、いくら何でも騒ぎ過ぎだろうよ。

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J-CAST ニュース (参照) によると、この動きの主催者は 「(RADWIMPSは) 絶対に許されない歌を出してしまいました」 と訴えていて、次の 3点を求めているらしい。

  • 「HINOMARU」 シングルを回収し、廃盤にすること
  • ライブなどで2度と歌わない事
  • 「HINOMARU」 の内容と、これまでの釈明が間違っていたと早急に表明すること

いやはや、驚いた。何が 「絶対に許されない」 のかわからないが、廃盤にしろだの、ライブで歌うなだの、謝罪しろだのというのは、明らかに行きすぎである。RADWIMPS というバンドは憲法で認められた「表現の自由」 を行使しているだけだが、それに対して上述のことを求めるのは、「表現の自由の否定」 であり、その方がずっと 「許されない」 ことだ。

私は上述の 6月 9日の記事で確かにこの 「HINOMARU」 という歌を思いっきりディスったが、もっぱら 「歌のできばえ」、とくに歌詞の拙さについて批判したのである。一方、この歌で表現されている、というか、作詞者当人が表現したと思っているらしい 「ある種の思い入れ」 については、表現スタイルがだいぶエキセントリックすぎる気はするが、否定するつもりはさらさらない。

この歌の当事者は 「みんなが一つになれるような歌が作りたかった」 などと、結構ナイーブ (元々の意味の 「幼稚な」 という意味で言っている) なことを述べていて、一方それについて騒ぎすぎている勢力は、単なる 「変な歌」 の背後に誇大妄想的なまでに邪悪な思想を想定している。この 「どうしようもない行き違い」 のかなりの部分は、表現する側と受け取る側の、両方の 「拙さ」 から生じている。つまり、両方ともナイーブすぎるのだ。

多くの国の価値感では、「愛国心をもつなんて、ごく当たり前」 のことで、それが非難の対象になることの方がどうかしている。ところがどうやらこの国は、「フツーの愛国心」 を表現しづらい国であるようなのだ。それは、戦前戦中戦後の歴史がごちゃごちゃしちゃったせいで、「フツーの愛国心が成熟する機会を持たなかった」 という特殊事情からくるのだろうね。

逆にみれば、この問題を感情的にならずに理性的に論じることができれば、もしかしたらこの国は 「新時代にふさわしい高次元でインターナショナルな愛国心」 のモデルになれる可能性だってあるのだが、今のままでは、ぶっちゃけ到底無理だろう。

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2018/06/15

体を動かす方が、疲労回復のためにいい

一昨日、昨日と大阪に出張して、交通機関は新幹線を使った。片道約 2時間 30分の旅である。私が初めて東海道新幹線に乗ったのは 1970年のことで、この時は東京、新大阪間が 3時間 10分かかったという記憶がある。そして前世紀末頃には 2時間 30分ぐらいになった。この差は結構大きい。

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いつも不思議に思っていたのだが、新幹線車内では 2時間半の間、ただ座っているだけで、せいぜいスマホを眺める程度のことしかしないのに、なぜか結構疲れるのである。東京駅で下車し、つくばの自宅に着く頃にはぐったり疲れたりしている。

昨日、東京駅で下車して 「上野東京ライン」 の快速電車に乗り換えたときは、それほど混んではおらず、空席もかなりあったのだが、疲れているのになぜか座席に腰を下ろす気になれず、取手駅で下車するまでの 50分以上、ずっと立っていた。立ったままで、車両の揺れに任せて微妙に体を動かしている方が楽なのである。

そしてタイミングのいいことに、帰宅してから読んだメルマガに、どうして立っている方が楽なのかという解答があった。「休日に動かない人ほど疲れが取れないワケ 逆に体を動かした方が回復を図れる」 という東洋経済の記事である。人間の体は本来動くようにできているので、最新の研究では動かない方が不自然で、疲れることが分かっているのだそうだ。。

記事によると、疲れを取るには 「ゆっくり走る」 「泳ぐ」 といった軽い有酸素運動を 20分ほど行うのがベストで、"「疲れないためにじっとしている」 よりも、体を軽く動かしたほうが、「血流が促進されて脳と体にたくさん酸素を運ぶことができ、疲労物質の対流 (ママ: 多分 「滞留」 の変換ミスだろう) を防ぐ」 ことになるとある。ということは、新幹線から乗り換えて座席に座らなかったのは、体が無意識のうちに正しい選択をしていたわけだ。

現代のスポーツ医学では、「ある程度体を動かしたほうが回復が早くなる」 という 「動的回復」 が主流で、従来の 「休む=じっとする」 ままであれば、体のダメージを余計に増大させてしまうことになりかねないというのである。

とはいえ、アスリートならぬごくフツーの人間としては、ぐったり疲れてしまうと体を動かすことも億劫になる。疲れた時にきちんと体を動かそうという気分になれるためにも、普段からエクササイズしておくことが必要だろう。要するに 「動く方が気持ちがいい」 と、よく知ってる体に保っておきたいということだ。

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2018/06/14

大阪から新幹線で帰ってくる時のこと

今日、大阪出張の仕事を終え、15時 45分頃に新大阪駅構内の切符自動販売機で帰りの新幹線の指定席券を買おうとすると、16時前後に新大阪駅を発車する便は、軒並み窓側と通路側の席が取れない。3列シートの真ん中 (B席) にはまだ余裕があるが、フツーの日本人の体格より一回り大きな私としては、東京駅まで窮屈な思いをするのが憚られる。

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しかたなくずっと後の便の座席を探して、16時 40分発の 「のぞみ 36号」 に 1つだけ A席 (3列シートの窓側) の空きを発見してそれを予約。待っている間に、構内の TULLY'S で Mac を広げ、メールのレスを書いたりして時間を潰した。

そして 16時 35分頃に新幹線のホームに昇ると、のぞみ 36号は、山陽新幹線での人身事故の影響で、10分遅れの到着となり、16時 50分発の 「のぞみ 244号」 を先に発車させるというアナウンスが流れている。どうやら、その事故の影響で博多発の便に運休が出たため、ダイヤが乱れているらしい。

なるほど、そのせいで 「のぞみ」 の本数が減り、いつになく指定席が混んでいたのかと納得した。で、「のぞみ 36号」 はアナウンス通りに定刻より 10分遅れて新大阪に到着し、12分遅れて発車したのだった。まあ、もともと 40分ほど待ったのだから、そのくらいの遅れは別にどうということもなかったのだが、発車してからの時間の取り戻し方がかなり見事だった。

先に発車させていた 「のぞみ 244号」 を名古屋駅でギリギリにキャッチし、絶妙のタイミングで追い抜いた。その際に 「名古屋駅で乗務員を交代しました」 というアナウンスが流れ、「なるほど、新幹線は遅れが出ると、ベテランの腕利き運転士に交代して遅れを取り戻す」 という噂は本当だったのかなんて思ったのである。まあ、実際には予定通りの交代だったのかも知れないが。

そうこうしているうちに、横浜駅では定刻の 5分遅れまで回復し、東京駅には定刻通りに到着してしまったのだった。

ニュースを見ると、人身事故は今日の午後 2時過ぎに起きたようで、事故車両が小倉駅に入ってきたときは、ホームにいた乗客がボンネットの破損に気付いたのに、JR の駅員は気付かずにそのまま発車させてしまい、行きすぎてから途中で停車して調べて事故を確認したということになっている (参照)。

そのあたりのずさんさはいかがなモノかと思うが、ダイヤの遅れの取り戻し方だけは、それはそれは見事なものだった。

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2018/06/13

動物性の食材を使っていないラーメン

何ヶ月ぶりかでラーメンというものを食べた。ラーメンそのものは決して嫌いではないのだが (というか、ラーメン嫌いな人って、会ったことがない)、近頃は肉を食わないことにしたので、チャーシューが付き物のラーメンも、自然食わなくなっていたのである。

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食べたのは、東京駅構内の 「T's たんたん 東京駅京葉ストリート店」 という店だ。大阪出張で昼前に家を出て、昼食はいつもの駅弁 「深川めし」 にしようとしていたのだが、ちょっと時間に余裕があったので、駅構内で食べたのである。

この店の本店は自由が丘にあるらしく、メニューは動物性食材 (肉、魚、卵、乳製品) や化学調味料を一切使わず、植物性食材だけで作ったラーメンということだ。「白胡麻たんたん」 「金胡麻たんたん」 「黒胡麻たんたん」 「白たんたん」 「ベジラーメン・とんこつ風」 など、結構いろいろなメニューが用意されている、

私はとりあえず、一番ベーシックな 「ベジラーメン・醤油」 というのを選んだ。余計なことをしていないだけ、ラーメンそのもののできがわかると思ったからである。値段は 750円。結構リーズナブルだ。

で、結論。「十分美味いじゃないか!」

巷でもてはやされている 「ギトギト」 と言いたくなるような、濃厚な食感とはほど遠いが、十分にコクはある。植物性食材だけでこれだけの味が出せるのなら、やれ、鶏ガラだの豚骨だのをやたらに放り込む必要がないし、チャーシューなんて、まったく要らない。このような店がフツーに増えたら、私も 「ラーメン絶ち」 する必要が全然ないのに。

というわけで、ちょっとオススメしておこう。東京駅構内の新幹線乗り場、南口に近いところにある。

ちなみに私は、肉は食わないが魚介系は食うので、魚介系出汁のラーメンなら、チャーシュー抜きで注文して食う。しかしそうした系統のラーメンも、巷では少ないのだよね。私の田舎の酒田のラーメンをみれば、魚介系出汁の美味さが分かろうというものなのだが。

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2018/06/12

森田童子が女性シンガーだったことすら知らなかったよ

カーラジオで 「森田童子が死んでいた」 というニュースを聞き、「はて、森田童子ってどんな歌を歌ってたんだっけ?」 と思ったが、全然思い出せない。サングラスをかけたロングヘアーの白黒写真のイメージだけはおぼろに浮かぶが、今イチはっきりとはせず、どうも私の守備範囲から微妙に外れていたようだ。

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聞けば 66歳だったというから、来月でその年になる私と、もろに同世代である。西荻ロフトで歌っていたというし、私も荻窪ロフトには出損なったが (その間の事情については、こちら を参照のこと)、70年代の西荻ロフトには何度か出演していたのだから、直接会っていてもおかしくないくらいである。ところが今日初めて YouTube で歌を聴いてみて、「あれ、森田童子って女性シンガーだったのか?」 なんて初めて知ったぐらいだから、その縁のなさ加減は半端じゃない。

いやはや、おぼろに浮かぶ写真はユニセックス調だし、歌のタイトルも 『さよなら ぼくの ともだち』 とか 『ぼくたちの失敗』 とか言うから、てっきり男性シンガーかと思っていたよ。日本の歌には 「クロスジェンダー・パフォーマンス」 というのがあるから、本当にややこしい。

カーラジオで聞いていると、その死のニュースに 「ショックだった」 とコメントする人が少なくなく、「一時代が終わった気がする」 なんてことを言う人までいる。こうなると、そんなにまで影響力のあったらしい同世代シンガーに、自分はどうしてこんなにまで縁がなかったのかということの方に興味が高まった。

つらつら考えてみると、70年代に 20代を過ごしていた私は、あの時代の 「閉塞感」 がたまらなく嫌いだったのである。ただでさえ 「団塊の世代」 の連中が荒らしまくった世の中の後始末ばかりさせられがちな 「団塊の世代の尻尾」 世代として (その間の事情については、こちら を参照のこと) 、そんな 「閉塞感」 をもろに自分のパフォーマンスのテーマにしようとは、決して思わなかったのである。

ところが、森田童子というシンガーソングライターは、そうした 「団塊の世代の尻尾の閉塞感」 をぽつりぽつりと呟くように歌っているらしい。私としては 「ああ、それは聞きたくないわ!」 と思い、意識的、無意識的に避けようとしていたというのは、十分にあり得る話である。そしてその歌を聴いていたのは、当の 「団塊の世代」 と、彼らのやりたい放題の後始末をしなくて済んでいた、もっと若い世代なんじゃあるまいか。

というわけで、私は YouTube で彼女の細い声で呟くような歌を、長くは聞き続けることができず、早々にずらかったのだった。

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2018/06/11

アスペルガーはアスペルガーなりに

昨日、朝早くからの仕事があり、そこで 13日に予定されているイベントに関して、「ごめんね、その日は大阪に出張だから、参加できないよ」 と言うと、「新幹線で行くの?」 と聞かれた。「もちろん」 と答えると、相手は 「気を付けてね」 なんてことを言う。

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その日はかなり早起きしていたので、前夜から当日朝一番のニュースをチェックしていなかった。それで、「ことさら、何に気を付けるんだろう」 なんて思っていたが、ほどなく例の新幹線車内殺人事件のニュースを知って、「まあ、確かに気を付けるに越したことはないけど、一体どうやって気を付けたらいいんだ?」 なんて思ってしまった。

今朝になってちょっとテレビのニュースショーを覗いてみると、小嶋容疑者の父親のコメントが報道された。「幼いころから、人の言うことを言葉通りにしか理解できなかった。変わった子だった」 なんて言ってる。

結構他人事みたいな言い方で、思わず 「おいおい、それって、俺のことか?」 と言いたくなってしまったじゃないか。「言葉通りにしか理解できない」 というのは、アスペルガー症候群の典型的な症状である。ただ、調べた限り 「アスペルガー症候群」 という言葉で報じているニュースは見つからなかった。そう言及することに、何か問題があるのかしらん。

私は自分のことについて、このブログで何度も 「アスペルガー 1歩手前」 なんて書いている。6年近く前に書いた 「自閉症スペクトラム指数自己診断」 というのをやってみた」 という記事では、私の 「社会的スキル」 は結構問題ありなのだが、結構大雑把なところがあるのと気分転換の速さでなんとか救われているとわかった。

私がいつまでも細部に執拗にこだわる性格だったら、ほぼ確実に自閉症になっていただろう。まあ、そんなところも決してなくはないのだが、そうした心的傾向はいい具合にこのブログで昇華されているようで、幸いなことに社会生活に大きな問題は生じていない。

AERA の今年 3月の記事に "日本人の 20人に 1人は 「隠れアスペ」? " というのがある。この記事で紹介されているのは 『隠れアスペルガーという才能』 という著書もある吉濱ツトムさんという人で、彼は著書の中で、アスペルガー的傾向はあるが症状が比較的弱い 「隠れアスペルガー」 は、異常な才能を発揮することがあるなんて言っているという。

私の場合は 「異常な才能の発揮」 なんてレベルには至らないが、幸いにも 「自分はアスペルガー的傾向がある」 と自覚できているので、それなりの対策ができている。ただ、この 「対策」 というのは結構な努力を要するもので、実は大きな声じゃ言えないが、「いわゆる 『フツーの人』 と付き合うのって、ほんっとに疲れる。できれば避けて通りたい」 なんて思っちゃったりもしてるのである。

で、そのまま深みにはまらずに生きるためには、自分の心的傾向を客観的に知った上で、自己肯定感につながる方向に向くことなのだろう。「それが簡単にできれば苦労はない」 と言われそうだが、今回の事件の容疑者に関しては、親がちゃんとした対応をしていれば、少なくともこんな陰惨な事件は起こさずに済んだかも知れないのに。

例の父親には、「自分の息子が 『人の言うことを言葉通りにしか理解できない』 とわかっていたなら、彼がきちんと理解できるように的確な言葉を使って育てればよかったのに」 と言いたい気もするのである。あの父親はどうやら、それをせずに放り出してしまったようなのだ。

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2018/06/10

「ギネスビールの注ぎ方」 の考察

Gigazine に 「あなたの飲むギネスビールの注ぎ方は間違っている可能性がある」 という記事がある。"GUINESS" というロゴマーク入りの 「ギネス用公式グラス」 は、実はギネスのような 「スタウト」 という種類のビールを飲むには適していないという。要するに、泡が落ちつくまで時間がかかりすぎるらしいのだ。

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私は 4年前に 「ビールの飲み方の比較文化学」 という記事で、ドイツ流のビールの注ぎ方について、次のように書いている。

ドイツのバーでビールを注文すると、サーバーからジョッキに注ぐのに結構な時間をかける。最初にドバーッと注いで、全体の 3分の 2以上を泡にしてしまい、それをしばらく放置して泡が減ってくると、またしてもドバーッと注ぐ。これを 3度ぐらい繰り返すと、きめ細かいクリーミーな泡が、全体の 3分の 1弱ぐらいになって、見るからにおいしそうになる。

私は初め、これが待ちきれなくて、「そんなに時間をかけないでいいから、さっさと出してよ。日本人とアメリカ人は、ウォーム・ビアーはダメなんだから」 と言っていたが、ドイツ人のバーテンダーは誇りにかけても、そんな無粋な注文には応じない。

で、この記事の中で、英国流のビールの注ぎ方にも少し触れていて、こんな風に書いている。

それと対照的に、英国の 「エール」 ってやつは、ジョッキの縁まですっかりビールにしないといけないんだそうだ。泡でごまかすなんてのは、許せないらしい。味音痴の英国人らしい話である。ただ、泡が消えるのを待つために、やはり時間がかかり、生ぬるくなる。

ここでいう 「エール」 ってのは、いわゆる 「スタウト」 と共通した種類の、ローストした大麦を使って上面発酵させたビールである。で、スタウトの場合は、上記の記事を見てもわかるように、泡の割合がかなり少ない。私の記事は 「ジョッキの縁まですっかりビールにしないといけない」 と、かなり極端な表現にしちゃってるが、ドイツ流からみれば、それも大袈裟には聞こえない。

私はこれを 「味音痴の英国人らしい」 と、偏見に満ちたことを言ってしまったが、実はビールの種類の違いによるところが大きいようだ。件の記事によると、スタウトやエールの 「窒素による泡」 (我々が馴染んでいるラガーやドラフトの泡は、二酸化炭素) を落ちつかせるためには、結構な時間がかかり、その間に泡の割合も少なくなってしまうというのが本当のところらしい。英国人のみなさん、ごめんね。

ただ、スタウトやエールの注ぎ方は、上の写真にあるようにグラスを 45度に傾けるのが流儀らしいが、これはドイツでは決して取られない手法である。グラスを傾ければ泡の落ちつくのはやや早くなるが、それだとクリーミーな泡になりにくい。

つまり、グラスを傾けるという時点で、英国流はハンディを負っている。そして件の記事が主張するように、「大きめのマティーニ・グラス」 を使うのは、「グラスが全面的に 45度に傾けられている」 みたいなものだから、結局は簡便法みたいに思えるのだよね。

まあ、最近はビールをあまり飲まなくなったし、エールなんてほとんど飲まないから、どうでもいいか。

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2018/06/09

若い兄ちゃんたちの変な歌

当ブログのコメント欄でもお馴染みの ふゆひーさんが、Twitter で 「笑いを取ろうとしているとしか思えない…。日本スゴイって言いたがる人が日本語を破壊する方向に行くのは、まぁ当然の流れなんだろうね」 と、一見謎の tweet をしておられるので、一体何事かと リンク先に飛んでみて、Retweet させていただいた (参照)。

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飛んだ先は、J-Lylic.net といういろいろな歌の歌詞を紹介するサイトで、現れたのは Radwimps というロックバンド (らしい) の "HINOMARU" という歌の歌詞である。著作権の関係もあるから、ここでは部分的な引用にとどめておくが、こちら に飛べばきっちり表示される。

なるほどねえ。「日本語を破壊する方向」 という意味がわかった。確かに日本語の破壊につながる歌詞である。しかも 「創造的破壊」 ってわけでもない。とにかくこんな具合だ。

意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに
胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮、誇り高く
この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊
さぁいざゆかん 日出づる国の御名の下に

なんだか気持ち悪いのは、ステロタイプすぎる文語と甘ったるい口語がテキトーに入り交じっているところから来るのだろう。最近の歌では、日本語の中にいきなり ”Dont't you" とか何とか、どうでもいい英語をチョコチョコッと安易なアクセサリーみたいに入れ込むのが流行っていて、聞いていてシラけてしまったりするのだが、ここに至って、文語をアクセサリー的に入れ込むなんていうところまで来てしまったようなのだ。

ネット界隈では 「軍歌かよ」 なんて揶揄する向きもあるようだが、それはまともな軍歌を知らない者の言い草で、軍歌がこんなんだったら、お話にならない。あくまでも若いにいちゃんたちの 「変な歌」 である。とくに 「この身体に流れゆくは」 というのは、プレバトだったら問答無用で 「〜流るるは」 と添削されるところだ。

で、上述の J-Lyrics.net で歌詞は知れたものの、サウンドがどんなんだかわからない。試しに YouTubeで検索してみたら、間違って 「こんなの」 がヒットしてしまった。「お、サウンド的には悪くないじゃん」 と思ったが、これは 「カタルシスト RADWIMPS cover by Uh.」 ってやつで、Uh. という女性ボーカリストが Radwimps の 「カタルシスト」 という妙なタイトルの歌をカバーしたもののようだ。

ようやく探し当てたのが、上の画像をクリックすると飛ぶページで、まさしく Radwimps の ”HINOMARU” が聴ける。はっきり言って、「この程度のモノなのね」 というだけの印象だ、軍歌と揶揄するほどのものでもない。Uh. のカバーの方がずっといいかも。

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«刈り草を 「可燃ゴミ」 として集積所に出すという発想