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2006/04/10

早けりゃいいってもんじゃなかろう

近頃にわかに英語教育の早期化に関する是非論が話題になっている。

小坂文科相が 「インターネットの約 9割は英語。近隣諸国でも積極的に取り組んでいる」 と言えば、石原都知事が 「国語の教育こそちゃんとすべし」 との持論を展開。互いに一歩も引かないバトルの様相だ。

自分の経験から言えば、中学校 1年から英語を習うというのは、結果論としてちょうどよかったかなと思っている。別に英文科に進学したわけでもなく、留学したわけでもないけれど、フツーの会話ならあまり苦労しない。

とくに英語を専門的に勉強したわけでもないけれど、以前勤務していた外資系団体の内部試験では、「英検準一級レベルの実力」 のお墨付きをもらっている。「外国の現地法人に赴任して、管理職として外国人の雇用者を使いこなせるレベル」 だそうだ。「へぇ!」 である。

元々小学校 5年生ぐらいから英語に対する興味はものすごくもっていたが、それでも、学び始めるのが 2年早かったからといって、その分、今より英語能力が高まっていたかといえば、甚だ疑問だ。

小学校 5~6年というのは、かなりいろいろなことを考えるようになる時期で、この時期に日本の文学作品というのをかなり読んだ覚えがある。人間の時間的リソースは限られているから、同時期に英語なんていう興味津々のエサを与えられたら、きっとそっちに食らいついていただろう。

その分、読書に親しむ時間はかなり削られていたはずだ。あの頃、英語なんか教えられなくて幸いだった。

どうせ小学校 5~6年の英語なんて言うのは "Good Morning." "Thank you very much." "My name is ****." に毛の生えた決まり文句ぐらいのものだろうから、そんなのは後になってすぐに覚えられる。

中学校に入ってからほんの数時間で覚えられるものに、小学校高学年の貴重な時間を百何十時間も割くというのは、やはり馬鹿馬鹿しい気がするのである。

それに、こう言っちゃあなんだが、小学校の先生程度のレベルで、へんてこりんな英語を教えられてしまった日には、悲劇である。一生取り返しがつかないことになる。何しろ、中学校の英語の先生の実力だって、かなり怪しいレベルで、それ故に英語嫌いを大量発生させているのだから。

ざっと大まかに言って、英語教育早期化推進派は、国際的な共通語は英語なのだから、早くから親しむべきだと言っている。それに対して反対派は、口先だけの薄っぺらな英語なんかできるようになっても、その内面に表現すべき何物ももたなければ意味がないと言っているのだ。

要するに、スタンスが違うのである。スタンスが違うけれど、私は後者の方が筋が通っていると思う。いくら英語教育の開始を早めたって、英語嫌いを発生させるのが 2年早まるか、"Oh, yes" "Me too" としか言えない日本人を大量発生させるかのどちらかになりそうな気がする。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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