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2008/12/16

クロスジェンダーを巡るさらなる冒険

五木ひろし版 「テネシーワルツ」 のチョンボ について最初に書いた時は、「スタッフの誰か一人ぐらい、間違いに気づいてほしかったなあ」 ぐらいの軽い気持ちだった。

ところがそこから、CGP (クロスジェンダー・パフォーマンス) なんていう話になり、日本独特の文化にまで話が飛躍してしまった。

どのくらい日本独特かというと、英語のスタンダード・ナンバーを歌う場合、歌い手のジェンダーによって歌詞に出てくる三人称のジェンダーを勝手に変えていいのかといった疑問のコメントが、いくつか寄せられたことでもわかる。

日本では、先だっての森進一の 「おふくろさん」 事件があったりしたので、「著作権の同一性保持権」 の観点から、問題にならないのかという心配をする向きもあった。

結論。全然問題にならないのである。むしろ、歌詞のジェンダーを変えない方が問題視されるだろう。というか、変えるのがあまりにも当然なので、変えないで歌うなんていう発想すらないだろう。敢えて変えないで歌ったりしたら、「キワモノ」 扱いになるだろうと思う。

例えば "Yesterday" の原詩のサビの部分、"Why she had to go, I don't know, she would't say" (なぜ去らねばならなかったのか、彼女は言わないだろう) を、女性歌手が "she" のまんまで歌ったとしたら、ポール・マッカートニーは自分の作った歌がレスビアンの歌にされてしまったような気がして、むしろ驚いてしまうだろうと思う。

何度も書いているが、「テネシーワルツ」 の本家本元みたいに思われているパティ・ペイジのバージョンでは、"I introduced her to my loved one" と歌われている部分を、男性歌手が歌うとごく当然にも、"I introduced him..." に変わる。そうしないと、「ふざけてオカマの歌にしてしまってる」 なんて思われるだろう。

五木ひろしのように、おふざけではなく、いかにもシリアスに "I introduced her to my loved one" と歌われると、今度は 「気持ち悪い」 ということになる。だから私は、聞いた途端に 「ぞくっ」 としたのである。

とにかく、そういう文化の違いがあるということなのだ。欧米人はむしろ、日本の男性歌手が女言葉で女心を歌うという、クロスジェンダー・パフォーマンスが、決してパロディやアンダーグラウンドではなく、表舞台でシリアスに行われているということの方を珍しがる。

例えば 「ホテル」 (作詩:なかにし礼 作曲:浜圭介) という歌がある。立花淳一という男性歌手が女言葉で女心 (妻子ある男への切々たる恋心) を歌うという、典型的なクロスジェンダー・パフォーマンスだ。この歌に次のような歌詞がある。

ごめんなさいね 私 見ちゃったの
あなたの黒い電話帳
私の家の電話番号が
男名前で書いてある

かなり前のことだが、この歌を聞いた米国人の友人 (日本語がかなりイケる) が、私に 「日本では、どうして男の歌手が女の歌を歌うのか?」 と、素朴な疑問をぶつけてきたことがある。

私は当時、「クロスジェンダー・パフォーマンス」 についての十分な答えを用意していなかったので、苦し紛れに 「この歌の主人公は、実はゲイで、電話帳に書いてあった男名前は、そいつの本名なんだよ」 と答えておいた。

彼は 「ジョーク以上の意味を含んだ、素晴らしい答えだ!」 と、大喜びしていた。「ボクが日本の伝統的文化について質問しても、大抵の日本人は 『わからない』 『知らない』 としか答えないけど、tak は一度も 『知らない』 と言ったことがない」

かくも過分に褒められたせいで、私は 「クロスジェンダー・パフォーマンス」 という言葉は知らなかったけれど、これが日本の伝統文化に連なる独特なものだと思い至ったのである。

日本には文楽という芸能がある。人形芝居に合わせて太夫が義太夫節を語る。そして、女の登場人物のセリフの部分は、急に女になりきって語る。身をよじらせ、裏声で、自らの身体をシリアスに女性化させてまで、女になりきるのである。これは、浪曲でも同じだ。さらに言えば、歌舞伎の女形はその代表的なものである。

米国のスタンダップ・コメディ (1人でジョークを語るトーク芸) でも、女のセリフを言う時があるが、あれは単に、女であることを示すために高い声を使っているだけで、義太夫とか浪曲のように、シリアスな 「身体化」 まではしない。そんなことをしたら、観客は引いてしまって笑えないだろう。

ことほど左様に、「クロスジェンダー」 に関する西欧文化と日本文化の差は大きい。そして、日本文化に置ける 「クロスジェンダー・パフォーマンス」 は、シリアスな意味で非常に重要な要素なのだ。

「折れた煙草の 吸い殻で あなたの嘘が わかるのよ」 と、甘ったるい声で歌う中条きよしの 「うそ」 という歌は、女性歌手のオリジナルを中条きよしがクロスジェンダー的にカバーしたというわけではない。中条きよしのクロスジェンダー・パフォーマンスの方がオリジナルで、この歌を女性歌手がカバーするという発想は、むしろないと言っていいだろう。

逆に、水前寺清子の 「いっぽんどっこの歌」 とかを、男性歌手が歌ってもあまり意味がない。女が男の歌を歌うからいいのである。

それから、「木綿のハンカチーフ」 (太田裕美) なんかは、歌の途中でジェンダーが入れ替わる。歌い出しが男言葉で、後半は女言葉になる。これを一人の女性歌手が歌う。英語の歌だったら、あの ポールとポーラ の 「ヘイ・ポーラ」 のように、掛け合いで歌うところだ。

英語のスタンダード・ナンバーのラブソングなどで、男女どちらが歌っても不自然にならない場合は、歌詞の三人称のジェンダーを入れ替えて歌われ、スタンダードとしての裾野をさらに広げる。

日本の 「ムード歌謡」 と呼ばれる流行歌においては、ある意味、クロスジェンダーこそが 「ウリ」 という要素があり、独特の市場を形成している。

この違いの背景には、英語の場合、男言葉と女言葉の違いがほとんどないが、日本語の場合は、「~だぜ」 「~なのよ」 というように、言葉遣い自体に差があるということがあるだろう。

最後に告白しておくが、私は歌舞伎についての論文で修士号を得ているほど、日本の伝統文化にはどっぷり浸っているつもりなのだが、演歌とかムード歌謡のクロスジェンダーは、申し訳ないが、ちょっと 「気持ち悪い」 と思ってしまう。多分、あの 「お水っぽさ」 が性に合わないんだと思う。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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比較文化・フォークロア」カテゴリの記事

コメント

「日本には文楽という芸能がある。人形芝居に合わせて太夫が義太夫節を語る」
・・・まちがいです。人形にあわせて義太夫節は語りません。逆ですね。
「女の登場人物のセリフの部分は、急に女になりきって語る。」
・・・まちがいです。女を表現するだけです。声はおっさんのままですね。
「身をよじらせ、裏声で、自らの身体をシリアスに女性化させてまで、女になりきるのである」
・・・まちがいです。裏声などつかいませんね。
おじいさんのままおんなを表現するるのです。
「文楽」の部分だけ気になったので・・・・

投稿: kazkaz | 2008/12/16 23:10

kazkaz さん:

>・・・まちがいです。人形にあわせて義太夫節は語りません。逆ですね。

そうでした。失礼しました。
私の歌舞伎への偏向がバレバレですね。

>・・・まちがいです。女を表現するだけです。声はおっさんのままですね。

う~~ん、このあたりは微妙だなあ。
確かにおっさんの声のままですが、女になっているとも言えると思います。

>・・・まちがいです。裏声などつかいませんね。

そうですね。裏声の一歩手前です。失礼しました。でも、実際問題としては、時々瞬間的にひっくり返ります。

投稿: tak | 2008/12/17 07:17

女歌はじじ・ばば家庭で育った自分としては、耳になじんできたので、あんまり抵抗なく聞け
るんですけどね。
でもあんまりねちっこい歌い方は好きじゃないですね。
(今回の話の元になった歌手も、あんまり好きじゃないです。(笑)

ところで、「海雪」を歌って黒人初の演歌歌手と話題のジェロですが、して考えると演歌歌手
というカテゴライズよりも、女歌を歌うムード歌謡の歌手なんですよね。

投稿: 雪山男 | 2008/12/17 08:21

『三年目の浮気』を、ソロで歌えます。
ちゃんと、女性のパートは声色を使って(裏声ではありませんが…)表現します。
スナックで歌うと、腹抱えて笑うおっさんと、「シンジラレナ~イ」という視線をぶつけてくるおねいちゃんと、両極端の反応が観察できて、楽しいです。

『今を抱きしめて』という歌でも、応用可能です。


 コンナ場合は、どのようなカテゴリに入るのでしょうか?

投稿: 乙痴庵 | 2008/12/17 12:23

初めまして。
いつも楽しく拝読しております。
はじめてコメントさせていただきます。

CGPという言葉、初めて知りました。
ボクはブラジルの音楽を好んで聴くのですが、
ブラジルでもやはりカバーする際に歌手の性別が変われば
「彼」「彼女」に相当する単語も性別を入れ替えるのが一般的です。
というより変えずに唄う例を知りません。

ボクには「何故日本人は男が女唄、女が男唄を歌うのか」
よりも「何故欧米人は逆性の唄を歌わないのか」が気になりました。
ボクなりに考えてみたのですが、
多分、英語やラテン語起源の言葉には一人称と二人称に性別が無いからではないでしょうか?

例えば「わたし~、あなたが~、好きよ~」という唄があったとしたら、
「わたし」は女で「あなた」は男、と明らかに決定されます。
この「わたし」というのは歌詞世界の中の登場人物が女であることを示しており、、
歌手の性別が男であっても、それは男性歌手が女性登場人物を「演じて」いるということであり、
それは聴衆にとっても解りやすいと思います。
これに対し、この唄を英訳して唄った場合
「I~、love~、you~」となり、
英語の歌詞だと「I」も「you」も男か女か特定できないので、
聴衆は「I」=「唄っている人」と認識してしまいます。
当然女が唄えば「I」=女、「you」=男、
男が唄えば「I」=男、「you」=女、
と「自動的に」決定されてしまうのです。
もしこの後の歌詞が
「彼女も~、あなたが~、好きなのね~」で、英訳詞が
「she~、loves~、you~too~」だったら、
男が唄っている場合、
一人の男性を男と女が奪い合う、という昼1時半からのメロドラマみたいな展開になってしまいます。

日本人にとって唄は「歌詞の中の人物を演じる」ことであるのに対し、
外国では「歌詞そのものが自分自身のメッセージ」として表現されている、
という根本的な部分で大きな違いがあるんじゃないでしょうか?

投稿: 抹茶 | 2008/12/17 15:32

> 一人の男性を男と女が奪い合う、という昼1時半からのメロドラマみたいな展開になってしまいます。

間違えました。
一人の「女性」を男と女が奪い合う
でした。

失礼しました。。。

投稿: 抹茶 | 2008/12/17 15:39

私は歌詞のジェンダーを変えるほうに違和感を感じます。
CGPという英語の表現は知りませんでしたが、日本では男が女の気持ちになり女の歌を歌うのは珍しくはないでしょう。
そもそも女性が歌う演歌の作詞家は殆ど男で、男が勝手に望む都合の良い女像を描いているので、男の心にグッとくるものが多いのではないでしょう(女性は実際男より現実的だよなぁ)。
それを歌い手によって歌詞のジェンダーを変えるのはシチュエーションが変わって来るので、「男が求める女」を表現できなくなります。

私は男ですが、例えばマドンナの曲を歌うとき、歌詞に出てくる「him」は自分が女になった気分でそのままと歌えますね。

投稿: きむら | 2008/12/17 16:00

雪山男 さん:

>ところで、「海雪」を歌って黒人初の演歌歌手と話題のジェロですが、して考えると演歌歌手というカテゴライズよりも、女歌を歌うムード歌謡の歌手なんですよね。

「海雪」 って、まともに聞いたことないんですけど、女歌だったんですか。

これはもしかしたら、二重の意味で画期的なことなのかもしれませんね。

投稿: tak | 2008/12/17 17:14

乙痴庵 さん:

>『三年目の浮気』を、ソロで歌えます。
>ちゃんと、女性のパートは声色を使って(裏声ではありませんが…)表現します。

私は、「ヘイ・ポーラ」 でそれができます (^o^)
でも、ポーラのパートはさすがに裏声でないと無理です。

投稿: tak | 2008/12/17 17:17

抹茶 さん:

>多分、英語やラテン語起源の言葉には一人称と二人称に性別が無いからではないでしょうか?

そうですね。

三人称が出てこなくて、とくに男とか女とか特定する必要のない歌詞の歌だったら、その場合は、CGP になりようがないですね。

あえて CGP にしたかったら、男だったら女装して歌うとかしなけりゃいけなくなり、それはもう、別の世界の話になりますね。

投稿: tak | 2008/12/17 17:22

きむら さん:

>私は歌詞のジェンダーを変えるほうに違和感を感じます。

日本人が、日本語の歌を歌い、聞く場合は、当然そうなりますが、英語の歌になってしまうと、そのパラダイムが機能しなくなるんだと思います。

というか、日本のパラダイムの方がちょっと特殊なんでしょうね。

>そもそも女性が歌う演歌の作詞家は殆ど男で、男が勝手に望む都合の良い女像を描いているので、男の心にグッとくるものが多いのではないでしょう(女性は実際男より現実的だよなぁ)。

男の歌う女歌の場合は、より 「男が勝手に望む都合の良い女」 になっているように思います。

>私は男ですが、例えばマドンナの曲を歌うとき、歌詞に出てくる「him」は自分が女になった気分でそのままと歌えますね。

う~む、微妙なパラダイム ^^;)
シリアスなパフォーマンスとは受け取ってもらえない可能性が大きいかも。

投稿: tak | 2008/12/17 17:31

 そういうとらえ方をするのかと、驚きつつも理解はしました。けど納得するのは難しい。まるで意味が変わってしまう変更を加えることを許してしまうってのがどうにも…。
 この辺りが文化的差異のやっかいな所でしょうか。まぁ、違いがあることを判ってさえいれば必ずしも納得する必要はないと思ってますが。
 
 個人的には日本式のクロスジェンダーは好きでなかったりします。プロに限りますが。
 自分でも女歌を歌うこともありますが、それは単にその歌が好きだからで、そういう歌い方も素人には許されると思うのです。一方プロは歌の内容、込められた心情を伝えようと歌うのであり、その場合は性別が違うと違和感を覚えてしまうのです。…勝手ですね。

投稿: cen | 2008/12/17 23:53

cen さん:

>まるで意味が変わってしまう変更を加えることを許してしまうってのがどうにも…。

うぅむ、「まるで意味が変わってしまう」 というほどのことはないんじゃないでしょうか。

"Yesterday" を例に取れば、女性歌手が歌う場合、そのまま "she" で歌っちゃったら気持ち悪いんで、自然に "he" と歌うだけです。

本文で触れたように、そうしないと同性愛の歌になっちゃうんで、せっかくの名曲がキワモノと化しちゃうんですよね。

(念のために断っておきますが、私は同性愛をキワモノと言っているわけじゃなく、スタンダード・ナンバーを同性愛の歌に変えてしまうことを、キワモノと言っています。私は同性愛に関しては全然反感をもちません)

>一方プロは歌の内容、込められた心情を伝えようと歌うのであり、

うぅん、本来はアマチュアでもそうあるべきなんでしょうけどね。

それとも、私は昔、セミプロだったことがあるので、そう思っちゃうのか。

http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/02/post_879f.html

私はシンガー・ソングライターだったので、つまり、一人称で自分自身を表現する歌い手だったので、クロスジェンダー・パフォーマンスは抵抗が強すぎて、できないんでしょうね。

投稿: tak | 2008/12/18 01:05

男が歌う女心って、あまり意識して聴いてなかったのか、それが普通だと思っていたのか、別に違和感は無いのですが、言われみると沢山ありましたね。

記憶で一番最初のこの手の歌は、ピンカラ兄弟の女の道ですかね。バーブ佐竹の女心の唄とか。

うぅーん、女性にこうであって欲しいと願うから違和感無く受け取れたのでしょうか?

ブログって面白いですね。いろんな主義主張が見れて、こんな情報を金で得ようとしたら結構な出費になると思う。興味を持つ事から始まる。とよく言いますが、持つ持たざるの前に、こうやって、色々な文面に出会うと、自分の考えがノーマルであったり、アブノーマルであったり、面白い。毎号、ありがとうございます。

*コメント不要です。

投稿: やっ | 2008/12/18 01:28

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一昨日、深夜のぼけた頭で、[適当に歌詞について書いてみた](http://www.measure-zero.jp/blog/blog/2009-02-22-025220.html)んだけれど、ちょっとぐぐってみたら、 [流行歌のクロス=ジェンダード・パフォーマンスを考える](http://homepage2.nifty.com/tipitina/CGREP.html) > [要旨] 「男の歌」を女性歌手が歌う,あるいは「女の歌」を男性歌手が 歌う,CGP(クロス=ジェンダード・パフォーマンス... [続きを読む]

受信: 2009/02/24 22:10

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