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2017/02/19

月イチの午後 3時退社より、毎日定時退社の方が

一昨日の記事で、月末の金曜日は午後 3時で退社しようという 「プレミアムフライデー」 というものについて書いたが、これって、果たして根付くんだろうか。私は正直言ってとても悲観的だ。

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政府主導のキャンペーンでは 「クールビズ」 というのが最も成功した部類だと思う。これなんか、暑い夏に好んでスーツとネクタイ姿でいたいのはファッション人間過ぎるやつかよほどの変わり者で、たいていは涼しい格好をしたいのだから、ちょうどいい免罪符を与えたようなカタチになって広まった。

ちなみにこのクールビズ・キャンペーンの旗振りをしたのは、当時の環境相だった小池百合子さんだった。この人、やることにそつがないよね。そつがなさ過ぎて可愛くないところもあるけど。

話は戻って、「給料日直後の金曜日ぐらい (とはならない月も、確率として年に 1〜2度あるが)、早めに退社したいよね」 という思いは、多くの人がもっているだろう。しかし、「暑い夏はスーツとネクタイから解放されたいよね」 という思いと比べると、どうもグッとくるものがないし、「3時にあがって、どうするの?」 なんてことになる人も多いだろう。

それよりも私なんか、「月イチの午後 3時退社なんかより、毎日定時退社したいよね」 という方が、ずっとマシな発想だと思う。毎日夜の 9時とか 10時とかまで会社にいるような種族は、午後 3時に退社しても、なんとなく早めに帰宅して風呂入って寝ちゃうんじゃなかろうか。なにしろ、お疲れだろうし。

そこへ行くと私なんか、会社勤めしていた頃も、まず大体定時退社していたなあ。退社時刻になったら、「お先に!」 ってなもんである。誰にも遠慮なんかしなかった。だって、やるべき仕事は効率よくさっさと済ませていたし。

時々、締め切り間際の仕事がたまったら、そりゃ 9時とか 10時とかまでやったりもしていたが、そんなのは 1ヶ月に 1度ぐらいのものだから、かえって新鮮だったりした。まあ、私の場合はどちらかというと、「企業内独立事業主」 みたいな、自由な仕事が多かったから、何の抵抗もなくそれができたということもあるだろうけど。

むしろ 「月末の金曜日は、絶対に残業しないで定時退社する日」 とする方が、とりあえずは広まると思う。名前は 「スペシャリー・オーディナリーフライデー」 (特別普通の金曜日) とでもしようか。いずれにしても、定時退社がフツーにできないような仕事はまともなもんじゃないと思うがなあ。

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2017/02/18

情報の断絶と発覚

本日昼過ぎに開いた Google ニュースである。"<タリウム事件> 薬品執着 「皆知っていた" というのがトップで、その 3つ下に ”ベトナム人、大麻栽培容疑 男女再逮捕、末端価格1億円以上 群馬” という記事がある。

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「タリウム事件」 というのは、もう忘れている人も多いだろうが、2012年に起きた元名古屋大女子学生が、同級生 2人に硫酸タリウムを飲ませ、さらに 14年に知人の高齢女性を殺害したという事件である。この容疑者は高校の頃から毒物と殺人に対して異常な興味を抱いており、今回の裁判でそのことについて元同級生が証言したというニュースである。

要するに、この 「元女子大生」 がかなりアブナイ存在だったというのは、周囲の人間は教師も含めみんな知っていたというのである。こんなアブナイ人間でも、郷里の仙台を離れて名古屋で一人暮らしを始め、衝動を抑えることもなくあっさりと殺人事件を起こしてしまったのである。周囲の人間は皆知っていても、そのサークルから一歩出てしまうと、誰も知らないという 「情報の断絶」 がある。

一方で、その 3つ下のニュースは、ベトナム人男女が自宅のアパートの一室で、大麻を栽培していたのが発覚し、逮捕されてしまったというニュースである。大麻栽培が違法行為ということは当然知っていただろうから、よほど警戒してこっそりと育てていたのだろうが、天網恢々疎にして漏らさずというわけで、ちゃんと捕まってしまったわけである。

これには、「なんだかなあ」 と思わざるを得ない。周囲の者はみんな知っていたという情報が、殺人犯罪抑止にはちっとも役に立たず、一方では極力バレないようにこっそりとやっていたことが、なぜかしっかりバレて捕まってしまう。

世の中というのは、なかなかうまく運ばないことも多いようなのである。

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2017/02/17

プレミアムフライデーでお金を使いましょうというキャンペーン

今日、出張先のホテルのテレビで朝のニュースを見ていて、「プレミアムフライデー」 という言葉を初めて知った。経済産業省の呼びかけで、毎月月末の金曜日の終業時間を午後 3時に早めるよう企業に呼びかけているのだそうだ。ふーん、またぞろ 「みんなで渡ればこわくない」 方式のキャンペーンが始まっているわけね。

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で、その初回実施日が、今月の 24日になるのだそうだよ。ちっとも知らなかった。何しろ私は、一応自宅が仕事場ということになっているが、時と場合によっては土曜だろうが日曜だろうが、はたまた祝日だろうが、あちこちに出かけたり出張したりで、曜日なんて全然関係のないスタイルの仕事だからね。

その趣旨というのは、経済産業省のサイトでが次のように謳われている。(参照

個人が幸せや楽しさを感じられる体験 (買物や家族との外食、観光等) や、そのための時間の創出を促すことで、

  1. 充実感・満足感を実感できる生活スタイルの変革への機会になる
  2. 地域等のコミュニティ機能強化や一体感の醸成につながる
  3. (単なる安売りではなく) デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる

といった効果につなげていく取組です。

ただ、具体的にどんなことが提案されているのかといえば、経済産業省のプレミアムフライデー公式サイトをみる限り、こんなようなことなのである。

ちょっと長めの休日で普段は行けない 「2.5日旅」 へ
大切な人と夕方からゆっくり 「アーリーディナー」
平日昼間にゆったり贅沢 「午後ブラショッピング」
友達みんなで集まってゆっくり 「夕飲み」
平日昼間に好きな街を 「アフタヌーン街歩き」
昼からたっぷり 「アフター3エンタメ」 を楽しもう
家族でそろって料理を作って 「午後バー」 しよう
月末金曜日はうちの会社もみんなで 「早あがり」

「午後ブラショッピング」 とか 「アフタヌーン街歩き」 とか 「アフター3エンタメ」 とか 「午後バー」 とか、なんだか気恥ずかしくなるようなカタカナ混じりの造語が満載で、書き写しているだけでちょっと気恥ずかしくなってしまう。

要するに、「金曜日は仕事を早仕舞いして、お洒落なお金の使い方をしましょう」 ということのようなのだ。だからこそ 「プレミアム」 なのであって、金のかからない過ごし方をされても困るみたいなのである。つまり、お役所のリリースにある 3項目の趣旨の中では、「(単なる安売りではなく) デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる」 というのが最重要ポイントなのだね。

決してそのまま帰宅して、ネット・サーフィンやゲームに熱中したりするためのプロモーションではないのである。さらに言えば、ジョギングやポタリングなど、金を使わなず汗をかくというのも、趣旨にそぐわないようなので、オタク、ジョガー、サイクリスト諸氏は、くれぐれも趣旨を取り違えないように。

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2017/02/16

「老い遅れ」 という言葉を初めて知った

「近頃、老眼が進んじゃってさ」 とつぶやいたら、「老い遅れるよりはいいわよ」 と、一緒に仕事をしている女性に言われた。彼女は 70歳を過ぎて、実はいろいろ病気を抱えてはいるらしいが、すこぶる元気で快活に見える。それにしても 「老い遅れる」 という言葉を、この時初めて知った。

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帰宅してググってみると、これは黒井千次著の 『老いのかたち』 という本に出ている言葉らしい。初版は 2010年 4月というから、結構前の本だ。この本は 4章立てになっていて、それぞれ 「病気待ちの列」 「友を送る-これも同窓会」 「老い遅れに気をつけて」 「普通高齢者がイチバン」 というタイトルだという。

第3章の 「老い遅れに気をつけて」 を踏まえて、彼女は 「老い遅れるよりはいいわよ」 と言ったのだろう。私は黒井千次氏の本を 1冊も読んだことがないので、どんな具合に書かれているのか知らないが、まあ、先輩からのありがたい言葉として受け取っておこう。

黒井千次氏はさらに、2014年に 『老いの味わい』 という本も出しているらしい。それだけでなく、『老いるということ』 (2006年)、『老いのつぶやき』 (2012年)、『老いへの歩み』 (2015年) と、「老い」 をテーマに何冊もの本を出している。ふむ、「老い」 というのは、案外商売になるのだな。

私はかなり老い遅れている傾向があるのだが、ある日突然がくっとこないように、少しは老い遅れに気をつけて生きてみようと思う。

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2017/02/15

コンパクト・デジカメ市場の縮小

"ニコン、1型コンパクト 「DL」 シリーズの発売中止を決定" というのがちょっとした注目ニュースになっている。DL シリーズというのは、コンパクトデジカメの中ではちょっとだけ高級なラインで、これなら採算が取れるだろうと思われていたみたいなのだが、やっぱりダメだったようだ。実は私の手持ちのコンデジもニコンなので、ちょっとびっくりしている。

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私のは ”COOLPIX S9700” というモデル (上の写真) で、2014年 2月 27日の販売開始となっている (参照) から、既にほぼ 3年経ってしまっている。DL シリーズよりはずっと安いレンジのものだが、それでも光学 30倍という結構な望遠機能があるし、ど素人としては今でもちっとも不満がない。

この年の 10月 7日の Today's Crack に、このカメラを使って秋の名月を撮った写真を掲載しているのだが、月の表面の陰影まで結構きれいに撮れている。その 10年前の、単なる白く光る丸い環みたいな月の写真と比べれば、性能の向上は一目瞭然だ。(参照

ところが、こんなに優秀でコンパクトなカメラを、近頃ではほとんど持ち歩くことがないのである。私は毎日更新の 「和歌ログ」 に、その日に撮った写真を必ず載せることにしているので、カメラは必需品なのだが、最近は iPhone のカメラで十分なのだ。これじゃあ、コンデジは売れない。

最近の iPhone のカメラ機能はかなり優秀で、3年前ぐらいの和歌ログの写真 (コンデジで撮影したもの) と比較しても、全く遜色がない。5年前ぐらいのと比べれば、最近の iPhone の写真の方がずっときれいに撮れている。

写真そのものにこだわりがあるわけじゃなく、せいぜいブログの写真がフツーに撮れればいいという、私程度のニーズなら、本当にスマホで十分な世の中になった。ちょっと気合いを入れた写真を撮るという場合でも、上述のお月様の写真のように、安物のコンデジで十分に足りてしまうし、これ以上のスペックは素人には当面必要ない。

こうなると、デジカメの商売で儲けようと思ったら、まともな一眼レフかミラーレス一眼の製品で地道にやっていくしかないのだろう。一番安い価格帯のコンデジは既にスマホとの競争に敗れているし、本日話題にしたニコンの DL シリーズみたいなのは、一番中途半端で儲からないレンジになってしまっている。

デジタル製品の市場というのは、わずか数年で様変わりしてしまう。気ぜわしいことである。

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2017/02/14

「平等に貧しくなろう」 というのは

中日新聞に掲載された上野千鶴子氏のインタビュー記事が、ネット界隈でえらく話題になっている。というか、ほとんど炎上状態だ (参照)。

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それにしても 「平等に貧しくなろう」 という見出しは、インパクトは強いが、かなり言葉足らずだと思う。念のため確認しておくが、この記事は上野氏の 「寄稿」 ではなく、インタビューをした大森雅弥という記者がまとめた記事である。だからこのタイトルも、上野氏の書いた原稿のタイトルではなく、新聞社側が付けたものだ。

このことをしっかりと押さえた上で考えると、とりあえず大きな話題になることを主目的としたなら見出しなら大成功だが、インタビュー内容をきちんと伝えようというなら、ほかにも見出しの付けようはあった。

新聞記事をきちんと初めから終わりまで読む人は少数派で、多くは見出しだけで判断してしまうのだから、こんな見出しでは物議を醸すことは初めからわかっていただろう。わかっていてやった確信犯なら、これだけ話題になったのは大成功ということになる。

それにしても人間のメンタリティとはおもしろいものである。「経済成長がすべてではない」 と言えば、とりあえず 100%近い賛同を得ることができる。「金を儲けさえすればいいってもんじゃない」 という言い方をしても、同様の賛同が得られるだろう。

「経済成長路線のほかにも道はある」 という言い方でも、そんなに抵抗はなかろうし、「金のせいで道を誤る人は多い」 と言うのも、「うん、確かにそうだよね」 と反応してもらえる。多くの人が 「必ずしも経済的に豊かでなくても、幸せになる道はいくらでもある」 という言い方をしていて、それなりの共感を呼ぶ。

ところがそれを直接的に 「平等に貧しくなろう」 と言っちゃうと、「とんでもない、それはご免だ!」 ということになる。

「金がすべてじゃない」 というのはうなずけるし、「貧しくても幸せな人はいくらでもいる」 というのも、「そりゃ、そうかもしれないね」 と反応できる。しかし、「あんたも平等にその世界に入って、清貧の美徳を味わいましょう」 と言われると、「それはイヤだ!」 という。他人が 「清く貧しく美しく」 暮らす分にはいいが、自分だけは楽してリッチになりたいのである。

そんなわけで、「みんなで平等に貧しくなろう」 と言っても、どうせわかってもらえるはずがないから、まず自分が率先して 「金はそんなにないけど、結構気楽で幸せなんだよね」 というライフスタイル・モデルを築いて実行すればいいのである。

要するに金儲けにあくせくするより、「まあ、金はないけど楽しく暮らしてるわいな」 という生き方をする人が増えさえすればいいんでしょ。それがどうしても嫌なら、人口減少時代に移民が持ち込んでくる馴染みのない異文化に濃厚に接してもストレスを感じなくて済むように、タフな心になる準備をしておくことだ。

じいさんばあさんだけの世の中になるのは嫌だけど、自分が子どもを 3人以上育てるのもしんどい。その上、向こう三軒両隣に移民がゴロゴロ住んで、わけのわからない外国語が行き交うようになるのもまっぴらで、だけど、きちんと経済的に豊かな暮らしだけはしたいというのは、今や駄々っ子の言い草である。その点については、受け入れてもいいと思う。

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2017/02/13

ずらりと並ぶ額装された表彰状、感謝状

茶の間の鴨居の上に、じいさんの代からのいろいろな表彰状やら感謝状やらをずらりと並べて飾ってある家がある。「すげえなあ!」 とは思うが、自分でもそうしようという気は毛頭ない。まあ、早く言えばそんな趣味はないのだよね。

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私の父は家族にも知られずにいろいろな公職を引き受けていたらしく、何とかの役職を何十年続けたことによる表彰なんてのを受けるために、時々県庁所在地の山形市に出かけることがあった。周囲の人は 「おめでとう」 とか言っていろいろなお祝いをしてくれるのだが、当人は嬉しそうでもなんでもなく、ただ面倒くさそうだった。

で、表彰を受けて帰って来た父に 「その賞状、見せれ」 (ミスタイプじゃなくて、庄内弁なのでよろしく) と言っても、「汽車の網棚に置き忘れてきた」 とか 「駅のゴミ箱に捨ててきた」 とか、滅相もないことを言うのだった。子どもの頃は 「額に入れて飾ればハクがつくのに」 なんて思っていたが、父にはそんな発想がなかったようなのである。

父が死んでから遺品の整理をしていて、丸筒に入れられたまま押し入れの奥に放り込んである表彰状とか感謝状とかをいくつか見つけたりはしたのだが、もらった表彰状をすべてまとめて大切に保管してあるのではなく、1本の丸筒に 1枚だけ入ってる (要するに、もらったまま) 状態のものが何本か、あちこちに無造作に放り込んであるという風情である。多くは本当にどこかに忘れたか捨ててきたようなのだ。世間的栄達には興味のない人だった。

ところが自分自身も大したことはしていないのに、還暦を過ぎてみれば、それなりにいろいろなところから表彰状とか感謝状とかを頂いてはいるのである。こういううことは、ただ一定の年数を大過なく務めさえすれば、自動的にくれるという世の中の仕組みになっているようなのだ。

そしてもらった表彰状や感謝状は、父みたいに 「置き忘れてきた」 とか 「捨ててきた」 とかいう極端なことはないにしても、やっぱり押し入れの奥に無造作に放り込んであるだけで、額装して人目に付くようなところに飾ろうなんていう気には、到底なれないのである。

世の中には 「私も〇〇の役職を長年やったんだから、そろそろ表彰してもらいたい」 とか堂々と口にしたりする人もいて、「すげえなあ」 と思ったりする。「すげえなあ」 と思うのは、その長年の功績に対してではなく、そういうことを堂々と公言するメンタリティに対してである。

中には、国から勲章をもらうためにお手盛りの業界団体を設立して、その理事長に就任したという人までいる。国に対する長年の働きかけが実ってようやく勲章をもらうと、その御仁は間もなく死んでしまい、その最初で最後の理事長が死んでしまった途端に、年に 1度の総会以外にすることがなかった業界団体は、自然消滅してしまった。というわけで、勲章そのものよりも 「名誉欲の強い人だったなあ」 という記憶の方が強烈な印象として残っている。

で、私と言えば、「蛙の子は蛙」 ということなのか、そういうことには全然興味がなくて、くれるというものはもらわないと角が立つし、単なる形式的なものを 「いらない」 と言ってごねる方がよほど面倒なので、ありがたくもらうけど、ただそれっきりのことになってしまうのだよね。

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2017/02/12

トランプと安倍首相の気持ち悪すぎる握手

今日は久しぶりで妻と近くのインド料理店で外食をした。この店では、ちょっと前までは歌あり踊りありの賑やかなインド映画をエンドレスで放映していて、私はそれがお気に入りだったのだが、最近はどういうわけか、ずっと日本のどうでもいいテレビ放送を流すようになってしまい、ちょっとがっかりである。

今日はその店のテレビで、ドナルド・トランプと安倍首相の握手の模様を見せられて、ちょっと気持ち悪くなった。めちゃくちゃ悪趣味な握手の直後は、さしもの安倍首相も何とも言えない表情を見せていたが、米国人の多くはそれ以上に恥ずかしいと感じてしまっただろう。

こちらとしても、せっかくのおいしい料理が運ばれてくる直前にあんなものを見せられてしまったので、「今のは忘れようね、忘れよう!」 と言っていたのだが、忘れ切る前に料理が出てきてしまったので、ちょっとあせってしまったよ。

トランプはどういうわけか、安倍首相をちょっと気に入ってしまったようなのだが、そのありがた迷惑なパフォーマンスのせいで、日本での安倍人気が落ちてしまうんじゃなかろうか。まあ、私としてはそれでもちっとも構わないのだけどね。

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2017/02/11

ネクタイを締める時、何で面倒な結び方をするのか

ネクタイなんて平均すると 1ヶ月に 1度もする機会がないのだが、たまにする時でも結び方は、一番単純で簡単なプレーン・ノットである。まるでパズルみたいに、やたら何度もぐるぐるやるウィンザー・ノットというのを大昔に教えてもらったけど、やったことないから、できたとしてもものすごく時間がかかるだろう。

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ところが、周囲のネクタイ族の多くは、やたら面倒なウィンザー・ノットにこだわっているようにみえるのだ。だって、みんな結び目がやたら大きいもの。私は長い間、みんなどうしてそんな手のかかるやり方をするのだろうと、不思議でしょうがなかった。

よくわからないが、日本人特有の妙な職人気質が、無駄に面倒くさいやり方にこだわらせてしまうのかと思っていた。ところがどうも、すべてがそんなわけじゃないと、最近初めてわかったのである。

古くからの知り合いに聞いたところでは、彼は背が低いので、プレーン・ノットではネクタイが長すぎて、先端がベルト・バックルのはるか下まで垂れ下がってしまうのだそうだ。そこで、ウィンザー・ノットで無駄に何度もぐるぐる巻いて、ようやく締め終わった時にちょうどいい長さになるというのである。

なんだ、そうだったのか。私は身長が 178cm あって、日本人としては長身の部類に入るので、プレーンノットで苦もなくちょうどいい長さに収まる。しかしなるほど、小柄な人ならプレーン・ノットだと長すぎて、妙にぶらぶらしてしまうのかもしれない。そこまでは気付かなかった。要するに日本人がウィンザー・ノットが好きなのは、単に小柄だから、そうでもしないと収まりが付かないからだったのか。

そうなると、よく考えたら大抵のネクタイのサイズは、日本人には長すぎるということである。洋服にはサイズがあるのだから、ネクタイにだってサイズがあってもいいような気がするのだが、そんなのはあまり聞いたことがない。小柄な人は面倒くさい結び方で調節しろということのようなのだ。しかしそれだと、小柄な上に結び目がやたら大きくなって、もっさりして見えると思うがなあ。

S, M, L と、サイズ別のネクタイを売り出したら、もしかしたら売れるんじゃあるまいか。ただしネクタイの場合は small, medium, large じゃなくて、short, midium, long ということになる。いや、そもそもネクタイを好んで締めるような人は、どうやら面倒な締め方の方が好きみたいだから、サイズなんかあっても無視して、色柄優先で選んでしまうのかもしれないなあ。

【翌日 追記】

自分でも忘れていたが、3年前に 「ネクタイの締め方に関する偏見」 という記事を書いていて、その中で 次のように書いている。

乱暴な言い方かもしれないが、クルマを買う時にほとんど自動的に 4ドアセダンを選択するオッサンは、日頃ネクタイをする機会が多くて、しかも間違いなくウィンザーノットで結ぶとみて間違いないと思う。

ウィンザーノットでネクタイを締めるのが好きなオッサンたちは、4ドアセダンに乗り、何かの集まりの二次会では、スナックとかバーとかに繰り出しておねえちゃんとチークダンスに興じ、カラオケでは演歌を歌うのである。

うぅむ、確かに乱暴な言い方ではあるが、かなり当たってるんじゃないかなあ。

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2017/02/10

トランプは任期一杯までもつんだろうか

ドナルド・トランプが Twitter で 「私の娘のイヴァンカはノードストロームに不当な扱いを受けている」 と発言しているというので、かなりビックリしてしまった。百貨店が自らの判断でブランド取り扱いを止めるのに現職の大統領が口出しするなんて、前代未聞である。

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トランプだけでなく、大統領顧問のケリーアン・コンウェイというおばさんまでテレビ番組で、「イバンカの製品を買いに行ってください。すばらしい製品ラインだから。私もいくつか持っています。いっそのことここで無料のCMを流しましょう」 と発言した (参照) というのだから、ビックリ以上の成り行きである。今の米国っていったいどうなってるんだ。

トランプが大統領になってしまったとたんに、米国はとてつもなく下品な国になってしまったという印象だ。この駄々っ子にこのまま好き放題なことを言わせていたら、政治がマヒして国がまともに運営されなくなってしまう。この大統領は任期一杯までもたないんじゃないかという気がしてきた。

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