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2004年11月に作成された投稿

2004/11/30

"Mother" と "Hen-night"

英国の国際交流機関、ブリティッシュ・カウンシルがこのほど、「最も美しい英単語」 は何かという調査を行った結果、「Mother (母)」 が選ばれたと発表した。

2位は 「Passion (情熱)」、3位は 「Smile (ほほえみ)」、4位は「Love (愛)」 だったが、「Father (父)」 は選外だった。

参照 >> ManchesterOnline

この調査は同協会の設立 70周年を記念して行われたので、上位 70位までの英単語が発表された。非英語国で英語を第二外国語として学ぶ 7,000人以上にアンケートしたらしい。

リストをみると、上位 20~30位まではなんとなくわかる気がするが、それ以下になると、「なんじゃこりゃ?」 と言いたくなるような単語がぞろぞろ出てくる。

「Bumblebee (マルハナバチ)」、「Giggle (くすくす笑い)」、「Kangaroo (カンガルー)」、「Flabbergasted (ビックリ仰天する)」、「Hippopotamus (カバ)」、「Whoops (こりゃどうも、米語では "Oops")」、「Tickle (くすぐる)」、「Hiccup (しゃっくり)」、「Fuselage (飛行機の胴体)」 あたりの単語を挙げた人は、これらがどうして 「最も美しい英単語」 に思われたのだろう。よほどの背景があるのだとすれば、一度直接聞いてみたい気がする。

発表された 70語のうち、知らない単語が 5つもあったことがお恥ずかしいのだが、そのうちの 2つは手持ちの辞書で調べてもわからなかった。それは 61位の "Oi" と、70位の "Hen-night" である。前者はフランス語の "Oui" ではないようだし、単なる間投詞かもしれない。しかし、後者の 「雌鳥の夜」 って、一体なんだ?

こうなったら、ググって見るしかない。

まず、"Oi"。これは、やはり英語の間投詞で、「うりゃ!」 的な感覚のようだ。音楽業界では、そんなイメージの乱暴なレゲエを "Oi" ということがわかった。

次に "Hen-night" だ。向こうでは "Hen night party" (雌鳥の夜のパーティ) なるものが盛んに行われているらしい。どうも、女性の独身最後の夜のパーティらしい。男の方は "Stag night" (雄鹿の夜) になるようである。

ふう、Google というのは、なまじの辞書より役に立つのう。

ちなみに、今回発表された 70語は、以下の通り。"Mother" が 1位で "Hen-night" が最下位というのは、なにやら暗示的である。

 
順位 単語
   
意味
1 Mother
2 Passion 情熱
3 Smile ほほえみ
4 Love
5 Eternity 永遠
6 Fantastic ファンタスティック
7 Destiny 運命
8 Freedom 自由
9 Liberty 自由
10 Tranquillity 静寂
11 Peace 平和
12 Blossom
13 Sunshine 日射し
14 Sweetheart 恋人
15 Gorgeous ゴージャス
16 Cherish かわいがる
17 Enthusiasm 熱狂
18 Hope 希望
19 Grace 高貴
20 Rainbow
21 Blue
22 Sunflower ひまわり
23 Twinkle (星などが) またたく
24 Serendipity 思わぬものを偶然に発見する才能
25 Bliss 至福
26 Lullaby 子守歌
27 Sophisticated 知的な
28 Renaissance ルネサンス
29 Cute キュート
30 Cosy 居心地のいい
31 Butterfly 蝶々
32 Galaxy 銀河
33 Hilarious とても陽気な
34 Moment 瞬間
35 Extravaganza 奇抜で豪華なショー
36 Aqua
37 Sentiment 感情
38 Cosmopolitan コスモポリタン
39 Bubble
40 Pumpkin カボチャ
41 Banana バナナ
42 Lollipop ペロペロキャンディ
43 If もしも
44 Bumblebee マルハナバチ
45 Giggle くすくす笑い
46 Paradox 逆説
47 Delicacy デリカシー
48 Peekaboo いないいないばあ
49 Umbrella 雨傘
50 Kangaroo カンガルー
51 Flabbergasted ビックリ仰天する
52 Hippopotamus カバ
53 Gothic ゴシック
54 Coconut ココナツ
55 Smashing 猛烈な、素敵な
56 Whoops こりゃどうも
57 Tickle くすぐる
58 Loquacious 多弁な
59 Flip-flop パタパタ、宙返り
60 Smithereens 粉みじん
61 Oi OI (本文参照)
62 Gazebo あずまや
63 Hiccup しゃっくり
64 Hodgepodge ごった煮
65 Shipshape 整然と
66 Explosion 爆発
67 Fuselage (飛行機の)胴体
68 Zing ヒューヒュー
69 Gum ゴム
70 Hen night 女性の独身最後の夜

 

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2004/11/29

何がありがたいと言って・・・

今日は下ネタだが、さほど下品でもないと思うので、ご勘弁いただきたい。

時々思うのだが、何の苦労もなくトイレで排便できるというのは、とても幸いなことに違いないのである。世の中には、自分の力だけでは自由に小便もできない病人だって、何万人もいるのだ。

私は自由に小便をできない不自由を味わったことが一度だけある。それは、19歳で虫垂炎 (いわゆる 「モーチョー」)になった時のことだ。ちょうど春休みで帰省中だったため、田舎の外科医院で手術を受けた。

私は麻酔の効きが悪かったらしく、手術中に異常に痛がるので、途中で全身麻酔に切り替えられたのである。気付いたら手術は終わっていて、病室に運ばれるところだった。若い看護婦が 「あなたが急に運び込まれたおかげで、午後のデートの約束が流れちゃったよぉ」 なんて、大げさに嘆いていた。それはどうもご愁傷様だ。

夕方、小便がしたくなったが、手術した当日にトイレまで歩くのは無理だと、かの 「尿瓶 (しびん)」 というものを持ってこられた。それを使えば、横になったまま用が足せるというのである。

初めての経験だったが、トライしてみた。しかし、小便はなかなか出てこない。

「寝床で小便をしてはいけないという教育は、かなり骨の髄までしみこんでいるなぁ」 と我ながら感心し、心の抵抗感を解くべく、リラックスしようとした。しかし、それでも小便は出ない。

途中で気が付いた。麻酔がまだ効いているのだ。私は麻酔の効きが悪かったくせに、一度効いてしまうと、なかなか覚めないようなのだ。そのため、随意筋であるはずの尿道が閉じたままになり、自分の意志で開くことができない状態なのである。

そう気付いた頃には、私の膀胱ははち切れんばかりになっていた。小便をしたくて堪らないのに出てこないというのは、いと切なくも苦しいものである。

看護婦が飛んできて、「それでは 『ドーニョー』 をしましょう」 という。一体何をするのかと思っていたら、ビニールの管をもって戻ってきた。その管をチンチンの先から挿しこんで膀胱に届かせると、何だか嬉しそうにいうのである。

ようやく 「導尿」 という漢字二文字が脳裏に浮かんだが、その管のあまりの太さに処女の如き恐怖を感じた私は、「滅相もない、自分でなんとかしますから」 と、早々にお引き取りいただいた。

さて、それから私は涙ぐましい努力をしたのである。自分の意志では依然として尿道は開かないが、下腹を圧迫すると、少しずつチョロチョロと漏れてくるではないか。私はこの手法に賭けた。ほぼ 40分間、そうして奮闘していると、やや楽になったのである。

悲しいもので、そのあたりからようやく麻酔が切れて、自由に小便が出始め、ついに完全に気が晴れた。布団の中から尿瓶を取り出す時のずっしりとした重さを、私はありありと覚えているのである。「こんなに貯まってたのか!」

翌朝、私は周囲の止めるのも効かず、自分の足で歩いてトイレに行き、小便をした。スムーズに排尿ができるという喜びは、手術の傷口の痛さを補って余りあるもので、私はしみじみと神に感謝する思いだったのである。


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2004/11/28

竿竹売りの売り声

昨日の和歌ログでは、竿竹売りの売り声を詠み込んだ。例の軽トラックで 「竿やぁ~竿竹~」 と触れてくるやつである。

ふと思い出して、今月のお薦めリンクに挙げている "It's my Party" の 「毎日の逆襲」 ページから辿ってみると、「物干し竿販売のトラブル」 というページに辿り着いた。

物干し竿なんて単価の安い商品を、ガソリン代まで使って売り歩いても儲かるものなのかと訝しんでいたのだが、やはり世の中、蛇 (じゃ) の道はヘビである。すべてというわけではないのだろうが、けっこうな悪徳商法だったのだ。(以下、引用)

1本1000円のつもりで買いに行くと、物干し竿屋は「2本からじゃないと売れない」 「1000円の竿は質が悪い」 などと言って、1本 5000~10000円の竿を売りつけようとします。更に物干し台を 50000~150000円もの高額で売りつけられる場合もあります。

なるほど、このくらいのことはしなければ、ガソリン代も出ないだろう。

これ以外にも、かの有名な 2ちゃんねるに竿竹に関するスレッドがあった。そこでは、竿竹売りが 「実は警察が町内の民情視察をしている」 という説の他、NHKのアンテナ観察説、秘密結社説などが取りざたされているのであった。かなり奥の深いというか、馬鹿馬鹿しいというか、すごい話になっている。

常識的に考えれば、警察がなにも竿竹売りに身をやつして町内をパトロールする必要なんて、あるとは思えないのだが。下手に売れてしまったら、その収入がまたしても裏金になってしまいかねないし。(「今年は竿竹の売れ行きが良かったから、送別会は豪華に行くぞ!」 なんてことは、いくら何でもないだろう)

いずれにしても、かなり怪しい業界のようで、物干し竿はホームセンターなどで買う方が安心できるようだ。

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2004/11/27

NHK と マツケンと 妻の芸風

凄いなあと感心した。NHK の 「紅白歌合戦」 のホームページである。

左側が赤、右側が白と、見事な 「紅白」 に染め分けて、真ん中は燦然と輝く金屏風のごときしつらえ。しかもエンボスみたいな地紋が入っていて、テキストが読みにくい。今どき、ものすごいセンスである。

ちょっと言わせて頂くとすれば、ウィンドウの中央に表示するようにすれば、多少は見やすいと思うのだが。

さらに、「今回のテーマ」 というのが大上段に振りかぶっていて、「愛・感動・希望の歌を」 だそうだ。本当にすごい。マジなんだろうか。それとも、マジを装う芸風なのか。

芸風なら笑って納得するが、マジだとしたら恐い。美川憲一と小林幸子の壮大な衣装をフィーチャーしたバラエティ番組を作るのに、マジと芸風が微妙に錯綜しているのを感じる。願わくは、きちんと芸風として割り切ってもらいたいものだ。

必ずしも 「芸風」 ばかりでないという気がして、ちょっとヒキ気味になってしまったのは、「NHK紅白歌合戦 歴代司会者一覧」 というバナーをクリックした瞬間である。いきなりアクロバットリーダーが起動して、お役所の発表資料みたいな堅苦しい紙ぺらが表示されたではないか。

あの左右を紅白に染め分けた金屏風から、いきなりワープロで作った味も素っ気もない素人っぽい表である。こんなものすごいギャップをいけしゃあしゃあと演じてみせるあたり、なまじの演出でできる芸当ではない。民放が真似しようとしても決してできない独壇場の世界である。

ところで、妻は初出場の松平健を見るのを楽しみにしている。一度でいいから 「マツケンサンバ」 をきちんと見て、話のタネにしたいらしい。

「知ってる? 松平健って、50歳なんだって。私たちより年下だったのね」
「ふぅん、ずいぶんオジサン顔だね」
「私たちが子どもの頃から、 時代劇やってたみたいな気がするのにね」
「でも、彼が座頭で公演するようになって、まだ20年ぐらいのもんじゃないの」
「駄菓子屋で公演するの?」
「駄菓子屋ぁ??」
「???」
「・・・ 座頭だよ、ザガシラ!」

ウチの娘たちによると、 「天然ボケを装うこと」 は馬鹿でもできるが、すぐに底が割れる。一方、「真実の天然ボケ」 は、馬鹿ではできないそうだ。

「お母さんは、『真実の天然ボケ』 だよね」 ということで、家族の認識は一致している。大した芸風である。


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2004/11/26

急ぎたい者には急がせてやる

半年近く前にも書いたが (参照) 、茨城県の運転マナーは、あまりよろしくない。かなり強引だし、なまじ道路が整備されているので、スピードも相当出ている。

茨城県民は、道路に標示されている制限速度の 2倍までは出してもいいと考えているという、恐ろしいジョークまである。

普段こんな地域で運転しているためか、帰郷すると、国道の流れがとても緩やかに感じられてしまう。それは、茨城県を一歩外れて福島県に入ったとたんに感じてしまうのだ。

片側 1車線の追い越し禁止区間が延々と続く国道で、軽トラックの後についてしまったら、悪夢である。制限速度 50キロの道なら、だいたいどこでも 60キロぐらい出すのが日本の常識みたいになっているが、彼らはその道を 40キロぐらいでノロノロと走るのだ。

長距離を行くドライバーにとって、これはとても辛い。アテネ五輪の男子マラソンで、快調に走っているところで変なオッサンに邪魔されてしまった、ブラジルのリマ選手もかくやと思うほど、ペースが乱されてイライラする。

私は、追い越し禁止区間でも後ろから迫ってくる車があったら、適当なところで左ウィンカーを出してスピードを落とし、合法的に追い越させてあげることにしている。急ぐ者にはそれなりの事情があるのだろうから、あえて前を塞ぐ無粋はしたくない。

ところが、 「のんびりやさん」 は、多分、後ろなんか気にしたことは、生まれて一度もないのだろう。後ろに何十台つながろうが、まるでパレードを引き連れているかのように、延々とゆったり走るのである。

こうした車の多くは、急な上り坂でも登坂車線の意味を理解していないようで、通常の走行車線を当然のごとくノロノロ走る。そうなると、後続車が登坂車線を通って続々と追い越していくという、あり得べからざる光景が現出する。

日本の警察は、スピードはひたすら抑えていさえすれば安全という立場のようなのだが、極端に遅い車がいると、かえって危険なのである。ぶち切れたドライバーが危険な追い越しをかけるし、最後尾では追突の危険性もある。

それから、高速道では、ちょっと激しい雨が降ると、最高速度 50キロという速度制限が行われることが多い。しかし、高速道路で 50キロなんていうスピードは、到底現実的なものではない。私は一度、試しに本当に 50キロで走ってみようとしたことがあるが、後ろからバンバン煽られて、恐怖のあまり 60キロ以下に落とすことができなかった。

本当に 50キロで走って、後ろから追突されたら、道路公団は責任取ってくれるのだろうか?

極端な猛スピードでもない限り、多くの車が常識的な速度でクルージングできるような配慮を、きちんとすべきだと思うのである。

これは、エスカレーターに乗る時に二人並んで乗らないとか、歩道の道幅一杯に並んで歩かないとか、高速道で追い越しをしたらすぐに走行車線に戻るとか、ちょっとした気配りの範囲内のことなのだが。


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2004/11/25

紅葉がおかしい

ラジオで気象予報士の森田さんが言っていたのだが、今年の紅葉はなんだか変なのだそうだ。何しろ色づくのが遅すぎるし、紅葉の時期も極端に短いらしい。

そういえば、今回の帰郷の途中でも、全山真っ赤というような見事な紅葉は、ついぞ見られなかったのである。

東京都内でも、並木道のイチョウなどは葉が緑色をしたまま縮れてしまい、紅葉することなく落葉というケースが多い。本当にどうかしているのである。

気象庁では、「紅葉日」 と 「落葉日」 というのを認定しており、前者は葉のほとんどが緑色を留めなくなった日、後者は 8割以上の葉が散った日とか言っていた (記憶が正確でないかも知れないが)。

紅葉日から落葉日までの期間は、平均すると、例年約 2週間ぐらいはあるらしい。しかし、今年は秋田で 4日、宇都宮で 6日など、極端に短くなっていて、色づき始めたと思うと、あっという間に散ってしまうというパターンだという。甚だしいのは、函館の 0日というのがある。つまり、紅葉することなく散ってしまったのである。

この原因は、実は台風なのだという。台風の強風によって巻き上げられた大波で、海水に含まれる塩分が内陸まで飛ばされ、木の葉に付着する。すると、浸透圧の関係で葉の内部の水分が放出され、細胞が破壊されてしまうのだという。

普通の台風なら、大雨を伴うので葉に付着した塩分も自然に洗い流されるのだが、今年は風台風が多かったので、こんなことになった。最近では平成 3年の紅葉が異常だった。台風 19号、俗にいう 「リンゴ台風」 の来襲した年である。

今年は紅葉の期間も短いので、観光地も打撃を受けているらしい。せっかくの猛暑で稲の生育が良かったのに、台風の塩害で新潟あたりでは米も被害を受けた。今年は自然災害という視点からみると、記録的な年である。

 

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2004/11/24

見世物小屋というもの

今ではほとんど見られなくなってしまったが、昭和40年代までは 「見世物小屋」 というものがあった。

酒田の山王祭りでも、日和山公園のグランドに、木下大サーカスや、射的などに混じって、オドロオドロしい看板と口上の見世物小屋が、いつも興行していた。

その看板には蛇女やろくろ首などが描かれ、「親の因果が子に呪い」 式の口上がとても怪しげで、尽きない興味をそそられた。しかし、子どもの頃とて、親に頼んでも 「あんな小屋に入ったら、さらわれて朝鮮に連れて行かれる」 みたいなことを言われ、決して見せてもらえなかった。

ついにその小屋の中に足を踏み入れる時が来たのは、昭和40年代の末頃だったと思う。浅草の浅草寺裏手の見世物小屋に、私は大学の悪友 H と共に入ってみたのだった。

その内容はあまりのばかばかしさに、しかとは憶えていないのだが、何でも 「へび女」 系のお話だったと思うのである。小屋の前の怪しいオッサンの口上によると、蛇のお姉さんが、大蛇を体に巻き付け、ラッタラッタ踊るというのである。そして、何が美味いのか、その蛇を頭から手当たり次第に食ってしまうというようなことであった。

小屋に向かって左側の入り口から、ワクワクした思いで入ると、中は何本かの丸太を横に渡して仕切った観客席があった。席とは言っても、座る席があるわけではない。すべて土間と板敷きの立ち見である。

前方の舞台上手にはどういうわけか炬燵がおいてあり、どてらを着たばあさんと娘 (といっても 30歳以上に見える) が、愛想も何もなく、その炬燵にあたって茶をすすっている。舞台と言うより、ほとんど 「楽屋」 である。

外の看板と口上は十分に非日常的な妖しさだが、中身は 「怪しい」 というよりは、単に 「日常の貧相さが行きすぎて、たまたま非日常になった」 という類の風情なのだった。

さっぱり要領を得ないで、横に渡された丸太に寄りかかっていると、一応ベルがちりちりと鳴ったような気がした。しかし、ベルは鳴っても、ばあさんと娘は何を始めるわけでもない。しばらく重苦しい空気が流れる。

さんざんじらされた挙げ句、ようやく安っぽい音楽が鳴り出し、おっくうそうに立ち上がった娘が、なにやら踊り始めた。踊りと言っても、あっちを向いたりこっちを向いたり、かったるそうに手を上下させたりするだけである。見ている方は、それ以上にかったるい。

そのうち、ふところあたりから、小さな蛇らしきものを取り出して、首に巻いて見せた。その肝心のところだけ、ちょっとした早業である。生きた本物の蛇なのか、おもちゃなのか、しかとは見届けられないようになっている。そのあたりで、ばあさんが立ち上がってきて、娘の肩をちょんちょんと叩いたような振りをみせて、それで終わりである。

本当に、それで終わりである。

あとは、「今、目の前で起きたのは、一体何だったのだ」 と思いながら、入ってきた方とは反対側の出口からぞろぞろと表に出るだけだ。ただ、「一体何だったのだ」 とは思うが、脱力のあまり、それを深く追求する気にさせないというあたりが、「芸の力」 といえば言えるのだった。

 

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2004/11/23

「原口そばや」 礼賛

昨日の昼頃に酒田を発ち、夜遅く筑波の里に着いたが、途中、山形県の上山 (かみのやま) で、初めての蕎麦屋に立ち寄った。「原口そばや」 という田舎蕎麦屋である。

大正時代から脈々と続いているという店で、村山の 「あらきそば」 に勝るとも劣らない、実に立派な田舎蕎麦だった。

このところ、連続の酒と食い物ネタで恐縮だが、何しろ山形県というところは美味いものばかり揃っているので、自然そうなってしまう。

実はこの 「原口そばや」 という店は、西川町の 「一松」 のご主人に教えてもらったのである。美味い田舎蕎麦が食いたかったら、行ってみたらいいというのである。それではと、酒田からの帰路に足を伸ばしたのだ。

国道 13号線から上山の中心街とは反対側に、ぐんぐんと山裾に入っていくと、「原口」 という集落があり、その集落の入り口に 「原口そばや」 という看板が立っている。看板の矢印に沿って進むと、古くからの農家の作りの蕎麦屋に行き着く。

玄関を入ると、靴を脱いで座敷に上がる前に、注文をするというシステムになっている。注文といっても、盛りと大盛りとそばがきしかないので、迷うことはない。座敷には低い座卓が並べられ、近郷近在のお客と、はるばる遠くからやってきたお客が入り交じり、適当にゆったりと座って、太い田舎蕎麦をたぐっている。

食べ終わって寝そべっている客もいる。ものすごく気楽な雰囲気だ。

壁には、山形県知事や山形市長、上山市長の揮毫が額に入れて飾られている。私が高校時代に県知事だった我孫子藤吉氏の 「以和為貴 (和を以て尊しと為す)」 の書もある。こんないい字を書く人とは知らなかった。

出てきたのは、平清水焼き (多分) の四角い皿にたっぷりと盛られた、ひきぐるみ蕎麦粉十割の香り立つ蕎麦である。「あらきそば」 ほどには太くないが、それでも十分に太い。というか、ちょっと平たく切られているのが特徴だ。もしかしたら、「一松」 の別製そばは、この原口そばの影響で、あの平たい形になったのかとも想像した。

噛み応えのある蕎麦は、口の中にふんわりと蕎麦の風合いを広げる。のんびりといい気持ちにさせられる。なるほど、これなら、わざわざ遠回りをしても立ち寄る価値がある。これからはレパートリーに加えなければならないと思った。

山形の田舎蕎麦といえば、「あらきそば」 ばかりが有名だが、あるところにはあるものである。蕎麦好きは、是非両方を試してみるといい。


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2004/11/22

「満月」 のワンタンメン礼賛

同じ山形でも、酒田は蕎麦の街ではなく、ラーメンの街である。蕎麦屋もないではないが、魚介類が豊富すぎるためか、ツユのダシが効きすぎて、せっかくの蕎麦の香りを損なってしまうことが多い。

しかしラーメンでは、すっきりしてコクのある魚貝系スープが、俄然強みを発揮する。

酒田のラーメンで特徴的なのは、ワンタンメンである。高校時代には、単なるラーメンでは腹一杯にならないので、よくワンタンメンを注文していた。酒田のワンタンメンのワンタンは、とても薄く繊細にできていて、そのふわりと溶ける感覚が、コシのある麺とのコントラストで、絶妙の食感を生み出す。

東京のワンタンメンになると、そのワンタンはいかにも 「餃子の皮」 風でかなり興醒めになるのだが。

久しぶりで、「満月」 のワンタンメンを食した。以前からここのワンタンメンはうまいと思っていたが、さらに進化したその姿に、私は感動してしまったのである。

いろいろな具を入れてインパクトを強めたラーメンが全盛を極める中で、酒田のラーメンは、どちらかと言えば 「昔ながらの中華そば」 的な風情を強く残している。しかし、独特の魚貝系スープは、透明感があるすっきり味ながら、しっかりとしたコクがあり、「只者ではない」 感覚を与える。

その上、麺は 「酒田のラーメン屋の 8割は自家製麺」 というだけあって、よく研究されて微修正が効いている。多くは打ち終えたばかりの麺に向かって、合掌礼拝するそうである。心して食わなければならない。

そして、あの絶品のワンタンである。ラーメン好きなら、満月のワンタンメンを食うためだけに、酒田を訪れてもいいぐらいのものだ。

 

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2004/11/21

「一松」 の蕎麦礼賛

山形県は 「そば街道」 なんてものがあるので、うまいそば屋がさぞかし多かろうと思われているが、正直なところ、本当にお薦めのそば屋はそれほど多くはない。

私が帰郷する際に立ち寄るのは、村山の 「あらきそば」、西川町の 「一松」、酒田の 「弥右衛門」 ぐらいのものである。

今回は、国道 112号線沿いに月山街道を越えたので、西川町の 「一松」 に立ち寄った。午後 4時前だったので、店はがらんと空いていて、ご主人が一人で新聞を読んでおられた。

こうなると、ここのご主人はお話好きである。蕎麦談義に花が咲いた。このご主人、「一松」 の二代目で、先代は東京の浅草で修行をされたのだそうだ。道理で、この家のつゆは江戸前である。もっとも、このあたりでは蕎麦つゆのことを 「タレ」 というのが一般的なのだが。

ここの 「タレ」 は独特で、出汁をまったく感じさせないくせにコクがある。それは先代からの口伝のようで、「どんなダシを使ってるかわからないほど生臭さがなくて、蕎麦湯がスルッと飲める」 ものを理想としているという。確かに、その通りのものが供される。もっとも、以前の 「タレ」 はもっと辛かったそうだが。

ちなみに、この店のそばは、二八と、蕎麦粉十割の 「別製そば」 がある。このところ、ずっと 「別製」 にありついていたのだが、今回は時間が遅かったこともあって、売り切れていた。仕方なく 、二八そばをたぐる。二八は二八で、モチモチ感があってうまい。

そうしていると、「別製は一人前の量はないんですが、よかったら食べてください」 と言って、半人前ぐらいの量を盛って出してくれた。これはうれしいもてなしである。やはり、別製はすすった途端に口の中に広がる蕎麦の風味のレベルが違う。

こちらの蕎麦は、つゆが江戸前で、蕎麦は江戸前の上品なものと、田舎のぶっといものとのほぼ中間といった風情。別製はやや平たいのが特徴だ。ちょっとやんちゃな感覚を残しつつ、口に入れると本格的な味わいが広がる。私はあまり上品な蕎麦より、こういうのが好きである。

今回知ったのだが、ここの二代目は、本格的な板前修業をした経験があって、天ぷらを始めとする日本料理も本格的に作れるのだそうだ。だから、天ざるがお薦めという。

道理で、妻はここではいつも天ざるを食べるのだが、私にほんのちょっとの 「おすそ分け」 も寄こさない。ほかで天ぷらを食べると、自分では食べきれないので、「ちょっと食べて」 と言って、少しはこちらにもくれるのに、この店の天ぷらだけは、一人でさっさと食べてしまう。

「・・・ そういうことだったのか」
「今まで食べたどんな天婦羅屋さんのよりおいしいわよ。いつの間にか、全部食べちゃう」

何でそれを早く言ってくれないのだ。よし、次は私も天ざるを頼もう。

それから、ここに立ち寄るときはいつも車の運転をしているので、酒を飲めないのが残念なのだが、ここの酒はいいのが置いてあるようだ。ここのご主人は、お酒は飲めないそうだが、それだけに、味はわかるという。


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2004/11/20

「上喜元」

酒田に帰郷している。実家に着いたら 折りよくNHKテレビで山形の酒の特集番組が流れていた。

今年の日本酒品評会の金賞受賞は、山形県が最も多かったらしい。二番目が新潟だ。番組で特にフィーチャーされていたのは、酒田の 「小さな酒蔵」 である。

NHK だけに、酒蔵の名前は直接言及しないが、それが 「上喜元」 であることは明らかだ。私の子供の頃に住んでいた家のほど近くにある。

近頃 「上喜元」 がとてもおいしいと思っていたら、やはりそれなりの努力をしているのだった。努力は報われる。

今回、NHK に取り上げられたことにより、 「上喜元」 のブランド価値は否が応でも上がってしまうだろう。新潟があんなことになってしまったので、代わりの銘柄に何があるかということになると、これはかなりの注目を集めることになるかもしれない。

最近、酒田のおみやげにちょくちょく 「上喜元」 を買って帰っていたが、やはり目に狂いはなかったと満足してしまった次第。今回も買って帰ろう。

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2004/11/19

目黒区で猫の飼育ルール策定

目黒区が、東京 23区で初めて 「猫の飼育ルール」 なるものを策定した。昨年度までの 5年間で、ネコの被害や苦情が、およそ 2倍になったという事情があるらしい。

「人と猫が上手に共存するために、猫を世話する上で留意すべき一定の基準を示す」 ことが狙いという。

今回策定されたルールでは、猫を 「飼い猫」 と 「ホームレス猫」 に大別している。「飼い猫」 はさらに 「内猫」 と 「外猫」 に分けられ、またさらに 「外猫」 は 「出入り自由猫」 と 「庭猫」 に分けられる。「内猫」 以外は、「ノラ猫予備軍」 と規定されている。

「ホームレス猫」 は 「ノラ猫」 と 「地域猫」 に分類される。「ノラ猫」 が 「地域猫活動」 によって世話されるようになると、「地域猫」 になるらしい。

となると、ポイントは、「飼い猫」 の 「ノラ猫」 化を防止することと、不幸にして 「ノラ猫」 になってしまった猫を、地域猫活動によって、「地域猫」 化 するという次善の策ということのようだ。

「地域猫活動」 の要点はいくつかあるが、エサを与える行為のルール化と、不妊・去勢手術による繁殖防止が重要になるものと考えられる。とくに、「『かわいそう』で餌を与える行為は大間違い」 と強調している。

ところで、今月 16日の 「和歌ログ」 でも書いたのだが、私の利用する常磐線取手駅近くにも、「ノラ猫」 のたまり場がある。私は密かに 「キャット・アレイ」 (猫横町) と名付けている。

地元はさすがに糞尿被害で悩まされているらしく、猫にエサを与えないように呼びかける張り紙などがしてあるのだが、そんなものはどこ吹く風で、ビニール袋一杯の餌を持参して野良猫たちに与えている人が何人かいるようだ。

そんなに猫が好きなら、自分で飼えばいいのにとも思うのだが、そこまでの責任は負いたくないらしい。こうなると、動物愛護というよりも、わがままで無責任な行為に近い。目黒区がルール策定をしたのも無理からぬところである。

ちなみに、目黒区のルールに関しては、パンフレットの PDF 版をインターネットで見ることができるが、詳細は A4判 18ページの冊子を入手しなければ見られないようだ。これは区保健所生活衛生課 (総合庁舎本館三階) などで配布されているらしい。

願わくは、わざわざ足を運ばなくても、インターネット上で詳細まで見られるようにしてもらいたいものである。


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2004/11/18

米国の半分は申し訳なく思ってるらしい

"Sorry Everybody" (ごめんね、みんな) というサイトがオープンした。大統領選がブッシュの勝利に終わったことについて、反ブッシュの連中が米国民以外の市民に、ひたすら 「ごめんね」 と謝りまくっている。

米国って、こういう 「本気の冗談」 (冗談の本気?) があるから面白い。

トップページの冒頭には次のようなテキストが載っている。

Some of us ― hopefully most of us ― are trying to understand and appreciate the effect our recent election will have on you, the citizens of the rest of the world. As our so-called leaders redouble their efforts to screw you over, please remember that some of us ― hopefully most of us ― are truly, truly sorry. And we'll say we're sorry, even on the behalf of the ones who aren't.

下手な翻訳だが、こういうことだ。

私たちの中の幾ばくか − 願わくば大多数 − は、今回の選挙が、あなた方、米国以外の世界市民にもたらす影響を理解し、きちんと認識しようとしています。我々のいわゆる指導者たちが、あなた方を混乱させる所業を倍加させようとしていることについて、私たちの中の幾ばくか − 願わくば大多数 − が、本当に本当に申し訳なく思っていることを、どうかわかってください。私たちは、申し訳なく思ってない人の分まで成り代わって 「ごめんなさい」 を言います。

「ギャラリー」 では、10枚の写真が掲載されたページが、日本時間 11月 17日 午後 10時半現在、513ページもある。1枚の写真に 2人というケースもあるので、5,130人以上が登場しているわけだ。すべてが米国民というわけではなく、なかには世界中からのアンサー・メッセージもあるので、なかなか壮観である。

印象的なのは、「米国の投票者の 49%は、『彼』 に投票したわけじゃない」 「米国のほぼ半分は、今回の選挙の結果を申し訳なく思ってる」 というアポロジー (言い訳) が多いことだ。なるほど、考えてみると、米国の半分をほんのちょっと上回っただけの 「意志」 が世界を動かすというのは、ちょっと空恐ろしいことだ。

ケリーは敗北宣言の中で 「今、国が二つに割れている。それに対して我々は真剣に何かやらないといけない」」 と述べたと伝えられるが、まさにそれを感じる。荒くれ男とスノブの、相容れない要素が米国の中でせめぎ合っているように見える。

このサイトで謝りまくっている人のメッセージが、すべて 「素敵」 というわけではない。中には悪趣味なのもあるが、いくつかはとても誠実なもので、心を打つ。ぜひご自分でそうしたメッセージを探してみていただきたい。

このサイトのロゴマークは世界地図を表しているのだが、米国流の世界地図ではないというところが注目だ。米国の世界地図は、アメリカ大陸が真ん中にあって、ユーラシア大陸の東半分が左側、西半分とアフリカが右側に描かれている。

しかし、このロゴマークの世界地図は、アジアが右側にあり、アメリカ大陸が左端にある。東洋が右、西洋が左という単純な理屈に沿っているわけだ。少なくとも、米国のエゴを否定したコンセプトを強調しているように見える。


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2004/11/17

コストの構造

昨日神戸に出張し、日帰りできるものと踏んでいたのだが思いのほか長引いて、大阪まで戻って泊まりになってしまった。

心斎橋近辺のビジネスホテルはなぜか満室が多く、4軒目でようやく泊まれた。シングルが満室のため、ダブルで8,000円超。今どき、高い泊まり賃についてしまった。

そもそも私は、出張先で泊まるホテルにこだわらない。どうせどこかで一杯やって、夜中に戻って寝るだけだもの。よっぽど汚いとか、空調が故障しているとかいうのを除けば、たいていのことはあまり気にならない。

しかし、昨夜は一緒に仕事をした大阪のパートナーが、一滴も酒を飲めないという正真正銘の下戸なので、一杯やってホテルに入るというわけにもいかず、妙に目が冴えてしまった。

晩飯は、彼のお奨めの回転寿司である。「かっぱ寿司」 とかいう店だ。「関東にもありますか?」 と聞かれたが、あまり覚えがない。(追記: 実は、全国展開と、後から知った)

その 「かっぱ寿司」 に入って驚いた。ものすごい広さである。小学校の体育館ぐらいの広さの店内に、細長い 「シマ」 がいくつか並んでいて、それらの片側がつながっており、寿司が長い旅路を延々と回っている。そして、値段はすべて 100円 (税込 105円)。さすが大阪で、この値段でも、けっこう許せてしまう味だ。

若い頃なら大喜びで 15皿ぐらい食っただろうが、この歳になると、いくらがんばっても 2桁には達しない。大の大人が二人で晩飯を食って、領収書の金額は 2,000円にならかった。これじゃあ、かえって税務署が怪しむかもしれないじゃないか。

というわけで、ホテルでバタンギューというわけに行かなかったので、それなりにきれいで、バスタブもちゃんとした大きさの部屋というのは、さすがにありがたかった。

晩飯代と宿泊代をトータルで考えれば、普通の出張のレベルという結果に落ち着いたわけだ。どこかでコストがかかっても、よく考えると、ほかのどこかで浮いていたりする。ありがたいことである。


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2004/11/16

IT企業の成熟度

私はカタカナ言葉は嫌いではない。どちらかといえば、自分でもよく使う方だ。

「コンセプト」 や 「アイデンティティ」 などは、「概念」 「自己同一性」 などと言い換えるより、カタカナのままの方がよくわかる。「蹴球」 よりも 「サッカー」 の方がピンとくるのと同じことだ。

「サッカー」 そのものを知らない人にとっては、「蹴球」 と言い換えられたところで、「球を蹴る」 という以上のことは、結局はわからない。それと同様に、「アイデンティティ」 という近代的概念をわからない人には、「自己同一性」 と言い換えたところで、結局はその意義は通じない。

しかし、カタカナ言葉をのべつ幕なしに使うのは 「勘弁してよ」 と言いたくなる。IT 関連企業の CM なんかに多い。そうした CM の訴求は 「意味」 ではなく 「雰囲気」 だけのものになりがちで、それは、IT 企業そのものの存在意義に反する。いや、あるいは現状の IT 企業の多くは、実は 「雰囲気」 しか売っていないのかも知れないが。

「アップデートなビジネスシーンのソリューションをサポートする」 だの 「オフィス・ネットワークのあらゆるニーズに応えるトータル・ファシリティ」 だのと、ステロタイプの典型みたいなコピーを並べられても、効果としてはほとんど何も言っていないのと同じである。

上滑りになるだけで、結局は企業名しか残らない。いや、その企業名だってそれほど明確に記憶されるわけではない。それなら、球団買収に名乗りを上げてみる方が、ずっと効果がある。

こうしてみると、IT 業界というのはプロ野球を買い占めるほどの規模に成長したとはいえ、業界としての成熟度はまだまだだということがわかる。顧客が本質的に何を求めているのか、いかに訴求すれば効果的なのか、まださっぱりわかっていない。

自分のサイドの日進月歩に追いつくのがやっとで、それをどう編集して提供すればいいのか、明確に理解していない。どうしても自分勝手なマーケティングになりがちだ。

今後はマーケティングと広報宣伝の分野で 「まともな」 企業努力をしなければならないだろう。


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2004/11/15

住基ネットの脆弱性

朝日新聞の記事によると、長野県が昨年実施した住基ネットの侵入実験を担当したイショビ・ヌワー氏のスピーチが、総務省の難色によって中止になったという。

スピーチを予定していたイベント "PacSec" に総務省も後援しているため、ちょっとしたプレッシャーになったようだ。

住基ネットに関しては、反対しなければ人にあらずみたいな風潮があるが、実は私は反対ではない。しかし、両手をあげて賛成しているわけでもない。慎重に運用してくれなければ困るというレベルの容認派である。

住基ネットの取り扱う情報は、実はそれほどものすごいものではない。氏名、住所、生年月日、性別の 4項目だけとされている。この程度の情報ならば、既にどこの家でも家族揃って日本中にバレバレである。

頻繁に舞い込むダイレクトメールをみれば、いかにプライバシー情報が日本中に流通しているかわかる。クレジットカードや英文雑誌の案内は引きも切らないし、娘が成人式直前になると、着物屋から何通もの DM が届く。高校卒業を控えた子どもには、予備校や自動車教習所からの案内が殺到する。

いまさら、こんな 4項目がどうのこうのと言っても、すでに遅い。それどころか、出身地、出身校、学歴、職種、勤務先などに至るまで、かなりのプライバシー情報があちこちで取引されている。今さら年齢や性別がバレたたところで、痛くも痒くもない。

とはいえ、こうした情報に簡単にアクセスされては困る。というのは、住基ネットがこれら 4項目の情報だけで完結するはずがないからである。たったそれだけのために、手間暇かけてこんなシステムを作るわけがない。

行政は近い将来、その他の多くの個人情報とリンクさせて事務効率化を行いたい意向だろう。いや、それは既に着々と進行しているに違いない。そうなると、住基ネットに進入して、そのちょっと先まで辿っていけば、かなりのプライバシーが漏洩することになる。それは決定的に危険だ。

総務省はヌワー氏の発表資料を見て、「住基ネットと庁内 LAN を混同している。脆弱性を具体的に示すおそれがある」 とコメントしたという。これは、新聞記事経由なので正確性、具体性に疑問があるが、文字通り受け取ればわけのわからないコメントではある。

「住基ネットと庁内 LAN を混同している」 というが、庁内 LAN を通じて住基ネットそのものにアクセスできなければ意味がないのだから、「一体」 として捉えるのは妥当である。それを 「混同」 と言うのは、詭弁に近い。

「脆弱性を具体的に示すおそれがある」 というコメントにいたっては、「おいおい、大丈夫だろうな」 と言いたくなる。具体的な脆弱性が判明しているのなら、隠してないで、さっさと改善しろよ。

本質的な問題は、日本中の区役所、市役所、村役場にいたるまで、こんなシステムを一挙に採用させようとしていることである。私はこれだけのシステムを、庁内 LAN とのネットワーク運用にいたるまで、日常的にお茶の子さいさいで正しく取り扱える人材が、日本中のどこの役所/役場にも配備されているとは考えていない。

きちんと整備できた部分から段階的に導入すべきだったと思う。


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2004/11/14

「無明」 と 「罪」

仏法では 「知って犯す罪より、知らずに犯す罪の方が重い」 とされていることに関連して、私はこのコラムで 2度ほど書いている。(参照 1参照 2

私は 2度にわたって 「知らないということ、そのこと自体が罪なのだ」 と主張しているのだが、もう少し掘り下げてみよう。

このことについての、釈迦と弟子の問答は、次のようなものだったと伝えられる。

弟子 「知って犯した罪と知らずに犯した罪とでは、どちらが重いでしょうか?」
釈迦 「お前はどう思うか?」
弟子 「知って犯した罪の方が、悪いと知りながらやったのですから、重いに決まっています」
釈迦 「いや、知らずに犯した罪は、知って犯した罪の百倍も重い!」
弟子 「どうしてでございますか?」
釈迦 「知って犯した罪には自ずと限度がある。咎められれば反省し、悔い改めることもできる。しかし、知らずに犯す罪には限度というものがなく、咎められても、本人に悪いことをしている自覚がないから、反省に到らない。反省できなければ悔い改めることができず、際限なく罪を犯してしまう。無明 (むみょう = 煩悩に覆われて道理のわからない状態) ほど罪深いことはないのだ」

要するに、お釈迦様は 「無明」 が最大の罪だとおっしゃっているのである。「だってしかたないじゃない、知らなかったんだもの!」 という言い訳は通用しないと説かれているのである。見ようによっては、非常に厳しい教えである。

それでは、人間は 「悟り」 を得て 「無明」 から脱却するまでは罪深い存在なのかという疑問に突き当たる。キリスト教では、「原罪」 というコンセプトを重視している。人間は元々罪深いものであり、だからこそ、キリストによって救われなければならないということになる。

東洋的なコンセプトは少し違うように思われる。釈迦が 「山川草木国土悉皆成仏」 と言われたように、すべてのものは既に 「仏性」 を宿しているのである。悟って初めて仏になるのではなく、本来備えている内在の仏性を自覚することが 「悟り」 である。持ち合わせないものを外から持ってくるわけではない。

元々持ち合わせているものを自覚しないことが 「無明」 である。釈迦は理不尽なことを説いているわけではない。本来の姿に立ち返りさえすればいいだけなのに、それをしない怠惰が 「罪」 だというのである。

ならば、「本来の姿」 とは何なのか? そこに立ち返るまでは 「罪」 から抜け出せないのか?

禅宗では、「ただ座ること、その座っている姿が、仏の姿なのだ」 と教える。「無明」 を否定すること、その心の方向性に、仏は宿る。「だって、仕方ないじゃない、知らなかったんだもの」 と言うのではなく、「すべて己の責任である」 と引き受ける心の方向性。そこに仏が宿る。

[H17.12.9 追記]

「本来の姿に立ち返る前の 『無明』 の状態」 を指して、キリスト教では 「原罪」 というのかもしれないな。

 

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2004/11/13

「リサーチ」 の裏側

昨日新宿で少々空き時間ができ、スタバを探していたところ、市場調査への協力を呼びかけられた。

以前にも応じて、謝礼に 500円分の図書券をもらったことがあったので、時間的にもちょうどいいし、気軽に応じてみた。ある商品のパッケージに関する調査だという。

この種の調査は、たいていすぐそばのビルの会議室かなんかに案内され、そこでいろいろなもの (既に掲載された新聞広告、試作品段階の商品デザイン、パッケージデザイン等々) を見せられて、それに対する率直なイメージや感想を聞くということになる。

今回のは、焼酎のパッケージ (紙パック) のイメージを調査するというもののようだった。3つほどの試作品を別々に見せられて、それぞれに関して、どんなイメージが浮かんだかを率直に答える。

とはいえ、回答の選択肢は既に用意されている。「さわやかな感じがする」 とかいう設問に、"「そう思う」 「どちらかといえばそう思う」 「どちらとも言えない」 「どちらかといえばそう思わない」 「そう思わない」" といった 5つから選ぶことになる。

回答の選択肢がなくて、自由に答える設問に関しては、こちらが率直な回答を述べると、「それはカラー・イメージから来てますよね」 などと、調査する側の分析に都合のいい回答に勝手にアレンジして書き込まれる。「そうとも言い切れないんだが」 と思っても、面倒だから、「まぁ、そうです」 ということにする。

3つの試作品を見せられると、パッケージをデザインした会社がどれを 「イチ押し」 にしているかが、自然にわかる。そのデザインだけがきちんと力が入っていて、「多くの人は、これに一番好感を持つだろうな」 と思わせられる。

他の 2つは、「デザインは悪くないけど、商品イメージからはちょっとズレるよね」 と、「安っぽいよね」 ということになりそうだ。というか、「どうぞ、そう思って下さいね」 というメッセージをありありと感じる。要するに、ほとんど誘導尋問である。

多分、「どれが最も好感を抱かれるか」 という調査結果は、3つの試作品で、65 : 25 : 10 ぐらいの割合になると想像される。商品イメージとは無関係に自分の好みだけで選ぶ人が 25%ぐらいいて、残り 10%は安っぽいものの方に逆に親近感を感じてしまうという人だろう。

この 「リサーチ」 の結果は、もっともらしい数表とグラフにまとめられて、クライアントに提出されるのだろう。最終的な選択結果は、初めから明らかだ。

初めから 「これに決まり」 という筋書きはできているのだが、 「市場調査の結果、好感度の高いのは "こちら" になっておりますが・・・」 という提案の仕方で、クライアントには一応 「最終選択の権利を行使した」 という気にさせるわけだ。

要するに、クライアントは本当はあまり意味のない 「アリバイ作り」 みたいな 「リサーチ」 のコストまで負担するわけである。おかげで、私は今回も約 30分ほどの空き時間を提供して、500円分の図書券をいただくことができた。焼酎会社さん、ありがとう。


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2004/11/12

義援金詐欺が出てきた

「やっぱり出てきたか」 という気がする。中越地震の義援金を募るという名目で、虚偽口座に入金を求めるメールや葉書が横行しているらしい。(参照

当サイト (「知のヴァーリトゥード」)でも 「新潟県対策本部への義援金送金方法」 というリンクをはっているが、これは信用してもらってもいい。

当サイトでリンクしているのは、何しろ新潟県庁自身が義援金を募っているサイトだから、間違いない。この情報で誰かが送金してくれたとしても、直接新潟県の対策本部の口座に入金されて、私のところには一銭も入らないのだから、安心していただきたい。

私が自分のサイトでこのリンクをはろうと思い立ったのは、ほかにもいくつか義援金を募るというサイトがあるのを見たためである。そのほとんどは、多分本当に善意のサイトだと思うのだが、それでも、やはり 「本当に大丈夫かなあ」 と思えるものがあった。

「全力ブログ」 というサイトでも、この問題について真面目に論じてくれているので、ご覧頂きたい。(参照)まともに考えれば、当事者である新潟県の対策本部に直接送るのが当たり前の筋なのに、わざわざ 「俺がまとめて送金してやる」 みたいな名乗りを上げること自体が、妙と言えば妙なのである。

それならば、義援金を送りたいと思っている人に、本当に信用できる送金先の情報を提供することで、少しは世の中の役に立てるかもしれないと思ったわけである。私自身も、それほど大金というわけではないが、思い出す度に送ろうと思っている。


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2004/11/11

顧客サービスの 「フェア」 と 「アンフェア」 の境界

Reiko Kato さんの日記 「晴れの日もある」 にコメントして、妙なことを思い出してしまったので、それを書く。

彼女は ちりんさんの Blog の記事 に対するアンチテーゼとして、「顧客サービス」 が時として 「アンフェア」 なものになってしまうことについて、警鐘を鳴らしておられる。

1980年代の終わり頃、バブル直前のことだが、某社の創立何十周年記念だかのパーティに出席した。私は当時、業界紙の記者をしており、その関係で何名かの記者仲間と共に招待を受けたのである。

そのパーティの受付では、なにやら番号の書いてある抽選券が配られた。受付の女の子によると、パーティの最後で抽選会が予定されていて、「豪華景品が当たるので、お楽しみに」 ということだった。(景品はすべて、その会社の商品だった)

パーティの最後でいよいよ 「抽選」が始まり、マーケティング部長だったかが、ステージ上で箱の中に手を突っ込み、番号の書いてある玉を引っ張り出して、その 「当選番号」 を次々に読み上げた。その番号の印刷された抽選券を持っている人が、「当たり」 で、指定の景品を受け取ることができるというわけだ。

最初は記者仲間と 「当たったらどうしよう」 なんて冗談を言い合いながら、自分の手にした抽選券の番号をチェックしていたのだが、どうも様子がおかしい。当選者が 4~5人出たところで、その 「抽選」 とやらの正体が見えた。当選しているのは、その会社の得意先の取締役クラス、要するに、当日の VIP だけなのである。

どうみても、その抽選は 「操作」 されていて、景品は初めから VIP にしか当たらないようになっているのであった。

抽選は次々に行われ、ステージ上では 「当選」 した VIP が、その会社の社長から手渡される景品を、満面の笑みを浮かべて受け取っている。

我々プレス関連の出席者は、かなりしらけてしまった。決して景品にありつけなくてがっかりしたというわけではない。それは、「抽選」 と偽った 「見え見えの猿芝居」 に付き合わされたことへの不快感である。

景品を進呈する対象が初めから決まっているのなら、抽選券は最初から VIP だけに配ればよかったのである。一般参加者にまで配っておいて、実際の抽選では当選対象から除外してあるというのでは、あまりにも不細工な 「やらせ」 である。

あの時、「抽選に当たった」 ということで景品を贈呈された VIP の中にも、そのアンフェアさに気付いた人もいたに違いない。そして、気付いていながら景品を受け取ることに、何らかの不興を感じた人もいるだろう。(いなかったとしたら、日本の経済界の将来は暗い)

我々にとっても、そのパーティの効果は企業の 「アンフェアな体質」 を印象づけるだけのものとなってしまったのである。

顧客サービス分野の流行り言葉となっている CRM (カスタマー・リレーションシップ・マネジメント) は、ぶっちゃけた話でいえば、重要顧客へのサービス集中化、つまり、上得意の 「囲い込み」 である。もっとはっきり言えば、顧客をランク付けし、「差別待遇」 することである。

それをするなら、初めからそういうこととアナウンスした上でやればいい。「当店でお買い物をすればするほど、特典が付きます」 というやり方だ。それならそれで、決して 「アンフェア」 というわけではない。

しかし、「抽選」 という、いかにも 「単純に公平」 であるべき手段を装って、実は裏で 「やらせ」 をしているのでは、それがバレれしまった時には、企業の 「アンフェア」 な体質を自ら喧伝したのと同じ効果を生むのである。

「上得意」 にサービスを集中したいのなら、それなりのメソッドでやるべきである。「抽選」 を装ってそれをやるのは、当人たちの思惑は何であれ、結果的に 「アンフェア」 である。それで恩典を受けた 「当選者」 は、知らぬうちに 「共犯関係」 を結ばされたようなものである。


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2004/11/10

007のロケ誘致

香川県と北海道登別市が 『007 赤い入れ墨の男』 のロケ誘致に署名運動を展開したそうだ。この小説には、北海道と香川県が舞台として登場するらしい。

そりゃあ、007シリーズの映画に登場すれば、国際的に観光誘致ができるだろうから、ロケ誘致する気持ちもわかる。

とくに香川県の方はとても熱心で、署名活動の主催は 「007を香川に呼ぶ秘密情報部」 と名付け、その責任者は 「部長 M」 というなどの悪のりぶり。そして実際の署名活動に携わるスタッフは 「署名エージェント」 と称して一般募集したたもののようだ。(参照

ロケ誘致のプロモーションビデオまで作るという、どっかの広告代理店的な手法で大々的に活動を行ったようである。登別も、香川ほどではなかったが、署名活動を展開したようだ。

そして、このほど映画会社に署名簿とプロモーションビデオを送りつけたというのだが、その返事は、「残念ながら、『赤い入れ墨の男』 の映画化は予定していない」 という腰砕けのものだったらしい。おいおい、そりゃフライングもいいとこだったのではないか。

ロケ誘致をするよりもまず、小説の映画化促進を働きかけるべきだったのではなかろうか。これじゃあ、影で動いた広告代理店だけが丸儲けして、終わりというお話じゃないか。(広告代理店を使ったとすればの話だが)

まぁ、署名運動を展開するうちに、郷土愛が強まっただろうから、よしとするか。


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2004/11/09

「ワンマン」 と 「傲慢」

業界紙記者としてのキャリアがあるので、「ワンマン」 と言われる経営者は何人も見てきた。その上で言うが、「ワンマン」 は必ずしも悪いことではないと思う。

しかし、それは中小企業レベルまでで、上場企業クラスになると、「ワンマン」 は 「傲慢」 の同意語に近くなるようだ。

中小企業のレベルなら、ワンマン社長でも社内の末端まで目が届く。社外との付き合いも、まんべんなくできる。聞く耳さえ持てば、周囲の率直で忌憚ない意見を直接聞くこともできる。とくに、創業者は 「聞く耳」 を持つ人が案外多い。

大企業となると、一人の経営者が隅から隅まで見ることは不可能で、ましてや社外との付き合いなどは、ほとんどちやほやされるだけになるから、如何に 「聞く耳」 を持つかが大切だ。

あるいは、当人は 「聞く耳」 を持っているつもりでも、実は都合のいいことしか聞いていないというケースも結構あると思う。「耳が痛い」 諫言でも、謙虚に聞ける人は立派である。

某野球チームの親会社のオーナー (役職は退いても、実質的にはオーナーに変わりない) などは、率直な意見の伝わってこない地位に座りすぎたのだろう。二代目経営者の陥りやすい罠だ。

二代目社長というのは、中小企業でも、ややもすると 「傲慢」 になりやすい。それだけに、大企業のような、家業のような、妙な会社で二代目社長の地位につくというのは、なかなか難しいものなのかも知れない。

遙か昔、大学を卒業する時期に、「西○だけには行くな。あそこは公私混同で、社長の家の墓守までさせされる。それを喜んでやらないと、出世できない」 と言われた。本当か嘘か知らないが、いかにもありそうな話だと思った。

例の親会社は、利益が出るとその金で土地を買い占めて赤字にして、税金をほとんど払わずに済ませてきたらしい。「日本中の土地を買い尽くしたら、ようやく税金を払うだろう」 なんて言われていたのだが、その前に、土地の値下がりに耐えきれなくなってしまった。

いい時は飛ぶ鳥を落とす勢いでも、こんな状態になると、味方は誰もいなくなってしまう。淋しいものである。

田中角栄などは、あれだけ毀誉褒貶が激しくても、死ぬまで味方がいた。「ワンマン」 ではあっても、紙一重で 「傲慢」 ではなかったのかもしれないと思う。


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2004/11/08

まだ新札にお目にかかっていない

今月 1日に新札が発行されたらしいのだが、私の手元にはまだ 1枚も舞い込んでこない。財布の中は相変わらず、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石のトリオである。

ところで、この新札発行の目的の一つは、贋札の防止にあるという。最近は贋札作りがとても容易になっていたらしいのだ。

最近の贋札の特徴は、千円札の急増にあるという。以前の贋札は、圧倒的に一万円札が多かった。それは、贋札作りそのものがかなりの高等技術だったため、1枚あたりの利潤 (と言っていいのか?) の高い一万円札でもなければ、リスクとコストに見合わなかったもののようだ。

ところが、最近は PC を利用したカラー印刷が飛躍的に発展してしまったため、贋札作りが簡単にできるようになってしまった。そのため、コスト回収のために無理して 1万円札を作ることもなくなったというわけだ。千円札ならば、自動販売機で釣り銭を稼ぐという手法が可能なため、店員のチェックを通さずに悪事が働けるので、リスクが減る。

そんなわけで、最近の贋札作りは相対的に低リスク低リターンの犯罪に堕落してしまい、昨年は発見された贋札 25,000枚のうち、75%が千円札だったという。要するに、贋札作りは 「ちゃっちい犯罪」 に堕落してしまったわけだ。

とはいえ、贋札作りが重大な犯罪であることに変わりはない。罪の重さに関しては、偽一万円札だろうが偽千円札だろうが、同じである。

それだけに、今回は国家の威信にかけた高等技術を駆使して、贋札作りを再び困難なものにしてしまったのである。少なくとも、コストだけは再び高いものにつくようなった。

ということは、よく考えてみれば、本物のお札を作るにも、これまでよりコストがかかるということだろう。本物を作るのにこれだけ手をかけてしまったら、お金の価値が増してますますデフレになってしまわないだろうか?(それはないか)

それよりも、取り敢えず、早く新札を手にしてみたいものである。


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2004/11/07

裁判所を悪用した架空請求にご注意

私の所にも、これまでに何度か架空請求のメールが届いたことがあるが、当然にも相手にしないで放っておいた。

しかし、最近は簡易裁判所の 「支払督促制度」 や 「少額訴訟」 の悪用で、放っておくと有効になってしまう架空請求があるらしい。うっとうしい世の中になったものだ。

これについては、毎日新聞が触れている (参照)。いずれにしても、架空請求をする悪徳業者が、実際の裁判所で所定の手続きを行うと、謂われのない請求が裁判所の名前で届くらしい。それをそのまま放置しておくと、インチキな債権でも有効との処理がなされてしまい、請求を受け取った者に 「債務」 が生じてしまうというのだから、見過ごせない。

法の抜け道を巧妙についた悪徳商法である。そもそも、裁判所が 「債権者」 のいいなりに、よく確認もせずに 「債務」 を認定してしまうということが問題だ。とはいえ、いちいち確認作業を行っていたら、裁判所の業務が滞ってしまうだろう。いやな話である。

今後、このような手口が増加してしまったら、いちいち 「異議申し立て」 だの 「口頭弁論」 だのをしなければならないのだから、それも大変な手間である。なんらかの対策を講じなければならないだろう。

こうした悪徳業者が裁判所を悪用する手口は、放っておけば国家的浪費になる。異議申し立てによって、請求を無効とするだけでなく、謂われのない請求に裁判所を悪用するという手口そのものに対し、重罪を適用するような法的運用を図らなければならないと思う。

それにしても、馬鹿馬鹿しくも面倒な犯罪である。裁判所からの請求が来たら、取り敢えず無視せずに、異議申し立てを行うことが必要のようだ。


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2004/11/06

飛行機の計器の不具合

昨日、高知から帰ってきたのだが、ANA の便がちょっと遅れてしまった。「計器に不具合が発生」 したためという。

高知空港で離陸15分前に搭乗したのだが、飛行機がいつまで経ってもゲートから離れない。どうしたのかと思っていると、機長からのアナウンスがあった。

計器に不具合が発生しているので、離陸できなくなっているという。最近の運行機器は電波などの影響に非常にデリケートなものが多いので、乗客の中に、携帯電話のスイッチを入れっぱなしの人がいたら、すぐにスイッチを切ってもらいたいというのである。

私は確かに搭乗直前に自分の携帯電話のスイッチを切った憶えがあるのだが、一応念のため確認してみた (もちろん、スイッチは切れていた)。しかし、周りの団体旅行のおばさんたちは話に夢中で、誰一人として確認してみようなどという人はいない。おいおい、大丈夫だろうな。

スチュワーデス (最近は何たら言うらしいが、忘れた) が通路を廻って 「恐れ入りますが、携帯電話のスイッチをご確認ください」 と言うのだが、まったく無視だ。もしかしたら、誰も携帯電話を持っていないだけかもしれないが、今時、その可能性はとても低いだろう。

単なるポーズでもいいから、少しは確認するフリだけでもしてみせれば、お互いの精神衛生のためにもいいのに。

しばらくしてようやくゲートから離れかけたが、すぐに停止し、「再び計器に不具合が発生しましたので、ゲートに引き返し、調整作業を行います」 という。この調整作業をしている間も、携帯電話のスイッチは切ったままにしておくようにと要請された。

調整作業は15分ぐらいで終わったらしい。機は30分遅れで高知空港を飛び立った。途中は何事もなく、富士山もきれいに見えて、羽田に到着した。

しかし、私はいつも思うのだが、飛行機の乗客全員が、搭乗中に自分の携帯電話のスイッチをきちんと切っているとは思われないのである。コンサート会場でも時々けたたましい着メロが鳴り響くぐらいだから、多分、飛行機の中でも、何名かはスイッチを切り忘れたまま目的地まで着いているだろう。それでも、普段は問題なく飛んでいる。

一人や二人の携帯電話の電波の影響で計器に不具合が生じているという状態ならば、一時的に直ったとしても、飛行中にいつまた不具合が生じないとも限らないという気がする。最初の不具合が生じた段階で、迷わず調整作業に入っていてくれたら、時間もそれほどは遅れなかったし、信頼性も増したと思うのだが。


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2004/11/05

土佐の高知のはりまや橋で

出張で一年ぶりに高知に来ている。一泊で、今日の昼前には帰りの飛行機に乗るというあわただしさだ。

高知といえば、「はりまや橋」 である。これは 「日本三大がっかり名所」 の筆頭と言われている。二番目は札幌時計台とする説が有力で、残る一つは諸説ある。

巷間挙げられるのが、沖縄の守礼の門、名古屋テレビ塔、京都タワー、日光東照宮の眠り猫というあたりである。私は守礼の門以外は踏破したが、なるほど、見事ながっかり度である。

とはいえ、札幌時計台は周囲がビルだらけになったために、その比較上がっかりさせられるのだが、なんとなく雰囲気はあるので、あまりに 「がっかり」 を強調するのは、私としては気の毒なような気もしている。

日光東照宮の眠り猫は、そのがっかり度でいえば圧倒的なものがある。しかしそれを取り囲む東照宮自体が、ケバイといえばケバイが、その歌舞伎趣味は、私としてはどっちかといえば好きなので、招き猫まで許してしまう。桂離宮の 「侘びさび」 だけを誉めていればいいというものではないのだ。

残る名古屋テレビ塔、京都タワーは、まぁ確かに 「がっかり」 だが、その拍子抜け要素に注目すれば、この二つは 「はりまや橋」 の足元にも及ばない。

はりまや橋というのは、まず、一見すると橋でもなんでもないのである。昔はここに堀川が流れ、橋があったらしいが、今は繁華街の交差点になっている。昔懐かしいチンチン電車が走っているあたりは風情があるが、それだけのことだ。

harimayabashi.jpgしかし、問題はそれからで、その交差点を少しはずれたところに、とってつけたような橋があるのだ。あまりにも 「がっかり」 と言われたためか、平成 5年に 「はりまや橋公園」 として整備され、江戸時代のはりまや橋はこんなだったろうかというイメージをもとに、小さな橋を作ってしまったのである。近くには、「坊さんかんざしの像」 まである。

これにより、"「がっかり」 を取り繕おうとして、ますます 「がっかり度」 が増した" などと言う人もいるくらいなのだが、私としては、ここまでくれば話題としてはおもしろいということで、賞賛したい気持ちにまでなるのである。

それでなくても、高知はとても好きな土地で、今回宿泊したホテルは、「黒潮温泉龍馬の湯」 という天然温泉まで付いているので、大変満足した次第である。


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2004/11/04

携帯電話の運転中への対応

運転中の携帯電話の使用が罰則の対象になった。当然と言えば当然である。

正直なところ、以前は運転中でもかかってくれば応答していが、最近では停車してから出るようにしている。ただ、高速道路ではそれも無理で、着メロが鳴り止むまで待つのは、ちょっとしたストレスだ。

仕事で携帯電話を使っていると、かかってきたらすぐに応答しなければならないような、強迫観念に似たものがある。私はビジネス、家族、友人と、発信元によって別の着メロが鳴るように設定しているのだが、仕事関係だけでなく、家族からの着信でも、「何かあったのか」 と、出ないではいられないような気持ちにさせられることがある。

しかし、思い返してみると、すぐに出なければ取り返しのつかないほどの損失になるような、それほどまでに重要な用件の着信なんて、実はそれほどはない。どこかで停車して、こちらからかけ直せば大抵は事足りる。そう割り切らなければならない。

以前使っていた Docomo の携帯電話には、「ドライブモード」 というのがあり、設定すると、「ただ今、運転中のため…」 という応答メッセージが流れる。au でも似たようなマナーモード設定ができるらしい。なるほど、便利な機能である。

調べてみると、現在使用している Vodafone にも、「運転中モード」 というのがあるようだ。マニュアルをみると、"1413" をダイヤルするだけで設定できるという。Docomo の "14151" より短くて覚えやすいではないか。

さっそく、今日実際に車に乗る前に "1413" にダイヤルしてみた。しかし 「運転中モード」 の設定はできず、「こちらは Vodafone です。おかけになった電話番号は現在使われておりません」 というアナウンスが流れてくる。これは一体どうしたことだ?

帰宅してよくマニュアルをみると、このモードは 「北海道/北陸/九州・沖縄/東北・新潟/中国/四国地域でご契約のお客様のみご利用いただけます」 と書いてある。どうも関東と関西の利用者は門前払いのようなのだ。何故に、そんな差別待遇をするのだ。関東と関西にだって、車を使わなければ人間らしい暮らしのできない田舎があるというのに。

罰則強化に伴い、「運転中モード」 あるいは 「ドライブモード」 というのは、必要不可欠な機能になったと思う。ぜひ、関東、関西でもサービスを開始してもらいたい。さらによく考えれば、「電車乗車中モード」 というのも欲しい。

わけのわからない機能をてんこ盛りにするよりも、こうしたサービスをきっちりと充実させてもらいたいものだ。


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2004/11/03

下調べもせずに

昨日の昼過ぎ、ちょっと信じられない道の聞き方をされた。

常磐線取手駅から近くに借りている駐車場に戻ろうとして、国道 6号線に差し掛かると、目の前に BMW の高級車が止まった。運転席にいるジャージ姿のオッサンが、道を聞きたいという。

どこまで行きたいのかと思ったら、
「成田インターに行きたいんだけど、どう行ったらいいんですか?」 という。
「・・・ 成田インター?」
「うん、急に成田インターに行かなきゃいけなくなったんだけど、道がわからなくて・・・」
助手席では奥さんらしきオバサンが、呑気そうな顔で 「済みませんねぇ」 と会釈している。

このあたりの地理に詳しくない方のために、一応説明させていただくが、茨城県の取手から千葉県の成田までは、道のりにして 50キロぐらいは確実にある。「そこの四つ角を右に曲がって、3本目を左」 といった案内で済むようなレベルではない。あの地点で 「成田インター」 への行き方を聞くというのは、はっきり言って、かなり素っ頓狂である。

譬えて言えば、東京の品川あたりで 「鶴岡八幡宮はどう行ったらいいんですか?」 と聞くようなものだ。あるいは、大阪の心斎橋あたりで、「有馬温泉の龍泉閣にはどう行ったらいいんですか?」 と聞くような感覚である。

鶴岡八幡宮に行きたいのなら、まず鎌倉に行かなければならない。有馬温泉の龍泉閣に行きたいのなら、まず、六甲山を越えなければならない。同様に、成田インターに行きたいのなら、少なくともまず、成田市のごく近くまで行かなければならない。道を聞くにも聞きようがある。

「何十キロもありますよ」 と言うと、「はぁ、そうですか」 と言う。甚だ心許ない。
「取り敢えず、あの橋を渡って利根川の向こう側に行って、それから左に曲がって、利根川沿いに延々と行って、国道 408号にぶちあたったら右折して、また延々と行くと、成田市に入るので、そこで聞いてください」

それでも、なんだかきょとんとしている。本来なら、こっちがきょとんとしたいのだが。
「とにかく成田まで行かなきゃ、こんなところで 『成田インター』 なんて言っても、これ以上説明のしようがないよ」
相手は 「はぁ、わかりました。済みません」 と言うと、パワーウィンドウを上げて走り去った。

あんなんで、本当に大丈夫だろうか。日のあるうちに辿り着けただろうか。間違って箱根あたりまで行ってないだろうか。

普通の神経で言えば、一応道路地図で目星を付けて、成田市に達してから、初めて 「成田インター」 への道を聞くだろう。いや、まともに道路地図さえ調べれば、人になんか聞かなくても、苦もなく行けるところである。

そうした下調べもせずに、道路地図も持たずに、「人に聞けば何とかなるだろう」 ぐらいのつもりで闇雲に国道を走ってきたというのなら、半ズボンでイラク入りした青年と、メンタリティとしては五十歩百歩ではないか。こういう人は、本当にいるものなのである。それがわかっただけでも収穫だ。


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2004/11/02

米国産牛肉を食うか?

TBSラジオ 「森本毅郎のスタンバイ」 で 「アメリカ産牛肉輸入再開されたら食べる? 食べない?」 というアンケート調査を行ったところ、「食べる」 35%、「食べない」 65% という結果になった。(参照

この数字だけ見ると 「食の安全重視派」 が約 3分の2 ということになる。

このアンケートに寄せられたコメントをみると、いつもの悪い癖で、ついツッコミたくなってしまう。

食べません。食べるものはいくらでもある今の世の中です。あえて心配なものを食べるほどおろかではありません。(千葉県・60代男性)

今の世の中の食べるものは、「心配なもの」 ばっかりだと思うがなぁ。ほとんど確実に添加物が加えられている食品は安心して食うのに、万に一つあるかどうかという BSE 肉には、どうしてそんなに神経質になるのか。

食べません。食品は安全と安心が大切だと思うんです。BSEは20年、30年経ってから発症すると言います。(板橋区・60代男性)

おぉ、ずいぶん長生きするつもりなのだなぁ。

だが、誤解しないでいただきたい。私は米国産牛肉の 「安全性」 を全面的に信頼しているわけではない。その証拠に、「食べる」 という意見にだって、ツッコミをいれたくなる。

食べます。私としてはスーパーにアメリカ産が並んだ時、他の国産牛と比べて、かなり安ければ買ってしまうかなと思います。(千葉県・40代女性)

牛肉食わなきゃ死んでしまうと言うわけでもあるまいし、高かろうが安かろうが、不安なら食わなきゃいいのである。「買ってしまうかなと思います」 というのは、ちょっと情けない。

食べる。日米の関係がこれだけ長い期間を話し合っているんだから、信用してもいいのでないかと思います。(横浜市・70代女性)

おいおい、長く話し合えばいいというモンではなかろう。すったもんだの挙げ句の苦し紛れの結論を信じろと言われても、私なら困る。本当に信用していいのは、あっさり結論が出る場合なのだと思うがなぁ。

いずれにしても、私が意外に思ったのは、これだけ添加物だの残留物だの農薬だのにまみれた食品を平気で食いながら、宝くじに当たる確率よりも低いであろう BSE 肉を恐れているということだ。そのくせ、吉野家などで牛肉の在庫がなくなる寸前には、駆け込み客がどっと押し寄せた。

こうしたアンケートは、先鋭的なオピニオンの持ち主が率先して回答する傾向があるので、実際の世間の平均的意見とは異なった結果になることが多いのだが、それにしてもよくわからない現象である。

ちなみに我が家は、魚はバシバシ食うという、かなりヌルめのベジタリアン的傾向で、たまに肉を買って食うとしてもポークかチキンがほとんどなので、あまり影響がない。

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2004/11/01

できるだけがんばる

昨日の 「弱音を吐かない人たちが・・・」 という記事は、かなりのアクセスがあった。

我が家の末娘に 「あの我慢強い人たちが弱音を吐くってことは、相当のことなんだよ」 と言うと、「そう言えば、酒田のお祖父ちゃんも、絶対弱音を吐かないもんね」 と言う。おぉ、わかっているではないか。

あの親父は、雪国生まれに加えて、特攻隊上がりという特殊要因もあり、ちょっとやそっとのことでは音を上げない、とんでもないジジイなのである。盲腸の手術をしたときも、虫垂破裂で命に危険が及ぶ直前まで我慢して仕事してたらしいし。

「そうさ、雪国生まれの人ってのは、辛抱強いんだよ。それに、お祖父ちゃんはまた、特別なところがあるしな。弱音を吐く前に、体が自然に動いちゃんだよ」
「うん、わかる。お父さんも、そんなとこ、あるじゃん。弱音吐かないし」
「ん?、 そうか?」
「そうじゃん」

意外な指摘である。私は、自分では雪国生まれとしては珍しく、からきし意気地がない部類だと思っていたのである。ところが、関東生まれの 17歳の娘からみると、それでもなお、辛抱強いと見えてしまうらしい。

こんなレベルで辛抱強く見えるなら、楽なものである。本当の庄内人の辛抱強さを見たら、家の娘は腰を抜かすだろう。

「そうか、じゃあ、お前もその遺伝子をもってるんだから、大丈夫だよな」
「うん、できるだけがんばるよ」

何だと、「できるだけ」 だぁ?

できるかできないかわからなくても、ついがんばってしまう庄内人としては、「できるだけがんばる」 という条件付きには、ちょっとこけそうになってしまうのだが、まぁ、いいだろう。できるだけがんばってくれたまえ。


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