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2007年1月に作成された投稿

2007/01/31

女性蔑視というより、「人間蔑視」 じゃん

柳沢厚労相の発言だが、ストレートに 「女性は産む機械」 と発言したわけでは決してなく、文脈としてはあくまでもたとえ話のようなので、あまり感情的に 「女性蔑視」 と騒ぐのも、ステロタイプ過ぎて恥ずかしい気がする。

馬鹿馬鹿しいほど不用意なだけの発言を 「真っ黒」 とは、私としては言いたくない。

たとえ話であるという文脈を一応認めた上で、その上でなおかつ 「普段考えていることが、つい表に出てしまう」 なんていう批判の仕方をしている人もいて、あながち無理矢理な論理というわけでもないが、かといって、そう決めつけすぎるのも、ちょっと強引だ。

とはいえ、いくら私でもこの発言が 「問題なし」 だなんて言ってるわけじゃない。やっぱり、柳沢さんという人は、さっさと辞めてくれた方がいいと思う。こんな人が大臣の椅子に座っているのでは、国民としてはあまり気分がよろしくない。

じゃあ、何がいけないのかというと、「女性蔑視だから」 というよりも、はっきり言って 「頭が悪いから」 である。東大法学部卒業だからといっても、頭が悪いものは悪いのだ。

この人が、やいのやいの言われているように、本当に 「女性蔑視」 の思想の持ち主であるのかどうか、私は知らない。「産む機能をもつ存在」 (この言い方は、決して女性蔑視じゃないからね) を、浅はかにも 「機械」 なんていう言葉で譬えちゃったからといって、すぐさま 「女性蔑視」 と決めつけていいのかどうか、私は逡巡する。

こうしたケースでは、やっぱりちょっと 「はにかんで行こう」 と思ってしまう (参照)。私の頭はかなり単純だが、そんな感情的かつ政治的な決めつけをしたがるような種類の単純さは、あいにくだが、持ち合わせていないのだ。

ただ、世の中の雰囲気としては、政治家が女性を 「産む機械」 なんかに譬えてしまったら、こんな 「おいしいツッコミどころ」 は他にないというのは、何よりも確かなことである。

それを大して気にもせず、わざわざ選んでまで、そして、わざとらしくちょっとだけ謝るポーズをみせてまで、なおかつこのナンセンスな言い回しに固執したというところが、あまりにも空気読めなすぎである。

ただでさえ、ホワイトカラーエグゼンプションで反感買ってるんだから、脇を固めておくべきだったのに。

政治家として、いや、それ以前に、いい大人として、決定的に馬鹿である。「謝ったからいいじゃないか」 では済まない。謝ったからといって、馬鹿が治るわけじゃないのだ。(おっとあぶない。この切り口になってしまうと、私もつい 「はにかみ」 を忘れそうになる)

ただ、こんな配慮のない人と一緒にメシを食ったら、どんな高級料理でも不味いだろうと思う。女性蔑視かどうかはしらないが、「人間蔑視」 的な感じは、かなり強い。

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2007/01/30

寒鱈汁のうまさ

今年の帰郷は 1月の末になったので、恒例の 「日本海寒鱈まつり」 (1月 20、21日開催: 写真参照) には間に合わなかった。

とはいえ、冬の日本海の味覚は何と言っても 「寒鱈汁」 なので、アツアツのを作っていただいた。もっとも、私の子供の頃は、もっとワイルドに、「ドンガラ汁」 と言ったものだが。

「ドンガラ汁」 と言ったのは、鱈の身はもちろん、アラからダダミ (オスの精巣) まで、とにかく何でもかんでもぶち込んで煮込むからである。骨以外は食べるのだが、骨だって出汁になるから、無駄なところは何もないのである。

寒鱈のアブラワタ (肝臓) をよく煮込んで旨さを出してから 「ドンガラ」 を煮込み、味噌と酒粕で味を調える。最後にネギや岩海苔などで風味を加え、アツアツで食べる。これはとにかく、幸せに体が暖まるのだ。

この季節、庄内は寒鱈汁の旬なので、是非訪れていただきたいものである。今年はダメだが、普段の年なら地吹雪も見られる。何しろ、酒田というのは人間が暮らす都市としては、世界最凶の地吹雪地帯と言われているぐらいなので、関東より南の人は滅多にできない体験をしてみるのもオツなものではなかろうか。

それに、酒田の地元の人はあまり頓着していないようなのだが、酒田というのは、見るべき観光資源がどっさりあるのである。他の土地から来た人なら、泣いて喜びそうな名所もあるのに、土地の人ほどそのすごさがわかっていないというところがある。

酒田の観光が今イチ盛り上がらないのは、市内にビジネスホテルばかり一杯あって、観光ホテルがないせいでもある。酒田の人自身が、何かあると近くの湯の浜温泉にくりだして泊まったりするのが好きなものだから、市内で泊まって盛り上がろうという気がないようなのである。

でもまあ、それだけあまり俗化されることもなく、いつまでものほほんとした土地柄でいられるのかもしれない。何が幸いするかわからないのである。

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2007/01/29

雪が少ないなあ

昨日の朝、つくばの地を発って、酒田に帰ってきている。途中、東北道を福島飯坂で降りて、国道 13号線を通って、米沢に抜ける。

さらに、山形から国道 112号線に入り、月山直下の「六十里越え街道」 を越えたが、驚くほど雪が少ない。豪雪だった昨冬の記憶が覚めやらぬだけに、拍子抜けするほどだ。

去年の今頃は、何十年ぶりとかいう豪雪だった。特急いなほが地吹雪にあおられて脱線転覆してしまったのは、まだ記憶に新しい。

平成 17年の 12月 (今から 1年と 1ヶ月ほど前) は、実家の引越しに大わらわだった。そのときの和歌ログのエントリーに添えられた写真をみると、酒田は雪に覆われている。そして、年明けにはさらに大雪になった。

ところが、今年は路面に全然雪がないのである。せっかくスタッドレスタイヤをはいてきたのに、これでは馬鹿馬鹿しいほどだ。

2年分を足して 2で割ればちょうどいいぐらいなのに、自然界というのはなかなか均等になってくれない。どうしても 「まだら模様」 になるのだ。意識的にかき混ぜてくれる存在がないのだから、しょうがない。

自然界はうまくかき混ぜられないのだから、せいぜい極端が発生しないように、人間の方で負荷をかけすぎぬ努力をするしかないのだろう。

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2007/01/28

はにかんで行こう

ブログのネタがない時に、手っ取り早くそれらしい記事をでっちあげたかったら、誰かのちょっと脇の甘い記事を取り上げ、「俺は、そうは思わん!」 と声高に主張することだ。

それが意味のある場合もあるが、単に記事を 1本書くためだけの反論だったりしたら、読まされる側は疲れるだけである。

学生時代、フランスから来た留学生 (パリジャンとパリジェンヌ) と話していて 「あぁ、疲れる!」 という印象を持ったのは、彼らが、単に "I don't think so." と言うためだけの反論をしたがる傾向があったからだ。

こちらとしては、「そんなことは、別に深い意味があるわけじゃないから、どっちだっていいよ」 と思っていることでも、単に 「私はあなたと考え方が違う」 ということを強調するためだけに、反論のための反論をする。

さらに、こちらがこう言えば、お前がああ言うなんてことは、わかってるから、別にそんなに息せき切って反論しなくてもいいからねと思っていることでも、こちらが予想した通りの反論をしてきたりする。(案外単純なのだね)

ブログの世界でも、案外これに似たことが多いように見受けられるのだ。

一つの問題に対して、賛成、反対の立場からまともに議論し合うなら、まだ疲れない。問題は、「今のところは、肯定論も否定論も論拠が乏しいから、(あるいは、どちらにもそれなりの根拠はあるから) とりあえずは、ニュートラルな立場をキープするのが論理的態度だろう」 といった主張に対して、いやそうではない、ああだこうだと、クレームをつける反論である。

(私の "「的を得る」 は、間違いじゃない" への反論なんか、その典型例だと、私としては思っている)

この類の議論は、単に 「好きずき」 の問題でゴチャゴチャ言うだけに堕する場合がほとんどで、あっさり済めばまだいいのだが、長引いたりすると、要するに、 馬鹿馬鹿しくて付き合い切れんのである。

それなのに、当人は自分の 「好きずき」 - 煎じ詰めれば、伝統的常識論か、革新的 (に一見すると見える) 主張のどちらかである場合がほどんどなのだが - が相当に重要な問題であるらしく、かなりしつこくつきまといたがる傾向がある。

私はこうしたケースを目にするにつけて、心の中にある歌の歌詞が湧いてくるのである。

それは、私にしては珍しく、平成の御代になってからの流行り歌で、Puffy の 「渚にまつわるエトセトラ」 の、次の部分だ。

カニ食べ行こう
はにかんで行こう

単にベタな韻を踏んでいるだけではなくて、カニ食べ行くにしても、あまりはしゃぐことなく、はにかみを忘れたくないものではないかと、私なんか、解釈している次第である。同様に、他人に反論するときも、最低限のはにかみは忘れないでいたい。

あんまりベタな反論ばかりだと、自分の人間性を見切られる。(これは自戒でもある)

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2007/01/27

「東国原」 という苗字について調べてみた

そのまんま東宮崎県知事の本名を初めて聞いたのは、運転中のカーラジオだったので、思わず 「東 コクバル 英夫」 なんていう、ミドルネーム入りの名前かと思った。

そう思ったのは他にも大勢いると確信していたのだが、ググってみても、まいさんという女性 1人しか見つからない。ショックである。

ミドルネームってわけじゃないが、妻は 「昔のサムライみたい」 なんて思ったという。徳川家康の元服後の名前 「松平次郎三郎元信」 みたいなノリだと思ったらしい。さすが、私の妻である。

で、私が不思議に思っているのは、Wikipedia によると、「東国原姓は宮崎県都城地域や鹿児島県曽於地域においては少なくない氏姓である」 とあるのだが、それははたして本当なのだろうかということである。

苗字検索ではその名を知られる須崎さんのホームページで検索してみると、「東国原」 という苗字は日本では48718番目に多い苗字ではあるのだが、世帯数としては、わずか 11軒しかないというのである。

たった 11軒で 「少なくない」 というのは、いかかなものか。あるいは、この地域にはグロスとしての人口が少ないので、たった 11軒でもパーセンテージにするとかなりのものになるのか。はたまた、須崎さんのデータベースが不備なのか、私には判断がつかない。

ただ、「東国原」 を 「氏姓」 と無造作に言ってしまう Wikipedia の記述には、ちょっと眉につばをつけたくなっても仕方ないと思う (参照)。

さらに、「東国原」 があるなら、「国原」 や 「西国原」 もあるだろうと、調子に乗って検索すると、それぞれ 306軒、51軒が検索された。ただし、読みは 「くにはら」 「にしくにはら」 以外にないようなので、「ひがしこくばる」 さんとの関連は薄そうだ。残念。

念には念を入れて 「國原」 で検索すると、「國原」 が 19軒 (ただし、読みは 「くにはら」)、「西國原」 が 4軒、そして 「東國原」 が、なんとたったの 1軒と出た。

残念なことに、「西國原」 「東國原」 の読みは明記されていない。もしこれが 「にしこくばる」 と 「ひがしこくばる」 だったら、なんとなく嬉しい。

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2007/01/26

サバ読み表示は多いけど

ウチの 1月 18日付エントリーに、Reiko Kato さんから 「賞味期限」 と 「消費期限」 は違うという指摘のコメントがあり、浅学な私はそれについて初めて知ったわけなのだが、正直言って、まだしっくりわかったわけじゃない。

いずれにしても、どっちもサバ読んで表示してあることに変わりないんじゃなかろうか。

「賞味期限」 が 1日や 2日過ぎた牛乳を飲んでも、そんなに味覚的に劣化しているような感じがしないのと同様に、「消費期限」 をちょっとぐらい過ぎた弁当を食っても、フツーの人間なら別に下痢したり転げ回ったりなんかしない。

つまり、両方とも、十分余裕をみて表示してあるのは、間違いないところなのだ。表示された 「消費期限」 をちょっとでも過ぎたら、重大な健康被害を及ぼすなんてことになったら、それこそ大変なことになるだろうし。

とはいえ、「たった今、日付が変わったばかりなので、表示された消費期限が切れてしまったんだけど、まだ食べられますよね?」 なんて、いちいち聞いてこられたら、メーカーはたまらないだろう。

それに、そんな質問に、「1~2時間過ぎたぐらいなら、食べても全然平気ですよ」 なんて、メーカーとしては答えるわけにいかないじゃないか。内心、「いいから食っちまいなよ」 と思いながらも、公式的対応としては、「残念ですが、召し上がらないで処分してください」 と答えるしかない。

同じようなことが、アパレルメーカーにもある。「ケアラベルにはドライクリーニングするように指定してあるんですが、エマールでなら、家庭洗濯しても大丈夫ですよね?」 なんて、メーカーに問い合わせてくる消費者が結構いる。ちょっと考えれば、まったくナンセンスな質問であるとわかるはずなのだが。

確かに、家庭洗濯が可能な商品でも、大事をとって (サバ読んで?) 「ドライクリーニング」 の表示にしてあるケースは、業界内部の人間の目から見ても、かなり多いと思う。それに、はっきり言ってしまうと、プロの技術でしっかりやるなら、水で洗え ない衣料品なんてものは、この世にほとんどないのだ。

しかし、メーカーとしては一度ドライクリーニングするように表示してしまった以上、「はい、エマールでなら、家庭洗濯しても大丈夫です」 とは、口が裂けても言えないのだ。「道路の制限速度は、5キロぐらいならオーバーしても構いませんよね?」 と聞かれた警察が、「はい、10キロオーバーまでなら、捕まえませんよ」 とは、決して言えないのと同じである。

馬鹿馬鹿しいお話だが、世の中、こういった類の 「サバ読み表示」 は至る所にある。それをいちいちあげつらっていたのでは始まらないから、自己責任で判断するしかない。ただ、食品に限らず、メーカーというのは、馬鹿正直なほど遵守するべきなのだろうね。消費者やユーザーにとっては、自己責任じゃ済まなくなるから。

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2007/01/25

安倍晋三 改造計画

安倍内閣の支持率が 39%になったと報じられたら、中曽根元首相が 「私のときも 39%だった」 と励ましたという。

中曽根さん、「政治が保守本流に戻った」 と、安倍首相がお気に入りのようなのだ。ところが問題は、保守本流というのは昔から支持率が低いと相場が決まっていることである。

小泉さんは、確かに 「保守本流」 というポジショニングにはなかった。むしろ、それを 「抵抗勢力」 と位置づけて、自らを与党内野党的なイメージに染め上げ、それによって、従来の野党支持者のかなりの部分までを支持者にすることに成功した。

今の世の中、昔と違って、ある程度の支持率がないと、選挙に勝てない。だから支持率の低い内閣は、いくら保守本流でも、与党の中でも力を持てない。

で、支持率を上げようとすれば、ポピュリズムに立脚せざるを得なくなる。すると、与党内野党の方がいいということになり、保守本流から外れがちになるというジレンマが生じる。

安倍さんは先だっての道路特定財源の一般財源化で、保守本流のくせに抵抗勢力を作ろうなんてしたのかもしれないが、結局は妥協しちゃったので、イメージとしては保守本流というより、自分自身が抵抗勢力と同じ色になっちゃった。

そうなると、あのお坊っちゃま的風貌が災いしてしまって、えらく軽く見られてしまう。

学級崩壊というのは、そのクラスの教師が、ちょっと弱腰で生徒に軽く見られてしまったことがそもそもの発端になるというようなもので、内閣の支持・不支持の構図なんていうのは、馬鹿馬鹿しいほど子供じみたものだ。

昨日、安倍さんは国民が 「小さな不満」 を共有しやすいキャラというようなことを書いたが、そのあたりが、小泉さんとの大きな違いなのだね。「小さな不満」 は、国民の多くに共有されてしまうと、「大きな不満」 になってしまうのだ。中身はどんなに漠然としていても。

以前、私は 「竹中平蔵改造計画」 というコラムを書いた (参照)。その中で、竹中さんが叩かれる要因は次の 3点だと挙げている。

  1. 茫洋としているので、安心していじめやすい。必要以上に落ち込むタイプだと、いじめる側もつい気がひける。
  2. トッチャン坊や的風貌で、苦労が足りなそうに見える。つい、「それじゃあ、苦労させてやろうじゃないか」 となる。
  3. 学者っぽい。学者は象牙の塔におさまっているか、せいぜい評論家ぶっていればいいのに、政治屋の世界を荒らしに出てきたのが癪に障る。

安倍さんは、上記の 1 と 2 に当てはまる。これを解消するためにも、今のうちにせいぜい苦み走って、根に持ちそうな強面の風貌を身につけるといい (母方のお祖父ちゃんとか、大叔父さんみたいな)。

そうすれば、支持率は 「保守本流」 の常で、大して上がらないまでも、余計な叩かれ方までは、しなくてすむだろう。

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2007/01/24

「小さな不満」 は心地よい?

昨日のエントリーで、日本では Google は Yahoo の影に隠れて、今イチ冴えないと書いたわけなのだけれど、もう一つ、ブラウザーの Firefox も、シェアが極端に低い。

で、これらの現象の背後には、共通したマインド傾向があるんじゃないかと、私なんか、つい考えてしまうのだ。

まずは、データにあたってみよう。

まず、検索エンジンのシェアだが、やはり欧米では Google が圧倒的に強く、米国よりもむしろヨーロッパ地域で、Google  の強さは際立っているらしい。

comScore欧州部門統括ディレクタのBob Ivins氏によると,全インターネット人口に対してGoogleが集めたユニーク・ビジター数の割合は,欧州で75%弱,米国では60%となり,欧州のほうが米国よりも人気が高いという。 (参照

日本国内の現状はそれとは対照的で、Yahoo のキーワード検索、カテゴリ検索、ページ検索を合わせると、なんと 66%にも達する。それに対して、Google のシェアはわずか 14.8%だ。(参照

以前、サラリーマンをしていたときの印象でも、Google を既定の検索エンジンにしているのは、圧倒的少数派だった。何しろオフィスでは 「Yahoo で検索する」 という言い回しがデフォルトで、「ググる」 という動詞はほとんど通じなかった。

ホームページ (ブラウザを立ち上げたときに最初に表示されるページ) を Yahoo Japan にしている人もかなり多かった。同じ Yahoo にするなら、 My Yahoo にすればいいのにとも思ったが、そこまでする気はないというより、むしろ、そんなサービスには興味ないみたいだった。

以前は Yahoo のページ検索は実は Google で動いていたのだから、「だったら、初めから Google で探したら?」 とアドバイスしたりしたのだが、それでも、Yahoo Japan の磁力は理不尽なまでに強かったのだ。

次にブラウザのシェアを見てみよう。世界的には、Internet Explorer (以後、IE と略す)  のシェアは 約 86%で、Firefox は、約 12%と報じられている (参照)。

もっとも、W3 Counter によると、世界的なトラフィックという視点からだと、IE は、バージョン 6.0 と 7.0 を足しても 65%まで低下していて、Firefox は、3つのバージョンを足すと 25%になる。つまり、ヘビーユーザーほど IE ではなく Firefox を使うという傾向を示している。

一方、日本での Firefox のシェアは、昨年 3月のデータしか見つからなかったのだが、わずか 4%台と、極端に低い。サラリーマン時代の話に戻るが、当時 Netscape を使っていた (FF はまだ存在しなかった) のは勤務先では私だけで、他は全員 IE だった。メーラーも当然、 私以外は全員 IE とセットの Outlook Express (以後 OE と略す) だった。

「IE、OE の組み合わせは、ウィルスの標的になりやすいから、Netscape をダウンロードして使う方が安全だよ、無料だし」 と言っても、誰も聞く耳をもたなかった。

OE のメーラーとしての性能なんか、お笑い草にしたいほどひどく、ファイルサイズの大きな添付ファイルをダウンロードしようとすると、必ず途中でストップして大騒ぎを繰り返していた。それでも誰も放り出さなかったのは、信じられないほどだった。

他によりマシな選択肢があるのに、それに興味を示さないというのは、多分、付和雷同型心理傾向に起因するのだと思う。他のみんなと同じものを使っていて、それで多少の不都合があったとしても、誰にも責められないから、まあ、いいやってなもんである。

私なんぞは、誰にも責められなくても、不都合そのものが堪えきれないので、別の選択肢を導入するのだが、それは、日本においては極めて少数派のようなのだ。率先して別のソフトを使って、いち早くその恩恵にあずかるよりも、みんなで同じできの悪いソフトを使って、小さな不都合を共有する方が、ずっと心地よいみたいなのである。

思えば、我々は率先して問題解決に取り組むより、小さな不満を分け合って、同じ対象に同じ不満をたらたらつぶやき合うという状況を、とても 「心地よい」 と感じるという、不思議な心的傾向を持つようなのだ。

それは、検索エンジンやブラウザのシェアだけではなく、政治経済全般にも当てはまる傾向なんではないかと思われる。

多分、小泉さんに文句を言うより、安倍さんに文句を言う方が、何となく心地よいのだ。それは、安倍さんに対する不満の方が、何となく共有しやすい 「小さな不満」 だからである。

小泉さんへの不満は、あまりにも明確で、その上、いつも文句を言う批判勢力ばかりでなく、その対極にあるはずのいわゆる 「抵抗勢力」 にとってまで大きすぎたので、全体的にはなんとなく共有しにくかったのだね。今思えば、巧い戦略だった。

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2007/01/23

『Google 革命』 を真に受けると

昨日、外出先でインターネットをほとんどしない知人から、出し抜けに 「tak さん、"グーグル" って知ってる?」 と聞かれた。

「知ってるも何も、毎日使ってますよ」
「さすが、tak さん。でも、気をつけな。あれって、検索で世界を支配してるんだって」
「…… はぁ ?」

この人、また何かのトンデモ本かなんかで、フリーメーソン謀略説か何かに類したものを吹き込まれちゃったのかと思ったら、20日の NHKスペシャル 『Google革命の衝撃』 という番組を見たのだそうだ。私はテレビなんか見ないから、NHK がそんなことをしてるとは、ちっとも知らなかった。

で、後追いで、いくつかのブログの感想を読んで、どんな番組だったのかをイメージしてみたのだが、どうも 『Google革命の衝撃』 のタイトルにふさわしいほど衝撃的な内容だったとは、到底思われないのだ。ちょっとネット関係に深入りしている人なら、知っていそうなことばかりである。

何だか、「今、若者の世界で注目されている、DJ OZMA って知ってる? 何、知らない? 遅れてるなあ。今や、紅白に出るほどメジャーなんだよ。大晦日の NHK 紅白、注目しててね」 とでも言いたげに、出演させて、後で大アセリしていた NHK の雰囲気を思い出してしまった。

NHK に出た結果、大いに得をしたのは、DJ OZMA であり、Google である。

誰も知らなかった (敢えて 「誰も知らなかった」 と書く) DJ OZMA は、「あの裸踊りの」 で、全国区で有名になり、日本では Yahoo の影に隠れて、今イチ冴えなかった Google が、一躍アジア市場攻略のセンセーショナルな火蓋を切ったのである。

NHK って、宣伝広告はしないと、自分では思っているようなのだが、その実、ものすごい宣伝媒体である。Google にとっては、NHK に無料で大宣伝してもらったようなものである。ものすごくおいしい話だったわけだ。

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2007/01/22

「あるある大事典」 は、リンク禁止だそうだ

あるある大事典 II」 のサイトで、トップページの下の方に 「当HPへのリンクについては、一切お断りしておりますのでご了承ください」 との文言を見つけた私は、ついふらふらっとリンクしてみたくなってしまったのである。

私は決してモヒカン系ではないのだが、これはちょっと見逃すには惜しいではないか。

これだけの問題を起こしてしまった番組の公式ウェブサイトが、トップページで 「リンクお断り」 とエラソーに言っているという、そのコントラストが、えも言われず趣深い。ネタとしては、かなりおいしい。

もしかして、これはこのウェブページの制作を担当している株式会社グロービックの方針なのかと思って、同社のサイトに飛んでみたのだが、そういうわけでもなさそうだ。同社制作の他のウェブページでは、そんなナンセンスな主張はなされていない。

となると、「あるある」 側がとくに依頼して、こうした文言を入れさせたものと考えるほかない。ふむふむ。

そして、その表示の上には、次のような文言もある。

当サイトに掲載されている文章・写真・図表等には著作権があります。
著作権は日本国著作法および、国際条約により保護されていますので、著作権法上認められている例外を除き、これらを無断で転載・複製等を行うことは禁じられています。

しかし、今回の騒動に関する関西テレビのお詫びのページには、以下のような文言もある。

また、ここで使用している 「DHEA分泌は加齢とともに低下する」 ことを示したグラフは許可を得ずに引用いたしました。

ふむふむ、自分では守らない著作権法を、他人に対しては遵守しろと押しつけるわけなのだね。これも、見逃すには惜しい。

しかも、上記の 「許可を得ずに引用いたしました」 という文言は、ちょっとおかしくて、 「許可を得ずに転載いたしました」 の方がより適切だろう。(通常、「引用」 には許可なんて要らない)

そんなこんなで、要するに、「あるある大事典」 って、元々からして、かなりヘン×2ぐらいの番組だったのねいうことがわかった次第なのである。

あ、それから、今回の問題に関しては、毎日新聞がかなり攻撃的な記事を書いている (その 1その 2)。亀田や K-1 の件でさんざん嫌みを言った宿敵、フジサンケイ・グループの不祥事だけに、すこぶる意気盛んのようだ。一番笑ってしまった部分を、以下に引用する。

東京都江東区の大手スーパーで買い物していた団体職員の女性(41)は番組のねつ造を知り 「今日も買いに来たんです。信じていたのに」 と絶句した。以前は月に数回食べる程度だったが、番組で 「1日2パックを毎日朝晩食べ続けて」 と聞き、その通りにしていた。「でも体重が減らないからおかしいと思っていた」

江東区の大手スーパーの納豆売り場で網を張ってまで取材した熱意 (?) は立派だが、ここで恥を忍んでまで、あまりにも期待通りのステロタイプなコメントを発してくれた 「団体職員女性(41)」 の素性を、私は怪しむ。もしかして、毎日関係者だったりしてね。

【1月24日追記】

あるある大事典のサイトは、削除されてしまったようで、現時点では表示されない。ご丁寧なことに、Google のキャッシュも表示されないようだ。

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2007/01/21

ニーズが大きすぎるから、インチキも出る

「あるある大事典」 の納豆ダイエット問題は、数値捏造なんてことにまで発展して、大変おもしろいことになってきた。

フツーに考えれば、納豆に限らず、ごく平凡な食材で、一定の目的に対してそんなに都合のいい数字がきれいに出揃うわけない。でも、「ニーズ」 があるから応えちゃったわけね。

供給が非常に限られているのに、需要ばかりがやたらに大きいと、インチキ商品がまかり通るのは世の常である。ルイ・ヴィトンやロレックスの高級ブランドのニセ物が目立つけれど、それ以上に多いのが、実は 「ダイエット食品」 だ。

「楽して痩せたい」 というニーズは、それほどまでに大きい。そして、悪いことに、そのニーズに本当に応えられる商品なんていうのは、ないのだ。供給がないのに、ニーズばかり多いから、この分野では、インチキのやり放題である。

考えてもみるがいい。本当に楽して痩せられる手法があるなら、今頃、その手法は世界中のスタンダードになって、どこでも取り入れられているはずである。ところが、そんな例はなくて、市場では実にいろいろな手法が手を変え品を変え、現れては消えていく。

要するに何でもありなのである。納豆ばかりではない。思いつく限りの 「もっともらしい食品」 を順番にもっともらしく提案し続ければ、永遠に商売になる。今回の納豆は、たまたまツボにはまりすぎたせいで、反動も大きすぎただけだ。

不二家がバレたら、「おたべ」 やら TDL やら、ぞろぞろ出てきたように、ゴキブリが 1匹いたら、見えないところに 100匹いるのである。これまで紹介されたダイエット食品にしても、多分、都合のいい数字がこねくり上げられていたんだろう。

そうした数字は、実は、市場がものすごく強烈に求めていたから出てきたのである。テレビというメディアは、ニーズさえあればなんだってこねくり上げて提供できる。だからおもしろいんだろうけど。

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2007/01/20

バイリンガルと認知症

バイリンガルは、1か国語しか話さない人より、認知症の発症が約 4年遅いという分析結果が発表されたという (参照)。

カナダのヨーク大学の研究成果だから、ここでいう 「バイリンガル」 のほとんどは、多分英語とフランス語の組み合わせだろう。じゃあ、他の言語の場合はどうなんだろう?

思うに、これは標準語と方言の両方を自由自在に話すことのできる人にとって、朗報である。だって、ヨーロッパでは、ラテン語系なんてのは、日本で言えばちょっとした方言程度の違いだし、英語とフランス語だって、標準語と庄内弁の違いぐらいのものじゃないかという気がする。

ブラジルではポルトガル語が話されるが、友人の日系ブラジル人たちがいうには、スペイン語は聞けば苦もなくほとんどわかり、イタリア語は想像力を駆使すれば大体わかり、フランス語も話の内容ぐらいはわかるそうだ。

しかし、フランス人、イタリア人、スペイン人は、ポルトガル語を理解するのは難しいらしい。つまり、ポルトガル語は、ラテン語圏の中では一番田舎の言葉なんだろう。地理的にも一番外れだし。

これは、山形県庄内地方の人間が、東京の言葉は当然わかるが、東京人が庄内弁を聞いても、さっぱりわからないというようなものじゃないかと思うのだ。

で、かわいそうなのは東京生まれの人間である。いわゆる標準語しか話せないのだ。我々東北の田舎で生まれた人間は、自分の土地の言葉と標準語の両方が話せる。そしてそれは、ヨーロッパ的な感覚で言えば、バイリンガルと言ってもいいのだ。

多分、我々は東京生まれの人間より 4年遅れてボケ始めることになるだろう。

それからおもしろいのは、高学歴の人間は、ボケ始めるのは遅いが、いったんボケ始めると、ボケの進行が早いという点だ。学問がありすぎると、自分のボケ自体に学んでしまって、ますますボケてしまったりするんじゃなかろうか。「ボケの加速度」 である。

ボケ始めたら、「学びの姿勢」 は捨ててしまった方がよさそうだ。

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2007/01/19

「マイ箸」 を持ち始めた

このほど、「マイ箸」 を持ち始めた。一昨日まで出張していた熊本の取材先の近くにあった 100円ショップで、プラスティックのケースとセットで税込み 105円だったので、軽い気持ちで買ってしまったのである。

で、昨日から使い始めた。私もようやく、マイ箸デビューである。

私は蕎麦食いである。毎日といっていいほど、あちこちで蕎麦を食う。蕎麦を食うときは、当然のように、店で出される割り箸を使っていた。ところが近頃、これが良心の呵責というか、少々複雑な心持ちの種だったのである。

つい最近まで、マイ箸なんて持ち歩いて環境保護に貢献しているつもりになるのは、単なる気分の問題で、自然保護とは関係ないと言われていた。割り箸は間伐材を原料としているので、決して森林破壊につながるものじゃないどころか、森林保護に役立つというのである。

それで、私も何年も安心して、割り箸で蕎麦をたぐっていたのである。ところがよく調べてみると、割り箸が自然保護に役立つなんていう時代はとっくに過ぎ去っていて、事情は大きく変化してしまったようなのだ。

その要因は、外食産業の急激な成長による割り箸需要の急拡大と、国内間伐材を使って割り箸を生産する場合のコスト高である。

今や、国内の森林の間伐材を使った割り箸なんてのは、需要の 4~5%程度に落ち込んでいて、ほとんどは中国からの輸入品に頼っているらしい。そして、中国では割り箸を作るためにのみ、森林を皆伐方式で伐採しているらしいのだ。

こんなことを続けていては、中国で森林破壊が進んでしまう。中国で森林が破壊されたら、その東側 (つまり偏西風の風下) にある日本はいい迷惑なのである。ただでさえ、近頃黄砂の飛来が増え続けているのに。

そして、その中国の森林破壊の主要な要因の一つが、日本の割り箸需要に対応するためであるというなら、我々は、自分で自分の首を絞めているわけだ。そりゃあ、解決策は決まり切っている。我々が割り箸をできるだけ使わないようにすればいいだけのことだ。

「マイ箸なんて持ち歩くのは圧倒的少数派だし、そんな少数ががんばったところでどうなる?」 と言われるかもしれないが、「とりあえず、俺もやる」 というヤツが出てこない限り、ムーブメントは発展しない。だったら、「俺もやるぞ」 と言うだけのことだ。私の頭はごく単純である。

これは、正義感とかなんとかいう問題じゃない。とりあえずは、「中国で森林が破壊されたら、俺が困るから」 という、かなりエゴイスティックな理由なのだ。そもそも、自然保護のきっかけなんてのは、「自然が破壊されたら、俺が困るから」 でいいではないか。誰だって、困りたくないもの。

きっかけがどうあろうとも、自然環境保護につながるアクションは、とりあえず 「オススメ」 ということにしておきたいのである。そうしたアクションを継続しているうちに、エゴから離れて、なんとなく自然や宇宙との一体感のような感覚につながることがある。

そして、それって、少なくとも私にとっては、かなり気持ちいい。私は気持ちいいことなら、するのである。

ところで、「マイ箸」 でググってみたら、こんなサイトが見つかった。まだ隅から隅まで眺めたわけじゃないが、とりあえず、リンクしておこう。

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2007/01/18

会社を不祥事で潰したくなかったら

雪印の次は不二家。この 2社だけが業界におけるごく特殊な存在で、他はみんな真面目にやっているなんて素直に信じるのは、とってもいい人なんじゃなかろうか。

ほかにも、「あの時のことがいつバレるやら」 と、内心ヒヤヒヤしているメーカーが、1社や 2社じゃなかろうと思う方が自然だろう。

今どき、企業の不祥事はバレるものと思った方がいい。昔なら、妙な忠誠心があったせいで、会社ぐるみでばれないようにがんばっただろうが、もうそんな時代じゃないのだ。恒常的に繰り返していれば、大抵は内部から漏れる。

かなり以前、ある地方の衣料品会社の従業員から電話で相談を受けたことがある。その会社は、中国製衣料品のラベルを、ご苦労なことにいちいちハサミで切り取って、原産国を明示せずに (つまり、言外に 「国産」 を偽装して)、市場に出荷しているという。

事実ならば、明らかに法令違反である。それに疑問を投げかけた中堅社員は、即座にどうでもいい理由で解雇されたそうだ。

その解雇された社員に同情したパートタイマーが、ぜひその事実を告発したいというのである。「こんな会社で働くのは、もうほとほと嫌気がさしたから、クビになるのは恐くもなんともないし、それで会社が潰れるなら、早く潰れてもらいたい」 というのだ。

よほどひどい経営者だったのだろう。「それほどまでに義憤にかられるならば、公正取引委員会にもちかければいい」 と返事しておいた。

その相談は匿名だったので、その後どうなったか、私は知らない。公取にタレ込んだかもしれないし、もしかしたら、口止め料か何かで収めてしまったかもしれない。

ただ確実に言えることは、パートタイマーや派遣などの雇用が増加した今、従業員のロイヤルティは良くも悪しくも急速に低下しているので、企業不祥事の内部告発は今後ますます増加するだろうということだ。

恒常的に不祥事を繰り返してしまう会社というのは、歴史のある上場会社だろうが、素性の怪しい中小企業だろうが、遅かれ早かれ潰れてしまうのである。瞬間風速的に不当な利益を上げてさっさと計画倒産するような会社もあれば、決して潰れたくはなかっただろう雪印のような例もある。(多分、不二家もダメだろう)

ズルして、なおかつ潰れたくない会社は、従業員をすべて親類縁者だけで固めなければ、今の世の中では安心できまい。しかし、そんなことは無理なのだから、要するにズルなんかしない方がいいに決まっているのだ。そんなこともわからないような企業だから、潰れるのである。

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2007/01/17

長嶋さんの平仮名署名

あの 「東スポ」 こと 「東京スポーツ」 (1月16日付) に、長嶋茂雄さんが立教大学時代に、初恋の人宛に書いたという恋文の署名が載っていた。熱狂的巨人ファンの山田勝三さんという方の 「お宝」 なんだだそうだ。

この署名、平仮名の 「ながしましげを」、カタカナの 「シゲヲ」 と、二つある。

さすがに恋文の中身は公開されていないが、署名の方は二つとも写真になっていたので、平仮名の方だけだが、ここに紹介しちゃおう。

なんだかちょっと気取ってはいるが、ファンキーな字である。おもしろいのは、名前の方が  「しげお」  でなく 「しげを」 となっていることだ。このことについて、記事では、以下のように書かれている。

「普通なら男の人は 『オ』 を使うはずです。あえて 『ヲ』 を使ったのは、1つ上の先輩に対する敬意の表れ。この気配りこそ、ミスター流。やさしさがにじみ出ていると思います」 と山田氏は解説した。

「1つ上の先輩」 というのは、長嶋さんの初恋の人というのが、立教大学の一つ上の学年だったことを指すらしい。

しかし、山田さん、ちょっと待っていただきたい。なんで 「を」 にすると、「敬意の表れ」 とか 「気配り」 になるんだ? はっきり言って、さっぱりわけがわからない。そのわけのわからなさは、長嶋さんの一連の名言に勝るとも劣らない。

普通に考えれば、「茂雄」 の 「雄」 の字は、旧仮名では 「を」 だからというほかない。「男」 の旧仮名は 「をとこ」 であり、「雄」 は 「をす」 である。だから、「茂雄」 が 「しげを」 になるのはごく当然で、別に、「敬意の表れ」 とか 「気配り」 とかとは無関係なんじゃなかろうか。

しかし、これを書いたのは、あの長嶋さんである。長嶋さん、自分の名前の旧仮名表記なんて、ご存じだったのだろうか? いやいや、一応戦前のお生まれだもの。知っておられたとしても、全然不思議じゃない。

ご存じだったとしても、はたまた、ご存じなかったとしても、両方とも 「さすが長嶋さん!」 で済んでしまいそうなところが、「さすが長嶋さん」 である。

果たして、立教大学時代の長嶋さんは、意識的に旧仮名で署名したのだろうか? それとも、単なる気紛れだったのだろうか? 本当に、どちらで解釈しても、とても長嶋さんらしい。このあたりが、長嶋さんの奥の深さである。

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2007/01/16

知のヴァーリトゥード 5周年で思うことなど

当本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 は、平成 14年 1月 16日にひっそりとスタートした。今日が 5周年めの記念日である。

スタート 2ヶ月後の 3月からは 「ほとんど毎日更新」 のコラム、「今日の一撃 - Today's Crack」 を開始し、平成 16年から 3年余りは、正真正銘の毎日更新になった。

「毎日更新」 を始めたのは、はてなダイヤリー がスタートする 1年前、ココログのスタートする 1年 9ヶ月前である。それに先立つ日記サイト (Enpitu とかさるさる日記とか) なんてのは知らなかったので、最初はサイト内にテーブル形式でコラムを書いていた (こんなかんじ) 。

この形式だと、毎晩の更新が結構面倒くさく、あまり長くは書く気がしなかった。あまりの面倒くささに音を上げて、「今日の一撃 - Today's  Crack」  部分のみ、ココログを使うことにしたのが、平成 17年 7月 1日である。(それ以降、時々平気で長く書くようになったので、面倒くささの総量は、あまり変わらないのだが)

当初は、「ココログは部品として使ってるだけで、ブログなんて、知らんもんね」 とスネていたのだが、ここまでくると、否応なく私も 「ブロガー」 の一人なんだろうなあ。ココログのアクセスカウンターは、既に本宅サイトの倍近くの数字になってるし。

そのココログが、今日の午後 3時から 24時間にわたるサーバ・メンテナンスに入るようだ。前回のメンテが見事な失敗に終わっている (参照) ので、今度こそまじめにやってもらいたいものである。

で、明日の分の更新はどうしようかと迷っている。とりあえず、リザーブのはてなダイヤリーの方で更新することになると思うけど、どうなるか、なにしろ今日から熊本に出張なので、行き当たりばったりである。

ところで、毎日更新を 5年近くも続けていると、ふと妙な気になることがある。初期の頃は、書く事なんていくらでもあったのだが、毎日毎日、通算約 1800編も書いていると、つい 「息切れ感」 を覚えることがあるのだ。

決してネタが枯渇しているわけじゃないのに、なまじのネタでは、これまで書き連ねた圧倒的なボリュームに比較して、「こんなこと書いてどうなる?」 なんて思ってしまうのである。

単に継続すればいいということで、何を食っただの、何の映画を見ただの、今日のニュースでこう思っただのということを書き続けても、もはやつまらない気がする。また、誰が書いても似たような落としどころになるようなネタなんてのも、あまり書きたくないし。

というわけで、どうやら、自分で自分を不自由にしてしまいかけている。これはヤバイ兆候だ。

ただ、イチャモンをつけたくなるようなニュースは毎日いくらでもあるのだが、のべつコラムで世の中にイチャモンつけてばかりいるタイプのライターにはなりたくないと、自分では思ってるし。

先月 (ということは既に昨年だが)、「ウェブサイトの寿命」 というエントリーで、「個人サイト 4年寿命説」 について触れて、多くのサイトが 3~4年で更新されなくなってしまう傾向があると書いたが、正直なところ、なんとなくわかるような気もするのである。

というわけで、当サイトもこの踊り場を越えて、自分自身をリニューアルすることができたら、新たな何物かが見えてくるかも知れないと思っている。やれやれ、50歳を越えて 「自分自身をリニューアルする」 なんてのも、なかなか大変なことだが。

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2007/01/15

個別と体系

近頃、定年退職目前、あるいは直後の団塊の世代から、パソコン操作を教えてくれろと頼まれることが多くなった。

悠々自適の生活をするにしろ、再就職するにしろ、インターネットぐらいできないと、自分の可能性が狭まるという危機感は、多くの団塊の世代が抱いているらしい。

そして、パソコンを始めたばかりの超初心者であるオッサン連中は、私みたいな者が身近にいると、かなり心強く思ってしまうらしいのだ。

「いやあ、tak さんみたいな人が身近にいると、困ったことがあったらすぐに聞けるから、本当に助かるよ」
「パソコン上達への最も手っ取り早い道は、身近に何でも聞ける人がいることだっていうからねぇ」

だが、しかし、ちょっと待てよと、私は言いたいのである。そりゃあ、聞かれたら教えないでもないが、そう安易に何でもかんでも聞いてきたりしないでもらいたいものなのだ。こっちだって、そうそう暇人じゃないのだから。

それに、何でもかんでも聞きゃあいいなんて、安易なことを考えているオッサンというのは、何度教えても、三日も経たないうちに、同じようなことを聞いてくるのだ。いい加減にしてもらいたいのである。

私はずっと、彼らは聞いた端から忘れてしまうのだと思っていた。だが、それはどうも違うようだと最近気付いたのである。だって、彼らは一度教えたことは、こちらが苦笑したくなるほど馬鹿ていねいにメモして、パソコンラックに貼り付けたりしているのだから。

聞かれる方は、「それは、こないだ教えたばっかりじゃん」 とか 「ほら、そのパソコンラックに貼ってあるじゃん」 とか、つい言いたくなってしまうのだが、聞く方は 「こないだ聞いたことと、これとは別じゃん」 と思っているようなのだ。

どうやら彼らは、ウィンドウズというものを 「システム」 とか 「メソッド」 とかいう形で理解しているのではないらしい。いくら教えても、その知識は 「体系」 とならずに 「個別」 にバラバラのままなのだ。

極端にいえば、テキストのコピー&ペーストと、画像のコピー&ペーストと、ファイルのコピー&ペーストは、それぞれ別モノだと思っているのである。いや、冗談じゃなく。

それで、うんざりした私は、「自分で調べた方がいいですよ」 と薦めるのである。これは別に邪険にしているわけじゃない。

わからないことがあれば、マニュアル本をひっくり返して、とことん調べる。とにかく、泣きながらでも調べる。初めのうちは、ドンピシャリの回答にはなかなか行き着かない。しかし、泣きながら調べているうちに、なんとかわかってくる。

この 「なんとかわかってくる」 というのが大切なのだ。一つのことを調べているうちに、行きがけの駄賃で、関連するいろいろのことがわかってくる。ものごとというのは、個別に捉えてしまうといくら覚えても覚えきれないが、「体系」 として捉えれば、案外シンプルなのだ。

そして、そのうちに、「ウィンドウズというやつの常套的なやり口」 (つまり、「システム」 とか 「メソッド」 とかいうもの) が見えてくる。「なんだ、こいつ、案外単純なやつじゃんか」

そうなれば、別に人に聞いたりなんかしなくても、大抵のことは直感で操作できるようになる。コピー&ペーストという操作は、テキストだろうが画像だろうがファイルだろうが、みんな同じなのだとわかるだけで、大した進歩である。

なにしろ、私をうんざりさせずに済むのだから。

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2007/01/14

また納豆が食えるまで 2週間待ちか?

ウチの家族は全員納豆好きである。つい最近まで、冷蔵庫の中には納豆のパックが常に 10個近くあり、食べ放題だった。

ところが、近頃スーパーの店頭から納豆が消えてしまった。テレビ番組で、2週間にわたって朝晩納豆を食べ続けるとダイエットできるなんて言ったせいらしい。迷惑な話である。

朝と晩に、納豆を 2週間食べ続けたぐらいで本当にダイエットできるなら、誰も苦労はしない。私なんか、生まれてこの方ずっと、朝晩納豆食って、さらに晩酌のつまみに、もう 1パック食うなんてのはざらだけど、ダイエットの苦労からは免れないぞ。馬鹿馬鹿しい。

しかも、テレビを真に受けて納豆ダイエットへの挑戦を開始した人が、日本中に何百万人いるか知らないが、店頭から納豆が消えてしまったのだから、2週間どころか、3日も続けられないではないか。世の中、そうそう都合良くは運ばない。

そして、例え都合良く運んだからといって、そんなに簡単に痩せられるものか。

震源地は 「あるある大辞典」 という番組らしい。あの番組、毎週毎週、何かを 「健康食」 としてもっともらしく取り上げて視聴率を稼がなければならないのだから、長く続けるうちに、大抵のものは健康食になってしまう。我々はフツーの食生活をしていればいいだけの話だ。

ともあれ、我が家の家族が再び好きな納豆を心おきなく食えるようになるまでには、2週間待たなければならないのだろうか。まったくもう、納豆が食えなくなる世の中があるとは、夢にも思わなかった。

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2007/01/13

「松の内」 は 15日までと突っ張ってみる

元日から 「知のヴァーリトゥード」 と 「和歌ログ」 のサイトタイトルのロゴを正月バージョンにしているのだが、1月も 12~13日になってしまうと、何だか間が抜けて見える。

それでも、15日の小正月まではこのロゴでもちこたえようと思っている。関西では今でも小正月までを 「松の内」 としているし。

「松の内」 を新年 7日までとするのは、比較的新しい風習のようだ。以前にも書いたことだが、江戸時代に、冬は火事が頻発するため、門前に燃えやすい飾りをいつまでも置いておくのは防災上よろしくないというので、「松飾りは 7日までにするべし」 というお触れが出て以降だと言われている。

ところが、今年のように年末年始の休暇が長くて、4日と 5日に有給休暇を取ってしまえば、会社の始まりは 9日からというような年は、ビジネス街の老舗などでは、7日に松飾りを取っ払ってしまっては、人目に触れる期間がほとんどない。それで、お江戸の下町でも、まだ松飾りをしたままという店がいくらでもある。

私は、「関西みたいに、小正月まで飾っておくつもりかな」 と思っていたのだが、多分、週末の土日には取っ払ってしまうだろう。ことほど左様に、江戸っ子というのは気が早くて、いつまでも松飾りを飾っておくとイライラしてしまうもののようだ。

私なんぞも、田舎から出てきて関東の暮らしが長いので、小正月まで松の内なんていうと、なんだか我慢大会にでも出ているような気がしてしまうのである。

正直言って、小正月まで正月バージョンを使い続けるのは、かなりのストレスなのだが、この際だからじっと我慢でやってみようと思っている。決してしまい忘れてるわけではないので、誤解しないでいただきたい。

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2007/01/12

「ぬるぬる」 秋山、やっぱり失格

1月 2日のエントリー で触れている、大晦日の K-1 Dynamaite のメーンイベント、秋山成勲 対 桜庭和志 戦における 「ぬるぬる疑惑」 について、K-1 サイドが秋山の不正行為を認め、失格の裁定を行った (参照)。

体にスキンクリームを塗っていたとのことで、K-1 と秋山のイメージダウンは避けられない。

K-1 側の発表は 「ワセリン、タイオイル等の塗布はなかったが、秋山は全身にスキンクリームを塗っていた」 というもの。これは 「クリームは OK だと思っていた」 という秋山の認識不足によるものであり、カメラの前で堂々と塗っていたことなどから、悪意ではなく過失と判断したという。

このあたりは、かなり微妙なところである。秋山は今回の記者会見で、元々 「乾燥肌」 で、それを防ぐために普段から使用し、塗っても大丈夫という認識だったと発言したという。しかし、試合後の記者会見では、自分は 「多汗症」 であると言っていたではないか (参照)。

多汗症で、しかも乾燥肌の人間なんているか? この辺からして、秋山という人間を信頼できるかどうかは、大いに疑問だ。

大汗かくヤツが 「乾燥肌」 とかなんとか言って、体にスキンクリームなんか塗って、照明に照らされたリングで格闘技の試合なんかしたら、汗とクリームが混じり合ってぬるぬるになるのは当たり前である。「悪意ではない」 というが、本当にそうなのか?

そもそも、私が 1月 2日のエントリーで指摘したように、秋山のタックルを切る動きはかなり不自然だった。あんな風に長靴でも脱ぐようにひょいと回ったりは、普通はしない。ぬるぬるを前提として、練習で繰り返し身につけなければ、咄嗟にはできないだろう。

今回の処分を幕引きとして、K-1 側は事を収めたいところだろうが、そうは行かない。まだまだ疑惑がすべて解決されたわけではないのだ。今後、秋山はリングに上がるたびに猛ブーイングを浴びることを覚悟しなければならないだろう。自分で蒔いた種だから、仕方がない。

後から PRIDE の動画を見るにつけ、総合ルールの試合に関しての、K-1 のいい加減さは際立つ。損なわれた K-1 への信頼が、今回の処分発表で回復されるとみるとしたら、それは甘すぎるというものだ。

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2007/01/11

日本男児の真情溢れるレトリック

1月 8日のエントリーで、永六輔さんがラジオで子供相手に愚痴をこぼされたと書いたが、下手するとそれを 「みっともない」 と受け取ってしまう方もいそうなので、永さんの名誉のために、ちょっとだけ書いておく。

これは、戦前生まれの日本男児独特のレトリックだと思うのだ。

永さんがどんな愚痴をこぼされたのかというと、歳をとって餅をのどにつっかえさせるといけないので、一口大に切って電子レンジでチンしたところ、ふくらんでひっついてしまい、結局、元の大きなもちになってしまったというお話である。「ちゃんと一つずつ暖めなさい」 と、娘さんに怒られたのだそうだ。

これを、永さんは、TBS ラジオの子供電話相談室で、電話をかけてきた子供相手に、「ちょっと、愚痴を聞いてくれる?」 と断ってから話されたのである。

永さんは過日、長年連れ添われたご夫人を亡くし、現在は男やもめ状態であられる。それで、餅をチンするのも、ご自分でやらなければならないのだ。

で、わざわざ子供相手に 「愚痴」 と称して話されたことが、実は、愚痴にこと寄せた亡きご夫人への愛情の表現であると、つい深読みしてしまったのは、私だけではないと思う。

もしかしたら、永さんは子供相手なので、深読みなんかされないと安心して語られたのかもしれないが、どうしてどうして、「子供電話相談室」 には、大人のファンも多いのである。

戦前生まれの日本男児は、妻への愛をストレートに語ることを潔しとしないところがある。それで、とてもとても遠回しなレトリックで真情を吐露することがある。それをわからないと、日本の男というのは何と薄情なのかと誤解してしまいかねない。

歌舞伎の 「菅原伝授手習鑑」 では、松王丸が身代わりとして差し出した自分の息子の死を悲しんで泣くのを潔しとせず、弟の桜丸が忠義を果たせなかった無念を思いやるという口実で大泣きする (必ずしもそうではないという説もあるが) という場面がある (参照)。

私は永さんの 「愚痴」 から、ふと松王丸の大泣きを連想してしまって、今でも亡き夫人を心から愛していらっしゃるのだなあと思ったのであった。

亡き妻へのラブレターとして、絵はがきを毎日投函していらっしゃるというのは知る人ぞ知る話だが、口で言うとなると、こうした遠回しの表現しかされないというのは、まさに戦前生まれの日本男児である。

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2007/01/10

馬鹿が利口を指導している

私も時々この欄でやり玉に上げている 「バイト敬語」 について、"JANJAN" に松山大智さんという方が書いておられる。(参照

バイト生自身は 「この言葉遣い、おかしい」 と思っても、上からの 「指導」 と称した押しつけで、そう言わざるを得ないんだそうだ。要するに、馬鹿が利口を指導しているのである。

これについては、私も 「知のヴァーリトゥード」 の中のコラムで、いわゆる 「コンサルタント」 と呼ばれるエラソーな人種が、「いらっしゃいませ、こんにちは」 という妙な挨拶を、「コミュニケーションのスタート」 として推奨していることの愚を指摘している。

そもそも、コンビニで店員と客がのべつ本格的に 「コミュニケーション」 なんか始めたら、仕事にならないじゃないか。

上述の松山さんは、次のように書いておられる。

私は新幹線の車内販売の経験がある。弁当、ビール、コーヒー、etc.。さまざまなものを販売し、色々な客と接した。

そこで悩んでいたものが 「○○はいかがでしょうか?」 は客に失礼なため、「○○はいかがでございます?」 と言うよう厳しく指導を受けた。

最初は指導どおり 「いかがでございます?」 だったが、よくよく考えるとおかしな言葉である、「いががでしょうか?」 の何が失礼なのかも分からない。

(中略)

もしおかしな言葉を使う人に出会ったら、その人に抗議しても無意味でつらい思いをするだけである。会社を調べ、会社に抗議しなければ、何の意味もない。バイト生に抗議しても、会社の上層部には伝わらないことははっきりしている。

なるほど、車内販売で 「いかがでございます?」 なんて聞かれたら、私もちょっとこけそうになってしまうだろうなあ。どうしても馬鹿ていねいに 「ございます」 調にしたいなら、せめて最後に 「か?」 ぐらい付けろよ。

ごく普通にやってくれよ、頼むから。

というわけなのだ。接客業で指導 (と錯覚されている馬鹿な押しつけ) にあたってる連中、たまには、インターネットでもみて勉強しろよ~! (と、ここで書いても届かないか)

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2007/01/09

なんでまた 「天地無用」 なんて言うのか

小難しいことでもわかりやすいように表現するのが物書きの務めだと思っているので、私は 「天地無用」 という言葉が好きじゃない。

「ひっくり返すな」 と簡単に言えばいいのに、わざわざ妙な言い回しをして、「どちらが上でも下でも構わない」 という、まったく逆の意味に取り違えられやすくしている。

実を言うと、私も若い頃は 「天地無用」 の意味がわからなかった。学生時代にバイトをしていた頃、ひっくり返しても差し支えないなら、わざわざ仰々しく表示する意味がないだろうと類推し、結果 OK だった覚えがある。

以来、「天地無用」 は、運送業界独特の符丁みたいなものなのだろうと納得していた。普通に考えたら、「上下がどっちかを考慮するのは不必要」 という意味に取るのが自然なのに、実はその逆の意味なのだから、かなり変てこな符丁である。

で、近頃急に思い立って調べてみて、この変てこさにはそれなりの根拠があるということがわかった。

まず、「無用」 というのは、「他の語に付いて、してはいけない意を表す」 という用法がある。これは前から承知していた。例えば 「立ち小便無用」 の貼り紙があったら、「立ち小便するな」 で、「落書き無用」 だったら 「落書きするな」 という意味である。「問答無用」 などの 「不必要」 という意味より、一段強い意味合いである。

で、「天地無用」 となると 「天地するな」 という意味になる。じゃあ、「天地する」 という動詞的用法があるのかというと、何と、あったのである。

「天地する」 で検索してみると、Linguistic Simple Questions 7 というウェブページが見つかって、そこには、次のようにある。

江戸時代の式亭三馬著(1810) 『早変胸機関 (はやがわりむねのからくり)』 の文中では 「天地する」 という表現が出てきます。これは裾廻しの下の部分は摩れたり汚れがつきやすいところから、仕立て直すときは、上の部分を下にひっくり返したそうです。そこから上下逆にすることを意味するようになったと言われています。

なるほど、上下を逆にする、つまり、ひっくり返すことを 「天地する」 と言ったのか。本来なら 「天地逆にする」 と言うべきところなのだろうが、「裏表を逆にして着る」 ことを 「裏表に着る」 なんて言うので、それと同じようなことなのだろう。

ならば、「天地無用 = 天地するな = ひっくり返すな」 ということになる。決して、まるっきり変てこな符丁というわけではなかったのだ。

「天地する」 という死語は、「天地無用」 という言葉の中で、かろうじて首の皮一枚つながっていたのである。かといって、わかりにくさに変わりはないけれど。

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2007/01/08

命がけで守る 「美しい日本」

昨日、朝の TBS ラジオの 「子供電話相談室」 をカーラジオで聞いていたら、先生役の永六輔さんが、餅の食べ方について、子供相手に愚痴を語っておられた。

歳をとってのどにつかえると困るので、餅をサイコロ大に細かく切って、それを電子レンジで温めて食べようとされたそうなのだ。

私は今月 3日のエントリーで、「餅のリスクをマジで軽減せよ」 と力説したばかりなので、「おぉ、さすが永六輔さんは、ちゃんと心を配っておられる」 と、ちょっと感動してしまったのだ。

ところが、永さんによると、「サイコロ大に切った餅を並べて電子レンジで温めても、結局、ふくらんで皆くっついてしまい、元の大きさに戻ってしまう」 のだそうだ。そうか、餅はなかなかやっかいな食い物だったのだ。

それで、娘さんの(映画評論家、エッセイストの永千絵さんだろうか?) に 「ちゃんと一つずつ焼きなさい」 と怒られてしまったのだそうだ。お気の毒に。

私も、件のエントリーの中で、老人用に 「小さく一口大に切った餅」 でも開発したらどうかなんて書いたのだが、いくら一口大に切っても、それを並べてチンしてしまったら、元の大きな餅に戻ってしまうことまでは想定していなかった。

何事もやってみないとわからないものである。一口大に切っただけで、かなり餅としての趣は低下してしまっているのに、しかも、チンしても隣同士くっつかないような加工まで施してしまったら、それはもう、餅と言えるだろうか。餅の理想型に対して申し訳ないような気もするのである。

こうなったら、リスクを冒してでも、餅をわしわし食うか、一口大に切った餅を、本当に一個ずつチンしてちまちま食うか、歳をとったら二つに一つを選ばなければならないようだ。餅を食うというのも、なかなか大変なことだ。

「美しい日本」 の文化を守るのは、本当に命がけである。

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2007/01/07

マグロにイワシ

「鮪の刺身を食いたくなったと/人間みたいなことを女房が言った」 と、詩人・山之口貘は 「鮪に鰯」 の冒頭で呟いたが、金があろうがなかろうが、マグロはだんだん食いにくくなる。

私はあんまりマグロに思い入れがなくて、イワシの方が好きというぐらいのものなので、世の中が何でそんなに騒ぐのかわからない。

私は寿司でもあんまり 「赤ネタ」 は食わない。好きなのはイカとホタテとイワシ、アジといった、地味な系統だ。いくら近頃イワシが高くなったとはいっても、依然として経済的な好みなのである。

マグロなんて、冷凍を下手に解かしたようなヤツを出されると、水っぽくてどうしようもない。近頃では、まともそうな居酒屋などでも、この類のマグロが出てくる確率が高いので、油断がならない。

さらに、「大トロ」 なんてのは高いばかりで、口の中に入れると本当に舌の上ですっと溶けてしまうのが、どうも気に入らないのである。その食感を珍重する人もいるが、私は 「そんなのがありがたかったら、綿菓子を食え」 と言いたくなってしまう。

それは、霜降り牛肉にも言えることで、私はステーキとかしゃぶしゃぶなんてあまり食う気はしないけれど、どうせ食うならあんなんじゃなく、歯ごたえのあるやつを、わしわし食いたいのだ。病人のおかゆみたいな食い物は、まっぴらなのである。

世の中には、マグロが気軽に食えなくなるのを妙に惜しむ人がいる。彼らは、食卓にあの赤身の刺身があるというだけで、心が豊かになるらしい。その気持ちはわからなくもないけど、私としては、「別に、なくたっていいじゃん」 としか思えないのである。

山之口貘の 「鮪に鰯」 は、ビキニ核実験に反対する思いを詩にしたものだといわれるけれど、私はずっと、「マグロなんて、別に食わなくていいじゃん」 という詩なんだと思っている。

本当に本当に、イワシの方がずっとおいしいと思うし。

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2007/01/06

パリっ子の高ビー観光キャンペーン

英国人はよほどパリジャンが嫌いらしい。ウィットの効いたパリ観光促進ウェブサイトが、ロイター通信の手にかかると "「失礼な」 パリっ子理解の手引き" になってしまう。(参照

私もパリジャンはあまり好きじゃないけど、このニュース、かなりブラックで辛辣な紹介の仕方をしていると言っていいだろう。

紹介されているのは、"C'est so paris ! How to cop the parisian attitude" というウェブサイト。 日本語で言ったら 「これって、とってもパリ! パリッ子の態度がわかるには」 とでもいうことになるかな。

ちゃんと見ればわかることだが、このサイトの制作側の意図は、「失礼なパリジャン」 (原文では "rude Parisian") を理解してもらうことでは決してない。あくまでも英国からパリへの観光促進である。

そして、問題のページは "Attitude Game" という写真付きのもので、「フランス語がわからなくても、パリっ子特有のジェスチャーを身につければ、パリの街に溶け込めます」 というのが、本来の趣旨だ。

このページの写真で紹介された 8つの 「パリっ子の代表的なジェスチャー」 を上手にまねた写真を送ると、カップルで週末のパリ旅行にご招待という懸賞付きなのがミソである。

ちなみに、ここで紹介されている 8つのジェスチャーのうち、"Camenbert! = Shut up! = 黙れ!" など 4つは 「レッドカード」 で、「攻撃的に思われることもあるから注意」 ということになっている。それを称して 「失礼な」 ということになるのかもしれない。

ただ、失礼なジェスチャーの意味がきちんとわかったらわかったで、かえってもめ事の種になりそうだし、それ以前にレッドカードのジェスチャーは、一目瞭然でヤバヤバだ。

それを別にしても、観光客に 「パリっ子のジェスチャーをまねて、パリに溶け込め」 なんて要求する発想自体が、さすがにパリ気質丸出しの "rude" (失礼) なところと言えないこともない。そのあたり、ジョンブルには、ちょっとカチンときたようだ。

ロイターは、「勝てなければ、相手の側についちゃえばいいのよ」 (if you can't beat them, join them) という態度を観光客に薦めるという、新手のキャンペーンに出てきたものと論評している。

つまり、よそ者に不親切なパリッ子の態度は今さら改めようがないので、「せめてジェスチャーだけでも真似て、よそ者に見えないようにすれば、不愉快な目にあわずにすむかも」 というアピールだというわけだ。

なるほどね。「郷に入っては郷に従え」 とはいうものの、ロイター流の読み方をすれば、これほど高ビーな観光誘致キャンペーンも珍しいかもしれない。(ロイターの記事の原文は、こちら

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2007/01/05

紅白は、そんなに無理しなくていいのに

正月はこれといった話題もなくて、ネタ探しに苦労してしまう。で、結局、例のあれか。そう、紅白の裸踊り。

そもそも、私は DJ Ozma なんて知らなかったよ。しかも、紅白見てないし。その私が、しっかりとその名を認知してしまったのだから、この裸踊り、効果抜群だったかもしれない。

「効果抜群」 というのは、もちろん DJ Ozma 側にとっての話で、プロモーション費用に換算したら、大変な額になるだろう。ただし、NHK にとっては、話題になればなるほど頭の痛い問題で、紅白もいよいよ死にかけてるかなという感じがしてきた。

で、いったいどんなんだったのかと思って、YouTube に行って "DJOZMA 紅白" で検索してみたら、3本も見つかった。そのうちどんどん削除されちゃうだろうけど。

YouTube だけに画質がものすごく悪いので、知らないでそれだけ見たら、確かにすっかりおっぱい丸出しの裸に見える。山村とか離島とか、電波状態の悪いところで紅白を見ていたよい子たちは、仰天して鼻血が出かかったんじゃなかろうか。

もし私がそれをリアルタイムで見ていたとしても、さすがに抗議電話まではかけなかっただろうが、「NHK も、ずいぶん趣味悪くなったなあ」 ぐらいの感慨を持っただろうと思う。

確かに、「家族揃って」 のイメージの紅白には、ふさわしくない。一人寂しく見ていたお兄さんには、もしかしたら、ボディスーツさえ邪魔だったかも知れないが。

NHK は、紅白の公式サイトで、「衣装の最終チェックであるリハーサルでは放送のような姿ではありませんでした。今回の紅白のテーマにふさわしくないパフォーマンスだったと考えます」 と、謝罪コメントを出している。

そのココロは、「Ozma ってのは、とんでもないヤツです。だまし討ちにあったのは、我々の方なんです」 ってことで、「本当はウチが一番の被害者なんだけど、まあ、世間体もあるから、一応謝っとくね」 というポーズである。

舞台裏では、視聴率が下がり続ける危機感から、にいちゃんねえちゃん向けにおもねて、「NHK も、最近少しは柔らかくなったじゃんか」 というイメージを作りたかったのだろうが、脇が甘すぎた。やっぱり、慣れないことはするもんじゃない。

とにかく、NHK というところはあの手のコンテンツはとことん 「わかってない」 のである。近頃は見てないから知らないけど、2~3年前までは、紅白のロック系の 「音」 は最悪だった。わかってないミキサーが、演歌と同じ感覚で処理してしまうのである。

わからんことをわかったような顔をしてやるから、あんなことになるのである。わかることだけやればいいのに。紅白は今や伝統芸能なんだから、視聴率なんか狙って、どうするというのだ。

ちなみに、視聴率を狙って内容が滅茶苦茶になったのは TBS の K-1 も同じである。私なんか、今年の大晦日はテレビ見なくて済んじゃうなあと、今から思っている。

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2007/01/04

Norton GoBack は要注意!

まったくもう、あせってしまった。新年早々、Windows 再インストールをする羽目になるとは、思わなかった。

Norton System Works についてくる GoBack というソフト、システムの具合が悪くなったときに、それ以前の状態に復帰させてくれるという触れ込みだが、注意した方がいい。

以前、Windows 2000 を使っていた頃、この GoBack というプログラムには重宝した覚えがある。新しいプログラムをインストールして OS が不安定になったりしたときに、この GoBack を起動させると、調子の良かった時の状態に戻すことができるのだ。

このほど、System Works の新バージョンをインストールしたところ、この GoBack の新バージョンも、自動的にインストールされた。ところが、その直後から D ドライブが認識されなくなってしまった。フォーマットされていないので、フォーマットするかと聞いてくるのである。

とんでもない。私の My Documents は D ドライブに格納されていて、フォーマットなんかしてしまったら、全部消えてしまうではないか。バックアップは昨年のクリスマス頃にしたばかりだが、その後のファイルがみんな消えてしまうのは困る。

何の気無しに、「こんな時こそ GoBack を使おう」 なんて思って、30分前の状態に戻そうとしたのが、そもそもの失敗の元だった。まともに考えれば、GoBack をインストールした途端におかしくなったものを、GoBack 自身が修復できるはずがないではないか。

結果は、なんと再起動すらできなくなってしまったのである。

泣く泣く Windows の再インストールをしたのだが、結果、心配した C ドライブがすべてフォーマットされてしまうなんて事態になることもなく、自動的に修復インストールがされたようで、何のことなく再起動でき、D ドライブもきちんと認識された。

ここで試しに、GoBack を オンにしてみると、再び D ドライブが認識されなくなって、フォーマットするかと聞いてくる。今度はあわてることなく、粛々と、GoBack をオフにしさえすれば、D ドライブは元通りに認識される。

何だか知らないが、私のマシンと GoBack は、相性悪いようなのだ。一説によると、同じ Norton の Ghost が入っていると、おかしくなるという。だが、私のマシンには確かに Ghost が入ってはいるが、試用版で、とっくに期限が切れている。

Ghost をきちんと入れてしまうか、それとも、完全に削除してしまってから、また GoBack を試してみるか、何だか面倒なことになってしまった。どなたか、うまい解決策を知っていたら、教えていただきたいものなのである。

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2007/01/03

餅のリスクをマジで軽減せよ

一昨年の正月にも書いているのだけれど (参照)、餅というのは、とてもリスキーな食品であって、そのリスクを軽減するような試みが、もっと為されてしかるべきだと思うのだ。

東京都内では元日から 2日午後にかけ、、もちをのどに詰まらせて、老人 2人が死亡、7人が意識不明の重体になったという (参照)。

餅をのどにつまらせて大騒ぎになるのは、老人の中でも男の方が圧倒的に多い。元日付のニュースでは、東京消防庁によると、「70-90歳代の男性 7人と女性 2人の計 9人が病院に運ばれ、うち 5人が重体」 となっている。

男というのは、「おじいちゃん、もう若くはないんだから、お餅を食べるときは、注意してくださいよ」 と、家族に言われても、ついわしわし食ってしまって、「うっ!」 なんてことになりがちなのだなあ。私はまだ大丈夫だろうけど、今から食べ方に注意しておこう。

それにしても、たった 1日足らずの間に 9人も病院に担ぎ込まれて、5人が重体になり、 そのうち 2人が死んでしまうというのだから、正月の餅というのは、フグなんかよりもずっとリスキーな食品なのである。

これからますます年寄りが増え続けるのだから、正月の度に、餅をのどにつまらせた年寄りが何人も病院に担ぎ込まれるのは、避けられないことだ。だったら、どうして 「のどに詰まりにくい餅」 みたいな商品開発が行われないのだ。

少なくとも、小さく一口大に切った餅とか、粘着性が弱くのどに詰まりにくいバイオ餅とか (そんなん、あるかなあ?)、いろいろなアイデアがあっても不思議じゃない。

このままだと、そのうち市販の餅のパックには、「小さく噛みきって、よく噛んで呑みこまないと、窒息による生命の危険があります」 なんていう警告表示を付けなければいけない世の中になりそうだ。くわばらくわばら。

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2007/01/02

大晦日の K-1 は、もう見なくていい

本来なら昨日付で書くべきネタだが、元日用には 「予定稿」 があったし、元日にふさわしいとも思えなかったので、後回しにした。

何の話かと言えば、大晦日に行われた 「K-1 Dynamite」 についてである。まともな試合は、所 対 ホイラー の一戦だけ。ああ、「PRIDE」 が見たかったといっても、繰り言か。

とりあえず、金子賢 対 アンディ・オロゴン、曙 対 ジャイアント・シルバの 2試合は、金を取って見せるような代物じゃない。金子賢は、格闘技センスなさすぎ (あんなんだったら、私の 30代の頃の方が強かった)。曙の試合は、馬鹿馬鹿しいの一言。

チェ・ホンマン 対 ボビー・オロゴンは、マッチメイク自体が、バラエティ・ショーの発想。ウェイト差ありすぎという点では、永田 対 勝村も、勝村に気の毒すぎた。

明らかにトレーニング不足でバッド・シェイプだったのは、ニコラス・ペタスとセーム・シュルト (曙とシルバは、改めて言うまでもない)。もしかしたら、シュルトはもう下降線をたどってるのかもしれない。

砲丸投げ選手相手に、相手が疲れるまで手こずってしまったのは、武蔵。須藤元気はコンディションの悪さが見え見え (引退は無理もない) だったし、石澤常光は、相変わらず対打撃の防御ができてない。

山本 Kid と魔裟斗も、それぞれ、総合ルールと K-1 ルールで戦ったのだから、勝って当然の試合。

そして、最も後味悪かったのは、秋山成勲 対 桜庭和志のメーンイベント。桜庭のアピールした 「秋山の体、ぬるぬるやんけ」 疑惑は、今となっては検証の仕様がないが、確かに不自然な動きがいくつかあったということは、言っておこう。

普通、タックルを切るとき、下半身を後ろに引いてがぶるものだけど、あんな風に長靴でも脱ぐようにひょいと回ったりはしないだろうよ。そもそも、最初に秋山が道着を脱いだのはいいとしても、下の方まで脱いじゃって、その下から赤いトランクスが現れたのには、ちょっとしらけた。あそこで、何かあると思うべきだったかもしれない。

そして、確実に言えるのはレフリーの試合を止めるのが遅すぎ。ビデオで流された、山本 Kid 対 須藤元気の 「電撃的」 なまでのレフリー・ストップと比較したら、同じ団体の試合とは到底信じられないものがある。

あれで、「裏で何もなかった」 と言われても、にわかには信じられない。試合を裁いた梅木レフリーのブログは、完全炎上である。かばえないと思う。ただ、レフリーなんかよりもっと問題なのは、サダハルンバ谷川だと思うのだが。

見ようによっては、K-1 はなまじテレビ中継があるので、バラエティにしなければならなかったのかもしれない。その点、PRIDE はテレビがなくなって財政的には大変だろうが、コアなファンをメインに想定することができた。世の中、何が幸いするかわからない。

ただ、こんなことでは、せっかく盛り上がりかけていた総合格闘技も、プロレスの二の舞になってしまいそうで、ああ、本当に心配である。

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2007/01/01

亥年についてあれこれ

今年は亥年。猪の年である。「猪」 は本場中国では 「イノシシ」 ではなく 「ブタ」 のことらしく、そう言えば、本格的中華料理店のメニューで 「猪肉」 とあれば、それは 「豚肉」 のことだ。西遊記の 「猪八戒」 もブタだし。

しかし日本では、いつの間にか 「猪」 はイノシシということになってしまっている。

筑波大学附属図書館の 「中国三大奇書と受容 第4部」 というウェブページによると、日本で 「猪」 が 「イノシシ」 になってしまったのはかなり古い時代のことで、江戸時代の西川如見 『町人嚢』 巻三に次の記述があるという。

豬 ぶたのことなり。日本にてはゐのししといへり。誤なるべし。ゐのししは山豬 (さんちよ) といふもの也。十二支の亥 (ゐ) もぶたの事也。猪の字も誤なるべし。

江戸時代には既に、「猪」 が 「イノシシ」 ということになってから久しかったとわかる。それに、字も正しくは 「猪」 ではなく 「豬」 なんだってさ。ふぅむ。「豚」 の字の旁が、偏になるのか。(ただ、フツーは 「猪」 で通す方が紛らわしくないだろうから、そうする)

このウェブページでは、西遊記の猪八戒が正しくブタとして訳されたのは、昭和 6年の弓館小鰐訳 『西遊記』 (改造社・刊) が最初だとしている。ちょっとしたトリビアネタだ。ちなみに、沙悟浄が河童であるのは、日本の特殊事情らしい。(中国には河童がいないので)

ただ、干支の 「亥年」 に関していえば、日本では 「猪 = イノシシ」 のイメージが定着しすぎていて、いまさら 「ブタ」 だと言われても、修正はきかないだろう。亥年生まれの人に、いきなり 「あんたはブタ年生まれ」 なんて言ったら、ちょっと気の毒だ。

で、亥年になると、昔から 「今年の抱負は "猪突猛進" で事を為し遂げること」 なんてステロタイプなことを言い出す人がいて、私はちょっとしらけてしまう。

実際のイノシシは、猪突猛進というよりは、方向転換も得意で、かなり器用な走りっぷりをするらしい。そうだろうな。そうでなきゃ、日本の山の中ではそこら中、木に衝突してひっくり返ったイノシシだらけになってしまう。

ただ、「真っ直ぐに進む」 ということは、なかなか奥の深いところがある。『無門関』 という禅の公案集の第三十一則に 「趙州勘婆」 というのがあり、そこに出てくる婆さんは、ただひたすら、「まっすぐお行きな」 というばかりである。(参照

形の上での 「真っ直ぐ」 に囚われさえしなければ、「真っ直ぐな道」 というのは、実は 「自由自在な道」 なのかもしれないのである。

というわけで、今年の年賀状は、こんな具合になった。

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