2016/08/31

落とし物を拾ったら

先日、ちょっと所用があって地元の警察署に行った。建物の一番近くの駐車スペースが空いていたのでそこに駐車し、ドアを開けて車から出ると、目の前に新品のタオルが落ちていた。普通の場面ならちょっと拾って近くの塀にでも引っかけておく程度で済ませただろうが、まあ、場所が警察署の正面玄関前ということもあり、気軽に拾って拾得物として届けることにした。

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で、その程度の落とし物なら、「はい、どうも」 と受け取ってくれて、それでおしまいかと思ったのだが、そうではなかった。窓口の婦人警察官が一通りのことを聞いてくる。

「どちらで拾われましたか?」
「ここの正面玄関前です」
「いつ拾われましたか?」
「今しがたです」
「それでは、住所氏名をこちらに書いて下さい」

この辺りで、「おいおい、ちょっと大げさすぎるんじゃないの?」 という気がしてきたが、へたに逆らってタイホされちゃ困るので、求められた通りに住所氏名を書く。すると 「ただ今、書類を作成しますので、15分ぐらいお待ちください」 と言うのである。

こんなことで 15分もかかるのかと思ったが、まあ、その間に本来の用事をささっと済ませてその窓口に戻ると、ワープロで綺麗に作成された届出書が印刷されている。それを前に、さらに聞かれる。

「持ち主が現れたら、あなたの住所氏名を知らせることを希望しますか?」
「へ? 何のために?」
「お礼を差し上げることもありますので」
「いや、タオル 1枚のお礼なんていりませんから、それには及びません」
こう言うと、彼女は書類の 「知らせない」 という項目にチェックを入れた。その上で私が内容を確認して署名し、これでようやく手続き完了で、解放されたのである。やれやれ。

そこで私は、ちょっとしたことを思い出した。もう 10年以上前のことになるが、あるショッピングビルのトイレで、分厚い革財布を拾ったのである。中には 1万円札がざっと見ても 10枚以上と、複数のクレジットカード (しかもすべてゴールドカード) が入っていた。

私はそのあたりはとても正直者なもので、そのトイレを出て一番近くの店の店員に、「これ、トイレに落ちてましたよ」 と届けた。若い男の店員は、「はい、どうもありがとうございます」 と、軽い気持ちで受け取ってくれた。

その時は、さすがに大金の入った財布だけに、こちらの住所氏名ぐらいは聞かれると思ったのだが、そんなことは全然なく、財布を渡しただけで呆気なく一丁上がりになってしまった。私としては、正直なところ 「落とし主が現れたら、1割ぐらいお礼がもらえるかも」 なんていう下心もなくはなかったのだが、あまりの呆気なさに拍子抜けして、そのまま帰って来てしまった。

ところが、タオル 1枚でこんなに面倒な届け出が必要ということを知ってしまうと、あの時の分厚い革財布の処理はどうなったんだか、今頃になって思い出され、気になってしまったのである。

あの店員、あの財布をどうしたんだろうか。落とし主が現れたとしても、あの店に問い合わせるとは考えられない。ということは、彼がトボけてしまえば、それでおしまいである。もしショッピングビルの管理事務所または警察に届けてくれたとしても、自分の手柄にしちゃって、ちゃっかりお礼を受け取ったりしてないだろうか。

なんだか割り切れない思いがするのである。私は今回の経験で、落とし物を拾ったら、拾った場所がどこであろうとも、例えば大きなショッピングセンターだったとしても、直接警察署に届け出ようと思ったのだった。ちょっと面倒だが、それが最も公明正大な、ということは、人を変な道に誘い込まなくて済む方法のようだから。

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2016/08/30

「カイン様カード」 には戸惑った

今日の夕方、某ショッピングタウンの某家電量販店で、iPhone 用のケーブル (ライトニングとか言ったかな) を買ったところ、レジの若いお姉ちゃんが 「カイン様カードをお持ちですか?」 と聞くのである。

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「は?」
「カイン様カードはお持ちですか?」
「カイン様?」
「はい」
「カイン様って、一体何ですか?」
「えぇと、あのう、『会員』 のカードですね」
「ああ、『会員様』 と言ったつもりだったのね」
「は、はい、そうです」

というわけで、その若いお姉ちゃんは、あの調子で、レジで金を払う客全員に 「カイン様カードをお持ちですか?」 とやって、その度に 「は?」 と聞かれてるんだろう。そのくせ、自分が 「カイン様」 としか言っていないことをちっとも自覚していないようで、さらに私に 「カイン様?」 と聞かれて 「はい」 と答えるのだから、他人の言葉もまともに聞いていない。

「カイン様カードをお作りしましょうか?」
「いや、カイン様カードなんて要りません」

実際、その店は年に 1度か 2度買い物をする程度の店だったので、「カイン様カード」 なんて持たされてもあまり意味がない。さらに言えば、「会員カード」 とフツーに言ってくれれば、「無料で作れるなら、もってもいいかな」 ぐらい思ったかもしれないが、「カイン様」 では、なんだかシラけてしまったのだよね。

どうも最近、日本語の一音一拍がおろそかにされる傾向がある。「様」 さえ付けりゃいいってもんじゃない。ちゃちゃっと言っちゃっても通じるような決まり文句なら 「あざーす!」 でも通じるかもしれないが、「カイン様カード」 には、正直戸惑ったなあ。

ちなみに、上の写真は今回戸惑った店のものではなく、日本最大級の某家電量販店のフロア案内だが、さすがに日本最大級だけあって、家電が "Home Electronics" (看板の下にそう書いてある) なんだそうである。

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2016/08/29

ノーミートのメニューは選択肢が極端に少ない

今日は群馬県高崎市までの出張で、往復 260㎞ を運転した。帰りは日が暮れてかなり空腹になったが、群馬県内の国道 354号線沿いには、私が入りたくなるようなレストランが見当たらない。ほとんど焼き肉屋とかハンバーグレストランとか、とんかつ屋とかいうのばかりなのである。

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私は肉食 (鶏肉を除く) を止めてほぼ 3年ぐらい経っていて、会食などで出てきてしまったら仕方なく食うが、自ら選択して肉を食うことはなくなった。だから、焼き肉とかハンバーグとかとんかつとかいう料理は、ハナから選択肢に入っていないのだ。

ようやく蕎麦屋を見つけて晩飯にありついたが、最近の外食の世界は、ことほど左様に肉食に支配されているのだと、改めて認識した。つまり肉を避けると、外食の選択肢が極端に減ってしまう。これは紛れもない事実で、ということは、外食をするとほとんどの料理に肉は入ってしまっているのである。

友人の多くは 「肉を食わないなんて言ってたら、食べるものがないじゃないか」 と言う。「今の世の中で肉食を避けてたら、暮らしていけないだろう」 と言う者までいる。動物性タンパク質を摂らなければ、栄養失調になると心配する者もいる。しかし実際にはそんなことは全然ない。世の中には完全菜食主義で活躍しているスポーツ選手もいるし、私は魚と鶏肉は食うしね。

要するに多くの人は、肉食忌避は現代日本における食文化の大勢に合わないから、そんなことにこだわるべきじゃないと言うのだ。逆に会食などで供された肉を仕方なく食うと、「お前は菜食のくせになぜ肉を食う」 と責められたりする。こっちだって食いたくて食ってるわけじゃなく、食べ物を捨てることの方が問題だから仕方なく食っているのに、この世の中は食い物のことになると、余計なお世話というのが妙に多いのである。

私は外食はできるだけ蕎麦とか魚類の定職とかにする。ラーメンすらもチャーシューと出汁に使う肉や骨の類を避けるために、最近は食べないようにしている。嫌いで食べないのではなく、ポリシーで食べないのだ。そしてポリシーで食べないでいると、いつの間にか肉類をおいしいと感じなくなる。不味いとまでは言わないが、あえて金を払って食べたいとは思わなくなるのだ。

そして、このポリシーは確かに現代日本の食文化には適合していないのだが、私としては、だからと言って妥協して肉を食おうとは思わない。そのうちに、日本の食文化もノーミートの選択肢が増えるものと期待している。

ちょっと前までは非喫煙者は少数派で、多くの場で煙の暴力に耐えていたが、今では少なくとも喫煙席が分離されるのが普通になり、むしろ喫煙者の方が肩身の狭い思いをしている。これと同様に、ノーミートのメニューが増えるのも自然の流れと考えている。ただ、それには時間がかかることが確実で、私の目の黒いうちに一般的になるかどうかはわからないが。

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2016/08/28

もみじマーク付き軽自動車を運転する恐ろしいばあさん

暑い時期には怪談が定番だが、私が実際に体験した怪談より怖い話を紹介してみたい。それはつい一昨日のこと、仕事で鹿嶋 (あのアントラーズの本拠地) に向かう途中の国道上でのことである。

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コンビニの駐車場から私の目の前に、1台のピンクの軽自動車が割り込んできた。もみじマーク付きで、助手席にも誰か乗っているのが後ろからうかがえる。このもみじマーク付きの軽自動車の運転が、ちょっと見られないほどすごいものだったのである。

私は片側 2車線の道路の左側車線を走っていたのだが、このもみじマーク付き軽自動車は、目の前に割り込んできてすぐに右寄りに進路を取った。もちろん、いや、こうしたケースで 「もちろん」 なんて言っちゃいけないのだが、向こうとしてはごく当然のごとくに、ウィンカーは出さない。

私としては 「しょうがないなあ」 と思いつつも、その車は右側車線に移るものと推測したのだが、それは甘かった。その車は車線をまたぎ、つまり、2車線を 1車線のごとくに占有して、ゆっくりとど真ん中を走り始めたのである。大体時速 35〜40キロのスピードだ。

そのうちどちらかの車線に収まってくれるものと期待したが、ずっと車線をまたいだまま走り続ける。私を含む後ろの車は、呆気にとられつつ、下手にクラクションを鳴らしてパニックに陥られたりしたらかえって危ないと、恐る恐るおとなしく後に続く。傍からみたら、さぞかし異様な光景だったろう。もみじマーク付きの軽自動車が、2列に並んだ車のパレードを、堂々と先導しているのだから。

道路はそのうちに、片道 1車線になった。当然後ろのパレードも 1列になる。ところが先頭のもみじマーク付き軽自動車は、追い越し禁止を示す黄色のセンターラインをまたいで、右側にはみ出しながら進行する。対向車はたまらない。驚いて急ブレーキをかけ、道の端っこに逃げる。

それ以上にたまらないのは、実はこちらである。私は何の因果か、ずっとその車のすぐ後ろを走っているのだ。後ろから観察すると、助手席に座った人影は特段慌てるでも恐れるでもなく、平然と座っているように見える。一体どんな神経の 2人連れなんだ。

幸いにも再び追い越し車線のある片側 2車線道路になったので、私は 2車線をまたいで走る恐ろしい車の右側をすり抜け、辛うじて追い越すことができた。しかしまたすぐに片側 1車線になったので、後続の車は追い越すことができない。何しろ相手は 2車線のど真ん中を走るので、追い越すにもかなり度胸が必要なのだ。

やっと追い越した私は、安心してスピードを上げてその車から遠ざかろうとした。すぐ前を走っていたら、どんな事故に巻き込まれるかしれない。ところが、本当に恐ろしい思いをしたのはそこからである。バックミラーを見ると、そのもみじマーク付き軽自動車が、距離を置かずに付いてくるのである。これにはちょっとぞっとしてしまったね。

運転しているのはばあさんで、バックミラーの中で必死の形相でハンドルにしがみついている。どういう了見か知らないが、前を行く車には何としても付いて行かなければならないなんて思っているようなのだ。そんな余計なことは考えなくてもいいのに。

私はそれ以上スピードを上げることを諦めた。引き離そうとしてさらに加速なんかしたら、付いていくことを至上命令と心得ているばあさんの命があぶない。このとんでもないばあさんを守るためにも、遅めのスピードをキープしてあげなければならない。

こんな恐ろしい思いを 15分近く続けているうちに、ばあさんの車は途中で左折してバックミラーから消えた。この瞬間、私は本当に本当に安心したのだった。それにしても、あのばあさんに運転免許を与えたのは、国家的な間違いである。さっそく没収してもらいたいぐらいのものだ。そしてさらに、助手席にいたばあさんの精神鑑定もお願いしたい。

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2016/08/27

「コールスロー」 の語源は、オランダ語で 「塩キャベツ」

キャベツなどの野菜をやたらと細かく刻んでマヨネーズで和えたようなのを、「コールスロー」 という。まるで食い物らしくなく、石炭を放り投げるような名前なのだが、"coleslaw" という、いかにも英語らしいつづりなので、多分英語なのだろう。しかしなんでまたそんな風な名前なのか、さっぱりわからなかった。

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自分のお気に入りの食べ物の名前の由来を、いつか調べてみようと思いつつ、ついつい忘れてしまっていたのだが、本日、やっと思い出して調べてみた。調べてみると、やっぱりちゃんとした英語である。ただ、その語源がやや面倒くさい。Wikipedia には次のようにある。(参照

英語の 「コールスロー (coleslaw)」 という名前は 18世紀ごろにオランダ語の "koolsalade" (キャベツサラダ) を短縮した「コールスラ (koolsla)」 から生まれたものだが、1860年ごろまでのアメリカ合衆国とイギリスでは誤って "cold slaw" (冷たいスロー) と呼ばれており、ホットスローという温サラダが作られることもあった。英語の "cole" には本来ラテン語から派生したキャベツの意味があり、これはまたオランダ語 kool の語源ともなっている。その後 "cole" の意味が復活して英語でも coleslaw と呼ばれるようになった。

というわけで、元来オランダ語で 「キャベツサラダ」 という意味だったのが、誤解の結果 「冷たいサラダ」 になりかかり、その後辛うじて 「キャベツサラダ」 の意味に復帰したもののようなのである。ちょっと複雑な経路を辿って定着した言葉なのだ。"Koolsla" が "cool slaw" ではなく "cold slaw" だと思われたってことは、オランダ語の発音が 「クール」 ではなく 「コール」 に近いんだろうね。

で、「サラダ」 と 「スロー」 の関係だが、どちらも 「塩」 (英語では "salt") という意味の言葉を語源としているらしい。語源由来事典によると、英語では "salad" (サラド)、フランス語では "salade" (サラード)、イタリア語では "insalata" (インサラータ)、ドイツ語では "salat"  (ザラート) というとある。なるほど、オランダ語の "salade" はフランス語と同じスペルである。

サラダというのは、今ではいろいろなドレッシングで和えたりしているが、元々は塩で和えていたもののようなのだ。ということは、「コールスロー」 は 「塩キャベツ」 ということなのだね。

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2016/08/26

この夏、逃水を見ていない

昨日と今日、茨城県内のあちこちに行く用事ができて、炎天下を車で走り回って気がついた。そういえば、今年の夏は逃水 (にげみず) を見ていない。

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逃水とは言うまでもなく蜃気楼の一種で、よく晴れた暑い日にアスファルト道路を走っていると、遠くの路面が水浸しになったように、青い空が映ったりしているように見える現象である。真夏のドライブではお馴染みだ。

ところがこの夏、その逃水を一度も見ていない。一つには、私自身がこの夏にそんなに長距離ドライブをしていないということがある。田舎の両親が亡くなってからというもの、真夏に帰省することが減って、帰るなら道路が混まず、暑くも寒くもないいい季節を選んだりしている。

とはいえ、近郊の道路を運転することはある。そしていつもの夏は、暑い日にちょっとした直線道路を走れば、当たり前のように逃水が見えたものなのだ。それを一度も見ていないというのは、一体どうしたことなんだろう。

逃水というのは、熱せられた路面とその上の空気層に温度差が生じて、光の屈折率がかわってしまうことで起こる現象だ。ということは、世の中が暑くなりすぎて、熱せられた路面との温度差が小さくなってしまったのだろうか。いやいや、その辺りのことはよくわからないが、来年の夏はごく当たり前に逃水を見て、少しは安心したいものだ。

ちなみに逃水という現象は昔からあったようで、歳時記にも取り上げられている。しかしそれは、春の季語として載っているようなのだ (参照)。アスファルト道路のない昔は、春によく見られる現象だったんだろうか。環境が変わると季節感まで変わってしまうもののようなのだ。

源俊頼の歌に 「あづま路にありといふなる逃げ水のにげのがれても世を過ぐすかな」 というのがある。昔は都路では逃水が滅多に発生せず、遙か東国ではよく見るというようなものだったのだろうか。

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2016/08/25

真夏の古都

この夏、京都に 2度行った。京都が一番暑い時期である。どちらも仕事上の出張だが、日程的に少し自由な時間が取れたので、ついでに京都観光をしようと思っていた。とはいえ、京都に着くまでどこに行くかは決めていなかった。

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とはいえ、真夏の京都のど真ん中を歩く気にはなれない。そんなことをしたら暑くて疲れ果ててしまう。少なくとも北山よりももっと北に行こうと思っていた。それなら、自動的に比叡山、鞍馬/貴船、大原の 3カ所が候補に上る。で、今回は比叡山と大原ということにした。

京都という所は千年の都ではあるが、ちょっと外れると田舎の風情がある。とくに洛北は 「鯖街道」 と呼ばれる、日本海で獲れた鯖が京都に運ばれるひなびた道がある。京都府は日本海に面しているのである。

真夏の鯖街道は、時が止まったような不思議な感覚に襲われる。「ちょっと外れたら、もう田舎」 という風情が、実は京都の魅力の一つなのだと思う。本数の少ないバスを待つ感覚は、同じ田舎でも東北とはまったく違う。都からちょっと外れた田舎というのは、独特の雰囲気だ。

2度目の訪問で大原を訪ねた翌日は、奈良の斑鳩を回った。ここもまた、十分に田舎の雰囲気である。ただ、さすがに平城京であり、京都よりさらに古い歴史を感じさせる。奈良と京都は、ローマとパリぐらいの違いがある。

夏というのは、古都の白い光の中で凍てついた歴史感覚を辿るのに最高の季節だ。

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2016/08/24

「湖」 と 「沼」 の違い、「うどん」 と 「そうめん」 の違い

日本一大きな湖といえば、誰もがご存じの琵琶湖だが、2番目は私が居住する茨城県の霞ヶ浦である。私が子どもの頃は霞ヶ浦は 3番目で、2番目は秋田県の八郎潟だったが、これは干拓されて陸地になってしまったので、霞ヶ浦が格上げされたのである。

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さらに 3番目は北海道のサロマ湖で、4番目は福島県の猪苗代湖、5番目が島根県、鳥取県の中海 (なかのうみ) ということになっている。こうしてみると、八郎潟を加えた 6つのうち、「湖」 という名の付くのは半分の 3つしかなく、あとは 「潟」 「浦」 「海」 となっている。同じ湖でもいろいろな呼ばれ方がされている。

私の住む茨城県南西部から千葉県北東部の地域では、牛久沼、手賀沼、印旛沼など、「沼」 という呼称が一般的だ。その他にも 「池」 という言い方もある。さて、「湖」 「沼」 「潟」 「池」 「浦」 という呼称の違いって、どういうことなんだろうか。

「違いがわかる事典」 というサイトに、"「池」と「沼」と「湖」と「泉」と「沢」と「潟」の違い" というページがある。それによると、こんな感じだ。

泉は、「出づ水」が語源であるように、地中から水が湧き出るところを意味し、池や沼、湖などのように水が溜まったところを表していない。

潟は、海の一部が砂州によって外海から分離されてできた低地に水が溜まったところで、海水が混ざっていて、潮の満ち引きによって現れたり隠れたりする。

残りの 「池」 「沼」 「湖」 「沢」 に厳密な違いはないが、大きさ・深さ・植物の有無などが目安となって一応の区分がなされているという。こんな具合だ。

沢は、低地で浅く水が溜まり、アシやオギなどの植物が茂っている湿地である。また、山間の比較的小さな渓谷も 「沢」 という。

池は、自然のくぼ地に水が溜まったところや、地を掘って人工的に造ったところ。ふつう、沢よりも大きく深いが、沼や湖よりも小さく、水深 5m以下のところをいう。水中植物はあまり生えていない。

沼は、池よりも大きく、湖よりも小さいところ。水深は池と同様に 5m以下であるが、フサモ・クロモなどの水中植物が繁茂し、泥土が多い。

湖は、池や沼よりも大きく、水深  5m以上のところをいう。ふつうは自然にできたところを指すが、ダムなどの貯水池を 「人工湖」 「人造湖」などと呼ぶように、人工的に造られた湖も存在する。

というわけで、大方のイメージにあるように、一番大きいのが湖で、沼はその次に大きいけれど泥っぽい感じ、池は人工的なもので、沢はちょっと水の溜まった湿地ということのようだ。私は山登りをしていたので、「沢」 というと山の中の渓谷というイメージの方が強かったのだが、一般的にはそうじゃないらしい。

また初めに触れたように、我が家の近くでは牛久沼、手賀沼、印旛沼など、「沼」 というのが多いけれど、見かけとしては十分に 「湖」 といっていいほどのものだ。まあ、関東は古くは文化果つる 「東国」 だったから、泥臭く 「沼」 ということになっているのかもしれない。

霞ヶ浦の 「浦」 に至っては、上述のページにも説明がない。これなんか、大昔の海とつながっていた時代からの記憶による名称なのかもしれない。行ってみればわかるが、本当にもうちょっと行けば太平洋という感覚なのだ。

こうしてみると、参照したページにあるように、"上記はあくまでも目安で、規模や形態が 「湖」 であっても、固有名詞では 「池」 や 「沼」 となっていたり、「池」 のようなところが 「沼」 と呼ばれていることもある" ということで、名称というのはその土地の文化的背景に左右されるのだろう。

これで思い出したのが、JAS 規格による乾麺の 「うどん」 「ひやむぎ」 「そうめん」 の違いで、こんな感じだ。

うどん 長径1.7mm以上
きしめん 幅4.5mm以上  厚さ2.0mm未満
ひやむぎ 長径1.3mm以上 1.7mm未満
そうめん 長径 1.3mm未満

単純に太さによる分類になっているが、本来の麺文化からすれば、そんな機械的なものじゃないというのは、ちょっと調べてみればわかることである。湖や沼というのも、そんなようなところあある。

(冒頭の写真は、大津から見た琵琶湖の風景)

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2016/08/23

「指紋認証」 というものについて

10年前にも書いたように (参照)、私はこれでも 「家事をする夫」 である。繰り返して書くが、炊事、洗濯、掃除、ボタン付け等々、一通りの家事は、そつなくこなせる。結婚当初は、妻に米の研ぎ方を教えたほどだ。

「妻が病気で寝込むと、メシを食うにも着替えをするにも困る」 なんてことを妙に自慢げに言う、一世代前の甘ったれた男とは違うのである。というか、別に妻が寝込まなくても、少なくとも自分のことは自分でやるのがフツーと思っているのだ。

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というわけで、洗濯も当然ながらフツーにするのだが、先日、漂白剤を使う時にちょっとしくじって、原液をたっぷり指にひっかけてしまった。すぐに水で流したので、皮膚がダメージを負ったわけではない。しかし指先の指紋がちょっと溶けてしまったようで、ずいぶんぼやけてしまったのだ。

この程度では痛くも痒くもないので、日常生活の支障はまったくないのだが、一つだけ不便なことがあった。iPhone のログインをする時に、「指紋認証」 ができなくなってしまったのである。フツーに見ても指紋が完全に消えてしまったわけではないので、大丈夫と思っていたが、どうしても認識してくれない。

幸いなことに私は iPhone の設定で、指紋認証をする指を 1本だけでなく、左右の親指と人差し指の 4本分登録しておいたので、別の指でログインできた。もしそれができなくても、フツーにパスコードを入力すればいいので問題はないのだが、指紋認証に慣れてしまうと、パスコード入力だけでも妙に面倒に感じるものである。

というわけで、iPhone の指紋認証は、少なくとも左右の複数の指の指紋を登録しておくことをオススメする。とはいえ、指紋というのはなかなかしぶといもので、2日後にはしっかりと復活して、ごく当たり前に指紋認証できるようになった。

昔呼んだ探偵小説で、自分の指紋を消してしまった犯人が安心して手袋をはめずに犯罪を犯したものの、消したはずの指紋が知らぬ間に復活していて、あっさり御用になるというパターンがあった。これって、かなりオマヌケなストーリーで、探偵小説としてもレベルの高いものとは言えないよね。

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2016/08/22

台風 9号の接近と、関節痛

台風 9号が関東直撃コースを辿っていて、ここ、つくばの地も朝から大荒れだ。そして昼を過ぎて風雨はさらに強まっている。我が家の裏手を流れる川は、流れの幅がいつもの 3倍ぐらいになり、土手の草も大きく揺れ動いている。

東北生まれの私は、18歳で上京するまで台風をまともに実感したことがなかった。昔は東北直撃の台風なんて滅多になく、たまにあったとしても、九州や四国で体力を使い果たしてよれよれになったようなやつばかりだった。「台風が東北に上陸」 なんていうニュースに身構えていても、よくわからないうちにいつの間にか通り過ぎていたのである。

関東に居住するようになって、ようやく台風というものを実感するようになったが、それでも九州や四国に上陸する 「現役バリバリ」 みたいな台風と比べれば、それほどのことはなかった。ところが最近、様相が変わってきて、台風が時々、南の海上から直接関東に狙い澄まして来たりするようになっている。

今回の台風 9号がまさにそれで、もっといえば、11号なんかは東北北海道を直撃するという、昭和の頃だったら考えられないようなコースを辿っている。これって、地球温暖化と関係があるのかしらん。いずれにせよ、まったく無関係ということはあるまい。

今日の午前 10時頃に仕事関係で東京都心に電話したところ、「こちら、ものすごい雨風ですよ。これがおっつけそっちに行きますから、覚悟しといてください」 と言われた。その頃には既にこちらも十分暴風雨だったのだが、正午を過ぎると雨も風もさらに強まって、一瞬ゴォーっと音がすると、家が揺れたりする。

まあ、これも夕方頃までの辛抱らしいから、それまでは家を出ないでおとなしくしていようと思っているのだが、一昨日辺りから階段を上る時、古傷の右膝が急に痛み始めた。時々雨が降り出す前にちょっと痛みを感じることはあったが、ほとんど気にならない程度のものだった。しかし今回のはかなり痛い。

ものの本によると、天気が悪くなるに連れ、気圧が下がり始めると痛むというケースが多いらしい。とすると、私の膝は一昨日から台風の接近を感知していたものと思われる。しかもいつもの何倍もの痛みなので、今度の気圧低下は、台風だけにかなりのものであると、私の膝関節はしっかりわかっていたようなのである。

台風が遠ざかり、気圧が上がり始めればウソのように痛みが消えることは経験則で知っているので、今はそれを待っている。もうすぐだろう。

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