日本て、ものすごい国
先週、金沢出張の帰路、特急はくたかのデッキに、乗客の荷物らしいバッグが 2つ、無造作に置かれているのをみて、「あぁ、日本という国は、ものすごい国だ」 と思ってしまった。
他の国でこんなことをしたら、すぐに盗まれて消えてしまうか、「不審な荷物」 として、車掌に通報されるかのどちらかだろう。
列車が動いている間は、容易には盗まれないにしても、駅について乗客が降りるときなど、ついでに盗もうと思えば、簡単に盗める。しかし誰も盗まず、荷物はいつまでもそこに置いてある。
この国では、リスクをおかしてまで犯罪に走るほどに生活に困っている人は、ごく少ない。しかし、世の中にはとくに生活に困っているわけでもないのに、放置されているものをみたら、当然のごとく自分のものにしたくなるという文化圏もある。放置する方が悪いという発想だ。
日本という国は、長らく定住型コミュニティを形成してきたから、何かが放置してあっても、それは隣の権兵衛さんのものかもしれんから、勝手に手を付けちゃまずいという発想になる。
その代わり、つい最近まで、隣同士で 「味噌が切れたから、ちょっと貸して」 なんていう風習があった。こうした開けっぴろげな定住型社会が、強い犯罪抑止力として機能していて、その遺産はまだ完全には使い潰されてはいない。
ただ、こうした 「のどかな」 社会では、車内に爆発物を仕掛けようと思ったらとても簡単なことである。何しろ、デッキに誰のものだかわからない荷物が置いてあっても、誰も車掌に通報しないのだから。
逆に、この程度でいちいち車掌に通報していたら、日本中の電車はあちこちで臨時停車を強いられて、毎日ダイヤが乱れてしまう。世界で最も正確と言われる日本の鉄道の運行ダイヤは、こうした 「のどかな」 社会に支えられている。
もっとも、私が日本を 「ものすごい」 国だと思ったのは、賛嘆と皮肉が相半ばした感慨である。このままの状況変化が進んでいったら、所有者のはっきりしない荷物が特急車内に放置してあったら、少なくとも 「不審に思う」 ぐらいのことはしないと、リスク・マネジメントは図れないだろう。
今はまだ、幸いな状況にある。この幸いな状況が少しでも長く続いてくれればいいと願う。
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