2014/10/24

「グルジア」 を 「ジョージア」 ということについて

今日、カーラジオでニュースを聞いていると、やたらに 「グルジアがジョージアに国名変更」 とやっていた。それを聞いて私は、「グルジアって、別に国名変更なんかしなくても、元々ジョージアなのに、おかしなことを言うなあ」 と思っていた。

これに関しては、6年前に "「グルジア」 が 「ジョージア」 であること" という記事の中で論じている。つまり、「グルジア」 はロシア語の読み方であって、フツーの英語読みでは 「ジョージア」 なのである。日本はこれまで、「ジョージア」 なんて読んだら米国のジョージア州と区別が付かなくなると気を遣ったのか、ロシア語読みで言い習わしてきたのだ。

ところが当のグルジア、いや、もうジョージアと言ってしまおう、このジョージア国内では反ロシア意識の高まりによって、グルジアとロシア語読みされるのはたまらんということになっているようなのだ。そこで日本にも、「グルジアじゃなくて、ジョージアと呼んでね」 と言っているということのようなのである。

そして、今やこの国を 「グルジア」 と呼んでいるのは、ロシアと日本ぐらいしかないということになってしまっているらしい。つまり、決して 「国名変更」 なんかじゃなく、読み方の問題なのである。

ただ、日本ではアルファベットを使っていないので、「ごめん、今後は英語読みにするわ」 というほど簡単ではなく、カタカナ表記から改めるということになるわけだ。ああ、めんどうくさい。

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2014/10/23

町田市 I shall 坂上交差点?

今日は。よくもまあ、こんなにくだらない話をブログに書くものだと、呆れられてしまいそうな話である。私としてもあまりくだらなすぎて、今日まで書くのをためらっていたほどだから、本当に掛け値なしにくだらない話である。

何かというと、「町田市には、I shall 坂上交差点、I shall 坂下交差点」 という交差点があるのだと、私はずっと信じていたというお話だ。日本の交差点の名前としてはあまりにも不思議すぎる命名だが、カーラジオを聞いていると、時々交通情報で登場する交差点である。

で、「珍しい名前の交差点」 というタイトルで、ブログに書いてみようかなと、ずっと思っていたのだが、なんだかそれもはばかられたのである。「いくら何でも、何かの間違い、聞き違いに違いない」 という気がしていたのだ。

で、今日、このことをふと思い出してしまって、インターネットで 「町田市 I shall 坂上交差点」 というキーワードでググってみたのだが、「残念なことに」 というか、いや、「やっぱり」 というべきか、こういう名前の交差点は見当たらなかったのである。そりゃ、そうだよね。あまりにも突飛すぎる。

で、「ほぼ、この交差点を聞き違えていたに違いない」 というのが特定できた。それは、「町田市 相原坂上交差点、相原坂下交差点」 である。町田市相原町にある交差点で、付近には JR 東日本横浜線の相原駅という駅もある。これに違いない。

どちらも国道 16号線上にある交差点で、少し北に進むと八王子バイパスの橋本インターチェンジがあり、いかにもしょっちゅう渋滞しそうなところである。これなら、交通情報に頻繁に登場してもおかしくない。

それにしても、我ながらどうして 「相原」 を 「アイシャル」 などと聞き違えてしまったのだろう。おかげで、こんなにくだらない記事を書いてしまうことになってしまったではないか。

ただ、あまりにもくだらなすぎるので、付け足しだが、少しはまともなことを書いておこう。それは 「くだらない」 の語源である。「下る」 には 「通じる」 との意味があり、「下らない」 というと、「筋が通らない」 というようなニュアンスで、それが転じて 「取るに足りない」 という意味合いに変化したとされている。

ちなみに京都の朝廷から江戸の将軍家に下賜されるものを 「下り物」 と言ったが、価値のない物は下賜されないので、「下らない」 というようになったという説もある。しかし 「下らぬ」 という言葉は江戸時代より前から使われているので、これはどうやら俗説のようである。

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2014/10/22

iOS 8.1 へのアップデートは、さっさとした方がいい

iOS 8.1 がリリースされたので、さっそく昨日の夜、手持ちの iPhone と iPad をアップデートした。OS アップデートには慎重派の私としては、珍しい速攻である。一昨日の午後に、 iPhone 6 の不具合に気付き、「早くバグ・フィックスしてくれないかなあ」 と思った矢先に、タイミングよく新バージョンがリリースされたからだ。

不具合というのは、せっかく登録したユーザー辞書を、iPhone 6 が読み込んでくれなかったのである。前に使っていた iPhone 5 を iOS 8 にアップデートした時も、初めは読み込んでくれなかったが、再起動させたらあっさりと解決した (参照)。ところが、iPhone 6 ではどうしてもうまくいかなかったのである。

さらに、テザリングがどうしてもできない。私は出先で iPad をインターネット接続するときは、iPhone のテザリング機能を使っているので、これができないと本当に困るのである。そして、この 2つのバグに気付いた翌日に、修正版がリリースされたので、「多分、これで解決するだろう」 と、期待を込めてアップデートしたのだ。

さっさと結果を報告しよう。不具合はあっさり解決された。OS のアップデートが終わって、ユーザー辞書を表示させてみたら、300以上ある登録単語が見事に表示された。そして、手持ちの Mac と iPad でテザリングさせてみたら、なんのことなくつながったのである。当たり前のことだが、実現してみるとうれしい。

というわけで、iOS 8 の不具合に悩んでいる人がいたら、さっさと 8.1 にアップデートすることをお薦めする。私の場合は、これで問題がほとんど解決した。

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2014/10/21

夫の立ち会い出産で、出生率低下?

先週の土曜日、いつものように TBS ラジオで 『土曜ワイド』 を聞いていたら、出産に夫が立ち会うことが増えた傾向について、永六輔さんが 「僕は立ち会いたくない」 とおっしゃる。私は 「なんと意外な!」 と驚いてしまった。

まあ、実際には永さんが今後、自分の子供の出産に立ち会うことになる可能性はほとんど 0 パーセントだろうから、別に大した発言じゃないかもしれないが、おすぎとピーコに 「男のおばさん」 と言われたことのある永六輔さんとしては、まことに 「らしくない」 印象である。

「出産に立ち会うのは、男には刺激が強すぎる」 というのである。これはどうみても前世紀までの感覚としか思われない。あの永さんにしてからが、この感覚から逃れ得ていないのを知って、ちょっとショックだった。

私は 3人の娘のうち、下の 2人の出産時に立ち会っている。次女の出産に立ち会った時には、「ああ、こんなものなら、医者も産婆もいなくても、いざとなったら俺が取り上げられるな」 と思ったほどだ。まあ、ウチの妻が安産だったこともあるのだろうが。

ところが永さんは、「夫の出産への立ち会いが、出生率低下につながっている可能性もある」 とおっしゃる。知り合いの医師が、そんなことを言っていたのだそうだ。一度出産に立ち会った夫が、怖じ気づいて 「二度とごめん」 と思ってしまい、2人目の妊娠を望まなくなる傾向があるというのである。

しかし尊敬する永六輔さんには恐縮だが、こればかりは、眉唾の話だと思う。私は 2人目の出産に立ち会って、3人目にも当然の如く立ち会った。これは決して私に限った特殊な話じゃないと思う。

試しに、夫の立ち会い出産についてインターネット検索してみたが、少なくとも上位 30番めあたりまでは、出生率低下に結びつくと指摘する情報は見当たらなかった。それどころか夫の立場で 「出産に立ち会って感動した」 という肯定的な意見の方がずっと多い。

百歩譲って、「二度と立ち会いたくない」 と思った夫が多いとしても、それが出生率低下に直接結びつく要因とは思われない。出産には立ち会いたくないけれど、2人目以後の子供が欲しいというなら、立ち会わなければいいというだけの話だ。別に夫が立ち会わなければ出産が不可能というわけじゃないのだから。

「立ち会い出産で出生率低下」 というのは、「男は出産に立ち会うべきじゃない」 「出産は女の仕事」 という古い価値観から出てくる偏見なのではないかと、私は思ってしまったのである。それとも立ち会い出産で出生率低下ということを裏付けるデータが確かにあるなら、教えていただきたい。

念のため申し述べておくが、私は 「夫も是非出産に立ち会うべきだ」 と主張しているわけではない。立ち会いたければ立ち会えばいいし、嫌だったら立ち会わなければいいだけの話だ。ただ、私個人としては、立ち会ってよかったと思っている。貴重な経験だった。

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2014/10/20

Yosemite にアップグレードした

MacBook Pro の OS を Yosemite にアップグレードした。リリースされたのは米国時間の 10月 16日だったが、17日から出張を控えていたので、トラブルによる面倒を避けるために、満を持していたのである。今日おもむろにアップグレードしたところでは、トラブルは全然ないので、これだったら、さっさとやっとけばよかったという印象だ。

Marvericks から何が変わったかといって、印象としてはアイコンのデザインが例ののっぺりした 「フラットデザイン」 になっただけで、他の操作はほとんど変わらない。ただ、iCloud Drive が使えるようになったので、今後おいおい活用していこうと思っている。

とりあえず今のところ、不具合は発生していない。いつも使っているアプリケーションはさくさくと動くし、インターネットのつながり具合も問題ない。心なしかテキスト入力の反応がよくなっているような気もする。

Safari のタブをたくさん開いたとき、前のバージョンでは右端に近いタブが隠れてしまっていたのだが、新バージョンでは右から左に詰めて表示されるようになっていて、いちいち探さなくても済むようになっている。私のように一度にたくさんのタブを開くタイプにはありがたい。

それ以外では、特筆して報告するような違いは発見できていない。これはある意味、歓迎すべきことである。何が変わったんだかわからないが、そのうちじわじわと新機能が活用できるようになるというのが、一番いい。Windows 8 みたいにがらりと変わりすぎると、その後しばらく生産性が急激に下がる。

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2014/10/19

「点線国道」 って知ってる?

山梨県への出張を終えて、無事に帰り着いた。帰り道はとくに急ぐ必要もなかつたため、中央高速道を通らず、一般道を通つてきた。しかも、甲州街道 (国道 20号線) を辿ると途中で都内を経由してしまうので、えいやとばかり、国道 140号線で秩父に抜け、埼玉県の山奥から関東に降りてくるというコースを辿つてみた。

国道 140号線で、山梨と埼玉の県境を越えるのは、ちょっと前まではほとんど無理だつた。ところが、平成 10年に山腹を貫く 「雁坂トンネル」 というのができて、車で通り抜けられるようになった。

全長 6625メートルで、一般道としては日本最長のトンネルだそうだ。ただ、「一般道」 を名乗ってはいるが通行料が取られる有料道路で、私も 730円支払って通り抜けた。

このトンネルができるまでは、地図上ではもっともらしく 140号線が奥秩父連峰の途中にある 「雁坂峠」 を越えていることになっていたのだが、実際に行つてみると、車が通れるのは山の麓までで、そこから先は登山道以下の獣道のような状態だつた。噂では、便所を通り抜ける小径もあるということだった。

私は 35年ぐらい前に、奥秩父を東京都の西端、 雲取山から甲武信岳まで縦走したことがある。途中の尾根道に確かに 「雁坂峠」 という案内標識があるのだが、尾根道と峠道が交わっているという気はほとんどせず、縦走路を外れたところはほとんど草に埋もれてしまっていた。とんでもない国道である。

それがトンネルの開通によって車で通り抜けられるようになったのだから、今回はその恩恵に蒙ったわけである。天気も良く、なかなか快適なドライブ日和だったが、一方で 「俺も年を取るはずだよ」 と思ってしまったことである。

ところで、日本にはまだまだ車の通れない国道があるらしい。専門用語では 「自動車交通不能区間」 というが、地図上では点線で表示されることが多いため、俗に 「点線国道」 とも言われると、今日初めて知った。(参照

有名なところでは、青森県竜飛岬で階段になってしまう国道 339号線があるが、多いのはやはり峠道だ。車が通れないというほどではないが、対向車が絶対にすれ違いないような、とんでもない山道の国道もある。私はそんな道をあちこちで経験しているが、なかなかのスリルである。

【10月 20日 追記】

国道 140号線は便所の中を通つているという噂は、本当だつた。「国道を旅する」 というサイトに、その写真があるので、ご覧いただきたい (参照)。私が 35年前に辿つた尾根道からそう遠くないところにあるようなので、当時見逃したのが残念である。

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2014/10/18

山梨県でペンションに沈没

出張で山梨県の山の中に来ている。当初の思惑では、午後 3時半頃に仕事が終わるかと思っていたのだが、かなりずれ込んでしまい、今日中に帰るのがしんどい時間になってしまった。

急遽ネットで近くのホテルを探したが、行楽シーズンの、しかも週末台風が続いた後の久しぶりの上天気の週末とあって、どこも満室だ。周りは観光地ばかりだし、そりゃ、そうだよな。

なんとか清里の外れのペンションを探し出してしけこんだ。無線 LAN でインターネット接続可能という触れ込みだが、電波がものすごく弱くて、まともにつながらない。3G 回線も弱くて、スピードがものすごくトロい。

更新は後回しにして、宿の近くの日帰り温泉に行ったら、露天風呂が気持ちよすぎてウトウトしてしまい、のぼ上せる一歩手前まで浸かってしまった。あぁ、疲れだ。

というわけで、申し訳ないが、今夜はまともな更新をする気になれないのであるのよ。和歌ログでおわかりのように、途中の景色は最高で、十分にハッピーだったんだけどね。

たまにはこんなこともあるさと、お許しいただきたい。お休みなさい。

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2014/10/17

ロンドンの霧と、肩こりと、いじめと、セクハラ

産経新聞が 「小学校いじめ最多 暴力行為は1万件超す」 と伝えている。平成 25年度に全国の小・中・高校と特別支援学校で認知されたいじめの件数は前年度より 1万 2千件余り減少したが、小学校では約 1400件増加し過去最多を記録したというのである。

この記事では、テキストよりも添えられたグラフの画像が興味深い。こんな画像である。(産経新聞より転載)

Photo

昭和 60年度がやたら多い理由はよくわからないが、61年度以後、7年から 11年ぐらいの間隔をおいて一気に急増しては、しばらく減少し続けるという傾向を繰り返している。これは一見すると不思議な現象だ。

いじめがある年にどっと増えて、その後減少し続け、またしばらくすると急に増えるなんてことはありえない。このグラフは、「報告されたいじめ」 の背後に 「報告されないいじめ」 がかなりあるということを示しすものである。報告が時々急増するきっかけは、いじめを苦にしての自殺というニュースのようだ。

いじめによる自殺という事件があると、教育委員会や学校では本格的にいじめの調査に乗り出す。すると、それまで認知されていなかったいじめのケースが取り上げられて、どっと報告が増える。ところが翌年か翌々年になるとその熱が冷めて、また認知されなくなる。そして忘れた頃にまたいじめによる自殺のニュースが流れる。

いじめ対策が、いかに功を奏していないかを示すものといっていい。調べるだけ調べてみて、「これは大きな問題ですね!」 と警鐘を発し、その後しばらくは、その甲斐あっていじめは減っていたかのように見える。しかし何かのきっかけで、影に隠れていたいじめが再び暴き出される。

いじめを苦に自殺した子供は、自分の身を犠牲にしてでもいじめ対策を社会に呼びかけたという点で、尊い存在である。しかしこの尊い存在も、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」 式に、1〜2年経つと忘れ去られて元の木阿弥になってしまうのでは、申し訳がない。

どうも教育現場では (いや、教育現場に限らないが)、何か重大な事件が発生しないと根本的な対策が行われないという傾向があるみたいなのである。それまでは、「あっても見えず、聞こえず」 ということになる。

見えなくて聞こえないものは、「なかったこと」 にされてしまい、対策が執られないのである。なかったことにするために、敢えて 「見ず、聞かず」 という態度をとり続けるということだってあったようだ。

いつも問題にし続けないと、「なかったこと」 にされる。だから、たとえうっとうしがられても、大切なことは大きな声で言い続けなければならない。問題にしないと問題じゃなくなるのだ。

「ロンドンの霧は、詩人がそれを言葉にするまでは存在しなかった」 と言われている。人は、目の前に歴然として存在することでも、誰かがそれをしっかりと言葉にしてくれないと、まともに認識しないのだ。

「アメリカ人は肩が凝らない」 と言われるが、それは 「肩こり」 という日本語ほど端的に肩や首のこりを表現する言葉が英語にないので、たとえ肩が凝ってもそれをきちんと認識できないからだという説がある。その証拠に、「肩こりなんてしたことがない」 というアメリカ人の肩を揉んであげると、「ああ、気持ちがいい」 となって、初めて自分の肩も凝っていたことに気付くという。

「いじめ」 も同様で、いじめている子は 「いじめ」 と認識しておらず、ただ 「からかっているだけ」 とか 「付き合わないで無視してるだけ」 と思っている場合がある。それがとりもなおさず 「いじめ」 なのだという認識が薄いようなのだ。

やたら気軽に 「結婚したらどうだ」 と声をかけるのが、「セクハラ」 だと思っていないオッサンが存在するのと同じである。こうしたオッサンがやたらと無神経な発言を繰り返さないようにするには、「セクハラって、お前のやってるそれだよ!」 と思い知ってもらわなければならない。

同様に、学校の子供たちにも 「お前らが軽い気持ちでやってるそれが、実は 『いじめ』 なんだよ。やられる方の身にもなってみろ!」 と、何度も何度も繰り返して言わなければならない。そうでもしないと、よほどの暴力行為でもない限り、「自分はいじめなんてしたことがない」 と思ってしまう。「肩こりなんてしたことがない」 と思っているアメリカ人みたいに。

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