2016/05/23

カモガヤ花粉症の季節

既に何度か書いているが、カモガヤという植物の花粉症に悩んでいる。これ、スギのような木じゃなくて、背の低い草なので、花粉が風で遠くまで飛ばされることがない。しかし我が家の周りにはうじゃうじゃ生えているので、この時期は大変なことになるのだ。

私は 2月から 4月にかけてのスギ花粉アレルギーがちょっと一段落したかと思うと、間もなくカモガヤのアレルギーになってしまい、これが下手すると 7月頃まで続く。つまり 1年のうち半分近くはアレルギーに悩まされるという、因果な体質のようなのだ。

私の妻はスギ花粉アレルギーには縁がないが、去年からカモガヤのアレルギーを発症してしまった。これに関しては私よりもずっと症状がひどく、医者に行って薬をもらっている。スギ花粉が大丈夫なのに、カモガヤなんていうマイナーなアレルギーで悩むとは気の毒なことだが、これで夫のスギ花粉アレルギーのしんどさを心から理解してくれるだろう。

それにしても、7月の声を聞いてアレルギーから解放されると、今度はじめじめとした湿気と暑さの季節になる。ああ、春から初夏という一番いい季節にアレルギーで鼻水とくしゃみと目の痒みに悩まされるとは、ムカつくことであるなあ。

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2016/05/22

大都市の選挙における 「知名度」 という魔物

昨日の 「どうしてまともなと知事が選ばれないのか?」 という記事の続編である。昨日の記事には、K.N さんが次のようなコメントをしてくれた。

先日TV番組で、あるアナリストが言っていたことですが、都知事に当選するには、「政治手腕・資質プラス『知名度』が必要なのです。」 とのこと。

候補者の 「政治手腕・資質」 なるものを一般市民がある程度把握するには結構な時間、手間、若干の費用を費やさなければいけないし、そこまでやって選挙に臨む人っていないのでは・・・。結局、メディアに露出しまくって、口達者で、一見知識人的な人を気軽に選んでしまったのでしょうね。

うぅむ、多分、これなのである。 これが 「どうしてまともな都知事が選ばれないのか?」  との疑問への最もわかりやすい解答だ。

これだけ情報社会となって、ちょっとインターネットにアクセスすれば溢れるほどの情報があるのに、有権者の多くは、単にメジャーなメディアに登場しまくって、「口達者で、一見知識人的」 という印象の人に貴重な 1票を投じてしまう。そして東京都のような大都市圏では、「メディアに登場しまくる人が存在して、その中にはその知名度を選挙に利用する人がいる」 ってなことなのだ。

さらに割り切れないことに、わざわざ投票所に行く人の多くが、「知名度」 なんていう薄っぺらな基準に左右された投票投票行動を示すのである。有権者のたかだか半分以下しか投票所に足を運ばないというのに、その 「わざわざ投票所に行く、意識ある有権者に見える人たち」 の投票行動が、その程度のものなのだ。

どうして大都市においてこんなことになるのかといえば、それは 「大都市だから」 としか言えない。田舎の選挙なら、候補者の人となりを多少なりとも口コミなどで伝え聞くことが可能だが、隣に住む人との交際もほとんどない大都市においては、メディアへの露出度がモノを言う。そしてメディアへの露出度がハンパじゃない候補者が、大都市には当たり前に存在してしまうのでとにかく始末が悪い。

選挙期間中はさしものインターネットも、その強力な情報力が制限されてしまう。下手なことを書くと選挙妨害として訴えられかねないから、まともな人はまともなことを書きにくくなる。そして無責任な情報だけはあふれかえるから、インターネットそのものの信頼度が低下する。

その結果、それまでのメジャーなメディアへの露出度だけが力をもってしまう。そう考えると、あの青島幸男さんを選んでしまったことや、大阪で横山ノック府知事が誕生したことなどの意味が理解される。

逆に言えば、「知名度なんかくそ食らえ」 と思っているような 「冷めた人たち」 は、投票所に行かないのである。それで私はずっと、都知事選挙の結果をみてびっくりしっぱなしだったのだ。「まともにモノを考えて選んだ結果とは信じられない」 と思ってきたが、よく考えれば単純なことで、実際に 「まともにモノを考えて選んだ結果」 なんかじゃなかったのである。

これまで、田舎の選挙の汚職まみれに暗澹たる思いでいたが、大都市圏では別の意味での 「民主主義の危機」 が存在するわけだ。これは大都市における投票行動が、 「民主主義そのものがもつ最大の弱点」 である 「ポピュリズム」 の傾向に振れやすいことを意味する。

インターネットの情報力がもっと地に着いたものとなれば、このリスクは乗り越えられる可能性があるが、逆に、より極端なポピュリズムの方向に振れてしまうリスクもある。

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2016/05/21

どうしてまともな都知事が選ばれないのか?

桝添都知事に、まさに十字砲火のごとき非難が浴びせられている。東京都民の間でも、「セコい」 だの 「ネコババ」 だの、散々な言われようだ。しかし私は東京都民じゃないから、「その桝添さんを選んだのは、あんたたち東京都民でしょ」 と言いたくなってしまうのだよね。

「いや、あの時の投票率は 46%しかなくて、桝添さんはそのうちの 43%を得ただけだから、都民の 20%が支持したに過ぎない」 と反論する人もあるかもしれない。しかし、投票率 43%という時点で、半数以上の有権者は、最有力候補を暗黙のうちに支持したといわれても仕方ないのである。桝添さんが嫌だったら、積極的に対立候補に投票すればよかったのだから。

世の中は米国のトランプ旋風を呆れて見ているが、私に言わせれば、東京都知事選挙だって相当いい加減なものだった。昔から都知事にはろくな人がいない。1979年に当選した鈴木俊一さんがややましな都知事で、その前の美濃部さんがガタガタにしてしまった都財政を立て直してくれた。しかしよせばいいのに四選なんかしちゃったものだから、末期には裸の王様状態だった。

その後の青島幸男さんは、他に文句を言う才能はずば抜けていたが、自分が当事者になった途端に、何もできない人になってしまった。あの頃都庁に行くと、役人たちがものすごくだらけていたのを覚えている。都知事が役人になめられていたのだ。

青島さんとしてもさすがに居心地が悪かったらしく、一期でやる気をなくして、その後に都知事になったのが、石原慎太郎さんである。この人、ある意味 「恐怖政治」 を敷いたものだから、都庁の中が青島時代から一転してピリピリした緊張感に包まれていた。役人がだらけなくなったのはいいが、政策的には、米国のトランプ氏のさきがけみたいなものだったと、私は思っている。

石原さんの三選だけでも私は呆れて見ていたのに、さらに東京都民は四選さえもさせてしまった。私は 「あの、文句を言うだけで当事者能力ゼロの青島さんを選んだ人たちだもの、石原四選もしょうがないか」 と、無理矢理に自分を納得させたものである。

そして友だちのいない猪瀬さんの後に、「人の金なら使い放題だぜ」 の桝添さんである。桝添さんは今は辞任の素振りは全然見せていないが、任期を半分以上残してレイムダック状態なのだから、多分もたないだろう。

次の都知事選挙になったら、東京都民には今度こそまともな都知事を選んでもらいたいと思う。本当にそう思うのだが、青島、石原、猪瀬、桝添と、こんなにも連続してびっくりするような人を選んでしまっているのだから、実際には期待するだけ無理なのかもしれない。すっかり失望してしまう前に、予防線として期待しないでおこうという気にさえなってしまう。

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2016/05/20

観光立国とホテル事情

昨日まで関西方面に 2泊 3日で出張したが、これに限らず、私は日本中のあちこちに出張する機会が多い。その上での実感なのだが、近頃、ホテルがとてもタイトである。

17日夜は大阪市郊外のホテルに泊まったのだが、それは大阪市中心部のホテルが満杯で予約できず、郊外に押し出されてしまったのである。10日前ぐらいの段階で、そんな状態だったし、来月の名古屋出張では、1ヶ月前からいつものホテルの予約が取れない状態だ。

東京、大阪、名古屋、京都など、大都市のホテルは、一昨年ぐらいまでは繁忙期でもなければ 3日前でも十分に予約できたが、今や 10日前や 2週間前の予約が難しい。最近では、仙台、金沢、広島、福岡など、地方の中核都市のホテルもかなりタイトになったし、さらに小樽、長崎、など、地方の観光地のホテルもやたら予約しにくくなった。

これは中国人などの外国人旅行客の急増によるものだ。ちょっと前までは、東京や大阪などの大都市で 「爆買い」 やディズニーランド、USJ などに集中している印象だったが、昨年頃からは 「こんなところにまで観光に来るのか」 と驚くほどの 「中堅どころの観光地」 にまで、ツアーが押し寄せている。主なところは一巡してしまい、「穴場」 が求められる段階になってしまったのだろう。

政府は 「観光立国」 なんてことを言っているようで、2020年までに訪日外国人旅行客を、2000万人に増やすという目標を掲げている。一昨年は 1300万人規模にまで急増したというのだから、さらにその 3割増しを狙っているというわけだ。

私がホテル不足を実感し始めたのは、昨年辺りからである。この上、観光客の増加ばかりを狙って、宿泊施設の充実が後回しになったら、とんでもないことになる。本当に仕事に差し支える。

政府は昨年頃から 「民泊」 なんてことを言い出した。「民宿」 との違いは、簡単にいえば簡易宿泊施設として登録してあれば 「民宿」 で、フツーの民家で泊めたら 「民泊」 ということになるらしい。しかし昔話のような 「山中で日が暮れてしまったので、一夜の宿を」 なんてわけにもいくまいし、なかなか大変なことになるだろう。

30年ほど前に、ここつくばの地では、「つくば万博」 というイベントがあり、その時も宿泊施設の不足が問題となった。その解決策として、一般家庭に泊まってもらうなんてことが言われ、そのために 「トイレ水洗化のための補助金」 という時代を感じさせるお金が結構支払われたようだ。また、「列車ホテル」 なんてのも話題になって、空き地に昔の客車が突然現れたりした。

しかし実際問題として、つくば万博に来た観光客が、列車ホテルや一般民家に泊まったなんて話は、ほとんど耳にしなかった。そりゃそうだ。当時の観光客は、つくば周辺で泊まれなかったら、東京のホテルに泊まっていたのだろう。トイレ水洗化の補助金や、列車ホテルの設置にかかった費用は、「一体、何だったんだ?」 ということだ。

最近の 「民泊」 にしても、マンションの空き部屋に得体の知れない外国人が泊まって、夜中まで騒音をまき散らしたりする問題が発生したりしている。ほとんど歓迎されない状態だ。ましてや 「ホームステイ」 の延長のような考えで家の部屋を提供するなんてことは、期待できるはずがない。

都心部で新規ホテルを作ろうとしたら、フツーのビジネスホテルを建てても採算が取れないだろうから、ゴージャスなシティホテルだけが増えてしまう。すると、私のように出張で泊まるというニーズにはまったく役に立たない。需給マッチングが図られずに、いびつな状態になってしまうだろう。

あるいは中国の経済発展が明確な踊り場にさしかかって、外国旅行者が減少してくれれば、この問題は一挙に解決する。なんとなくそんなところに落ち着くんじゃないかという気もするのだが、さて、どうなるだろう。

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2016/05/19

そもそもクルマの燃費って、一体何なんだ?

三菱自動車の燃費データ改ざんが散々叩かれていたと思ったら、今度はスズキ自動車まで不正をしていたということで、日本の製造業界もなんだかあまり信用できないみたいな様相になってきている。しかしよく考えてみると、クルマの燃費という概念なんて、実は誰もよくわかっていないんじゃないかという気がしてきた。

そもそもクルマの燃費のカタログ・データなんて、誰もまともに信じちゃいない。一応の目安みたいなことにはなっているのかもしれないが、カタログに記された燃費がフツーの乗り方で実現されると思っているユーザーがいるとしたら、あまりにも無知ということになってしまう。

あれって、インターネット接続の速さの 「ベスト・エフォート」 よりちょっとマシかもってなぐらいのものでしかない。だから、今回の三菱自動車の騒ぎにしても、問題にされているのは燃費データの不正確さそのものよりも、同社の不誠実な社風ということのなのだと思う。要するに、発表されていた燃費がほんのちょっとだけ不正確だったという 「事実」 より、「三菱自動車って、信用できない」 と思われてしまったことが大きいのだ。

だから新たに発覚したスズキ自動車のデータ操作にしても、スズキの経営陣としては 「カタログ数値への影響は小さく、誤差の範囲内だから OK」 なんて言っているようだが、それはひょっとすると、高をくくりすぎているかもしれない。要は 「信用」 という問題なのだ。クルマって、乗っている間は命を預けているのだから、「信用」 というファクターはかなり大きい。

一方、「燃費って、そもそも何なんだ?」 ということに関しても、なかなか難しい問題である。そんなもの、条件によっていくらでも変わってしまうのだから、相対的なものでしかない。今夜の TBS ラジオでこの問題を取り上げ、自動車評論家という肩書きの人間が複数登場していろいろご託を並べていたが、フツーのユーザーには今イチ伝わりにくい内容だった。

それもそのはずで、自動車評論家というのは 「クルマ好き」 が昂じてそうした商売をするようになったのだから、どうしても 「クルマ好き」 の目でしか今回の問題をみることができない。「クルマって嗜好品だから、燃費だけが問題じゃない」 とか 「最終的にはユーザーが好きなクルマを選べばいい」 とか言っていたが、それじゃ、「クルマ好き以外の市場」 での話としては、「ほとんど何も言ってない」 のと同じである。

パソコン好きが高じて 「IT 評論家」 になった人たちが、新製品が発表されると 「期待されたほどの新機能がない」 なんて言っているのも同様だ。フツーの PC ユーザーは 「新機能」 なんて求めちゃいないのである。古くなった PC の需要なんてほとんどが単なる買い換え需要なんだから、「新機能がありすぎて使い勝手が大きく変わっちゃ、かえって困る」 のだ。

だからクルマの燃費にしても、「月間で締めてみたら、前に乗ってたのよりガソリン代が安くなってた」 ってな実感が大切なのであって、それ以上にゴチャゴチャいう必要はあまり感じない。ただ信用失墜になるようないい加減なことをしないでくれれば、それで OK なんじゃないかと思うのだよね。

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2016/05/18

2泊 3日の出張で、iPhone のバッテリー容量不足が決定的

大阪と神戸に、2泊 3日の出張に来ている。昔はこのくらいの出張になると、訪問先やホテルの地図、資料などをすべてプリントアウトして、A4 のクリアケースがずっしり重くなるほど持ち歩いていたのだが、今はすべて iPhone に入ってしまうので、荷物が軽くなってありがたいというのは、このブログでも何度か書いた。

ところがその代わり、iPhone を頻繁に使用するので、バッテリーが半日しかもたないということになってしまった。だからモバイル・バッテリーは必需品で、今年の 1月にもそのことについて書いた (参照)。そしてその頃はすぐにでも新しいモバイル・バッテリーを買うような気になっていたのだが、前々から使っていた 4700mA のが思いの外に長持ちして、まだ使い続けている。

これは iPhone を 1回半分ぐらいしか充電できないので、一泊以上の出張ではホテルに到着したらまず、モバイル・バッテリーの充電をしなければならない。そして今も、しっかり充電中だ。充電には結構時間がかかるので、夜遅くなってしまうと、朝までに満充電できなかったりする。そうなると、その日の iPhone のバッテリーがちょっと心配になる。

なにしろ初めての訪問先に迷わずたどり着くには、iPhone のナビ・アプリは必需品になってしまっていて、このナビ・アプリほどバッテリーを消耗するものはないのだ。クルマで行く時には、シガーソケットから充電し続けるので問題ないが、自転車で初めての道を 100km 以上走ろうとしたら、手持ちのモバイル・バッテリーでは間に合わない。

というわけで、いずれ大容量の新品を買わなければならないことはわかっているが、まだその機会がないのでぐずぐずしている。

根本的な問題は、iPhone のバッテリー容量が小さいことなのだが、Apple は薄さにこだわっているようで、必要十分な容量を確保しようとは思っていないようだ。それに最近は手持ちの iPhone 6 が使い始めて 1年半を過ぎたせいもあって、バッテリーがへたってきてしまっているので、ますますもちが悪くなっている。なんとかならないものかなあ。

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2016/05/17

「おもてなし」 には、やっぱり裏があった

先月の 24日28日に、「おもてなし」 の語源が 「表裏なし」 だなんていう寝言を批判した。その途端に 「おもてなし」 には 「裏」 があったとわかったのは、まったくもって皮肉なことだった。

ほかでもない。東京オリンピック招致委員会が、シンガポールのコンサルティング会社に約 2億 3000万円を支払っていたという件だ。招致委員会はこの支出は必要なコンサルティング料だったとシラを切っているが、この会社が国際陸連の前会長と関係が深かったというのだから、まあ、その使い道は賄賂だったのだろうね。

フランスの検察はヨーロッパの国の賄賂だったら、見逃していたかもしれない。しかしフランスに限らず、スポーツの世界の賄賂体質にはむかついていたのだから、アジアの非白人国の賄賂疑惑をこれ幸いと利用して、この世界の正常化を図ろうとしているんじゃないかと、私は踏んでいる。

あの時は、日本以外のどこの国もあまり注目していなかった 「お・も・て・な・し」 に、自分だけでウケていた観があり、私としてはかなりシラけていたのだが、まあ、「表なし」 で 「裏があった」 ということだったと知って、「さもありなん」 ということになったわけだね。これを機会に、スポーツの世界もあまりあさましいことをしないようになってくれれば幸いというものだ。

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2016/05/16

子供の頃は、イノシシって想像上の動物と思っていた

名前は忘れたが、ラジオに出ていた芸人が自分の出身地がいかに田舎かを言うジョークとして、「十二支すべての動物が出没します」 なんて言っていた。「さすがに虎は出ないでしょ!」 というツッコミに、「いやいや、毎年虎と竜の被害がスゴいんです」 と、かなり根性の入ったボケをかましていた。そこまで言えれば大したものである。

自分のことを言えば、十二支の中で想像上の動物である龍 (つまり辰で、私の干支) を除くと、未だに生で見たことのないのがイノシシである。さすがにトラを生で見たのは動物園だけだが、その他はフツーの生活の中で生で見たことがある。あまり田舎に縁のない人はサルも動物園でしか見たことがないだろうが、東北では奥羽山脈に分け入ればサルはいくらでもいる。

また、ヒツジも日本人には案外馴染みがなく、動物園以外でみたことがないという人も多いだろう。それに関しては、昨年の正月に 「羊を巡る小さな冒険」 という記事で、日本人はどうしてヒツジを数えても眠れないかを解き明かしている。要するに、日本人はヒツジに馴染みがないから、それを数えようとすると想像力が必要になって、つい脳が活性化してしまうのである。

イノシシの話に戻ろう。私の場合、イノシシは動物園ですら見たことがない。イノシシの北限は、太平洋側では宮城県南部とされていたが、温暖化の最近は岩手県まで進出したという説もある。しかし日本海側は雪が深いので、さすがに私の生まれた山形県では見られない。イノシシは足が短いので、雪の中では思うように動けず、冬を越せないのだろう。

だから子供の頃はイノシシなんてまったく縁遠い存在で、想像上の動物ぐらいに思っていた。北海道の人たちはゴキブリを知らないなんて言われているが、私はイノシシを知らずに育ったのである。

里山に近いところではイノシシが普通に出てきて、夜になると畑を荒らすなんて知ったのは、関東に出てきてからである。さらに福島では原発事故のために避難地域となった辺りで、イノシシが爆発的に増えているらしい。想像上の動物なんてもんじゃない。

しかし関西の山間部に住む人の話によると、いくら山里でも昔はそんなにイノシシの害に悩まされることなんてなかったという。集落と里山との間の地域が開発されすぎた結果、人とイノシシとの間の緩衝地帯が消滅して、イノシシが直接畑に現れて荒らすようになったのではないかと言う人もいる。

なるほど。それを言ったら、東北方面でのクマも似たような状況にある。ということは、山間部の限界集落と言われるところに、今後人が住まなくなってしまったら、人とイノシシやクマとの関係も元に戻るだろうか。

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2016/05/15

経費支出の公私混同

東京都知事の政治資金の私的流用が取り沙汰されている。家族旅行のホテル代や私的な備品代を政治資金として支出していたようだ。しかもそれが結構高額なので、都知事になってからのやたら豪華な出張の件も合わせ、「この人、かなり金遣いの荒い人だなあ」 と思ってしまう。

ただ政治資金に限らず、経費の公私混同というのは決して珍しくないことで、中小企業の経営者なんて、家族の牛乳代まで会社の経費で払ってるなんて言われきた。とにかく 「経費で落とせるものはなんでも落とす」 のが、この世界の常識みたいになっている。桝添さんを批判する人は、その辺りのことはさぞかしきれいに処理しているのだろうと思うが、実際はどうなんだろう。

私が自分の会社 (私一人だけのワンマン・カンパニーだが) を作った時、税理士からは 「どんなものでもいいですから、領収書は保存しておいて下さい。個人的な外食代や、ちょっとしたコンビニでの買い物でも、できるだけ経費で落とすといいです」 と指導された。この世界ではそれが当然なのだそうだ。

だがそういうのって、何となく気持ち悪くて性分に合わないので、個人的な支出は会社の経費にはしていない。税理士からは、「なんでもいいですから、もっと領収書を保管しておいて下さい」 と言われたが、結局従っていない。

桝添さんはこうした 「世間の常識」 に関して、気持ち悪いとは思わない性分なんだろう。そしてそれは、桝添さんだけというわけじゃない。しかしよく考えれば、こうした税理士の指導って  「気持ち悪くて性分に合わない」 どころか、れっきとした犯罪じゃないか。

思い返せば、亡くなった父は脱サラして零細企業を始め、まあまあ成功した部類に入るのだが、家族で食事をしても領収書なんかもらっているのを見たことがない。昔はレジから自動的にレシートが出てくるなんてことも少なかったから、手書きの領収書を書いてもらうことになるのだが、父はそんな面倒なことは要求していなかったと思う。

父は零細企業経営者としては、多分少数派に属するタイプだった。出張の際の食事代ぐらいは多分経費扱いにしていたと思うが、仕事とプライベートはかなりきちんと区別していた。私にはその父の血が流れているので、こんなような性分になってしまったのだろう。

そして父は、自分がきれいな経理をしているからといって、公私混同している連中を批判するなんてこともなかった。「俺はそういうことはしないから」 と言うだけで、他人まではどうこう言わなかったのである。私はそんなところまで父に似てしまったようで、このブログで鬼の首でも取ったように桝添さんを批判しまくったら、さぞかしウケるだろうが、どうもそんな気にはなれないのだよね。

そりゃまあ、「困ったもんだ」 とは思うが、それを本気で言い出したら、世間一般がほとんど 「困ったもんだ」 ってなことになってしまう。このブログはその昔、「世の矛盾を爽快に斬りまくる」 なんて言い方で紹介されたことがあるが、私は 「斬りまくる」 なんてことはしたくないんだけどなあ。その辺のことは、9年前に "そりゃ、「斬る」 方が楽さ" というタイトルで書いたまんまである。

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2016/05/14

近頃台頭している 「ぶっちゃけ本音主義」

去年の夏、「生き返ったヒラリー・クリントン」 という記事を書いた。10年前に 「ヒラリーは、ただスマートなだけかも」 と書き、8年前には 「賞味期限切れのヒラリー」 とまで書いたが、なんと周回遅れで復活しちゃったので、それまでの発言を修正したのだ。まあ、「ただスマートなだけ」 というのは、まだまだ払拭されてないけどね。

そして去年の夏の記事では、ことのついでに 「怖いもの見たさ人気のドナルド・トランプ」 なんて書いていたのだが、それについても反省しなければならない。トランプ人気は、単なる 「怖いもの見たさ」 なんかじゃなかったようだ。

今年の 1月に 「ドナルド・トランプと 『本音主義』 の危なさ」 という記事でも触れたが、それがいよいよ現実のものとなってしまった。今から思えば、ヨーロッパでの排他的政策を掲げる極右政党の躍進とも一脈通じる流れとして捉えておかなければならなかったのだろう。直近のフィリピンでのロドリゴ・ドゥテルテにしてもそうで、世界は今、身も蓋もない 「ぶっちゃけ本音主義」 に傾斜しているようなのである。

そもそも米国という国はそうした傾向の強い国だった。これまではそうした 「本音」 を大きな声で言う候補者がいなかっただけで、それをドナルド・トランプが始めてやってみたら、なんと大人気になってしまったのである。

このまま行けば、米大統領選はヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの対決になるのだろう。常識的に考えれば、ヒラリーが勝つと予想されるが、トランプが好きな中西部の連中は、たいていヒラリーみたいな女が嫌いだから、どう転ぶか知れたもんじゃない。

こうした 「ぶっちゃけ本音主義」 の台頭というのは、実は民主主義そのものの危機なのかもしれない。この危機を乗り越えるのは、1月の記事でも触れたが 「建前論」 である (参照)。「建前」 は 「本音」 の前では無力に見えるかも知れないが、「ぶっちゃけ本音主義」 で突き進む 「業」 の暴走をくい止めるのは、「きちんとした建前」 だろうと思うのだ。

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