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2006/09/28

「平清盛」 と 「森の石松」 の違い

大学生にもなっていまさら聞けないこと。まとめwiki」 に、「平清盛とか源頼朝ってなんで読むとき間に”の”って入るんですか?」 ってのがあり、そのココロは "姓と名の間には「の」が入るが苗字と名の間には入らない、というのが基本" ということになっている。

うーん、これは、ビミョーだと思うがなあ。

件の 「まとめ wiki」 から、一応の 「答え」 となっている部分を引用すると、こういうことになっている。

姓と名の間には「の」が入るが苗字と名の間には入らない、というのが基本
姓は「源」「平」「藤原」「橘」とかのことで朝廷から与えられたもの
苗字は平安時代に勝手に名乗り始めたものが起源(現代の藤原や橘は苗字)
ちなみに「豊臣」は姓だから本当はあの猿は「とよとみのひでよし」と呼ばれるのが正しいはず

これに対して、ブログの世界では 「目から鱗」 という反応もあるけれど、何度も言うが、「ビミョー」 である。じゃあ、「森の石松」 はどうなるのだ。

「氏 (うじ)」 とか 「姓 (かばね)」 とかいう話になると、かなり複雑怪奇なことになり、私は詳細に論じるだけの十分な知識を持っていないので、とりあえず こちら のサイトをオススメしておく。

このサイトに出てくる 「足利直義」 という室町時代の武将の正式な名前 (本名) は、「足利左馬頭源朝臣直義」 で、読み方は、「あしかが さまのかみ みなもとの あそん ただよし」 である。

分析すると、「足利 (苗字) 左馬頭 (職名) 源 (氏) 朝臣 (姓) 直義 (諱:いみな)」 ということで、確かに、苗字の後には 「の」 が付かず、「源」 という 「氏」 を表す呼称の次に 「の」 が入る。

忠臣蔵の大石内蔵助の本名は、「大石内蔵助藤原良雄 (おおいし くらのすけ ふじわらの よしたか)」 で、「大石」 という 「名字」 の後には、「の」 が入らず、「姓」 である 「藤原」 の 後に 「の」 が入る。

問題の豊臣秀吉の場合は、「羽柴筑前守豊臣秀吉 (はしば ちくぜんのかみ とよとみの ひでよし」 になるのかなあ。どんな手を使ったのか知らないが、「とよとみ」 の姓を朝廷から賜っているので、「とよとみの」 になるのは間違いない。

ところで、「藤吉郎」 という名前は、どこに行ったんだろう? もしかしたら、「羽柴筑前守藤吉郎豊臣秀吉」 になってしまうのかなあ。そのあたりは、よくわからない。

ともあれ、正式な言い方の場合は、なるほど、氏や姓には 「の」 が付くということにしておこう。

しかし、フォークロアのレベルでは、「(いわゆる) 苗字」 と 「名」 の間に 「の」 が入るか入らないかというのは、単なる 「習わし」 というか 「時代的なもの」 という要素が大きいんじゃないかと思う。あまり堅苦しい謂われはないんじゃなかろうか。

「遠州森の石松」 は、別に朝廷から 「姓」 を賜らなくても、庶民レベルで 「森の石松」 と、「の」 付けで呼ばれた。遠州森村で生まれた石松だから、単純にそう呼ばれたのである。

彼がつまらぬ争いで命を落とさずに、明治の御代まで生き延びていたら、戸籍名は確実に 「森 石松」 になっていただろう。呼び習わしとしては、「森の石松」 のままで。

もっとも、彼の親分の 「清水の次郎長」 は清水湊の大立者なのでそう呼ばれたが、明治まで生き延びて、戸籍名は 「清水次郎」 ではなく、「山本長五郎」 になった。

彼の元々の名は 「長五郎」 だったが、養父が 「甲州屋山本次郎八」 だったので、「次郎八の家の長五郎」 で 「次郎長」 と呼ばれるようになり、明治以後は 「山本」 姓を継いだようだ。日本人の名前の成り立ちのバリエーションを、一人でいろいろこなしている。

それよりもっと古い時代というなら、「足柄山の金太郎」 がある。長じて 「坂田公時 (さかたのきんとき)」 になったと伝えられるが、「坂田」 という 「姓」 が朝廷から与えられたかどうかというのは疑問だ。そもそも、その実在すら疑わしいのだから。(名前だって 「金時」 という表記の方が一般的なぐらいで、はなはだいい加減である)

彼の幼年時代、つまり 「足柄山の金太郎」 時代に国勢調査があったとして、「(今で言う) "氏名" を必ず記入」 ということになったとしたら、彼は正式な 「姓」 はないにしても、多分 「足柄山金太郎」 として記入されただろう。呼び習わしとしては 「足柄山の金太郎」 のままで。

このあたりは、「隣村のおじさん」 とか 「川向こうの太郎さん」 とか 「三又沢の清三郎兄さん」 とかいうのと、本質的にはそれほど大きな違いはない。

一般的には、庶民が苗字を名乗るようになったのは、明治以後とされるが、それは国民的誤解で、江戸時代以前にも、正式には名乗らなかっただけで、非公式には多くの庶民もちゃんと苗字に当たる 「家名」 とか呼ばれる呼称を持っていた。なきゃ不便だからである。そのほかに、「屋号」 なんてものもあった。

川の上流に住む忠兵衛さんなら 「川上 (の) 忠兵衛さん」 で、松が茂る中を流れる沢なので 「松沢」 と呼ばれる地に住む太兵衛さんなら、「松沢 (の) 太兵衛さん」 だ。田んぼの中の一軒家に住む清兵衛さんなら 「田中 (の) 清兵衛さん」 である。

開墾が進み、田んぼが広がって 「田中の○○さん」 だけでは区別が付けにくくなると、「上田」 とか 「中田」 とか、「西田」 とか 「東田」 とか、さらに、山に近けりゃ 「山田」 で、池に近けりゃ 「池田」 とか、適当に細分化された。

このように、庶民の苗字の多くは、「どこそこの誰それ」 という呼び習わしから来ていたので、自然に 「の」 は付いていたのである。苗字に 「山」 とか 「川」 とか 「沢」 とか 「浜」 とか 「崎」 とか、土地の形状に由来した字が多いのは、そのためだ。

つまり、公式な呼称と、フォークロアのレベルの 「呼び習わし」 とは、ちょっと区別して考えていいだろうということだ。

今でも神社で祈願をすると、神主さんは祈願する者の (いわゆる) 苗字と名前の間に 「の」 を入れて、祝詞 (のりと) を奏上してくれることが多い。この方面では、由緒ある姓でなくても、平等に取り扱ってくれる。「神の前の平等」 だ。あるいは、「森の石松」 方式なのだろうか。

そういえば、昔、「ひょっこりひょうたん島」 で、ドンガバチョが 「摂政関白太政大臣藤原の朝臣ドンガバチョゴム長」 を自称していたなあ。

声を担当していた藤村有弘さんのインチキイタリア語芸、「「ドルチャメンテ、ゴチャメンテ、スパゲッティナポリターノ、ゴンドーラスイスイ、トラバトーレ、トルナラトッテミーヨ」 を、もう一度聞いてみたい。たまらなく聞いてみたい。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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