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2005年1月に作成された投稿

2005/01/31

「丸ごとアイスバイン」 の恐ろしさ

どういうわけか、急にドイツ料理の 「アイスバイン」 を思い出してしまった。アイスクリームの一種ではない。初めて食うまでは 「ドイツの豚足と思えばいい」 と聞いていた。

ところが、実際フランクフルトの下町の酒場で食べた本場のアイスバインは、日本の 「豚足」 とは似て非なるものだった。

初めてドイツに出張したのは、1981年の 5月のことだった。織物の国際見本市 「インターストッフ」 の取材を終えて、同行した日本人 3人で、ビアホールに繰り出した。日本を代表するテキスタイル・デザイナーである Y氏が 「アイスバインというものを食べてみよう」 と言い出した。それはいい、ぜひ食べましょうと、意見が一致した。

ビアホールの中で太い腕に何杯ものジョッキを抱えて忙しそうに立ち働くオバチャンを呼び、「トライ・アイスバインズ」 と頼んだ。「トライ」 とはドイツ語で 「スリー」 の意味である。つまり、「アイスバインを三つくれ」 と言ったつもりである。(ちなみに、私はドイツ語では 3より大きい数は言えない)

すると、オバチャンは我々にドイツ語でなにやらまくし立てる。どうやら、「あんたら、アイスバインて何だか知ってるのか?」 と言っているようだ。我々は 「ヤーヤー」 と答える。知らないで注文なんかするものか。知ってるとも。ドイツの豚足だろう。

英語で "pig's leg" というと何となく通じたらしく、うなずきながら、自分のぶっとい太ももを、「これよ、これ!」 と言う感じで、パンパンと叩いて見せる。うんうん、そうそう、脚ね、脚。わかってるよ。

しばらくして出てきた料理をみて、我々はひっくり返るほど驚いた。日本の豚足といった可愛らしいものではない。まさに 「豚の脚」 である。

そう、「豚の脚」 でありすぎる。あのオバチャンが、自分の見事な太ももをパンパン叩いて見せた意味が、初めてわかった。本当にあのオバチャンの太ももぐらいある、大層立派な 「豚の脚」 が、どーんと 3本出てきたのだ。

妙な言い方だが、豚の脚の尾頭付きである。それを  1人 1本である。

他の 2人は半分も食べられなかったが、私は出されたものはプライドに欠けても全部食べる主義である。必死に食べた。その上にビールのジョッキをぐいぐい空けると、腹がはち切れそうになったが。さすがに 20歳代だった。きっちり食った。

ワイルドな塩味で、不味くはなかったが、途中から味なんかどうでもよくなった。

あれ以来トラウマになってしまって、ドイツに行ってもアイスバインを注文しようという気になれない。日本のドイツ料理店で出されるアイスバインなんて、いわば切り身をちょっとだけ小分けしたようなものだ。本場の 「丸ごとアイスバイン」 を知る者としては、ちゃんちゃらおかしいのである。

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2005/01/30

人は死んでも生き返るか?

長崎県の調査で、小中学生の 15%が 「人は死んでも生き返る」 と思っているとの結果が出て、あちこちで呆れかえられているが、ちょっと待てよと言いたい。

15%では、むしろ少なすぎるくらいだ。私だって、子どもの頃は 「生き返ることもあるかもしれない」 ぐらいには思っていたぞ。

この調査、何しろ調査の仕方が乱暴すぎる。長崎県のホームページにある調査報告書によると、質問文は 「人が死んだら生き返ると思いますか」 となっている。悪文である。私なら 「人は死んでも生き返ると思いますか」 ぐらいの質問文にしたいところだ。

ちなみに、回答は 「はい」 と 「いいえ」 の二者択一で、他の選択肢はないように見える。このあたりも乱暴だ。

こんな乱暴な質問には、現在の私なら 「答えようがない」 と応えるだろう。「死」 というものの定義そのものが明確ではないからだ。「脳死」 を人の死とすることに、あれほどの抵抗があったのは、脳死で 「死」 と判断されても、実際は死んでいないという主張があったからではないか。

「死」 が明確でない以上、「生き返る」 という概念も不明確にならざるを得ない。従って、厳密には答えようがない。

しかし、二者択一でどちらかにチェックマークを入れるしかないのなら、「絶対に生き返らない」 という確実な証明にお目にかかったことがない以上、「もしかしたら、奇跡的なこともないではないかもしれない」 という気が少しでもしたら、「はい」 と答える方が、ずっと論理的な態度ではないか。

私の子どもの頃は、民間伝承の世界の話だろうが、「どこそこの誰々は、葬式で読経の最中に棺桶の中から生き返った」 なんて話がいくらでもあった。「死んで生き返った者は、その後は長生きする」 なんて言い伝えもあったぐらいである。

新約聖書の 11章には、キリストが死んだラザロという男を生き返らせたという話が書かれている。キリシタンの伝統を引く長崎県にしては、15%という数字は少なすぎるくらいだ。

聖書ばかりではない。神話や伝説には、死んだ者が生き返るエピソードなんて、珍しくもない。してみると、死者の蘇生に関しては、むしろ今よりも昔の方がずっと信じられていたもののように思われる。

今回の調査結果に関して、今の子どもは 「死」 というものを現実感をもって認識していないなどと論評する向きがある。しかし、そう言っている人に、「それじゃあ、あんた自身は子どもの頃、そんなに死を現実的に理解していたのか」 と質問してみたい。

私は何人かの死に遭遇した経験があるが、それでも、未だに現実的に死を理解していると言い切る自信はない。そんなもの、自分で死んでみなければわからないし、そもそも、まだわかりたいとも思わない。

また、死んでも生き返ったり、リセットできたりするゲームの影響だという人もいる。しかし、今回の調査では、生き返ると思う理由として 「ゲームではリセットできるから」 と答えたのは、わずか 7.2%に過ぎない。15%のうちの 7.2%だから、全体から見ればわずか 1%である。

ゲームの影響が皆無とは言わないが、これを云々するなら、聖書の他、死者の蘇生伝説を含む多くの神話や民話だって問題にされなければならない。

もう一度いうが、15%というのは、決して驚くほどの数字ではない。土台、比較対照するデータすらないではないか。

(平成17年9月8日追記)

たまたま、上記の 「長崎県のホームページにある調査報告書」 にもう一度行ってみたら、設問の文章が 「死んだ人が生き返ると思いますか」 になっていた。1月の時点では、確かに  「人が死んだら生き返ると思いますか」 というものだったのだが。

調査結果を発表し、その後に設問の文章を書き換えるなんてことをしたら、まともな調査報告にならないではないか。困ったものである。

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2005/01/29

恵方巻の社会学

近頃 「恵方巻」 という風習が、全国制覇をほぼ成し遂げたらしい。節分に家族揃って虚空を見つめ、無言で太巻きにかぶりつくというのは、考えるだに異様な光景である。

我が家では全員堪えきれずに吹き出して、床が飯粒だらけになりそうだ。そんなになったら掃除が大変だから、多分やらない。

この風習は、どうもコンビニ業界と海苔業界が結託して普及させている気がしないでもないが、考えてみると、時代にはうまくマッチしているかもしれない。世の中では豆まきに取って代わって、節分の恒例になる可能性がある。

今どき、どこの家庭も少子高齢化で、豆まきを喜ぶ子どもがいない。いい年をした大人が、日が暮れてから声を張り上げて 「鬼は外、福は内」 なんてやるのは、ちょっとこっ恥ずかしい。それに、最近の感覚では床に落ちた豆を拾って食べるなんて、ばっちい気もする。冬に流行るというノロウィルスなんてのもあるじゃないか。

そんなわけで、当世まともに節分の豆まきなんてやっているのは、幼稚園と神社仏閣しかない。多分、この傾向はずっと続くだろう。

しかしながら、節分に何もやらないというのも、日本人として何となく淋しい気がする。それで華々しく登場したのが、恵方巻である。これなら、声を張り上げることもない。何しろ、無言なのだから、隣近所に気兼ねがいらない。現代社会におあつらえ向きだ。

床に落ちたのを拾って食うわけでもない。コンビニで買ってきたビニール・パックの太巻きを食うのだから、清潔でお手軽だ。さっさと済ませて、またテレビ画面に向かうことができる。

というわけで、コンビニ業界はうまいところに目を付けたものだと思うのである。バレンタインのチョコレートとまでいくかどうかは知らないが、年を追うごとにますます売り上げは伸びるだろう。我が家ではやらないけど。

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2005/01/28

アクセスを稼げるタイトル

@nifty で展開しているブログ、 "Today's Crack" のアクセス数が、昨日 5日ぶりで 100 を切った。

その前に 100 を切ったのは、先週の土曜日のことだ。私のサイトは、いつも週末にはアクセスが落ちる傾向があるが、ウィークデイに 100を切ったのは久しぶりだ。

私のサイトの常連の中には、会社からだけアクセスしてくれる人が結構多いようなのである。週末にはパソコンにさわりもしないで、月曜日の朝のミーティングが終わると三日分まとめて目を通すというパターンである。おかげで、月曜日の午前 10時過ぎにアクセスが急上昇する。

昨日のアクセスが落ちた原因は見当がついている。「『壷坂霊験記』 で思うこと」 などという枯れすぎたタイトルのせいだと思うのだ。今どき、インターネットをしている人たちが 『壷坂霊験記』 なんてタイトルに関心を抱くとは到底思われない。関心を抱くのは、インターネットに縁のない人たちだ。

実は、このタイトルは意識して付けたのである。このタイトルでは、ココログの 「新着一覧」 を見ても、まずクリックする人はいないだろうと思ったので、どのくらい落ちるものか試してみたのである。結果としては、アクセス数は 97 ということで、100を僅かに下回った程度で済んだ。これは検索サイトから過去ログに来るケースが案外多かったためである。

何がなんでもアクセスを稼ぐためには、どんなタイトルにすればいいかは、大抵わかっている。IT 関連か時事関連のトピックス、あるいは多少露骨な思わせぶりに振れば、大抵その日のアクセスは急上昇する。それもあまりひねらずに、むしろベタ感覚で行く方がいい。

しかし、わかっていながら、私はあえてそのメソッドから外れたいと思うのである。というのは、タイトルにつられてやってきた人というのは、ほとんど常連にならない。私は一時的な 1000アクセスよりも、今ある約 100人の常連が徐々に増えてくれる方がずっとありがたいと思っている。

とは言いながら、今日のタイトルはお遊びで少し色気を含ませてみた。どうなるか、楽しみだ。

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2005/01/27

『壷坂霊験記』 で思うこと

私はソニーの初代ウォークマンを持っているほどの音楽好きである。これは、今では電池を入れても回転ムラで聞くに耐えないが、「お宝」 として永久保存している。

最近は iPod mini を購入して、手当たり次第にいろいろな曲を入れているが、最近一番聞くのは、何と 「義太夫」 である。

世界広しといえども、 iPod mini で義太夫を聴いているのは、10人といないのではないかと思うが、これがなかなかいい。

「義太夫」 とは、「文楽」 とも言われる人形浄瑠璃の語りである。太棹の三味線との掛け合いで、絶妙の趣を醸し出す。繰り返し聞いていると、太夫の語りと三味線のからみが、とてもよく計算されていることがわかる。民謡などの、歌と三味線がユニゾンしているだけというのとは、レベルが違う。

近頃のお気に入りは 『壷坂霊験記』 である。これは明治に入ってからの新作浄瑠璃だが、なかなかいい。浪曲にも取り入れられて、「妻は夫を慕いつつ、夫は妻をいたわりつ・・・」 という名文句で知られる。

これは疱瘡のため盲目となってしまった沢市の眼を治さんと、妻のお里が、壷坂寺の観音様に願をかけ、3年間お参りし、それによって、沢市の眼が開くというお話である。「三つ違いの兄さんと、沿うて暮らしているうちに・・・」 というさわりは、なかなか泣かせるものがある。

この当時は、信仰によって病気が治ったり、盲目が癒されたりするということが、それほど唐突ではなく、むしろあり得ることと信じられていたわけである。今では、観音様にすがって病気が治るなどと言っても、ほとんどの人は信じない。

しかし、筑波大名誉教授の村上和雄氏が主張されているように、ある種の心持ちが、眠れる遺伝子のスイッチを 「オン」 にし、病気が快方に向かうということは、あり得ることのようなのである。ある種の心持ちとは、喜び、感謝、感動など、ポジティブな想念なのだという。

案外、文楽の舞台で 『壷坂霊験記』 を見て感動したりするのは、心と体にいいことかも知れない。

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2005/01/26

杉花粉と種の保存

昨年が猛暑だったため、今年の杉花粉飛散はかなり多いだろうと予想されている。今月中旬頃から、都内では例の 「花粉症マスク」 をしている人をちらほらと見かける。

先週末に山形県に帰郷したが、さすがに向こうは冬真っ直中で、花粉症マスク姿は皆無だった。都内の人は大変だ。

実は私もアレルギー性鼻炎の傾向があり、一時はこの季節になると杉花粉症に悩まされていたが、この 1~2年は全然平気になっている。むしろ真冬の時期の方が、何のアレルギーか特定できないが、鼻水が多くなる。

杉花粉がこれほどまでに多く飛散するようになったのは、戦後広範囲に植林された杉林が、その後の手入れの悪さで荒れてきているためだという説がある。そこで、杉は種の生存の危険を感じ、子孫を残そうとして大量の杉花粉を飛ばそうとしているというのである。

以前勤めていた会社の同僚 (関西人が多い) と酒を飲んでいたときに、この話題が出て、一同、かなり納得した。

「杉には杉の都合っちゅうもんがあるわけやな」
「そうや、杉としては、自分は死んでもええから、子孫を残そうと必死なわけや」
「涙ぐましい話やないか」
「我々人間には、迷惑な話やけどな」
「なるほど、確かに説得力のある説やなぁ」

すると、社内で一番スケベと定評のある男が、妙に真面目なことを口走った。

「いや、これは他人事やないで。見てみ、この頃の地球環境悪化は酷いもんや」
「ふむ、そりゃ、ほんまやな」
「君も、たまには真面目なことを言うやないか」
「実をいうとやな、僕も人類の生存の危機をひしひしと感じとんねん。杉と一緒や!」

「そ、それで君は、方々で・・・!

お後がよろしいようで。

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2005/01/25

国鉄時代の乗客サービス

昨日は、今頃の季節になると、電車内と百貨店の店内が暑すぎるということについて書いたが、電車内冷暖房の調整に関しては、一時よりずっと良くなってはいる。

それは、JR になって民営化されてからである。旧国鉄時代なんて、本当にひどいもので、客を客とも思っていなかった。

それは忘れもしない、私が大学生時代に、春休みに帰郷して、東京に戻るときのことだった。私は酒田から旧国鉄時代の 「特急いなほ号」 に乗車したのである。

春らしい日射しのホームから車内に乗り込むと、そこはむっとするほどの暑さだった。外気温との差による身体の錯覚かと思ったが、そうでもない。周囲をみても、みな上着を脱いで、上気した顔に玉の汗を浮かべている。どうみても暖房の効きすぎだ。

まもなく前方から、車掌が検札に廻ってくるのが見えた。やれやれ、助かった。これで誰かがきっと、あの車掌に暖房の調節を頼むに違いない。

しかし、見ていると、車掌に暖房の苦情を言う乗客は一人もいない。東北地方日本海側の人たちは、概ね素晴らしい忍耐の美徳を備えているが、それは、我慢しなくてもいいことを我慢してしまうという欠点にも通じる。時と場合によっては、謙虚すぎるのも考えものだ。

ここは、私が言ってやらなければならない。そうでないと、電車が上野に着くまでに、皆ゆでだこになってしまう。自分の検札の番になったとき、私は 「車内が暑すぎるんですけど」 と車掌に言った。

すると、その車掌はこともあろうに、こう応えたのである。

「まだ春で、冷暖房の切り替えが済んでないので、冷房は入れられません」

私は呆気にとられてしまい、その車掌の顔をまじまじと見つめた。あまりのことに、「冷房を入れろと言ってるわけじゃなくて、暖房を弱めてくれればいいのだ」 という当たり前の言葉が、浮かんでこなかった。その替わり、「お話にならないから、もういいです!」 と吐き捨ててしまった。

車掌が行ってしまうと、周囲の乗客が口々に 「なんて車掌だ、ありゃバカか」 と悪態をつき始めた。

しかしここは、悪態をつくより、ゆでだこにならない方策を工面しなければならない。試しにデッキに出てみると、ドアの反対側の壁に空調のボタンが見つかった。真冬でもないのに三段階の最高にセットされていた。

私は迷わず最低にセットするボタンを押して席に戻ってみると、それまで吹き出していた熱風は嘘のように収まり、少しは凌ぎやすくなりつつあった。

民営化されてから、さすがにこれほどひどいことはなくなった。

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2005/01/24

電車とデパートは暑すぎるかもしれないが・・・

今頃の季節になると、「電車とデパートは暖房を効かせすぎているのではないか」 という話をよく聞くようになる。

試しに、「電車 デパート 暖房 暑すぎる」 の 4語でググってみるといい。人いきれの中で鼻の頭に玉の汗を浮かべて憤っている人がかなり多くいることがわかる。

確かに、ラッシュ時の電車内は暑すぎることが多い。寒いホームから電車に飛び乗ると、窓ガラスは内外の気温差で曇り、座席に座っている人はお尻の暑さに閉口し、立っている人は顔中汗だらけだ。せめて、混雑時だけは暖房を切るか緩めるかしてもらいたいものである。

しかし、デパートの暖房が効きすぎというのは、どうやら誤解のようだ。というのは、デパートというのは、外との出入り口付近以外はほとんど暖房をしないらしい。店内は、照明器具と人いきれで、自然に暑くなってしまうもののようなのだ。

百貨店の店内は、よくみると照明の固まりである。天井、ガラスケース内、壁際のスポットライト、誘導灯、その他もろもろ・・・あれらの照明器具が、それぞれ思いっきり熱を発散させているのである。夏は冷房をがんがん効かせて、ようやく人が生きていられほどで、冬になっても、ちょっと人が入れば暑くなる。店員は半袖で仕事をしている。

日本の百貨店の照明は、ニューヨークあたりに比べて蛍光灯の比率が高く、どうも白々しい気がするのだが、それも道理である。日本というのは省エネ意識が高い。あまり白熱灯を使用していては、夏場も冷房コストが鰻登りになるし、下手すると、冬でも冷房が必要になりかねない。どうしても発熱量の少ない蛍光灯を多くせざるを得ないのだろう。

その点、米国辺りは省エネ意識が希薄だから、店内でも白熱灯の比率を高くして、いかにもセレブなぬくもりのある照明にしていられるのだろう。

だからどうしても日本のデパートの店内は、なんだか安っぽい雰囲気から抜けきれない。それも仕方のないことなのかも知れない。

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2005/01/23

雪の中の寒鱈汁

昨日 「やっぱり暖冬」 と書いたとたんに、夜になってから本格的に雪が降り始め、朝になったら、酒田は銀世界になっていた。

夜明け前の最低気温はマイナス 2.8度。夜が明けても、吹雪は続いて、気温がなかなか上がらなかったが、2時頃にかろうじて氷点下から抜け出し、1度まで上がった。

ついに真冬日になるかと思ったが、それは逃してしまった。

昼頃に、街の商店街で催された 「日本海寒鱈祭り」 に出かけたが、その間が一番の吹雪になった。商店街で振舞われる寒鱈汁 (またの名を 「どんがら汁」) の最高の調味料は雪と寒さだから、この天気は絶好の計らいになった。

和太鼓演奏のパフォーマンスの間も雪はどんどん降り続け、太鼓の皮の上で粉雪が撥ね上がる。寒いことは寒いが、なかなかすばらしい自然の演出だった。

寒鱈汁はなかなかの味だった。鍋物というのは、大量に作るとどうしてあんなにおいしくできるのだろう。

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2005/01/22

やっぱり暖冬

昨日から酒田に来ている。予想天気図をみると見事な縦じまで、かなりな吹雪まで覚悟していたが、来てみると、雪など全然積もっていない。時折ちらちらと小雪が舞うだけだ。時には青空さえのぞく。

高校時代まで過ごした酒田は、今の時期は、春まで解けない根雪だった。

小学校時代は実家の前の坂道でスキーができた。だから、私はいわゆるスキー場に行ったことはないが、スラロームの真似事ぐらいならできた。(多分、今でもできるだろう)

中学校時代でも、車道はアイスバーンだった。高校時代でも、春になって雪が解けると本当に嬉しい気がした。

ところが、今はこの調子だ。いくら私が晴れ男でも、やはり地球温暖化は進んでいるのだろう。今日は夜が明けたら、「日本海寒鱈祭り」 である。たっぷり寒鱈汁をいただこう。楽しみだ。

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2005/01/21

冬の帰郷

本日、帰郷する。いつもは車を使うが、さすがにこの季節は JR を利用する。朝に発って、夕方前には酒田に到着の予定だ。

予想天気図をみると、見事なまでの縦縞である。いわゆる西高東低の冬型で、関東はお天気でも、酒田は間違いなく雪だ。もしかしたら吹雪になるかもしれない。

forecast.gif"帰郷の理由は、例によって、寝たきりの母の見舞いと、看護に孤軍奮闘する父の応援である。昨年も同じ理由で 1月下旬に帰郷している。

昨年は 「日本海寒鱈祭り」 というイベントに遭遇したので、今年もどうかと思って調べたら、週末に催されるようだ。雪の積もった商店街にびっしりとテントが張られ、寒鱈汁 (別名 ドンガラ汁) が振る舞われる。確か 1杯 500円だったかな。勇壮な太鼓のパフォーマンスもあるはずだ。

太鼓のパフォーマンスは、寒空に半被 1枚にパッチばきという姿で行われる。ご苦労なことだ。庄内の人は、寒がりでないわけではないのだが、祭りとなると寒空を厭わない。黒森歌舞伎という民衆歌舞伎なんぞは、神社の境内で、一日かけて歌舞伎を演じるのである。

真冬の露天だから、『義経千本桜』 の権太みたいな素足で尻をからげて演じる役などは大変である。噂によると、パンストの重ね着でしのいでいるらしいが。それでもやはり寒かろう。

うまく運べば、寒鱈祭りなどの写真を撮って来れるかもしれない。その時は、ウェブ上でご覧いただけるだろう。

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2005/01/20

「かすと」 と 「さんごろぺ」

私は三代同居の家で育ったので、由来もはっきりしない古い庄内弁の飛び交う中で、子ども時代を過ごした。

その代表格が 「かすと」 と 「さんごろぺ」 である。この二つは、悪いイメージの代表格として、子どもを叱る際に、「~じゃあるまいし」 という使い方がされた。

庄内弁には訳のわからない言葉がかなりあるが、よく辿れば大抵は古語の訛りであるとわかる。つまり、いくらチンプンカンプンでも、庄内弁とて日本語の一部なのである。

例えば、驚くことを 「きもける」 という。これは、「肝がひっくり返る」 ということで、つまり、それほどまでにびっくりするということだ。

「もっけだの」 は 「ありがとう」 である。道理のわからない余所者は、「庄内人は、人に何かしてもらうと、すぐに 『儲けた』 なんて、はしたないことを言う」 などと言う人もあるが、これは決して 「儲けた」 の訛りではない。「もっけの幸い」 の 「もっけ」 であり、意味は 「滅多にないこと」 である。つまり、その心は 「有り難い」 と同じなのである。

このように、多くの庄内方言の語源は案外簡単にわかるのだが、「かすと」 と 「さんごろぺ」 (最後の 「ぺ」 は "pe") は、何だかよくわからない。

「かすと」 は、がつがつ食べることを言う。子どもの頃、空腹のあまり息せき切ってご飯を掻き込むと、祖母に 「"かすと" であんめし、もと、よっくりけ!」 ("かすと" じゃあるまいし、もっとゆっくり食え!)  と怒られた。しかし、私が 「"かすと" って何?」 と聞いても、いつも笑って答えてくれなかった。多分、彼女も知らなかったのだろう。

最近、秋田県の本荘由利地域 (庄内のすぐ北隣) の方言をまとめたサイトの中に、「かつと」 という言葉を見つけた。使い方は、庄内弁とまったく同じである (参照)。

このサイトでは、「かつと」 は 「飢人??」 としている。しかし、「飢」 の読みは 「キ」 と 「うえる」 だから、「かつと」 に字を当てるとしたら 「渇人」 の方が正しいだろう。ただ、一般的な古語辞典で引いても 「渇人」 は出てこない。漢和辞典には 「飢人」 があるが、これでは 「かつと」 や 「かすと」 と読み下すのは無理があるし、やはり謎として残る。

さらに謎を呼ぶのは 「さんごろぺ」 である。子どもの頃、着崩しただらしない身なりをしていると、「"さんごろぺ" であんめし!」 ("さんごろぺ" じゃあるまいし!)  と怒られるのだった。これも、「かすと」 同様、意味を聞いても納得のいく回答を得た例しがない。

私は子供心に、「そう遠くない昔、"三五郎平" とか "山五郎兵衛"とかいう名前の、とてもだらしない人がいたのだろう」 ぐらいに思っていた。一説によると、「いつもチンチン丸出しで歩いていた人」 などとも言う。そうなると、知る人ぞ知る 「仙台四郎」 みたいな人だったのかもしれない。

しかし、同じ 「チンチン丸出し」 でも、四郎様は写真まで残るはっきりした実在の人で、仙台では今や商売繁盛の福の神扱いだが、「さんごろぺ」 は実在も定かではなく、ただ単にだらしない人の代表みたいな言われ方で、扱いに差がありすぎる。

ある時、母の叔父 (祖父の弟) が来たとき、さんごろぺを知っているかと聞くと、彼は笑って、「ほほう、いだもんだけのぅ」 (ほほう、居たものだったなぁ) と答えた。ところが、やれうれしやと、どんな人だったかと訊ねても、言を左右にして、具体的なことは何も言わない。要するに彼も知らなかったのだろう。結局 「ウソばっか!」 ということになった。

半世紀近い謎を引きずっていると、どうも夢見が悪い。「かすと」 「さんごろぺ」 関係で有力な情報があったら、メールで知らせていただければ幸いである。

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2005/01/19

ラジオが作る 「耳年寄り」

以前は 1月と 7月の 16、17日は 「やぶいり」 ということになっていた。奉公人が実家に帰ることのできる日である。

今では死語というよりも、風習としてすっかり消えてしまった。先日、三代目三遊亭金馬 (当代の師匠) の落語 「やぶいり」 を録音で聞いて、この言葉を思い出した。

私は昭和 30年代を "ラジオオタク" のひねた子供として過ごしたが、当時、「やぶいり」 は放送の世界では、少なくとも言葉としてはしっかり生きていたと記憶している。だから私も、子供のくせに 「やぶいり」 とは何かを知識として自然に知っていた。

しかし、昭和 30年代に録音された金馬の 「やぶいり」 を改めて聞くと、商家の奉公人が盆と正月のたった二度だけ実家に帰れる日であると、噺の 「まくら」 の中で説明している。ということは、この時代には既に制度としての 「やぶいり」 は廃れてしまって、説明しないとわからない者が多くなっていたということだろう。

それもそのはずだ。昭和 39年には東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通した。この前後をきっかけとして、高度成長時代が始まったのである。それとともに、世の中から 「奉公」 が消えて 「勤務」 が台頭したのである。

一般の商家にしても、使用人を 年に 2度しか実家に帰さないという条件では、求人がままならない。そもそも、遠方からの集団就職組になると、たった 2日では帰郷すらできない。

昭和 30年代というのは、古い日本と新しい日本の変わり目の時代だったのだろう。私はこの時代、ラジオにかじりついて 「大人文化」 に浸っていたので、ずいぶん 「耳年寄り」 になってしまったというわけだ。

私はテレビはあまり見ないが、ラジオは仕事の最中もつけっぱなしにして、今でもよく聞いている。それも、ちゃらちゃらした音楽とジョッキーの軽いトークだけの FM なんかではなく、AM の 「大沢悠里のゆうゆうワイド」 や 「永六輔 その新世界」 みたいなベタベタの中高年番組とか 「ラジオ寄席」 などの演芸番組である。

ラジオは今でも、耳年寄りを作れるメディアであり続けていると思う。というのは、ラジオというのはテレビと違って、興に乗れば言葉で昔話を延々と語れる余裕のあるメディアだからだ。テレビではこうはいかない。

今の子供もテレビなんか見ないで、もっとラジオを聴いて耳年寄りにならないと、日本の文化が廃れてしまうような気がする。

今、ラジオで昭和 30年代以前の昔話ができる世代は、もうとっくに還暦を越えている。いつまでも元気で昔話ができるわけではない。この世代が死んでしまったら、もうあの下らない全共闘を懐かしむ程度の昔話しか聞けなくなる。今のうちである。

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2005/01/18

センター試験

大学入試センター試験で、国語教科書に載っているのと同じ文章が出題されたとして、問題になっている。

大手予備校代々木ゼミナールの講師は 「我々が模試で出したら笑われてしまう」 とコメント。こんなところでも、お国より民間活力のレベルの方がずっと上のようだ。

とはいえ、今回の問題では感情的な不公平感はかなり出ただろうが、実際問題としては、学校の授業でやったかやらなかったかは、試験の合否にそれほど決定的な要因にはならないだろうと思う。一度教科書で勉強していようが、初めてだろうが、結局、わかる者にはわかるし、わからない者にはわからない。

こんなのは、以前に触れた 「朝日新聞問題」 と同じことだ (参照)。朝日新聞は、「大学入試に強い」 と自画自賛しているが、朝日新聞を購読したからといって、大学入試に受かるとは限らない。同様に、第一学習社の国語教科書を使ったからといって、この問題だけはすべてできたとは限らない。

とくに国語なんていう科目は、結局文章センスの問題だから、読解力のいい子は、初めてだろうがなんだろうが、スラスラわかるのだ。だから、感情的な不公平感よりは、実際の影響は軽微だろうと思う。

ちょっとイヤラシイ自慢をさせていただくと、私は30数年前に大学入試を受けたとき、国語科目の試験開始のベルがなり、問題用紙を一目見て、本気で驚いた。「こんなもんで、落ちるヤツがいるんか !?」 と。

私はとても不真面目な高校生だったので、受験勉強なんか真面目にやらなかった。当然、模擬試験なんかもまともに受けなかったので、大学入試がどんなものか、あまり予備知識がなかったのである。今から思えば、とんでもない受験生だった。

それでも、本番の問題を一目見て、とても安心した。これなら満点だと確信したのである (一応、一流と言われる大学の試験であった)。

国語の問題なんて、そんなものである。あまり目くじらたてなくてもいいだろう。数学の証明問題とかなら、話は別だろうが。

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2005/01/17

「ガバナビリティ」 について考える

近頃 「ガバナビリティ」 ということについて考えてしまう。この言葉が流行ったのは 1970年代後半だっただろうか?

「"Governability" は一時 『統治能力』 と誤訳されたが、実際には 『被統治能力』 のことで、日本人の 『被統治能力』 は非常に高い」 といった文脈だったように思う。

つまり、日本人は江戸末期から明治維新にかけてや、太平洋戦争後の混乱期に、非常に高い 「ガバナビリティ = 被統治能力」 を発揮し、国難を克服したというような主張が、渡辺昇一氏らによってなされたように記憶している。

この場合の 「ガバナビリティ」 とは、国民が極端な私利私欲に走ることなく、政府の方針を素直に受け入れ、ベクトルの方向性をある程度一定に保った努力を行える資質といった意味で用いられたわけだ。

一方、現在のイラクの情勢をみるにつけ、 「ガバナビリティ」 の欠如が露わになっている。「和を以て尊しとなす」 という日本的な感覚からは信じられないほど、いろいろな勢力がてんでバラバラに争い合っている。大局的にみれば、自分たちが疲弊するだけなのだから、これは愚かしいことである。

その意味で、日本人のみせた 「ガバナビリティ」 の高さは、世界でも類を見ないもので、賞賛されてしかるべきものだという主張はもっとなことのように思われる。

しかし、その一方で、"governability" を 「被統治能力」 と訳すのは意訳のしすぎで、本来の意味は、単に 「従順さ」 とか 「なびきやすさ」 とかいうことで、けっしてその資質が高いからといって誇れるものではないという議論もある。

私は "governability" という言葉の意味合いをどうこう言えるほど、英語に精通しているわけではないが、ごく常識的に言えば、一つの言葉で 「良い意味合い」 と 「悪い意味合い」 があり、前者は 「聞き分けがいい」 とか 「分別がある」 といったニュアンスに近くなり、後者は 「言われるがままの主体性のない態度」 といったことになるのだと解釈している。

要するに、言葉としてはニュートラルで、好ましく現れる場合と悪く現れる場合があるだけだ。日本の場合は、少し前までは主としてその好ましい側面が現れていたが、時代の変化に従って、「リーダーシップと主体性の欠如」 というディスアドバンテージが際立ってきた。戦後 60年間、「ガバナビリティ」 だけでやってきて、まともな議論を後回しにしてきたツケである。

しかし、いくら何でも、イラクの場合はもう少し 「ガバナビリティ」 があっても良さそうなものに見える。「ガバナビリティ」 は、ありすぎても現代の日本の状況を現出してしまうが、なさ過ぎても国内が混乱するだけだ。要するに程度問題という、単純な結論になってしまう。

ありすぎてもつまらないが、まったくないよりは、ずっとましということだろう。

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2005/01/16

「カレーの日」 の謎

「カレーの日」 というのがある。全国学校栄養士協議会が 昭和 57年に 1月 22日をカレーの日と決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたのが発端という。

今でもそれは続いているのだろうか。もしそうだとしたら、今年のように 1月 22日が土曜日の場合はどうするのだろうか?

こうしたことは、いったん気になると、とことん気になってしまう。我が家の娘たちに聞いてみたが、「カレーの日」 に本当に給食にカレーが出たかなんて、全然覚えていないという。その程度のものらしい。

インターネットでは、「カレーの日」 が制定された発端について述べたサイトはいくらもあるが、それが毎年継続されているかどうかは、結局わからなかった。もしかしたら、昭和 57年一度きりのイベントだったのかもしれないが、普通に考えれば、それだと 「カレーの日」 の名前を残す意味がないだろうから、多分継続しているのだろう。

そもそも、インターネットで検索しても、「全国学校栄養士協議会」 という団体のサイトは見当たらない。その代わり、「社団法人日本栄養士会」 というサイトがあり、その中で、サブ組織らしい 「全国学校健康教育栄養士協議会」 というのが今年 2月に研修会を開くという情報は見つかった (参照)。

この団体が 「カレーの日」 の総元締めなのだろうか? しかしこのサイト内を検索しても、「カレーの日」 については、一言も言及されていない。実にまったくよくわからない。

そもそも、曜日ではなく日付で決めてしまったということが腑に落ちない。何月何日だろうと、単純な確率論で 7年に 2回は土日になるのが分かり切っている。その上で、わざわざ日付で 1月 22日に決めたことのもっともらしい根拠は、何も示されていない。それが決定的にじれったい。

もし、大した根拠がないのだとしたら、「毎月第 3金曜日」 とか 「毎週金曜日」 みたいな決め方をする方がずっと合理的だろうに。ちなみに、金曜日というのは、旧日本海軍でカレーが出された日だそうだ。これは、「カレーの日」 をインターネットで調べている途中で知った副産物である。

[H17.11.01 追記]

こちらの方に情報を付け加えておくのを忘れていた。

この 「カレーの日の謎」 は見事に解けて、6月 2日のブログに掲載しておいたので、興味があれば参照していただきたい。

[H19.02.09 追記]

しかも、後でわかったのだが、「全国学校栄養士協議会」 という団体は、実は存在していたものの、自らのウェブサイトで、「全国学校栄養士会」 と、団体名を誤表記していたため、長い間検索にひっかからなかったらしいということがわかった。お粗末様。

その間の事情も、上記 6月 2日のブログ に書いてある。

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2005/01/15

奈良の事件で思うこと

奈良の事件の影響もあり、性犯罪の前歴者の居住地などの情報を、警察が把握できるように法整備に入ったという。

しかし、実際にはその程度のことで抑止効果があるかどうかは疑問である。今回の事件のディテールが報道されるにつけ、なかなか難しい問題であることがわかる。

今回の事件では、容疑者は大阪府の毎日新聞販売所の購読代金を持ち逃げしたという業務上横領容疑で、逮捕状まで出ていたことがわかった。

ところが一方で、横領事件の被害者である大阪の販売所は、昨年 9月の時点で容疑者の居所をつかみ、被害金額を分割で返済させていた。そのため、彼が逮捕されたら返済が滞ると思い、警察には 「居所は知らない」 とシラを切っていたらしい。

昨日朝のニュースで、大阪府警は 「小林容疑者の逮捕状を取っていたが、居所がわからなかったため、逮捕できなかった」 と言っていると聞いた。ナンセンスな言い訳と思ったが、その裏には、こんな込み入った事情があったわけだ。

当の被害者の販売店がこんな具合で、被害届を出しながら 「金さえ返ってくればいい」 とばかりに、捜査に協力しなかったのだから、いくら警察でも犯人逮捕は難しい。そして、23万円程度の持ち逃げ事件で、ちょっとした人間の損得勘定から、少女の命が奪われる事件につながってしまった。

さらに言えば、大阪と奈良の毎日新聞販売店は、同じ系列でありながら情報が遮断されており、奈良県の販売所ではそんな問題人物とは知らずに、容疑者を雇ってしまっている。

世の中の 「アヤ」 とは、悲しいことだが、往々にしてこんなものである。それを考えると、警察が法務省から性犯罪前歴者の届け出た住所を入手するというだけでは、犯罪抑止という点ではまったく不十分だろう。

例えば、前歴者が届け出を行わずに移動してしまったとたんに、実質的には 「居住地不明」 でウヤムヤになってしまう。関係者がちょっとシラを切っただけで、犯罪者の居所がつかめなくなるような世の中だから、実際の効果は推して知るべしである。

本当に抑止効果を求めようとしたら、今回の措置だけでは済まないだろう。しかしだからといって、あまり行き過ぎた管理国家になるのも考え物だ。

「より突っ込んだ議論が待たれる」 なんて、そのへんの新聞の社説の紋切り型みたいで、自分でも嫌になるが、今回の問題に関しては、そういうしかない。こういうのは、本当に難しい問題だ。

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2005/01/14

英語の乱れ?

「ポルノグラフィティ」 という名のバンドがあって、最初に聞いたときは、「変な名前を付けたもんだなあ」 と思ったが、音楽は割としっかりしていて、悪くないという印象だ。

問題は、彼ら自身とそのファンまでが、バンド名の意味を 「エロ写真集」 と思っているらしいということだ。

以前、「ララバイ」 (子守歌) を論じたときに、若者のかなり多くが 「ララバイ」 を 「バイバイ」 (さよなら) の洒落た言い方と思いこんでいるのに驚いた。実際にウェブページで 「それじゃ、またね、ララバイ」 なんて書いてあるので、読んでるこっちの方が恥ずかしくなった。

「ポルノグラフィティ」 もその類かもしれない。実際に彼らのオフィシャルサイトに行ってみると、英語のスペルは "Porno Graffiti" となっていたので、少し安心した。"Pornographity" なんてことになっていたら、どうしようかと思っていた。

しかし、試しに "Pornographity" でググってみたら、256件もヒットした。ああ、やっぱりねである。そのうちのかなりは中国語のサイトなのだが。

実際のところ、"Porno" は "Porgraphy" の口語表現で、意味はいわゆる 「ポルノ」 である。しかし、"Graffiti" の意味は 「落書き」 なので、「ポルノグラフィティ」 の意味を 「エロ写真集」 とするのは、かなり無理がある。

昔 "American Graffiti" という映画がヒットしたので、なんとなく 「アメリカ的映像」 ぐらいの意味だと思っている日本人が案外多い。しかし、あれだって本当は 「アメリカ的落書き」 である。しかも、アクセントは 「グラフィティ」 の 「ラ」ではなく、「フィ」 にあるので、カタカナ英語で 「アメリカングフィティ」 と言っても、多分通じない。

同様に、「ポルノグフィティ」 も通じない。言うとすれば 「ポーノグラフィティ」   である。

最近、「日本語の乱れ」 がどうのこうの言われているが、それどころではない。他の国の言葉まで勝手なイメージで誤用してしまうというのは、なんだかなあという気がするのである。

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2005/01/13

自然も人間もハードランディング

昨年の夏から秋の台風ラッシュに、地震の頻発。「最近、自然界がおかしいんじゃないの?」 と言う人が多いが、これはむしろ、「おかしい状態から普通の状態に戻る動き」 かもしれないという。

気象予報士の森田さんによると、「自然はいつもハードランディング」 なのだそうだ。

なるほど、それは地震のメカニズムを見てもそうなのだろうなと思う。地殻の歪みは、かなり長時間かかって知らないうちに蓄積されるのだ。その歪みに耐えきれなくなった地殻が、かつてのバランスを取り戻そうとして、溜まったエネルギーを一瞬の間に放出する。

地震に限らず、自然界の動きとはそうしたものなのかもしれない。「近頃、天気がおかしいよね」 と言うが、本当の 「おかしさ」 は、気付かないうちに徐々に蓄積されていたのだ。目立った変化が現れたら、逆にそのことによって、自然のバランスがいくらかなりとも回復されるのかもしれない。

あるいは人間もそうなのかもしれない。病理というのは症状に現れたものを指すのだろうが、本当は、症状というのは蓄積された身体的・精神的ストレスを解き放そうとしている姿かもしれない。症状の原因は、健康だと思っているうちに、無意識のうちに蓄積されていたのだろう。

「素直でおとなしいいい子」 と思っていたのに、ある時から急に問題行動を起こし始める子がいる。これも 「素直でおとなしい子」 であった時に、じわじわとストレスが溜まっていたのだ。

台風ラッシュがおかしいのではない。地震の頻発が忌まわしいのではない。病気の症状や、問題行動が忌まわしいのではない。一見忌まわしい現象が現れていない時こそ、注意しなければならない。

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2005/01/12

戦艦大和に 「オチ」 はつかない

先日の日曜日の TBS ラジオで、「世界三大無用の長物」 とは何かというのを放送していた。

その答えは何通りかあり、いずれも 「万里の長城、ピラミッド、戦艦大和、新幹線、青函トンネル」 の 5つの中から 3つを組み合わせたもののようだった。

「凱旋門」 を加えるとする説もあるが、それはややマイナーである。いずれにしても、どれもが 「大きいばかりで全然役に立たないもの」 というコンセプトで選ばれたものらしい。

発端は、「制空権を得たものが戦争に勝利する」 という時代になっても、戦艦大和という無用の長物を、巨費を投じて建造してしまった日本海軍を自嘲して、「万里の長城、ピラミッド、戦艦大和は、世界の三大バカ」 と言ったものと推測される。

そこにどうして新幹線が加わるのか。「新幹線はどうみても役に立っているではないか」 ということになるが、昭和 30年代に新幹線計画が発表された当時は、「これからは自動車の時代になるのに、そんなものを作って何になるのか」 と、反対論が多かったらしいのである。

それで、莫大な予算がかかる新幹線は、「世界の三バカ、ピラミッド、万里の長城、戦艦大和に次ぐ大バカ」 とまで言われていた。しかし東海道新幹線に関する限り、この見方が明らかに間違っていたことは、歴史が照明している。このまま際限なくあちこちで造り続けていったら、さすがにどうなるかわからないが。

青函トンネルという説もある。巨費を投じたという点では、他の 5つにひけを取らない。鉄道建設公団のある幹部は、青函トンネルの意義を聞かれ、「男のロマンです」 と答えて失笑を買った。「万里の長城、戦艦大和、青函トンネルは世界の三大バカ査定である」 と放言した大蔵省の主計官は、後に過剰接待で失脚するというオチまでついた。

青函トンネルに関しては、首都圏からの移動は航空機主力になったものの、北海道の物流に多大なる貢献をしているという見方もあるので、それほどばかげたものかどうかは、議論の余地があるだろう。

さらに、歴史的にずっと先行する 「ピラミッド、万里の長城、凱旋門」 は、今や立派な観光資源となっているので、それほど馬鹿にしたものではない。

すると、残るは戦艦大和ただ一つになる。確かにこれはあまり言い訳ができない無駄遣いだったようだ。吉田満著 『戦艦大和の最期』 によると、アメリカ軍撃滅の命令を受け、沖縄に向けて出撃した戦艦大和の、他ならぬ 3000人を超える乗組員自身が、それが勝算のない自滅行為であることを、十分に認識していたもののようだ。

何しろ、この出撃は、戦艦大和を沖縄近海に座礁させて砲台として使おうとしたとか、単に巨大戦艦に死に場所を与えるためのものだったとかいう話まである。「万里の長城、ピラミッド、戦艦大和は、世界の三大バカ」 というのは、この戦艦大和の最期の出撃の艦内で自嘲的に叫ばれてもいたらしい。

確実に迫り来る自分たちの死に、それなりの意義が欲しいと願う青年たちの激論は、艦内で殴り合いの喧嘩にまで発展し、それを収拾したのは、哨戒長臼淵大尉の次のような言葉だったという。

「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。俺達はその先駆けとなるのだ」

あまりにも悲しすぎる意義である。こんな落としどころのない馬鹿話が他にあるだろうか。我々はとてつもない宿題を、まだ解決していない。

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2005/01/11

日本では受けない 「世界一おもしろいジョーク」

Rtmr さんのサイトで、「世界一おもしろいジョーク」 というのが紹介されていた。2チャンネルのだいぶ古いログから探されたようだが、ちょっと興味を引いた。

英国科学振興協会がどんないきさつからか、ほぼ 4年前に実施したオンライン投票で、トップに輝いたジョークである。

どんなジョークかというと、こんなのである。できれば、原文のまま読んで笑ってもらいたい。登場人物は、シャーロック・ホームズとワトソン君。"deduce" というのが、「推理する、推論する」 という意味であることさえわかれば、それほど難しい英文ではない。

Sherlock Holmes and Dr Watson are going camping. They pitch their tent under the stars and go to sleep. Sometime in the middle of the night Holmes waked Watson up.

"Watson, look up at the stars, and tell me what you deduce."

Watson says, "I see millions of stars, and if there are millions of stars, and if even a few of those have planets, it’s quite likely there are some planets like Earth, and if there are a few planets like Earth out there, there might also be life."

Holmes replied: "Watson, you idiot, somebody stole our tent!"

念のため、私の訳を載せておく。

名探偵シャーロック・ホームズと助手のワトソンがキャンプをしていた。彼らは星空の元でテントを張り、眠りに落ちたが、夜中にホームズがワトソン君を起こした。

「ワトソン君、見たまえ。綺麗な星空だ。この星空からどんな推理ができるかね?」

ワトソンは答えた。「とても多くの星が見えます。もしとても多くの恒星があり、もしそのうちのほんの僅かでも惑星をもつとしたら、多分、地球に似た惑星もあることでしょうし、もし地球に似た惑星があるとしたら、生命が存在するかもしれませんね」

ホームズは言った。「ワトソン君、わかってないね。我々のテントが盗まれたんだよ」

件の 2チャンネルのスレッドでは、このジョークがなんでおもしろいのかわからないという反応が圧倒的多数である。もっとも、このスレッドに載せられた訳はちょっとお粗末で、これでは笑えないのも無理はない。

とはいえ、私の訳なら笑えるかというと、それもちょっと難しいかもしれない。やっぱり、英語の言い回しがあって初めて面白さが際立つ。

ジョークの面白さを 「どうして面白いかというとね・・・」 と説明するのは、無粋もいいところだが、敢えてその無粋をやらせてもらおう。

ホームズが、ワトソンに "tell me what you deduce" (君の推理を聞かせてくれたまえ) というのは、いわば、シャーロック・ホームズ物の 「お約束」 である。それに対して、ワトソン君は必死に考えた推論を述べるのだが、ことごとく見当外れというのも、やはり 「お約束」 である。

まず、この前提を踏まえておかなければならない。そして、このオンライン投票が 「英国科学推進協会」 というお堅い団体の主催ということも、前提の一つである。英国のジョークは、極めて論理的に構築される。

ワトソン君は、投票主催者におもねたわけでもあるまいが、必死に宇宙科学的な推論を述べようとする。下手な断定をして論難されるのを避けようと慎重になるあまり、妙ちくりんでまわりくどい仮定法を 2回半も駆使している。二流の科学論文にありがちな陳腐さである。

このあたり、オンライン投票に応じた科学者たちの、心の琴線に触れるものがあったろう。「こんな苦し紛れの論理展開と、ありきたりの結論。俺も学生時代のレポートでやったことがあったっけ」 なんてね。

そしてお約束通り、ホームズにぴしゃりとやられるわけだが、壮大な宇宙的推論と現実のギャップ、そして当のホームズにしても、寝ている間にテントを盗まれるのに気付かなかったというのが、ミソだろう。

こうして書いてみると、西欧のジョークはなんで面白いのかを、とても論理的に説明できる (実際には説明しないからいいのだが)。一方、最近の日本のギャグは 「単に奇異で滑稽であること」 によって笑わそうとするものが多い。「考えオチ」 というのは流行らないようだ。

Rtmr さんも、「川柳には乾いた笑いがある。また古典文学に散見される言葉遊びも十分機知に富んでいる。日本の文化にもウイットの下地はあるのだが一般受けしないようだ」 と書かれている。確かに日本の文化はちょっと衰弱しつつあるかもしれない。

参照: 世界一おもしろいジョーク

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2005/01/10

一人勝ちなんかしなくても

マーケティングのセミナーで、ある特定のセグメントでトップになることの重要性を強調するときによく引き合いに出されるのが、「日本で 2番目に高い山を知っているか」 という話である。

正解は南アルプスの北岳。標高は 3192m である。

ところが、講師がセミナー参加者に 「日本で 2番目に高い山を知っている人は挙手してみてください」 というと、大抵 1割以下の人しか知らないのである。それで、「ほらね、日本一の富士山は誰でも知ってるけど、2番目になると途端に認知度が低くなる。トップになることは、それほど重要なんです」 という話に持って行かれる。

要するに 「一人勝ち」 することが重要だというお話になってしまうのである。

しかし、このたとえ話も、結婚式披露宴スピーチの 「三つの袋」 並みにステロタイプになってきたので、ちょっと突っ込んでおく必要があるだろう。

富士山の標高は 3776メートルだが、日本の山の標高ベスト 10は、富士山を別としてすべて 3100m 台。ドングリの背比べである。しかも、富士山以外は北アルプスか南アルプスの稜線に連なっており、独立峰ではない。だから、もし富士山より多少高かったとしても、目立たないのである。

ありていに言えば、ベスト 20 に入るような標高 3000m 級の山で、登山好きなら別だが、普通の人がよく知っている山なんて、ほとんどない。だから、この話は例としてふさわしくないような気がするのだ。

山として有名なのは、むしろ、全国各地で 「○○富士」 として親しまれている独立峰である。静岡県富士市のサイトには、「ふるさとの富士山大集合」 というページがあり、それによると、全国には 316 の 「富士山」 があるらしい。

北海道、東北の主なところだけでも、蝦夷富士 = 羊蹄山、津軽富士 = 岩木山、出羽富士 = 鳥海山、会津富士 = 磐梯山  などがある。

こうした山々は、北アルプスや南アルプスの 3000m峰よりずっと有名である。北岳を知らなくても、岩木山や磐梯山を知る人はいくらでもいる。これらは、標高でいえば 2000m にも満たないのだが。

要するに、標高でマーケティングの話をするのは、ちょっと無理があると思うのだ。標高なんか大して高くなくても、山というのは、姿形が綺麗で、地元に密着していさえすれば、かなりのブランド力をもってしまうのである。

だったら、マーケティングでも同じである。別に売上高なんかでトップにならなくても、ずっと小規模でもきちんと生き延びる方策はあるはずなのだ。

逆に、下手に 「一人勝ち」 なんかしてしまうと、市場規模自体が小さくなってしまう。ジャイアンツ一人勝ちで進めてきたプロ野球がその好例だ。一人勝ち市場というのは、ピークを過ぎると縮小に歯止めをかけるのが難しい。

全国のローカルな 「富士山」 が本家本元のコバンザメのごとくご威光にあやかっているのではなく、逆に、本家本元は、あまたのローカル富士の裾野に支えられてこそ、あれだけのブランド力なのである。裾野を潰してしまったら、山は崩れるのだ。

低迷する市場のトップより、堅実な市場の中堅の方がずっとリッチだったりする。

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2005/01/09

年賀状のジレンマ

年賀状はいつまで出してもいいのかという議論がある。一応の正解は 1月 15日までなら OK と言い習わされている。

最近は 7日までが 「松の内」 とされているが、伝統的には小正月の 15日までで、それまでは、年賀状を出したり新年の挨拶をしても不自然ではないことになっている。

今年は 1月 8日になってから、年賀状が結構ごっそりと届いた。これは多分、こちらから出した年賀状をみて、あわてて返事として書かれたものが多いだろう。

年賀状を出すべきかどうか迷う先がある。交際が断絶したというわけではないが、自然に縁遠くなり、とくに正月だからと言って挨拶をしなければならないというような間柄でもない。しかし、前年の記録を見ると、こちらからも出し、先方からも届いている。

こうなると、何となく惰性で年賀状を出してしまう。とくに、宛名書きなどはパソコン任せだから、リストでチェックマークを入れさえすれば、後は自動的に印刷される。別に負担になるわけでもない。

しかし、こういうのは、考えてみると案外余計なことなのかもしれない。年賀状を出したからといって、とくにどうということもない。久しぶりに会って話をしたいというほどの仲でもない。単に年頭に儀礼的なやりとりをするだけで、そのほかに何の意味もない。

先方としては、「今年は出さなくてもいいか」 と思って放っておいた私から賀状が届いたので、あわてて返事を書いたという可能性もある。こちらから出さなければ、何ということもなく、それで終わりというはずだったかもしれないのだ。

今年は、こちらから出したので仕方なく返事として届いたと見られるケースが、きちんと判別できるように記録しておこう。そうすれば、今後、お互いの負担が減る。

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2005/01/08

「評価を仰ぐ」 ことの危うさ

私は 「知のヴァーリトゥード」 の他に、「和歌ログ」 というサイトを持っていて、毎日和歌を詠んで発表している。

私は自分の歌が下手の横好きと十分承知しているので、いくらけなされても 「もっともだ」 と受け入れられるが、世の中には 「けなされる免疫」 のない人もいる。

誰かが何かの作品を作り、その 「評価を仰ぐ」 などと称して公に発表したとする。その作品に関する感想を、制作者自身に求められたりすることがあるが、そんなとき、私は大変困惑する。

どの程度率直な意見を述べていいか、判断できない場合は、大抵の場合、日本人お得意の 「本音と建前」 を駆使して、建前で誉めておくのが無難である。 「けなされる免疫」 のない人に対して、迂闊に率直な感想を述べてしまったら、話が面倒になる場合が多いのだ。

怒り出すか、落ち込むかのどちらかになる可能性が非常に高い。下手をすると、逆恨みを買ってしまう場合もある。仕方がないから、つい、当たり障りのない適当な誉め方をしてしまう。すると、相手は真に受けてしまって、「皆様には望外の評価をいただきました」 などと言い出す場合があるので、また困ってしまう。

「建前」 で誉められる日本が信用できないと言って、外国にまで遠征して 「評価を仰ぐ」 などという、経済に余裕のある人もいる。ところが、「本音と建前」 を駆使するのは、何も日本人ばかりではない。西洋人だって、実はものすごく建前主義である。

考えてみるがいい。縁もゆかりもない東洋人が変てこな作品を持ってきて、「どう思うか」 などと聞いてくる。それに対して正直な感想を述べるなどという労力を要する作業をする者などいない。せいぜい相手を傷つけないような適当なコメントをして、その場を逃れようとするだけだ。

ところが 「ナイーブ」 な人は、その場しのぎのコメントとは受け取らず、「本場のヨーロッパでも高い評価をいただきました」 などと舞い上がってしまうから、始末が悪い。(この場合の 「ナイーブ」 は、言葉本来の 「子どもっぽい」 とか 「世間知らず」 とかいう意味である)

「評価を仰ぐ」 というのは、実はそれほど難しい。本気で評価を求めたかったら、無邪気な顔をして自分で聞いたりしてはいけない。作品をほっぽり出して、世間の人がどう見るかを観察していればいい。大抵は自分が思うほど、世間の人は注目などしてくれない。要するに、 「どうでもいい作品」 なのである。

その 「どうでもいい作品」 の質を上げていくためには、本音で評価してくれる少数の 「目利き」 を得ることである。どうでもいいコメントしかしない 100人に聞くより、きちんとした評価をしてくれる 1人に聞く方がずっと有益である。

しかし、その 「きちんとした評価」 を役立てるためには、「けなされる免疫」 をきちんと備えなければならない。けなされるのが気にくわなかったら、初めから自己満足の域にとどまって、下手に評価なんか仰がないことだ。

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2005/01/07

今日的煙草の美学

日本医師会の調査で、日本の男性医師の喫煙率は 21%で、英米の 3~5%に比べて高率であることがわかったという。

この数字は、とても多くのことを示唆している。まず、日本の一般成人男性の喫煙率が 約 47%なので、医師はその半分以下である。これをどうみるか。

同じ数字をみても、視点によって、まったく逆の結論を導き出せる。医師はさすがに煙草の健康に対する害を熟知しているので、喫煙率が一般成人男子の半分以下にとどまっていると、肯定的に捉えるべきか。あるいは、煙草の害を知り尽くしている医師にして、まだ 20%以上が煙草を止められないでいると、否定的にみるべきか。

さらに、国際比較の視点もある。米国の一般成人男子の喫煙率が約 20%であるのに対し、男性医師は 3~5%と、4~7分の 1である。一方、日本ではそれぞれ 46%、21%と、約 2分の 1弱である。これは、日本の男性医師の嫌煙意識の相対的な低さを物語る。

日本の医師が意固地なのか、あるいは意志が弱くて禁煙に踏み切れないのか。いずれにしても、私は個人的には煙草を吸う医師にはかかりたくないと思う。

さらに、興味ある推論は、煙草の健康被害をいくら知っても、完全な禁煙には結びつかないということである。私は、煙草のパッケージにいくら健康に関する警告表示をしたところで、禁煙には大した効果はないと思っている。医師にしてからが、この程度なのだから。

健康のために煙草を止めるなどというのは、よほど身体を悪くして切羽詰まってからというのが多い。しかし、誤解を恐れずに言えば、私は健康が急激に悪化してドクターストップがかかり、初めて煙草を止めたという人を、むしろ内心軽蔑する者である。

それまで開き直って煙草を吸い続けていたくせに、自分の命が危ないとなって手の平返しに禁煙するとは、あまりにもエゴイスティックである。往生際が悪い。

それほど煙草が好きなら、死ぬまで吸い続けるのが、男の美学というものだろうと言いたくなる。その美学を貫き通せない者は、自分の命にはそれほど執着しながら、それまでは、平気で他人の命に害を与えていたことを、心の底から恥じるべきである。

煙草を止めるのは、結局は 「自分の健康のため」 ではなく、「周囲に害を与えないため」 が先に立たなければならない。健康意識と言うよりは、倫理意識である。それが今日的な煙草の美学である。

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2005/01/06

あけおめメール

近頃の若い子たちは、年賀状を出さなくなっているようだ。ウチの娘たちも、今年はほとんど出していない。

その代わり、ケータイでメールをやりとりしているらしい。それを 「あけおめメール」 と称している。なるほど、時代の変わり目というのは、今まさに来ているようなのだ。

メールで新年の挨拶なんてと、眉をひそめる向きもあるかもしれないが、時代とはそんなものだ。そもそも、年賀状という風習だって、時代を遡れば、失礼なものと思われていたようなのだ。

元々は、新年の挨拶というのは 「年始回り」 と言って、直接相手の家に出向いてするものだった。遠方の者には仕方がないので飛脚に文を託すということもあったようだが、直接会って挨拶するのが原則とされていた。だから、元旦の江戸の街は、年始回りの人でごった返したようである。

明治に入っても、それは同じだった。遠方の知己には郵便で済ませても、同じ地域の中で年賀状を出すなどというのは、失礼なことと考えられていたようである。それが、明治 27年 8月から翌年 3月まで続いた日清戦争を機に、「戦時中に呑気に年始回りでもあるまい」 ということで、郵便での挨拶が急増したと言われている。

年始回りをせずに葉書で済ませるというのは、当初は 「戦争だから仕方がない」 という言い訳がたって初めて普及したのだが、人間は、一度楽を覚えてしまうと、後戻りはきかない。戦争が終わっても、郵便による新年の挨拶は、一部の顰蹙をよそに増える一方となった。

そのため、ついに日清戦争の 5年後の明治 32年には、元旦に一斉に届けるという年賀郵便の制度が発足してしまったのである。こうなると、実際に正月に顔を合わす同士でも、年賀状のやりとりをしない方が失礼のように感じられるまでになってしまった。

最近の 「あけおめメール」 は、この日清戦争を境にした変化のぶり返しみたいなものだ。葉書の年賀状だって、元をたどれば楽を求めた革新派だったのである。変化に弾みをつける要素としては、楽に勝るものはないのである。

年賀状とメールは、しばらく併存状態が続くだろうが、次第にメールが優勢になっていくだろう。葉書の優位性は、今や 「お年玉」 くらいのものかもしれない。

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2005/01/05

Blog を二本立てにした

「今日の一撃」 の本文をおく blog を、二本立てにした。これまでは Cocolog のみだったが、1月 1日まで遡って、Hatena Diary にも同じテキストをアップロードした。

本宅のトップページをスルーして直接ブログに行く方は、今後、好きな方、あるいは軽い方を選んでアクセスできる。

Hatena Diary の方の URL は、http://d.hatena.ne.jp/tak-shonai/

このサイトは、昨年の 7月以前は 「繊維ファッション業界情報つまみ食い」 という blog を運営していたが、それ以後、まとめて cocolog に移転したので、過去ログの置き場にしていた。その過去ログもアーカイブに落とし込んですっかり空き家になり、自由に使えるようになったので、有効利用しようというわけである。

とはいえ、あくまでもメインは Cocolog で、Hatena Diary の方はリザーブという位置づけだ。

「今日の一撃」 の本文は、すっかり Cocolog のサーバに預けてしまうので、ローカルに残らない。ローカルで作成したファイルを FTP する方式ならば、ウェブサーバとローカルに同じファイルが残るので安心だが、ブログを直接編集してしまうと、そうはいかない。

昨年に、一度だけ、どう間違えたのか、前にアップしたログを消してしまったことがあった。一度消してしまうと、オリジナルが手元にないので、再度アップロードするわけにも行かず、必死に思い出して再構築した。しかし、2つのブログを使っていれば、一方が消えてしまっても、他方からコピーすることができる。これでかなり安心度が高まる。

あるいは、Cocolog がメンテナンス中でも、取り敢えず Hatena Diary の方にログを載せて、本宅からリンクさせてしまうという手も使えるだろう。

Cocolog と Hatena Diary は、同じブログ・サービスとはいえ、かなりコンセプトが違い、使い勝手もまったく違う。

Hatena Diary の方が、Cocolog よりもヘッダ部分のデザインの自由度が高いが、ヘッダ部分を自由に使ってしまうと、今度は本文の方のデザインの自由度が失われてしまう。スタイルシートやモジュールを駆使すればなんとかなるようだが、そこまで手をかける暇がない。

Cocolog は、ヘッダ部分の自由度は低いが、本文やサイドバーのデザインはかなり自由にできる。

一方、Hatena Diary は、キーワードで自動的にリンクがはられて、他のブログとの間を簡単に行き来できるという機能もある。このあたりはせいぜい有効利用させてもらおう。

問題は、Blog を二本立てにすると、ますます本宅サイトを素通りして Blog に直接アクセスする人が増えるだろうということだ。現状でも、Cocolog のアクセスの方が本宅トップページより平均 5割方多い。この傾向に拍車がかかるかもしれない。

私のコンテンツは、「今日の一撃」 だけではないので、できれば、tak-shonai のポータルである本宅サイトにも顔を出していただきたいと思っているのだが。

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2005/01/04

月日は流れ、私は残る

更新のネタに困ったので、昨年の今頃の自分のコラムを改めて眺めてみた。

昨年の 1月 3日付には、「気象予報士の森田正光さんによると、申年というのは冷夏になる確率が高いのだそうだ」 とある。過去 60年の 5回の申年のうち、4回が冷夏だったそうだが、これは完璧に外れた。

これで、過去 6回の申年のうち、4回は冷夏だったかもしれないが、少なくとも 1回は 「猛暑」 だったということになる。もっとも、人間の記憶というのは時とともに急速に薄れていくもので、昨年が猛暑ということすらもう忘れられかけているかもしれない。

記憶というのは、本当にどんどん薄れていく。例えば、昨年の 1月 4日のコラムには 「家族のアッシー君で大変だった」 と、次のように書いてある。

取手駅からの最終バスが、正月ダイヤで、なんと午後 7時半で終わったのである。外出した全員から、それぞれのタイミングで 「バスがないよ~、迎えに来て」 と電話が入る。

おかげで、3日の夜は、午後8時、9時半、10時半と、3回も取手駅まで車で家族を迎えに行くはめになった。ほとんど、行っては戻り、また行っては戻るというタイミングである。

つまり、1年前は我が家の車は 1台で、運転する者は私しかいなかったのである。長女はその頃、ペーパードライバーで、危なくてハンドルなんか握らせられなかった。ところが、今や我が家は自家用車 3台をもつ家になってしまったのである。長女と次女が、それぞれ自分専用の軽自動車 (中古) を持つ身分になったのだ。

だから、最近は私は家族のアッシー君の役割からはかなり免れている。それは今や当然の気分になっているのだが、実はこのありがたい状態になってから、まだ半年そこそこなのだ。

時の経つのはまことに早いものだが、よく考えてみると、どんどん変わっていくのは周囲の環境ばかりで、自分自身は大して何も変わっていないことに気付く。

なんだかこんな感じの詩があったなぁと、アポリネールの 「ミラボー橋」 を思い出した。本棚から30年以上前に買った 「アポリネール詩集」 を取り出してみると、こんな出だしである。

ミラボー橋のしたセーヌは流れ
  わたしたちの恋も
 せめて思い出そうか
悩みのあとには喜びが来ると

  夜は来い鐘は鳴れ
 日は過ぎ去りわたしは残る


これは飯島耕一訳だが、「月日は流れ 私は残る」 という古典的な訳のリフレインの方が有名かもしれない。

ところが、今や、時の流れは早すぎて、誰もが何らかの意味で 「取り残され」 てしまっている。それならそれで、いっそ積極的に残っていってみようではないか。

毎日コラムを更新するとは、私がよりピュアな 「我」 として残るための作業のような気がするのである。

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2005/01/03

餅はリスキーな食品と認識すべし

餅って危ないなと、しみじみ思う。1日から 2日にかけて、関東各地で餅を喉に詰まらせて窒息死する事故が相次ぎ、老人 4人が死亡、15人が重体になった。(参照

毎年正月になると、同じようなニュースが何件も報じられる。季節限定で言えば、フグの中毒死より多いだろう。

餅は、とくに老人にとってはフグ以上にリスキーな食品であると認識しなければならない。

しかし、実際には老人ほど餅をありがたがって食べるのである。全国の老人に 「正月に餅を食うな」 と言ったら、総スカンを食うに違いない。それほど伝統文化に根ざした慣習というのは、抜き差しならないものである。正月の餅というのは、信仰そのものと言っていい。

老人の 「飲み込む力」 というのは、かなり衰えるもののようなのだ。このニュースを聞いて、私は冗談ではなく、「歳を取ったら、餅は小さく切り分けて、ちまちまとゆっくり食べよう」 と思ったのである。

しかし、実際に歳を取って適当にボケが入ったらどうなるかわかったものではない。

何しろ、餅を喉につまらせて大変な目にあうのは、圧倒的に男の方が多いようなのだ。都内では 2日午後 10時までに救急車で搬送されたのは、男性 20人、女性 5人の、計 25人、そのうち重体になったのは、男性 13人、女性 2人の計 15人、そして、死亡したのは 4人とも男性である。

「おじいちゃん、もう年なんだから、お雑煮はゆっくり召し上がってくださいよ」 なんて言われても、「ふん、正月の餅を食うのに、なんでそこまで言われなきゃいかんのだ!」 などと、妙に意固地になって、ついわしわし食ってしまうおじいちゃんが多いのだろう。私なんかも危なそうだ。気を付けなければ。

それにしても、これほどまでにリスキーな食物を、なんとか改良しようという試みはないのだろうか。「粘りはあるが、粘着力のない餅米」 なんていうのが困難なら、 「老人向け雑煮用サイコロ大のお餅」 とかなら、すぐにでもできそうではないか。煮ても焼いても隣の餅とくっつかないように、表面には身体に無害の特殊加工を施すと、なおいい。

もしどこかの食品メーカーがこれを読んで商品化するようなら、菓子折の一つぐらいもって挨拶に来てもらいたいものだ。

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2005/01/02

中越の菩薩たち

新潟中越地震の被災者たちの間で、スマトラ沖大地震の被災者に義援金を送る動きが広がっているという。「今度は自分たちが恩返しを」 ということだそうだ。(参照

何という素晴らしい人たちだろう。私は折に触れて中越の被災者たちの 「辛抱強さ」 を讃えてきたが、それ以上の美徳である。

「知のヴァーリトゥード」 の BBS に alex さんが 昨年 11月 5日に以下のようにコメントを寄せてくれた。

今度の新潟中越地震の被害者達。 インタビューに答えるそのコメントがいかにもおとなしい。 恨みがましいこともほとんど言わずに・・・。

2ちゃんねるなどでこれ以上ないほど、口汚く罵倒合戦をする若い人たちの親であり祖父母である年代の人たちの、人生が破壊されるような大災害のまっただ中で、つつましく、自己主張のほとんど無い、我慢を当然とするような精神的態度を見ていると、古い昔の日本人を見ている気になります。

日本人の性格についてはいろいろな批判もありますが、今回は美しいものを見たという気持ちです。

本当に、私も美しいものを見たという気がしていた。あれだけの大災害に見舞われながら、ほとんど泣き言を言わない人たち。そして、山古志村の崩れた家に再び訪れた時、初めて泣き崩れた老婆の、その涙の理由が、ご先祖の位牌が泥流にさらわれて失われたということであったことなど。

本当に、涙の落ちる思いがしていたのである。

そして、今回のこのニュースである。この人たちは、どこまで辛抱強く、義理堅いのだろうが。自らの災害からの復興が未だ進まないうちに、外国の災害に思いを寄せるという、その心根を美しいと言わずになんと表現したらいいのだろう。

菩薩とは、「己 (おのれ) 未だ度 (わた) らざる先に、衆生を度 (わた) さんと発願修行するもの」 である。その意味で、彼らはまさに菩薩である。

本当に、「眠れる遺伝子」 のスイッチがオンされるような気がする。こうした心根を、我々は失ってはならないと思うのである。

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2005/01/01

常夜の長鳴鳥 - 予祝の思想

災害ばかり多かった気のする平成 16年はあれよあれよという間に暮れて、平成 17年酉年になってしまった。

古事記には 「常夜の長鳴鳥 (とこよのながなきどり)」 という鶏が出てくる。真っ暗になった高天原の天の岩屋戸の前で高らかに鳴き、天照大神の再臨を促した。

古事記の記述は、以下のようになっている。

ここを以ちて八百萬の神、天安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日神 (たかみむすびのかみ) の子、思金神 (おもいかねのかみ) に思はしめ、常夜の長鳴鳥を集めて鳴かしめて、(中略) 天宇受賣命 (あめのうずめのみこと)、天の香具山の天の日影(ひかげ)を手次 (たすき) に繋けて、天の眞拆 (まさき) をかづらとして、天の香山の小竹葉 (ささば) を手草に結 (ゆ) ひて天の石屋戸に桶伏せて蹈 (ふ) みとどろこし、神懸りして、胸乳を掛き出で裳緒 (もひも) をほとに忍 (お) し垂れき。爾に高天の原動 (とよ) みて、八百萬の神共に咲 (わら) ひき。

有名なアメノウズメノミコトの踊りに先立ち、「常夜の長鳴鳥」 を集めて高らかに鳴かせ、高天原の夜がまだ明けぬ間に夜明けを告げさせたのである。

神社の入り口にあるゲートを 「鳥居」 というところからみても、どうも 「鳥」 (この場合、鶏) は、「この世」 と 「この世ならぬ世」 を行き来する特別な存在であり、さらに、「結界」 を司る能力があるとみられていたようなのである。夜と朝の結界を鳴いて知らせるのも、そうした力ということのようだ。

だから、「常夜の長鳴鳥を集めて鳴かしめ」 たというのは、闇が消え、再び光が満ちることをストーリー付けるという意味があったわけだ。

日本には 「予祝」 という伝統がある。よい結果が現れるに先だって、予め祝っておくのである。田植えの前に豊作を喜ぶ祭りをしてしまうのはそれである。最近のニュースでは、「豊作を祈願する祭」 などと紹介するが、「祈願」 というより、先取りして祝っているのである。

そこには、「喜ぶ心」 が 「良き結果」 をもたらすという直観がある。村上和雄氏の 「遺伝子をスイッチオンするのは、ポジティブな想念」 という主張につながる。(参照

暗いことの多かった平成 16年を終えた今、まず悦んでおこうと思うのである。年賀状にもそれを書いた。

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