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2006/02/27

「過去」 はソリッドなものか?

Sato-don さんのブログに、私の大分以前のエントリーの中の一文を紹介していただいた。しかも、あの 「夜と霧」 を書いたヴィクトール・フランクルの文章と並べてくださっている。なんともはや、面映ゆい限りだ。(参照

引用された文章は、「過去」 というものの捉え方についてである。

引用して頂いた私のテキストは、「今日の一撃」 が Cocolog に移る以前の、3年半も前のものだ (参照)。『ミー・アンド・ボビーマギー』 という歌からのインスピレーションを綴っている。その歌は、このように歌っている。

俺は取り替えたい
ボビーの体をきつく抱きしめていた
たった 1日の昨日 (single yesterday) と
俺の全ての明日という日 (all my tomorrows) を

この歌詞を踏まえて、私は、"人間は 「全ての明日と取り替えてもいいほどの、たった 1日の昨日」 を作るために、今日という日を生きている" などと、妙にセンチメンタルなことを書いている。

そして、これに並べて引用してあるヴィクトール・フランクルのテキストは、以下のようなものだ 。(再引用)

過去のことになったというありかたは、もしかすると、存在一般のうちでもっとも確かな形式でさえあるのかもしれません。そのように拾われて 「過去のこと」 になった存在に、それこそ 「うつろいやすさ」 はもうなんの手出しもできないからです。

うぅむ、こうして並べられると、私の言いたかったこととフランクル博士の言葉は、一見似ているけれど、実はかなり対照的なもののように思われる。

そりゃ、ナチスの手でユダヤ人強制収容所送りにされたという、強烈な体験をもつフランクル博士の言うことなので、かなりの重みをもつ言葉なのだが、本当に "「過去のこと」 になった存在に、「うつろいやすさ」 はなんの手出しもできない" のだろうか。

「過去」 というのは、果たして 「確定」 してしまったものなのだろうか。もう一度取り出して、何度もなで回してみて、新しい意味を発見することはできないのだろうか。あるいは、まったく別のものとして、再構築することはできないのだろうか。

「過去」 というものも、それぞれの意識の中の 「クォリア」 として刻まれているものである以上、「意識」 の変容によって、変わっていくこともできる、いや、変わらざるを得ないはずだと、私は思ってしまうのだ。

私としては、「過去」 さえも、時間とともに刻々と、よりコクのあるものに変化していってくれたらうれしい。そのために、いつまでも 「過去」 をいじくり回していたいとさえ思う。

「全ての明日と取り替えてもいいほどの、たった 1日の昨日」 とは、いつまでいじくり回していても、常に新しい輝きを見出すことのできる、かけがいのないクォリアだ。

今日は時間がないので、妙な思わせぶりにて失礼。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

私の場合、過去はどんどん、自分の都合のいい部分だけで構成された、コンパクトで快いものに変質しているようです。
過去にはそれほど思索という事をしなかったのでがその原因かも知れません。
過去が現在であったときに、その現在に対する思索的・分析的な意識が無く、肉付けや奥行きが無いのかも知れません。
日記でも書いていればよかったかも知れない。

ただ、まあ、過去は過去で、もういいや、と言う気持ちです。
その甘さをときどきしゃぶるだけでいいや・・・と。

投稿: alex99 | 2006/02/27 08:51

こんばんは。2度目の投稿です。

自分は、過去に起こったもので変わらないのは「事実」だけで
その当時にしてみる「現実」やあるいは「真実」(とされていた事)でさえ
「今」によって変わっていくものではないかと考えてきました。

普遍の事実を真実と呼ぶと思っている自分は
現実というものは個々人によって全く変わる幻のように思えます。

そうした考えに基づくと、過去も未来も現在も、全ての事は
同時に起こっているのではないかとも思われます。

それと、全ての明日とでも取り替えたいたった一日の昨日
ということには、自分は何となく大きな後悔のような物の
あるいはもしもああしていればというような思いの気配を感じました。

ではここらにて失礼させていただきます。

投稿: 緑茶好き | 2006/02/27 19:16

alex さん:

>ただ、まあ、過去は過去で、もういいや、と言う気持ちです。
>その甘さをときどきしゃぶるだけでいいや・・・と。

なんだか、達観のように見えます。
あるいは達観でないにしても、かなりの境地。

投稿: tak | 2006/02/27 21:30

緑茶好き さん:

>そうした考えに基づくと、過去も未来も現在も、全ての事は
>同時に起こっているのではないかとも思われます。

もしかしたら、違うことを考えていらっしゃるのかもしれないけれど、
私も、「過去も未来も現在も、すべて同時進行」 しているような感慨をもつことがあります。

要するに、すべては 「今」 に集約されて、
いつだって、「今」 しかないというような。

こうしたコンセプトは、禅問答ではありふれてるかもしれませんが。

投稿: tak | 2006/02/27 21:34

全ては「今」に集約されて、いつだって「今」しかない。
とのお言葉、まさにそのような感覚です。

星辰は 今のほかにはあらずなり 今はもう過去 未来は今に

そんな歌が浮かびました。

投稿: 緑茶好き | 2006/02/27 22:44

一晩考えて

星辰は ただ今のほか あらずなりむかしもさきも このときのうち

の方がいいかなと思い修正しました。
何度も失礼いたします^^;

投稿: 緑茶好き | 2006/02/28 13:04

緑茶好き さん:

>星辰は ただ今のほか あらずなりむかしもさきも このときのうち

うん! この方がずっといいですね。

「星辰」 は 「全宇宙」 を表していると思っていいんですね。

投稿: tak | 2006/03/01 10:08

>この方がずっといいですね。

ああ、良かった。一晩悩んだ甲斐がありました。

星辰という言葉には時という意味があるとどこかで読んで引用させてもらいました。
語感からして星の立場から見るような悠久の時の流れの事と思います。

時により宇宙が存在すると考えると全宇宙と考えてもいいのかもしれません。

投稿: 緑茶好き | 2006/03/01 15:39

>星辰という言葉には時という意味があるとどこかで読んで引用させてもらいました。

あ、なるほど。
「全宇宙の "時"」 という壮大なテーマですね

投稿: tak | 2006/03/01 19:19

こんにちは 「このテーマ続きます」のSato-donです。

フランクルの言葉は亡き亭主の香典返しにも添えました。96年当時、「うつろいやすさは何の手出しもできない」におおいに支えられ、なんとか乗り切ったことがありまして。

過去をソリッドなものにとらえる、というのはわたしの特殊な状況から生まれた考えかもしれません。

なので、死別に苛まれなくなった今は、また別の考え方ができるのかも、と思いつつあります。きっかけを与えてくださった takさんに感謝感謝です。

これからもよろしくお願いします。

投稿: Sato-don | 2006/03/03 01:06

Sato-don さん:

そんな背景があったとはつゆ知らず、
のほほんとしたことを書いてしまいました。

下手すると傷つけかねない文章を、
肯定的に捉えていただき、ありがとうございます。

ご主人が、Sato-don さんの中で、
ますます素晴らしい存在として膨らんでいくことを祈ります。

投稿: tak | 2006/03/03 11:40

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