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2005/09/29

性差と個人差

私は 「○○らしくない○○」 というのが案外好きだ。「先生らしくない先生」 とか、「営業マンらしくない営業マン」 なんて、OK である。

で、「いわゆる男っぽくない男」 とか、「いわゆる女っぽくない女」 というのも、OK だが、かといって、ジェンダーフリー論者というわけでもなく、「性差」 に関しては肯定的である。

最近、性差に関して積極的に肯定すると、「性差別主義者」 のレッテルを貼られることがある。しかし、性差というものを認めないなんて乱暴な言い方は、私にはとてもできない。それは 「あって当たり前」 というものである。

こんな言い方をすると、必ず反論される。その反論の代表が、「性差よりも個人差の方が大きい」 ということである。しかし、このレトリックはかなりヒステリックなものであることを指摘しなければならない。私はこうしたモノの言い方には、ちょっといらいらしてしまう。

「性差よりも個人差の方が大きい」 なんて、言うまでもなく当たり前ではないか。「傾向値」 で語られる 「性差」 と 「個別の話」 である 「個人差」 は、そもそも直接比較する意味のないものである。

「英国人一般とフランス人一般の違いより、個人差の方が大きい」 と言ったら、そりゃ、当たり前である。しかし、それを言ったら、民族性とか国民性とかいった議論は成立しなくなる。性差とか民族性とかいう議論は、個人差の方が大きいという言わずもがなのテーゼとは、別のレベルのお話なのである。

「個人差」 は大きくて当たり前である。だから、いわゆる男っぽさでは普通の男より上を行く女がいたところで、それは別に大したことではない。逆もまた真なりである。

こうした言い方をすると、私が 「いわゆる男らしさ」 とか 「いわゆる女らしさ」 とかを無批判に受け入れているという批判が生じるかもしれない。しかし、いいではないか。長い歴史の中で、そうした既成観念ができているのは動かしがたい事実として認めてもいいだろう。

しかし、「男たるもの、『いわゆる男らしさ』 を身に付けなければならない」 ということになると、話は別である。「いわゆる男らしさ」 のない男がいても、一向に構わない。「いわゆる女らしさ」 を、私は女性に強く求めたりはしない。どうでもいいことである。

そして、「男らしさに固執する男」 や 「女らしさにこだわる女」 がいても、また、それはそれで一向に構わないことである。価値の多様さにこだわるあまり、こちらの方を否定してしまっては、それは本来の 「多様性」 のコンセプトを裏切ることになる。

このあたりが、いわゆる 「ジェンダーフリー論者」 の陥りやすい罠である。

要は、人間として、性差を超えて魅力的ならばいいのである。性差やジェンダーの問題と、人間的魅力とは、また別のレベルのお話である。直接関わりのないことをごっちゃにして語るから、話がややこしくなるのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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コメント

「男らしさ」「女らしさ」がどういうものであるか「各人の思い込み」も、もっと自由で多様であってほしいですね。マスメディアに嫌というほど出てくる男女の画一性にはウソくささ、窮屈さを感じます。マーケティングの都合もあるのでしょうけどね。と、そんなことにイラついてる今日この頃です。

投稿: 気持ちはジェンダーフリー | 2005/09/29 08:16

私は、既成観念としての 「思いこみ」 というのも、傾向値ですから、それはそれでいいと思いますよ。そして、それを 「良し」 とする人がいてもいい。

しかし、そんなことは、ちょっとおいとけばいいんじゃないのかなあ。

各人の自由な価値観は、それこそ 「男らしさ」 とか 「女らしさ」 とかいうキーワードにこだわる必要はないんじゃないでしょうかね。

少なくとも私は、自分の生き方に、意識的に 「男らしさ」 なんて求めたことはないなあ。ただ、これはとても複雑な問題で、それこそ 「複雑系」 の視点で語れば一冊の本になるくらいだけど。

「男らしさ」 「女らしさ」 の 「各人の思いこみ」 に多様性を求めるというのは、素敵にきこえるけれど、しかし、それはとりもなおさず、既成の 「男らしさ」 「女らしさ」 にとらえられてる裏返しなんじゃないのかなあ。

「多様な男らしさ、女らしさ」 なんて、実はあんまり意味がないんじゃないでしょうかね。平均値である程度限定するから、意味が生じるんであって。

多様性の方に話をふったら、それは単なる 「個性」 のお話になってしまいます。そこに敢えて 「多様な男らしさ、女らしさ」 なんていうテーマをまぶす必要はないでしょう。堂々巡りになってしまう。

そもそも、「らしさ」 というのは、ある程度範囲を限定するから、そう呼ばれるものです。

まあ、現状においては既成観念が強すぎるので、まずは、「男らしさ、女らしさ」 の幅を広げようということから始めるというのも理解できないこともありません。

しかし、その土俵にいる限りは、従来の観念にも絶えずエサを与え続けてるのと同じコトです。

投稿: tak | 2005/09/29 09:22

takさん、こんにちは。
今までtakさんが書くことに対していつも反発を覚えいましたが(あ、あれぇ~?)、今回初めて意見が一致した思いです。
ちょびっと嬉しい(笑)。
あ、今日は名前はhanamakiにしてみましたが、花まきですよん。今度からブログのコメントはhanamakiで書きますので、よろしく~♪

投稿: hanamaki | 2005/10/01 16:57

hanamaki さん、コメントに気付くのが遅れて、失礼しました。

いつも反発を覚えてくださって、ありがとうございます。
変な言い方ですが、反発があってこそ、その先にも行けると思いますんで。

このテーマ、かなり物騒そうなんで、この先も、たまぁにですが、慎重かつ大胆に書こうと思ってます。

投稿: tak | 2005/10/03 15:23

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