« 蕎麦を打つのはむずかしい | トップページ | 「花月マスター」 に認証された »

2005/10/18

ステロタイプの応酬と化した靖国問題

小泉さんの靖国参拝には、左右両翼から批判がある。それは首相にはみな想定内のことだろう。ここで私が何を言っても、他の幾多のブログで言ってることの焼き直しになるから、わかり切ったステロタイプは言わない。

むしろ私が興味を持ったのは、首相の行為に対する周囲の反応である。

昨日の夕刻、たまたまラジオのスイッチを入れたところ、TBS ラジオのキャスター、荒川強啓氏がかなり憤慨した調子で 「中国が有人宇宙飛行の成功で沸き立つという特別な日にこんなことをするのは、最悪のタイミングですよ!」 と述べておられた。

それに対して、コメンテーターの諸星裕氏が 「私はそういう日だけに、ニュースが目立たなくていいと思いますが」 と、冷静に述べると、荒川氏は 「いやいや、そうじゃないですよ、後々で効いてきますよ」 と、ちょっと訳のわからない言い方をし、諸星氏は 「はあ、そうですかね」 と言ったまま沙汰止みになった。

この番組では、コメンテーターの冷静な発言よりも、大きな声のキャスターの雰囲気的発言の方が力をもつらしい。

多分、荒川氏のようなタイプの人は、首相がいつ靖国参拝をしても 「最悪のタイミング」 と言うのだろう。その特定の日に特別なトピックがなければ、近い日付の何かを探してでも言うだろうし、それでも何もなければ、「中国との関係が大切なこの時期に」 と言うだろう。

首相の靖国参拝に反対する勢力にとっては、タイミングはいつだって 「最悪」 であり、「比較的いいタイミング」 なんてことはあり得ない。そういうわけで、「最悪のタイミング論」 は単に雰囲気の問題なので、この際、無視しても大勢に影響はないだろう。

タイミングということで言えば、中国は 「うまいタイミングを狙いやがったな」 と思っているだろう。同じやるなら、むしろ計算された 「最高のタイミング」 だった。外交というのはそういうものであり、日本側で 「最悪」 と騒ぐのは野暮以前のセンスの悪さである。

中国の王駐日大使は 「これからの日中関係を損なうことは間違いない」 と強く非難した。それに対し、麻生総務省は 「中国・韓国の場合、靖国神社に行かなくなったから、関係が急に良くなるとも思えない」 と語った。

これは、この間の事情をうまく表している。是非論を離れてみると、「靖国参拝」 という行為は、最近では政治的な外交カードにすぎないものとなっているのだ。このカードがそのうち陳腐化するのを防ぐために、中国・韓国はその度に激しい非難のコメントを出す。

一方、日本の伝統派は、今回の参拝を 「おざなり」 と非難する。「一国の首相たるもの、昇殿もせず、ましてや二杯二拍手一拝という形式すら踏まないのでは、参拝したことにもならない」 というのである。彼らの美意識に立てば当然の言い分だが、これが単なる 「参拝」 というよりは 「外交カード」 でもあるということを忘れての発言だ。

靖国問題は出口なしの様相を呈している。左右どちらの言い分を聞いても、一応もっともらしいのだが、結局はステロタイプの応酬に過ぎない。これでは何を言ってもすれ違いになるばかりで、はっきり言って付き合いきれない。最も不毛なタイプの議論である。

この閉塞状態に、無理に 「出口」 を作ろうとして、「A級戦犯の分祀」 と 「宗教色のない慰霊施設」 という 2つの提案も出てきた。

A級戦犯の分祀ということは、政治の宗教に対する介入になるから、それこそ 「政教分離」 に反することになる。これについては、私は以前に論じている (参照)。

宗教色のない慰霊施設というのも、いかにも苦し紛れである。そんな施設を作っても、結局は政治的妥協の産物で、屋上屋に過ぎないから、遺族の多くは靖国に行って、そっちには行かないだろう。多分、税金の無駄遣いだ。

下手したら、靖国派と無宗教施設派の対立という、まったく余計な事態すら起こしかねない。あまり利口なやり方とは思われない。

こうした場合は、時間という万能の神が解決してくれるのを待つほかないと、私の経験則はそっと囁いている。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

|

« 蕎麦を打つのはむずかしい | トップページ | 「花月マスター」 に認証された »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

「時間という万能の神が解決してくれるのを待つほかない」
私もまったく同感です。
参拝する総理大臣がいてもいいし、参拝しない総理大臣がいてもいい。憲法判断も完全に割れていますしね。

他国の気に入らない態度を、歴史認識として政治的に利用する流れは、中韓朝の特色として今後ともずっと続くと思います。
歴史と政治が不可分なお国柄ですし、儒教という形態の生活規範はあっても、宗教的なことにナイーブ(というか、政治がそのかわりを果たしている?)なお国柄だからです。いわば民族史教・近代史教に帰依する国家といいかえてもいい。
それらの国々が、日本の歴史的態度を争点にしなくなるためには、民族史教・近代史教がそれぞれの国々である程度相対化されないと無理なことでしょう。

といった論説を日本メディアが淡々とあげるくらいのことはしてもいいのですが、予定調和好きの日本人ゆえでしょうか?
なかなかそこまでいかず、一喜一憂、全員参加型で空騒ぎが好きなんですよねぇ。まあ、これも私はしょうがないな、と思いますけどね。

投稿: ぽん太 | 2005/10/18 12:45

ぽん太さん、コメントありがとうございます。

この問題、ネット上の三大タブーと指摘された 「政治」 「宗教」 「ジェンダー」 のうち、二つに関わってしまうだけに、かなり慎重に書いたつもりです。

「最悪のタイミング」 ということに関しては、時事通信でも、「日中関係筋」 という、かなり意識的にぼやかしたところからのコメントとして紹介されています。

http://www.ocn.ne.jp/news/data/20051017/j051017X909.html

まあ、一種の政治的プロモーション材料ですね。

中国からのコメントではなく 「日中関係筋」 というのが注目すべきところです。十中八九、日本人のコメントだと思います。

相対化されるべきなのは、中・韓ばかりでなく、日本国内にもその要素はあるようですね。

投稿: tak | 2005/10/18 13:49

こちらこそ、お返事をありがとうございました。
ずっとROMしておりましたが、先日のジェンダー論あたりから、コメントがたびたびはいるようになり、takさんの作戦勝ち?などと思っておりました。

宗教的にナイーブというのは、実は日本もご同様だと思います。
東アジアで政治と宗教がはっきり区分されずに外交問題化する理由の一つに、このエリア全体がいわゆる他国の「宗教的態度」とは一線を画した、特異性(きわだった特色)があるからではないかな、と思っています。
信教の自由に対して、いずれの国も「そこを最大限尊重しないと、泥沼化の抗争で国が滅ぶ」危機感がないんですよね。
まあ、だから「天皇教」を旗頭に宗教戦争じみた戦いにもつれこみ、その余波が今に至るまで続いているのだ…ともいえますが、靖国問題は部族国家同士の我の通し方に似てると感じます。
個人の信教の自由を十八番のようにことさらに取り上げる日本メディアのやり方のままだと、ますます自国を不利にするだけなんですが、どうもそこらへんの思考停止が気になってしまう私でした。

投稿: ぽん太 | 2005/10/18 14:38

>先日のジェンダー論あたりから、コメントがたびたびはいるようになり、takさんの作戦勝ち?などと思っておりました。

いや、別に、作戦なんて大それたコトは…… 冷や汗です。

>宗教的にナイーブというのは、実は日本もご同様だと思います。

北東アジアというのは、確かに 「宗教的にナイーブ」 (ナイーブは英語の本義の通り、「幼稚」 ということの方がぴったり) ですね。

日本は、生まれてすぐに 「お宮参り」 をし、「キリスト教式の結婚式」 をして、「仏教のお葬式」 をする 「無宗教国家」。

韓国は、多くの人が漠然と教会に通っている 「儒教国」。

中国は建前上は 「宗教を持たない国」。

宗教が大きなテーマになる地域だったら、靖国問題は成立しないかもしれませんね。

投稿: tak | 2005/10/18 15:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42004/6451098

この記事へのトラックバック一覧です: ステロタイプの応酬と化した靖国問題:

» 小泉首相が靖国参拝にこだわる理由 [◆木偶の妄言◆]
小泉首相が靖国神社を参拝した。 公人にあたる人物の靖国神社参拝についての僕の考えは、「未来に続く靖国問題」、「靖国参拝の不思議(上)」、「靖国参拝をどうするのか? 」「(補稿)靖国参拝をどうするのか?」などで縷々語ってきたので、繰り返さない。ここでは小泉首相が靖国神社参拝にこだわる理由を考えてみる。 僕はもともと小泉首相自身には靖国参拝に対する思い入れはないのであろうと推測する。 2001年の総裁選で票田である遺族会向けに8月15日の参拝を「公約」。国会答弁で靖国参拝を何度も明言し... [続きを読む]

受信: 2005/10/18 03:06

» 小泉首相の靖国参拝、偏狭な歴史認識があるかぎり、 [罵愚と話そう「日本からの発言」]
 小泉首相の靖国参拝は人気取り、選挙対策であって、宗教的信念や英霊の慰霊ではない。代議士の盆踊りや秋祭りへの参加とおなじだ。もしも、真剣に国の尊厳を守るのなら、正々堂々と閣僚を引きつれて、政府と国民を代表して、正殿に昇殿し、その後、境内で記者会見をして、その信念を世界に向かって開陳するべきだと思う。『アヘン戦争以来の日本の近代史は、西欧の侵略主義との戦い、すなわち聖戦の歴史だった。自国の独立保全の戦いからはじまり、最後には植民地支配に苦しむ近隣友好民族の解放戦争だった。いくさに敗れて、理不...... [続きを読む]

受信: 2005/10/18 04:30

« 蕎麦を打つのはむずかしい | トップページ | 「花月マスター」 に認証された »