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2005/10/09

「妬み」 と性差

「嫉妬深い」 というと、とてもネガティブな印象があるが、それは 「負けず嫌い」 と同じ根っこを持つのではないかと思う。要するに、他より劣りたくないという気持ちの顕れである。

同じ根っこが、よく顕れたり、困った形になって出てきたりする。人間社会の面倒くささとは、とりもなおさずこのことである。

「他よりも劣りたくないという」 という気持ちは、とても自然なものだ。それがあるからこそ、人間はお互いに切磋琢磨して、向上することができる。

しかし、その気持ちが、自分の努力を促進する方向ではなく、相手への攻撃というか、足を引っ張るというか、そんな形に転化されると、「嫉妬」 とか 「妬み」 ということになる。

だからスポーツ選手というのは、かなり嫉妬深かったりもする。元々が 「負けず嫌い」 という傾向を強く持っているので、それがほんのちょっとねじ曲がると、驚くほどの 「妬み」 という感情として表れることが少なからずある。

次のパラグラフ、とても因習的な言葉遣いを、敢えてさせていただくが、本心ではないので、誤解しないでいただきたい。

スポーツ選手というのは、一般にとてもすがすがしくて 「男らしい」 と思われがちだが、ちょっと深く付き合うと、とても 「妬み深い」 ところがあったりして、実は、「女々しい」 存在だったりするのである。

こうして表現してみると、なるほど、女の身でなくても、むっとするところがある。ポジティブな傾向を 「男らしい」 とし、ネガティブな傾向を 「女々しい」 とする文化が、かなり続いて来たことは否定できない。

しかし、よく観察すると、「女々しい」 という形容詞は、女に対してはあまり使われないのである。男を非難する場合に使われるのが、ほぼ100%に近い。女性にしてみれば迷惑な話だが。

「女々しい男」 は存在するが、「女々しい女」 というのは、存在しない。

男は 「女々しい」 と言われたくないがために、「男らしい男」 になる努力を要求される。女は、「女々しい」 と非難される可能性が低いので、「凛とした女」 になる努力をことさらには要求されない。

このあたりでジェンダー意識は堂々巡りになって、ちょっと意識的にならないと、悪しき相乗効果を発揮するばかりである。ある意味、男も女も、単なる 「性差」 を超えた固定観念の犠牲者である。

それがより強く意識されるのが、今の社会では、女ということになってしまうのは、致し方ないが、その底流では 「男もつらいよ」 という部分があるのだということを、世のフェミニスト達には理解していただきたいのである。

そうでないと、時として単なる 「妬み」 ということに陥ることがある。「男ばかりがうまい汁を吸ってるのは、けしからん」 という意識では、世の中、ちっともよくならない。

まあ、こんなことは良識ある女性には、当然のこととして理解されていると思うけど、世の中にはそうでない人もいるし。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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