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2007/02/27

「俺の身内を勝手に追悼するな」 という理屈

「靖国神社の合祀取り消し求め、韓国人が提訴」 というニュース (参照) は、なかなかビミョーである。諸々の政治的要素を差し引いて、核心部分まで突き詰めると、「俺の身内を勝手に追悼するな!」 ということだからだ。

少なくとも我が国には、「他人を勝手に追悼してはならない」 なんて法律はない。

良くも悪しくも、現在の靖国神社というところは、一宗教法人であって、国家に属する政治的な組織ではない。だから、A級戦犯が合祀されているのが気にくわないのなんのといっても、一宗教法人の裁量だから、過去のいきさつはさておいて、純粋に現在の法的視点からは、周りがどうこう言うような筋合いではない。

で、同様に、「お前が勝手に俺の身内を追悼するのは気に食わんから、するな!」 と言っても、「そうはおっしゃっても、追悼しないではこちらの気が済まないので、追悼させて頂いております」 と言われれば、それ以上は何も言えない。

世の中には、親の位牌を遺族の誰がもって供養するかでもめる (というのは表面上で、要するに、その実は遺産争いがほとんどのケース) なんてことがあるのだが、靖国神社の場合は、位牌やお骨を祀るわけでもなければ、お墓を建てるわけでもない。一律に玉串料を要求するわけでもない。ただ名簿に記して、追悼するだけのことである。

つまり、勝手に拝んでいるだけなのである。追悼したり供養したりするのは、する側の自由としか言いようがない。

例えば、殺人犯が刑務所内で、自分が殺した人間の供養のために毎日お経をあげ始めたからといって、遺族が 「親の敵に勝手に供養されるのは精神的苦痛だから、慰謝料寄こせ」 なんて訴訟をしても、通らないだろう。

追悼だの供養だのというのは、遺族だけに独占権があるわけじゃないのだ。そして、どんな流儀で追悼したり供養したりするかというのも、する側の裁量だ。坊さんが陰ながらクリスチャンの供養をするなんてこともあるし、坊さんの追悼を牧師がすることだってあるだろう。

要するに、追悼や供養をせずにはいられないという気持ちの問題である。

韓国の遺族としては、かなりむかっとくるほど気にくわないことなのだろうし、その気持ちもわからないじゃないが、法的にどうこうという次元の問題じゃないんじゃなかろうか。

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ニュース」カテゴリの記事

コメント

お邪魔します。がんなむぅです。

 それこそ、あまり大きな声では申しませんが、どう転んでも気に入らないということですかねぇ?

 ほっときゃほっといたで、「○×◎※△!!」と大騒ぎ…、(以下自粛)。


>法的にどうこうという次元の問題じゃないんじゃなかろうか。

 「遺族の心」を法律に訴えるとか訴えないとかは、習慣の違いかもしれませんし、民族として譲れないナントカがあるのかもしれませんし。

 何だか、ストレートな行動だったなぁ、と思うところで…。

 どうも今一つ、私自身が申し上げたいことが、実はまとまっておりません(ごめんなさい)。


 ただ、「中庸と受容」の心、韓国の先人から習ったことだったと記憶しておりますが…。

投稿: がんなむぅ | 2007/02/27 03:04

がんなむぅ さん:

>ほっときゃほっといたで、「○×◎※△!!」と大騒ぎ…、(以下自粛)。

遺骨返還の件ですかね? (以上、おっかなびっくりの補足 ^^;)

投稿: tak | 2007/02/27 09:23

そ、そうですね。(遠くを見ながら…)


調査団が、お寺の過去帳等をひっくり返しても、番地不明瞭な住所だったり、日本人名(!)での記帳だったりたり~…(以下自粛)

投稿: がんなむぅ | 2007/02/27 12:33

お久しぶりです。
冬眠から目覚めたところです。

ところで、私はご存じの通り、ほとんどのテーマに関しては庄内さんの森羅万象にわたるご意見に倣って(笑)同じうするものですが、こと靖国神社問題に関してはちょっとちがうかな?というところです。

そのポイントは
○ 心ならずも日本軍人として戦没した朝鮮人兵士としては、そのことだけでも不満でしょう。
○ 兵士をいっぱひとからげでに天皇の表彰神社である国家神道(であった)靖国神社に、その人間の属する宗教の如何を問わず、たとえ仏教者でも、キリスト教徒でも、自動的に合同的に祀ると言うのも、例え日本人でも良しとせずと言う者もいるはずです。
天皇が天皇のために死んでくれた兵隊を「ご苦労」と表彰する新興の国家神道の神社ですからね。
言わずもがなですが、主権在民とは正反対の、天皇絶対の旧憲法下でこそ意味のある設備です。
今は一宗教法人であるとはいっても、そんなものをそのまま、一宗教法人として継続させたことが間違いです。
もっとも新たに「新」靖国神社を建立することは勝手ですが。
○ 日本人は宗教に関して本格的な宗教心がありませんが、一般に宗教は人間の来世を決めるものでもあり、他宗教によって勝手に合祀されてしまうと大変なのでは無いでしょうか?「まあ、そのへんはどうでもいいじゃないか」というあいまいなものでは無いと思います。
○ 確かに法的根拠は無いと思いますが、逆にこの韓国人達は法的な審判を実際にはほとんど期待していないのであって、起訴はこういう諸点に関してのジェスチャー・メッセージなのだと思います。
○ 私が朝鮮人兵士の遺族であれば、やはり提訴するか?少なくともしたいと思います。

投稿: alex99 | 2007/02/27 20:54

alex さん:

ご無事でなによりです。
(一時は、本気で心配でしたよ ^^;)

>心ならずも日本軍人として戦没した朝鮮人兵士としては、そのことだけでも不満でしょう。

う~ん、心ならずもかどうかは、実は私もよくわかりません。
半島出身者が徴兵されるようになったのは、終戦の 1年前からで、時間的にも戦地に赴いて心ならずもの戦死をしたものはほとんどいないはずで、半島出身者で戦死したのは、志願して兵士になったものがほとんどだという指摘もあり、私としては、実際に検証していないので、なんともいえません。

>その人間の属する宗教の如何を問わず、たとえ仏教者でも、キリスト教徒でも、自動的に合同的に祀ると言うのも、例え日本人でも良しとせずと言う者もいるはずです。

追悼される対象の宗教によって追悼の仕方を変えなければならないとは、本文で書いたとおり、私は思わないのです。

追悼される者の宗旨によって方式を変えなければならないのであれば、大きな災害などにおける慰霊祭は不可能になります。

さらに、特定の宗教に携わるものは、他宗の人間を追悼したくてもできないということにもなります。

私は坊主の孫という血筋を引いており、仏教の家に生まれたものでありますが、もし異国の地で、何かの拍子に命を落とすことがあって、キリスト教とかイスラム教とかのやりかたで追悼してもらったとしても、迷惑だとは思わず、むしろ、ありがたいと思うことでしょう。

>言わずもがなですが、主権在民とは正反対の、天皇絶対の旧憲法下でこそ意味のある設備です。

それを言い出すと、あまりにも面倒くさくなる(議論百出で、いずれにしても結論にたどり着けない) ので、私はあえて、政治的モロモロを度外視して、無理やり的ではありますが、シンプルにして論じました。

>一般に宗教は人間の来世を決めるものでもあり、

私は決してそうは思いません。今生きている人間を、今救えないのでは、宗教の意味がありません。

>起訴はこういう諸点に関してのジェスチャー・メッセージなのだと思います。

その点に関しては、「そうなんだろうな」と理解できます。

いずれにしても、alex さんを追悼するなんてことにならずによかったです。^^;)

投稿: tak | 2007/02/27 22:04

今回の原告の趣旨からはちょっとズレるような気もするので一般論になってしまうんですが(実際、ご紹介の記事を読んで「追悼の自己決定権」って何さ、と思いました(^^;)、靖国神社に祀ることを「追悼・供養は気持ちの問題」と片付けられるかどうかは、ちょっと疑問があります。

「殺人犯が刑務所内で……」という喩えを出されていますけど、刑務所内で独り静かに念仏でも唱えているならともかく、この殺人犯が、追悼・供養の趣旨で手記を出版しようとか、あるいは極端な話、自分が殺してしまった人を供養する神社を建てようなんてことになったら、遺族が「そんなことはやめてくれ」と差止命令を求めるってのは「あり」だと思います。その「追悼・供養」がプライベートな「気持ち」の範囲に留まっているかどうか、という問題かな。

靖国神社は追悼・供養だけでなく「顕彰」の施設でもありますから(というかそっちがメインかな)、ますますやっかいなのではないかと。たとえばJCO臨界事故で亡くなった方を、東電あたりが「日本の原子力発展のために命を捧げられた方々」とか称して原子力発電の宣伝に使ったら、これは宗教云々以前に遺族は怒りますよね……。

投稿: やまべ | 2007/02/28 10:31

やまべ さん:

>実際、ご紹介の記事を読んで「追悼の自己決定権」って何さ、と思いました(^^;)

まあ、これはもう、おなぐさみとして… ^^;)

>靖国神社に祀ることを「追悼・供養は気持ちの問題」と片付けられるかどうかは、ちょっと疑問があります。

私は、かなり無理矢理に単純化した次元で話を進めましたが、確かに、その疑問が生じるのはわかります。
(だからこそ、あえて触れなかったのですがね ^^;)

>靖国神社は追悼・供養だけでなく「顕彰」の施設でもありますから(というかそっちがメインかな)、ますますやっかいなのではないかと。

追悼/供養と、顕彰の境目もかなりあやふやですが、それだけに、顕彰の意味が強いということは、当然にありますね。

それだけに (何が 「それだけに」だよと、セルフ・ツッコミを入れつつ ^^;) 、私は靖国の問題は、何が正しいか、正しくないかとか、何が善いか、悪いかとかの視点で論じるのは避けたいと思っています。

しっくり来る/来ないの、感性の問題になっちゃってるところもあるし。

投稿: tak | 2007/02/28 21:01

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