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2005/07/25

慈悲喜捨

昨日の 「一撃」 で、実家が引っ越すことになったと書いた。とは言っても、引越し先は今の家の向かいに新築する家である。

現在そこにはかなり古いアパートが建っているが、それを取り壊し、土地を売りに出す。それをうちの父が買った。築 40年の今の家をたたみ、向かいの新宅に移るというわけだ。

移り先はほんの向かいだが、やはり、一切合財を移すのだから大変な作業になる。この際だから、物置にたまった何十年来のがらくたは処分しなければならない。

どんなものがあるのか、物置に入ってみると、子供の頃に見覚えのある棚やたんす、茶箱などがびっしりと積み重ねられている。いくつかの引き出しを開けてみると、見覚えのある洋服や着物が入っている。多くはもう使い物にならないから、捨てるしかない。

ところが、これらを一挙に捨てるとなると、思い出のあるものもあるので、ちょっと捨てにくい。親戚で最近引越しをした者の言うことを聞くと、捨てるときには、ちょっとでも考えてはいけないのだという。

ちょっとでも考えてしまうと、それにまつわる思い出がよみがえってきて、捨てられなくなる。だから、考える間もなく、次々に自動的に捨てなければならない。

捨てる一瞬間だけは、何かの感傷がわくかもしれないが、捨ててしまいさえすれば、そんなものはきれいさっぱり忘れてしまうのだそうだ。要りもしないもので貴重なスペースをふさぐことこそ馬鹿馬鹿しい。それを聞いてなるほどと思ったものである。

ところで、今日、物置を物色してみたら、珍しいものが出てきた。円筒形の書類入れに入った 「ガリ版用の原紙」 である。

といっても、最近の若い人は知らないだろう。ごく薄い和紙にパラフィンをコーティングしたもので、それの上から鉄筆でガリガリと書き込むと、そこだけパラフィンが取れてインクが通るようになる。それで 「謄写版印刷 = 別名 ガリ版印刷」 ということをするのである。

高校時代、ガリ版印刷でミニコミ誌を作っていたのを思い出した。その時に使い残した原紙が、30数年の時を経て現れたのである。

考えてみれば、このサイトにしても、その母胎はあのガリ版印刷のミニコミにあったのだ。

そう考えてしまうと、その原紙だって捨てられなくなる。しかし、ここは 「考えずに」 捨てなければならない。仏教でいうところの 「四無量心」 というのも、「慈悲喜捨」 である。慈悲を発揮し、他の喜びをわが喜びとし、そして、最後にはそれらをも捨てなければならないという。

モノとしての原紙は捨てても、そのスピリットは、このサイトに脈々と残そう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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日本人の旅行者が、エジプトに行った際に困るのが、バクシーシ(喜捨)の習慣です。海外を旅行して、チップの扱いに戸惑った経験をお持ちの方も多いのではないかと考えます。エジプトを旅行すると、さらにそれに加えてバクシーシというものまで・・・... [続きを読む]

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