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2004年10月に作成された投稿

2004/10/31

「弱音」 を吐かない人たちが・・・

新潟県の北隣、山形県庄内の生まれだからわかるのだが、あの辺の人たちには 「弱音を吐く」 という文化がない。

とにかく我慢強いのである。「そこまで我慢しなくても」 というところまで、平気で我慢する。そして、限界を超えたところで、突然 「泣き」 が入ってしまうのである。

被災地で避難生活をしている人たちが、沈痛な面持ちを超え、「泣き」 が入り始めた。これは相当なことである。よほどの辛さなのである。

あのあたりの人たちは、「弱音の吐き方」 を知らない。我慢することしか知らない。どんなに雪が降って道が閉ざされても、端から徐々にかいて行けば、いつかは道ができると信じている人たちである。だから、滅多なことでは匙を投げない。黙々と体を動かす。

「弱音」 の吐き方を知らないので、なかなか追いつめられた状態をアピールできない。とても気丈に見える。しかし、そこまで張りつめていた気丈さの限界を超えると、「泣く」 しかないのである。口八丁手八丁で、文句たらたら言いながら救いを待つ方が、あるいは気が晴れるかもしれない。

彼らはそうしたやり方を知らないだけに、メンタルな部分の負担が心配である。日本中が応援していると、祈っていると、彼らに伝えるしかない。大きな力が必要である。

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2004/10/30

リンクと引用のしかた

今日はリンクと引用のしかたについて書かせて頂きたい。

私の 「知のヴァーリトゥード」 本宅には、他のサイトからリンクや引用をよくされているページが結構あり、中でも "「なおざり」 と 「おざなり」"、" 成功体験を重視する 「グッピー理論」" はその代表である。

この 2つのページは、「ウンチク系」 ということでは共通しているが、内容には次のように、やや違いがある。

"「なおざり」 と 「おざなり」": 言葉の意味のわずかだが重要な違いに関する 「雑学系」
" 成功体験を重視する 「グッピー理論」" : 人事、経営面に言及した 「実業系」

そして、引用、リンクのされ方を見ると、「雑学系」 の方が断然お行儀がいいのである。大抵は、当サイトの該当ページにリンクをはることで、出典を明らかにして紹介してくれている。

一方、「グッピー理論」 に関しては、引用はされているが、当サイトの該当ページにリンクしてくれているところは、1件も発見されていない。

元龍拡散会長、故・藤井康男氏の講演のもちネタであった 「グッピー理論」 をインターネット上で紹介したのは、実は私が最初ではない。しかし、2番目であったろうという自信はある。このページをインターネット上にアップロードした時に、Google で確認しているからだ。

そして、私の該当ページの 「追記」 でも触れているが、最初に紹介していたふくやま城次さんという方は、その後、サイトを閉じて、別の形で再開されてはいるが、「グッピー理論」 に関するページは消したままにされている。だから、しばらくの間、インターネット上で 「グッピー理論」 について言及したページは、当サイトだけであったはずだ。

そして、平成15年4月17日付の毎日新聞 「発信箱」 で、「グッピー理論」 について触れたコラムが掲載された。そのコラムには、"「知のヴァーリトゥード」 というホームページで紹介している" との記述があり、そのせいで、当日、私のサイトは突然のアクセス急増に、何事かとビックリこいたのである (参照)。

その後、インターネット上に 「グッピー理論」 の紹介がポツポツ増えて、本日現在、Google で検索すると、私のサイトを除いて、11件ヒットする (重複を除く)。

そのうち、2件はデッドリンクと BBS (該当ログ見当たらず) なので、残り 9件を覗いてみた。

2件は、毎日新聞のコラムで知ったと明記してある。しかし、それはいわば 「孫引き」 である。一度ぐらい当サイトにアクセスして確認してくれてもいいようなものだとは、思ってしまうのである。

さて、残りは 7件。うち 3件は情報元に一切触れていない。これは如何なものかと思う。

「グッピー理論」 は、世の中に広く知れ渡った有名なセオリーとか、誰が見ても同じ結論を導き出せる自然科学的学説というわけではない。「ぶっちゃけた話」 でいえば、元龍角散会長である故・藤井康男氏の 「創作」 と言ってもいいぐらいのものである。

よく考えれば、案外 「話半分」 みたいなお話だとわかる。あんなどれを見ても同じような魚の 「いつも餌にありつく勝ち組」 と 「ありつけない負け組」 を、どうやって区別しろというのだ。

だからといって、まんざら 「でたらめ」 というわけではない。藤井氏の手にかかると、「話半分」 のお話が、世の中の真理を穿つ 「よくできた話」 に変貌するのである。それだけに、私はこの話を紹介するときには、「藤井氏の説」 ときちんと断ることが故人への礼儀であると信じている。

残りは 4件。そのうち 3件は、「故・藤井康男氏のもちネタ」 であると紹介している。しかし、ご当人から直接聞いたのかどうかは、極めて怪しい。多分そうではないと思う。藤井氏が他界されてしばらくは、ネットの世界で 「グッピー理論」 を紹介していたのは私のサイトだけだったのに、毎日新聞で紹介されて以後、ぞろぞろ出てきたのだから。

ならば、毎日新聞のコラムで知ったとか、あるいは当の毎日新聞がそうしたように、"「知のヴァーリトゥード」 で紹介されている" と、テキストとしてのソースを明記するのが筋というものだろう。私ならそうする。

残り 1件。これは 「知のヴァーリトゥード」 で知ったと、きちんと書いてある。しかし、該当ページへのリンクははられていない。私なら、迷うことなくリンクをはり、引用元を具体的に明らかにするだろう。それでなくとも、私のサイトは 「リンクは自由」 を明確に謳っているのだから。

というわけで、人事とか経営関係の仕事をしているような人は、どうもインターネットにおける情報元をリスペクトするという感覚が、希薄なように思われてしまうのだが、どうだろう。

別の言い方をすると、"「なおざり」 と 「おざなり」" を紹介してくれる人は、「知らなかった、こういうことだったのね」 という感じで、とても率直だが、「グッピー理論」 の方は、元々知っていたかのような書き方が 3分の 1、孫引きと伝聞が残りのほとんどなのだ。

もし 「グッピー理論」 が私のオリジナルであるならば、少なくとも情報元を明らかにしていないサイトには、堂々とクレームをつけるところだが、この件に関しては、私自身が 「他人のふんどし」 で相撲を取ったようなものだから、我慢している。

なお、私が自分のサイトで紹介したのは、藤井康男氏が逝去されてからであり、故人が講演の度に紹介されていたユニークな説を、もっと世の中で知ってもらいたいという願いからである。そのことについては、ページの中でしっかりと触れている。


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2004/10/29

イラク人質事件

イラクで人質になってしまった香田証生さんだが、あちこちのブログを眺めると、なんだか総スカンだ。「バカが」 とか 「勝手に死ね」 とか、さんざんな言われようである。

私も当初は 「国内が地震で大変な時に、なんちゅう余計なことを!」 と舌打ちしたが、だんだん気の毒になってきた。

私はややへそ曲がりなところがあるので、周り中が口を極めて罵っている人を見ると、つい条件反射的にかばい立てしたくなるところがある。それで、ちょっとニュースをほじくってみたのだが、残念ながらかばえるような材料があまり見当たらない。

要するに、用もないのに、ボランティアで現地の人の役に立とうというわけでもなく、周り中が止めるのも聞かずに、単に 「自分探し」 とやらのために、大した準備もなくイラク入りしてしまったようなのである。これでは、なかなかかばいようがない。

かばいようがないが、香田さんには当のゲリラたちと、しっかりコミュニケーションをとってもらいたい。それほどまでに怖い物知らずで、単純で、ロマンチックなキャラクターだったら、その純粋で無垢な主張を、ゲリラたちに死ぬ気でぶつけてもらいたいものである。

そうでもしなかったら、イラク入りした意味が何もなくなってしまうではないか。幸い、彼は英語ができるようである。その持ち前の情熱で、ゲリラに "Peace and Love" を説いてもらいたい。通じなくてもいい。何らかの情熱の痕跡を残して、そして、願わくは生きて帰ってきてもらいたい。

それから、蛇足だが、彼の父親がテレビカメラを前に読み上げた 「声明」 は、ちょっとおかしかった。開口一番、「皆様方には大変ご迷惑をいただき誠にありがとうございます」 では、いくら気が動転していたとしても、ちょっと奇天烈すぎるだろう。

こう言っては何だが、あれで、世の中の反感がちょっとだけ増幅されたんじゃないかと思う。あれから嫌がらせ電話が殺到したらしい。

しかし、あれは多分 「大変ご心配をいただき・・・」 の読み違いだったろうと、傍からフォローさせて頂く。嫌がらせ電話なんかするもんじゃない。

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2004/10/28

昼メロの 「メロ」 って?

昼メロが人気らしい。東海テレビ製作でフジテレビ系で流れている 「愛のソレア」 ってやつがブレイクしているらしいのだ。

「愛のソレア」 というタイトルは 「冬ソナ」 の二番煎じっぽいが、中身は情念渦巻く濃い世界らしい。だが、それにしても、昼メロの 「メロ」 って、何なのだ?

一説によると 「メロメロになる」 の 「メロ」 ではないかというのだが、それはいくらなんでもあんまりだ。まともに考えれば、「お昼のメロドラマ」 を短く言ったものだろうというのは、容易に想像がつく。

それでは、「メロドラマ」 って一体なんなのだ。「メロウ (Mellow)」 なドラマではないかという説もあるが、違う。"mellow" の意味は 「芳醇な」 とか 「円熟した」 とか 「上機嫌な」 とか、割と 「上手に歳を取っていい感じになった」 というニュアンスである。意味合いが全然違う。

試しに英和辞書で調べてみると、"melodrama" というのはれっきとした英語で、「感傷的な通俗劇」 という意味である。語源はフランス語で、「音楽劇」 という意味だそうだ。「へぇ」 である。

「昼メロ」 は "soap opera" という場合もある。「石けんオペラ」 である。1920年代の米国のラジオの昼メロで、せっけん会社がスポンサーになるケースが多かったので、こう呼ばれるようになったというのは、有名なお話だ。

ちなみに、昼メロを成立させる要素は、大雑把に言って 5つある。それは

1. ヒロインは、多くは二流の女優、良くても一流半。
2. 敵役はあくどいまでの演技で、ひたすら意地悪を強調。
3. ヒロインは主張下手で、ただひたすら、おろおろするばかり。
4. ヒロインの数少ない味方も、影で同情するだけの役立たず。
5. 制作コスト節約のため、画像の質はかなり落としてある。

ということになる。

画像の質に関しては、ハイビジョン時代になったらどうなるのだろう。

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2004/10/27

市町村合併

20年前に茨城県に引っ越してきて驚いたのは、狭い市町村がうじゃうじゃあることだ。この県は 「お山の大将」 的感覚が強いのかもしれないと感じていた。

しかし、ようやく合併が進みつつあるようで、私の住む町もそのうち 3市町村の合併で 「常総市」 になるらしい。

最近、地図情報サイトの Mapion で茨城県の住所を調べていて驚いたのだが、いつの間にか 「常陸大宮市」 というのができていた。調べてみると、10月 16日に大宮町・山方町・美和村・緒川村・御前山村 の 5町村が合併してできたらしい。

ところが、茨城県庁の運営する 「いばらきの市町村合併」 というサイトの 「県内の動き」 というページでは、まだ合併したという事実がアナウンスされていない (10月 27日 08:30AM現在)。10日以上もほったらかしだ。

さらに、当事者中の当事者である 「大宮町・山方町・美和村・緒川村・御前山村合併協議会」 のサイトのトップページでも、

・・・合併協議会が、5町村の議会の議決を経て、平成 15年 4月 1日付けで発足しました。今後、この協議会において合併に関するすべての事項を協議していくこととなります。

などと、この期に及んでまだ寝ぼけたことを言っていて、そのくせ、旧 2町 3村の名称から、新たに発足した常陸大宮市のホームページへのリンクがはられている (10月 27日 08:30AM現在)。このリンクをはった時に、「平成16年10月16日、常陸大宮市が発足しました」 などのの表記に修正すればよかったのに、 ちょっと気が知れない。

いずれにしても、旧御前山村などというのは人口が 4千数百人ぐらいしかいなかったはずなので、村民税なんて、村長、村会議員、村役場職員の給料にもならないんじゃないかと心配していたのである。これでなんとかなったかもしれない。

一方、茨城県には東海村というところもあって、人口が 35,000人以上で、村のくせにそのへんのさびれた市よりも多いぐらいである。

この村はどことも合併交渉なんかしていない。そりゃあそうだ。原子力発電関連の施設がいっぱいあって、財政的にはかなり裕福なのである。他の貧乏な自治体と合併なんかしたら、その分、恵んでやらなければならない。自分のとこだけでやっていく方がずっといいのだろう。

私の地元の 「常総市」 のお話だが、水海道市・伊奈町・谷和原村 合併協議会のサイトの情報によると、「平成 17年 3月 31日までに合併の申請を行う。合併の時期は,平成 18年 3月 31日までを目標とし,合併の期日については,改めて協議する。(継続協議)」 ということになっている。歯切れが悪くて、わかったようでよくわからない。

「合併特例法」 という法律で、平成 17年 3月 31日までに合併の申請を行うと、財政支援措置の対象となるらしい。そんなわけで、形だけでも期限ギリギリの線を狙っているもののようだ。

新しい市名だが、常陸の国と下総の国の境目あたりに位置するのでこういうことに決まったらしい。面白くも何ともないが、まあ、協議会の委員のオジサンたちとしては、妥当に思われたのだろうな。


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2004/10/26

香港のディズニーランド

TDL (東京ディズニーランド) に行ったことがない。オジサンとしては珍しいことではないと思っていたが、実際は多くが子どもの付き添いで、行ったことがあるらしい。

TDL が大好きで、何度行ったかわからないという若い女性からは 「ウッソー!、それでも人間ですか?」 と言われた。

我が家の娘たちも TDL 大好きで、1年に 1度や 2度ではなく行っているようだ。「お父さん、あそこは 『夢の国』 なんだよ。『夢』 に浸れるのよ、『夢』 に!」 という。「ふ~む、そんなもんかね」 覚めない夢なら行ってみようかとも思うが。

ディズニーランドは米国以外では東京とパリにあるが、東京は大繁盛でもパリは苦戦しているらしい。パリっ子はアメリカじみたものにはまず反感を示すようだ。さらに、来年か再来年には香港でも開業するらしい。

何度目かに香港に行ったとき、現地で広東語の通訳をしてくれた若い女性に 「×△■○* に行ったことがあるか?」 と聞かれた。「×△■○*」 は、聞いてもチンプンカンプンだったところである。

「そんなところ知らない、聞いたこともない」 と答えると、「あんなに有名なテーマパークを知らないのか」 と驚かれた。とにかく、聞き取り自体が困難なので、文字にしてくれというと、「迪士尼楽園」 と書く。

何となく 「ははーん」 と来て、英語で "You mean the Disneyland?" と聞くと、多分そうだという。「ミッキーマウスやドナルドダックか?」 と言うと、その通りだというので、ようやくちゃんとわかった。

彼女は、日本語の会話の中で、 「ディズニーランド」 というべき単語を 「迪士尼楽園」 と言っていたのである。それも、もろ広東語読みで。広東語読みは、どうひいき目に聞いても  「ディズニーランド」 とは素直には聞こえない。道理でわからないわけだ。

彼女が英語で会話したとしても、ちゃんと "Disneyland" と言えたかどうかは、ちょっと疑問である。英語をいっぱししゃべれる日本人でも、ハンバーガーの "McDonald's" の本当の発音を知らない場合が多いようなものだ。

米国人が日本人に 「マクドナルド」 と言われても あの "McDonald's" (本当の発音は 「マクドナルド」 とはかけ離れている) のことと理解できないのは当たり前だ。「×△■○*」 が 「ディズニーランド」 に聞こえないのと同じである。

要するにディズニーランドは、香港では "Disneyland" としてではなく、「迪士尼楽園」 (×△■○*) として、既に日常の文化の中に入り込んでいるようである。多分、パリのようなことにはならないだろうと想像される。

 

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2004/10/25

「地震」 「英会話」 「プラモデル」 の三題噺

24日は所要で、朝から一日外出していたので、あまりテレビを見る暇もなかったが、帰宅してニュースをみると、地震の翌日の中越地方は目を覆うような惨状だ。

それどころか、台風 24号までがどう気が変わったのか、妙な急カーブを切って、日本列島の方に向かっている。

私は小学校 6年の時に新潟地震に遭っているので、それだけに、今回の中越地震に被災された方々には、本当に気の毒な思いがする。台風はどこに向かってもいいから、新潟にだけは影響を与えないようなコースを辿ってもらいたいものだ。

ニュースを聞くと、新潟地震からは 40年も経ってしまったのだという。そういえば、あの年もオリンピックがあったのだ。それも、東京オリンピックである。

今でも思い出すのは、新潟地震の恐ろしさもようやく忘れかかった夏休み明け、小学校に地震の 「救援物資」 が届いたのだった。間延びしたお話である。2か月も経ってから 「救援物資」 なんて言われても、きょとんとしてしまう。

それに、その 「救援物資」 の中身が冗談にもならないものだった。クラス別に分けられた大きな段ボール箱を開けると、中から現れたのは、薄汚い毛布、使い古したトランプ、得体の知れない古本、安っぽい湯飲みのセット、観光地のペナント、どこだかの方言の書かれた手拭い、武者小路実篤のナスビの色紙などなど、要りもしないガラクタばかりである。

いくら小学生でも、そんなガラクタをもらったところで、嬉しいはずもない。それでも、地震被害の慰問品だから、ありがたくもらえという。要するに、救援物資に名を借りた不要品処分である。

その時、私に押しつけられたのは、訳のわからないソノシートだった。ソノシートというのは、ペラペラの紙のようなプラスチックでできたレコード盤のようなものである。

家に帰って再生してみると、その年の秋に開催される東京オリンピックで高まっていた国際化熱に便乗した、英会話練習用教材だった。多分、誰かが買ってみたものの、すぐに諦めて放り出したのだろう。

それにしても、なんでそんなものを 「地震災害の救援物資」 として寄付しなければならないのだ。一体どんなセンスをしているのだ? それでもまぁ、ナスビの色紙なんてのよりはうれしかったが。

私はその教材の最初の 3フレーズを今でも覚えている。若い日本人の青年が街であった外国人女性に、英会話の練習のために話しかけるという想定で、こんなようなものだった。

"May I speak with you a little?" (少しあなたとお話ししてもいいですか?)
"Sure." (もちろんいいですよ)
"I'd like to practice English conversation." (私は英会話の練習をしたいのです)

とても洗練された発音で、スピードも無茶苦茶速く感じるナチュラル・スピード。今から思えば、その辺のレベルの低い教材とはわけが違っていた。実は掘り出し物だったのだ。

私が初めて外国人と英語で話したのは、中学校 3年の時、修学旅行で東京タワーに昇った時のことで、その時、アメリカ人のオバサンとの会話の最初の 3フレーズは、奇しくもこの通りに展開したのであった。それから妙に会話は弾み、そのオバサンは私のことを気に入ってしまったようで、後日、米国からプラモデルを送ってくれたのである。

世の中、何がどう幸いするかわかったものではない。


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2004/10/24

月の引力と地震

昨日、月の引力は潮の干満だけでなく、地震を引き起こす 「最後のひと押し」 になっている可能性もあると紹介した (参照) が、その日のうちに、新潟中越地方で大地震が起きてしまった。

月の引力の 「最後のひと押し」 説が気になって、当日の新潟地方の干潮満潮時刻を調べてみたら、2度目の干潮時刻が 17:56で、最初の震度 6強の地震が起きた時刻とぴったり重なった。なるほど、月の引力が今回の地震の最後の 「ひと押し」 をしたもののように見える。

気持ちが悪いのは、私がこのコラムを書いた当日に、ドンピシャリの災害が実際に起きてしまったことである。これでは、迂闊にものも書けないような気がしてしまう。

そう言えば、私は今年 6月10日の当コラムで、こんなことを書いている。

今年 2月 29日の 「一撃」 で 「自動ドアが嫌い」 と書き、3月 2日に 「回転ドアってイケてるじゃないか」 と書いたら、3月 26日に六本木ヒルズの事故があった。

昨日、エスカレーターについて書いたら、その日のうちに、掛川のホテルでエスカレーター事故があった。何だか気持ち悪い。

このときの記憶がよみがえってしまった。

私は決してこのコラムで 「予言」 をしているなどと言っているわけではない。私はそれほどのオカルト主義者ではない。毎日世界中で起きている幾千万の事件のうち、ほんのいくつかが偶然の一致を示しているだけだ。

しかし、それでもこんな事件や災害が起きてしまうと、嫌な気分になるというのは、私が人情というものを少しでも持ち合わせているという証拠かもしれない。

新潟の地震災害地域の方々の生活が一日も早く復旧することを祈る。

 

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2004/10/23

無視できない数字

科学に疎い私が、また微妙なチョンボをしてしまったようである。

今月 17日の 「一撃」 で、地球の円周に 1m だけ足したロープを赤道上に巡らせた時の地表との隙間が、約 16cm という 「無視できる」 ものと書いたのだが、実は 「無視できない」 レベルかも知れないのだ。

このほど、月の引力が地球上での地震発生の引き金になっている可能性が高いということが、米カリフォルニア大と防災科学技術研究所 (茨城県つくば市) の研究で明らかにされた。

月の引力は潮の干満を引き起こすだけでなく、実は地球そのものも微妙に変形させている。 1日 2回、地表面が約  20cm 上下する程度なのだが、これが地震を起こす地殻のひずみに影響し、「地震発生の最後のひと押し」 になるらしいということがわかったというのである。(参照

地表が約 20cm 上下する動きが地震発生の 「最後のひと押し」 になるというのでは、あだやおろそかにはできない。そして 20cm なら 「最後の一押し」 になるが、4cm 小さければ大丈夫ということでもないだろうから、16cm という数字だって、それほど馬鹿にしたものではない。

地球というのは、ただただうすらデカイものだと思っていたが、内部構造はかくもデリケートなもののようなのだ。こんなことなら、日本人全員が、タイミングを合わせて一斉にジャンプしてみたら、震度 1ぐらいの地震なら引き起こされるかもしれない。(無理か)

しかし、「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる」 というバタフライ効果があるぐらいだから、もしかしたら、海の向こうのカリフォルニアあたりで大地震を引き起こすことになるという可能性だって、ゼロではない。人口の多い国は、莫大な金をかけて核兵器なんか開発するよりも、「せーのでジャンプしちゃうぞ」 という方がずっと空恐ろしい脅威になったりして。

ところで、最近の風潮では 「地震予知は不可能」 ということに傾きかけていたようだが、先頃、NASA と、カリフォルニア大デービス校のジョン・ランドル教授らが、かなり精度の高い地震予測システムを開発したとのニュースがあった。(参照

まだまだ課題は大きいようだが、一時は 「科学的常識」 になりかかった 「地震予知は不可能」 ということも、時代が少し進めばあっさりと覆されそうなのである。

 

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2004/10/22

台風の海で作業をしたのは

台風 23号関連で、とても気になるニュースがあった。千葉県九十九里の片貝漁港で、20日午前、防波堤延伸工事の機材などをロープで固定していた 2人が、高波にさらわれ、行方不明になった。

2人は市原市内の建設会社の社員だった。(参照

この事故はいろいろなことを想起させる。

まず、今回の台風の規模が並はずれて大きかったということだ。台風が四国の土佐清水付近に上陸したのは、午後 1時頃であり、事故の起きた午前 8時頃は、まだ九州の南側をかすめたばかりだった。片貝漁港の防波堤工事現場では、資材が流されないように 「今のうちに」 固定しておこうと考えたのだろう。

しかし、この 「今のうちに」 という判断には、重大な誤りがあった。実際には 「今のうちに」 どころではなく、「もう遅い」 だったわけだ。この判断を誰がしたのかというのが、とても気にかかる。

上部の判断による業務指令で、2人が仕方なく防波堤での作業にかり出されたとしたら、これは会社の責任問題となる。危険な現場で社員に作業をさせた責任は重い。

しかし、2人が自主的な判断で、「今のうちに」 と防波堤での作業を始めたのだとしたら、補償問題はどうなるのだろう。命じてもいないことで勝手に命を落としたのだと言われたら、一体どうすればいいのだ。

結果論になってしまうが、誰の判断であろうと、台風の近づく海岸で危険な作業などするべきではなかった。作業資材が多少波にさらわれたところで、命を失うよりましではないか。

こうした当然の判断ができないほど、現場はシビアだったのだろうか。それとも、危険を甘くみていたのだろうか。

海岸の街で生まれ育った私は、高校生の頃は、波の荒れ狂う冬の日本海の防波堤で、けっこう危ない度胸試しのような遊びをした。だから、波の怖さはよく知っている。

海というのは、1時間か 2時間に 1度ぐらい、それまでとは似ても似つかぬほどの高い波が来る。それは必ずと言っていいほど来る。だから、1時間のうち 59分間は安心でも、残りの 1分で命を落とすこともある。

ましてや、台風の近づく海だったのである。それを考えると、今回の事故は悔やまれるところである。


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2004/10/21

ソーセージを直接食ってしまうという発想

最近、このサイトを 「知のヴァーリトゥード」 と改称するにあたり、従来の 「知のヴァーリトゥード」 と言っていたものを 「知のヴァーリトゥード 本場所」 ということにした。(附記: その後、さらに 「知の関節技」 に改称)

その 「本場所」 の最初に書いたのが、「三つの願いと発想の転換」 という、私にとっては記念碑的コラムである。

この 「今日の一撃 (Today’s Crack)」 というコラムで書いたことを、もう少し肉付けして 「知のヴァーリトゥード 本場所」 の中に収めるということは、何度かしているのだが、最初から 「本場所」 に書いたものを、「一撃」 で改めて触れるというのは、今回が初めてである。

そもそも、このサイトを始めたのは、この 「三つの願い」 というお話について、子どもの頃から感じていたことをどうしても書いておきたかったからというのが、直接的な動機なのである。

「三つの願い」 という有名な童話の中では、ばあさんの鼻にくっついてしまったソーセージを取るために、大切な三つ目の願いを使ってしまった。しかし、そんなことをする必要はまったくなかったのである。

この話を初めて聞いた幼い私は、「自分なら、ばあさんの鼻にくっついたソーセージを直接食ってしまったのに。こびり付いた部分も、前歯でこそげ取ってしまったのに。そうすれば、最後に残った三つ目の願いを、本当に有意義に使えたのに」 と、大層悔しいような思いをしたのである。こんな当たり前のことに、どうして今まで誰も気付かなかったのだろうか!

しかし、この 「天啓のような」 提案は、幼稚園の先生からは鼻であしらわれ、クラスでもあまり共感を呼ばなかったのである。私は幼心に、浮き世においてはあまり画期的なアイデアというのは受け入れられないのだと学んだのであった。

発想の転換は大切だが、転換しすぎると、なかなか相手にしてもらえないのである。世の中というのは、「ほどほど」 が肝心なのである。

しかし、「ほどほど」 で満足するほどつまらないこともない。それで、こんなコラムを毎日書き連ねる自分がいるのである。

 

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2004/10/20

鉄道唱歌を極める

私は落語に出てくる長い名前、「寿限無」 を最後まで言えるが、そんなのは序の口で、世の中には円周率を 1万桁まで言えるなんて人もいる。

そんな 「役立たず芸」 の定番の一つが 『鉄道唱歌』 を最後まで歌えるというもの。ちょっと時間のかかるのが難点だが。

tetsudoshoka.jpgJR 新橋駅の 「ゆりかもめ」 側の出口のあたりに、鉄道唱歌の碑が建っている。一番の歌詞だけ達筆の変体仮名で書かれているが、今時の人でも歌詞を知ってさえいれば想像力を駆使して読める。

それでは、「鉄道唱歌」 は、どんなに長いのかというと、なんと、66番まである (参照)。最初は新橋~横浜間から出発し、東海道線の延びるに従って、どんどん長くなったらしく、ついに神戸に着いて、次は山陽道を目指そうかというところで終わっている。

てことは、そう、ご想像の通り。山陽本線の歌もちゃんとある。それどころか、全国の主要線の歌が存在する!

元祖 「鉄道唱歌」 の作詞者は大和田建樹 (おおわだたけき) という国文学者で、この人は、全国の鉄道唱歌のうち、元祖 「鉄道唱歌」 の他にも 「北海道唱歌」 「奥州・盤城線唱歌」 「北陸道唱歌」 「新東海道唱歌」 「関西・参宮・南海唱歌」 「大阪市街電車唱歌」 「山陽道唱歌」 「新山陽道唱歌」  「九州唱歌」 「伊予鉄道唱歌」 「福塩線唱歌」 を手がけ、さらに 「満韓鉄道唱歌」 なんていうのまである。スゴイ執念だ。 (歌詞はこちら

アメリカの日系老人ホームを訪ねたら、普段の会話は英語なのに、「鉄道唱歌」 だけは最後まで歌えるという老人がいたという話があり (参照)、ちょっとホロリとさせられる。

鉄道唱歌には数えきれないほどの替え歌があり、中でもちょっとスゴイのが、「せいしょめいもくづくし」。聖書の名称を、「創世記」 から 「ヨハネの黙示録」 まで、短縮した名前で、ずらずらと並べてある。こんな感じ。

そう、しゅつ、レビ、みん、しんめいき、
ヨーシュア、しし、ルツ、サム、れつおう、
れきだい、エズ、ネヘ、エステルしょ、
ヨブ、しー、しんげん、でんどう、がか

 
(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、
 ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記上・下、列王紀上・下、
 歴代志上・下、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、
 ヨブ記、詩篇、箴言、伝道の書、雅歌)

4番まであって、「旧新両約 合わせれば、せいしょのかーずは ろくじゅうろく」 で終わる(最後まで知りたい方は、こちらを参照)。元祖鉄道唱歌も 66番まであることを思うと、不思議な巡り合わせではある。

鉄道唱歌に神の祝福あれ!

(この記事は、私が以前某業界団体のサイトに寄せた内容をもとにしている。そのサイトは閉鎖して久しいので、改めてこちらに載せた次第)

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2004/10/19

米国での単位感覚

米国に旅行して戸惑うのが、単位の違い。長さの 1フィート (正確には単数の場合はフットだが) は大体 1尺と思えばいいので、まだ感覚的に馴染みやすい。

ところが、重さのポンド (発音は 「パウンド」 に近いが) はちょっとわかりづらいし、温度の華氏に至ってはお手上げだ。

フィートがわかりやすいのは、尺貫法に近いこともあるが、やはり直接目に見えるからだろう。同じ長さでも、マイルは約 1.6km もあるので感覚的にわかりにくい。ただ、車のスピードなどで使われる場合が多いので、時速 60マイルが約 96km (100Km弱) と覚えておけば、大体の比較ができる。

ポンドは目に見えないのでわかりにくいが、日本で売られるバターがほとんど半ポンド (225g)  単位と思えば、あれが 2つで 1ポンドと理解しておけばいい。あとは、体重 50kg が約 110ポンド、100kg 約 220ポンドという感覚をもてば何とかなる。

大切なのは、いちいちメートル法に換算しないで、フィート・ポンドで感覚的に理解することだ。いちいち換算してもしょうがない。身長が 6フィート以上なら長身、時速 80マイルを超えたらかなりの猛スピード、体重 200ポンドは、よほど鍛えた筋肉質でない限りデブというふうに、アバウトに捉える方が手っ取り早いし、現地感覚でいける。

温度の場合もそうである。華氏をいちいち摂氏に換算しても面倒なだけだ。要するに、暑いか寒いか、涼しいかがわかればいいのだから。

人間の体温は華氏では 96度とされているので、それを目安にすればいい。華氏で歓迎すべきなのは、60度から 70度台前半だ。摂氏でいえば 15度から 24度くらいだから、しのぎやすい。あとは、湿度にもよるが、70度台後半はちょっと暑い、80度はかなり暑い、90度を越したらムチャクチャ暑い、100度を越したら死ぬほど暑い。

反対に寒さの目安。華氏で50度以下になると、東京の冬の日中の気温ぐらい。40度より下がると、かなり寒く、30度以下は氷点下。華氏の0度といったら、摂氏-17.8度なので、吐く息も凍りそうな厳寒だ。

ちなみに、摂氏はスウェーデン人のセルシウス氏が定め、華氏はドイツ人のファーレンハイト氏が定めた。何ゆえファーレンハイトなのに華氏なのかというと、中国語で華の読みが「ファ」 なので、こうなったらしい。

 

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2004/10/18

派手な名前と地味なイメージ

唐突で恐縮だが、私は辰年の獅子座生まれである。龍のライオンである。

ここまで言えば、既にニヤリとされた方も多いだろうが、まだおわかりいただけない人のために、ダメ押しをさせていただく。

要するに、ドラゴンのライオンである。

もうおわかりいただけたと思う。そう、今年のプロ野球の日本シリーズである。セリーグ優勝は中日ドラゴンズ、パリーグ優勝は西武ライオンズ。龍と獅子の争いである。

私はとりたてて野球ファンというわけではないのだが、日本シリーズを争う 2チームが自分の生まれにちなんでいるというだけで、多少気分がいい。単純なものである。どっちが勝ってもハッピーでいられると思う。単純な上に、気楽極まりない。

私個人としては何となくハッピーな気分なのだが、だからといって球場に行ったり、テレビを見たりして試合を楽しもうという気分でもない。世の中の関心も、それほど盛り上がっていないようなのである。テレビ視聴率もそれほど稼げていないだろう。

チームの名前はドラゴンとライオンという、とても派手やかなものなのに、全国規模での人気は、両チームともそれほどでもないらしい。地味同士の対決ということになっているようだ。

なるほど、プロ野球というのはエンタテインメントであるだけに、少しは派手な話題を提供できるようなチーム作りをしなければならないもののようである。あまりに実質本意でもいけない。

あの巨人の清原をみても、高い給料をもらいながら休んでばかりなのに、たまに打席に立てば大声援を送られている。「勝ちさえすればいい」 というものでなく、いかにファンの心の琴線に触れるかが大切なもののようだ。

このあたりは、研究してみるとマーケティング面での役に立つかもしれない。


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2004/10/17

スケールの違い

地球の周囲の長さは、赤道に沿った場合、約 4万km と言われている。仮に、地球を円周 4万km の球とする。

4万km は メートルに直すと、4千万m である。つまり、地球を、赤道の円周が、ちょうどきっちりと 4千万m の球と仮定する。さて、ここからが問題である。

その円周がちょうど 4千万m の赤道上に、長さ 4千万m のロープをぴったりと這わせて行く。すると、地球を 1周したところで、ロープの両端はきっちりとつながる。地球とロープとの間にはまったく隙間ができない。

さて、こんどは、そのロープより 1m だけ長いロープを用意する。つまり、40,000,001m の長さのロープである。このロープを、さきほどのように赤道上に這わせていく。今度はロープがやや延びているので、1周したところで、地球とロープの間には、僅かながら隙間が生じる。その隙間が均一になるようにロープを浮かせるようにする。

さて、この場合、地球とロープの間には、どのくらいの隙間ができるでしょうというのが問題である。earth_rope.gif

計算は簡単だ。4千万m という円周をいちいち式に入れるのは面倒なので、a とし、隙間を x とする。すると、

a=2πr, a+1=2π(r+x) ということになる。

この方程式を解いていくと、

2πr+1=2π(r+x)
2πr+1=2πr+2πx
1=2πx
x=1/2π

πを 3.14 とすると、とどのつまりは、隙間を求めるには、 1m÷6.28 という式で済む。答えは約 0.1592m、センチに直すと約 16cm ということになる。

ここで気付かれたと思うが、どんな大きさの球の場合も、1m 足した長さのロープで覆うと、直径とは関係なく隙間は約 16cm になるのである。

円周が 1mm という芥子粒みたいな球でも、それに 1m 足したロープでぐるりとめぐらすと、隙間は約 16cm になる。直径にすれば 32cm 足らずだから、これはほとんど円周 1m の円の直径に近い。そして、円周が 1m の場合でも、100m でも、 1km でも、1m 足したロープにすると、約 16cm の隙間は生じるのである。

つまり、生じる隙間は、小さな球の場合は、相対的にとても大きなものとなり、大きな球の場合は相対的にとても小さなものとなる。

それでも、地球ぐらいに大きな球の場合でも約 16cm もの隙間が生じるとは、感覚的にはとても意外な気がする。しかし、何しろ相手は地球なのである。16cm などという隙間は、はっきり言ってないに等しい。

高層ビルの上から地面を見下ろして、16cm の隙間を想像してみるといい。それは文字通り 「ネグレジブル」 (無視できる) な数値だとわかるだろう。

日常感覚の数字と、地球規模、宇宙規模の数字の間には、それほどまでに感覚的な違いがある。それを思うと、ちいさなことでくよくよするのは、馬鹿らしくなるのである。


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2004/10/16

スポーツ紙の風俗情報なら許されるのか?

プロ野球新規参入審査で、ライブドアがアダルトサイト問題でミソを付け、楽天が俄然有利になったと報じられた。

傍から見ている限りでは、NPB (日本野球機構) のオジサンたちは、ライブドアが相当に嫌いらしい。何とか難癖を付けて、排除したがっているという印象だ。

日刊スポーツは、「ライブドアのアダルトサイトに質問集中」 と、次のように報じている。

楽天の三木谷社長がアダルト商品の取り扱いに関して 「成人確認を厳しくすることで青少年への影響は防げる」 と対策を説明したのに対し、堀江社長は 「道路や広場を提供しているようなもので、そこで人々が何をしているかまでは監視できない」 と強調した。豊蔵委員長は会見で 「両社に特徴や差はあった」 と振り返り、西武星野球団代表が 「片方は(規制が)できると言うし、片方はできないと言う」 と対応の違いを指摘するなど、印象の違いは否定できなかった。

要するに、楽天はアダルト商品関連を 「規制できる」 と答え、ライブドアは 「規制できない」 と答えたため、印象点に大きな差が付いたというわけである。その根拠は、野球協約の第 3条 (協約の目的) に 「野球が社会の文化的公共財となるよう努める」 と記され、今回の審査基準にも 「公共財としてふさわしい企業、球団か」 の項目があることだという。

しかし、「規制できる」 というのと 「できない」 というのでは、どちらが率直で正直な答えかは明白で、楽天はかなりいい子ぶっているなという感じである。本当は、規制なんてそんなに簡単にできるはずがないではないか。

しかし、本当に規制できるかどうかというのは、機構側にはあまり関係のない話のようで、要するにライブドアを排除する材料に使えればいいというもののようだ。

それに、インターネットのアダルトサイトにリンクしているのがいけないと言うが、それならば、報知新聞や中日スポーツの駅売り版のアダルトページはどうなるんだろう。

ヌード写真や風俗情報を、新聞紙上で掲載するのは 「社会の文化的公共財」 として問題ないが、インターネットでリンクするのはいけないというのは、ちょっと乱暴なような気がする。

もっと言えば、輸入牛肉を国産と偽ったり、BSE 対策費用を過大請求したりする企業や、株式保有で虚偽の申告を何十年も続けてきた企業や、銀行からの莫大な借金を踏み倒した上に、国民の税金で再生しようとしている企業が 「公共財としてふさわしい企業」 と言えるのかどうか。

鬼の首を取ったようにアダルトゲームのパッケージを振りかざしても、このあたりは、「目クソ鼻クソ」 レベルのお話になってしまう。

現状では楽天とライブドアの二者択一で、裏では楽天で決まりという路線のようだが、そのうち、ダイエーと西武が球団保有から手を引いたら、どうなるんだろう。こんなにもすげなくしたライブドアに、「やっぱりお願い」 なんて頭を下げるのだろうか?

最後にお断りしておくが、私は楽天はビジネスホテルの予約などでしょっちゅう利用するが、ライブドアとは何の関わりもない。ライブドアの企業体質が好きかと聞かれたら、「好きじゃない」 と答える。堀江さんも、一緒に酒を飲んで楽しそうな人には見えないし。


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2004/10/15

セレブ

流行りの言葉を軽い気持ちで使い捨てにする広告・ファッション業界だが、最近のキーワードは、どうも 「セレブ」 のようだ。

バブル勃興期には 「クラッシー」 というのが流行り、その頃創刊された女性ファッション誌もまだ残っているが、「セレブ」 はそれ以上の流行り方である。

そのファッション誌の 「クラッシー」 が創刊された時、死んだ景山民雄がエッセーの中で 「『階級的な』 などという名前の雑誌なんて」 と噛みついていたのを覚えているが、"classy" とは単に 「高級な」 とか 「上品な」 という意味合いで口語的に使われることが多いようだ。

"Classy" は、イメージとしては、最低でも田園調布とか芦屋に住んでいるような階級である。もっと言えば京都あたりの旧家とか、東京でいえば目白や麹町あたりにお屋敷を構えたりしているような、少なくとも三代続いたお金持ちといった感がある。

今回の 「セレブ」 は、"celebrity" の短縮形で、研究社新英和中辞典では 「名声, 高名.、 (マスコミなどをにぎわす)名士, 有名人.」 とされている。「儀式などを挙行する」 とか 「賞賛する」 とかいう意味の "celebrate" と関連した言葉である。

ただ、"celebrity" というと、上院議員やミリオネアの家族とかいったイメージだが、"celeb" と縮まると、一発当ててマスコミに頻繁に登場しさえすれば、それでもう立派に資格保有者という感じになる。

ちなみに、"celeb" の最も古典的な使われ方は、ゴシップ誌の終わりの方にある、各種のパーティに出席した有名人のスナップを紹介したりするページで、「今週のセレブ」 などと銘打たれたりしている。誰が誰と同伴で現れたとか、誰のファッションセンスが良かったとか悪かったとか、案外下世話なトピックだ。

ちょっと金のかかったファッションでいろいろなパーティに出席し、カメラマンにポーズするようになりさえすれば、 「セレブ」 なのである。日本では、こないだまでヤンキーしてたような娘でも、ちょっと当てればセレブである。仲間内でちやほやされるだけでも、「プチ・セレブ」 と呼ばれるに十分である。

「クラッシー」 の流行った後にはとんでもないバブルが来たが、「セレブ」 ぐらいなら、「プチ・バブル」 で済むという感じなのである。

 

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2004/10/14

わけのわからない符丁

学校を出て大人社会に出ると、何だかわけのわからない言葉が幅を利かせていたりして、戸惑うことがある。

しかも、ビジネス用語集にも載っていなかったりして始末に負えない。 「ゾッキ」 だの 「オツナカ」 だのいう単語は、よほど年配の業界人でないと知らなかったりする。

そう言えば、社会に出る前、中学校時代にも耳慣れない単語で目を白黒させたことがある。校内放送を行う放送クラブに所属していたころ、顧問の教師が 「ヒナガタをしっかり作らないと、間違いが起きるから、ヒナガタをちゃんとしなさい」 と、しきりに 「ヒナガタ、ヒナガタ」 とまくしたてた。

中学生に向かって 「ヒナガタ」 なんて言われても、皆、わけがわからず、ポカンとするばかり。私は 「多分 『雛形』 と書くのだろうなぁ。それで、『放送原稿』 のことを言ってるんだろうなぁ」 と思って聞いていた。

ちなみに、新明解国語辞典では、「実物にかたどって、小さく作ったもの。模型」 「書類などの、決まった書き方を示した見本」 とあった。うぅむ。これでは、よくわからんなぁ。 「放送原稿の形式」 と、具体的に言ってもらわなければ。

繊維業界でメシを食うようになってから、最初に目を白黒させたのは、「ゾッキ」 という言葉である。普通の国語辞書はおろか、業界用語集にだって、ほとんど載っていない。裏街道用語である。これは 「綿 100%」 とか 「ナイロン 100%」 とか、要するに混紡や交織でないものを言うようなのである。

そういえば、この 「ゾッキ」 という言葉については、以前にも書いた。(参照

一番わけのわからない思いをしたのは、「オツナカ」 という言葉である。「ギョクをオツナカに渡すまでが勝負」 なんて言われて、「ギョク」 は 「玉」 で、多分 「糸」 のことだろうとは理解しても、「オツナカ」 って一体何なんだと、途方に暮れた。

これこそ、正真正銘、業界用語辞典にも出てこない隠語である。周囲に聞いてもあまり理解している者はいない。あちこちしつこく聞いてみると、どうも 「輸送業者」 のことらしい。

最近、「オツナカ」 の語源を初めて知った。「オツナカ」 は 「乙仲」 で、もともとは一般港湾運送事業者のことらしい。旧 「海運組合法」 の 「乙種海運仲立業」 の略称だというのである。おいおい、それならトラック便の業者まで 「オツナカ」 なんて言うのは止めていただきたいものだ。

それから、私が未だに理解していないのは、ゴルフの世界の言葉の 「ノーズロ」 というやつだ。まぁ、私はゴルフをしないので、知らなくても構わないのだけれど。

大人は 「最近の若い者の言葉はわけがわからない」 と嘆くが、本当は大人の言葉だって、相当わけがわからない。

 

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2004/10/13

サイト名の変更

突然のことで恐縮だが、10月 12日の夜を期して、本宅サイトの名称を 「知の海に跳び込め」 から 「知のヴァーリトゥード」 に変えさせていただいた。

それに伴い、コンテンツの 「知のヴァーリトゥード」 は 「知のヴァーリトゥード 本場所」 と改称した。

なんでせっかく慣れ親しんだサイト名を変えるのかといえば、「サイト・アイデンティティ」 というものを少々意識したからである。一昨年の正月にサイトを作ったときに、単なる勢いで 「知の海に跳び込め」 というタイトルにしてしまったが、考えてみると、ちょっと冗漫なネーミングだったかも知れない。

いつの間にか、当サイトのメインコンテンツは 「今日の一撃」 と 「知のヴァーリトゥード」 ということになったが、それならば、ブランドの集約化を図ろうということにしたのである。

それで、「知のヴァーリトゥード」 をメインタイトルに格上げし、コンテンツとしてのエッセイの集積は 「知のヴァーリトゥード 本場所」 ということにした。実は 「知のヴァーリトゥード」 というブランドは、我ながら気に入っているのである。

私は業界記者としての経験から、「ブランドは絞り込んだ方がいい」 という信念を持っている。わけのわからないブランドを乱立させるより、集約したマーケティングをする方が、ブランド価値は上がる。

そうした信念を持っていながら、自分のサイトを眺めると、「知の~」 というブランドが 2つあって、紛らわしい状態にあるのが、ずっと気にかかっていたのである。そこで、今回思い切って 「知のヴァーリトゥード」 を当サイトのメインブランドにすることにしたわけだ。

「ヴァーリトゥード」 というのは、禁じ手なしの総合格闘技のことである。知の領域で 「なんでもあり」 の格闘技を展開したいと思うのである。

というわけで、当サイトにリンクをはってくださっているサイトの管理人の方々には、甚だ恐縮だが、リンクページの更新をお願いする次第である。サイト名変更に伴い、バナーも変えてしまったので。

12月18日 追記

コンテンツの 「知のヴァーリトゥード 本場所」 は、紛らわしいので、「知の関節技」 に改称した。


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2004/10/12

中国はお好き?

TBSラジオの 「スタンバイ」 という番組で、10月 8日に 「あなたは中国が好きですか?嫌いですか?」 というアンケートをしたところ、回答総数 108票のうち、好き 43票 (40%)、嫌い 57票(53%)、どちらでもない 8票(7%) という結果になった。

「嫌い」 が過半数というわけだ。(参照

ただ、この程度の差では、例の 「サッカー事件」 の前だったら、「好き」 が多数になった可能性も否定できないと思う。

回答に添付されたコメントをみると、「嫌い」 という回答には具体的な体験に基づくものが多い。(以下、一部を引用)

以前経理事務として働いていた会社にたくさんの中国人が招かれていて働いていました。自分に都合が悪くなると日本語がわからないふりをしていました。

中国に3回行きましたけど、ニセモノを平気で高く売りつけていた。こんな国、嫌だ。

一方、「好き」 という回答のコメントは、少々イメージ的なものが多くて、根拠が薄い。(以下、引用)

パールバックの「大地」という小説を読んで以来、中国に好感を持っています。

アメリカみたいに交戦的な国ではないし、仏教国なので、日本と通じるものがあります。

どうも、具体性において 「嫌い」 の方が説得力を持っていると判定せざるを得ない。とくに、「仏教国なので、日本と通じるものがあります」 というコメントは、いかに事実を知らずに思いこみだけでものを言っているかということを感じさせる。

中国は仏教国ではない。確かに、以前は中国で仏教が興隆したが、現在の中国では仏教はマイナーで、どちらかといえば道教の国である。好意を抱くのは勝手だが、誤解に基づいたものでは裏切られる可能性が高い。

こんな事実に反したコメントをそのまま発表するラジオ局もラジオ局だ。あるいは、こんなものでも採用しなければならないほど、好意的なコメントの数が少なかったのだろうか。

世の中には、遠くから眺めている分にはとてもよく見えるが、接近して知れば知るほど嫌になるという存在がある。中国というのは、そんなところがあるのだろうか。

私自身は中国には行ったことがないので、何とも言えない。今月行こうと思っていたのだが、国内の予定が多忙すぎて諦めざるを得なくなった。

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2004/10/11

「ナイーブ」 であることの価値観

「あの人は、とてもナイーブだから・・・」 などと言うのを聞くと、思考回路が錯綜して、メモリーをちょっと余計に消費する。「誉めてるのかな? けなしてるのかな?」

日本語の会話では、90%以上 「純粋無垢」 という意味で誉めている場合が多いのだが、たまにそうでない場合もある。

帰国子女やアメリカ暮らしの長かった人などは、「あんなナイーブな人とは、とても一緒に暮らせないと思ったわ」 なんて使い方をする。日本人は 「ナイーブな人」 には好印象を抱きがちだが、どうも価値観が逆のようなのである。

長い米国暮らしから帰国して、日本人の男を愛し、自然に一緒に暮らし始めた。すると、その男は自分の下着の在処もわからず、風呂上がりには新しい下着を用意しておくことを彼女に要求した。出張や旅行の際には、トラベルバッグに詰める洗面用具、衣類の用意まで自分ではできず、頼り切りだ。

「自分のことを自分でできないほど、ナイーブな人とは思わなかった」 というのである。

英語の "naive" の語源はフランス語で 「生まれたままの」 というような意味だという。しかし、実際に使用される場合のニュアンスは、「子どもっぽい」 とか 「うぶな」 とか 「物を知らない」 とか、とにかくあまりいい意味ではないことが圧倒的に多いと思う。

日本語と化した 「ナイーブ」 は 「赤子の如き汚れなさ」 といった、かなり良い意味である。英語とはずいぶんニュアンスが違う。しかし、「周囲のものが保護してあげなければならないような "あぶなっかしさ" をもつ存在」 という意味では、本質的な違いはそれほど大きくはない。

違いは 「ナイーブな存在そのもの」 にあるのではなく、周囲の受け取り方にある。端的に言えば、「ナイーブな人」 を暖かく見守りたがるのが日本であり、「付き合いきれないわ」 と思うのが米国の価値観である。

「ナイーブな肌」 を、「きめの細かいきれいな肌」 と取るか、「ちょっとした刺激で荒れやすい手のかかる肌」 と取るかの違いみたいなものといえば、わかりやすい。

ちなみに、私自身はとくに米国かぶれしているわけではないのだが、人をほめる時に 「ナイーブ」 という言葉を使うことには抵抗がある。単に、両極端のニュアンスのある 「危ない言葉」 は避けたいという意味で。

最後に付け加えよう。この違いは、赤子に 「神」 をみるか、赤子は教育して初めて 「神」 を理解できるようになる半人前の存在とみるか、この文化的違いかも知れないと思う。

 

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2004/10/10

殺人事件と治安

1983年にニューヨークに出張し、ホテルのロビーで人が撃ち殺される現場に遭遇したが、翌日の新聞には載らなかった。別段珍しくもない事件だったということか。

最近の日本もやたら殺人事件が多い。似たような事件も多く、個別の殺人事件としての区別すら付けにくくなった。

ピストルの音はテレビドラマのように 「バキューン!」 なんていうものではないと、よく言われる。確かにその通りだった。一昨年のこの欄にも書いたことがあるが、「パン、パン!」 という、あまり緊迫感の感じられない乾いた音だった。

音のした方を振り返ると、頭部から一筋の血を流した男が、目を開けたままひっくり返っていた。周囲の人間たちは、別に悲鳴を上げるでもなく、驚くほど冷静に対処した。皆、足早に現場を離れ、ある者はロビーから街に逃れ、ある者はエレベーターで自分の部屋に戻った。

私も、とても冷静に自室に戻った。冷静でいられたのは、何だか現実感が伴わなかったからでもある。しばらくして警察の車の到着する音が聞こえ、ようやく、あれは現実だったのだと思った。しかし、誰もその殺人事件に必要以上の関心を払うこともなく、ホテルロビーはすぐに日常の風景に戻った。

翌日の新聞にも載らなかったし、私は今でも、あの時何が起こったのか、まったく理解していない。わかっているのは、一人の男が撃たれて死んだ (のだろう) ということだけである。あるいは、あれは夢だったのかと思うほどだ。

最近の日本でも、幼児虐待による殺人、強盗殺人、一家皆殺しなどなど、毎日のように殺人事件が報じられる。正直言って、どれがどの事件の話なのだか、私には明確な区別がつかなくなってしまった。

あの時のニューヨークとは違い、ニュースで報じられるだけ、夢ではないようだが、多すぎて印象が錯綜してしまっている。それだけ切実な感覚が薄れているということだ。

アメリカで起こったことは、10年後、20年後に日本でも起きると言われていたが、治安の悪化も例外ではないとは、当時は思わなかった。しかし、程度の差こそあれ、確実にニューヨークの後追いをしている。私は今、東京の街を歩くときは、少なくとも 「ひったくり」 に遭わない程度には身構えている。

ニューヨークは今、20年前と比べると信じられないほど安全な街になった。これは一つには経済的な成長が寄与しているだろう。日本が安全性を取り戻すにも、やはり経済の回復が必要なのかもしれない。


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2004/10/09

朝日新聞は大学入試に強い?

はっきり言って、私は朝日新聞は性に合わない。世の中の代表的正義は自分であるみたいなトーンが、「おいおい、ちょっと勘弁してくれ」 的感覚を醸し出す。

その朝日新聞、「大学入試に強い」 のだそうだ。しかし、それは一体どういう意味なのだ? 巧妙に紛らわしいフレーズである。

「朝日アイ・エヌ・ジー・ドット・コム」 というサイトの 「クローズアップ朝日新聞」 というページでは、以下のように訴求している。

2004年大学入試での朝日新聞からの出題は240大学・360問題で、ほかの全国紙4紙を今回も大きく上回り、Y紙の5倍、M紙の6倍。今年も 「大学入試に強い朝日新聞」 が実証されました。

こんなデータ、私に言わせれば、「それがどうした?」  ということでしかない。

よく読み解けば、「朝日新聞の記事は、大学入試に多く使われている」 という事実を述べているに過ぎない。「強い」 というのは、「他の新聞に比べれば比較的出題されやすい」 というだけのことである。

しかも、全国に四年制大学は 700校余りあるというし、学部数にしたら、少なくとも 2000以上になるだろう。そのうちのたった 360問題である。ヒット率にしたら、それほど大いばりで吹聴するほどのものではない。

一方、「朝日新聞を読んでいる受験生が、入試に合格しやすいか?」 というのは、まったく別の問題である。そんなことを取り扱ったデータは、どこにもない。

冷静に考えれば、入試問題に少しばかり採用されやすい新聞の記事を読んだことがあるからといって、入試の答えがわかるというわけではない。そんなことは当たり前だ。朝日新聞に大学入試の答えが書いてあるとか、秘密の暗号が隠されているとかいうわけでもあるまいし。

しかし、「大学入試に強い」 というフレーズは、全国の受験生 (というより、その母親かな?) の心を巧妙にくすぐる。 つまり、「朝日を読めば大学に合格しやすい」 という幻想を与えやすいという危険性があるのだ。

そして、それを 「危険性」 と取るのは私のようなへそ曲がりばかりで、普通の人間は、ころりとだまされやすい。それは朝日にとっては、「危険性」 ではなく、まさに 「意図するところ」 なのだろう。「大学入試に強い朝日新聞」 という、ある種曖昧な言い方をするやり口は、そうした意味で、かなり巧妙な確信犯である。

このあたりが、私が朝日に好印象をもっていない所以なのである。片方で時々学歴偏重の弊害を説くような社説を掲げながら、もう一方で、こんな誇大広告スレスレの所業を平気でする。

こういうのは、少なくとも私の趣味ではない。気恥ずかしい気がする。

 

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2004/10/08

世間話の怪しい新鮮さ

民俗学では、「世間話」 というのは中世以後に出現したことになっている。諸国を渡り歩く遊行の民が語り伝えた話である。

つまり、中世以前は世の中に 「世間」 は存在しなかった。隣近所や集落程度では 「世間」 ではない。もうちょっと遠く、姿が曖昧になるあたりが 「世間」 である。

中世以前は、そうした 「世間」 というほどの距離は、普通の人々の暮らしの中であまり意識されなかった。人との付き合いは、隣近所、せいぜい集落単位に限られる。つまり、意識レベルが 「世間」 という距離感まで到達し得なかったのだ。

顔を見ただけでどこの誰だかわかるような範囲は、プリミティブな共同体である。「世間」 というのは、そうした氏素性のはっきりした範囲ではない。

こちら側の常識がある程度通じるという意味では、まったくエイリアンの世界ではないのだが、わずかな差異の中に、突如意表をつかれる要素も潜在している。そうしたえもいわれぬ距離を保ったあたりが 「世間」 というものである。

共同体の外からやってきて、知らぬうちに去っていってしまうような、一種怪しいところのある人物が持ち来たってまことしやかに語ったのが、「世間話」 の始まりである。だから、「世間話」 というのは、いつだって少々怪しい。現代の最も典型的な 「世間話」 は、「都市伝説」 である。

手元に 「庄内・酒田の世間話」 (青弓社・刊) という本がある。酒田の郷土史家、佐藤公太郎氏の語りが収録されていて、新しい世間話では、昭和 51年の酒田大火の頃の話がある。

酒田大火の直前、家の周囲を 「お稲荷様」 (つまり狐 −市街地なのに) が走り回ったという話、腰巻きを振ると火を免れるという言い伝えを信じて、そこここで腰巻きを振った話、屋根の上に観音様が立って類焼を防いでくれたという話などが語られている。

とくに、屋根に観音様が立ったという話は迫力物で、「わだし、確かに見だ」 というおかみさんが二人もいる。

佐藤氏が 「この話あっけ、本当ですが」 と聞くと、
「本当です。私方(わだしがだ) 見ましたもの。とでも危ねぇぐなて、家がら出はたば、そさ観音様立てましたけもの。屋根の上さ」 と答えたという。

第一次オイルショックを経験して、高度成長期を終えようとしていた頃の話とは思われない。まさに中世の感性がそこにある。

「世間」 というものは、いつも絶妙に怪しく、懐かしくも新鮮な距離感をキープして、我々の周囲に息づいている。

 

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2004/10/07

地震

夜中に当コラムの更新をしていたら震度 5弱の地震に見舞われた。せっかくだから、書きかけていた話は明日にまわそう。

のっけからズーンと突き上げるような揺れで、茨城南西部ではお馴染みの直下型地震とわかった。ところが、今回のはいつもよりずっと強くて、さすがに少々焦った。

ここ筑波の里は案外地震の巣窟で、しょっちゅう直下型地震に見舞われる。しかし、そのほとんどは震度 3 とか 4 で、そうやって 「小出し」 に地震エネルギーを放出しているので、このあたりはかえって大地震は発生しないと言われている。

しかし、今回の地震はかなりのものだった。テレビを付けると、早々に震源地が特定されており、地図上に 「×」 印がついている。霞ヶ浦のすぐ西側。なんだ、私の今いる、この場所じゃないか。もろに直下型である。

震度 5弱という揺れは久しぶりのことで、その意味では焦ったが、直下型であり、どこか遠くに震源地がある揺れではないので、余計な心配はしなかった。初期微動が長く続いて、そのあとで大きな揺れが来たりしたら、どこか遠くで、もっと大きく揺られたはずだということで、情報を得るまでは田舎の両親が心配になったりする。

ちなみに、私の経験した最大の地震は、小学校 6年の時の新潟地震である。酒田は新潟からはかなり離れているが、揺れ方は強烈で、新潟同様に 「震度 5」 ということだった。当時は、震度 5 に「強弱」の区別はなかったが、今回の揺れなんてものではなかったので、確実に 「震度 5強」 以上だったろう。

その 「震度 5強」 の地震が襲ったとき、私は小学校で廊下に立たされていた。あまりの揺れのすさまじさに、立たされていたのだが、立ち続けることもかなわず、這うようにして教室の机の下に逃げ込んだ。

確実に 「思えば短い一生だった」 という思いが、脳裏をよぎった。あの時以来、妙に 「地震度胸」 がついてしまった気がする。


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2004/10/06

公園の芝生と温泉

天気のいい休日、ニューヨークのセントラルパークの芝生の上は、ただひたすら横になってゴロゴロする人で一杯だ。

それも、よく見ると白人ばかりである。アジア人や黒人は滅多にいない。白人というのは、太陽の下でゴロゴロすることがよっぽど好きな人種であるように思われる。

大体において、映画などでも屋外で肌を思いっきり露出させてゴロゴロするのがサマになるのは、白人である。彼らにとって、それはある種の文化的営みとなっている。アジア人や黒人には、そうした文化はない。

どうやら、白人は生まれ故郷のヨーロッパで、乏しい日の光を少しでも浴びるために、天気さえ良ければ日光浴をするために横になるという文化をはぐくんできたようなのだ。

日本人である私は、天気のいい日に公園でパンツ一丁になってゴロゴロするなどという趣味はない。何だか馬鹿馬鹿しく思える。日がな一日ゴロゴロするだけで、一体何が楽しいのだろうと思う。

しかし、だからといって日本人がゴロゴロ趣味を持たないというわけではない。日本人は公園の芝生でゴロゴロしない代わりに、温泉でまったりするという趣味がある。何も考えずに、ただひたすらのんびりして、幸せな気分に浸っているというのは、公園も温泉も変わりがない。

白人にとっての公園の芝生が、日本人にとっての温泉なのだと思えば納得がいく。文化のありようとして見ると、白人のまったりの方が、温泉よりずいぶんお手軽で安上がりなだけなのである。

 

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2004/10/05

「知の大洋」 から 「知の海」 へ

ココログの "Today's Crack" だけをご覧になっている方は元々ご存じないことになるが、近頃、私の本宅サイトのタイトル・ロゴが変わったのに気付かれただろうか。

以前は英語の表記が、"Dive into The Ocean of Intellect" だったのだが、 "Ocean" を "Sea" に変えたのである。

日本語では 「知の海に跳び込め」 と表記しているが、以前は英語ではどさくさ紛れに、 「知の大洋」 と大風呂敷を広げていたのである。それを、このほど、日本語通りに 「知の海」 と、中風呂敷程度のホラに縮小させていただいた。

それにはきっかけがある。10月から当サイトのリンクページ "Link Ocean" で紹介している 「永井俊哉ドットコム」 である。

永井氏はサイトの自己紹介欄で 「インターネットを主な舞台に、専門の壁を越えた新たな知の統合を目指す哲学者」 と書かれておられる。確かに哲学、経済学、精神分析学、民俗学、宗教学、歴史学、社会学、物理学など、ありとあらゆる学問の垣根を取り払っておられる。

しかも、各記事には参考文献が明示され、それなりのアカデミックなバックグラウンドがあることをうかがわせる。大変な知の集大成である。

こうなると、方向性に似たところがあっても、単に直観に頼って書き散らかしている当サイトは、「知の大洋」 を名乗り続けるのが、ちょっと気恥ずかしくなったというわけである。以前から、"Ocean of Intellect" はちょっと言い過ぎと思っていたので、ちょうどいい機会だから、"Sea of Intellct" に改称させていただいた。

看板を替えてみて、初めてしっくりした感じがする。Ocean Liner (大洋航海船) ではなく、フェリーのような機動力で、世界の急所を極めるのは、私の得意技である。アカデミズムからはできるだけ身を退いて、「民間療法」 的なおもしろさを追求していきたいと思っている。


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2004/10/04

テントなしで山で寝る

最近は滅多に出かけないが、20~30代の頃はよく一人で山に登った。山小屋はほとんど利用せず、テントを張って野宿した。

30代の頃は、冬以外はテントすら張らなくなった。いくら何でも寝袋だけでは夜露に濡れるので、防水布をさしかけ、その下で眠るのである。かなりいい気持ちだった。

テントで野宿するのは、山小屋で押し合いへし合いして寝るよりはるかに気持ちがいいが、それでも単独行では面倒に感じることがある。どうせ野営地に着いて、一晩寝て、翌朝早くに出発するだけだから、いちいちテントを張るのは馬鹿馬鹿しい気がする。

ちょうどその頃、ゴアテックスという防水透湿素材が登場した。要するに、外部からの水は防ぐが、内部からの湿気はどんどん外に排出して、蒸れや結露を防いでくれるのである。これを使わない手はない。

私はゴアテックスでできた封筒型のシュラフカバーを買った。これで、雨が降ってもびしょ濡れにならなくて済む。とはいえ、顔に直接夜露や雨がかかるのは嫌なので、一応ポールを一本だけ立てて、小さなタープ (防水布) を低くさしかけ、その下で眠る。まあ、気は心だから、シュラフカバーの下には、防水のグランドシートも敷く。

これで、雨露は十分にしのげる。ある時、夜中にかなり強い雨が降ったが、シュラフカバーの内部はまったく濡れず、快適に眠った。

何よりも嬉しいのは、周囲と自分とを隔てる布きれがないことである。月夜の晩などは、夜の山中が結構見渡せる。動物の気配なども感じられる。時には、月の光を反射する二つの目が、近くを通り過ぎたりする。かなりワイルドな夜を過ごせるのだ。

私がアウトドア好きなのは、もしかしたら 18歳で東京に出てくるまで、毎年秋になると芋煮会で外に繰り出していたからかもしれない。とにかく、野外でメシを作って食うのが好きなのだ。


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2004/10/03

東海村臨界事故から丸5年

そういえば、先月の 30日で 「東海村臨界事故」 から丸 5年経っていたのだった。

あの時のことは鮮明に思い出す。水戸方面の知り合いに電話をしても、なかなか通じない。情報を得ようとしてインターネットにアクセスしても、無責任なデマ情報ばかりが乱れ飛んでいる。

私は常日頃から 電話というのは、いざというときには役に立たないと思っている。地震などの大災害の時など、通じてもらいたいときに限って、回線混雑で通じなくなる。しかし、通じないというのならば、それはそれで仕方がない。デマ情報が乱れ飛ぶよりはずっとマシだ。

臨界事故の時のインターネットは最悪だった。私の住まいは東海村に隣接というほどではないにしろ、同じ茨城県の筑波である。いささか緊張感が走っている。

役に立ちそうな現地情報がないかと Yahoo の掲示板にアクセスしてみたが、そこは現地情報どころか、日本全国からの無責任な書き込みであふれ、まったく役に立っていなかった。

自称 「原子力研究者」 が何人も登場して、わけのわからない勝手な推測をまくし立て、過剰な不安を煽っていた。半径何十キロ以内だかは放射能に晒されて壊滅的状態になるのは目に見えているのだから、「安全のために外出を避ける」 などという政府の指示におとなしく従っているのは自殺行為だと決めつける書き込みが後を絶たなかった。今すぐ逃げ出さないのは愚か者であるというのである。

しかし、日が暮れて真っ暗になった頃に逃げろといっても、一体どこに逃げろと言うのだ。馬鹿も休み休み言うがいい。

ウラン燃料加工施設 JCO の建物の屋根がぶっ飛んで大きな穴が開いているというデマが、どこから持ってきたものか、「ヘリコプターから撮影した動画」 付きで乱れ飛んでいた。

臨界事故は確かに日本の原子力史上最大の事故となり、今でも後遺症に苦しむ人がいる。しかし、東海村周辺半径何十キロもの住民全員が先を争って逃げ出さなければならないほどの大惨事というわけではなかった。パニックにならなかったのは不幸中の幸いだった。

関東大震災の時は、デマのために無用の被害が広がった。現代はマスメディアが発達しているので、そんなことはなくなると言われていたが、そんなことはない。インターネットという強力な 「デマ発生源」 がある。

5年前は、インターネット人口が今ほど多くなかったので、無責任な書き込みがあれだけあっても、実害はあまりなかった。しかし、今はあの頃とはわけが違う。情報を取捨選択する冷静な力が本当に求められる。


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2004/10/02

服装は夏を旨とすべし

昨日、高校 3年の末娘が紺色の制服を着始めた。10月 1日を 「衣替え」 の日とする伝統は、まだ生きているらしい。

とはいえ実際のところは、冬服を着るにはまだ暑苦しい。私自身はまだ時々春用のジャケットを羽織るぐらい。秋冬用ジャケットなんぞは、11月中旬まで出番がない。

兼好法師は 『徒然草』 で、「住まいは夏をもって旨とすべし」 と書いているが、この地球温暖化の世においては、「服装は夏をもって旨とすべし」 と言い換えたくなる。

サラリーマンをしていた頃でも、私は夏になるとジャケットなんて着なかった。とはいえ、会議や来客などで時々は必要になるので、一応、着もしないジャケットを持って通勤するのだが、1週間のうち 3日以上は、一度も袖を通すことなくそのまま持ち帰るだけだった。馬鹿馬鹿しい限りである。

10月の声を聞くころに、ようやく春夏用ジャケットを着るようになる。そして、11月になってもそのままだ。電車やオフィスの中は冷房を抑える分、かえって暑くなる。秋冬物なんて、到底着る気にはなれない。

11月の半ばを過ぎて、ようやく総裏の秋冬物を着るようになるが、そうなると、今度は電車に暖房が入り始める。通勤ラッシュ時に暖房の効いた電車に押し込まれたりしたら大変だ。廻り中、汗をダラダラ流しながら耐えている。

そんなわけで、最近は冬になっても分厚いコートなんて必要ない。下手にそんなものを着たら、電車の暖房で殺される。薄手のウィンドブレーカー的なコートがあれば、十分だ。

ただし、女性は男ほど暑さに苦しんでいないように見受けられる。女は体質的に男ほど暑がりではないらしいが、それに加えて、元々が薄着である。服そのものが薄手である上に、冬になってもジャケットの下はノースリーブなんていう格好をしていたりする。

オジサンも背広とネクタイなんかで重装備しなくても済むような、涼しげなドレスコードを普及させて頂きたいものだ。


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2004/10/01

ねこばる

連日の庄内弁ネタで恐縮。本日は 「ねこばる」 という動詞についての考察である。

ググってみたところ、「ねこばる」 は出雲、庄内、秋田で使われ、「力む」 とか 「強情を張る」 とかいう意味で用いられている。想像だが、北陸や津軽あたりでも使われているのではなかろうか。

この 「ねこばる」 のバリエーション 「ねっこばる」 について、我が故郷、庄内の鶴岡で運営されている 「つるおかコミュニティ ウェブラジオ の」 の 「庄内弁の時間」 の"004"で触れられている。

放送に登場される鶴岡市芸術文化協会会長で「劇団 麦の会」代表の山崎誠助さんは、 「ねっこばる」 の語源を、「根っこを張る」 だとし、「植物が地面に根を張るほど底深く力を入れてがんばる」 ことではないかと説明しておられる。

うぅむ、城下町、鶴岡の芸術文化協会らしい上品な解釈である。

私はこれまで、同じ庄内地方でも商業都市の酒田出身者らしく、まったく別の下世話な解釈をしていた。というのは、「ねこばる」 が最も一般的に使われるのは、尾籠な話で恐縮だが、うんこをするときに 「ふんばる」 という用例なのである。

古語では、うんこをすることを 「まる」 という。「おまる」 の語源は 「まり箱」 というぐらいのものである。出雲国風土記には、大国主命と少名彦名命が、どちらがうんこを我慢したまま遠くまで行けるかという賭をして、大国主命が、途中で我慢できなくなり、 「あは行きあへず」 とおっしゃって、「糞まり給ひき」 という件がある。要するに、賭に負けたわけだ。

今でも、うんこをすることを方言で 「まる」 という地域はいくらでもある。私は  「ばる」 は 「まる」 の訛りだと思っていた。「ねこ」 「ねっこ」 は、とりもなおさず 「うんこ」 のことである。だから 「ねこばる」 は、そのものズバリ 「糞 (ねこ) ばる」、つまりうんこをするために力むことだとばかり思っていた。

「強情を張る」 だの 「力む」 だのは、皆その身体感覚から転じた意味だと思っていたのである。 これが正しいかどうかはわからないが、「根を張る」 説は、ちょっときれいすぎるような気はするのである。少なくとも私はトイレに根っこなんて張りたくないし。

なお、「ふんばる」 は いくらなんでも 「踏み張る」 の変化だと思うのだが、もしかして 「糞ばる」 だったりしたら、どうしよう?

いや、大丈夫、大丈夫、「ふんぎりを付ける」 だって、語源は 「踏み切り」 のはずだから。

 

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