2014/04/20

私の机の上がごちゃごちゃなのは

6年近く前に 「バーチャルなデスクトップはきれいなのに」というエントリーで書いたように、私の PC の中 (当時はハードディスクだったが、今は SSD) は、人に誇れるほどきれいに整理されていて、どんなファイルも即座に開くことができるのに、リアルのデスクトップ (つまり、事務机の上) は堆積した書類でゴチャゴチャで、手がつけられないほどだ。

どうして、バーチャルのデスクトップはこんなにもきれいに整理されているのに、リアルではできないのかといえば、件の記事では次のように書いている。

まことにもって、形と重さのある現実のファイルや書類、ケーブルやコードの整理というのは、 PC の中のディジタルな符号と違って、ものすごく時間がかかる。

つまり、デジタルなファイルは一瞬にして整理できるのに、「形の重さのある現実のファイルや書類」 の整理は時間がかかるからだとしている。しかし最近、私はこの見方がはなはだ中途半端で、こんな考え方をしている限りは、机の上の整理問題は解決しないと悟った。

きちんと分析すれば、PC の中身がいつもきれいに整理されているのは、一度フォルダの中に保存したファイルは、何度開いて編集しようと、閉じさえすれば即座に元のフォルダに収まるからだとわかる。つまり、最初に保存する時に最適のフォルダを指定してやりさえすれば、後は 「片付ける」 という手間が要らないのである。

ところが、リアルの書類はそうはいかない。書類棚から取り出して開いたり閉じたりして作業を進め、その作業が終わっても、机の上にそのまま放置してしまうことが多いのだ。そうこうするうちに、うず高く積まれた書類の山の中に埋もれてしまう。

ああ、リアルの書類が、PC の中のデジタル・ファイルのように、必要になったらちょんちょんと叩いてやるだけで開き、作業が終わったら閉じてやるだけで、元の位置にさっと収納されるものだったら、どんなにありがたいだろう。

現実の書類が、「閉じる度に元の場所に戻す」 という一手間が必要である限り、私の机の上は永遠にごちゃごちゃのままである。たまに思い立って、一日がかりで整理しようとも、三日も経てば元の木阿弥だ。

一見きれいに整理された書類棚の中身は、10年に 1度も手をつけなくて済むような古い書類 (つまり 「要らない書類」) ばかりで、本当に頻繁に必要になる書類は、机の上の乱雑な堆積の中を必死に探さないと見つからないというパラドックスは、このように必然として現出する。

書類をきれいに整理しようとすれば、日常的にきちんと整理する作業を怠らないようにしなければならない。ところが人間のリソースというのは有限だから、そんなくそ面白くもない地味な作業に手間をかけすぎると、クリエイティブなことなんかできゃしないのである。

几帳面とクリエイティビティは、容易には両立しないのだ。

話は飛躍するが、例の小保方さんみたいに画期的な発見 (STAP 細胞が実在すると仮定しての話だが) をするようなタイプの人間は、細かいデータの管理が下手くそと相場が決まっている。

微妙に違うが一見同じような写真データがくさるほどごちゃごちゃあったら、整理下手の大雑把人間は取り違えて当たり前だと、私なんぞは同病相憐むみたいに、つい同情してしまうのだよね。だからといって許されるというわけでは、決してないのだが。

ああ、リアルの形も重さもあるデータ書類が、閉じたとたんにさっと元の場所に戻ってしまうような、形状記憶合金ならぬ 「保管場所記憶ファイル」 とでも言うべき画期的な仕掛けを作ったら、きっと大もうけできるだろうに。いや、これって、リアルでは実現できないから、デジタルでとっくにやっているわけなのだが。

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2014/04/19

私が 「しっかり者」 だなんて

ラジオを聞いていると、聴取者の投稿した失敗談を披露するという番組が結構多い。中には、車を運転しながら聞いていても思わず吹き出してしまうような馬鹿ウケ失敗談というのもあって、思わず聞き入ってしまったりする。笑える失敗談をお持ちの人って、世の中には結構いるものなのだ。

しかし翻って、自分が人に披露できるような見事な失敗談をもっているかといえば、甚だ寂しい限りなのだ。我ながら意外なほど、皆無なのである。

思い返してみれば、まかり間違っていたら人生でも最大級の失敗談になるところだったのが、今年の 2月 21日に 「入試シーズンになると思い出すこと」 という記事で紹介した体験である。大学入試でマークシート式の答案用紙に、問題を一つ抜かしたまま回答を記入して、終わったと思ったら回答欄がまだ 一つ残っていたというものだ。

この大チョンボが響いてその "R 大学" は不合格になったのだが、そのおかげで、滑り止めに合格して入学金を支払うという不合理な事態には、ならずに済んだのである。後々まで 「よくぞ落ちてくれた」 と言われたほどなので、結果論だが、あれは 「失敗談」 じゃなくて、「チョー成功体験」 になってしまったのだ。人生、何が幸いするかわからない。

このブログで書いた体験談で一番笑いを取ってしまったのが、8年前に書いた 「『はに丸』 で死にかけた話」 である。ただこの件にしても、私は決して失敗してしまったというわけじゃなく、周囲の連中の気の利かなさを、決死の奮闘努力でカバーして、支障なくパフォーマンスをやり遂げたのだから、死ぬ思いはしたものの、「失敗談」 どころか、むしろ 「涙ぐましい成功体験」 である。

それに、なんと、この記事には 「神田君」 役の、あの三波豊和さんからコメントが付いたのである。これが大成功でなくて、なんであろうかってなものだ。

その他にも、小さな失敗はちょこちょこあるのだが、どれもみなあっさりとカバーできてしまっていて、はなはだ面白みがない。こうしてみると、私って、自分で思っているほどグダグダなおっちょこちょいではなく、案外しっかり者なんじゃないかと思われてきたのである。

リアルの私を知っている人からすれば、「tak がしっかり者」 だなんて、冗談にもほどがあると思われるかもしれないが、結果が雄弁に証明している。いや、もしかしたら、失敗体験はきれいさっぱりと忘れてしまっているだけなのかもしれない。ただ、そうだとしても、それならそれでいいじゃないか。

「失敗なんてすぐに忘れてしまうような奴」 って、私は嫌いじゃない。むしろ好きである。自分がそうであるかどうかまでの結論は、ここでは出さないでおくが。

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2014/04/18

ヨーロッパで 「最高のでき」 といわれた CM も

結構古い話 (7年ぐらい前のことらしい) のようなのだが、最近知ったことなので、今更ながらに書く。

それはヨーロッパでは 「最高のでき」 と評価されながら、米国では散々な論議を呼んで、ついには放送禁止となってしまった CM のことだ。日本語は全然使われていないのだが、たかだか 40数秒間、見てさえいれば何の CM かわかるので、まずはご覧いただきたい。

要するに、食品スーパーでわがまま放題、傍若無人の大暴れをする憎たらしいガキん子に手を焼く哀れな父親の顔がアップになったとたんに、"Use Condoms" というテロップが出てくるという、まあ、チョー直截的な表現の CM なのである。

個人的には、この CM には、不愉快な印象をもった。とにかく、うるさすぎる。私は子どもの金切り声が苦手なので、見ているだけでうろたえてしまう。それで、3年ちょっと前に 「子どもの金切り声」 なんていう記事をかいているくらいだ。我が家の 3人の子どもは、少なくともこんなにひどい金切り声を一度も出すことなく育ってくれたのでありがたい。

で、この CM がヨーロッパでは好評だったという話に戻るが、ヨーロッパでは 「子どもは悪魔」 と思われているフシがある。教育によって矯正しないと、勝手なことばかりして世の中をメチャクチャにしてしまう存在なのだ。その背景には、キリスト教の 「原罪思想」 があるだろう。

だから 「ナイーブ」 という外来語は、赤ん坊は神のような存在と思われている日本では 「汚れない」 といういい意味で用いられるが、英語本来の意味では 「子どもっぽい」 とか 「世間知らず」 とかいうニュアンスが強い。

そんな背景があるので、この CM はヨーロッパの大人たちにとっては、ある意味では溜飲を下げるような感覚があるのかもしれない。「ああ、子どもを教育していっぱしの大人にしていくのって、大変!」 ということなのだが、「でも、コンドームを使いさえすれば、そんな悪魔と付き合わなくて済む」 という福音が与えられるのだ。

ただ、ヨーロッパではこれが好評だったのだが、さすがに米国では不評だったらしいのである。アメリカって、人間が少し単純素朴なのだね。ヨーロッパと比べれば、そんなにひねくれていないのだ。やっぱり。

ただ、ひねくれてはいないとはいうものの、「放送禁止」 というのは表現の自由と照らし合わせてどうかという気はする。しかしよく考えれば、テレビ CM というのも客商売だから、ウケないとわかれば、差し替えになるのが必至だから、突っ張ってもしょうがないというのが本当のところだろう。むしろ放送禁止になったおかげで、インパクトは残せただろうしね。

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2014/04/17

Mac でも Atok と 「スコアメーカー」 が使いたいので

昨日は Mac と Chrome との相性が悪いので、Safar に乗り換えたという話を書いた。今年 1月に Windows 7 から Mac に乗り換えて、心配していたような問題もほとんどなく、日に日に Mac ユーザーらしくなってきている私だが、あえて言えば 2つほど不満がある。

一つ目は、日本語変換機能の問題だ。Mac のデフォルトの日本語入力システムは 「ことえり」 というもので、昔はかなりおばかだったという噂を聞くが、使ってみた限りでは 「まあまあ、使える」 という印象をもっている。ならば満足すればいいのだが、なまじ 「まあまあ、使える」 というレベルなので、Atok に乗り換えるチャンスを逸しかけている。

「ことえり」 に関する私の 「まあまあ、使える」 という評価は、裏を返せば、今年 1月まで長年にわたって使い続けてきた Atok に比べれば、「かなり落ちるよね」 ということだ。ことえりに大きな不満はないのだが、微妙なところで今イチ、「うぅむ、こいつ気がきかんな」 と思うことがある。

例えば上述の 「気がきかん」 というフレーズは、Atok で入力すれば問題なく一発で 「気がきかん」 になるのだが、ことえりだと 「木が帰還」 なんてことになる。こんなようなことが頻発すると、ちょっとストレスになる。

噂によれば 「Google 日本語入力」 というのがかなり使いやすいらしいのだが、私としては 「ことえり」 を捨てるのだったら、文句なしに Atok にしたいと思っている。それは Atok が 「文語」 に対応しているからだ。私は 「和歌ログ」 というサイトで、古語で旧仮名使いの歌を詠んでいるので、文語モードで入力が可能な Atok だとメチャクチャ快適なのだ。

どのくらい快適かというと、ほぼ 6年前に 「ATOK の文語モード試しみむとて 」 という記事を皮切りに連続 3日間、文語で書いたが、かなりさくさく入力できた。あの快適さが思い出されて、そろそろ Atok に乗り換えようかなと思い始めている。問題は iPhone、iPad と登録単語共有をするのに、一手間か二手間余計にかかるのではないかということで、その辺りを見極めようとしているところだ。

二つ目の問題は、Windows で使っていた 「スコアメーカー」 という DTM ソフトが使えなくなったことだ。「スコアメーカー」 は河合楽器によるもので、自分で楽譜を入力するのが基本という、かなりアナログな発想の DTM ソフトなのだ。私は自慢じゃないが、あの佐村河内なんとかという人と違って、自分で楽譜が書けるので、作曲はアナログに近い方がやりやすいのである。

これは作曲ではなく編曲だが、私の出身校である 酒田東高校の校歌を 「スコアメーカー」 を使って器楽曲にしたのをアップロードしてあるので、こちら で試しに聞いてみていただきたい。結構使えるでしょ。

Mac でも Garage Band という DTM アプリが無料で使えるが、楽譜ベースじゃないので、取っ付きにくいのだよね。私としてはどうも、音楽に関してはかなりアナログな人なのだ。

というわけで、私は 「スコアメーカー」 を使いたいがために、Mac にも Windows をインストールしてしまおうかなどと思い始めているのである。ああ、お金のかかることだ。

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2014/04/16

Mac と Chrome は相性が悪いようだ

昨日メインブラウザーを Chrome から Safari に変えた。PC を Mac にしたのだから、とっくに Safari にしていてもよかったのだが、Windows ユーザー時代の一昨年 5月に Firefox から Chrome に乗り換えていたので、今年 1月に晴れて Mac ユーザーになってからも、ずるずると Chrome を使い続けていたのだ。

思い出したように Safari に乗り換えたのは、Mac と Chrome の相性の悪さに気付いたからである。Mac を使い始めた当初はそれほどでもなかったのだが、近頃急に Mac がクラッシュして、システム再起動しなければならない事態に陥ることが頻発するようになったのだ。

Mac はフリーズすると、レインボウ・カーソルというのが出現して、虹色の風車みたいなのが延々と回り続ける。単体のアプリがフリーズしたのなら、"option + command + esc" の同時押しで 「アプリケーションの強制終了」 というウィンドウを開き、フリーズしたアプリを終了させればいい。これは Windows の "Ctrl + Alt + Del" キーの同時押しと同じようなものだ。

ところが、近頃頻発していた不具合は、アプリ単体の強制終了で済むような生易しい話ではない。OS 自体がクラッシュしてしまっているようで、一切の操作を受け付けなくなるのだ。仕方なく電源ボタンを長押ししてシステムを強制終了していたのである。こんなことが、1日に 1度、いや、下手すると 2〜3度発生していた。

で、昨日になって、「ん? これって、決まって Chrome の操作をしてる時に発生しているんじゃないか?」 と気付き、試しに "Mac Chrome 相性" というキーワードでググってみると、なんと 「相性最悪」 という評判が続々と出てきたのである。

Gizmodo では 2012年 6月 26日に、既に 「新しい MacBook Air で Chrome を使うとフリーズするらしい」 と報告されている。いやはや、知らなかったよ。あちこちのサイトを見るとこの問題は、Chrome のアップデートで解決するらしいと書いてあるのだが、今に至るまで未解決のようなのだね。

というわけで、1年半に渡って慣れ親しんだ Chrome を捨てて、Safari に乗り換えたわけなのだ。乗り換えてみると Safari というのは、使い勝手がいかにも Apple という感じで、悪くない。ただ、このココログの記事編集機能との相性が今イチみたいで、ちょっとストレスを感じるが、これも慣れの問題程度の話のようだ。

で、システム・クラッシュの問題も、乗り換えて 30時間以上経っているが、一度も発生していない。やはりあれは、OS と Chrome の相性問題だったようだ。やはり、Mac ユーザーになったからには、ブラウザーも Safari にするのがお約束みたいなもののようなのである。

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2014/04/15

名刺の断捨離

今日は名刺の大整理をした。引き出しの中に溜まった名刺の膨大な束をみて、「こんなに多くの知り合いが必要なわけないし、付き合えるわけもない」 と思ったのである。ただでさえ顔と名前を一致させて覚えるのが苦手なのに、何千人もの人を相手にできるわけがない。

端からあたってみると、昔、繊維と IT 業界でバリバリ仕事をしていた頃に交換した名刺がどっさりある。そのうちの多くは、既に定年退職したと思われる人の名刺だ。どうせ仕事上のみの付き合いしかなかったのだから、会社から離れたらもう接点がない。バシバシ捨てる。捨てまくる。

それから多いのは、何かのイベントで一度だけ会ったと思われる人の名刺である。初対面で名刺を交換して、その後も何らかの付き合いが生じることは稀だ。一度だけしか会っていない人なんて、顔すら覚えていない。それでも 1〜2年の間には何らかのきっかけで再び会うことになるかもしれないが、3年も経ったら、会ったことすら忘れる。よって、バシバシ捨てる。

昔、業界団体に勤めていて、その関係でお役所関係の諮問会議みたいなものに付き合わされることがちょくちょくあった。ほとんどは役にも立たない役人のお仕着せプロジェクトなので、その会議の間だけ付き合いのあったという人も、今ではまったく縁が切れている。それもバシバシ捨てる。

それから、今でも仕事上の縁があって頻繁に会っている人の名刺が複数ある。その人の仕事が変わったり、役職が変わったりする度に新しい名刺をもらうので、古い名刺が何枚も出てくる。これも、最新のものだけ残して古いのはバシバシ捨てる。捨てて捨てて、捨てまくる。

そうこうするうちに、名刺の数はざっと 4分の1ぐらいに減った。それでもまだ要らない名刺が多いのだろうが、まあ、これも一つの行きがかりと思い、捨てるのはそこまでにする。名刺断捨離、ひとまず完了。

それにしても、世の中には多くの人がいるものである。多くの人の中の、ほんの一部の人と会い、その中でもほんの一部の人のみと名刺交換しているはずなのに、うっとうしくなるほどの数の名刺が死蔵されている。

当然、私の名刺もいろいろな人の机の引き出しの中に死蔵されているのだろう。お互いに顔も覚えていないのに、儀礼的に交換した名刺のみが残る。私の前の仕事、前の前の仕事、その前の仕事、さらにその前の仕事で使った名刺が、何の役にも立たない形で、何千枚と残っているのだろう。

ああ、先方でも思い切りよく私の名刺を捨ててもらいたいものである。

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2014/04/14

想念の具象化 その 3

私のブログの長年の読者でもなければ、「想念の具象化」 という記事を意識してくれている方はいないだろう。今回は 「その 3」 ということなのだが、最初の 「想念の具象化」 を書いたのは 約 8年前、そして 「その 2」 は 6年前のことになる。

さらにその発端となる記事を紹介すれば、私のコラムがココログに移管される前の、はぼ 11年前に遡る。"「パンク男」 を返上したい" という記事だ。 この頃まで、私はほぼ毎年、車のタイヤのパンクを経験する男だったのである。

この発端となる記事で、私は次のように書いている。

何の巡り合わせか知らないが、私は妙にパンクが多い。平均すると 1年に 1度ぐらいはパンクしているような気がする。

近所のタイヤ屋の親父さんともすっかり顔なじみになってしまった。「こんなにパンクの多いのも珍しいでしょ」 と聞くと、「そうですねぇ。私なんか、年に 1万 5千キロぐらい乗るけど、パンクなんか滅多にしないもんねぇ」 と言う。1万 5千キロなら、私も大体同じくらいである。一体何が違うというのだ。

タイヤ屋のお客の中には、「今の車はパンクなんかしない」 と信じ込んでいる人も多いそうだ。「そういう人たちは、『最近はタイヤの性能も良くなったから、パンクしなくて済むよねぇ』 なんて言うんですよ」 と、親父さんは笑う。「そういうわけでもないんですがね。本当にそうなら、私らの商売あがったりだ」

ただ言えるのは、「パンクしない」 と信じ込んでいる人は、本当にパンクしないらしい。タイヤ交換は、磨り減って寿命になった時だけだ。とすると、私がパンクしやすいのは、「パンクはするものだ」 と思い込んでいるからなのか。

いやいや、これはきっと 「卵と鶏」 だ。たまたまパンクしないで済んでいる人が、パンクしないと信じ込んでいるだけに違いない。いや、それとも、想念もエネルギーであるから、具象化するともいえるのか。

さすれば、今日を限りに私も 「パンクはしない」 と信じ込んでみよう。それで 「パンク男」 を返上できたら、「想念の具象化」 というエッセイでも書いてみようか。

というわけで、私はそれから無理矢理に 「パンクはしない」 と信じ込むことにしたのである。そうすると、何と本当に 「1年に 1度パンクする男」 でなくなってしまったのだ。で、約束通りそのことについて触れたのが、上述の最初の 「想念の具象化」 という記事で、「あれから 3年以上経った今日、この間、一度もパンクしていないということに気付いた」 と書くに至ったのだ。

そして 「その 2」 を書いたのが、その 1年半後である。これは、年中行事のようにパンクを経験していた私が、4年 8ヶ月ぶりにパンクしたという話を書いたものだ。つまり、想念を変えてみただけで (かどうか知らないが)、パンク率が 4分の 1以下に減ったというお話である。

そして、今回が 「その 3」 なのだが、さらにあれから 6年以上、1度もパンクしていないという報告だ。パンク率は 6分の 1以下に減り、それどころかどこまで減り続けるか知れないという状況にある。どうやら私の 「パンクしない想念」 にも、かなり身が入ってきたようなのである。

私は 「その2」 の中で次のように書いている。

因果関係は実証不能だが、「想念を変えたら、その日から急にパンクの頻度が激減した」 というのは、紛れもない事実なので、私としては個人的にハッピーになっているということだ。少なくとも、「パンクはするものだ」 という想念に戻る理由はない。

それに、「パンクしない想念の波動を移しこんだ空気」 とかいうものを、高い値段で販売しようなんていうつもりは毛頭ないので、「反疑似科学」 の人も、どうかあまりマジに突っ込まないでいただきたい。神社で交通安全祈願をしてもらってお守りをもらうよりも、ずっと安上がりなのだから。(何しろ、「ただ」 だし)

というわけで、11年前からの行きがかり上、最新のご報告をさせていただいた次第である。

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2014/04/13

「税抜き表示」 で、しれっと便乗値上げ

今月から消費税が 8%に上がったことに関しては、特別いちゃもんをつけようという気はないのだが、買い物や外食をする際に、商品価格がいわゆる 「税抜き」 とか 「外税」 で表示されることが多くなっているのに、今更ながら戸惑っている。

小売店などでの価格表示に関しては、何時頃からだったかは忘れてしまったが、消費税額を含んだ、いわゆる 「総額表示」 が義務づけられていて、私なんぞもそれに馴染んでしまっていた。ところが今回の消費税アップに伴う特別措置とやらで、2017年 3月 31日までは、「税抜表示」も認められるようになった。

事業者の値札の貼り替え作業などの負担を軽減させるために取られた措置だというのだが、これ、事業者の負担軽減にはなっているが、消費者にとっては 「負担増」 だよね。「1,980円」 と表示された商品を買うのに、つい財布から 1000円札を 2枚だけ出して 20円の釣り銭をもらおうと思っていると、実は総額 2,138円だったりして、あわてて小銭を追加することになる。

で、「消費税がたかだか 3%上がっただけなのに、実感としてはモノの値段がそれ以上に上がった気がするなあ」 と思っていたのだが、これ、「気がする」 だけじゃなくて、本当に値上がりしていたのである。数字に強い人ならすぐにわかっていたようなことだが、何しろ私は数字を見ただけで頭の中が白くなる人なので、半月もぼんやりしていたのだ。

消費増税前は税込みの総額で 1,980円だったはずの商品が、増税後はそのまま 「本体価格 1,980円」 になったりしているのである。ということは、先月までの本体価格は1,886円だったのだから、14円値上げになっているのである。

この場合の値上げ率は 0.7%にすぎないが、例えば飲食店などで、前は総額 980円だったメニューが、今月から税抜きで 980円なんてことになっている場合がやたら多い。そうすると、支払い総額は 1,058円で、本体価格だけをとっても 元の 934円から、しれっと 46円値上げになった計算になる。

こんな時、レジでの支払いで 「あ、そうか、総額だと 1,000円じゃ足りないんだね」 なんて言うと、「すみません、消費税が 8%になりましたもので」 なんて、澄ました顔で言い訳されたりするが、冷静に計算してみれば、「ふざけんなよ、ほぼ前の消費税分相当の 5%も便乗値上げしてるじゃねえか」 と言いたくもなろうというものである。これって、店側にはおいしすぎるよね。

世間では 「アベノミクス効果」 なんてことが言われているが、私の実感としては、今のところはまだ、円安でモノの値段が上がり、消費税アップで支払い総額が上がり、便乗値上げで実質値上げがまかり通っただけである。そしてアベノミクス効果が本当に浸透すると期待される頃には、今度は消費税が 10%になる。こりゃ、逃げ水みたいなもんだね。

まあ、贅沢しなきゃいいだけの話だから、別にいいんだけど。

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