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2006/04/02

桜の魔力

「文明」 と 「文化」 の違いといっても、それぞれ広義と狭義があって、時と場合によって使い分けられるので、一概には言えない。

私なりに直観的な言い方をすると、「文明」 の垂れ流した汚物を、きちんと後始末できるのが、「文化」 である。端的に言えば、ゴミをきちんと拾うモチベーションが 「文化」 だ。

なんで突然こんなことを言いたくなったのかというと、この時期、桜の名所といわれるところに積み上げらるゴミの山を見て、うんざりしてしまうからである。

近頃の花見は、どうやら使い捨てグッズという 「文明の利器」 で成立しているもののようだ。ビールはアルミ缶、酒は紙コップで供され、食い物の容器は、ビニールパックである。そして、それらの残骸は、ほとんど持ち帰られることがない。

よくてゴミ籠からはみ出して、周囲に散乱するか、悪くすると、桜の木の下に、残飯もろとも置き去りにされる。

私は若い頃から山登りやキャンプをするので、ゴミはすべて持ち帰るということを当たり前のように思ってきた。山に置いてくるのは 「ウンコ」 ぐらいのもので、それも、しっかり穴を掘って埋めてくる。

自然の中に分け入る種族の中では、山登り屋は (富士山のにわか登山者を除いて) 案外きちんとしたもので、中には不心得者もいるが、多くはゴミの持ち帰りは当然のことと心得ている。

それとは対照的にマナーの悪いのは、釣り師である。そりゃあ、きちんとした釣り師も多いが、渓流釣りのポイントなどに行くと、コンビニ弁当の残骸が、残飯とともに盛大に放り出されているのを、よく目にする。あんなことをしていては、クマの餌食になってしまいかねない。

そして、その釣り師の何十倍も不心得なのが、夜桜見物の花見客である。

まあ、年に一度の浮かれどきだから、どんなに羽目を外して騒いでも構わないが、帰る段になったら、そそくさとモード・チェンジをして、自分たちの出したゴミぐらいは持ち帰ってもらいたいものだ。

サッカーの日本人サポーターは、スタンドのゴミ拾いまでするという模範的な 「文化」 を持ち合わせているのだが、その同じ日本人が、花見となると人が変わってしまう。

どうやら 「夜桜」 というのは、営々として築き上げた 「文化」 をも破壊するほどの魔力を秘めているものらしいのだ。

桜の木の下には死体もあるかもしれないが、それをいう以前に、残飯があふれかえっているのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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