「色々バトン」 のエントリーへの kumi, the Partygirl のコメントで、テキストを読んで自然にその映像が頭に浮かぶ人と浮かばない人がいるということを知った (参照)。
私は案外自然にイメージが浮かぶ。だから、参照先を読むまで、浮かばない人がいるなどとは、思いもよらなかった。
TBS ラジオの最近のキャッチコピーに、「聞けば、見えてくる」 というのがある。だから、「読めば見えてくる」 のも当然のことと思っていたのだが、どうも、そうでもないようなのだ。
参照先、"Windbird :: Recreation" の kazenotori さんは、"俺の場合、そういった 「文章から映像への変換」 が全くできない" と述べておられる。しかし、文字通り 「全くできない」 というわけでもないようで、続けて次のようにも書かれている。
イメージがあることはあるのだが、いかにも端っこに「※写真はイメージです」と書かれていそうなものしかない。躍動感溢れる戦闘シーンを脳内で再生することなんてさっぱりできない。ライトノベルなら挿絵がついているが、それでもせいぜい、セリフを読むときに挿絵に描かれた人物の顔を思い浮かべるくらい。
うぅむ、そんなことを言ったら、私だって頭の中に映像が浮かぶとはいっても、そんなに完成された映画やアニメほどにしっかりしたものというわけではない。多くは雑ぱくで自分勝手な思い込みのイメージである。だから、もしかしたら、kazenotori さんと五十歩百歩なのかもしれない。
そういえば、kumi, the Partygirl も、「私は本を読むときは、必ずしも映像になんてならないと思うんですけど」 とコメントしている。彼女は、サイトを見ればわかるように、魅力的なイラストを描くほどなのに、テキストから自然にイメージが湧くということがないとは、かなり意外な気がする。
試しに、文学少女にしてなおかつ絵描き志望だった妻に聞いてみたところ、彼女も 「うーん、どうかしらね」 と自信なさそうなことを言う。ますます意外である。
もしかしたら、自分なりの画像創出にこだわりがある人間は、それだけに、かえって脳内でテキストをイメージに自動変換するなんてイージーなことは、しないのかもしれない。私の脳内イメージのレベルでは、「そんなの、画像とはいえないわよ」 なんて言われそうだ。まあ、脳内まで覗かれる心配はないからいいけど。
その意味では、どの程度に鮮明なイメージを称して 「画像が浮かぶ」 と称するかも、案外、人によって基準が違うのかもしれない。テキスト派にとっては十分なイメージでも、基準の厳しいイメージ派にはイメージと呼ぶに値しないということになりかねないし。
もしかしたら、私の脳内に生成されるイメージというのは、元のテキストによって補完されながら、ようやく 「イメージらしきもの」 として認識されているだけという疑いも生じる。視覚イメージと脳内イメージの認識プロセスは、当然違うのだろうし。
ただ、私の場合、小説を読み終えてからその中の印象に残った部分を思い返すと、読みながらリアルタイムで思い浮かべたイメージも、そのまま甦ってくる。以前読んだ小説に挿絵があったように記憶していても、後でページをめくってみると、実際は挿絵ではなく、自分の脳内イメージだったらしいということもある。だから、それほど馬鹿にしたものでもない。
Windbird のエントリーに、2chのコピペとして、"「本読み」 という人種は 「Text→Image」 Generator (生成回路) を脳内に形成している場合が多い" という興味深い一文があり、さらに、以下の 「まとめ」 というのがすごく極論で面白い。
1.文字情報は「本読み」にとり、生成される脳内ImageのSourceであり、圧縮fileである。
2.脳内Image-Generatorの精度向上により、漫画・映画以上の臨場感が得られる。
3.イラストはImage-Generatorの補助Fileである。
4.イラストの多いライトノベルはImage-Generator生成術入門としても意味がある。
まあ、ここまでくると、イメージこそがメインで、テキストはそれに従属する素材というポジションに落とし込められそうなので、一応 「おいおい、ちょっと待てよ」 と言っておこう。映画代を節約するために原作を読むなんてことになったら、ちょっと違う。
ただ少なくとも、テキストを読むと自然に脳内にイメージが浮かぶ人と浮かばない人がいるということは、とても興味深い。 「Text→Image」 Generator (生成回路) というのは、(私は、どっちかというと、「テキスト - イメージ・コンバーター」 と呼びたいけど) 脳内のどのあたりにあるんだろうか。
専門家が研究してみたら、かなり面白いテーマだろう。あるいはもしかして、既にかなり研究されているかもしれないと思い、「テキスト イメージ 生成 脳内」 の 4つのキーワードでググってみたら、「情動イメージの生体情報理論」 という、いかにも小難しそうなページが検索された。
その中で関連するかなと思われる記述を、以下にちょっとだけ引用しておく。
Kintsch(1974)のテキスト理解の (ママ) おける命題および命題間の関係などを引き,Pylyshyn(1973)のイメージは内的に構築された知覚の記述であるという立場を取り,一つの単語による意味ネットワークと考える.したがって刺激によって命題ネットワークが活性化し,様々な内容がイメージされるとともに,このイメージネットワークでは感覚調整,刺激への身体の方向付けや構えの姿勢など知覚的反応も喚起される.さらに反応命題は,遠心性への出力といった生理心理学的反応の過程そのものであり,命題によって決定される運動パタンが脳内で行われているイメージ処理の実時間での指標であるとともに,知覚反応の操作がイメージの中でどの程度表象されるかがイメージの鮮明さと深くかかわる.
どうやら脳内には刺激に応じて仮想イメージを生成するネットワークがあるらしい。ふぅ …… 今日はこれぐらいにしといたるわ。(正しい読み方をすると、ここで池乃めだかのイメージが生成されなければならない)
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