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2008/02/27

「ありがとう」 を言うナルシシズム

あちこちで 「ありがとう問題」 が盛り上がっていて、私まで先日一言書いてしまった (参照) が、他にもちょっと面白い指摘がある。

"店員に対して 「ありがとう」 を言える自分って、カッコいい!" と感じるナルシシズムが、底流にあるんじゃないかというものだ。うん、これって結構言えてるかもしれない。

先日のエントリーにも書いたが、私自身、結構気軽に 「ありがとう」 を言う人である。そして、言われてみれば、「ありがとうを言える俺って、かっこいいかも」 という感慨が心の奥に存在することは、決して否定できないと思う。

だが、あまりこの感慨にこだわって、私を 「やらしいナルシスト!」 みたいに思わないでもらいたい。確かにそんなような感慨がなくもないことは認めるが、私がよく 「ありがとう」 と言う主な理由が、ナルシシズムというわけじゃないのだ。

別に 「ありがとう」 の言葉を発するたびに、ナルシシズムに酔っているわけじゃない。一応、ちゃんと感謝し合える方が当たり前だし、気持ちいいよねということで、自然に身に付いているという感覚の方がずっと勝っている。

だが、「その当たり前で気持ちいい社会を作るために、率先垂範して自然に身につけた俺って、かっこいいかも! と思ってるんじゃないの?」 とまでからまれたら、「はいはい、おっしゃる通りですよ。そんな感覚だって、確かになくはないですよ」 と言うしかない。

で、その上で言うのだが、人間、「かっこいい」 と思えることをしたくて、「かっこ悪い」 ことはしたくないのは、ごくフツーのことなのである。大抵の行為は、ちょっとしたナルシシズムから発するといってもいいぐらいのものだ。

そりゃ、何かするたびにナルシシズムに酔いまくられたら、周りの人間は付き合いきれないが、それをきちんと昇華した行為なら、ちゃんと好意的に受け止められるものだ。

中年過ぎてハーレイ・ダビッドソンを乗り回すナルシシズムと、店員に 「ありがとう」 というナルシシズムは、根っこの部分で似ていると私は思う。で、私は多くの中年ハーレイ・ライダーたちの、マナーの良いライディングを好ましく見ている。

ハーレイ・ダビッドソンの、あの一見押し出しの強すぎるデザインと、ライダーたちの好ましいマナーが補完しあって、「あいつら、目立ち過ぎといえばいえるけど、でも、存在としてはなかなかいけてるじゃん」 と、思わせてしまうところがある。

そうしたような感慨も含めて、相手と時と場所に応じて、感謝の言葉のバリエーションを上手に使い分けられるようになりたいと思うのだ。変な言い方かもしれないが、ハーレイ・ライダーたちの外見よりも自然にね。

そうすれば、ひょっとして 「ありがとう」 が気に障るかもしれないというようなケースでは、ごく自然に、あっさりとした 「どうも」 だけで済ませられるようになるだろう。さらに、ちょっとした表情と軽い会釈だけで、十分に感謝の意を伝えられる達人になれるかもしれない。

そのレベルまで到達するには、ちょっと人生経験が必要で、ぎこちない時期が長く続くかもしれないけれど、それはそれで、見習い期間として認めてあげるという共通認識が必要だと思う。なにしろ、"日本語の 「ありがとう」 は難度が高い" のだから。

だから、「ありがとうが大嫌い」 なんて、あまり声高に言わないでねと、お願いしたい。ちょっとキザに聞こえる見習い期間の 「ありがとう」 も、そのうち身に付いて、自然に聞こえるようになるだろうから。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

「ありがとう」を乱発して、ありがたみがなくなるという懸念…。
 なるほどと思います。そうなるとアタクシは『ありがとう乱発の軽薄野郎!かっこつけちゃって!』という位置づけですなぁ。

 単なる“記号”としての挨拶(ありがとうとか)に終始してしまえば、形式的、機械的な挨拶が繰り広げられ、言葉を交わす本来が失われてしまいます。

 『せめて、形式的でも構わないから、挨拶しようよ!』という御仁の多いこと…(絶句)。→ただ、形式的にしか挨拶しないヤツもムカつきますが…。


 時代が、挨拶の本来を必要としなくなってきたのでしょうか?
 記号の如きの言葉が、活躍しているみたいですから。

 「KY」って、何?

投稿: オッチャン | 2008/02/27 12:33

私もコンビニでもスーパーでも、レジの時はありがとうって言う派ですね。
まぁ意識してナルシーな訳でもないですが(笑)
どちらかと言うと、そこで言わない俺って格好悪くね?って気持ちが強いかな。

格好良くありたい、よりも、格好悪いのは嫌だ!
という、言ってみればいい格好しいが根底にあるかも。

でもまぁ、「ありがとう」だとか「ごめんなさい」が言えるほうが自分で自分が好きになれそうじゃないですかw

カタチから入って行っても「ありがとう」と繰り返していくうちに、だんだんココロもついていくかもしれませんし。

投稿: きんめ | 2008/02/27 14:28

オッチャン:

形式的でもいいから、あいさつはないよりあった方がいいと思いますよ。

オール・オア・ナッシングじゃなくて、

心のこもった挨拶>形だけの挨拶>崩れた形の挨拶>なんにもなし

って感じかも。

心がこもってれば、多少形が崩れてても許せるし、そもそも、心がこもってると、形もそんなには崩れにくいでしょ。

逆に、「心だけで形に全然表れない」 ってのはあり得ない気がします。

投稿: tak | 2008/02/27 19:45

きんめ さん:

>でもまぁ、「ありがとう」だとか「ごめんなさい」が言えるほうが自分で自分が好きになれそうじゃないですかw

まさに、それですね。

>カタチから入って行っても「ありがとう」と繰り返していくうちに、だんだんココロもついていくかもしれませんし。

だいたい、表現ってのは何でもカタチから入りますよね。
中身はだんだん豊富になっていくもんです。

投稿: tak | 2008/02/27 19:48

ありがとうって記号の如く使う?
ちょっと私には考えられない事です。それに、カッコ良い悪いというのにも結びつかない私の中の「ありがとう」たしかに見下ろすような感じで言う「ありがとう」もあるでしょうが、ありがとうは、ありがとうございますという気持ちから自然に発せられる言葉。

オアシス運動などという常識以前の事をデカデカと張り出してる企業などを見ると、ここの従業員はそんなに質が低下してるのか?と疑問になってしまいます。それも、商談ルームや応接室に掲示してある場合には、本当、その会社の体質を疑いますよ。

コメント中の「KYって何?」という部分ですが、職業柄、「危険予知」というアンサーになってしまいます。建築現場などでは、毎朝、朝礼の後に各自、作業中に起こるであろう危険な状況を想定して事故防止に努めてますが、それを、KYTと言ってます。K(危険)Y(予知)T(トレーニング)・・・なんで、KYTのTだけ英語なんでしょう。私ならKYK(危険予知訓練)としたいが、ゼネコン・サブコン、その他諸々、KYTという事で統一?されてるようです。

あぁー、今日もまたKY(空気読めない)なコメント?

投稿: やっ | 2008/02/27 20:32

やっ さん:

>ありがとうって記号の如く使う?

英語の "thank you" って、時々そんな感じがしてしまいます。ルーティン化しすぎてて。

それが嫌さに、"thaks a lot!" なんて変化技に出ても、またまた形骸化してしまったりして。

「オアシス運動」 って、初めて知りました。でも、「お早う」「ありがとう」「失礼します」 「すみません」 だってすぐわかっちゃうところがすごい ^^;)

でも、料理の 「さしすせそ」 の方が役に立ちそう。

そして、建築業界の KY の方が、ずっと使い道ありそうですね。

投稿: tak | 2008/02/27 20:48

いつも楽しく拝見しております。
店員に対して、僕は必ず「ありがとう」と言うのですが、微妙に他の「ありがとう」派(?)とは違うようです。

僕は商売って言うのは基本的に等価交換だと思っています。
店は物やサービスを提供し、客はお金を出す。

だから、チャラです。
どっちが上とかって無い、物々交換と基本的に変わりません・・・と、これが僕のスタンスです。

客が「ありがとう」と言うのがおかしいのであれば、店員が「ありがとう」と言うのも同じようにおかしい。
客がいるから店を経営出来るのと同じように、店があるから客は自分の欲しいものを購入できる。
だから、単純にありがたい。

仮に相手に嫌がられたとしても「ありがとう」と言い続けるでしょう。
自分の気持ちを殺してまで相手に受け入れてもらう必要性は感じません。
そこまでセルフイメージは低くはないです。
自分の気持ちを表現するのは自分自身の問題であり、相手がどう受止めるかは相手の問題。
だから、その気持ちの処理を自分自身でする分には、どう受止めるのも自由だと思います。

いずれにしても、色々な考え方の人がいるから面白いんですね。

投稿: なおと | 2008/02/28 16:19

なおと さん:

店と客がチャラであるということには、同感です。

田舎で商売をしていると、自分の店のお客が、自分が買いに行く店の店主だったりして、どっちが客でどっちが店という概念が希薄だったりします。

だからこうした場合は、ごくごく自然に、どっちも 「ありがとう」 なんですね。

田舎のお店同士じゃなくても、回りまわってもちつもたれつですから、商品やサービスの交換に 「ありがとう」 がついて回るのはとても自然だと思います。

ただ、どうせ言うなら、相手に受け入れられやすい形で言うのも親切ってものだと思います。
「親切なありがとう」 って、「フツーのありがとう」 よりまた格別にいいかも。

投稿: tak | 2008/02/28 21:59

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