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2005年6月に作成された投稿

2005/06/30

投票と信心

溜まりに溜まった月末締めの仕事をこなすうちに、今日の一撃の更新を忘れるところだった。ようやく一段落付いたので、毎日更新の記録を継続させよう。

ということで今日は、政治と宗教について語ろう。別に政教分離とか、靖国とかではなく、フツーの日本人の心根の問題である。

いろいろなマスメディアが、都議選を前に世論調査をしているが、相変わらず、50%前後が 「誰に投票するか決めていない」 という解答で、断然トップである (参照)。 これは、各種の調査で 「支持政党なし」 という解答が 50%前後になるのと同様の傾向だ (参照)。

世界中の全ての国の事情を知っているわけではないので、言い切ることはできないが、こうした我が国の事情というのは、かなり特殊なことではあるまいか。私の知っている多くの国では、いい大人の半数が支持政党を明確にできないなんて、あり得ないことである。

大抵の大人は、支持政党を明確にしていて、その上で少数の浮動層の動きとか、有権者の心変わりとか、失政に対する批判票の増加とかで、選挙の結果は決まる。半数以上が浮動票なんて、かなりわけのわからん国である。

そして、この半数前後が 「支持政党なし」 というのは、ある統計と似通っていることに気がついた。それは日本人の宗教に関する調査結果である。

NHK 放送文化研究所の 『放送研究と調査』 (1999.5) に、「日本人の宗教意識」 というレポートが載っているらしい。ネットジャーナルQ というサイトの中に、それに触れたページがある (参照)。

それによると、日本人の宗教意識の調査では、「宗教を信仰していない」 という回答が 56.4% に上っている。これも、共産圏を別とすれば、かなり異様な数字と言える。大抵の国では、自分はカソリックだとか、プロテスタントだとか、ムスリムだとか、信仰する宗教を明確にしている。

それに、日本人の半数は 「宗教を信仰していない」 と言いながら、「年一回以上神様や仏様を拝んだり、祈ったりしている人は 10人のうち 8人いる。これは信仰する宗教の『ある』 『なし』 にほとんど関係ない」 と報告されている。これは初詣などのお宮参りのことを指すのだろう。

信仰していない神仏を拝むとは、よくよくわけのわからん国である。しかし、その奥を考えると、これは日本人の心根と関係のある話だとわかる。

日本人は、旗幟鮮明にすることが嫌いなのである。「私は○○党支持です」 とか 「私は□□宗の信者です」 とか言うのを、あまり好まない。

日本人が抵抗なく帰属意識をもつのは、会社ぐらいのものだった。しかし、最近は会社への帰属意識も薄れている。

それでは、日本人は何に対して帰属意識をもつのか? それは 「日本」 という共同体に対してである。決して 「国家」 に対してではなく、「共同体」 という幻想に対してである。この帰属意識は、かなり無意識的であるだけに、とても強いものだ。

だからこそ、幻想共同体のシンボルである神社へのお宮参りには、「無宗教」 のくせに、ほとんど抵抗がない。「無宗教」 ではなく 「日本教」 だと山本七平氏が指摘したのもむべなるかなである。

幻想の共同体に対してどっぷりと帰属して、安穏に暮らしていられるのだから、それ以上細かいものに帰属する必要がないのである。「日本教」 の根本教理は 「みんな一緒、以心伝心、お互い様」 だから、あまり自分の事情を声高に述べて、軋轢を醸し出すことは避けたいのだ。

これが、民族の入り混じる大陸国家では、自分のアイデンティティを鮮明にしておく必要があるという事情との、大きな違いだ。

しかし、安穏に共同幻想に埋没していられるのも、そう長くはないぞ。「みんな一緒」 という意識は、突き詰めるととても素晴らしい哲学ではあるのだが、そろそろ自分の立場をいうものも、しっかりと確認しておかなければならないと思うがなあ。

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2005/06/29

感情と気分

世の中には、何かというと感情をむき出しにする人もいるが、私は自分の感情を表に出すことを、あまり潔しとしないものである。

もしかしたら、つい感情が出てしまうこともあるかもしれないが、少なくとも、周囲に余計な気の使わせ方をしなくても済むように、極力控えめであるよう気を付けている。

私が 「いわゆる巨人ファン」 に違和感を抱いてしまうのは、この点である。典型的な巨人ファンというのは、けっこう感情的である。前夜に巨人が勝てば機嫌がいいし、負けると機嫌が悪い。意識的にか無意識的にか、それをストレートに出す人が多い。

私は、前夜の野球の結果によって周囲に余計な気の使い方をさせるなどというのは、「甘え」 以外の何物でもないと思うのだ。いい大人の態度じゃない。まあ、それがたわいないゲーム感覚の場合もあるが。

それでなくても、感情的になると、進む話も進まなくなることがある。できる限り、クールに行きたいものである。

とはいえ、私は 「喜怒哀楽」 の 「喜」 と 「楽」 の二つに関しては、あまり遠慮せずに表現することにしている。「怒」 と 「哀」 を遠慮なく表現すると、周囲に軋轢を生じさせるが、 「喜」 と 「楽」 ならば、「感情的」 というよりは、「気分の問題」 に帰結して、いい気持ちで仕事ができる。

人間、同じコトをするなら、「いい気分」 でやるに限る。気分がめげてしまうと、決していい結果にならないのである。

最近注目の女子バレーボールを例に語ろう。

柳本監督という人は、選手に 「気分良く」 バレーをさせることのできるキャラクターだと思う。例えば、作戦タイムの時の集音マイクの声を聞いても、あまり選手を叱りつけたり、不必要に悲壮になったりはしていない。「どうしたらいいか」 を案外具体的に説明しているようだ。

ところが、こう言ってはなんだが、前任者は違った。作戦タイムになると、「えぇか! 気持ちで負けたらあかんねん!!  気持ちや!!」 などと、悲壮感たっぷりに怒鳴ることが多かった。

そもそも、作戦タイムというのは、ピンチに陥ったときに取るものである。ピンチなのだから、選手は半分泣き顔になって監督の前に集まる。既に気分のめげかけた選手たちに 「気持ちで負けるな!」 などと怒鳴っても、逆効果だ。既に負けてしまっている気持ちを確認させてしまうだけだ。

人間、変に甘えたり悲壮になったりしてはいけないのである。何事も気分良くやるに限るのだ。今シーズンのロッテと巨人をみれば、それがよくわかるだろう。

「感情的」 ということと 「気分の問題」 は、ちょっと違うのだ。ちょっとの違いかもしれないが、結果は大きな違いになって顕れるのだ。

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2005/06/28

身も蓋もない値段

運転しながらラジオを聞いていたら、「ラジオショッピング」 というコーナーがあった。日本橋の某老舗海苔店 (名前忘れた) の贈答用焼き海苔セット、12帖 (120枚)、通常売価 1万 2千円を大幅割引で提供するという。

7-8千円ぐらいかなと思って聞いていたら、なんと 4,500円だというので、たまげた。

聞けば、ラジオショッピング用に、数量をまとめて用意したので、この値段が可能になったなどと言っている。それにしても、62% off というのはあんまりだ。高級品を商う店として、いかがなものかと思う。

高級贈答品の価値のかなりの部分は、「イメージ」 である。そのイメージを自ら損なうようなことをしては、身も蓋もないことになる。同業他社にも迷惑な話だろう。

そりゃあ、買う方としては安いに越したことはないから、大幅割引はありがたい。それに、店としても宣伝になると考えたのだろう。

しかし、一度 62%引きで買った消費者が、再び買う気になるとは思われない。4,500円だからこそ飛び付くのである。誰が同じものに 12,000円払ってリピーターになるものか。

あるいは、次回は 5帖 5,000円ほどの買い物をしてくれると期待しているのかもしれないが、そうなる確率は低い。一度は 62%引きで買っているのだから、次だって 5帖 3,100円で買いたくなるのが人情だ。少なくとも、4,000円以上払うには、心中複雑なものが去来するだろう。

一度限りのことにせよ、62%も安い価格で売れることが明らかにされてしまったのだから、通常の価格そのものに信頼を置けなくなってしまう。いつもは暴利をむさぼっていると思われても仕方がない。

いずれにしても、あまり上手なマーケティングとは思われないのである。今回は出血大サービスなのかもしれないが、高級店がそんなことをするもんじゃない。

この店の焼き海苔は、海苔の生育に適した有明海産ということに加え、注文を受けてから焼くというのが高級さの所以なのだそうだ。「へぇ?」 という気がする。いくら注文を受けてから焼くといっても、食卓直結というわけではないから、別に焼きたてが食えるわけじゃない。

安い米でも、炊く直前に精米すればブランド米に劣らず美味い。海苔だって、一番美味いのは目の前で焼きながら食う海苔ってものじゃないか。

いい蕎麦屋なんかでは、焼き海苔は炭火桐箱 (下に炭火を入れた小さな桐の箱) で供される。

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2005/06/27

6月の真夏日

まだ 6月だというのに、あちこちで真夏日になっている。ここ筑波の地も、だまっていても汗がしたたる陽気が 2日続いている。

今からこんなに暑いのでは、7月と 8月は一体どうなっていることだろう。このまま暖まり続けてしまったら、去年は達成し損なった気温 40度の公式記録が出るかもしれない。

いや、その前に、空梅雨特有の梅雨明け間際の集中豪雨というヤツにも注意しなければならないだろう。去年みたいな、バスの屋根に取り残されて、歌を歌いながら夜を明かしたなんていうニュースは、今年は見たくないなあ。

来月は、岩手県に出張になりそう。三陸海岸の北の方だと、夏でもかなり涼しいが、一関あたりではどうだろう。帰りに温泉にでも入ってこようかな。

あるいは、今年の夏は早出し型で、夏本番の頃に息切れしてしまったりしたらどうだろう。平成 5年 (1993年) は異常なほどの冷夏で、平成の米騒動と言われる騒ぎを引き起こした。あの時から、もう 12年経つ。ということは、酉年が一回りしてしまったことになる。

今でもはっきりと覚えていることがある。あの年の夏も、梅雨の頃まではいつもの年のように蒸し暑かったのだ。ところが、7月のある日曜日、我が家で昼寝をしていたところ、急にあたりの空気がすっかり入れ替わったように肌寒くなり、身震いして目が覚めた。

その瞬間を境にして、その年の夏は終わってしまったのだった。あとは秋風が吹いたのである。

暑さ寒さというのは、一瞬にして入れ替わってしまうものだと、強烈に印象づけられた経験である。今年の夏があんなことにならないという保証はない。

近頃の天気は、本当にヴァーリトゥードのように 「何でもあり」 である。何が来ても動じないように、心の準備をしておこう。

ところで、ついさっきまで PRIDE ミドル級グランプリの模様をテレビで見ていたのだが、無惨なことに、日本人選手がすべて姿を消してしまった。ヴァーリトゥードでは、ライト級グランプリを創設しないと、日本人選手の出る幕はないかも知れない。

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2005/06/26

ビールを飲まなくなった

空梅雨気味で、すっかり 「気分はもう夏!」 である。ただでさえ夏至直後で日照時間が長いのに、空に雲がかからないから、気温はぐんぐん上がる。

「夏と言えばビール」 というのがお決まりだったが、私は近頃、ビールを飲まなくなってしまった。飲んでいても飽きるのである。

先月末、町内の一斉草刈りに参加した家庭には、「ご苦労さん代」 として、缶ビール 3本が配られた。その 3本のうち、1本ががまだ冷蔵庫に眠っている。なんだか、ビールを飲む気がしないのである。

ビールを飲まないのだから、例の発泡酒なんて、まったく飲まない。飲むのは、日本酒、泡盛、ウィスキーの他、ジン・ベースのカクテルばかりである。

どうしてこんなにビールを飲まなくなってしまったのだろうかと考えると、体の習慣性が消えたということではないかと思い当たった。

3年前までサラリーマンをしていた時代には、勤め帰りに 「一杯やる」 という機会がかなりあった。そんな時、大体最初に注文するのはビールということになる。いわゆる 「取り敢えず、ビール」 というヤツである。

私は元々、「ビール大好き」 というわけではなかった。どちらかといえば、日本酒の方が好きなのである。ところが、どうも夜の飲み会では、最初から日本酒を注文するという雰囲気ではない。しかたなくビールを付き合ってから、徐々に自分の好きな酒に移行するという形が多かった。

ところが、サラリーマンを止めてからというもの、夜の飲み会がめっきり減った。すると、別に好きでもないビールから入る必要がないので、飲むときは最初から日本酒だったりする。

不思議なもので、ビールをよく飲んでいた頃は、家でもビールを飲んでいた。とくに夏は缶ビールが必需品だった。それが、変われば変わるものである。先月の缶ビールが、まだ残っているのだから。

こうしてみると、酒というのは 「習慣性」 というものが大きな比重を占めるということがわかる。飲みつけるとますます飲みたくなる。飲まなければいらないものなのである。

私の父の家系は、いわゆる下戸である。父の兄弟姉妹は、誰一人として酒を飲まない。父も 「おいしい日本酒を盃に一杯なら旨いと思うが、それ以上だと苦しくて死ぬ」 と言っている。

だから、父方の親戚の家に行くと、夏の夕暮れでもビールが出ない。そもそも、食事時に酒類を飲むという発想がないようなのである。

東北では、夕方以後に大人が二人以上寄って腰を下ろしたら、自動的に酒が出てくるというような家ばかりである。そんな中で、父方の親族の家庭はかなり異色である。

ビールを飲みたい気持ちをものすごく遠回しにアピールして、それがようやく通じると、「あぁ、そうそう、tak さんはお酒が飲めるんだ」 とか言って、冷蔵庫の奥からビールを出してきてくれるのだが、それが、何年前のビールだかわからない代物で、酸っぱくなってしまっていたりする。

以前はそれに閉口していたが、今ならまったく平気だろう。ビールなんていらない。しかし、その代わり日本酒が飲みたくなってしまったりするのだが。

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2005/06/25

ファーストフード・バトン

kumi, tha Party Girl が、「ファーストフード・バトン」 なんてものを言い出している。例のミュージカル・バトンのファーストフード版。
   
今日はあまりネタがないので、ちょっと乗ってみようかと思う。まずは、「あなたの一番好きな店は?」 という質問から。うーん、のっけから答えに詰まった。なんだろう?

それでは、ちゃんとしたフォームで。 

  1. あなたの一番好きな店は?
       
    うーむ、麺好きの私としては、最近首都圏の JR 構内で増殖中の、「さぬきうどん NRE & めりけんや」 を挙げておこうかな。
       
    ここのうどんは、その辺のフツーのうどん屋よりずっとおいしい。私としては、本当はうどんよりそばが好きなので、「小諸そば」 にも、このレベルに達してもらいたいと願っている。
  2.  
  3. 好きなファーストフードのベスト5。
       
    上記 さぬきうどん NRE & めりけんや の、「冷玉おろしうどん」
    しこしこうどんのコシの強さが、冷たい麺でますます生きる。大根おろしの辛みに、温泉卵のトロトロ感がイケる。
       
    小諸そば の 「もりそば」
    立ち食いにしては、ちゃんとしたそばが食える。そば湯まで飲める。
    ただし、暇な時間帯に、だいぶ前に茹でた麺の最後の一枚分があたったりすると、べろべろにノビていることがある。タイミングが肝心。
       
    Subway  の 「ウィート、ターキーブレスト、野菜全部入り、ホットコーヒー付き」
    ローカロリーで、野菜も摂れるのでありがたい。
    ちなみに、私は 「ウィート」 を 「ホィート」 と発音してしまうクセがあるのだけれど、別に聞き直されることもなく、普通に通じるのがうれしい。 
       
    PANDA EXPRESS の 「3-Entree Plate にアップルジュース付き」
    日本ではあまり見かけないが、アメリカの大都市ではお馴染み。
    焼きそば/ライス/炒飯のチョイスに、炒め物 2品もチョイスして、大皿にどさっと盛りつけてもらう。こういう大雑把なの、大好き。
    結構おいしいが、ちょっと脂っこいので、コーヒーでなくジュースを飲みたくなる。

    山形県の露天、出店などで買える 「玉こんにゃく
    これは美味しい。あつあつの汁のしみこんだこんにゃくが、団子みたいに串に刺してある。

  4. ファーストフード店での面白、あるいは泣けるエピソード。
       
    だいぶ以前に、今日の一撃に書いた マックのカウンターでのお話。 ここに一部再録してみる。

    先日、オフで M氏に 「昔のネタを蒸し返すようじゃ、ネタ不足なんだね」 と指摘されたが、何しろ、毎日更新というのは傍で見るより大変なのである。

    (以下、再録)

    ようやく自分の番になって、何とかセットを注文すると、女の子が甲高い声の早口で、何やら聞いてくる。

    女の子 「○*△■◎◇▽▲○◆ かぁ?」
    私    「?? はぁ??」
    女の子 「○*△■◎◇▽▲○◆ かぁ?」
    私    「なんだか、わかんない・・・」
    女の子 「○*△■◎◇▽▲○◆ かぁ?」
    私    「あなたが何を言ってるのか、さっぱりわからないということなんだけど」
    女の子 「○*△■◎◇▽▲○◆ かぁ?」
    私    「ハァ、もういいです。今までのことは忘れてね。サヨナラ」
       
    (以上)
  5.  
  6. どんなファーストフード店があったら行く?
       
    かわいい女の子が、甲高くない声で、おじさんにもわかるようにしゃべってくれるお店。
    いらっしゃいませこんにちはぁ」 と言わないお店。
  7.  
  8. 5人に繋げ!
       
    つないでいいんだろうか? うっとうしがられないだろうか?
       
    答えたいという希望が寄せられたら、バイ・オーダーでつなぐことにしたい。

以上、おしまい。

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2005/06/24

テレビ CM 受難の時代に

みのもんたの朝ワイドでの失言で、番組スポンサーが降りてしまったというニュースには、笑ってしまった。(参照

この騒動は、もしかしたらビオフェルミン製薬にとっては、負担の大きい番組スポンサーを降りるには、ちょうどいい口実になったのかもしれないと、私は疑っている。

同社のウェブサイトに当たってみたところ、昨年度の売上げは約 70億円をちょっと越したというところである。思ったより少ないが、主力商品がビオフェルミンのシリーズしかないので、まあ、そんなところか。

資本金は 12億円余りで、かなり大きいが、従業員数が 138名なので、中小企業経営革新支援法に基づく定義によれば、立派な 「中小企業」 である。当期利益が 10億円近くあるのだから優良企業なのだろうが、この規模ではワイドショーの番組スポンサーは結構な負担だったのかもしれない。

これが大正製薬クラスの大企業だったら、鷹揚に構えたフリをしてさんざん謝らせ、ペナルティとしてスポンサー料の割引なんぞをさせるところかもしれないが、中小企業としては、これ幸いと、さっさと降りてしまうに限ると判断したのだろう。

それでなくても、巷ではテレビ CM の効果に対する疑問が顕在化している。野村総合研究所 (NRI) は、ブロードバンドや HDR (ハードディスク・レコーダー)の普及により、テレビ CM 市場において、約 540億円の価値が失われた試算している。(参照

ビオフェルミンというブランドの認知率は、既にかなり大きい。中小企業にしてはかなり大きな市場的価値を持っている。この価値を維持するためだけならば、テレビ CM にこだわる必要はまったくない。

いや、テレビ CM というのは、既にかなり効率の悪い手法になってしまっていて、最低限の露出さえあればいいという考えもあり得るのである。今回スポンサーを降りたというのは、案外正しい判断だったかもしれない。

朝ワイドのスポンサーを降りて浮いた金の一部を、他の媒体広告に回したら、もっと効率のいいプロモーションができるはずだ。

いずれにしても、スポンサーの広告料に頼るという民放テレビのビジネスモデルは、このままで行くはずがない。何かチョンボしたら、スポンサーに CM 打ち切りの口実を与えてしまうことになる。

テレビ局にとっては、なかなかしんどい時代になるのだろう。

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2005/06/23

ココログにログインできなくなっちまった

「今日の一撃」 の本文は @nifty のブログ、ココログを使っているのだが、22日の午後から、なぜか管理画面にログインできなくなってしまった。当然、更新もできない。

こんなこともあろうかと、リザーブとして 「はてな・ダイアリー」 を確保しておいてよかった。「転ばぬ先の杖」 とはよく言ったものだ。

それにしても、困ったものである。常連読者の中には、直接ココログの方に行っておられる方もずいぶんいるので、その中の何名かは「tak のやつ、ついに謳い文句の "毎日更新" が途切れてしまったな」 と思ってしまうに違いない。

お生憎様である。そんなに簡単に途切れはしない。私は案外しぶといのだ。こんなこともあるから、直接ブログの方になんて行かずに、ちゃんとポータルの本宅サイトを覗いてもらいたいと思ったりするわけである。なにしろ、ココログにはログインができないので、「"はてな" に行ってくれ」 という告知すら書けないのである。

ココログには、なんとか原因究明して修復してくれるようにメールを出しておいたので、しばらくしたらログインできるようにはなるだろう。なにしろ私は有料会員で、月に 450円払っているのだから、ログインできなければ 「金返せ!」 になるのである。

それに、「今日の一撃」 の方は、こうしてリザーブ・ブログがあるからいいのだが、もう一つのサイト 「和歌ログ」 の方には、リザーブがない。何日かは自前のサーバで更新していかなければならないだろう。

こんなことが続くようなら、他のブログ・サービスに乗り換えた方がいいだろうか。少しはリサーチを開始してみようと思う。

今夜は疲れてしまったので、この辺で。

(追記)

23日、午前10時半頃、めでたく復旧。

この不具合は、私だけではないようなので、以下の関連ブログにトラックバックさせていただいた。

【株式投資】不破雷蔵のマイ・ポートフォリオ
Sippo's Blog
MUGIXOR@BLOG

ココログの障害情報は、とても寝ぼけたタイミングで告知された。これにはちょっとムカツイている。

こちらこちら

「2005年6月22日(水)のメンテナンス以降、ココログの管理画面にアクセス出来ない状態が発生」 なんて書いてあるが、これって、「ココログデザイン」 のメンテナンスだったはずで、なんで管理画面にアクセスできないような障害につながるんだか、さっぱりわからない。

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2005/06/22

Musical Baton に答える

内心密かに恐れていた (?) "Musical Baton" が、ついに Kumi, the Party Girl から回ってきた。

たまたま、昨日は都内に出る用事があり、銀座の山野楽器で まこりんさん激賞 の 書上奈朋子 「psalm 詩篇」 を買ってきて身震いしてしまったので、答えてみようと思う。

Musical Baton というのは、今さら説明不要だと思うが、一応 こちら にリンクしておく。

さて、いよいよ質問に答えよう。

  1. Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

    1.48 GB だった。多いのか少ないのかわからない。

  2. Song playing right now (今聞いている曲)

    Otis Redding's "Try A Little Tenderness"
    (オーティス・レディングの 「トライ・ア・リトル・テンダネス」)

    オーティスは、いつ聞いてもシビれてしまう。とくにこの曲はすごい。とかなんとか書いている間に、曲は "Shake" に移ってしまった。これもいい。

    要するに、今聞いているのは、 "The Very Best of  Otis Redding" というアルバムである。LP 時代には、2枚組のベストアルバムを聴いていたが、CD の時代になって、よりエッセンシャルなエディションのこれを買ったのである。

  3. The last CD I bought (最後に買ったCD)

    冒頭に書いたとおり、書上奈朋子 「psalm 詩篇」。

    まこりんさん激賞のアルバム。近所の新星堂に行ってもあるはずがないから、銀座の山野楽器まで足を伸ばしたのだが、それでも見つけるのに大変な手間がかかった。

    それで、どんなだったかというと、これはスゴイ。覚悟して聞くべし。

  4. Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

    "The Ghetto" (Donny Hathaway)
    「ザ・ゲットー」 (ダニー・ハザウェイ)
    伝説の名盤 「ダニー・ハザウェイ・ライブ」 に収められている。ダニーもいいが、客の反応も最高。

    "Try A Little Tenderness" (Otis Redding)
    「トライ・ア・リトル・テンダネス」 (オーティス・レディング)
    オーティスのノリノリ絶唱。

    "Georgia On My Mind" (Ray Charls)
    「我が心のジョージア」 (レイ・チャールズ)
    これはもう、欠かせない。カラオケで物まねまでできる。

    「方向音痴」  (たま)
    これはいい。名曲、名唱である。

    「三十三所壷坂霊験記」 (竹本土佐太夫)
    義太夫の名曲。「三つ違いのあにさんと・・・」 のサワリが最高。

  5. Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)

    もう、行くところまで行ってるみたいだから、ここで打ち止めと思ったけれど、つい、まこりんさんに聞いてみたくなった。

というわけで、以上、おしまい。

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2005/06/21

田中小実昌氏に座布団三枚!

「ポイズンピル」 をめぐって、昨日に続き、もう一度冒険させていただくことにする。

流れるものと残るもの」 でも触れられているが、ハードボイルド御三家の一人、ダシール・ハメットの 「血の収穫」 という小説に、「パーソンビル」 という町が登場する。この町が 「ポイズンビル」 と呼ばれているという。

私は探偵フィリップ・マーロウの登場するレイモンド・チャンドラーのシリーズならほとんど読んでいるのだが、その先輩格のダシール・ハメットの方は、恥ずかしながら一作も読んでいない。「マルタの鷹」 は、ボギー主演の映画で見たが。

今回は読んでいなくても書けるほどの、些細な内容である。重箱の隅である。まず、そうお断りしておく。

「血の収穫」 の日本語訳には、田中西二郎訳、能島武文訳、田中小実昌訳、小鷹信光訳があるらしい。「孤独のつぶやき」 というサイトに、それぞれの冒頭部分が引用されている。

この小説は、"Personville" (パースンビル) という町があり、それを、"Poisonville" と発音する男がいたというところから始まる。ここで問題にしたいのは、その "Poisonville" が実際にどう発音されていたかだ。

上記の 「孤独のつぶやき」  というサイトによれば、四人の翻訳者のうち、田中西二郎氏、小鷹信光氏の二人は 「ポイズンヴィル」 、能島武文氏は 「ポイズンビル」 と表記している。「ポイズン」 の部分は 3人に共通している。

それに対して、あの田中小実昌氏だけは 「ポイズン」 と濁らずに 「ポイビル」 と表記し (ちなみに、"Personville" の方も 「パービル」 となっている)、その上で、

文字で書けば、Poisonville、毒の町 (ポイソンビル) ってことになる。

と、訳注めいた一文を入れて補っている。つまり、発音だけでは、poison (ポイズン = 毒) そのものにはなっていないということに、並々ならぬこだわりをみせているのだ。

小説では、主人公がこの町の名前を初めて耳にしたのは、とある酒場で "shirt" (シャツ) のことを 「ショイツ」 と発音する炭坑夫が言うのを聞いたということになっている。

つまり、あの "e" をひっくり返した形の発音記号で示される曖昧母音に "r" の付いた発音が 「オイ」 という発音に置き換わる訛りだ。

これは米国では案外よく耳にする。"Girl" なんかも、口の奥にこもったように 「ゴイル」 に聞こえる。数年前にロサンジェルスで泊まったホテルのフロント係の男も、この訛りだった。

この訛りの法則だと、Poisonville も、「パーソン/パースン」 の 「パー」 の部分が 「ポイ」 に置き換わるだけだから、田中小実昌訳の 「ポイソン」 が、多分、いやほぼ確実に、正しいんだろうなあという気がする。

ちなみに 「ポイスン」 の方がより近いのだろうが、"person" を外来語の慣例に従って 「パーソン」 としたからには、「ポイソン」 に帰着させた判断は正しい。

英語では、語尾の 「ズ」 の発音が弱まって 「ス」 に聞こえることはいくらでもあるが、"poison" が 「ポイン」 になることはあまりない。この場合は逆も真なりで、Personville がいくら訛っても、「ポインビル」 にはならないはずなのだ。ズーズー弁じゃあるまいし。

というわけで、私は 「ポイズンビル」 に流れずに 「ポイソンビル」 とした田中小実昌氏の見識に感服するのである。なにしろ、氏は進駐軍将校クラブのバーテンダーなどを経験しているから、米国人の生の発音には、かなり親しんでおられたはずだ。

ハードボイルドというジャンルは、全体の筋以上に、細部へのこだわりが重要なのである。氏はとてもひょうひょうとして、頼りなさそうに見えたが、このあたりは、とてもしっかりと芯が通っていたわけだ。

今日の結論は、「田中小実昌氏に座布団三枚!」 ということである。

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2005/06/20

「ポイズン"ビ"ル」 をめぐる冒険

「流れるものと残るもの」 のつきっつさんが、「ポイズンピル」 の誤読/誤表記について嘆いておられる。(参照

敵対的買収抑止・防衛策として脚光を浴びた "poison pill" だが、インターネットには 「ポイズンビル (biru)」 という誤表記がとても多いらしく、おじさんもびっくりである。(参照

本来の意味が 「毒薬」 であることは案外知れ渡っているのだから、普通に考えれば、「こんなもの、どうしたら間違えるかなあ」 と思ってしまう。経口避妊薬の方は 「ビル (biru)」 なんて誰も言わないし。

とはいえ、間違いは起きている。この原因の一つは、インターネットにおける半濁音 (ぱぴぷぺぽ − pa pi pu pe po) の表示が、曖昧であることだと思うのだ。半濁音の小さな 「マル」 と、濁音を表す 「チョンチョン」 との区別がつきにくいのである。

右の画像は、HTML で書いたテキストを、IE で表示させてみたものである。上はポイント指定しなかった場合で、インターネット上でもっとも普通に表示される大きさだが、半濁音の 「マル」 が、どう見ても 「マル」 ではない。ブログの表示で一般的な、小さめの 12ポイントになると、もうお手上げだ。

実は、インターネットの表示では半濁音のシルシは、ポイントの大きなフォントを使わない限り、「マル」 ではなく 「チョンチョン」 で表示されているようなのだ。ずいぶん乱暴なお話だが、濁点と区別できないわけでは決してない。

「バ BA」 「パ PA」 − 左の二つを、目をこらして眺めれば、その微妙な違いがわかるはずだ。濁点の 「チョンチョン」 は縦に並んでいるが、半濁音の場合は斜めなのである。一応斜めなので、「マル」 には見えないまでも、「菱形」 には見えないこともない。しかし、この程度の違いでは、どうひいき目に言っても区別は難しい。

「ポイズンビル (biru)」 になってしまう原因のもう一つは、日本人のカタカナ言葉の使い方が、単に音の響き感覚優先で、元の単語の意味にはほとんど無頓着ということだろう。

だから、せっかく 「毒薬」 という意味とは理解しながら、それが "pill" という単語にストレートに結びつかない。もしかしたら、"pill" という単語のイメージは経口避妊薬という特定の薬とのリンクが強すぎて、錠剤一般を指すということを無意識的に避けて通るのかもしれない。

しかも、日本人の耳には 「ポイズンビル (biru)」 の方が、何となく自然に英語っぽく聞こえるらしい。何度もいうが、本来の意味とはまったく関係なしに。何となく、「ララバイ」  (参照)  や "Dreamweaver" の 「ドリームウェーバー」  (参照) を思い出してしまう。

ついでに思い出してしまったのだが、以前、某所のレストランの昼時のメニューに、「バーディランチ」 というのがあった。「バーディ」 というのは、"birdy" であり、「小鳥」 のことである。私は当然にも、 「小鳥さんでも食べられるぐらいに、量の少ないランチ」 ということだと理解して、当時幼稚園に通っていた娘のために、軽い気持ちでそれを注文した。

ところが、出てきたものを見てぶったまげた。それは、巨大なゴルフボールの形をした丼に入った、いかにもオヤジ好みの幕の内弁当だったのである。そうか、日本人は 「バーディ」 といえばゴルフしかないのだ。元の意味なんて全然無関心だったのだ。

この国では、言葉の意味をきちんと知っていることが、かえって理解の妨げになることすらあるのである。しかし、あれはどうみても 「バーディランチ」 というよりは 「アルバトロスランチ」 という風情だったなあ。ご存じと思うが、アルバトロスとはアホウドリのことである。

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2005/06/19

猫のしつけが良すぎると

近頃、妻がちょっとガーデニングに凝っている。元々、マーロウやロケット、タイムなどのハーブを庭に植えていたのだが、そのバリエーションを増やそうと試みているようだ。

最近始めたのが、カモミール。これはプランターで発芽させ、ある程度伸びてから、地面に移植するのだそうだ。

昨日の朝、出がけに何気なく庭に目をやると、我が家の猫がそのプランターに入り込んで、しゃがんでいる。我が家には、年長の白猫と年少の黒猫の 2匹いるのだが、黒猫の方である。

その黒猫が、プランターにしゃがんで、なにやら遠くを見るまなざしになっている。

「むむ、ヤバイ!」

そう思う間もなく、黒猫は放尿を終えたらしく、スッキリした表情で腰を上げると、やおらプランターの中の土をババババっと掘り返し始めた。

我が家の猫は、2匹ともトイレのしつけはしっかりとしてある。廊下の隅に置かれた箱形の猫トイレに、きっちりと用足しをするのである。猫トイレの中には防臭加工を施した 「猫砂」 が入れてあって、用足しをした後は、自らの排泄したものにババババっと砂をかけて隠すのだ。

「猫ばば」 という言葉はここから来たのである。といっても、「ババババっ」 と砂をかけるからではない。「ばば」 というのは、ウンコのことで、猫は自分の排泄したものに砂をかぶせて知らん顔を決め込むのである。

どうやら、我が家の猫はしつけが良すぎたようだ。庭に出てまで、砂の入った箱を見るとトイレと思ってしまう。すると、自然にそこで用足しをしたくなる。条件反射とは恐ろしいものである。

今回の場合はウンコではなく、オシッコだったのが、不幸中の幸いであった。ちょっとぐらいのオシッコなら目をつむってやってもいい。しかし、オシッコごときで 「ババババっ」 と土をほっくり返すのだけは、どうみても余計な行為なのである。

しかし、妻もさるものである。決して諦めなかった。プランターの中の土を新しくし、カモミールの種をまき直し、そしてそのプランターに新聞紙で蓋をしてしまったのである。発芽したらその新聞紙を取るのだそうだ。

あまつさえ、庭のあちこちでハーブが芽を出しかけたところには、割り箸をびっしりと立てて、猫が入り込めないようにした。芽がある程度大きくなったら、その割り箸を取るのだそうだ。なるほど、頭は生きているうちに使うものだ。

というわけで、しつけの良すぎるペットとハーブの両立は、かなり大変な作業なのである。

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2005/06/18

英語力の要は中学英語

本宅 「知のヴァーリトゥード」 が、90,000 ヒット目前である。週末はややアクセスが落ちるので、日曜の夜明け頃に達成か。恒例のキリプレ和歌は、今回はなし。旧盆過ぎとみられる 10万ヒットまでお預けということで。

ところで、「英語力の要は中学英語にあり!」 という共感できる主張を見つけた。

よのなかフォーラム」 という、一種の BBS の中の書き込みで、「国際シンポジウムにおけるプレゼンの技術」 というセミナーを受講しての感想という形になっている。 講師は宇宙核物理学という分野の実力派若手研究者、望月優子さんという方だそうだ。 国際シンポジウムでのプレゼンなので、もちろん、スピーチは英語で行われた。

このスピーチで、講師の望月さんは、

  • 聴衆は英語を母語とする人だけじゃない。  
  • むしろ今はアジアやロシアなど英語圏以外の研究者に向けて 話すことの方が多いし、重要だ。

ということを指摘されたそうだ。

その上で、この書き込みをされた 「よっちゃん」 という方は、次のようにまとめておられる。(以下引用)

英語圏の人に話をするなら、気の利いたレトリックも必要かもしれないし、流ちょうな発音も必要かもしれません。
その方がインテリだと思ってもらえる可能性も高くなります。

が、英語圏以外の人に話す場合、気の利いたレトリックを使ったがために理解されない恐れ (ママ) が大きくなってしまいます。
だから、むしろシンプルに話した方がいい。
シンプルに話すための指標になるのは、中学校で習う程度の英語。
特に、中学英語程度の文法を使って話すといいのです。

この主張はもっともなことである。

国際的な会議やフォーラムなどでは、英語がデファクト・スタンダードである。このような場においては、私のようなネイティブ・スピーカーでない者が聞いてよく理解できるのは、英語圏以外の人の英語なのだ。

英語圏以外の人のスピーチは、大抵ほぼ完璧に理解できるが (もちろん、専門分野以外の、日本語でも理解できないような小難しい話を除く)、ネイティブ・スピーカーのスピーチは、7割わかれば上出来という気がしている。

私の場合、ネイティブ・スピーカーの発音が苦手というわけではない。発音だけに限れば、非英語圏の訛りの強い英語よりも、米国東部の英語の方がずっと聞きやすい。(オーストラリアやニュージーランドの英語は、かなりてこずる)

苦手なのは、とくにニューヨーカーあたりに顕著な、マシンガンのようなスピードと、気の利きすぎたレトリックである。ペラペラペラっと早口でジョークを交えられると、残念なことに何がおかしいのかわからないことが多い。

彼らの多くは、重要な本筋部分は案外ていねいにわかりやすく話しても、ジョークの部分は自分本来のリズムに戻るので、私には速すぎるのである。周りのネイティブ・スピーカーにどっとウケてるジョークにほとんど反応できないのは、哀しいものである。

上記の BBS の書き込みは、こうした自分自身の経験からも賛成できるものである。

「世界標準語」 としての英語は、文法の視点からは、本当に 「中学英語」 で十分である。言い方を変えれば、日本の英語教育は、文法の視点からは中学校の段階で必要十分なレベルまで習得できるようになっている。高校以後は、とくに目新しいことは教わらない。

中学校で十分な文法レベルに達するのだから、後は単語力だけである。

よく単語なんて何百語程度で十分などという主張を聞くことがあるが、それは 「トラベル英会話」 の世界のお話で、道案内程度以上のコミュニケーションをしたかったら、やはり数千語レベルの単語力は必要だ。

とはいえ、中学校で習得する英語の 「足腰」 部分がきちんとしていれば、単語なんていうのは単純に覚えればいいだけの話なので、楽なものなのである。

日本の英語教育が間違っているなどとよく言われるが、そんなことはない。ちゃんとやれば国際的に十分通じるようにできている。通じないのは、ちゃんとやらなかっただけのことなのだ。

とはいえ、私も英語のジョークですかさず笑いたい!

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2005/06/17

D-cubic とやらに及び腰で注目

ライブドアが 「D-cubic」 と称する公衆無線 LAN サービスを始めるそうだ。月額 525円の定額で、10月 1日開始予定の正式サービスでは、山手線圏内の 80%をカバーする予定だという。(参照

これが予定通りに問題なく運用されるようなら、私だって是非利用したいものである。

これは、注目に値する情報といっていいだろう。私も十分注目している。ちょっとだけ及び腰ではあるが。

私は都内にオフィスを持たないから、モバイル PC が必需品である。そして、外出中は PHS を使ってインターネットに接続している。

接続速度は 128Kbps である。つい数年前までもてはやされていた ISDN の 2倍とはいうものの、実効速度は 100Kbps 程度のものだ。ブロードバンド時代としては、いかにも遅い。

山手線内のほとんどの地点で、まともなブロードバンドの速度でインターネットに接続できるとなれば、それは福音というものだ。

従来の公衆無線 LAN サービスは、エリアが限定されている上に、料金も高すぎた。今回発表されたようなサービスが運用されてこそ、「ユビキタス」 というものである。

問題は、実際の運用が想定された通りにきちんと運ぶかどうかである。最大 54Mbps のベストエフォートというが、同一エリアで多くの PC が接続したら、当然にもパフォーマンスは落ちるだろう。安定した接続ができるかどうかも、まだ実証されていない。

なにぶん、相手があのライブドアだから、大風呂敷は広げてみたものの、走り出したらトラブル続出ということだって、考えられなくもない。

とはいえ、もしきちんとうまく行ったら、これは画期的なことになる。ライブドアの株価はとんでもない上がり方をするかもしれない。それなりの配当がされるかどうかは別として。

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2005/06/16

中国のインターネット検閲

私は情報の流通に関しては、ごく単純に自由であればあるほどいいと考えている。自由が行きすぎれば野放図になるという見方もあるが、不自由であるよりはずっとマシだ。

こんなことを言うのは、「マイクロソフト、中国でブログ検閲に協力」 というニュースに、さもありなんと思ったからである。

フランスの AFP 通信によれば、中国語版の MSN スペース (マイクロソフトのブログ・サービス) では 「民主主義」、「人権」、「台湾独立」 といった言葉が投稿できないのだそうだ。そうした言葉を入力しようとすると、「この言葉の使用は禁止されている」 というメッセージが表示されるという。

こうした検閲手法は、とても直截的である。さすがに米国企業だけある。下手したら (あるいはうまくいけば)、ユーザー自身に自国の情報発信の不自由さを印象づけて、逆効果になる可能性がある。

中国自身の手による検閲は、もっとずっと巧妙なものであるらしい。こちら のサイトで詳しく紹介されている。以下に要旨を紹介する。

サウジアラビアも、インターネットのトラフィックはかなりコントロールされている。禁止されたサイトにアクセスしようとすると 「要求はブロックされた」 というメッセージが表示される。

それに比べると中国ははるかに巧妙で、ブロックされたことすら知らされない。もともと存在しない情報ということになっている。存在は知っているのにアクセスできないとユーザー側にわかってしまう手法に比べると、こちらの方がより効果的だ。

こうした巧妙なコントロール下に置かれたインターネット状況において、「この言葉の使用は禁止されている」 というストレートなメッセージが表示される稚拙な手法は、ある意味では画期的な前進といえるかも知れない。

「マイクロソフト、よくやった」 と拍手を送ってもいいぐらいのものだ。

いずれにしても、 中国のインターネット・ユーザーだって馬鹿ではない。いろいろな裏技を駆使して、アクセスできないはずの情報を入手しているようだ (参照)。情報というのは、隠そうとしても隠しおおせるものではないのである。

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2005/06/15

晴れ男伝説

いつもは日付の変わる前後に更新するのだが、夕べはばったりと寝てしまって、珍しく更新が昼近くになってしまった。

朝から雨が降っている。このところ、梅雨入り宣言が出たあと、1,2日は雨が降って、その後はカラカラというパターンが多かったが、今年は辛うじて雨が戻って幸いである。

既に何度も書いていることだが、私は晴れ男である。

11日は某雑誌の取材で群馬に出張したのだが、それは関東甲信越地方の梅雨入り宣言の翌日だった。朝から小雨がぱらついている。

30年近く、出張先で傘をさしたことがないという、私の晴れ男伝説もついに破れるときが来たかと覚悟したのだが、ところがどっこい、それはしぶとく生き延びたのである。

雨は降るには降ったのだが、それは車での移動中と屋内での取材中で、屋外で撮影しようとすると、好都合なことにきっちりと止むのだった。同行したカメラマンは、「さすが、晴れ男の威力はスゴイねぇ」 と感動していたのである。

過去にもそんなことがあった。90年代初頭、当時勤務していた某団体が、某ラジオ局と共同で屋外イベントを行ったのだが、その日は夜明け前から土砂降りである。さすがに中止も想定されたが、私は 「大丈夫、大丈夫、俺が一枚噛んでる限りは、晴れるさ」 なんてノー天気なことを言っていた。

そして、まさにその通り、そのイベントの始まる 30分前に雨はぴたりと止み、3時間のイベントが終了した瞬間に、再び土砂降りになった。あまりのできすぎに我ながらビックリするほど、ありがたい結果であった。

実は、晴れ男でいるには秘訣がある。それを教えてくれたのは、尊敬する I 氏 (故人) であった。

I 氏曰く 「天気に恵まれたかったら、天気に不足を言っちゃいけねぇよ」

これだけのことである。「暑けりゃ暑いでありがたい、寒けりゃ寒いでありがたい、降れば降ったでありがたい」 そんな気持ちでいればいいというのである。

この言葉で、I 氏が本当に言いたかったのは、天気にとどまらず、森羅万象に感謝の心を持てということだったのだと思う。そうすれば、森羅万象と調和できる。確かにそういう人だった。

私は修行が足りなくて、そこまでは行っていない。今のところ、せいぜい天気止まりである。

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2005/06/14

クールビズでトレーニング

昨日、某アパレル関連団体の懇親会に平沼赳夫衆院議員が出席、祝辞を述べた。司会の女性は 「テレビで素敵なクールビズ姿を拝見しました」 と、にこやかに紹介。

しかし、演壇に立った平沼先生、悠然と 「自慢じゃないが、その格好は一度もしたことがありません」  これは大受けだった。

とまあ、当のアパレル業界でもクールビズは妙な形で話題になっている。見た目を意識する業界だけに、話題の行き着く先は 「着こなし」 だ。

共通した認識は、「ネクタイをして初めて完成するスーツスタイルから、ネクタイを取っただけでは、間が抜けて見えて当たり前だろう」 ということ。ネクタイを外せばそれで済むというわけではないのだが、案外このことに気づいていないオジサンが多い。

それで、「着替えの最中」 だの 「草むしりのおっさん」 だの 「刑務所から出てきたばかり」 だのと揶揄されることになる。私は 6日前の当欄で、それでも旧態依然よりはマシといったことを書いた。

初めは草むしりのおっさんでも、着ているうちに板に付く。板に付かない人は、スーツにネクタイをしていても元々カッコ悪い。

というわけで、アパレル業界にとっては確かにビジネスチャンスではある。ネクタイとスーツは売れなくなるかもしれないが、一年中売れないわけじゃあるまいし。夏の服を別に売ると考えればいい。

この関連で問題になっているのは、ネクタイ業界の反発である。確かに、ネクタイという商品は究極まで特殊化したものなので、新商品開発などと言っても容易なことではない。

とはいえ、ネクタイの市場は縮小に向かっていることは確かなのだ。クールビズなどやらなくても、今のままでは徐々に売り上げは落ちていく宿命にあるのだから、やはり新商品開発はしなくてはならない。

例えば、いくらクールビズでノーネクタイを決めていても、急にエライ人と会うときなどは、やはりネクタイをしなければならないことがある。社内にいるときはロッカーから引っ張り出してくればいいが、外出先ではままならない。

そうしたケースを想定して、カバンに丸めて入れておいてもシワにならないポリエステルのネクタイなどは、需要が出るかもしれない。あるいは、襟に隠れる部分は細いメッシュになっているネクタイとか。

そうした商品は、以前にもあるにはあったが、どうも安物かキワモノかのどちらかで、デザイン的にもちょっと買う気になれない代物だった。単なるアイデア商品ではなく、まともな取り組みをしなければ、売れるはずがない。

クールビズは、単なる涼しい格好ではない。いろいろな意味でトレーニングになる。

ところで、蛇足だが、「裸足で散歩」 という映画を思い出した。ロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダが夫婦役で出ている。

ロバート・レッドフォードの夫は、律儀な堅物。ジェーン・フォンダの妻は自由奔放な性格で、それが気に入らない。

ある日、二人は言い争いをする。台詞は正確には覚えていないが、大体以下のようなものだったと思う。

「あなたって、本当に面白みがない男ね!」
「きちんとしていて、何がいけないって言うんだ!?」
「それがイヤなのよ。あなたって、寝るときだってネクタイをするんでしょ!」
「ああ! 正式に寝るときにはそうするね!!」

いいなあ、こういう台詞廻し。

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2005/06/13

SNS って

だいぶ前のことだが、アクセス解析の 「リンク元」 に "mixi" なるサイトがかなりあることに気付いた。どんなところかと行ってみても、そそられないトップページが表示されるだけで、その中には入れない。

まもなく、これが SNS (ソーシャルネットワーキングサイト) というものだと知った。

この mixi というサイトの中で、私のサイトにリンクする人があるのだろうが、どんなリンクの仕方がされているのだろうか。ごく普通の 「私のよく訪問するサイト」 という形のリンクページだろうか。それとも、「こんなアホなことを言ってるヤツがいる」 みたいなリンクだろうか。

ちょっと覗いてみたい気がするが、会員にならなければそこから先には一歩も入れないというのが、少々もどかしい。これって、ちょっとズルいよなあという気もする (単なる感情論と十分認識しているので、つっこむなら、それを超えたレベルでお願いしたい)。

SNS の紹介記事を読むと、何となく 「パソコン通信」 時代の感覚がよみがえったりする。私は @nifty が ニフティサーブだった頃からの会員なので、あの中の 「フォーラム」 というものにはお世話になった。

「フォーラム」 とは、いろいろなテーマを論じる部屋があって、そこにメンバー登録をして、議論に加わったり ROM したりするのである。ROM だけなら、メンバー登録が不要というフォーラムもあった。

私は、パソコン通信も 「フォーラム」 も、クローズドなシステムだったとは思っていない。オープンなシステムを志向してはいたが、テクニカルな限界から、インターネットが普及するまでは心ならずも、オープンになれなかったというところだと思っている。

だからこそ、インターネットが広まった今は、@nifty もどんどんインターネットのベースに移行してしまった。

そんな中で、あえて会員限定のネットワークというものに参加するというのは、個人的にはあんまりよくわからない。はまってる人は相当深くはまってしまっているようだが。

そもそも、いくら会員限定とはいえ、だんだんと増加していったら、そのうちにあまりその意味もなくなるだろう。そうすれば、また新たな限定条件を加えることになるのだろうか。

いずれにしても、私としてはたとえ 「ご招待」 されるようなことがあっても、敬遠してしまうような気がする。(私のサイトがどんな風にリンクされてるのかだけには、ちょっと興味がないではないが)

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2005/06/12

談合をめぐる考察

鋼鉄製橋梁工事をめぐる談合事件。この類の話は、多分この業界だけではない。

お国や外郭団体からのお仕事は、何年かに一度ありつくだけでも、とっても 「おいしい」 場合が多いだろうから、業界の仲間内で、大事に分け合いたいという気持ちは、まんざらわからないでもない。

お役所の発注する仕事は、多くの場合 「払いすぎ」 である場合が多い。業者にしてみれば 「おいしい」 ことこの上ない。いくらアイミツを取るようにとの指導があっても、業者間で談合していれば、そんなものは意味がない。

しかも今回の談合事件では、東京高検が、公団発注工事の談合について公団側幹部の談合関与の有無も調べているという。

逮捕されたメーカー担当者が、日本道路公団発注工事について 「公団側の意思で受注企業が決まっていると思い、談合に従った」 と周辺関係者に話していたともいう。

これが事実だとしたら、受発注の両者が互助会を組織していたようなものだ。発注する側は恩を売れるし、受注する側はとにかく 「おいしい」 のである。

この 「おいしさ」 は二重の意味がある。とにかく世間の相場よりずっと高い価格で受注できるということと、「ウチは○○公団さんの仕事を請け負っています」 といって、信用まで得られることだ。

私自身は、民間の業界団体に勤務していた期間があったので、ある程度はいろいろな業者とのお付き合いがあった。しかし、民間の業界団体の仕事を請け負う業者というのは、「○○組合さんの仕事を請け負っています」 という 「宣伝効果」 のメリットしかない。

というのは、業界団体からの仕事の受注価格は、世間の相場よりずっと低く抑えられることが多い。それは、「宣伝料と思えばいいじゃない」 ということで、我慢させてしまうのである。私も団体職員だった頃は、「団体はお金がないんだから、これしか払えないからね」 と、安い金しか払わなかった。

だから、私は業界団体を辞めて自分で事業を始めてからも、世間相場より安い価格で仕事を請け負ってしまうことが多い。私自身のコスト感覚が、業界団体時代から尾を引いてしまって、とても低く抑えられているからだ。

まあ、それは案外幸いかもしれない。もし私のキャリアが民間の業界団体ではなく、公的機関で積まれていたとしたら、私のコスト感覚は世間相場から見たら高くなりすぎて、仕事を請け負うことなんてできなくなっていたかもしれない。

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2005/06/11

欲しい商品が買えないパラドックス

以前にもコラムに書いたが、我が家では天然酵母の自家製パンを作っている。こねるのは私で、焼くのは妻の役割。全粒粉を 50%ブレンドした素朴な風味が特徴だ。

しかし、なにぶん手作りなので、生産が追いつかず、仕方なく市販の食パンを買うこともしょっちゅうである。

市販のパンは、ライ麦パンか発芽玄米食パンというのを買うことにしている。我が家の自家製パンの素朴な風味に近いからだ。

真っ白なふわふわすぎる定番の食パンは、あまり好みではない。あんなのは、カリカリにトーストしないと食えたもんじゃないと思っている。

しかし、どこのスーパーでも、ライ麦パンと発芽玄米食パンというのはすぐに売り切れてしまって、夕方近くに行っても手に入らないことが圧倒的に多い。一方、白い食パンは、いつ行っても豊富に品揃えしてある。

それで、10回のうち 9回は、しかたなく白い食パンを買って帰る。車で足を伸ばせばパンの専門店もあるのだが、そこまでするのもおっくうだ。今日の物が溢れる時代で、希望の商品が手に入らないというのは、ちょっとした悲哀である。

元々、ライ麦パンと発芽玄米食パンは、仕入れる量が圧倒的に少ないようだ。普通の白い食パンと比べると、多いところでも、せいぜい 5%以下ではないかと思われる。これでは、あっという間に売り切れるのも道理である。

しかし、これほどまでに品薄になりがちな商品を、どうしてもっと仕入れようとしないのか。私は、店の担当者のデータ分析力不足だと思う。売上げを分析する POS システムによって吐き出されたデータを、きちんと読み取る力がないからだ。

ライ麦パンと発芽玄米食パンは、仕入れ量が少ないから、当然、売上げも圧倒的に少ない。それで、ただでさえ 「売れ筋」 とは認識されにくい。

さらに、ライ麦パンを買いに来た消費者も、それが品切れならば仕方なく白い食パンを買って帰ることが多い。これによって、「仕方なく買った白い食パン」 でも、コンピュータには 「積極的に買った白い食パン」 とまったく区別されずにインプットされ、「販売好調」 の商品としてアウトプットされる。

そのデータベースを見た担当者は、どう分析するだろうか。

「なんだ、ライ麦パンなんて、これしか売れないのなら、力を入れる必要なんて、まったくないな。それに比べて、定番の食パンの売れ行きは好調だから、今後もこっちを重点的に仕入れよう」

と、こうなるに違いない。ちょっとした誤解である。

しかし、もう少し突っ込んで分析したら、ライ麦パンは一日のうちの早い時間に完売してしまって、午後は 「販売機会損失」 となっていることに気付くはずである。決して 「売れない」 のではなく、「売らない」 から数字にならないだけなのだ。

さらに、定番の白い食パンは、常にかなりの量が売れ残って、翌日の値引き販売につながることにも気付くはずだ。

閉店間際になっても売れ残っている定番食パンの、2-3 割でいいから、ライ麦パンと発芽玄米食パンだったら、値引きしなくてもその日のうちに正価で売れるはずなのに。このことに気付く担当者は少ないようだ。

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2005/06/10

勧誘相手に無断で契約書

日本テレコムに厳重注意、勧誘相手に無断で契約書」 というニュースが目にとまった。日本テレコムというのは、ご存じ、ソフトバンク・グループである。

私もこのグループの Yahoo BB の勧誘で同じことをされた。その顛末は、昨年 1月の当欄にも書いた通りである。

思い出しても癪に障るので、リンクするよりは、ここに再録して、もう一度晒してしまうことにする。以下のテキストである。(オリジナルは H16.1.27付の 「一撃」)

私の留守中に YahooBB の勧誘電話があり、妻は内容がよくわからないので、とりあえず、資料を送ってもらうことに同意した。

ところが、YahooBB から届いたのは資料などではなく、「お申し込み受け付け完了のお知らせ」 という怪しげな書類だったのである。

これには唖然としてしまった。 その書類には、「このたびは Yahoo! BB ならびに BB フォンサービスにお申し込みいただきまして、まことにありがとうございます。お客様のお申し込みを承りましたことをお知らせいたします」 とある。

ところが、妻はそんなものを申し込むとは、一言も言っていない。先方がしつこくわけのわからないことをまくしたてるので、申し込むかどうかはわからないが、とりあえず、資料を送るというのなら受け取ると返事をしたのである。

その辺の悪徳商法でも、「契約書」 にハンコを押させてナンボである。たった一本のわけのわからない電話のみで、書面のやりとりが一切ないうちに、プロバイダーへの申込みが 「受け付け完了」 になるというのは、とんでもない話だ。

YahooBB については、いろいろと悪い噂を聞いていたが、ここまでひどいとは知らなかった。きちんと名の通った会社のやり口とは、到底思われない。

2ヶ月の 「無料期間」 のうちに解約すればいいというのかもしれないが、実際はそんなものではない。書面を見ると、放っておいたら NTT の回線を YahooBB に変更する工事が行われてしまうらしい。

冗談じゃない。私は フレッツADSL と @nifty の組み合わせでホームページを運営し、ようやくここまで認知度を高めてきたのである。今さら乗り換えるつもりはない。勝手なことをされては、大迷惑だ。

「お問合せ先」 となっている取次店の (有)サイバーワン (千代田区神田佐久間町) という会社に抗議の電話をすると、それではキャンセル手続きを取るという。

ふざけるんじゃない、申し込んでもいないものを、どうして 「キャンセル」 しなければならないのだ。 それを言うなら 「無効手続き」 だろうが。

さらに、この取次店は、そのうちモデムが届くはずなので、着払いでいいから送り返してもらいたいという。馬鹿も休み休み言うがいい。頼んでもいないものを勝手に送り付けられて、手間ひまかけて送り返してやるほど暇人じゃない。そんなものが届いたら、即刻捨ててしまうと返事しておいた。(実際には受け取り拒否をするつもりだが)

YahooBB を名乗って妙な勧誘電話があっても、完全無視ですぐに切ってしまうことをお勧めする。住所などは言わない方がいい。

これまでは、人に YahooBB を使いたいと相談されたら、「まぁ、一番安いんだから、『それなり』 でいいのなら、いいんじゃないの」 と答えていたが、こんな馬鹿なことをされたからには、到底勧められない。これからは 「他の信頼できるプロバイダーの方がいいよ」 と言うことにしよう。

目先の利益を追ってアコギなことをすると、こんな逆効果になることを知るがいい。

とまあ、以上のような次第だったのだ。

そしてここでは触れなかったが、その翌日、念のために NTT に問い合わせてみると、知らぬ間に私の ADSL 回線を Yahoo BB に変更する申請が受理されていたのである。

「いくら申請が出されても、当人に確認しなければ、工事はしませんよね」 と聞くと、「いや、NTT としては、申請を受理した以上、スケジュール通りに工事を行うことになります」 という。それであわてて、「それは差し止めてくれ」 と申し入れた。

つまり、放っておいたら、ADSL 回線だけが勝手に Yahoo BB に切り替えられて、私のパソコンはインターネットにつながらなくなってしまうところだった。すんでのところで、それは避けられたのである。

もし回線が切れてしまっていたら、本当に詐欺罪で警察に訴えるところだったぞ。本来ならば、コトの処理に使った電話代を請求したいところだったが、たった数十円の請求で何百円かを使うのが馬鹿馬鹿しいので止めたのである。ふん、命冥加な奴め。

と、かなり腹を立てていたのだが、このグループ、まだ同じようなことをしていたわけだ。悪事を働いたのは取次店であって、ソフトバンク・グループではないということかもしれないが、取次店にそんな詐欺を働かせること自体が問題なのである。

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2005/06/09

血圧なんて、あてにならない

祝・サッカー W杯、3大会連続出場決定! いやぁ、最後の大黒のシュートは、余裕こいてカッコよかったなあ。

話は変わるが、あちこちのブログが健康診断ネタを取り上げている。脱サラして健康診断から遠ざかっている私も、そろそろ 3年ぶりで受けてみようかと思っている。

こう見えても、私は健康診断には結構自信を持っている。同年代の連中には、そろそろ血圧やら血糖値やらで要注意になっている者が多いが、私の数値は、少なくとも 3年前まではかなり良好だった。

しかし、30代半ばまで、私は毎年 「血圧が低すぎる」 と言われていた。高い方が 100そこそこだったのである。

しかし、朝に弱いわけでもなく、貧血気味でもなく、日常生活にはまったく支障がない。思うに、当時、1週間に 3回から 4回、合気道の稽古でかなりな運動をこなしていたので、血管の中を流れる血がサラサラすぎて、血圧が低めに出ていたのではないかと思う。

しかし、あまりにも毎年 「血圧が低い」 などと余計なことを言われるのでうっとうしい。そこで、ある年、一計を案じて血圧を高めに誘導することにした。

それは、血圧測定の時には、一番若くてきれいで巨乳の看護婦さん (今は看護師さんと呼ぶらしいが) の列に並ぶのである。そして、測ってもらっている間、その看護婦さんの顔をじっと見つめるのだ。

実際、その通りにすると、多少胸がときめいて、効果が現れたような気がしたのである。よし、これで 「血圧が低い」 などと、余計な嫌疑をかけられずに済むぞ。我ながら名案を思いついものだ!

しかし、結果は 「高血圧の疑いがあり、再検査」。下手な考え休むに似たり。どうやら、薬が効きすぎてしまったようだ。

それで、今度は真っ白けになって一番年かさの看護婦さんに図ってもらったら、「おかしいわねぇ、今度は低すぎるわよ」 。そりゃ、当たり前というものだ。申し訳ないけど。

測定値というのは、ただでさえばらつきを示すものである。そこに意図的なものが働いたら、それはもう、全然当てにならない。それが実感として理解された一瞬であった。

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2005/06/08

ジンギスカンの歌詞

最初にお断りしておくが、今日のネタはとても下らない。どうでもいいネタである。

テーマは 「ジンギスカン」 の歌詞である。大昔に流行ったディスコ・ミュージックの、あの 「♪ ジン、ジン、ジンギスカ〜ン・・・」 に続く歌詞というのを、先日のテレビでやっていた。

仕事の一服にコーヒーでも飲もうかと階下に降りると、家族がテレビで盛り上がっている。 「♪ ジン、ジン、ジンギスカ〜ン・・・」  に続く歌詞を、街行く人に歌わせてみるという企画のようだ。ところが、誰もまともに歌えない。「ピーヒャラ ピーヒャラ ・・・」 とか 「チャーチャカ チャーチャカ」 みたいな、どうでもいい擬音めいたことになってしまう。

「な〜んだ、ジンギスカンの歌は、こんなんだよ」 と言って、適当に歌い出したらなんとなく自然に歌詞が湧いてきた。

♪ ジン、ジン、ジンギスカ〜ン
♪ ヘーラカ ホーラカ ヘーラカ イニャメニャ
♪ ジン、ジン、ジンギスカ〜ン ・・・

すると、娘が 「あっ、お父さん、それ近いかも!」

私が降りてくる前に、「本当はこんなんです」 という意味で、オリジナルが流れたらしい。そうだろう、そうだろう。とくに 「ヘーラカ ホーラカ」 の部分だけは、かなり自信があるぞ。

とまあ、それっきり忘れてしまっていたのだが、昨日の昼過ぎに急に思い出して気になり始めた。

「近いって、どのくらい近いんだろう?」

さっそく 「ジンギスカンの歌詞」 というキーワードでググってみると、「内緒のジンギスカン」 というページが見つかった。このページにドイツ語の歌詞が書いてあるのだが、問題のリフレインの部分は、次のようなものであった。

Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
Hey Reiter, ho Leute hey Reiter immer weiter
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan

おぉ、本当に近い!

私は感動してしまったのである。「♪ ヘーラカ ホーラカ ヘーラカ イニャメニャ」 は、正解とは言えないまでも、かなり近い線ではないか。少なくとも、番組の中で歌っていた誰よりもまともだ。

我ながら単純なことに、とても気分が良くなってしまったのであった。と、いうわけで、今日のネタはそれだけのことなので、それが何か? と聞かれても困るのである。

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2005/06/07

クールビズ その2

昨日に引き続いて、クールビズ・ネタ。日本の夏にスーツとネクタイは合わないし、省エネの観点からもナンセンスと言われ続けて久しいが、なかなか改まらない。

改めれば効果は明らかなのに、遅々として進まないこのもどかしさ。何かに似ていると思っていたが、ふと気が付いた。

私は以前、某団体事務局に勤務していたことがあるが、当時はインターネットが普及し始めて間もない頃で、団体加盟企業の約 20%ぐらいしか E-メール対応ができなかった。

いくらインターネットによるメールが効率的にも、コスト的にも、事後処理的にも、どの視点から見ても、既存の手法と比較して格段のメリットがあると説明しても、当時はなぜか拒否反応が強かったのである。だから、同報送信は FAX に頼るほかなかった。

「こっちばかりがメール対応できても、こればかりは、相手あってのことだからねぇ」 と深いため息をついていたのだが、当時の感慨が、夏場のノーネクタイと同じ感慨であると思い至ったのである。

健康、省エネ、省コスト、副次的経済効果等々、どの視点から見てもメリットの方がずっと大きいのが明らかなのに、遅々として導入が進まないのは、「相手あってのこと」 だからである。

「相手あってのこと」 というのは、どうしても保守的で頑固な方が強いのだ。先進的であろうとするものが、ぺこぺこ頭を下げて言い訳しながら進まなければならない。

これから面会する相手が、こちらが 「ネクタイをしていない」 ということだけで 「失礼だ」  などと言って腹を立てるような石頭でないという保証はない。それなら、多少の暑苦しさは我慢しても、「保険の意味」 でネクタイをしている方が無難ということになる。

だから、クールビズを促進するためには、「環境保全」 を錦の御旗にしてでも、意識改革から入らなければならない。

ノーネクタイ姿が、「だらしがない」 とか 「着替えの途中みたい」 とか 「草むしりのオッサン」 とか 「刑務所から出てきたばかりの姿」 とか、そりゃあ、いろいろ言いたくなるのはよくわかる。しかし、そんなことばかり言っていては、新しい試みは進展しない。大丈夫、そのうち板についてくるものだ。

考えてみると、夏場でもしっかりネクタイを締めてスーツを着ているオッサンというのは、別に、だからといってどうというわけじゃないが、それに、多分偏見に過ぎないのだろうが、いかにもパソコンをいじれなそうな印象ではある。

だいたい、夏場にパソコンの前に座っていると、放出される熱で、ネクタイなんて締めていられないんだがなあ。

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2005/06/06

クールビズの背景

「クール・ビズ」 というのが、官公庁主導で進んでいる。今度こそ、あの暑苦しいスーツの呪縛から脱却できるだろうか。

戦後の日本人は、神を信じないで、スーツとネクタイを信じてきた。まさに 「信仰」 にまで高められたが故に、それを捨てるのに、こんなにまで抵抗があるのである。

しかしよく見てみると、日本のビジネス社会においても、スーツとネクタイがそんなにまで必要とされているわけではない。それらが 「必要条件」 である業種と、そんなものとはとっくの昔におさらばしてしまった業種とは、はっきりと分かれている。

スーツが必要な業種というのは、ある意味、社内での出世が大好きな業種である。銀行、商社、百貨店、その他諸々・・・。仕事そのものよりも、地位が上がることに喜びを見出すような業種の人は、とても仕立てのいいスーツを着るのが好きである。基本的には、顧客よりも自分たちの方がエラいと思っている人たちである。

一方、出世するよりも、現場で専門的な腕前を発揮することの方が楽しいといった業種、マスコミ、クリエーション、研究等々の人々、いわゆる 「プロフェッショナル」 は、昔からネクタイなんかしない人が多い。「エライ、エラくない」 より、「デキる、デキない」 を価値基準とする人たちといえばいえるかな。

いわば、「上昇志向のジェネラリスト」 と、「掘り下げ志向のプロフェッショナル」 の違いか。そして、スーツとネクタイは、ジェネラリストのシンボルである。

ある意味、日本のビジネス社会は 「プロフェッショナル」 を作らないような環境を作ってきた。エンジニアとして採用した人材をこともあろうに事務職にまわしたり、クリエーション現場と営業現場を行き来させたりといった無茶を、平気でしてきた。

一度入社してしまうと、どんな部署にまわされるかわかったものじゃない。これは日本の労働組合が企業単位であって、ユニオン制でないこととも関係している。そんなわけで、「社会に出て何をしたいのか」 より、「とりあえず、大学さえ出ておけば」 といった風潮にもつながったのだが。

そんなこんなで、日本のサラリーマンは、「つぶしの利く人」 となるために、スーツとネクタイのヨロイをまとわなければならなかったのである。日本のビジネス社会の信仰とは、会社に都合のいい 「つぶしの利く人材」 でいることだったといっていい。

しかし、最近はやや様子が違ってきた。信仰は迷信と化し始めている。ようやく、「デキる、デキない」 の世の中に近づきつつあるのかもしれない。

私だって、サラリーマン時代の最後の10年近くは、自主的にノーネクタイで過ごしていたのだが、それに対して誰も文句は言わなかった。「つぶし」 なんか利かなくたって構わないと開き直ってしまえば、なんてことはないのである。

「エライ、エラくない」 の基準から離れてしまうと、スーツとネクタイなんて、単純に邪魔くさいだけなのだ。

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2005/06/05

正しい認識とは?

「オイル・ピーク」 という言葉がある。石油の産出量は近い将来ピークに達し、以後徐々に減少していくと予測されている。

このオイル・ピークがいつかというのは、諸説あってさっぱりわからない。最も悲観的な説は 2004年 (昨年) だったし、果てはそんなものはないという説まである。

オイル・ピークが諸説あるのは、条件によってどうにでも変わるからだ。確かに原油の埋蔵量というのは有限だろうから、いつか必ずなくなる時がくるだろう。しかし、どの時点をもって 「なくなった」 と称するかは、まるであいまいだ。

石油というのは、地下の圧力によって湧き出してくるものらしい。だから、完全に枯渇しなくても、圧力が弱まれば湧いてこなくなる。そうなれば、人工的な圧力を加えてやらなければならず、それだけコスト高になる。

このコストが採算分岐点を超えてしまえば、「もうなくなった」 というわけだが、採算というもの自体が、需給変化と技術革新でどうにでも変わってしまう。さらに、「とても良くできた予測」 というものが発表されれば、それに群がって投機筋が動くから、それでまた予測は狂う。

甚だしくは、油田はまだまだ発見されるし、既存の油田でも技術革新によってどんどん掘り出されるので、「オイル・ピークなんてない」 と主張するものまである。たとえあったとしても、一方で代替エネルギーの開発も進むので、何の問題もないという楽観論である。

要するに、確かなことなんて、誰もわからないのである。もう少しで筆 (指?) が滑って 「直前まで誰もわからない」 と書くところだったが、よく考えれば、どの時点を称して 「直前」 というかすらもわからないのだ。

ことほど左様に、「正しい認識」 というのは困難である。最期っ屁みたいに言ってしまうが、「正しい歴史認識」 なんていうのも、戯れ言にすぎない。「妥当な歴史認識」 ということにしても、議論する人の数だけあるだろう。それを一本にまとめようなんてことは、ナンセンスとしか言いようがない。

ある時期の 「正しい歴史認識」 は、時代が変われば必ず糾弾される。「正しさ」 が際立つほど、あっという間に正しくなくなってしまう。歴史はそんなことの繰り返しだったではないか。私は 「正しい歴史認識」 なんて子供じみたことは、恥ずかしくてよう言わん。

政治的立場、とくに共産主義的立場に立つと、どうしても公式的な 「歴史認識」 というものを必要とし、それに合わないものにステロタイプなレッテルを貼って攻撃するという方向に流れがちである。

だから、共産主義の世の中では、悲しいことにいつも 「糾弾」 の繰り返しだ。

我々は用もないのに政治的になってはいけない。「政治的」 というのは、人間の意識の中でも相当ナンセンスなレベルのことをいうと思っていれば間違いない。

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2005/06/04

Google の翻訳アルゴリズム

コヨーテ日記」 のジャネド・カイさんが、google.co.jp ではなく google.com で自分のサイトのページを検索し、 [Translate this page] をクリックしてみるという荒技を試しておられたので、私もやってみた。

昨日付のトップページを英訳させてみたところ、素晴らしい結果になった。

ページの真ん中に表示される 「今日の一撃」 のリード部分は、以下のようになったものである。

(原文)
故・二子山親方の葬儀のニュースで、若貴兄弟がお互いに目も合わせないという、異常な光景が強調されていた。

世の中には周りから 「変な家族だなあ」 と思われているファミリーがかなりあるが、花田家というのは、その中でも典型的な例だと思ってしまうのである。

(Google の翻訳結果)
You say with news of funeral of the * two child mountain bosses, the your sibling does not adjust either the eye young mutually, the abnormal spectacle was emphasized.

In society from around " it is the strange family ", considerably there is a family which is thought, but the flower rice field house, you think even the among those it is typical example.

ものすごい翻訳である。「故・二子山親方」 が "* two child mountain bosses"、「花田家」 が "flower rice field house" になってしまうのは、しょうがないと思いながらも、いきなり "You say" で始まるのには (多分、「目も合わせないという」 のところから来たのだろうが)、のけぞりそうになった。

そこでふと思い立ったのは、この翻訳された英文をさらに Google の翻訳にかけて、日本語に戻したらどうなるかということである。

しかし、いきなり英語のページを作っても、Google はすぐにはクロールしてくれない。そこでちょっとした裏技を使い、私の管理する某英文サイトの下の方に、地色と同じ色のフォントでコピペし、それを Google.co.jp で検索して、[ このページを訳す BETA ] をクリックしてみたのである。

結果は以下のような日本語となった。

あな たはの葬式のニュースと言う* 2 人の子供山の主任は, あなたの 兄弟どちらか目の若者を, 異常な光景強調された相互に調節しな い。

" それのまわりのからの社会では奇妙な家族 " は, かなりそこにである家族あるそれらの中でそれが典型的な 例であることを思考のが, 花の米の野戦家屋すなわちあなたは考 える。

もう、わけがわからない。ただし、よくみると、最後の和訳文は、オリジナルを滅茶苦茶に訳した英文テキストを、かなり忠実に翻訳しているということがわかる。「故・二子山親方」 → "* two child mountain bosses" が 「2 人の子供山の主任」、「花田家」 → "flower rice field house" が 「花の米の野戦家屋」 になってしまったのは、ご愛敬というしかないが。

つまり、この最後の和訳文の滅茶苦茶さ加減は、かなりの部分、一つ前の段階の英訳文の滅茶苦茶さに依存していると言っていい。

しかし、英訳文が滅茶苦茶なのは、オリジナルの私の日本語が滅茶苦茶なせいかというと、自分で言うのもなんだが、そんなことはないはずだ。

二段落目で、「思ってしまう」 の本来の主語である 「私は」 が省略されているので、「花田家というのは」 が主語に取り違えられかねないというところにしても、日本語としてはそれほど破格の用法ではないと思う。

Google の翻訳アルゴリズムは、英文和訳はそれほど捨てたものでもないが、和文英訳の方は、まだまだ改良の余地がある。

しかし、それも無理からぬところである。私の経験からしても、他人が書いた日本語の文章を英訳するのは、その逆よりもずっとうっとうしいものだ。

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2005/06/03

花田家の 「ねじ曲がり」

故・二子山親方の葬儀のニュースで、若貴兄弟がお互いに目も合わせないという、異常な光景が強調されていた。

世の中には周りから 「変な家族だなあ」 と思われているファミリーがかなりあるが、花田家というのは、その中でも典型的な例だと思ってしまうのである。

誤解を恐れずに言ってしまうが、「変な家族」 のほとんどは、大人しく忍耐強い旦那と、我の強い仕切りたがりのかみさんの間に、妙に真面目な息子がいるというケースである。被害を蒙るのはもっぱら息子で、娘は案外なんとか世渡りできてしまうことが多い。

こうした家族の息子の多くは、何から何まで思い通りにしたがる母親のプレッシャーに押しつぶされて、引き籠もってしまうか、非行化してしまうかのどちらかだ。周り中を見てみるといい。「変な家族」 というのは、たいていこのパターンである。

さすがに、花田家の息子二人は、引きこもりにも非行少年にもならなかったが、それだけにより深刻な 「ねじ曲がり」 を生じてしまったように見える。

兄貴の方は、まだ世間の常識みたいなものを意識しているフシがあるが、弟の方は、相撲ではトップを極めたかも知れないが、人間としては、どう見ても青二才以下だ。それが露骨にわかってしまうというのも、この人の 「妙な生真面目さ」 故なのだろうが。

どうも、「厳しさ」 だけを与えられて、「無条件の愛情」 というものを注がれた経験がないのではないかという気がする。

努力はするが、それはその努力に対する 「見返り」 が確実にあるからであって、「見返り」 を期待しない 「無条件の愛情」 というものを知らずに育ってしまうと、今の貴乃花のような、人間味のない 「鉄面皮の人」 になってしまう。

あれでは、弟子が苦労するだろう。それ以前に、大事な息子をこの親方に預けようという親がいなくなるだろう。

人間は幼少期の間に 「無条件の愛情」 を注がれないと、後から帳尻を合わせるのは大変な作業になってしまうようだ。

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2005/06/02

カレーの日の謎 解ける

1月 16日の当欄で、「カレーの日の謎」 というコラムを書いた。1月 22日はカレーの日というのだが、その実体が皆目わからないということを書いたのである。

この謎について、ululun さんが調べて解決し、BBS に書き込みしてくれた。私としても、これでスッキリしたのだった。

ululun さんが 「はてな」 で質問を出し、その回答として挙げられたのは、「トリビアの泉で沐浴」 というサイト (参照) 。知らなかった。「トリビアの泉」 で取り上げらたネタだったのだな。

まず、わかったのは、「カレーの日」 というのを制定したのが、巷間伝えられている 「全国学校栄養士協議会」 という、実際には存在しない謎の組織ではないということだ。本当は 「全国学校栄養士会」 というところだったというのである。これなら、ホームページもちゃんとある。(参照) 
(これに関しては、やや複雑な事情あり。このエントリー最後の 【追記】 を参照していただきたい)

「・・・ 会」 を 「・・・ 協議会」 と間違えるだけで、検索にもかからなくなり、話がややこしくなる。インターネットでは、誰かが誤った情報を伝えると、それがどんどん拡大再生産的に伝わってしまうという危険性があるが、カレーの日の総元締情報はそれに当たるようだ。
(【追記】 をご覧いただくとわかるが、誤った情報を伝えたのは、この団体自身だったようなのだ)

さらに、このページでは以下のように説明されている。

この計画の実行日は1982年1月22日。全国小中学校給食献立カレー化計画、ともいえるこの計画は戦後に学校給食が復活したことを記念する日である12月24日に実行する予定だったんですが、土日や冬休みと重なるため1ヶ月ずらした1月24日を中心とした1週間を「学校給食記念週間」とし、その中の22日を「統一献立日」としました。しかしこのカレー給食の日、既に献立が決まっていて変更できなかったので、実施したのは2割。「給食をカレーに、しーてし まえっ!」という筋肉少女帯みたいな計画、失敗!

というわけで、要するに、全国の学校給食をカレーにしてしまうというプロジェクトは、失敗に帰してしまったわけだ。給食でカレーなんて、別に日を決めなくてもいつでもできるのだから、構想自体がナンセンスということだったのだろう。

インターネットで流布されている 「1982 (昭和57) 年、全国学校栄養士協議会で 1月 22日の給食のメニューをカレーにすることに決められ、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出された」 というもっともらしい説は、提唱した団体名も誤りならば、その成果として伝えられるところも誤りだったわけだ。

そして、「1月 24日を中心とした 1週間を 『学校給食記念週間』 とし、その中の 22日を 『統一献立日』 と」 したという事実からも、これはその年の一度きりの試みと想定されていたものということがうかがわれる。

継続的にやるつもりだったなら、「1月の第○週」 といった決め方になるだろうから、それは間違いないだろう。そこまで深く考えてなかったというなら、お粗末すぎる話になる。

しかしなぜか、「カレーの日」 という名称だけは、まるで盲腸のように生き延びてしまった。かなりいい加減なお話である。

そんな 「瓢箪から駒」 みたいな話なので、前出の全国学校栄養士会のサイトに行っても、「カレーの日」 については一言も触れられていない。もう完全に頬被りしているようである。「触れられたくない過去の過ち」 ということなのだろうか。

要するに、「カレーの日」 というのは、都市伝説に近いもの思っていればいいようなのである。

【平成 19年 2月 9日 追記】

わけのわからんことになっているのである。

このエントリーを書いた平成 17年 6月 2日の時点では、確かに、上記の [ http://www.gakkyu.or.jp/ ] というサイトに行ってみると、タイトルには 「全国学校栄養士会」 と表示されていたのである。ところが、今日たまたま表示させてみると、「財団法人 全国給食研究改善協会」 という団体のサイトになっていて、その中に、「社団法人 全国学校栄養士協議会」、略称 「全学栄」 という団体のページが、サブサイト的に作ってある。

で、この 「全学栄」 という団体の沿革を見ると、昭和 36年 (1961年) 11月 10日に、「全国学校栄養士協議会」 設立総会で設立されたとある。その後、昭和 49年に社団法人になったとされていて、やっぱり、「全国学校栄養士協議会」 という名前に間違いはなかったようなのである。

ところが、しばらくの間、ホームページでは、「全国学校栄養士会」 という間違った名前が表示されていたために、「全国学校栄養士協議会」 という正しい名称のキーワードでは、検索に引っかからなかったのである。

おいおい、何とお粗末なことであるか。自分とこのサイトを作るのに、団体名称間違える団体が、どこにあるんだ? (ここにあるか)

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2005/06/01

純粋培養のスターは仕切られたがり

初代貴乃花の二子山親方が亡くなって、マスコミはお約束の追悼美談で溢れているが、実は、晩年はあまり恵まれた人生とはいえなかったようだ。

奥さんには出て行かれるし、綱まで張った二人の息子は不仲を極めているし、家庭的には不器用な人だったのだろう。

私は 「純粋培養のスターは仕切られたがり」 説を唱えている。若くしてスター街道に乗り、中途半端に真面目な性格のため、遊びたい盛りに世間を知らずに育った 「スター」 は、えてして我の強い仕切りたがりの女とくっついて、生活全般を仕切ってもらいたがる。そのくせ、長続きせずに、途中で出て行かれる場合が多い。

郷ひろみなんて、その典型的なケースだと思うのである。

二子山親方の場合も、初代若乃花の実弟として注目を浴びながら、若くして相撲界に入り、相撲以外のことは知らずに、気付いてみるとスターになっていた。これ以上の純粋培養はない。

師匠の初代二子山からは非常に厳しく育てられたようだが、出世も早かったので、日常生活は付き人に何から何まで世話してもらう環境だったわけだ。相撲以外のことは、周りで仕切ってくれないと自分では何もできないということになっても、まったく不思議ではない。

二人の息子は親の背中を見て育ったわけだが、横綱になり、大関止まりだった親の地位を上回ってしまうと、相撲以外の部分で納得させられる材料がない。

若貴兄弟が現役の頃は、横綱とはいえ、年齢的には三十歳にも満たない青二才である。親父の人には言えない苦労など、察してやれるだけの精神的な土壌はない。だから親子関係がいびつなものになってしまうのも、仕方のないところだったかも知れない。

そして、今では次男の二代目貴乃花も、仕切りたがりの女房の尻に敷かれる傾向は共通しているのではなかろうか。あのドサ周りの演歌歌手みたいなヘアスタイルを見るだに異様さは隠しきれない。因果は巡るである。

その点、同じ純粋培養とはいえ、歌舞伎役者の場合は、芝居だけではなくきちんと遊びを仕込まれて、世の中の酸いも甘いも、ある程度は知ることのできるシステムになっている。そうでなければ、子々孫々役者を継がせて、家を継承するということはできないだろう。

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