2009/11/22

『唯一郎句集』 レビュー #80

『唯一郎句集』 のレビューも、これでもう 80回目になった。80回目になっても、ページ数からすると、ざっと 3分の 2 を越えたあたりでしかない。なかなかのボリュームだ。

もっとも先のページに行くと、1ページに 1句のみということもあるので、句の数で言えばもうかなりのところに来ているのかもしれないが、これは 100回では終わらないかもしれない。改めて覚悟しておこう。

さて、レビューである。前回はお盆の頃の句だったのに、今回は一足飛びに冬になっている。

わが欲りするものよ冬の夜の頭髪垢 (ふけ) をとり慰まず

「欲りする」 とは、現在はあまり使われないが、「欲す」 (ほりす) の連用形。「ほしがる」 とか 「望む」 とかいう意味である。

自分の欲するものとは何なのか。家庭人に収まったように思ってはいたものの、それでは満たされないものがある。冬の夜、頭のフケを取りながらそのことを思う。

沼波のくろきうねり凍らんとするを見ている

沼の水面に冬の風が吹き、波がうねっている。それが凍り付くのはいつか。見ているがなかなか凍らない。それでも、その黒いうねりから目が離せない。

不思議な感覚の句。時々家庭人に収まりきれぬ感性が、こうして顔を出す。

本日はこれまで。

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2009/11/21

『唯一郎句集』 レビュー #79

この頃の唯一郎の句には、とても子煩悩な家庭人というイメージが強く出ている。妻への愛情はなぜかあまり語られないが、子どものことは可愛くて堪らないという風情だ。

さて、お盆の頃の句である。子どもたちが可愛い盛りの夏、唯一郎は若き日のペシミズムを忘れてしまいたいというように、家業と子どもに没頭しているように見える。

それでも時々、ふとしたはずみに、あの新感覚派的鋭い感性が表れて、遠くをみるまなざしになる。さて、レビューである。

稲妻するきちこうの花や蕾は青く

「きちこう」 は 「桔梗」 の別称。桔梗の蕾は、風船のように丸く閉じていて、徐々に緑から紫に変わり、やがてあの特徴ある花を開く。

その蕾の青く変わってきた頃、遠雷が聞こえ、稲妻が光る。家庭人に収まっている自分自身が、まだ稲妻を聞く蕾なのかもしれないとの思いが、どこかにある。

雷はまだ遠くで鳴っている。

白粉ぬりぬりお盆の帯をして小さい財布

子どもたちがお盆の着物を着せてもらい、お盆の帯を締めて、鼻筋におしろいを塗ってもらっている。

帯の間には、小さい財布をはさみ、お小遣いを入れている。可愛らしい子どもたちをみて、心がなごむ。家庭人に収まるのも悪くない。このまま家業をしながら風流人として生きるのも悪くない。

そんな風に思えたりもする。

朝顔ひまはりの花みな小さい僕の庭痩地

庭に咲く朝顔、ひまわり、みな小振りだ。自分の家の庭は痩地なのかもしれない。

自分も、数年前には新進の俳人として一時注目されたが、そのまま大成することなく今では家庭人に収まっている。これでいいのだろうか。いや、そんなことを思っても仕方がない。

そんな煩悶の垣間見える句だ。

本日はこれまで。

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2009/11/20

近頃、日の暮れるのが早いので……

昨日は東京の最高気温が 10度を下回ったようで、真冬の気温になった。私も今シーズン初めてコートを着て外出した。

寒さを感じるのは気温のせいばかりではない。近頃めっきり日が短くなった。4時半頃にはすっかり日が暮れて、5時にはもう真っ暗である。帰り道が寒々しい。

今月末から来月の中頃にかけてが、一年で一番日の暮れるのが早い時期である。それを越えると、日の入りは段々遅くなって、一見すると日が延びたように感じられる。実はそれ以上に日の出が遅くなって、トータルでは冬至が一番日の短い日ということになるのだが。

今の時期の東京の日の出、日の入りの時刻は、国立天文台のこちらのページに行くと、一目瞭然でわかる。本日の日の入りは 16時 32分と、辛うじて午後 4時半より後だが、勤労感謝の日の 23日には 16時 30分ちょうどになり、29日から来月の 13日までは、ずっと 16時 28分に日が沈む。

そして、14日からはだんだん日の入りが遅くなり、冬至となる 22日には、16時 32分が日の入りとなる。つまり、冬至の日は 11月末から 12月中旬にかけての頃より、日の沈むのが遅い。それも、4分も遅いのである。クリスマス・イブには、5分も遅くなる。つまり、なんとなく日が長くなったような気になれる。

しかし、実際には前述の如く、日の一番短いのは冬至になる 22日である。それは、日の出がさらに遅くなっているからである。

本日の日の出は 6時 21分だが、冬至の日は 6時 47分にならないと日が昇らない。いくら日の入りがゆっくりになっても、日の出がそれに輪をかけて遅いのだから、やっぱり冬至が一番日が短いのである。

そして、早起きの人は実感として知っていることだが、冬至を過ぎても日の出は少しずつ遅くなる。大晦日の日は 6時 50分にならないと日が昇らないし、年が明けて 1月 2日から 14日までは、 6時 51分まで待たなければならない。松の内 (しかも関西流の松の内) というのは、夜明けが一番遅い時期である。

ところが冬至が過ぎてしまうと、日の入りも遅くなる。日の出が遅くなる以上にどんどん遅くなる。1月 10日には、日の入りが 16時 45分となり、25日には、ついに 17時まで日が沈まないということになる。そして 2月 4日の立春には、17時 11分が日没となる。まだまだ寒いが、日の長さは実感される頃になる。

つまり、日の出と日の入りは、冬至を境に対称的に早くなったり遅くなったりするわけではない。まず、日の暮れるのがゆっくりになるということが、冬至の前に感じられるようになる。これは、地軸の傾きによるというのだが、詳しいことは私もよく知らない。

要するに、今が一番日の暮れるのが早くなるのが実感される時期で、なんとなくもの悲しくなってしまうのである。しかし、来月の半ばを過ぎれば少しは夕方が長くなり、クリスマスもいよいよ近付いて、急に心が浮き浮きし出す。もう少しの辛抱である。

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2009/11/19

「ハイジ」 と 「楓」 を巡る冒険

「アルプスの少女」 の主人公は言うまでもなく 「ハイジ」 という名前の少女だが、山本憲美・訳 (大正 14年・福音書店刊) では、主人公の名前が 「楓 (かえで)」 で、タイトルも 「楓物語」 となっている。

平成15年11月26日放映の 「トリビアの泉」 でも取り上げられた、知る人ぞ知る話である。

「ハイジ」 が 「楓」 になっているだけではなく、「クララ」 が 「久良子」 で、「ペーター」 は 「辨太」 になっている。このように外国人の名前を日本人風にしてしまうのは、明治期の翻案小説以来よくある手で、別に驚くほどのことではない。

「トリビア」 でこの話が出たとき、あまりテレビを見ない私がたまたま見ていて、出演者が、「何で?」 「かけ離れすぎ」 などといった反応を示していたのを覚えている。確かに 「ハイジ」 が 「かえで」 では、 「久良子」 や 「辨太」 と比べてかけ離れすぎという気がするのかもしれない。

当時、誰かのブログかなんかでその話が出たときに、「別にかけはなれていない」 というコメントをした覚えがあるのだが、どのブログだか忘れてしまった。そして、自分のブログにも書いたような気がしていたのだが、試しに検索してみても出てこない。

そこで、今さらという気もするのだが、ちょっと気に掛かっていたことなので、改めて書いてみたい。

結論から言おう。「楓」 という名前がオリジナルからかけ離れているという気がするのは、それは日本人が 「ハイジ」 という表記に何の疑いもなく慣れ親しみすぎているからである。本当は "Heidi" という名前であって、発音は 「ハイディ」 に近い。だから、ヨーロッパに行って 「ハイジ」 と言っても、通じない。

ちなみに、野上彌生子の初訳では 「ハイヂ」 という表記になっている。「ザ行」 ではなく 「ダ行」 と考える方がより正確なのだから、別に奇をてらったというのでもなく、当然と言えば当然の表記である。

「ハイディ」 の 「ディ」 が 「で」 になるのは、これで許せる。そして、「イ」 が 「え」 に変化するのは、今でもよくある話である。「田へしたもんだよ蛙の小便」 が 「大したもんだよ蛙の小便」 になるのと同じだ。

さあ、最後に残ったのは 「ハ」 が 「か」 に変化したことの理由である。これも実はそれほど不自然なことではない。【h】 と 【k】 は、案外近い発音なのである。「は」 と発音するときの喉の奥をもう少し閉じてやるだけで、あっという間に 「か」 になる。電話なんかだと、文脈によっては 「カナダ」 と 「花田」 を取り違えやすかったりする。

「摩訶不思議」 「摩訶般若波羅蜜多心経」 (いわゆる 「般若心経」 のこと) などの 「摩訶」 というのは、サンスクリットで 「偉大なる」 とかいう意味の接頭語で、日本語では 「まか」 と読まれるが、元々の発音は 「マハ」 と 「マカ」 の中間だという。

英語では大乗仏教のことを "mahayana" (マハーヤーナ) という。この "maha" の部分が、日本語でいう 「摩訶」 と同じ語で、「マハーヤーナ」 は元々のサンスクリット語では 「大きな船」 という意味だ。

オウム真理教がやたらと 「マハーなんとか」 という言葉を使い散らかしたために、イメージが下がってしまったようなところがあるが、元々はとてもありがたい言葉なのである。

また、折口信夫は、「ばか」 と 「あほ」 はどちらも語源が 「烏滸 (をこ)」 であるとしている。「おこがましい」 の 「おこ (元々は 「をこ」)」 だ。「を」 は元々 【wo】 という発音で、唇を閉じ気味に発音するから、力んで言うと 【b】 に近づきやすく、「こ」 は 「か」 と 「ほ」 に変化しやすい。まあ、これぐらい 【h】 と 【k】 は近い。

長々と持って回ったふうなことを書いてしまったが、要するに、"Heidi" を 「楓 (かえで)」 とするのは、それほど突飛な発想ではないということだ。ただ、トリビア放映以来、自分の子に 「楓」 と書いて 「はいじ」 と読ませるという名前を付ける親がいるらしいが、これはちょっと考え物と思うがなあ。

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2009/11/18

「パンポン」 を巡る冒険

一昨日の 「パンポン」 の続編である。もっとも、内容はいろいろな方から寄せられたレスをもとにした総まとめみたいなもので、二番煎じ的なものだが、お許しいただきたい。

日立製作所発祥の 「パンポン」 というスポーツを紹介したところ、実はあちこちで似たようなのがあるとのレスをいただいた。

まず、ハマッコーさんから、「NEC の工場の昼休みにやっているのをよく見かけたので NEC 発祥のスポーツだと思ってました」 と知らされ、次いで、すがわらさんからは 「近所の某財閥系会社でも似たような物をやってました。こちらでは 『テニポン』 と言っていました」 との情報が寄せられた。

このあたりまでは、「日立発祥のスポーツが、人の行き来があって、あちこちの会社に伝播してるんだなあ」 ぐらいに考えていた。「さすがに、日立は大会社だけのことはあるわい」 ってなものである。

ところが、ちょっと間をおいて極私的視点管理人さんから 「広島にも似たようなスポーツで 『エスキーテニス』 というのがあります。公務員の人やマツダ関係の人を中心に親しまれてて、かつては専用コートと大学にもサークルがありました」 というレスをいただいたあたりで、「まてよ」 と考えが変わった。

これは、日立発祥と言い切るべき話ではないのではなかろうかという気がしてきたのである。日本全国、あるいは世界各地に似たような形態のゲームが自然発生的に存在していて、それらが地域スポーツとして生き残ってきているのではあるまいか。

そう考えた途端、忽然と小学生時代の記憶が蘇った。かく言う私だって、昼休みに似たような遊びをしていたのである。

何という名前のゲームだったかは忘れた (あるいは、名前なんかそもそも付いていなかったのかもしれない) が、私のやっていたのは、地面に田の字を書いて、4人で対戦する形式だったのである。ラケットなんてものはなく、手のひらでゴムボールを打ち合う。

田の字の線で区切られた 4つの陣地には序列があって、ポイントを取るたびに上衣の陣地に昇格する。一番下の陣地でポイントを取られると降格して退場になり、順番待ちの子が新たに一番下の陣地に入る。一度一番上の陣地まで昇格すれば、なかなか退場しないで済む。

上手な子はずっとゲームを続けていられるが、下手な子は下位の陣地でしょっちゅう交代する。序列ははっきりしているが、下手でも下手なりにちゃんとゲームに加われるという、競争原理と民主主義がうまくミックスされたようなルールだった。このゲーム、今でも残っているだろうか。

興に乗って、「テニスに似たスポーツ」 というキーワードでググってみると、上述の 「テニポン」 「エスキーテニス」 のほか、「スポレック」 というのも出てきた。静岡県で盛んなのだそうである。まあ、見たところ 「手作り感覚」 でいえばパンポンにとどめを刺すと思われるが。

このほかにも、「スポーツ」 というほどでもなく 「遊び」 ということで調べると、おぉ、出てきたではないか。「重箱の隅っこ」 というページの 2000年 8月 21日付に、例の田の字型のゲームが紹介されている (参照)。けっこうやられてるんだなあ。

で、思いを巡らしているうちに、山辺響さんから次のようなレスをいただいた。

……その後、各地の類似競技のあいだで共通のルールが整備され、全国組織も設立された。競技の名称は 「テニス」 に統一された。いっぽうで屋内での競技は独自の発達を遂げ、「テーブルテニス」 「ピンポン」 と呼ばれるようになった。

……というようなことが、18世紀~20世紀くらいにいろんなスポーツで起きていたのだろうなぁ、と。

むむ、やられてしまった。実はこれと似たようなことを考え始めていて、「次はそんなような記事を書こうかなあ」 と思っていたところで、先回りして書かれてしまった。まあ、せっかくだから、自分で一から文章を考えなくても、とっかかりは引用で済むだけありがたいと思い直し、ここにこうして書いているわけである。

各地で行われていたプリミティブなゲームが、似た者同士で集まって洗練され、組織整備とともにルールも統一され、今のメジャースポーツに昇華したのだろう。例えばブリテン島各地にあったボール蹴り遊びが、進化の過程で二大潮流に集約され、今の 「サッカー」 と 「ラグビー」 になったというようなことが、いろいろな分野であったわけだ。

そして、進化の流れに乗らず、ガラパゴス化してしまったものもいくらでもあって、日本の蹴鞠みたいな伝統芸能になってしまったというのもあるだろう。あるいは、進化の流れからスピンアウトして先祖返りしてしまったというのが、パンポンその他のゲームだという気がする。

煎じ詰めて考えれば、球技というのはゴールに入れ合うサッカー型、打ち合いをするバレーボール型の二つが主流で、あとはゴルフ型と野球型しかないようなものである。この 4つの基本で、あとは手を使ったり足を使ったり道具を使ったりというバリエーションを考えれば、いくらでも新しいスポーツが発生する余地がある。

ただ、どこまで行ってもマイナーの地位に甘んじることになり、オリンピック種目になるなんてことはまずないだろうが。

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«「主語なし会話」 という誤解