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2007/06/22

十牛図解釈

「十牛図」 というものをご存知だろうか。なんでも、臨済禅の奥義を、牛に譬えて示したもので、私なんか、口開けっ放しで呆然としてしまうほどの、深い深いものなのである。

ウェブの世界でも、これについて解説したサイトがいくらでもあるので、興味があれば、辿ってご覧いただきたい (参照)。

十牛図に関しては、以前からとても興味をもっていて、私の本宅サイトのリンクページからも、リンクを張ってある (参照)。

十牛図は一口にいうと、悟りを得ようと志すという初歩のレベルから、もはや 「悟り」 と呼ぶすらおこがましいほどの最高の境地に至るまでを 10段階に分け、牧童が 「牛」 を求めるというメタファーで図示したものだ。

で、あんまりくどくど言ってもしょうがないので、私なりのごくごく初歩的な解釈を、以下に述べようと思う。(「私なり」 なんて言ってるうちは、しょうがないんだけれど)

 壱 「尋牛 (牛を尋ねる)」
  俺だって、悟ってみたいんだもんね。

 弐 「見跡 (牛の足跡を見つける)」
  悟りの糸口が見つかったかもしれんもんね。

 参 「見牛  (牛の姿がちらりと見えた)」
  悟りってどんなもんだか、おぼろげに見えちゃった気がするもんね。

 四 「得牛 (牛を捕らえた)」
  本当に、ちょっぴり悟っちゃったかもしれないもんね。

 五 「牧牛 (牛を飼い慣らした)」
  かなり悟っちゃったような気がするもんね。

 六 「騎牛帰家 (手なずけた牛に乗って家に帰った)」
  もう、本当に深く悟っちゃったもんね。

 七 「忘牛存人 (牛を忘れた)」
  悟りなんて、忘れちゃったもんね。      

 八 「人牛倶忘 (牛も自分も忘れた)」
  悟りを忘れちゃったことも、忘れちゃったもんね。

 九 「返本還源 (もとに返る)」
  もう、「そのまんま」 だもんね。

 十  「入鄽垂手 (いい気持ちで市場に行く)」
  周りと一緒に上機嫌だもんね。

ということになる (んじゃないかなあ)。

つくづく、すごいなあと思うのは、「本当に深く悟っちゃったもんね」 というのが、10段階のうちの、たかだか 6番目の段階でしかないということだ。「悟った」 と満足している自分なんてものがあるうちは、まだその程度のものらしいのである。

で、悟っちゃったことなんか忘れてしまって、その忘れたことすら忘れてしまうという、かなり幽玄の境に入っても、まだ 8番目の段階である。奥はさらに深いのだ。

その奥というのは、「そのまんま」 ということ、つまり本源の自己にまっとうに立ち返り、そうなってしまうと、しまいには、別に寺に籠って修行なんてしなくても、酒瓶を腰にぶら下げて、上機嫌でスタスタと市場に行って、自由自在に楽しんでしまうんだそうだ。

最終段階に入ってしまうと、傍目には悟った聖者だか、ただの酔っぱらいだか、わかったもんじゃないが、それでも、そんじょそこらのおっさんとは、わけが違うのだろうなあ。どこが違ってるんだか、わからんけど。

一つだけ言えるのは、本当に最終段階に入ってしまうと、それは単に自分だけの境地ではなくなってしまうようなのだね。

もっときちんと学んでみたいという方は、こちら へどうぞ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

なんとなーく、悟りについてわかったような気がしました。

牛の足跡くらいは見つけたかな?

投稿: 宗光 | 2007/06/22 12:39

宗光 さん:

私なんか、悟る前から忘れ放題ですからね (^o^)

投稿: tak | 2007/06/22 16:35

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