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2016/12/09

どうして 「箸」 のことを "chopsticks" なんていうのか

長年にわたって疑問に思いながら、それについてつい調べそびれてきたということが、数えればいくつもある。普段はその疑問すらも忘れてしまっていて、年に 2〜3度ぐらいふと思い出すのだが、「時間ができたら調べてみよう」 と思いつつ、気がつけば何十年も経っている。

Chop

というわけで、今回は一大決心をして、その一つを調べてみた。何かというと、「『箸』 はどうして "chopsticks" というのか?」 という疑問である。「箸は英語でチョップスティックスというんだよ」 と習ったのは、多分中学生だった頃である。それも 1年生か 2年生の頃だ。ということは、ほぼ半世紀にわたって 「どうしてなんだろう」 と思い続けてきたことになる。

当時は 「チョップ」 と言えば力道山の空手チョップを連想するしかない時代で、どうしてまた、「食べ物をひょいとつまむ道具」 が、「叩き切る棒」 というイメージの 「チョップスティックス」 なんてことになるんだろうと、わけがわからなかった。今なら 「わからなかったら、とにかくググれ!」 と言うところだが、当時はインターネットなんて存在しなかったので、疑問が疑問のままで残ったというわけだ。

で、今回初めてググってみたところ、疑問は呆気なく解決した。"【Kei式】 カドを立てない英会話術辞典" というサイトに "【Kei式-世界史英会話】 vol.332 箸はなぜ chopsticks という 【語源】" というページがあり、そこに詳しく載っていたのである。

手短に言えば、"chopsticks" の語源はピジン・イングリッシュで、中国語 (広東語を含む) と英語のチャンポンで使われていた言葉が、世界に広がってしまったもののようなのである。そうか、「箸」 といえば日本食と思っていたが、元はといえば中国から広がったと考える方が自然だよね。

上述のページでの解説を、順を追って説明しよう。

  1. 箸は中国語で 「快子」 (kuaizi: 実際の中国語では、快の上には竹かんむり)といい、「快」 は中国語では 「速い」 という意味。
  2. イギリス人は中国人の料理の様子を見ていて、タンタンタン……と食材を切断するのを "chop" と表現していた。
  3. 中国人は、 イギリス人の言う "chop" は 「切断」 ではなく、「速い!」 と言っているのだろう、と勘違いした。
  4. それで中国人は 「箸=快子=速い棒」を chop sticks と英訳し、それがそのまま世界中に拡がる中華料理とともに伝わり、chopsticks は一般的な英単語になってしまった。

ということのようだ。念のため Online Etymology Dictionary (オンライン語源辞典) に当たってみても、「広東語の "k'wai tse" (速い子) がピジン・イングリッシュになって広まった」 と、ほぼ同様のことが書いてある (参照)。

also chop-stick, 1690s, sailors' partial translation of Chinese k'wai tse, variously given as "fast ones" or "nimble boys," first element from pidgin English chop, from Cantonese kap "urgent." Chopsticks, the two-fingered piano exercise, is first attested 1893, probably from the resemblance of the fingers to chopsticks.

そして、Online Etymology Dictionary の方にはもう一つ、ピアノの練習における 2本指の快速演奏が、箸の動きと似ているからという説も併記してある。なるほどね。合わせ技でより納得しやすい。

蛇足だが上述のページには、香港人や韓国人 (そして、それに影響された日本人) が、「お久しぶり」 という意味でよく "Long time no see" と言うことについても解説してある。私としてはこの言い方にはとても違和感があって一度も使ったことがないのだが、やっぱりこれもピジン・イングリッシュのようだ。

これは中国語の 「好久不見」 を英語に直訳したものだという。なるほどね。道理で欧米人の口からは聞いたことがないわけだ。こればかりは ”chopsticks" のようには行かなかったわけである。

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2016/12/08

「サンタクロースは本当にいる」 ってことに変わりはないのだが

去年まで私の本宅サイトには、12月の声を聞くと圧倒的なアクセス数を誇るページがあった。"サンタクロースは本当にいる! クリスマス・イブは、「大きな愛」 を知るチャンス" というタイトルで、「サンタクロース/本当にいるの」 というキーワードでググると、長年にわたってトップにランクされていたのである。

Santa

アクセス解析ソフトで調べると、例年 12月初め頃からアクセスが急上昇して、クリスマス直前の 1週間ぐらいは毎日 1000以上のアクセスを記録していた。この時期に読んでもらうテキストとしてちょっと自信があったので、私としても少しはハッピーな気分になっていたのである。

ところが私の本宅サイトは今年の初めまでは @nifty の "@homepage" という、ちょっとダサい名称のサービスを使って公開していたのだが、今年の 11月 (だったかな?) でこのサービスは終了するので、同じ @nifty の "LaCoocan" というサービスに移行するようにという通知があった。そこでちょっと面倒だったけど、言われた通りの手続きを行った。

で、私の本宅サイトである 『庄内拓明の知のヴァーリトゥード』 は今、LaCoocan においてある。ただこのサイトには、このサンタクロースについて書いたページ以外にも Google で結構上位 (トップとかね) にランクされていたページがいくつもあって、URL の移行に伴って、その Google 評価が軒並み消滅してしまうのが心配だった。そこで、今年 2月の記事で次のように嘆いた (参照)。

これまでの実績で Google 上位に来ているページも、一から出直しになってしまうのかなあ。そうなると、なんだか手持ち不動産の資産価値が下落してしまうみたいな気がしてしまうのだよね。

するとこの記事に、kazuhiro さんから 「@homepageの方にcanonicalを設定しておけば、Googleの評価は引き継げそうです」 というありがたい情報のコメントをいただいた。で、早速実行したのだが、私のやり方が間違っていのか、今日現在のところ、Google 評価は引き継がれていない。

せっかく貴重な情報を提供して下さった kazuhiro には申し訳ないし、自分としてもちょっとがっくりである。まあ、あちこちからリンクしてもらって、評価を再び上げて行くしかない。

というわけで年中行事みたいなつもりになって、今年も例の記事を読んでいただければ幸いである。その際に、もしよろしければ Twitter などでシェアしてくれると、Google 評価を取り戻すのに効果があるので、図々しいお願いだが一手間かけていただければ感謝感激である。

Thanks in advance.

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2016/12/07

カジノ合法化には反対しないが、「IR 法案」 には反対

「ギャンブル法案」 とか 「カジノ解禁法案」 とかいわれる 「IR 法案」 の ”IR" というのは、"Integrated Resort" (統合リゾート) ということなんだそうで、まあ、その中でカジノを解禁しちゃおうというのが、法案の目玉なわけである。英語にしちゃえば、カジノ云々が曖昧になるとでも思っているのだろう。

Casino_2

そんなようなカジノが目玉の 「統合型リゾート」 施設を日本のどこに造るんだか知らないが、推進派の議員の多くは、「もちろん自分の地元に」 と思っているようだ。要するに、既に利権化の道を突き進み始めているわけね。

実は私は 7年近く前に、カジノ合法化については「むしろ賛成」 と書いている。こんな具合だ (参照)。

しかし私はカジノの合法化に反対というわけではない。むしろ賛成である。私自身は興味がないが、興味のある人はやればいいというスタンスである。下手に非合法としているから、暴力団の資金源になったりする。やるならやるで、公明正大にやればいい。

ただ、ちょっと危惧するところがあって、次のように続けている。

ただ、ここで疑問なのが、「日本では既に 『パチンコ』 という公認カジノがあるではないか」 ということだ。パチンコが実質的に換金可能で、なんだかちんぷんかんぷんな建て前を装ってはいても、ギャンブルとほとんど変わらないのは誰でも知っていることである。パチンコを放っておいて、カジノ合法化もないではないか。

で、この当時は 「カジノ議連はパチンコの換金についても、カジノ法案と同じ仕組みで立法化していく方針」 としていたが、ここに来てそんな話は全然立ち消えになってしまっている。約束が違うのである。

ということは、日本中に 「パチンコという実質的ギャンブル場」 がいくらでもあるという状態はそのままにして、その上に 「統合型リゾートとしてのカジノ」 が造られるということになる。

日本は今でも実質的に 「世界一のギャンブル大国」 である。その証拠に、ギャンブル依存症患者は国内に 530万人以上いるといわれ、人口比率にすると約 5%と、世界でも断トツだ。そこら中で気軽にギャンブルができちゃうから、こんな数字になる。

ただでさえこんな状態なのに、その上に 「公認カジノ」 ができてしまったら、一体どんなことになるというのだ。私は 「パチンコ屋を整理する」 という前提でカジノ合法化に賛成したのだが、その前提が曖昧にされてしまっては、賛成する理由が失われたのである。

「ちょっとひどいなあ」 と言うしかない。経済効果にしても疑問で、国内のギャンブル好きは 「統合型リゾート」 なんていう面倒なところには行かず、相変わらずパチンコ屋に通い続けるだろう。

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2016/12/06

「東京カリント」 は、大阪で食べても 「東京カリント」 だが

「東京カリント」 というお菓子があって、「東京カリントは大阪で食べても、東京カリントと言うんですか? / ハイ! 東京カリントは日本中どこで食べても、東京カリントと言うんですねぇ! / ♪ ハチミツカリント、東京カリント ♪」 というラジオ CM がお馴染みである。作っている東京カリント株式会社は、東京板橋区という地味なロケーションにある。

T_karinto

「日本中どこで食べても東京カリント」 というコピーには、「そりゃそうだ、草加せんべいは大阪で食べても草加せんべいで、讃岐うどんはニューヨークで食べても讃岐うどんだしね」 とツッコミを入れたくなる。しかしよく考えてみると、あながちそうとばかりも言い切れないことに気がついた。

例えば 「ズワイガニ」 は地方によって呼び名が違う。「越前ガニは山陰地方で食べても、越前ガニというんですか?」 「いいえ、越前ガニは山陰地方で食べると、松葉ガニというんですねぇ!」 ということになる。しかし 「伊勢エビ」 はどこで獲れても 「伊勢エビ」 なので、一筋縄ではいかない。

さらに地名由来の食べ物が、その土地に行っても見当たらないということもある。「日本茶」 は日本にあるが、「アメリカンコーヒー」 というコーヒーは米国にはない。スパゲティの 「ナポリタン」 は、ナポリでは誰も知らないし、「天津丼」 もそうらしい。さらに米国のバーモント州に行って 「バーモントカレー」 を探すのは一苦労だろう。

一方、信州の野沢温泉に行かなくても 「野沢菜」 はどこででも食えるし、「博多ラーメン」 や 「長崎ちゃんぽん」 も同様だ。そうかと思うと、「練馬大根」 は、今どき練馬に行っても見られなくなった。それから讃岐うどんチェーンの 「丸亀製麺」 を運営する会社は、香川県ではなく兵庫県にある。

食い物の名称というのはとても感覚的な要素が強いので、統一ルールなんてものはあり得ない。

そう言えば、私が学生時代には学食に 「早稲田ランチ」 というメニューがあったが、今となってはググってみても見当たらなくなってしまったのだよね。まあ、大して美味しいものでもなかったから、別にいいんだけど。

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2016/12/05

「分別」 と書いて 「ぶんべつ」 「ふんべつ」 と読む分別

世の中には 「分別ゴミ」 のことを 「ふんべつごみ」 と読む人もいれば、「思慮分別」 を 「しりょぶんべつ」 なんて読んじゃう人もいる。漢字の読み方というのは、なかなか一筋縄ではいかない。

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同じ漢字で 「分別」 と書いても、「ふんべつ」 と読むと 「物事の是非、道理を判断し、わきまえること」 との意味であり、「ぶんべつ」 と読むと 「種類によって別々に分ける」 ということである。よって 「分別ゴミ」 は 「ぶんべつごみ」 で、「思慮分別」 は 「しりょふんべつ」 となる。

「分別」 という言葉は仏教用語から来ており、元々は 「虚妄である自他の区別を前提として思考すること」 で、転じて 「我 (が) にとらわれた意識」 との意味合いをもつ。本来はあまり高尚な意識ではないようで、「分別智」 というと 「煩悩を持つ人間の世俗的思考」 という意味になる、ところが時代が下るに従って、理性的な意味合いを強め、「分別のある大人」 なんて言われるようになった。「言葉は生き物」 というのは本当である。

一方、「ぶんべつ」 と読ませる 「分別」 という熟語はずっと新しく、近代に入って 「分別結晶」 「分別蒸留」 「分別沈殿」 など、科学用語に用いるために、従来の 「ふんべつ」 という読み方とは別の流れとして 「分別的」 に造語されたもののようだ。それがさらに下って、ゴミの 「分別収集」 にまで至る。

これと似たような流れの言葉に、「変化」 というのがある。「へんげ」 と読ませるのが元々の流れで、「妖怪変化」 などの熟語がある。これも元々は仏教用語で、神仏が衆生を救済するために、仮に人などの姿をもって現れることをいう。「観世音菩薩は三十三身に変化する」 というのは、観音様は人を救うためにいろいろな姿をもって現れるということだ。

そして 「へんか」 と読む 「変化」 になると、ずいぶん素っ気ない話になり、物理的あるいは化学的変化、または文法的な語形変化のことになってしまう。

「利益」 という言葉も同様で、「りやく」 と読むと 「宗教的な恩恵」 のことで、「りえき」 と読むと 「儲け」 とか 「有益なこと」 という意味になる。「末期」 という言葉も、「まつご」 だと 「人の一生の終わりの時」 で、「末期の水」 は 「臨終の際に唇を湿す水」 のことをいう。そして 「まっき」 は 「限られた時間の終わりの時期」 という極々即物的な意味になる。

こうした類いの言葉は、仏教哲学の言葉を転用して近代的な知見を表現する熟語としたという共通の歴史をもつ。その際に、読み方も 「呉音」 から 「漢音」 に変わるのが通例だったようだ。

その意味で、同じ漢字で読み方によって意味が異なる言葉といっても、「人気」 (にんき/ひとけ)、「上手」 (かみて/うわて/じょうず)、「色紙」 (しきし/いろがみ)、「工場」 (こうじょう/こうば) などの、音読み/訓読みの別や、当て字などによるものとは、成り立ちを異にすると考えるべきである。思いのほかにヘビーな言葉なのだ。

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2016/12/04

偽ニュースに騙されて、シェアなんかしちゃわないように

グーグルやフェイスブックが偽ニュース対策」 という日経の記事を読んで、「ふぅん、そうなんだ」 と思っていた。確かに近頃、SNS で 「それ、ホントかよ!」 と叫びたくなるような怪しいニュースを知り合いがシェアしちゃったってことが度々あり、「ヤバいなあ」 と思ってはいたのである。「おいおい、あれ、削除しとくほうがいいよ」 と、メールで注意することもあった。

Fakebook

米国大統領選挙直前に、「ローマ法王がトランプ候補を推薦へ」 というとんでもないガセネタが Facebook に表示されたことがあって、偽ニュースは大きな問題になっていたようなのである。しかしこんなアヤし過ぎるニュース、まともに信じる方がおかしいと思うがなあ。

そしてまた最近 「Facebook が嘘ニュース検出機能をテストしている」 というニュースが流れたが、これもまた偽ニュースだったらしい (参照)。ここまで来るとお笑いである。このニュースの真相は、Google Chrome と Mozilla Firefox に搭載可能の "BS Detector" という拡張機能のことを早合点して報じてしまったようなのだ。

"BS Detector" というのは、Facebook に投稿されたリンクをチェックし、胡散臭い Web サイト へのリンクを検出したら警告を表示するという機能をもっているらしい。要するに、「そのニュース、出所が結構アヤシいですよ!」 と知らせてくれるものだ。

こうしたプラグインがなくてもアヤシいニュースに騙されて拡散しちゃうなんてことをしないように、NewSphere は次の点に注意するように呼びかけている。(参照

  1. 投稿日、いつの出来事か確認する。再編集の可能性を考える。
  2. 発信元の他の記事を確認する。
  3. サイトデザインやドメイン、免責事項や著作権の記述など、サイトをよく確認する。
  4. 事実確認のサイトで情報の真偽を確認する。
  5. 信頼できる大手メディアのサイトで同じ事件・事象が扱われているか確認する。
  6. 類似画像検索サービスで記事の写真と似た写真の記事を検索する。
  7. ユーモアにあふれ、欲求充足や親近感に富む記事こそ注意。

7番目の 「ユーモアにあふれ、欲求充足や親近感に富む記事こそ注意」 という項目に、「ふむふむ、それなんだよね」 と思ってしまう。そういう記事って、つい騙されてシェアしちゃいたくなるみたいなんだよね。

「こんな記事をシェアして、皆にも紹介したくなる俺って、かなりいいやつでしょ!」 と言外に言いたいみたいなのが、結構目に付いてしまうのだよ。危ない危ない。

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2016/12/03

自転車の 「傘さし運転」 はやめようね

何ということか、奥歯が欠けてしまってギザギザした部分が舌に当たり、痛くてたまらないので、ほぼ 1年ぶりで歯科医にかかった。ただ今回書くのは、還暦過ぎて歯が脆くなってしまったわびしさについててはなく、自転車の 「傘さし運転」 についてである。

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一昨日の昼前の雨上がり、歯医者に着いて自転車置き場をみると、ママチャリが 2台並んでいて、どちらも雨傘付きで駐輪してある。右側の自転車のハンドルにはビニール傘がひっかけられ、左側のカゴには折りたたみ傘が入っている。どちらの自転車も、「傘さし運転」 でここまで来たものと見える。

待合室に入ると、2人の 70歳過ぎと思われる女性 (つまり、おばあちゃん) が椅子に座って順番を待っていた。傘さし運転をしてきたのは、この 2人のようだ。いくら元気なばあちゃんでも、これはやっぱり危ない。

そもそも自転車を漕ぎながら傘なんかさしたところで、結局のところ濡れることは避けられない。よほど濡れたくないと思ったら傘を前傾させることになるが、それだといくらビニール傘でも視界が遮られて危ない。要するに自転車の傘さし運転は、危険を冒してまで挑戦するほどの意味がない行為なのだ。

濡れたくなかったら雨具を着用すればいいが、透湿性のない防水素材だと、内側から発する汗が凝結して、結局のところ濡れてしまう。つまり雨の日に自転車を漕ぐのは、少しは濡れてしまうことを覚悟の上でなければならない。

それにしても、日本人は雨傘好きである。自転車に乗る時にまで、大して役にも立たない傘さし運転をするというのは、よっぽど 「雨が降ったら革をさすもの」 と思い込んでいなければできないことだ。そんなタイプの人というのは、一滴でも雨が降ったら傘をさすのである。

私なんか傘をさすのが案外嫌いで (というか、面倒くさくて)、折りたたみ傘をいつもバッグに常備しているくせに、なかなかさそうとしない。「体は熱があるから、濡れてもすぐに乾くけど、傘はなかなか乾かない」 なんて言って、結局ささずに済ませようとする。ちなみにいつも傘をバッグに入れているのは、「今日は傘が必要かなあ」 なんて考えるのが面倒だからである。我ながら、よほどの不精者だ。

誰かと一緒に歩いていると、どうってことのない雨でも相手がすぐに傘をさし、こちらにまでさしかけて相合い傘を強要してくることが多い。そんな場合はしょうがなく、「いえいえ、私も持ってますから」 と、傘を取り出すことになる。相手は 「なんだ、持ってるんならどうしてささないんだ」 なんて、不思議そうな目でこちらを見るのだが、とにかく面倒なんだからしょうがない。

私としては歩いている時でさえ面倒でさしたくないものを、どうして自転車に乗る時にまでさしたがる人がいるのかなあと、不思議でしょうがないのである。

いずれにしても自転車の傘さし運転は、5万円以下の罰金に相当する交通違反だし、命の危険にまで関わること (参照) だから、良い子と良いおばあちゃんは、本当にやめとこうね。

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2016/12/02

タラバガニの値段が高騰しているのだそうだよ

タラバガニの漁獲量が減り、値段が急騰しているのだそうだ。そんな中、ラジオショッピングなどでは 「お正月にはおいしいプリップリのタラバガニをたっぷり食べたいですよね。そこで、1kg 2万円のタラバガニを、本日に限り、2kg 2万円で提供します!」 なんてプロモーションを展開している。私なんか、「それでも高すぎるなあ」 と思ってしまうのだが。

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タラバガニの漁獲量が減っているのは資源が枯渇しかけているからで、最大供給国ロシアからの輸入も密漁取り締まりによって激減しているらしい。普通に考えれば、資源が枯渇しかけているなら食うのを控えて増加に転じるのを待てばいいということになりそうなものだが、人間の業というのは浅ましいもので、それでもなんとかたっぷり食いたいと願うもののようだ。

私なんか、余計なものを食うのは面倒くさいと思うところがあって、「タラバガニの値段が高騰している」 なんて聞けば、「それなら食う理由がなくて、面倒がないからありがたい」 と感じてしまう。メロンに関してもアレルギーがあって、昼間に食うと夕方過ぎまで口の周りが痒くてたまらなくなるから、逆に 「アレルギーという免罪符のおかげで、高いものを食わずに済んでありがたい」 と思っている。

同様に、マグロやウナギが資源枯渇の危機にあるというので、「だったら高いものを食わずに済んでありがたい」 と、喜んで割り切れる。それで 3年以上前に 「当面、ウナギとマグロは食わないことにする」 と宣言している。

決して食うのを我慢しているわけではなく、「面倒なものを食わずに済むありがたさ」 の方が勝っている。今年正月の記事、"「ご馳走を食わない」 というポリシー" で端的に書いているように、私は要するに、過剰なご馳走を食うことに苦痛を感じてしまうタイプなのだね。

そうでなくても、人間は何を食うかということにもう少し理性的であっていい。キリストは 「山上の垂訓」 で、「何を食ひ、何を飮まんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな」  (マタイ伝 第 6章 25節) と語ったわけだが、「面倒なものは食わない」 と割り切りさえすれば、少なくとも食い物で思い煩うことからは解放される。

旨いものや珍しいものを追い求めるのは、いくら 「グルメ」 として取り繕おうが、突き詰めれば餓鬼道である。いくら旨かろうが珍味だろうが、面倒な事情にまみれたものは食わずに済ませたい。その方がずっと楽に生きていける。

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2016/12/01

ショートカット・キーは誰でも使えるってわけじゃなかった

PC を使って作業する際に、ショートカット・キーを使うと効率がものすごく高まるというのは誰でも知っていると思っていたが、実際に使っている人は決して多くない。周囲を見渡してみても、5人に 1人もいないんじゃないかという印象である。

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PC の世界には便利なショートカット・キーがものすごくたくさんあって、それを全部知っている人なんて極々少数だろう。私にしても知っているのは 20に満たないんじゃないかと思うが、それでも知っているのといないのとでは、作業効率に天と地ほどの差が生じる。

最も頻繁に使用するのは、「command (Windows の場合は Ctrl) + C」 と 「command (Windows の場合は Ctrl) + V」 のコピペの操作である。前者がコピーで、後者がペースト (貼り付け) だ。いちいちマウス・クリックでコピペするのが死ぬほど面倒に感じられるほど、指先にしみついた動きになっている。他は何にも知らなくていいから、この 2つだけは知っておくといいよと、人にも勧めている。

ところが、いくら教えてもショートカット・キーの使えない人がいると、最近初めて知った。

先日、知り合いに上述の 2つのショートカット・キーを教え、「とりあえず、実際にやってみて」 とやらせてみたが、彼はどうしてもできないのである。コピペするために、マウスでコピーの範囲を指定させた上で (彼のマシンは Windows PC だったので) 「Ctrl + C」 をやらせると、最初は左手の人差し指で 「Ctrl」、右手の人差し指で 「C」 、つまり両手を使って押そうとした。

「だめだめ、右手のマウスでコピーの範囲や貼り付け先を指定しつつ、左手だけでショートカット・キーを押すからサクサクできるんであって、いちいちマウスから右手を離してたら意味ないよ」 と、左手だけでやらせてみる。すると、どうしても 「Ctrl」 キーを確実に押すことができず、画面上では範囲指定した文字列が空しく 「c」 の 1文字に置き換わるだけだ。何度やっても同じことで、こっちまでがっくり疲れる。

ここで初めて、私は自分が 「Ctrl」 キーを左手小指で押していることに気がついた。私は PC に触るより先にギターを弾いていた人なので、左手の小指は元々苦もなく自在に操れる。しかし彼がそれを真似ようとすると、小指に力が入らず、「C」 のキーだけを押してしまう結果になる。

「小指が使いづらかったら、中指と人差し指の 2本を使うのでも何でもいいから、やってごらん」 と助け船を出しても、長い中指で手前の 「Ctrl」 キーを押しつつ、人差し指をその先のキーに伸ばすという動作がどうにもやりにくいようで、「指がつってしまいそう」 と言う。そして 「こんな不自然な指の動きを強制されるぐらいなら、マウスを使う方がずっと手っ取り早い」 と頑強に主張する。

彼は決して不器用な男ではないのだが、ショートカット・キーの打鍵だけはどうしてもスムーズにできないようなのである。

ここで私は 「なるほど!」 と合点した。ショートカット・キーは、タッチタイピングができるぐらいのスキルをベースにしないと、かえって時間がかかるのだ。ましてや普段のタイピングでも両手の人差し指しか使っていないような人に 「ショートカット・キーは便利だよ」 なんて言っても、片手で 2つのキーを同時打鍵することすらできない。

インターネット上では 「ショートカット・キーを覚えると作業効率が格段に向上する」 などと、お気楽に使用を勧めるページがいくらでも見つかるのだが、どんなに勧められても、「はい、そうですか」 と、急にはできない人が珍しくないのだ。この年になって、それに初めて気がついた。それまでは、「なんで皆使わないんだろう?」 と不思議に思うばかりだったのだ。

最近のオフィスワークは PC を使うのが前提みたいなものだから、仕事の速い人はサクサク気持ちよくこなすが、遅い人はいつまで経っても、側で見ていてイライラするほどトロいままだ。その理由の一端は、こんなところにもあるとわかった。

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«"Mindfulness" と 「マインド・フルネス」