« 庄内柿のパラドックス | トップページ | 情報は 「一ひねり」 してこそおもしろい »

2005/11/22

広報のあり方について考える

1990年代前半、私が某外資系団体の広報部に勤務していた頃、日本の品質管理部門と米国の広報部門は同レベルで、さらにまた、米国の品質管理部門と日本の広報部門も同レベルだと言われていた。

前者は高レベル、後者は低レベルの代表例として言われてIいたのである。

確かに、日本の品質管理 (quality control) は国際的に見て高レベルだった。工業製品の品質のみならず、サービスのクォリティもそうだった。

惜しむらくは、その高いクォリティを対外的にきちんと広報するパブリシティのレベルが、国際水準より低かったので、マーケティングに十分に反映できないケースが多かった。

一方、米国の工業製品の品質は、平均的には日本のそれよりかなり劣っていた。しかし、上手な広報にかなり助けられていたように思われる。

「米国の工業製品の品質は必要十分であり、過剰品質を追い求めてもコストに跳ね返るだけ」 というレトリックは、ある意味開き直りでもあるが、確かに説得力があった。同じことでも、「この程度で何がいけないんだ? これ以上無駄な金をかけてどうする?」 などと言ってしまったら、ぶちこわしである。

品質というのは、チームワークにより、地味で細かな作業をこつこつ積み重ねることで向上する。日本の場合は、コストを度外視してでも品質向上を目指すような土壌があった。「チームワークでこつこつ積み重ねる仕事は苦手だ」 と思っている日本人でも、大抵の場合、平均的米国人よりは上手にこなせるものだ。

一方、広報というのもチームワークの作業ではあるけれども、個人のセンスによる部分が相対的に大きい。広報畑で 10年やってきた日本人でも、国際的な PR ということになると、米国の駆け出しにも劣ることがある。

日本の外交を見ていると、その広報下手が如実に感じられる。日本の広報は、国益を最大限に確保するというスタンスがなく、さらに、同じことを言うにもきちんとしたレトリックがないので、下手な言い訳にしか聞こえない場合が多い。

さらに国内的には、なぜか国益を重視するパブリシティよりも、外国の利益を代弁するパブリシティの方が力を持っている。「国益優先の傲慢を廃し、周辺諸国の声を謙虚に代弁する」 ことが使命であるかのように振る舞うマスメディアというのは、いい悪いは別として、少なくとも日本特有の現象である。

広報とは、自らの利益を確保しつつ、さらに他者の理解を得るのみならず、尊敬の念すらも喚起できるようなものであるべきだ。日本の広報は、そうしたコンセプトを決定的に欠いている。それはとりもなおさず、その基盤となる哲学の欠如によるものといえるかもしれないが。

その上、あれだけ優秀だった日本の品質管理も、今では国外での生産比率が高くなってしまったこともあり、かなりレベルが落ちてきてしまった。うっかりしていると、品質管理も広報も低レベルの国になりかねない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

|

« 庄内柿のパラドックス | トップページ | 情報は 「一ひねり」 してこそおもしろい »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

> 国内的には、なぜか国益を重視するパブリシティよりも、外国の利益を代弁するパブリシティの方が力を持っている

まさにその通りですねぇ。
問題は広報のあり方に留まらず、そのような広報こそ正しく公正であると感じている視聴者の側にもありそうです。

大学で同級生に上記のようなことを言うとたいてい右翼扱いされますが(泣)

投稿: hrk | 2005/11/22 21:00

「国益重視」 = 「中国、韓国、どうとでもなれ」 というわけではないと思うんですが、現状ではそのようにとられがちなのが悲しいですね。
国益を重視しつつ、周辺国との共存共栄は図れるはずなので。
というか、とりあえず自分の足元がしっかりしてないと、周囲にも気を使えませんから。

投稿: tak | 2005/11/22 22:51

でも、どうなんでしょうか?
国益重視のマスコミ報道とか、「仲良く」ワンフレーズ以外のもっとシビアな世論形成とか、そういうのって日本という国に向いてないのかも、って思ったりします。
「仲良く」が駄目ってんで「何でも駄目」に行っちゃったり、日本ってわりと単純なブレ方しますよね。
勧善懲悪っぽく幼いところは、アメリカとすごく似てるような気もしますが、国力が違いますしね。
いずれにしても、複雑なことを嫌う気質というのが近世以降どっかとあって、一朝一夕にはどうともならないんじゃないかな〜。
そのような単純化への強い嗜好をポスト近代の時代、どう効果的方向に落としたらいいか?といった戦略的取り組みが必要だと思うんですが、とってもめんどくさそうですね。

投稿: ぽん太 | 2005/11/23 02:28

ぽん太さん:

「単純化への強い嗜好」 というのは、今回の総選挙でも現れましたね。
複眼的にいろんな方向を見据えてコーディネーションをするというのは、確かに大変ですね。

企業の会議なんかでも、皆てんでに自分の部署の都合ばかり言い立てて、白か黒かで行きたがる。
それを調整して、どの程度のグレーにしようかという視点を持つ人は稀です。
単に言うだけ言って、後は成り行き任せという感じが多いんです。

だから、身内ではいろいろ言えるけど、価値観の違う外国に対しては、何も言えなくなってしまうというところがありますね。

主体的に調整しようという姿勢に欠けるのが問題かなあ。

投稿: tak | 2005/11/23 08:02

>主体的に調整しようという姿勢に欠けるのが問題かなあ。

というか、日本人って徹底的にエゴが足りないと思います。
「主体的に」というのも、一種のエゴでしょうけれど、本来的にそういうの駄目というか、あまり持ちあわせていない気がします。
「高度な妥協」というのが日本に一番欠けているのも、そういう胆力が備わっていないからじゃないでしょうか?
だったら、備わってないものを求めて永遠の不満を抱えるより、胆力ナシ!がうまくWinする回路を開いた方がいいかなと思うのですが、そういう思考じたいがかなりエゴイスティックなので、きっと無理なんでしょう。
なんか、そんな気がしてなりません。

投稿: ぽん太 | 2005/11/23 10:28

>というか、日本人って徹底的にエゴが足りないと思います。

それは言えます。
外国で感じるのは、強烈なエゴ!
まず、とにかく、自分の都合!

私なんか、日本人は奥ゆかしいなあと、感心します。

エゴのないのって、実は、ものすごい美徳、至上のエレガンスだと思うんですが、何しろ、グローバル・スタンダードのルールブックには、「エゴがない」 という状態が想定すらされてないので、日本人はどうにも立ち回りようがありません。

エゴがないくせに、国際舞台でもきちんと腹芸をして立ち回れるという、ものすごい高等技術を習得したら、日本人は世界の無敵民族になれます。

投稿: tak | 2005/11/24 00:13

takさん、そうなんですよ。
とても素晴らしい資質だと思います、エゴイスティックじゃないことって。美徳ですよ、美徳!
にも関わらず、エゴがあって当然なのが「世界」。
そこでエゴがないなんてことは、通用しないのです……。

弱肉強食が世の習いなら、エゴ大>エゴ小>エゴ零って感じに食われて当たり前ですよね。なのに、日本はよくわからないけど、大国として生き残ってしまった。そこが実はすごーく不思議なんです、私は。極東の上、資源なしという、旨みのない国土に住んでいたことも大きかったのでしょうけれど。
ヨーロッパなどでの長いなが〜いユダヤ人差別の背後には、ユダヤ民族が金融とか商売、その他学問など、いわゆる人間的営為に関わるところで、どうやっても他の民族以上に秀でてしまうDNAレベルでの軋轢があるんじゃないか?と思ったりしております。
日本も、本人はまったく無自覚なんですが、まるで異なった形で、奇妙な優位性のようなものを持ってしまっているのかもしれません。それが今後の歴史の上で吉とでるのか、凶とでるのか、私にはよくわからないんですけどね。

投稿: ぽん太 | 2005/11/25 12:07

takさん、そうなんですよ。
とても素晴らしい資質だと思います、エゴイスティックじゃないことって。美徳ですよ、美徳!
にも関わらず、エゴがあって当然なのが「世界」。
そこでエゴがないなんてことは、通用しないのです……。

弱肉強食が世の習いなら、エゴ大>エゴ小>エゴ零って感じに食われて当たり前ですよね。なのに、日本はよくわからないけど、大国として生き残ってしまった。そこが実はすごーく不思議なんです、私は。極東の上、資源なしという、旨みのない国土に住んでいたことも大きかったのでしょうけれど。
ヨーロッパなどでの長いなが〜いユダヤ人差別の背後には、ユダヤ民族が金融とか商売、その他学問など、いわゆる人間的営為に関わるところで、どうやっても他の民族以上に秀でてしまうDNAレベルでの軋轢があるんじゃないか?と思ったりしております。
日本も、本人はまったく無自覚なんですが、まるで異なった形で、奇妙な優位性のようなものを持ってしまっているのかもしれません。それが今後の歴史の上で吉とでるのか、凶とでるのか、私にはよくわからないんですけどね。

投稿: ぽん太 | 2005/11/25 12:07

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42004/7235251

この記事へのトラックバック一覧です: 広報のあり方について考える:

« 庄内柿のパラドックス | トップページ | 情報は 「一ひねり」 してこそおもしろい »