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2006/05/14

「金持ち吸い」 とは、ちゃんちゃらおかしい

煙草の吸い方に 「金持ち吸い」 と 「貧乏吸い」 というのがあるのだそうだ。「金持ち吸い」 というのは、吸い殻を長く残したままで消してしまうことらしい。(参照

私は煙草を止めてもう 30年近くになるが、吸っていた頃は、フィルターぎりぎりまでだったから、いわば 「極貧吸い」 だったな。

私が煙草をフィルターぎりぎりまで吸っていたのは、ケチっていたからということも確かにあるだろうが、それ以上に、これはもう性分なのである。

メシを食うときだって、私は米粒を 1粒だって残さないし、蕎麦をたぐっても、ざるの上に切れ端 1本も残さない。ラーメンを食っても、スープまで全部すする。とにかく、残すのが嫌いなのだ。 「もったいない」 のである。

ワンガリ・マータイさんの提唱をまつまでもなく、私は "Mottainai" 精神を煙草の吸い方にまでもちこんでいたのだが、よく考えてみると、かけるコストと、消費する酸素の方がより 「もったいない」 ので、さっさと止めたのだ。

以前の上司に、典型的な 「金持ち吸い」 をする人がいた。彼は、煙草に火をつけて、2口、3口プカプカとふかすと、それで、もう灰皿にこすりつけて吸い終えてしまうのである。何のために煙草に火をつけたのかと思うほどだった。

しかし、その彼の性分が 「金持ち的」 であったかというと、実は正反対だった。彼は、平気で他人の煙草をもらってというか、勝手に取り出して吸ってしまうのである。自分の煙草はあまり吸わない人だった。

だから、吸い殻の長さで金持ちだの貧乏だのいうのは、ちゃんちゃらおかしいのである。いっそ、吸うならちゃんと根元まで吸えと言いたい。

長いままの吸い殻が灰皿に溜まると、部屋全体がムッとするほど煙草臭くなってしまうが、フィルターだけなら、臭いが少ない。それに何より、後始末が楽だ。

飯粒を 1粒も残さず、蕎麦を短い切れ端まで 1本も残さずに食うのは、残飯が出ないだけでなく、食器洗いも楽になるからだ。

亡くなった柳家小さんは、蕎麦を食う芸が天下一品だった。小さんが 「時蕎麦」 を演ると、寄席の近くの蕎麦屋は満員になったというぐらいである。

その小さんが、ある雑誌のインタビューに答えて、ざるの上に蕎麦を残すと、乾いた時にこびり付いて取れにくくなるから、切れ端まで残さず食うのは、洗い場への思いやりなのだと教えられたということを言っていた。

だから、正しい蕎麦食いは、最後の一切れまで丹念につまんで蕎麦猪口に入れ、蕎麦湯と一緒に飲み干してしまうのである。割り箸を立てれば、簡単につまめる。これは、飯粒でも同じことだ。

煙草の吸い殻を長く残したままにするのは、多分、金持ち、貧乏に関わらず、灰皿の始末を自分でしないタイプの人である。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

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