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2005/07/24

耐震構造の話

昨日の 4時半頃は、月山街道をひたすら酒田に向かって車を走らせていた。だから、東京足立区で震度 5強を記録したという地震は、まったく知らなかった。

茨城西南部は震度 4。このくらいなら、慣れっこだ。留守番の娘も、「全然大したことなかったよ」 と言っている。

足立区周辺にいた人は、「ついに、『例のモノ』 が来たか」 と身構えたかもしれないが、幸か不幸か、今回のは 「例のモノ」 ではなかったようだ。「例のモノ」 がこの程度で済んでくれれば、ありがたかったのだが。

私は小学校 6年生の時、新潟地震を経験した。酒田でも震度 5 を記録した。当時は、震度 5 に 「弱」 「強」 という区分はなかったが、今の基準で言えば、間違いなく 「震度 5 強」 だったと思う。

新潟地震があったのは、東京オリンピックの年である。昭和 39年、1964年だ。

あの年は、その震度 5 強 (だったろう) の地震で、かなりの被害が出た。地割れに落ちた女学生が死に、家々の壁には亀裂が入り、市内のほとんどが停電し、水道管は随所で破裂し、完全復旧まで 1か月以上かかった。

揺れている最中、私は戦前に建てられた木造の小学校にいたが、天地がひっくり返るような揺れで、教室の天井から塵がバサバサと落ちて煙のように広がるのを見ただけで、「思えば短い一生だった」 と覚悟したほどだった。

そうした経験をしたものだから、最近のニュースで震度 5 強 とか、6 弱 とかでも、案外軽い被害で済んでいるのをみると、隔世の感がある。なんだかんだ言いながらも、最近の建物は地震に強くなり、都市のインフラも、そう簡単には壊れないようになっている。

話はややそれるが、昭和 30年代の 76歳のじいさんというのイメージは、腰の曲がったよぼよぼの老人だった。ところが、帰郷して顔をあわせる私の父は、76歳とはいえ、しゃきしゃきしている。

妙な表現だが、最近は老人まで耐震構造がしっかりしてきたようだ。その代わり、実家の建物の方が、築 40年を越えてガタがきた。

来年の 5月には、現在の家の向かいに買った土地に家を建て、引っ越すという。それを聞いて、ちょっと安心だ。少々の地震では倒れずに済むだろう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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