2009/07/13

自民党のビョーキ

出張先の小樽のホテルに戻って、夜の 9時過ぎにテレビのスイッチを入れたら、都議選の自民党惨敗のニュースの真っ最中だった。

自民惨敗とはいえ、民主党が過半数を獲得するほどの圧勝を遂げたわけでもないし、まさか共産党の連立与党を組むわけにもいかないから、決して安定与党というわけじゃない。

この構図が総選挙にもそのまま現れるとは限らないが、いずれにしても自民党に勝ち目はない。問題は、民主党が衆議院でも過半数を取れるかどうか (国民新党とか、よくわからない小さな党派との連立を含めて) である。

取れちゃったりしたら、参議院では既に多数を占めているのだから、民主党が調子に乗りかねない。だから、小沢さんや鳩山さんの例のお金の問題を早々とチャラにしてはいけないと思ってしまったりする。

今回の惨敗で、自民党の内部はますますガタガタである。それぞれが保身に走り、公然と勝手なことをほざき始め、求心力より遠心力が強くなり、そのせいで外部からみた印象がますます悪くなる。終わりかけた組織が必ず見せる、お約束の末期症状である。

自民党内部では、解散を先延ばししろとか、総裁を選び直せとか、いろいろなことを言う人がいるらしい。解散を伸ばしたところで、任期はどうせもうすぐ切れるのだし、総裁を変えたところで、外部からは滑稽にしか見えないのだが、当人たちは必死である。

なんでそんなことに必死になるかといえば、決して国の政治のためじゃない。自分の立場を少しでも有利にして、間近の選挙での落選を避けたいからだ。結局、自分の都合である。それこそが国民の不信を買っているのだが。

自民党の政治家の多くはコップの中で 「麻生が悪い」 と言っているが、それはとりもなおさず、「自分はそんなに悪くない」 と言外に言っているのと同じで、みっともない有様である。かといって、麻生政権の求心力を無理矢理強めたりすると、それもまた自殺行為だ。

このどうしようもない矛盾こそが、今の自民党のビョーキの一番悪い症状なのだと思う。

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2009/07/12

食い物のおいしさ

実は今、仕事で北海道の小樽に来ている。札幌までは何度も来たことがあるが、小樽は初めてだ。来てみて、人口 14万の地方都市にしてはあか抜けしているのに驚いた。

あか抜けしているのも道理で、この街は日本有数の観光都市であるらしい。そういえば、石原裕次郎記念館なんていうのまである。

仕事でバタバタしてしまっていて、ブログ更新の時間をとるにも苦労しているが、なかなかいい街である。私は気に入ってしまった。港町というのは、人間が 「気楽になんでも受け入れ型」 にできているから、こちらも構えずにいられる。食い物も、海の幸を初めとしておいしいし。

ただ、なまじ観光都市として開けてしまうと、ちょっと荒れてしまうところもある。昨夜、有名な倉庫街の中の、倉庫を改造して造られたいかにも観光客向けの店で海鮮丼を食べたら、高いばかりで期待からはかなりかけ離れていた。あれだったら、東京のフツーのスーパーで買える食材と変わらない。

今朝、ホテルでビュッフェスタイルの朝食で、海鮮の食材がたっぷりあったので、ご飯に乗せて海鮮丼もどきにして食べたら、こちらの方がずっとおいしかった。値段は観光客向けのお店の 6割程度である。これでカニ汁だのサラダだの漬け物だのフレッシュジュースだのコーヒーだのも付く。いったいどうなってるんだ。

実は、私はこう見えても舌はずいぶん肥えているのである。なにしろ庄内平野というおいしい食材の宝庫で育ったし、父は脱サラで海産物問屋をして、北海道から高級食材を仕入れていたから、母が忙しくて晩飯を作れなかったときなど、けっこう高いウニだのいくらだのをわしわし食っていた。だから、そんじょそこらの味音痴の観光客とはわけが違うのだ。

人と食事をして、「ここの店は相変わらず旨いねぇ」 なんて言われても、内心では 「いや、前回来た時よりも、かなり味が落ちたんだけど、こんな明白な違いに、この人、どうして気付かないんだろう?」 なんて思うことが度々ある。

あくまでも個人的印象かも知れないが、自称 「俺は食い物にはうるさいよ」 なんて言う人ほど、実は違いがわかっていないように思う。彼らはただ、ブランドと値段にだまされているだけだ。

庄内で育ってしまった私は、かなりおいしいものを、「フツーのメシ」 として食べていたもので、東京に出てきてうまいと評判の店で食事をしても、「ふぅん、まあ、この程度なのね」 なんて思ったりする。ただ、私はよっぽど出来損ないの料理でない限り、「まずい」 とは決して言わない。ちゃんと感謝していただくことにしている。

そして本当においしいものを食べると、その感謝の度合いがアップして、とても幸せな気分になるのである。

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2009/07/11

『唯一郎句集』 レビュー #40

あっという間にまたウィークエンド。『唯一郎句集』 のレビューである。ここのところ、なんとなく唯一郎のスランプの時期だったのではないかという気がしていた。

しかし、今回レビューのあたりから、スランプを脱してまた鋭い感覚が戻ってきたような案配である。

唯一郎が 「朝日俳壇」 に投稿を始め、全国の注目を集めていた頃のシュールレアリスティックなシャープさが、また光を発し始めているようだ。

レビューに入ろう。

人相の話をする悲しげな叔父の空ラ梅雨の一室

唯一郎の叔父って誰だろう? よくわからないが、人相の話をしていたらしい。悲しげに話していたというのだから、あまりオプティミスティックな方向の話ではなかったのだろう。愚痴のようなものだろうか。

しかし、外は空梅雨で、明るいからりとした陽気である。外の明るさと、家の中の一室の陰鬱さというコントラスト。

あえて 「空ラ梅雨」 と表記しているが、まだこ言葉があまり一般的ではなかったのだろうか。

不幸な父子が泳ぐかなしきは落日の一つの海月

夏の日本海は穏やかである。冬は荒波になるが、夏は日本列島が防風壁になっているようなものだから、凪いでいる時は鏡のように平らな海になる。

その穏やかな日本海をゆったりと泳ぐ 「不幸な父子」 とは、自分自身と自分の息子 (私の伯父にあたる) だろう。端から見れば決して不幸ではないのだが、それでも 「不幸な父子」 と言ってしまうところが、唯一郎の悲しさである。

夕方の海である。凪の時だろう。日が沈む。日本海側の夕日は海に沈む。赤々と沈む。悲しいほどの赤い日に照らされて、さしもの凪いでいる海原にも、小波の影が刻まれる。

浮かびながら見上げると、頭の上に朧な半月がある。父と子の朧な悲しさを空に投影したような半月である。

黒献上の帯で行く若者よ高原の踊場のはやも秋草

酒田の近辺で 「高原」 というのは、鳥海山の中腹あたりのことだろうか。博多織の黒献上の帯を締めた若者が行くという。高級品の帯を締めているのだから、いいところのぼんぼんなのかもしれないし、あるいはまた、自らの姿を回想しているのかもしれない。

「高原の踊り場」 という言い方が面白い。ジグザグに昇る道のちょっとした休憩場所になっているようなところか。 「はやも秋草」 という結句がすごくいい感じだ。可憐な秋草が見えるような気がする。

白浴衣に黒献上の帯。高原のくっきりとした稜線。足下の秋草。映画を見るような感覚の句である。

今日はここまで。

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2009/07/10

勝手を言う東国原さんの存在意義

東国原宮崎県知事も、ようやく自民党がぶっ壊れていることを深く認識したようで、これまでの出馬云々という話をご破算にし始めた。

「国と地方の税源配分 5 対 5の実現」 が自民党のマニフェストに盛り込まれないなら、もう知らんというストーリーを打ち出して、自民寄りのイメージを払拭したい考えのようだ。

それどころか、民主党がそれをマニフェストに盛り込むなら、支持するというような含みの発言をして、見事な変わり身の速さを見せている。民主党から出馬というのは、いくらなんでも考えないということだが。(参照

さすがに、機を見るに敏というか、壊れてしまった自民党で総裁候補だか閣僚だか陣笠だかわからないところからスタートするよりも、県知事という地位に居続ける方がずっと有利ということに気付いたようだ。それに、勝ち馬に乗る方が利口なのは、誰が考えても元々わかっていたことだし。

痛いのは自民党だ、人気者を引っ張ってきて少しは選挙を有利にしたかったところだろうが、散々話題だけ先行し、自分のところのマイナスだけが浮き彫りにされて、挙げ句の果てに逃げられてしまっては、踏んだり蹴ったりである。こんなことなら、古賀さんが下手なアプローチしただけ馬鹿馬鹿しい。

それにしても、東国原さん、根っからの政治家じゃないから、面倒な舞台裏ポリティックスにとらわれないで、見ようによってはずいぶん勝手なことを言い放題である。でも、この勝手なことを言い放題できる土壌というのが、これまでの日本にはなかったのだ。

政治というのはこれまで、政策とか理念とかよりも裏の貸し借り勘定で動いてきたのである。だから、誰が誰にどんな貸しがあって、どんな返し方をすれば波風が立たないかというのを知り尽くしているオッサンが、陰の実力者とか調整役とかになれたのである。今で言えば、森さんとか青木さんみたいな人ね。

でも今や、森さんみたいなおっさんは、うっとうしい存在になってしまったのである。いつまでも昔の貸し借りをごちゃごちゃ言うから、政治は前に進まないのだ。そんなものはいっそリセットしてしまった方がいい時期にさしかかっているのだ。

だから、東国原さんみたいなのは、ある意味重要なのである。

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2009/07/09

本当にぶっ壊れてしまっている自民党

去年の 4月末に "既にぶっこわれている自民党" という記事を書き、その後、年末にはダメ押しとして "やっぱり 「既にぶっ壊れてた」 自民党" なんて書いた。

これ以上ダメの押しようがないから、タイトルの付けようがないぐらいだが、自民党、本当にぶっ壊れてしまっているのである。

そう見るしかないではないか。安部、福田と、2人続けて政権を途中で放り出し、その後釜になった麻生首相も、気付いたときにはもう 「死に体」 だった。3人続けてこんなざまになるというのは、いくらなんでも政権党としてひどすぎるお話である。

自民党には 「麻生内閣では総選挙を戦えない」 として、総裁選前倒しを唱える人もいるらしいが、「じゃあ、誰なら戦えるのか?」 と聞いてみたいほどだ。総裁の首をすげ替えればなんとかなるなんていうのは、勘違いも甚だしい。さらに東国原さんを連れてきても、壊れちゃったものはもう壊れちゃったのである。

改めてしみじみ思うのは、「自民党をぶっ壊す」 と公言していた小泉さんは、本当にやってしまったんだなあということだ。「3年殺し」 なんて言葉があるが、自分の政権担当時期を経てからゆっくりぶっ壊れるような奇妙なパンチを、しっかりと入れてしまったようなのだ。

小泉さんは自民党内野党だったのである。その自民党内野党が、あれだけの支持を得てしまった。というか、自民党内野党だったからこそ、あれだけの支持を得られた。政権が自民党内与党に戻ったら、小泉政権時代の支持を得られるはずがない。単純な話である。

そして、小泉さんが好き放題やっているうちに、自民党内与党、つまり主流派の基盤はガタガタになってしまった。人がいないではないか。もっともらしく総裁選挙をして選んだ 3人が、連続してあんな調子だもの。

一時、自民党は都市政党のような顔に生まれ変わったかのように見えた。しかしそのおかげで、地方の支持基盤はガタガタになった。そしてその揺り戻しで、今やせっかく得かかった都市政党らしき顔つきを失い、しかも地方の基盤は再生していない。

これまで地方で自民党の確固たる支持基盤だった農家は、今やほとんどが兼業農家で、とくに若旦那の主たる収入は中小企業のサラリーマンとしての収入である。年老いた親父も、自民党に幻滅してしまっている。社会の構造が変わってしまったのだ。自民党でなければならないなんて、今では誰も思っていない。

小泉さんがぶっ壊さなくても、自然にぶっ壊れはしたのだろうが、小泉さんがそのきっかけをずいぶん早めてしまったんだなあと思うのである。

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