2015/07/05

"Today's Crack" が 500万アクセスを達成してた

北海道出張のためほぼ 3日間 PC に向き合わず、今朝久しぶりに立ち上げてみると、"Today's Crack" のアクセスがいつの間にか 500万を越えていた。出張中はアクセス・カウンターの出てこないスマホ版の簡略表示で過ごしていたので、全然気付いていなかった。

6月末頃に 「そういえば、500万が近いな」 とは思っていたが、それに関して今か今かと待ちわびるような感覚には、ついぞならなかった。13年前に本宅サイトの 「知のヴァーリトゥード」 を立ち上げた頃に、1年以上かかって 5,000ヒットを達成しただけで大騒ぎして喜んでいたのとは、エラい違いだ。

今ではこのブログの 5,000ヒットぐらいは 3〜4日あれば楽々達成してしまう。13年前のウェブサイトで 1年以上かかっていたのと比べれば、ざっとみても 100倍ぐらいのアクセスがもらえるようになってしまったわけだ。

アクセス数が 100倍にもなると、1ヒット当たりの価値が 100分の 1になったわけでは決してないのに、「単なる日常」 という感覚になってしまうのも無理はない。ただ、ちゃんと考えればわざわざアクセスしてくれて、読んでくれるのだから、ありがたさに変わりはない。このことを改めて認識しなければならないだろう。

というわけで、ちょっと遅くはなってしまったけれど、ここでお礼を申し上げておきたい。

"Today's Crack" のご愛読、誠にありがとうございます。これからも、ちょっと捻った視点からの 「世の中の読み方発信」 を継続したいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

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2015/07/04

ネクタイが邪魔者に見えてきた

先月 8日の記事でも書いたことだが、「クールビズ」 が少しずつ定着してきたという気がする。ただ、その趣旨が徹底されているわけでもなく、私は次のように書いている。(参照

テレビに登場するキャスターなどのノーネクタイ姿が、まったく当たり前になったし、時々顔を出すオフィスをみても、ネクタイをしていない人の方が多い。(中略) もっとも昨今のクールビズは、「涼しい格好で省エネする」 という本来の目的よりも、「堅苦しいネクタイから解放されるための口実」 みたいなところがある。

まあ、いろいろあるにはあるが、「サラリーマンは夏でもネクタイをしなければならない」 という呪縛から解放されたことは大きい。その証拠に、近頃はワイシャツにネクタイ姿で電車に乗っているおっさんを見ると、やや奇異に感じられる。ジャケットなしだと、ネクタイがいかにも余計者に見えるようにまでなりつつあるのだ。

彼らはスーツの上着を脱いでいるだけで、目的地に着けばそそくさと上着を重ね、冷房の効いた屋内に突入するのだろう。しかし移動途中の姿、長袖ワイシャツにネクタイをしているだけという格好が、なんとも野暮ったく見えるのだ。

厳密に言えばワイシャツの位置付けは下着だから、下着にネクタイしているだけというようなものなのである。その 「厳密な意味合い」 が、クールビズが広まったおかげで、はからずも当たり前に感じられるようになってきた。なまじネクタイなんかしているせいで 「パジャマにネクタイしているみたい」 という感覚が強調されるようになった。

ネクタイさえしていれば許されるという、「サラリーマンの免罪符」 みたいなアイテムだったものが、逆に 「それ、みっともないだろう!」 ということになってきているのである。時代は変わった。変われば変わるものである。

現代におけるファッションというものは 「感覚派のおもちゃ」 みたいなところがあるから、またいつネクタイがもてはやされるようになるかもしれないが、大きな流れとしては、確実にネクタイというものがその重要性を失う方向にあることは間違いない。

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2015/07/03

"I love you." と "This is a pen."

私には長年にわたる不思議があった。それは 「どうして日本人の多くは、"I love you." を発音する時に、"I” と “you” にアクセントを置いて、"love” をあっさりと言うんだろう?」 というものだ。

実際、多くの日本人はカタカナとしての 「アイラブユー」 は、味も素っ気もなく平板アクセントで発音するが、英語としての "I love you.”というフレーズを声に出して読ませてみると、大抵「アイラブユー」 と発音する。(フォントの大きさの違いによって表現してみたが、スマホ表示だとその変化がわからないかもしれない)

これ、ネイティブ・スピーカーの実際の場面ではまずこんなことはない。相手を見つめて言うのだから、「私は」 と 「あなたを」 の部分は言わずもがなであり、強調する必要なんかない。言いたいのは 「愛してる」 ということに尽きるのだから、当然のごとく真ん中の "love" を強く言う。多くの日本人式の言い方なんかしたら、「僕はぁ、君をぉ、ごにょごにょ」 に聞こえてしまい、確実にフラれてしまう。

「なんでまた、こんなに変な言い方になってしまうんだろう」 と、私にはずっと疑問だったのだが、今日、突然の天啓のごとくにその疑問が氷解した。気付いてみれば、「なんだ、そんなことだったのか!」 と言いたくなるほど、簡単なことだ。

日本人が 「愛」 を軽視しているからとか、照れくさがっているからとか、そんな大げさな理由では決してない。それほどまでにシリアスな意味合いを、英語のこのフレーズに投影しているとは到底思われない。

それは単に、多くの日本人が "I love you." を "This is a pen." と同じリズムとイントネーションで発音してしまうからである。思えば日本人にとっての英語は、すべて "This is a pen." に集約されてしまうのだ。

思えば、日本人が発音すると "I am a Japanese." も "I go to school." も "I like football." も、単純なフレーズはみんな同じ調子になる。これもすべて "This is a pen." のバリエーションに過ぎないのだ。

そうだ、きっとそうに違いない。ああ、すっきりした。

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2015/07/02

今、米国で注目の "Marketeer" (マーケティア) とは?

emi さんが "Marketeer" という記事を書いておられる。まだ日本ではまったくお馴染みじゃないが、英語には "marketeer" なる言葉があるらしい。"Marketer" (マーケター) ではなく、"pioneer" (パイオニア) や "volunteer" (ボランティア) と同様に、「マーケティア」 と発音すべき単語である。

この単語は単に 「マーケティングをする人」 という意味の "marketer" とは異なり、上述の "pioneer"、"volunteer" などの単語から喚起される意味合いを含み、極めて先進的なマーケティングを、企業活動に従属するのではなく、生活者視点から自発的に独立して行う人を指す。今、米国ではこのような自由なマーケティングが時代を切り開くものとして注目されている。

…… というのは、真っ赤な嘘である。手持ちの Wisdom 英和辞典では、「市場商人、(特定の)市場制度の支持者」 とされているが、はっきり言って、こんな説明ではよく分からない。「市場商人」 なんて言っても、市場に立脚しない商人なんて見たことないし。しかし Oxford Dictionaries では、そう言うほかないようなことになっているようだ (参照)。

とはいえ、実際には  "marketer" とほとんど違わない、あるいは、多くの人は違いをあまり意識しない言葉として使われているらしい。emi さんはとりあえず 「マーケティング担当者」 という訳語を当てようとしているようだ。"Marketer" というよりちょっと今風な感じであるらしい。

とまあ、ちょっと小洒落た単語ということなので、日本で流行ってしまうかもしれず、そうなると、emi さんは次のような心配をしておられる。

この語の存在が知られたら一気に流行りそうだな。
ただ、そういう感覚派の人たちのやることなので、
「マーケターと何が違うんですか?」ってなったとき
いいかげんな説明をつけて広めちゃうんだろうな。
そうやってまたガラパゴスなカタカナ語が生まれるのかな。

というわけで、emi さんが危惧しておられる事態が生じるとしたら、多分こんなようなことになるんじゃなかろうかと、先回りして書いてみたわけなのである。前もってこんな風な 「釣り」 と 「バラし」 をしておけば、あまり妙なことにはならなくて済むんじゃなかろうかと思ったわけなのだが、なにしろ 「感覚派」 の人たちのことだからそんなのお構いなしに、いろんなことを言い出すかもしれない。

まあ "enginieering" (エンジニアリング) みたいな感じで、 "marketeering" (マーケティアリング) という言い方が、 "marketing" (マーケティング) よりちょっとお洒落っぽい、「最近の高度なマーケティング」 というような雰囲気を指す言い方として、一部の 「感覚派」 が使い出すことはあるかもしれないね。

そういえばその昔、"image engineering" なんてことを標榜する 「感覚派英国人」 のマーケティング・コンサルタントがいたなあ。ちっとも役に立たなかったけれど。

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2015/07/01

「環境的回心」 ということ

ちょっと旧聞になってしまったかもしれないが、Christian Today の "ローマ教皇、回勅「ラウダート・シ」発表 環境問題で回心呼び掛け 正教会・WCC・聖公会・ローザンヌも歓迎" という記事について触れよう。フランチェスコ 1世 (最近は「フランシスコ」 という表記が目立つが、私としてはずっと 「フランチェスコ」 を採用しているので、これで通させていただく) が、「回心」 を呼びかけているというのは、最大限に大きなニュースだ。

「回心」 というのは、「えしん」 と読めば仏教用語で、「邪心を改めて仏道に帰依する」 という意味だが、キリスト教では 「かいしん」 と読み、英語で言えば "conversion" である。「改宗」 あるいは 「これまでの生き方を悔い改めて、信仰に目覚めること」 といった意味だ。動詞は "convert" で、野球の守備位置を変えることも同じ単語を使う。

つまり、これまでとはがらりと変わった立ち位置に立つことである。フランチェスコ 1世は、このほどの回勅で、「環境的回心」 (ecological conversion) が必要であると訴えている。つまり、これまでの 「人間中心主義」 を改め、「統合的エコロジー」 によって自然との共存を目指す生き方をすべきとしている。

つまり、これまでは 「自然は障害であり、人間によって作り替えられ、乗り越えられるべきもの」 という 「人間中心主義」 を改め、「自然は保護し、共存すべきもの」 としている点で、従来の西欧的哲学をひっくり返すほどの意味をもつのである。

これはむしろ、東洋的な思想に近付いているともいえるが、同時に最新の科学的知見をしっかりと取り入れている点で、科学と宗教の和解を促進するものともいえる。つまり今回の回勅は、十分な科学的裏付けをもつ現代的なものなのだ。そうした点で、私はフランチェスコ 1世は歴史に残る偉大な教皇であると思う。

私は過去にも "「フランチェスコ 1世」 という名のローマ教皇" (2013/03/15)、"ローマ教皇が、自然破壊は 「モダンな罪」 と指摘" (2014/07/13) という記事で、「今のローマ教皇はエコロジカルな視点をかなり重視している」 と指摘しているが、今回の回勅はその本領を発揮されているようなのだ。

重要な点は、この回勅をカソリックのみならず、他のキリスト教諸派も歓迎しているという点である。もっとも保守的な勢力とみられていたカソリックが、これほどまでにラジカルなエコロジーを推進するというのは、西欧の宗教哲学が大きな転換を図っているということであり、世界の精神世界に大きな影響を与える。

世界は今、大きく方向変換を始めているのである。これはフツーの日本人が思っているよりずっと大きな意味をもつ。これを理解できないと、世界の潮流に取り残されると言ってもいい。原発再開なんて言ってる場合じゃないのである。

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2015/06/30

ならば私は「¥記号をつけた数字で表示:¥1,200」 の店を選ぶ

脳科学マーケティング100の心理技術』 という本が話題になっている。脳科学的アプローチによって、売り上げを増大するマーケティングの紹介である。ネットの世界では、次のようなクイズが散見されて、この本を売るための巧妙な宣伝になっている。

レストランのメニューからクイズです! 次の3つの料金表示うち、一番多く注文が取れたのはどれでしょう?

① ¥記号をつけた数字で表示:¥1,200

② ¥記号をつけない数字表示:1200

③ 文字で説明:千二百円

このクイズの正解は ② なんだそうだ。他の 2つは 「お金を出す」 ことを強くイメージづけるため、脳に 「痛み」 を感じさせ、人を実際の購買行動から遠ざけてしまうというのである。

ちなみにこの本によれば、「回転寿しやタクシーの料金など、1回1回の消費で料金が上がっていくのをお客さんが目にする販売方法は最悪です!」 ということになるらしい。なるほど、寿司を一皿食うごとに、タクシーで約 300メートル行くごとに支払金額が上がっていくシステムは、脳にある種のストレスを与える。

しかし、この 「ある種のストレス」 のおかげで、客は別の安心感を得る。自分の支払う金額がきちんと把握されるので、「一体いくら取られるんだ?」 という不安感から逃れられる。つまり小さなストレスのおかげで、より大きな安心感を得られる。

この 「安心感」 というのは、要するに 「余計な金を支払わなくて済む」 ということだ。具体的には、消費者が設定した 「ここまで!」 というリミットに達する前に 「自らストップをかけることができる」 という意味である。

つまり裏側からみると、『脳科学マーケティング100の心理技術』 という本は、「消費者が自らストップをかけることができなくなる巧妙なマーケティング・メソッドを指南する本」 ということになる。つまり、客に余計な金まで使わせるための本だ。

ということは、これは品物やサービスを提供する側のために書かれた本で、消費者のために書かれた本ではないということに気付かなければならない。つまり、この本に書かれたメソッドを実行している店は、「賢い」 かもしれないが、それは甚だ 「中途半端な賢さ」 であり、決して 「顧客志向」 ではないということだ。

だから消費者の立場に立てば、メニューの価格表示に、「¥」 マークの付いている店の方がありがたい。そうした店を選べば、余計なものまで注文した挙げ句、レジで 「しまった、飲み食いしすぎた!」 と後悔しなくて済むかもしれないということだ。

逆に 「¥」 マークのないメニューを出す店は、手前の利益ばかり考えて、客に余計な金を出させようとするあこぎな店かもしれないから、警戒しなければならないというわけだね。

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2015/06/29

労働時間と生産性に関する身近な実感

「ニュースの教科書」 サイトに 「米国人は仕事中毒? 休暇中もノートパソコンを叩く人が増加中」 という記事があった。仕事中毒なのは日本人だけと思っている人には意外だろうが、米国人は本当に朝から、というか、夜明けから晩まで仕事をしている。

日本のオフィス街で、夜明け前からビルの窓に明かりが灯っているなんてことはほとんどないが、ニューヨーク、マンハッタンのホテルに泊まって、どうせ時差ボケだから夜明け間に起き出してゴソゴソやっていると、隣のオフィス/ビルの窓のいくつかには既に皓々と明かりが点いて、誰かが当然のようにデスクに向かっているのが見えたりする。

もっとも、そんな人はプロフェッショナルなキャリアの人に限られていて、フツーの労働者は決まった勤務時間だけである。例えばオフィスのおねえちゃんなんかは、夕方にコピーを頼まれると、作業している間に退社時刻になりそうな場合は、それがたった 10分ぐらいの作業でも翌朝に延ばすのが当たり前だったりする。

しかし米国の会社役員とか、プロフェッショナルな人たちは、フツーの労働者とは仕事の意欲が違う。そもそもかなり強烈な競争社会を勝ち抜こうとしているし、成果を上げれば挙げるだけ報酬としての見返りがあるということもある。そうこうしているうちに、確かに 「仕事中毒」 みたいなことになる。

一方、日本の労働者の労働時間の長さは、ちょっと異質な気がする。一般的に労働時間のみが長くて、生産性は少なくとも米国、英国、ドイツなどに比べてかなり劣る。要するに、だらだらと長時間労働をしているということになる。

メンタリティとしては、一つには、いくら成果を上げても報酬としての見返りは大した違いはないから、だったらせめて、残業手当で稼ごうかという妙な心得違いをする傾向がある。これって、結果的には成果は大して違わないのに残業手当だけがかさむということだから、企業としてもムダだと思うがなあ。

もう一つ、顧客のわがままを聞きすぎて、納期寸前のスペック変更などをしなければならなくなり、大慌てでサービス残業をしてでも帳尻あわせをするなんてこともある。「お客様は神様」 と思いすぎている結果である。

ビジネス契約というのは本来、発注者も受注者も平等の立場で約束しているのだから、発注者が後になってイレギュラーな注文を加えたら、その分納期をずらすか、エクストラ料金を支払うかしなければならないはずなのに、日本では受注者に 「泣いてもらう」 ことが平気でまかり通っている。これが事前の計画がいい加減なままで走り出して、生産性を落とす原因となる。

要するに 「なあなあの契約」 が多いから、労働時間だけ延びて、成果はあまり上がらないということになるわけね。まあ、その分 「顧客満足度」 は高かったりするが、本来発注者側の責任とされる分も、受注者が 「発注者の身になって」 考えて引き受けてくれてるんだから、そりゃ発注者側の満足度が高いのは当然だ。高い満足度は、受注者に 「泣いてもらう」 ことで実現されている。フェアじゃないよね。

ビジネスというのは、同じ企業がある場合は発注者でも、別の場合は受注者になるのだから、結局それは 「負の連鎖」 になって、日本全体の生産性を落とす結果になる。だから日本人は、勤勉に長時間仕事をするのに、実は好きでやってるわけじゃない。酒飲みながら仕事の愚痴ばかり言っている。

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2015/06/28

東北がやっと梅雨入り

気象庁は一昨日の 26日に東北南部が、昨日の 27日に東北北部が梅雨入りしたとみられると発表した。平年より半月近く遅く、記録的な遅い梅雨入りだったらしい。

一昨日まで 2日間、仕事で秋田に滞在したが、土地の人は 「梅雨入りしないうちから真夏になってしまったようで、水不足で田んぼや畑が心配」 と話していた。そんなところに一部では有名な晴れ男の私が顔を出したものだから、「これでまた梅雨入りが遅れる」 なんて言われてしまった。

「大丈夫、帰ったらすぐに雨が降って梅雨入りしますから」 と冗談を言っていたのだが、それが本当になり、私の晴れ男伝説にまた新たなエピソードが加わってしまったのだった。「ここまで来ると、空恐ろしい」 なんてジョークも出ている。

ただ、天気図をみると梅雨前線は相変わらず九州南部に停滞しっぱなしで、東北が梅雨入りしたからといって、鹿児島の大雨の心配がなくなるというわけでもないようなのである。一体どうなっているのか、これもまた、エルニーニョのせいなのか。そろそろ日本の真ん中辺りで梅雨前線を引き受けないと、今度は梅雨明けの遅れる心配をしなければならないだろう。

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