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2007/10/26

「諦める」 を巡る冒険

「NHK 短歌」 という雑誌に、歌人の藤井常世さんが 「諦める」 という言葉の原義について書いておられる。

「諦める」 の元々の形は 「あきらむ」 で、『古語大辞典』 を引くと 「明らむ」 の表記はあっても、「諦む」 はないそうだ。どうやら、「ギブアップ」 するということとは違うようなのだ。

「明らむ」 の意味は、(1) 目で見てはっきりさせる、十分に見定める (2) 明るくする、晴らす、さっぱりさせる (3) 事情や理由をはっきりさせる (4) 事情や理由を説明する、弁明する、などとあるそうだ。私は古語大辞典を持ってないので、孫引きだが。

私のもっている三省堂の 『例解古語辞典』 には、(1) はっきりと見る。明らかに見きわめる (2) 物事をはっきりさせる (3) 心をさばさばさせる (4) 道理などをよくわきまえる とある。3番目の 「心をさばさばさせる」 には、なるほど、すっぱり諦めてしまうのが一番のような気もする。

後世になって、「あきらむ」 に 「諦む」 の字を当てて、ギブアップしちゃうという意味をもたせたのは、もしかしたら、仏教哲学の影響かもしれない。仏教では 「四諦」 が悟りの第一歩のように言われている。人間存在の道理を明らかにすると、現世的欲望は諦めることになるのだ。

現代では 「諦める」 というのは非常にネガティブなこととされていて、成功を勝ち取るためには、「ネバー・ギブアップ」 というアティテュードがとてもポジティブで望ましいということになっている。

しかし、それとは対極的で、しかも非常に深遠な価値観というものがあるのだということを、我々はしっかりと認識しておいた方がいい。「ネバー・ギブアップ」 は、それはそれでとても大切なことだが、奥底のところできちんと 「あきらめ」 がついていないと、人間は薄っぺらになる。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

適当な段階であきらめるのが好きです。
サバサバと。

Never give up って、星野・元阪神監督がよく言っていましたが、あの人の「お人柄」を連想するせいか?なんだか、うっとうしいような。
それに、人に強制するようなニュアンスを感じます。

自信過剰で、当たりの強い人は、あまり好きじゃないんです。

投稿: alex99 | 2007/10/26 01:35

alex さん:

>自信過剰で、当たりの強い人は、あまり好きじゃないんです。

そういう人って、まず話が合いませんからね ^^;)

投稿: tak | 2007/10/26 11:26

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