住所録による故人の追悼
毎年、年末から年始にかけては、「筆まめ」 で管理している住所録データの、かなりの部分を更新することになる。
引っ越し、結婚 (離婚もあるし) や、それから悲しいことだが死亡などで、データは毎年かなり変わってしまう。年賀状シーズンに、それをまとめて更新するのである。
引っ越しの知らせが届いたら、何はなくとも住所データを更新しなければならない。元のままでも、先方が郵便局に届けを出していれば 1年間は転送してくれるが、それ以後は送り返されてきてしまう。
結婚で名字が変わった場合も、さっそく更新する。最近は旧姓のままで通す人も多いが、そうでない場合は、やはり新しい名字で年賀状を出すべきだろう。
しかし、故人となってしまった人のデータを削除してしまうのは、何だか悲しくて、ついそのままにしておくことが多い。「削除する」 の文字をクリックしてしまったら最後、その人との結びつきが終わってしまうような、柄にもないセンチメンタルな気がしてしまうのだ。
そのせいで、私の住所録には、この世にはもういない人のデータが溜まり溜まっていたのである。死んでから 5年以上経つのに、まだハードディスクの中で生き長らえている人も、1人や 2人ではなかった。
しかし、昨年末、私は心を決めて亡くなった人の名前を住所録から削除してしまったのである。デジタル・データが消えてしまったところで、私の心の中に残るその人の記憶や感謝の気持ちが消えてしまうわけではない。そう考えることにした。
新年になって、私の住所録データの件数は、約 11% 減少した。減少分のすべてが、死亡によるものではなく、自然に縁遠くなってしまった人の分も多いが、それでも、やはり亡くなった人の比率は大きい。
データを削除するたびに、その人の生前の顔を思い浮かべ、改めて追悼する気持ちになっていた。
ところで、平成の大合併が進行しているため、私が 7年来使用している 「筆まめ Ver. 9.0」 の郵便番号データは、完全に古くなってしまったようだ。合併が一段落したら、今年の秋頃に、8年ぶりで Ver. 17 にアップグレードしてみようと思う。
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