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2006/11/20

「客であること」 はどれほどのことか?

"「客であること」 をふりかざす人々" というエントリーを読んで、「客であること」 とは、一体どれほどのことなのかと考えた。

「お客様は神様です」 と言ったのは、今はなき三波春夫だが、日本の芸能における 「本来のお客」 は、元々、文字通り神様だった。だから、古い舞台には、いわゆる客席がない。

民俗学的にいえば、芸能とは本来、神に捧げるものだった。だから、神社仏閣の境内にある能舞台には、まともな客席がない。芸能を見るのは人間ではなく、神であり、仏であったからだ。そして、その芸能を演じる俳優 (わざおぎ) も、特別の存在であり、精進潔斎して、神の資格で演じるのである。

神同士が遊び、楽しんでいるので、それで、日本の芸能は古くは 「神遊び」 と呼ばれていたのだが、その芸能を物陰からこっそり覗き見るとか、ご相伴にあずかるとかするだけの邪魔者であった人間が、いつの頃からか 「金を払うのだから」 と、でかい面をするようになり、なし崩し的に 「客」 として扱われるようになった。

三波春夫の 「お客様は神様です」 との決めぜりふは、実は神仏の 「資本主義的零落」 でもあったのだ。

一方、現代の資本主義的 「お客」 = cutomers も、時として、神の如き振る舞いをすることがある。そして、サービスを提供する側もそれを認めて、「顧客満足」 などというものを尊重する傾向がある。

以前にも何度か書いたが、米国の中堅スーパー、ステュ・レナーズの社訓は、「お客は常に正しい」 ということだ。この店のど真ん中には、次のように書かれたモニュメントが鎮座ましましている。

Our Policy:
Rule #1 - The Customer is Always Right.
Rule #2 - If the Customer is Ever Wrong, Re-Read Rule #1

【翻訳】 私たちのポリシー
ルール 1 - 顧客は常に正しい。
ルール 2 - 万が一、顧客が間違っているようだったら、ルール 1 を読み返せ。

世のマーケティング専門家は、これを称して、顧客第一主義を徹底した経営方針として絶賛した。しかし、私はひねくれ者だから、別の見方をしている。

このポリシーが堂々と掲示してあるのは、売り場のど真ん中である。事務所やバックヤードではない。ということは、これは、社員ではなく、客に読ませるためにあるのである。客に読ませて、おだて上げるためにあるのだ。

つまり、とても巧妙な宣伝なのである。三波春夫の 「お客様は神様です」 という絶妙の決めぜりふと、同じようなものと思えばいい。

顧客満足は、「客であること」 を振りかざして要求するものではなく、むしろ、時にはサービス提供者の掌の上で、したたかに踊ってみせることで、最も望ましい形で得られるものであったりする。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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