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2004/08/01

アメリカの 「国語教育?」

一昨日は文化庁の 「国語世論調査」 にツッコミを入れ、その3日前には 「和」「邦」「日」「国」 の使い分けについて書いたので、この二つのテーマが、頭の中でリンクしてしまった。

どうして、「日本語世論調査」 でなく、「国語世論調査」なのかということである。

日本の 「国語」 は、いうまでもなく 「日本語」 である。あまりにも当然のことなので、教育の場では 「国語」 と言い、「日本語」 とはあまり言わない。「日本語」 という授業もあるが、それは多くの場合、日本人向けではなく、外国人向けのようだ。

つまり、「日本語」 というと、外からの視点によるものであり、内側の視点では 「国語」 というもののようだ。言い方を変えると、「国語」 は相対化されていない。時間軸はあるが、空間軸は欠如とまでは言わないが、希薄である。

さっき、インターネットで検索して驚いた。「アメリカの国語教育」というキーワードで、84件も引っかかったのだ。これでいろいろなことが頭に去来した。

まず第一に、これは 「アメリカの英語教育」 というべきではなかろうかと思ったのである。米国の 「国語」 の教科書の表紙には、"National Language" や "State Language" ではなく、"English" と書いてあるのだから。

日本では、誰もそう決めなくても 「国語=日本語」 だから、何の問題もないのだが、米国は移民の国だから、まさに 「英語教育」 というべき側面が強いのである。今でも、米国人の 30%は英語を話せないという説があるほどだ。

フィリピンでは日常ではタガログ語などを話しながら、英語も 「公用語 (official language)」 に認定して教育に力を入れている。そして実は、英語の国と思われているアメリカだって、それと五十歩百歩なのである。

だから、「アメリカの英語教育」 を日本語で紹介するときに、「アメリカの国語教育」 と 「翻訳」 するのは、半分自然で、半分不自然だ。

「国語」 という 「途方もない言葉」 をほとんどストレスなく使えるのは、日本の大きなアドバンテージなのだが、同時に、自己の言語と文化を国際的な視点から相対化するのが難しいという点で、大きな問題でもある。

若い世代に限らず、言葉の誤用がこれほどまでに広まってしまった現状では、「国語の乱れ」 を嘆くよりは、今こそ 「日本語教育」 をすべきなのではなかろうか。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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