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2007/02/05

わかってる人だけにわかりやすい敬語分類

文化審議会の敬語に関する答申 (参照) が話題になっている。従来 3分類だったものを 5分類にした中身をみると、一応なるほどと思う。反対する理由はあまり見当たらない。

しかし、積極的に賛成する理由も見当たらない。再分類したからといって、敬語教育が格段にやりやすくなるとも思えない。

基本的なことを言えば、新しい分類はなかなかうまく辻褄が合っていると思う。謙譲語を 2種類に分けているところなんか、一応理屈が通っていて、(その理屈に沿う限り) 破綻はあまりみられない。

しかし、理屈が通っていて破綻していないからといって、フツーの人に説明しやすいとか理解させやすいとか、はたまた、実際の場面で使いやすいとかいうことには、直接つながらないのが面倒なところだ。

はっきり言ってしまえば、わかってる人からみれば 「なかなかうまくできた分類」 だが、わかってない人にとっては、「ますますわかりにくい分類」 になった。そして、従来、ある意味では便利に使っていた 「あいまいな敬語」 (端的に言えば 「ごまかし敬語」) を、使いにくくするものだ。

つまり、新分類は、わかってる人がすっきりした気分になるためのもので、わかってない人をわからせるための分類とは言えず、かえって混乱を呼びかねないものになったと思う。

基本的な敬語教育をする分には、従来の分類で十分だと思うのだよね。

もっと端的に言えば、やっぱり、分類は単純な方が望ましい。細分化すると、ティピカルな要素はかなり気持ちよくすっきり収るが、必ずどれにも当てはまらない要素が生じる。で、それらをすっきりさせるために、より細分化した項目を作ると、どれにも当てはまらない要素はさらに増えてしまう。

今回の分類でいえば、例えば、謙譲語 1 の 「申し上げる」 と 謙譲語 2 の 「申す」 なんか、かなり微妙だ。典型的な用法のみを考えれば、確かに明確に分けられるが、実際に使われる場面では、どちらとも言えず錯綜するケースも出てくるだろう。

机上の計画ではかなりすっきりしていたプランが、実際の運用の場面になると、かえってやりにくくてたまらないということは、この世の中にいくらでもある。むしろ、理屈だけですっきりさせすぎると実際には使いにくくなるというのは、経験則から自信を持って言える。

「あいまいでその場しのぎ的な敬語表現なんかするな」 ということなら、それはそれでいいのだが、浮き世のしがらみに縛られると、敬語の多くは 「あいまいな場面」 で、「その場しのぎ的」 に使う必要があったりするのだよ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

丁寧語だけにしたら日本語もわかりやすくなると思いますが、

それより変な和製英語やめてほしい。

外国に行っても通じない英語を使うなって><

投稿: アンジェロ | 2007/02/05 22:43

アンジェロ さん:

変な和製英語と、ちゃんとした英語の区別が、きちんとついてないんですよね。
不肖私も、「え? これって和製英語だったの?」 と今さらながら恥かいちゃうこともあります。

投稿: tak | 2007/02/05 23:32

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