打ち水に水をさすとは水くさい
今年の 「打ち水大作戦」 は、二十四節気の処暑にあたる 8月 23日をもって閉幕したが、 JANJAN で上岡直見さんという方が、この 「打ち水」 に散々水をさしておられる。
打ち水記事ならぬ、水さし記事は、"「戦車に竹槍」 を想い起こす倒錯の 「打ち水大作戦」" と "「打ち水」 より 「昼寝」 にしたら?"
上岡さん、こういう情緒から発した根拠の薄い運動みたいなものはかなりお嫌いのようで、「打ち水大作戦」 は非合理な精神論だとか、トンデモ科学みたいとか、かなりシニカルかつアグレッシブに批判しておいでだ。
私なんか、実際に暑いときは風呂の残り湯やエアコンから出た水で打ち水をしているし、そうすれば、確かに一時的ではあるが、そして、もしかしたら気分の問題の方が大きいのかもしれないが、確かにちょっとだけ暑さが和らげられることを、体験的に知っている。
個人的に打ち水をするのは、なにも大それたことを思っているわけじゃなく、ほんの局所的に、ウチの玄関先だけ、庭先だけ、一時的にでもちょっとだけ涼しくなってくれればありがたいという、それだけのささやかな行為なのである。
別に、竹槍のごときバケツ一杯の水で、真夏の太陽に玉砕攻撃をかけようなんてことは、つゆほども思っちゃいない。
そういうわけだから、「まあ、気分の問題なんだから、いいじゃん」 と思っていて、打ち水大作戦にもおおむね好意的なのである。3年前には、「呼び水人」 登録 (最近は 「打ち水人」 というのね) までしたしね (参照)。
一方、上岡さんは 「実質的な効果のない、精神論的な環境活動が奨励される結果、誤った知識が広まり、実効のある環境対策への関心が妨げられている」 と指摘しておられる。
しかし、打ち水をするフツーの人間は、私を含めて、どうせそこまで厳密なことなんか考えてないと思うがなあ。「打ち水こそ最高の真理」 とばかり信者を洗脳する 「打ち水教」 に入信したというわけでもあるまいし。
逆に、どちらかといえば、「打ち水大作戦」 への参加が、より 「実効のある環境対策への関心」 をトータルな形で呼び覚ます契機になるという効果の方が、少しだけ高いような気もする。
というわけで、あんまりマジにアグレッシブな態度で水をさすのは、ちょっと無粋かなと思ってしまうのだね。
で、今日のエントリーのタイトルは、川柳である。
打ち水に水をさすとは水くさい
まあ、あんまり大袈裟にイベント化してしまうと、かえってエネルギーを使って暑苦しいとかいうのもわかるので、私も最近は 「打ち水人登録」 なんてしてないが、「打ち水」 そのものにまで水をさそうとは思わないのである。
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コメント
お邪魔します。がんなむぅです。
古来、日本の家先で行われていた「打ち水」は、自家の涼を望むのとどまらず、コミュニティーでの息災の合図と、「暑いですねぇ」の挨拶の一部と学びました。
そういった、いわば過去のしがらみを“無駄”と切り捨てられる人には、もしかしたら(←ここ強調)、情緒って、ない…?
投稿: がんなむぅ | 2007/08/27 02:47
がんなむぅ さん:
>古来、日本の家先で行われていた「打ち水」は、自家の涼を望むのとどまらず、コミュニティーでの息災の合図と、「暑いですねぇ」の挨拶の一部と学びました。
私、自分の玄関先、庭先を涼しくすることっきり念頭にございませんでした。
志の低さ、反省です。
とはいいながら、実際にやってると、自然に隣近所とのコミュニケーションになってますね。
これからは、きちんと意識します。
>そういった、いわば過去のしがらみを“無駄”と切り捨てられる人には、もしかしたら(←ここ強調)、情緒って、ない…?
「もしかしたら」、ね。
投稿: tak | 2007/08/27 10:56