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2008/01/23

プラシーボとしての水伝

近頃ブロゴスフィアでは、またぞろ 「水からの伝言」 が大きなトピックになっているようで、驚いてしまった。なんだか時間が逆戻りしてしまったような錯覚すら覚えてしまう。

こんなの、むきになって言い合うような問題じゃないと思うのである。「科学じゃない」 というのは、既に大方のコンセンサスのようだし。

言葉をかけたぐらいのことで水の結晶が影響を受けるなんてことは、そりゃあないだろう。精神世界大好きの私だって、そのくらいの分別は持っている。しかしその一方で、そうしたファンタジーを馬鹿馬鹿しいと切り捨てるつもりもない。

そうしたファンタジーを作り出したり信じたりし、さらに、それによっていい心持ちになってしまったりする人間の心理というものを、無闇に否定するよりも、むしろ、人文学的興味の対象として捉えたいと思うのだ。

私自身、あくまでもファンタジーとして、さらに仮定法に則って、「もし本当にそうだったらおもしろいかも」 ぐらいのことは、ちょっとだけ思ったりしないでもない。仮定法をかなぐりすてるほどの勇気はないけれど。

世間では、仮定法なしでもろに信じている人が結構多いのが問題視されているのだけれど、個人的なファンタジーとして楽しんでいる分には、私は放っておいてあげたいのである。彼らが科学の常識に対して、牙を剥いて総攻撃をかけてきているわけでもないのだし。

それに、彼らがどう信じようと、科学的法則そのものが変わってしまうわけでもないのだから、その点に関しては安心していい。

私としては、こういうのは 「心の安定のためのプラシーボ (偽薬)」 だと思っている。小麦粉を腹痛の特効薬だと思い込ませて飲ますと、本当に治っちゃったりするようなもので、「水伝」 を信じて、常に感謝の思いで心の平安を得て、安らかな生活を送れるというのなら、それはそれで、そっとしといてあげたいと思う。

私にとっては、大学受験に天神様のお守りをぶら下げていく受験生をほほえましく思うのと、大差ないことである。

とはいえ、水伝の類をあまりにも狂信的に世の中に広めようというのは、かなりうっとうしいし、困りものだ。ただ、それは水伝に始まったことじゃないし、世の中にはもっとずっと困りもののカルトがいくらでもある。その意味では、水伝なんてまだ罪が軽い方だろう。

しかしながら (「とはいえ」、「ただ」、「しかしながら」 と、"however" を 3つも続けるレトリックは、我ながら心苦しいが)、学校の教師が授業で水伝をもっともらしく教材にするというのは、やはり止めておいてもらいたいとも思う。

ちょっと話はずれるが、常に感謝の思いで道具や機械を使うと、故障や不具合が減って長持ちすることがあるというのは、経験的に本当のことである。しかしそれは、そうした気持ちで常日頃から大切に使うからであって、人間の思いが直接機械に働きかけて性能を上げるというわけじゃない。

感謝の言葉をかけた水を飲み続けて健康になったという人がいたら、それは、いい結晶になった水のおかげというより、そうした自分の心持ちのおかげで、過剰なストレスが軽減されたせいなのだろう。それは、科学的にも十分にあり得る。

水に自分の心持ちを投影することで (あるいは投影できるというつもりになることで)、望ましい方向にセルフコントロールできるとしたら、とてもお手軽で有効なことだと思う。「非科学的だ」 という理由で、そうしたツールを取り上げようとするのは、ちょっと野暮かもしれない。

水伝の 「プラシーボ効果」 の方を、科学的な視点で事例研究してみるというのも一興かも知れない。やり方は結構難しいだろうけど。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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世間話」カテゴリの記事

コメント

野暮な奴と思われるでしょうが、「水からの伝言」をおおらかな心で受け入れることは私にはできません。
単にきれいな写真として楽しんでる分には問題ありませんが、道徳と「水の結晶」を結びつけるのは有害無益としか思えません。
「水伝」はプラセボというより祈祷師とか拝み屋の類でしょう。病気になったとき医者に行かず(あるいは医者の言うことを無視して)拝み屋に頼る人が増えるのは問題です。

それにしても、明治時代じゃあるまいし21世紀のネットで「迷信排除」を呼びかけなければならないとは悲しいことですね。

投稿: 玄倉川 | 2008/01/23 01:25

しつこいようですがコメントの追加をお許しください。

「水伝」が見すごせないのは、さまざまなインチキ商売の種になっているからです。
「水伝」は「波動ビジネス」(量子力学とは無関係なオカルト)や「水商売」(高価な浄水器とか「波動水」)の親戚であり、水伝に心惹かれた人はそういったインチキに引っかかる可能性が高い。美しい「水の結晶」写真はカモを集めるための撒き餌なのです。

「波動」系水商売を斬るー量子力学の正しい理解のために
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/appendix/app30.html

「水伝」は天神様のお札のようなかわいらしいものではありません。その危険性をもっと世間に知らしめる必要があります。
それこそマスコミが「飲酒運転批判」や「食品偽装批判」と同じくらい「ニセ科学批判」をしてほしいと思っています。

投稿: 玄倉川 | 2008/01/23 07:10

水は宗教に縁が深いですね。
水がきらいな人はいないから。
水飲めないって人いないですもんね。
水は神秘的です。
だけど、水は水。
水道水を「聖水」として高い値段で売ってたりするのをみると、ものにはほどほどというのがあって、10円20円なら罪もないと思いますが。
この「科学」を偽装した「カルト」はヤバイと思います。
宗教の嘘は、バレバレなのがいいんだと思いますが。

投稿: osa | 2008/01/23 09:26

玄倉川 さん:

>道徳と「水の結晶」を結びつけるのは有害無益としか思えません。

この件について、「有害無益」 とまで言い切る度胸は、残念ながら私にはありません。

>病気になったとき医者に行かず(あるいは医者の言うことを無視して)拝み屋に頼る人が増えるのは問題です。

私個人としては、結果的に病気が治りさえすれば、医者だろうが、拝み屋だろうがどっちでもいいという考えです。元々、医者嫌いですので ^^;)
(もちろん、拝み屋に頼ったために、重大な病気の発見が遅れるというのは困りますので、人には 「医者に行った方がいいよ」 と薦めますし、私もさすがに拝み屋には行こうとは思いません。ただ、私が病気になった場合、平癒を祈ってくれる人がいたら、それはとてもありがたいと思うし、治りが早くなるような気がします)

>それにしても、明治時代じゃあるまいし21世紀のネットで「迷信排除」を呼びかけなければならないとは悲しいことですね。

でも、迷信って、なかなか面白いものもありますよ。私個人としては、フォークロア資産として大切に保存したいです。

>「水伝」が見すごせないのは、さまざまなインチキ商売の種になっているからです。

この点に関しては、私も本文で 「水伝の類をあまりにも狂信的に世の中に広めようというのは、かなりうっとうしいし、困りものだ」 と書いています。これ以上しつこく書かないのは、私が書くまでもなく、いろいろな人が書いてくれているからです。

「波動ビジネス」 については、私もインチキだと思います。ただ、多くのビジネスというのは程度の差こそあれ、どこかに 「インチキ性」 は潜んでいるとも思っています。

それから、水伝を信じる人は、ただ、「ありがとう」 と声をかけて水道水を飲みさえすればいいので、それ以上に高い金をかけて変な水を買うというのは、まあ、自分じゃ金輪際水に声をかけたくないか、水伝に限らず、基本的にだまされやすい人ですね。

>それこそマスコミが「飲酒運転批判」や「食品偽装批判」と同じくらい「ニセ科学批判」をしてほしいと思っています。

マスコミって、そんなに期待されるほどのものじゃないですよ。基本的に客商売ですし、狂信者から抗議の電話が殺到しそうな、リスキーでうっとうしいキャンペーンは、現時点では張りたくないんでしょう。ゴシップ週刊誌なら別ですが。

投稿: tak | 2008/01/23 10:49

osa さん:

>この「科学」を偽装した「カルト」はヤバイと思います。

まったく同感です。

投稿: tak | 2008/01/23 10:51

「現代科学では説明できない神秘」って位置付けにしておけばよかったものを、実験で証明されたとか学会で発表したとか、あたかも科学であるような体裁を繕おうとするから問題になるんですよね。件の「水」を批判する人が宗教や迷信全般に対して攻撃的なわけではないだろうと思います。

要は、私が愚にもつかぬ主張をしていたところで放置されるだけだが、「takさんも同じように主張ているとおり」となどとよけいなことを付け加えれば、takさんにご迷惑がかかるかも、という話ではないかと。

投稿: 山辺響 | 2008/01/23 13:34

山辺響 さん:

なるほど。
科学を巻き添えにしちゃったというわけですね。
わかりやすいメタファーに感服。
科学が怒るのは、無理もないと。

投稿: tak | 2008/01/23 14:05

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