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2009年1月に作成された投稿

2009/01/31

『唯一郎句集』 レビュー #2

昨年末に書いた (参照) きりで、長々と 1ヶ月以上も間をおいて、ようやく "「唯一郎句集」 レビュー #2" である。

実はこの間、オンラインの古書店 「中野書店 古本倶楽部」 のカタログで、「唯一郎句集」 が見つかり、2900円なにがしで買い求めた。実家のものよりずっと保存状態がいい。

Crack_090131 この句集は、私の実家には 1冊しかなく、昨年 12月に帰郷した際に、ちょっと借りてきたものだが、いずれは父に返さなければならない。それで、自分専用のものが欲しくなって、試しにネットで探したら見つかったのだ。

写真の右側が、今回買い求めたものだ。とくにカバーの変色具合が、実家から借りてきたものよりずっとましだ。よほど長い間、日の当たらない古書店の書庫で眠っていたのだろう。

ところで、この本を古本屋に売り払ってしまったのは、一体誰なんだろう。この本は、遺族と昔の俳句仲間の企画によってひっそりと自費出版され、親類縁者と関係者のみに配られたもののはずで、書店で売られたことはないはずだ。

ということは、配られた関係者の中に、さっさと古本屋に売り払った者がいるということだ。開いて読まれた形跡もほとんどないし、それを思うとあまり愉快な気はしないが、おかげで巡り巡って私の手元に来たわけだから、この際よしとしておこう。

実家の父に返さなくてもいい本が手に入ったのだから、時間をかけてじっくりレビューできる。何回シリーズになるかわからないが、最初のページから全ての句をもらさず紹介しようと思う。

まずは、「朝日俳壇」 時代の三句。大正 10年頃の作品と思われる。

百舌鳥去り行きし柿だね澁き

晩秋の透明な静けさを感じさせる。

私の田舎には、庄内柿という特産の柿があるが、これは種なし柿なので、ここに詠まれた柿は、それではないだろう。カリカリした歯触りの柿だろうか。口の中に残った柿の種が、舌に渋みを伝える。その柿の実をもいだ木には、さっきまで百舌鳥がとまって鳴いていた。

音響く日の柿のてつぺんの葉よ

この句で響く 「音」 というのは、家業の印刷機械の回る音だろうか。大正時代のことだから、それほど高速で回転する音ではあるまい。ゆったりと響くガチャンガチャンという音に感応して、冬に向かう分厚い雲の下で、柿の木に残った僅かな葉が揺れる。

仕事着の垢つきし秋夜の畳

「仕事着の垢」 とは、印刷に使うインクの染みかもしれない。家業を手伝った時についたインクの染みが、畳に少し移ってしまった。秋の夜のほの暗い明かりで、それがうっすらと見える。

俳句で身を立てるために、上京することも頭をかすめていただろう。理想と現実の狭間に揺れる青春時代の祖父の思いが偲ばれるような気がする。

今日はここまで。

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2009/01/30

一眼レフにそそられつつ

去年の後半あたりから、デジタル一眼レフにそそられつつも、考え直してやっぱり諦めるということが何度か続いている。

同じ去年でも、7月頃は 「コンパクト・デジカメで十分なんだけど」 なんていう記事を書いていたのに、秋を過ぎるあたりから、どうも一眼レフが気にかかってきたのである。

そもそも、上述の記事自体が、「欲しいなあ、一眼レフ」 という自らの気持ちを抑え込もうとして書かれたものだとみることもできる。いや、きっとそうなのだ。ああ、私はあの福田さんのようにではないが、自分を客観視できるのである。

なにしろ、デジタル一眼レフの値段が下がってきた。案外軽い気持ちで買えそうな値段なのである。その上、Panasonic の G1 (これは 「一眼レフ」 ではなくて 「デジタル一眼」 と称しているが) なんていう小型で手軽な製品まで登場したので、なんとなくハードルが下がってきたような気もする。

そう心の片隅で思ったところで、「いやいや」 と、もう一人の冷静な私がブレーキをかける。いくら安くなったとはいえ、値段と効果を天秤にかけてみるがいい。

確かに私の場合、コンパクト・デジカメは毎日使う。仕事とプライベートで、掛け値なしに毎日である。毎日使うのだから、手軽に持ち運ぶためにコンパクトである必要がある。いくら G1 が小型になったとはいっても、気軽にどこにでもポケットに入れて持って行けるようなものじゃない。カメラマンってわけじゃないんだし。

そうなると、デジタル一眼をせっかく買ったとしても、実際に使うのは週に一度あるかないかだろう。そんな頻度では、腕だって上がるまい。いつまで経っても素人は素人だ。同じ素人なら、コンパクト・デジカメを使っている方が無難に決まっている。

それに、近頃はコンパクト・デジカメだって馬鹿にしたものじゃない。一昨日買ったばかりの Panasonic の Lumix TZ5 なんて、なんと 910万画素で光学ズーム 10倍である。このくらいのスペックがあれば、まだこのカメラのクセを把握していない時点でも、このくらいの写真 (昨日の和歌ログに添えたもの) がサクッと撮れる。

壊れてしまった Ricoh の Caplio R7 にしても、使い慣れて手の内に収めてしまえば、このくらいの写真 (昨年 11月 22日の和歌ログに添えたもの) が撮れたりすることもある。壊れる前の 1週間は、ピントがボケボケになって難儀したが。

しかし、そこで物好きな方の私がまた反論する。「コンパクト・デジカメでもこのくらいの写真が撮れるなら、一眼レフで撮ったら、もっとできのいい写真が、気持ちよく撮れるはずだ。そう思わないか」 と。

さらにまた、あの alex さん も雪山男さんも、デジタル一眼レフのオーナーであることが、昨日の私の記事に対するコメントで判明してしまったこともあって、ちょっとうらやましい。

ああ、ここで私は、うぅむとうなってしまうのである。金が湯水のように使える境涯なら、こんなに悩むことなく、今日にでもプロ仕様の一眼レフを 2~3台買って、交換レンズだっていくつも揃えてしまうだろう。しかし、そんなことをしたら妻が怒るに決まっている。

家庭の平和のためには、せいぜい物入りでない時期を狙って、リーズナブルな値段のモデルを、目立たないようにとぼけて買ってしまうのがいいのだが、今はまずい。なにしろ、買ってたった 10ヶ月のコンパクト・デジカメが壊れて、買い直したばかりなのだし。

大体において、物欲に押し切られて趣味性の強い品物を買おうかというタイミングにさしかかった時に限って、他に買わなければならないものができてしまったり、今まで使っていた必需品が壊れて、買い直さなければならなかったりするものである。世の中とはそうしたものなのだ。

そもそも私自身、一眼レフが死ぬほど欲しいってわけじゃない。決して要らないわけじゃないが、「あったらいいなあ」 程度なのだ。主観的希望がその程度なのに、客観的優先順位はさらに低いのである。

その上、私のことだから、もし一眼レフを買ってしまったら、蟻地獄にはまったように、交換レンズを後から後から買い足したくなるに決まっている。そうなったら大変だ。だったら、いよいよ一眼レフを買おうという時に、見計らったように冷蔵庫でも壊れてくれる方がいいかもしれない。

などといろいろ書き連ねても、欲しいことは確かに欲しいのである。これまでの人生経験からすると、時間をかけてこの 「欲しい気持ち」 をじっくり醸造していくと、希望の品物はいつの間にか手に入っているということが多い。

要は 「気持ち次第」 なのだ。気持ちは魔物なのである。これほどの魔物は、他にないのである。

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2009/01/29

デジカメは消耗品とはいえ

よく 「コンパクト・デジカメは消耗品」 と言われる。使用頻度にもよるだろうが、3年もてば十分だという人もいる。

私は仕事でもプライベートでも結構よくデジカメを使うので、壊れるのが早いのも当然かもしれないが、それにしても、今回の機種は壊れるのが早すぎた。

実は、昨日愛用のデジカメが壊れてしまったので、仕事帰りに秋葉原のヨドバシカメラに寄って新品を買った。私にとってはこれが 4台目のデジカメである。新しく買ったのは、パナソニックが派手に宣伝していた DMS-TZ5。例の広角 28mm、光学 10倍ズームというやつだ。

昨年春のモデルが 24,000円まで値下がりしていたので、あまり迷うこともなく決めた。壊れたモデルが、広角 28mm、光学 7.1倍ズームというスペックだったので、これを下回るものではもう物足りなくて使えないし。

それにしても、昨年の和歌ログを調べてみたら、3月 27日に 「昨日新しい機種に買い換えた」 という記述があるから、先代はほぼ 10ヶ月しかもたなかったということになる。(参照)。いくら 「デジカメは消耗品」 といっても、壊れるのが早すぎるじゃないか。もうメーカー名出しちゃうけど、リコーのデジカメは買う気がしなくなった。

私が最初に買ったデジカメは、メーカーとか機種は忘れちゃったけど、乾電池式のでっかい図体のモデルで、140万画素で 光学 3倍ズームという程度のスペックだった。これは平成 12年頃から 4年ぐらい使って、壊れはしなかったが、スペック的に見劣りしてしまったのと、あまりかさばるので、ご退場いただいた。

次に買ったのが、カシオの Exlim で、記憶は定かではないが、大体 4年以上は使ったと思う。平成 16年 5月にニューヨーク出張した時には、明らかに Exlim で写真を撮りまくった覚えがあるので、その前に購入したんだと思う。

この Exlim は、しまいには知らないうちにネジが 3本ぐらい抜け落ちていて、ホームセンターでようやく探し当てたネジも 1カ所の穴にしか合わず、そのうちガワが歪んでしまっていた。そして最終的に、電源を入れてもレンズセットが動かなくなって、おシャカになったのである。

それでも、4年以上も動いてくれたのは偉い。それに比べて、今回のリコーの 10ヶ月というのは、いくら何でも早すぎる。

購入して 1年以内ということは、多分保証期間になっているはずだが、修理期間でもカメラがないと仕事にならないし (それに和歌ログの写真も写せない) 、いずれ必要になるだろうから、早めに新機種を買ったというわけだ。さて、今度のモデルはどのくらいもつだろう。

ちなみに、"デジカメは消耗品" というキーワードでググったら、出てくるわ出てくるわ、そういうことで仕方なく納得している人が多いようなのだ (参照)。内容をみてみると、一つの機種で 1万枚程度撮影すると寿命だとか、2万回シャッターを切ると壊れやすくなるとか、いろいろなことが言われている。

私の場合、保存してある画像データのファイルネームから推定すると、先々代の Exlim は約 1万枚ほど撮影している。平均すると 1年で大体 2000枚、1ヶ月で 160枚ちょっと。大体そんなものなのかもしれない。

ところが問題のリコーの機種は、3000枚ちょっとで壊れてしまったのである。近頃、撮影枚数が増えているとはいえ、せいぜい 1ヶ月に 300枚 (1日に 10枚) 程度の頻度の使用で、10ヶ月で壊れてしまうというのは、やっぱり問題だろう。ネットで調べると、リコーのデジカメは壊れやすいという評判が散見されるのも気になるところである。

というわけで、壊れたモデルは保証期間の無料修理が効けば、直った後は予備のモデルとして使おうと思うが、信頼感は決定的に薄らいでしまったなあ。

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2009/01/28

再び恵方巻を語る

「恵方巻」 キャンペーンが盛んである。不況でも唯一好調なコンビニ業界が、ますます調子に乗って、恵方巻とバレンタイン・デーの連続攻撃で儲けようとしている。

このキャンペーンが始まった 4~5年前には、「一時の流行ですぐに廃れる」 なんていう人もいたが、そうはならなかった。

私は 4年前のちょうど今頃、「恵方巻の社会学」 というエントリーで 「バレンタインのチョコレートとまでいくかどうかは知らないが、年を追うごとにますます売り上げは伸びるだろう」 と予言していて、要するに 「どうだ、どうだ、当たっちゃったも~ん!」 と、自慢したいわけなのである。

この予言の根拠は、「恵方巻は節分の行事として、豆まきより今の社会にマッチしている」 ということだった。繰り返すと、次のようなことになる。

  1. 今どき、どこの家庭も少子高齢化で、豆まきを喜ぶ子どもが少なくなった。
  2. いい年をした大人が、日が暮れてから声を張り上げて 「鬼は外、福は内」 なんてやるのは、こっ恥ずかしい。
  3. 最近の感覚では床に落ちた豆を拾って食べるなんて、ばっちい気もする。
  4. しかしながら、節分に何もやらないというのも、日本人として何となく淋しい。
  5. 恵方巻なら、声を張り上げることもなく、無言なのだから隣近所に気兼ねがいらない。
  6. コンビニで買ってきたビニール・パックの太巻きを食うだけだから、清潔でお手軽だ。

というようなわけで、恵方巻は現代日本の都市生活における節分行事として、なかなかうまくできているのである。共働きの忙しいお母さんも、節分の夕食はぶっとい太巻きを家族に一本ずつあてがっておけばいいので、こんな楽な民俗行事はない。だから、浸透しないわけながいのだ。

ただ、我が家は恵方巻をやらない。

そもそも、恵方を向いて、家族揃って太巻きにかぶりつき、食べ終わるまで無言でひたすらむしゃむしゃやらなければならないなんて、まるでマンガじゃないか。

我が家では無理だ。到底無理だ。きっと誰かが途中で吹き出してしまうに違いない。一人が吹き出せば、残り全員もつられて吹き出すに決まっている。そうなると、大変なことになってしまう。

落語の浮世床で、半ちゃんが芝居見物で寿司をほうばりながら 「音羽屋~!」 (実際の発音は 「タヤ~!」) と声をかけて、おまんま粒がバラバラ~っとなる以上の惨状になる。後で掃除が大変だ。

だから、我が家では恵方巻はやらない。太巻きを食うということはあるかもしれないが、その場合でも、ごくフツーに食いたい。

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2009/01/27

Amazon ユーザーになった理由

私はインターネットに関しては、どっちかといえば (あるいは、いわなくても) ヘビーユーザーだと思っているのだが、Amazon で本を買ったのは、昨年の秋が初めてである。

その後、立て続けに何冊か買うことになって、遅ればせながら立派な Amazon カスタマーになってしまった。

私が Amazon を使う気になれなかったのは、本屋が好きだからである。私は外を歩いていて大きな本屋を見つけると、つい入ってしまうタイプの男である。そして、特定の本を探すでもなく、書棚を端から眺める。そして気になるタイトルを見つけるとちょっとだけ開いて中身を確かめ、気に入ればその場で買う。

買ってしまえば速攻で読む。電車の中で集中して読んで、帰宅する頃には読み終えていたりもする。いや、実はそれは、過去形で語らなければならない。というのは、近頃は目が疲れて、長時間集中して字を読むことができなくなってしまったのだ。悲しいことである。だから、一冊の本を読むのに時間がかかってしまう。

そのため、常に順番待ちの本がある。以前はそんなことがなかったから、次から次に読むべき本を買う必要があったし、買った本はすぐに読みたかった。この 「買ってすぐに読みたい」 というのが、私をネット書店から遠ざけていた最大の理由である。

ところが最近は、買ってもすぐに読めない。今読んでいる本を読み終わらないと、次に行けない。以前は数冊平行して読むなんていう芸当も平気だったが、近頃は、そもそも目が疲れて読むスピードが遅くなったので、平行読書はしにくい。時間が経つと、前に読んだ内容がゴチャゴチャになってしまったりするのだ。

それに、忙しくてあまり本屋に立ち寄ることができなくなった。いつも本屋に寄っていれば見逃さないはずの新刊書も、後になってレビューを読んだり人に薦められたりして、読んでみたくなることがある。ところが、近頃は書店に並ぶ本も案外回転が速いようで、タイミングを逃すと見つからないこともある。

ネット書店は、そんな本を探すのに便利である。Amazon に行けば欲しい本は大抵見つかるし、ワンクリックで注文できるというのが、かなり心地よい。そして、買った本をすぐに読み始められなくていい。その本が届くまでに、今読んでいる本を読み終わればいいのである。

つまり、生活サイクルがネット書店向けに変わってきてしまったのだ。最近は書店で買うのは雑誌ばかりという状態になってしまっている。

ただ、いちいち店に行かなくても済むというのは、快適といえば快適なのだが、足を運んでアナログ的に探すという作業もしないと、頭の中身が妙に怠惰になってしまいそうだ。以前に比べると頻度は大幅に下がっているのだが、書店に入る習慣を捨て去ろうとは、決して思わない。

生活がデジタルに傾斜すればするほど、アナログの重要さも痛感される今日この頃である。私は、手帳と日記は手書きにこだわっていて、とくに日記は縦書きにしている。縦書きの手書きは頭の中身のねじれを矯正する効果があるような気がする。きっと、ボケ防止にもなるだろう。

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2009/01/26

君と私の国

昨日の 「君と僕のためにつくられた国」 というエントリーで私は、オバマ大統領就任記念コンサートで、ピート・シーガーの歌った 「我が祖国」 について述べた。

それに関連して、和歌ログで 「この国は君の国にして我が国となぜ歌はぬかこの国の人ら」 という歌を詠んだ。(参照

私はあのコンサートの録画をみて、「この国は君と私のためにつくられた」 と、声高らかにシングアウトする米国人が、うらやましくて仕方がなかったのである。しかもその歌は、反体制シンガーと見られてきたウッディ・ガスリーによって作られたものなのだ。

ひるがえって、なぜ日本人は 「この国は君と私のためにつくられた」 と、揃って声高らかに歌うことができないのだ。どうしてこの国にはそうした歌がないのだ。そう考えると、少しばかり悲しくなってしまうのである。

しかし、見方を変えると、決して我々は 「この国は君と私のためにつくられた」 と歌えないわけではない。よく考えれば、我々もそうした歌を、既にもっている。

私は国歌 『君が代』 を支持する立場である。ただ、いわゆる 「国旗国歌法」 で規定されているということについては、かなり気にくわない。それについては 3年半以上も前に こちら で書いている。私は国旗と国歌を法律で決めるなんて、粋な国のすることじゃないと思っている。

だがこの際、それはさておいて、この 『君が代』 という歌のタイトルに、私は注目したいのだ。なぜ、「君の代」 ではないかということである。

『君が代』 の 「君」 が天皇であるということは、議論以前の問題だと私は思っている。「君、僕」 の「君」 と考えれば、民主的な歌でもあるなんていう人もいるが、それはナンセンスというものである。

そして、この歌が、「この世は永久に天皇のものであって、民衆のものではないという、極めて非民主的な歌」 という言い方も、実はナンセンスなのだ。なぜならば、歌のタイトルが 『君が代』 であって 「君の代」 ではないから。

所有を表わす 「が」 という日本語の助詞は、多くの場合、「自分のもの」 である場合に使われる。「我が家」 「我が国」 「我が故郷」 「おらが国」 等々、すべて、自分に帰するものである。

自分に帰するものでない場合でも、とても近しい特別な感情の通う関係であることを表わすことが多い。そして、我が国の国歌のタイトルが 『君が代』 であって 「君の代」 というようなよそよそしいものでないというのは、とても美しい心情を表現している。

「君 = 天皇」 と 「我々」 との間に、明瞭な境界がないのだ。むしろ、国民と君主は本来一心同体であるべしというメンタリティが根底にあるがゆえに、「君の代」 ではなく 『君が代』 であるというタイトルが、何の違和感もなく受け入れられているのではないか。

この歌の古い形の初句は、「君が代は」 ではなく 「我が君は」 で始まっていたということが確認されている。しかし、「我が君は」 では、しっくり来なかった。どうしても違和感があったのだ。それでなぜか、いつしか誰言うともなく、「君が代は」 で始まるようになった。

このあたりが、この歌のエッセンスなのだと、私は考える。

「君の代」 であると同時に 「我らの代」 でもあるのだが、あえてタイトルとしてはシンボルとしての 「君」 を前面に出し、エゴを出さない。そしてその上で 「が」 という本来ならば破格に近い助詞を、控えめながら明確に使っているというところに、私は日本的な 「知」 と 「情」 を感じてしまう。

というわけで、実は 『君が代』 こそが、いにしえからある日本版の "This Land is Your Land, This Land is My Land" なのだとみることができる。

この歌を軍国主義の遺物とする見方もあるが、それは 『君が代』 ではなく、軍国主義が悪かっただけだ。むしろ、軍国主義に汚された 『君が代』 の本来の名誉を回復しなければならないと、私は思っている。

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2009/01/25

君と僕のためにつくられた国

昨日帰宅したら、Wow Wow でオバマ就任記念コンサートの模様が放映されていた。18日午後にリンカーン記念館の前庭に 50万近い人が集まったというコンサートである。

バラック・オバマが相変わらずの達者な演説をした後、ステージ上のブルース・スプリングスティーンが、ある人を呼んだ。

ある人とは、ピート・シーガーである。といっても、知らない人が多いかもしれないが、私にとっては神様に近い人なのだ。なんと、バラック・オバマの大統領就任記念コンサートに、89歳になるピート・シーガーがバンジョーを抱え、かくしゃくとして登場したのである。私は鳥肌が立つほど興奮した。

そしてなんと、"This Land is Your Land" (邦題 「我が祖国」) のシングアウト (全員合唱) になってしまったのである。これはなんと、すごいことなのだ。この歌の作者のウッディ・ガスリーは、反体制派の歌手として知られている。ボブ・ディランにも強い影響を与え、彼は 「ウッディ・ガスリーに捧げる歌」 をレコーディングしている。

そしてウッディとともに活動した若き日のピート・シーガーは、赤狩りマッカーシーの弾圧によって、ショー・ビジネスの場から追放されたという経歴をもつ人である。その彼が、大統領就任記念コンサートのステージで、"This Land is Your Land" をシング・アウトしたのである。

そして、ピート・シーガーは 60年代のシングアウトのスタイルそのままに、フレーズごとに歌詞を先導してくれたのだったが、特筆すべきは、その歌詞が、昔のフォークソング・ブームの時に日本でもお馴染みになった歌詞とは少し違っていたのである。

日本でお馴染みになった 「我が祖国」 の歌詞は、ウッディのオリジナル・バージョンから、当時過激すぎると考えられていた部分を削除し、残りも部分的にモディファイしてしまったものだった。

そうすることによって、この歌は、アメリカの第二国歌といわれるほどポピュラーにもなったし、日本のお坊ちゃんやお嬢さん大学で、フォークソング・クラブのアマチュア・バンドが、行儀の良いきれいなハーモニーで歌うこともできたのだった。

しかしこの日、ピート・シーガーが歌ったのは、当時カットされたアクの強い部分も復活させた、ウッディのオリジナル・バージョンだったのだ。

「大きく高い壁が僕を止めようとした/「私有地」 という大きな看板があった/しかしその裏側には何も書いてない/そっち側こそ君と僕のためのもの」

「教会の塔の影に人々はいる/救援事務所のそばに人々はいる/腹を空かせた彼らは立ち並び、私は問う/この国は本当に君と僕のためにつくられたのかいと」

「生けるものは誰も僕を止められない/僕は自由のハイウェイを歩くのだから/誰も僕を後戻りさせることはできない/この国は君と僕のためにある」

圧力でカットされた歌詞が、今、ワシントンの空に響き渡ったのである。テキサス流のカントリー・ミュージック (日本で言えば演歌みたいなもの) しかわからないジョージ・ブッシュの時代には、こんなことはあり得なかった。

偶然というにはあまりにできすぎのように、ウッディが放浪を繰り返しながら "Dust Bowl Ballads" (砂嵐のバラッド) と言われる歌を書き、歌った当時の大不況が、おりしも今、再現されている。仕事を失い、腹を空かせた人たちが米国を、世界をさまよっている。

しかし米国は確かに変わった。あのビル・クリントンの  "change" は、単なるプレジデンシャル・キャンペーンのキャッチ・コピー以上のものではなかったが、オバマの繰り返した "change" という言葉は、空念仏ではなかったようだ。

私は涙を流しそうになるほど感動して、テレビの画面とともに高らかに歌ってしまったのだった。いいオッサンの私だが、89歳のピート・シーガーに比べれば、まだ小僧っ子だ。感動するのに、何を恥じることがあろう。米国は、世界は、きっと何とかなると信じる気になった。

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2009/01/24

Google につながらない、 逆 Google 八分?

昨日の午前 10時頃、インターネット接続で不思議な現象が起きた。Google に接続できないのである。「google.co.jp という名前のサーバが見つかりませんでした」 と表示される。

私は、「おぉ、Google のサーバでもダウンすることがあるのか!」 と、逆に思わず嬉しくなってしまったのであった。

しかし結論から言うと、これは決して Google のサーバがダウンして落っこってしまったわけではないようなのだ。もしそんな事態が生じたら、それこそ世界的なトップニュースになるだろうが、そんなことは全然なかったのである。

しかし、私の PC から Google につなげなくなったのは、確かなことなのだ。何度 「再接続」 ボタンを押しても、Firefox を再起動させてみても、IE でアクセスしてみても、Google にだけはなぜか繋がらないのである。

それでしかたなく、Google の本家本元につなごうとして、"http://www.google.co.jp" の最後の "co.jp" を com" に変えて Enter キーをパンチする。その途端、せっかく "http://www.google.com" と入力したのに、URL 表示が瞬時に "http://www.google.co.jp" に変わり、「サーバが見つかりませんでした」 と言ってくる。

ああ、知らなかった、全然知らなかった。Google ともあろうものが、本家本元に行きたくてわざわざ URL を "com" で入力しても、有無を言わさず "co.jp" に転送するなんて馬鹿なことをするのね。Google らしくもない余計なお世話をしてくれるわけね。ふぅん。

仕方がないから、試しに Google のブログ検索を表示させると、これはきちんと表示される。しかし表示された URL をみると、"http://blogsearch.google.com/?sourceid=navclient&hl=ja" ということになっている。ふぅん、ブログサーチの場合は、"co.jp" じゃなくて、"com" のサーバにあるのね。だから、問題なく表示されるってわけね。ふぅん。

いろいろと勉強になる。しかし、いくら勉強になっても、お馴染みの Google のページが表示されず、ググルこともできないとなると、不便でしょうがないのである。

日本中でさぞかし困っているだろうと、せっかく表示されたブログ検索をかけてみても、「Google のサーバが落ちた、ざまみろ」 なんて記事は見当たらない。この辺りで、どうやら様子がおかしいのではないかと思い始める。もしかしたら、Google に繋がらないのは自分だけではないのかと。

で、いろいろ試そうという気になる。その時に接続していた LAN を切り、E-Mobile でアクセスし直してみる。しかし、やっぱり結果は同じ。Google だけにアクセスできない。他によく行くページは問題なく表示されるのに。

そこでまた LAN に接続し直して、今度は Yahoo に行き、そこから Google を検索する。当然最上位にくるのが、「Google ホームページ」 なので、とりあえずそれをクリック。

すると、あ~ら不思議。なんということか、Google がなんのことなく表示されてしまった。それから後は、直接アクセスしても問題なく表示される。じゃあ、今までの 「google.co.jp という名前のサーバが見つかりませんでした」 という表示は、一体何なのだ。

あまりの不思議さに、ブログ検索でそれらしい記述を探したら、「マイクロソフトの陰謀か?」 というエントリーが見つかった。このブログの管理人、幸福な戦士さんの場合は、Google だけでなく、ほとんどのサイトにアクセスできなくなったが、こともあろうにマイクロソフトにだけは接続できたのだそうだ。

そして、そこから Google に行ったらつながった。そして、一度つながってしまうと、問題なく直接つながるようになったというのである。時も同じく昨日のことだが、私の場合よりもずっと不思議な話で、まさに 「マイクロソフトの陰謀」 を疑いたくもなろうというものだ。

言えることは、昨日の午前、Google を含むいくつかの (私の場合は Google しか認識していないが) サイトにアクセスできなくなるという状況が複数の端末で生じた。それは特定回線の不具合によるものではないらしい。LAN でも E-Mobile でも同じ不具合が生じたのだから。

そして、あるサイト (私の場合は Yahoo Japan、幸福な戦士さんの場合はマイクロソフト) を経由したリンクでアクセスすると、問題なく表示され、それから後は、直接のアクセスでも問題なく表示されるようになったということである。

これってもしかしたら、逆 Google 八分なのかしらん。最近、Google も大分エラソーな態度に出てきたから、反感を買い始めたということの現れだったりして。でも、それにしては本家本元の方は問題なく表示されたしなあ。

で、もう少し検索してみると、「一部プロバイダで Google に繋がらない訳」 というページも見つかった。このページによると、OCN、Plala、InfoSphere 経由がつながりにくいということだが、私の場合は、LAN が ODN、E-Mobile が@nifty だったんだけどなあ。結局、よくわからん。

いずれにしても、Google につながらない場合は、直接ではなく他からのリンクでアクセスすれば問題なくつながり、一度つながっちゃえば、あとは問題なくつながるようなので、覚えておこう。

ちなみに、Google の本家本元は "http://www.google.com/intl/en/" と入力してやると間違いなくつながるということも発見した。なかなか勉強になったのである。不具合が発生した時というのが、実は一番勉強になる。

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2009/01/23

ホットスポットなんかより電源が欲しい

都会では 「ホットスポット」 (公衆無線 LAN) というサービスが増加しているが、私はそんなものを利用したことが一度もない。

昨日の記事を書いてふと思った。モバイル・ユーザーの本当のニーズは、今やホットスポットなんかではなく、電源だということに、マーケットはまだ気付いていないようなのだ。

昨日も書いたことだが、私自身、外出先でかなり頻繁に PC でインターネットを使うが、その際には自前の接続カードでアクセスポイントにダイヤルアップで接続する。もういつ頃からだか忘れるほど前から、ずっと PHS (128kbps) を使い続けてきたが、昨年の 2月に E-Mobile に乗り換えた。

E-Mobile は、サービス開始当初はエリアが三大都市周辺に限定されていて使い物にならなかったが、今やずいぶん拡大して、首都圏や出張で行く用事のあるようなところのほとんどは、サービスエリアになってしまった。十分に使い物になる。そんなわけで、見たところコアなユーザーの多くは、E-Mobile を使っている。

PHS で接続していた頃は、日本全国ほとんどのところでインターネット接続が可能とはいえ、このブロードバンド時代に 接続速度が 128kbps (実効 100kbps以下) では、いかにも遅すぎて、使っているとストレスの固まりになった。そこで当時の私は、ホットスポットの普及にかなり期待していたのである。

ところで、D-Cubic というものに聞き覚えがないだろうか。4年前にかのライブドアが鳴り物入りで開始した公衆無線 LAN サービスで、山手線内の 80%のエリアをカバーし、接続料金は月額 525円という超リーズナブルなプランだった。

私はこの年の 6月に 「D-cubic とやらに及び腰で注目」 という記事を書いているが、今となっては 「及び腰」 にしといてよかったと、心から思っている。このサービスは現在も "Livedoor Wireless" と名称を変えて継続しているものの、やたらとつながりにくいとやらで、いい評判はきかない。Wikipedia でもその点については触れられている (参照)。

このサービスの謳う 「山手線内の 80%で接続可能」 というのは、4年前にはとても魅力的に響いたが、時間の経過とは恐ろしいもので、今となってはいかにも貧弱にしか聞こえない。しかも、障害物があると接続しにくく、見通しのいい屋外でしか満足にはつながらないなんてことでは、いくら月額 525円でも、加入する気には到底なれない。

ホットスポットへのニーズというのは、E-Mobile などの通信カードの普及で、かなり小さくなってしまったように思う。わざわざホットスポットを探すまでもなく、その場で接続できるのだから、その方がずっといい。

公衆電話が目と鼻の先にあっても、多くの人は自分のケータイを使う。ましてや、ホットスポットなんてそこら中にあるわけじゃないから、もっぱら通信カードを使うことになる。

通信カードをもっていない人も多いだろうが、そのほとんどは、外出先で頻繁に PC でのインターネット接続なんかする必要のない人で、大抵はケータイで間に合ってしまう。たった数年足らずの間にこんな状態になってしまったので、ホットスポットも今後はあまり増えることはないだろう。公衆電話のように減少に転ずることはないだろうが。

それよりも、とにかく電源確保なのである。スタバやルノアールは、勝手に電源を使っても黙認してもらえるが、いかんせん、コンセントの数が絶望的に少ない。少なくとも、どの席からでも楽に届くぐらいの電源が欲しいところである。

それから、これは重要なことなのだが、ルノアールは禁煙席が少なく、店内の換気もいい加減な店が多いので、喫煙席から煙がたなびいてきて、とにかくヤニ臭い。フカフカの座席の生地にヤニくささがこびりついていたりする。というわけで、私はよほどのことでもない限り利用しない。

今や問題は、ホットスポットより電源なのである。バッテリーの切れた PC は、ただの重い箱でしかない。スタバでもエクセルシオールでもタリーズでも、どこでもいいから、電源を利用しやすい形の店作りにしてくれないかなあ。有料でも喜んで払うから。

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2009/01/22

あったらいいなあ 「電源カフェ」

昨日まで 3日連続でややヘビーなテーマで書いたので、ちょっと疲れてしまった。そこで今日は軽い (かな?) テーマで失礼させて頂こうと思う。

前に読んだ記事で気になっているものに、"求む 「電源カフェ」" というのがある。これ、まさに 「あったらいいのに」 の代表格である。

私自身、モバイル PC をいつも持ち歩き、しょっちゅう E-mobile に接続して仕事をする必要がある。ところが長く電源につながずに PC を使っていると、いくら長時間駆動が売り物のパナソニック Let's Note でも、夕方頃にはもうバッテリーが上がってしまってしまう。

途中の立ち寄り先で、「ごめん、ちょっと電気もらうね」 なんて言って、タダで充電させてもらえることもあるが、そうもいかないこともあり、電源確保というのは、案外重要な問題なのだ。

出張帰りの新幹線で仕事をしなければならないことがあるが、途中で充電させてもらえないで一日使い倒した後だと、バッテリーの表示を気にしながら、びくびくもので仕事しなければならない。

車両の前後の端だと、電源がある場合もあるが、そうとも限らない。せっかく自由席に飛び乗って一番前の座席を確保しても、電源がなかったりするとがっかりである。それだったら、揺れの少ない真ん中あたりに座ったのに。

スタバあたりでは、電源をつないで仕事しても怒られることはないようだが、それでも、電源近くの席は数が限られている上にいつもふさがっていて、バッテリー駆動を強いられることが圧倒的に多い。

件の記事を記者、IT Pro の佐竹三江さんは、「設備投資は延長コードと張り紙程度で済むだろう。ついでに企業のロビーに使えるコンセントがあったら、かなり嬉しいと思う。新幹線などの待合室にも、一部にあるようだがもっと増やしてほしい」 と書いてある。

企業のロビーでは、取引先へのサービスとしてこの程度はやってくれるとありがたいが、喫茶店や新幹線待合室などでは、むやみに延長コードを這わせるわけにもいかないだろう。だったら、有料でもいいから電源サービスをしてもらいたい。例えば、100円入れたらコンセントの口がパコっと開いて、時間無制限で使い放題になるとか。

コイン式のコンセントなんて備えたら設置費用がかかるだろうが、1個のコンセントが 1日に 3回使われて 300円とすれば、1年で 10万円ぐらいの収入になり、10個あれば 100万円だ。余裕で回収して、おつりが来るだろう。

でも、それだったらいっそのこと、コーヒー代が 20~30円ぐらい高くてもいいから、デフォルトで全席近くにコンセント装備という方が、話が早いかもしれない。PC だけじゃなく、ケータイや iPod などの充電にもありがたがられて、確実に来客が増えると思うがなあ。

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2009/01/21

堅い道と柔らかい土壌 Part 3

このテーマの Part 1 で私は、堅く踏みしめられた道への信頼を述べ、Part 2 では一転して、堅く整った道ではなく、柔らかな土壌こそ、「いのち」 の躍動の場と述べた。

この矛盾に、私は迷ってしまったのである。「仏性」 を内在し、本来悟っている存在であるはずの私が、ずいぶんと迷ったのである。

迷ってみて気付いたのは、仏性を内在し、本来悟っているはずの人間というのは、本来悟っているからこそ、悟りに強制されるような受け身の存在ではなく、かなり自由に任されているようなのだということだ。悟った風に生きようが、迷った風に生きようが、それは自由なのである。

「お前は本来悟っているのだから、ちゃんと悟った風に振る舞え」 と、お釈迦様に首根っこをひっつかまれて、蓮の台 (うてな) に座らせられるなんてことはないようなのだ。本来悟っているからこそ、自由に躍動することが保障されているようなのだ。

無理やりに蓮の台に座らせられてしまったら、いくら悟っているといっても、これほどつまらないことはないだろう。悟りとは不自由の別の言い方というようなことになってしまう。悟っているからこそ、自由にいろいろな表現をするものなのだろう。

だから、堅く踏みしめられた保障の効いた道さえ辿ればいいはずなのに、人間は柔らかだがリスキーな未踏の土壌に一歩を踏み出して、自由な生命の躍動を体験してみたくなるのである。これは一見すると道に迷っているように見えるのだが、実は迷っているのではない。いのちが躍動しているのである。

どんなに迷っているように見えても、「悉有仏性」 だもの、本来仏性を内在しているのだもの。迷っているのではない。だから、その気になればいつでも堅い道に戻ってストイックな修行を積むこともできる。自由に踊り出したくなったら、いつでも柔らかな土壌で、土にまみれて踊ることもできる。

本来悟っているのだもの。道が堅いだの、土壌が柔らかいだのは、実は超越してしまっているのである。柔らかい土壌で戯れながら、同時に堅い道を辿ってもいるのである。禅定三昧とは、そうした境地を言うのだろうという気がする。

最後は下手な禅問答じみてしまったというより、尻切れトンボ気味になってしまったようで、まだ何だか言い足りないところがあるのだが、とりあえずこのテーマは今日でおしまいということにする。これ以上掘り下げすぎると、まだ手に負えないところがあるので。

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2009/01/20

堅い道と柔らかい土壌 Part 2

昨日の記事 (Part 1) で私は、本来仏であるはずの人間がなぜ迷うのかという根元的な疑問にこと寄せて、踏み固められた土 (いにしえ人の知恵) への信頼について述べた。

踏み固められた道を歩くと、道を外れれば靴底を通して伝わる感触が急に柔らかくなるので、すぐにわかるのである。

その上で私は、次のように書いた。確認のため、引用しておこう。

全ての者の中に仏性はあるので、その仏性が自ずから先達の付けてくれた道を歩むのだと思っていた。心を空にして歩めば、仏性を内在する菩薩の辿るべき道は、靴底を通して自ずから示されるのだと思っていた。なぜならば、仏性は仏性に感応するからだ。

ここで私は 「思っていた」 という過去形を 2度繰り返して使っている。つまり、これは私の過去の理解であって、今はちょっとだけ違うのである。この理解は一見偉そうにみえるかもしれないが、恥ずかしながら浅薄だったのだ。

なぜ浅薄なのかというと、靴底を通してはっきりとわかる 「道を外れたところ」 に、人間はどうしてそんなにも好んで足を踏み入れたがるのかということが、全然語られていないのである。

実は、私にはその答えがおぼろげながら見えていた。ずっと前から、「あっさり悟った悟りより、迷いに迷って辿り着いた悟りの方が、味わい深くて、コクがあるかもね」 と、私は言っている。しかし、そんな言い方では漠然としすぎて、「だから、それがどうした?」 と返されてしまいそうだ。

その解答のとっかかりになりそうな本を、最近読んだ。"奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録" (石川 拓治・著、幻冬舎・刊、当ブログの右欄 "My Recommendation" にリンクあり) という本である。これ、ベストセラーまでは行かないかもしれないが、かなり売れているのだろう。書店でも平積みになっている。

一昨年の 11月 (だと思う) に、NHK テレビの 「プロフェッショナル」 という番組で、木村秋則さんという方の、まさに 「奇跡のリンゴ」 というにふさわしいリンゴ作りが紹介された。私はその番組を見ていないが、それを見た知人が感動しまくっていたので、ちょっと意識していて、つい最近、書籍化されたものを見つけて買ったのである。

内容は、私がくどくど説明するより、この番組に関わった茂木健一郎氏がブログで紹介されているので、単刀直入 「奇跡のリンゴ」 というタイトルの記事を読んでいただく方がいいだろう。

木村秋則さんは、農薬と肥料がなければ絶対に育たないといわれたリンゴを、それらを使わずに育てることに成功した。それは素晴らしい味で、しかも切って置いても腐らない 「奇跡のリンゴ」 であるという。そして私がここで言いたいのはただ一つ、その秘密は、「土壌」 にあるらしいということなのだ。

無農薬無肥料でリンゴを育てることに失敗し続け、人生に希望を失って自殺しようと、山に分け入った木村さんの目の前に広がっていたのは、豊かな山の自然、「いのち」 のあふれる柔らかい土壌だった。木村さんは、その土壌を自分の農園に再現したのである。

それまでの木村さんの農園の土は、他の農園と同様に、雑草を駆除し、堅く踏みしめられたものだった。そこで育ったリンゴは、虫や病気に対する抵抗力がなく、育つことができなかった。ところが、柔らかい 「いのち」 のあふれる土壌にしていくと、ある年からリンゴの白い花が咲き、実がなり始めたのだった。

どうやら 「いのち」 というものは、あまり堅く踏みしめられた、一見整然としたものを、本来好まないようなのである。豊かな自然の中でこそ、本来の力を十分に発揮して育つことができるもののようなのだ。

じゃあ、 「堅く踏みしめられた道」 への私の信頼は、一体どうなってしまうのだ?

私にとってはこれが大変な問題なのだが、今日はここまで。何しろちょっと難しい話なので、一気に書ききるだけの時間がなく、申し訳ないが、切れ切れで書かせて頂くことにする。

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2009/01/19

堅い道と柔らかい土壌 Part 1

4年前の 1月 29日、私は別宅サイト 「和歌ログ」 で、「いにしへの人の歩みのありてこそ頼もしきかな堅きこの道」 と詠んだ。

私は自称 「伝統的保守派」 なのだが、その心情のベースには、こうした感慨がある。いにしえからずっと人が歩み続けた道 (伝統) は、信頼するに足ると思うのだ。

和歌ログを始める遥か前、20代の頃も 「草深き峠の道も靴底に伝はる堅さ我を導く」 という歌を詠んだ。これは実感というもので、昔よく山登りをしていた頃、あまり人気のない峠道などでは、道が草に埋もれてしまって、迷ってしまいそうに見えることがある。

しかし、なかなかよくしたもので、草に埋もれてしまった道でも、そこを少しでも外れると踏み固められていないので柔らかい。昔からの峠道とは、靴底に伝わる感触が全く違うのである。だから、踏みしめられた 「堅さ」 を自分も踏んで行きさえすれば、道には迷わずに済むのである。

こうした実感から、私は 「いにしへ人」 の知恵に対して、とても大きな信頼をおいているのだ。「先達はあらまほしきもの」 であり、そのあらまほしさは、伝統の中に確固として存在すると思っている。

禅宗 (もしかしたら禅宗に限らないかもしれないが) の世界で昔から発せられる問いに、「仏性ある人間が、なぜ迷うのか?  悟りを得るために、なぜ修行をしなければならないのか?」 というものがある。

仏教では 「悉有仏性」 という。すべての存在の内に仏性 (仏の悟り) はある、あるいは、あらゆるものは、仏性の顕現であるというのである。ならば、既に悟りを内在する人間がなぜ迷うのかというのは、当然の疑問である。人間が元々仏であるならば、改めて仏になるために修行する必要などないのではないか。

この問いに間して私はいつも、全ての者の中に仏性はあるので、その仏性が自ずから先達の付けてくれた道を歩むのだと思っていた。心を空にして歩めば、仏性を内在する菩薩の辿るべき道は、靴底を通して自ずから示されるのだと思っていた。なぜならば、仏性は仏性に感応するからだ。

この問題はなかなかややこしいので、今日のところは Part 1 としてこの程度にとどめておこう。続きは明日になるか、来週になるかわからないが、必ず書くということで。

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2009/01/18

「ガマの油 口上」 の芸

昨日の昼前から夕方まで、思いがけなくぽっかりと時間が空いたので、ふと思い立って筑波山神社に参拝した。

この時、「ガマの油 口上」 という芸を見る機会に恵まれた。つくばの地に住んで 25年以上になるが、生で見るのは初めてである。なかなか得難い経験ではあった。

Crack_090118 「ガマの油」 と言えば大方はご存知と思うが、もしかして知らないという若いお立ち会いもいるかもしれないので、一応、こちら にリンクを張っておこう。筑波山に来ればいつでも買うことができるし、一応我が家にもある。買ってみれば、要するにフツーの軟膏である。

その軟膏を売る口上が、現在大道芸として保存されている。筑波山ガマ口上保存会 というのがあって、私が昨日見せてもらったのも、この保存会の口上士師範、勝村筑蟇さんという方の芸。口上士師範というだけあって、飽きさせない素晴らしいものだった。

ガマの油売りは同保存会によると、常陸国筑波郡筑波山麓出身の永井兵助という人が 200年前に始めたものというのだが、現在、19代目の永井兵助がいらっしゃって、そのお方は、なんと女性なのだ。こちら に紹介されている。

ガマの油 口上は、筑波山神社の山門付近の空き地で行なわれていて、ご丁寧にも 「観覧無料 薬を売りつけることもありません」 という表示がある。薬を売るより、まずは芸を披露して見てもらうことが目的のようなのだ。

Youtube で検索してみたら、実際の芸の動画がちゃんと登録されていた。こちら が口上士筑波蝦蟇太夫さんの芸の Part 1 である。口上士もずいぶん多くいらっしゃるようで、調べてみたら、31人もいる (参照)。

私の個人的印象としては、Youtube の筑波蝦蟇太夫さんより、昨日実際に拝見させてもらった勝村筑蟇さんの芸の方が、円熟味があるという気がする。いずれにしても、この芸をものにしたら、結構引っ張りだこになるんじゃなかろうか。

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2009/01/17

予算が自民党の最後っ屁?

私は政治家のパーティなんて興味がないから知らないが、聞くところによると、近頃自民党関係のパーティは閑古鳥が鳴いていて、民主党関係が賑わっているらしい。

総選挙後の政権交代は半ば 「既成事実」 みたいに受け取られていて、皆、次期政権党にすり寄りたがっているようなのだ。

権力にすり寄りたがるのは世の常とはいえ、こんなニュースを聞く度に、「みなさん、現金なモンだなあ」 と思うのである。今のうちから、民主党とのパイプを強化しようと必死になっているお方が多いのだろう。

麻生さんはこのあたりどう思ってるんだか知らないが、「来年度予算が成立しないうちは解散しない」 なんて言っているのは、ひねくれた見方をすれば、「民主党が政権をとっても、自民党が決めた予算でやるしかないんだ、ざま見ろ」 とでも言いたいのかなんて思ってしまう。

なんだかんだ言っても、予算というのは一度決められてしまうと強い。企業なら金を儲けるのが仕事だが、行政というのは金を使うのが仕事である。いいご身分なのだ。だから予算を決めるというのは、事業そのものを決めるということにほかならない。

思いっきり次期政権の手足を縛るようなものにして渡してやろうなんて、底意地の悪いことを麻生さんが考えてたりしたら、お笑いぐさである。予算が自民党の最後っ屁になりかねない。

それとも、民主党が政権を取ったら、すぐに修正予算なんて作っちゃうんだろうか? 年度途中でそんなことしてたら、まともな政治にならないだろうから、やらないと思うが。

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2009/01/16

知のヴァーリトゥード 7周年

私の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 は平成 14年の 1月 16日に、敢えて知人にも知らせず、ひっそりとスタートした。

つまり、今日は 「知のヴァーリトゥード記念日」 である。7周年ということになる。さらに言えば、"Today's Crack" は昨年大晦日で、5年間の毎日連続更新を達成済みである。

サイトをスタートさせた頃は、「ブログ」 なんていう言葉は存在しなかった。だから、"Today's Crack" の更新は、サイト内のウェブページでやっていた。そして平成 15年の暮れ、「平成 16年は正真正銘の毎日更新を達成してみよう」 と思い立った。

それまでも 「ほぼ毎日更新」 というのは 1年 9ヶ月ぐらい続けていた。だから、「正真正銘の毎日更新」 も、それほど気負い立たなくてもできるだろうと、軽い気持ちで決心したのである。人間、何か達成しようというなら、あまり悲壮にならず、「軽い気持ち」 で始める方がいい。

「なあに、それくらい、さくさくっとできるさ」 というぐらいの気持ちが、ちょうどいいようなのである。心理学的にも、物事を達成するには、「いい意味でなめてかかる方がいい」 と言われている。

「果たして自分にできるだろうか? できないかもしれないけど、とりあえず、チャレンジだけはしてみよう」 なんていうのでは、たいてい失敗する。始める前に、「できなくてもしかたないよね。だって、難しいチャレンジなんだもん」 というエクスキューズが用意されているからだ。

「それくらい、できるさ」 という決心は、一見ちゃらんぽらんに見えるが、実は案外、背水の陣なのである。失敗を想定していないのだから、やるしかない。しかも、あまり悲壮感が伴わないから、楽しんでやれる。この 「楽しい背水の陣」 というのも重要ポイントだ。

「楽しい背水の陣」 というのは、幸運をも呼ぶ。平成 16年の夏、サイト内でいちいち枠を作って毎日新しいコラムを書くという作業が、うっとうしくてうんざりしかけた頃、世の中では 「ブログ」 というのが本格的に盛んになっていた。

で、「よっしゃ、ブロガーになろう」 なんて思ったわけじゃなく、単に面倒なウェブ編集作業から解放されそうだったので、この年の 7月から "Today's Crack" をブログに移行させた。これが 「当たり」 で、更新作業は圧倒的に楽になった。

形としてのブログを始めるずっと前から、実質的にはブロガー的なことをしていたわけなので、更新の苦労なんてない。作業的にはウェブ内でやっていた頃より楽なので、ますます楽しんでやれる。

で、「正真正銘の毎日更新」 は、気が付いてみたら 5年間を越してしまっていたというわけだ。よくもまあネタが尽きないものだと、それだけは我ながら感心してしまう。

そして、しょっちゅう読んでくださる読者の方々に心から感謝し奉る次第である。読んでくれる人がいなかったら、こんなに続けることなんて、とうていできやしない。

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2009/01/15

小正月と松の内

今日は小正月。昔から 1月 15日は小正月と言われているが、子どもの頃は、「それって、一体何なんだ?」 と思っていた。

関東では幕の内は 1月 7日までというのが慣例だが、関西ではこの小正月までが幕の内というところが多く、実はこの方が古来の慣習に則っているようなのだ。

そもそもこの小正月というのは何なのかというと、年が明けてから初めての望月 (満月) の日なのである。旧暦では正月に限らず、一日 (ついたち) は、「月立ち」 から来たというぐらいで、新月の日だった。十五夜は満月という決まりだから、旧暦の 1月 15日も満月になる。まあ、厳密に言えば暦と月齢が正確に一致することは稀なのだが。

そして、この小正月というのは、元々は満月の日を新年の初めの日としていた太古の昔の名残らしいのだ。まあ、確かに満月で歳が始まる方が威勢がよくて気持ちがいいだろう。中国渡りの暦システムで新月の日が歳の初めになったことに対する、ちょっとしたレジスタンスが、小正月なるものを生み出したのかもしれない。

だから、元日から小正月までを 「松の内」 とするのは、暦の上での新年初日から、精神的な名残としての新年初日である満月の日までを、特別な期間とするメンタリティから来ている。

だから、日本古来の元日は、旧暦 1月 1日 (西暦でいえば今年は 1月 26日) であり、それから 15日間 (西暦では 2月 9日まで) が松の内ということになる。この頃には立春も十分に過ぎるから、余寒の候とはいえ 「新春」 というにふさわしい季節感になる。新暦の元日は、新春というには早すぎる。

というわけで、私は年賀状に 「新春のお慶びを申し上げます」 とか 「迎春」 とか書くのは、いかがなものかと思っている。例年 1月 5日頃に 「寒の入り」 になるのに、1月 1日の時点で 「新春」 とは白々しすぎる。年賀状にどうしても 「新春」 とか 「迎春」 とかいう文字を入れたかったら、旧正月に届くように出せばいい。

松の内の話に戻るが、関東では松の内といえば 1月 7日までということになってしまっているが、これは、幕府のお達しによってそう決められてしまったらしい。Wikipedia には、次のように説明してある。(参照

松の内の短縮については、寛文2年(1662年)1月6日 (旧暦)、江戸幕府により1月7日 (旧暦)を以て飾り納めを指示する最初の通達が江戸の城下に町触として発せられており、それに倣った風習が徐々に関東を中心に広まったと考えられる。幕末の考証家である喜田川守貞は、この時同時に左義長(いわゆる「どんど焼き」)も禁止されていることから、松の内短縮発令の理由を注連飾りを燃やすこの火祭りによる火災の予防の一環だとしている。

どうやら、あんまり火事が多かったので、松の内が短縮されてしまったようなのだ。松飾りは本来なら、小正月まで飾っておくものらしい。

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2009/01/14

材料を十分に 「寝かせる」 ということ

一昨日、「本格的インドカレーに期待」 なんていう記事を書いた流れというかなんというか、近頃 「寝かせる」 ということについて考えている。カレーも一晩寝かせると旨いという。

私は若い頃、「寝かせる」 ということの苦手な人間だった。思いついたら、即やっちゃわないと気が済まなかったのである。

ところが近頃では、とてもいい加減にずぼらになってきて、思い立ってもなかなか始めない。ぐずぐずしているうちに、やるべきことなんて忘れてしまっている。しばらく経ってから、「あぁ、そうそう」 なんて、呑気に思い出す。それでも、まだ手を付けない。「どうしたもんかなあ」 なんて、考えるともなく考えている。というか、半分忘れている。

で、ようやく切羽詰まった頃に 「いくらなんでも、そろそろ始めるか」 なんて、仕事に着手すると、なんと、すらすらできてしまう。まるで、以前やったことをなぞるが如く、苦もなく仕上がって、それが自分でも 「ほほう」 なんて感心するほどのできばえだったりする。

これって、忘れている間に自分の中で 「寝かされ」 ていて、その間にずいぶんとうまい具合に熟成されちゃっているようなのだ。忘れているようでも案外忘れきっているわけじゃない。心の隅の方で、コクが出てきているようなのである。

私は 30歳代を繊維専門の日刊紙の記者として過ごした。日刊紙だから、その日に取材したことをその日のうちに書く。速さの勝負である。で、はっきり言って、書いたことは、よほど身を入れて取材した特集物か何かでない限り、その日のうちに忘れてしまう。単に 「垂れ流し」 だ。

その後いろいろなキャリアを経て、日刊紙のような短サイクルのものはなくなった。今は月ベースの仕事が多い。

月ベースの仕事でも、初めのうちは仕入れた材料は、その日のうちに形にしてこなしてしまっていた。ところがあまり速くこなすと、周囲のペースに合わない。こちらがいくら早めに仕上げても、次にプロセスでのんびりとデスクに積まれていたりする。

だったら、こちらも周囲の流れに合わせて仕事をしようとする。初めのうちはなんとなくペースがつかめなかったが、一度呼吸があってしまうと、不思議なものである。材料を 「十分寝かせる」 ということを覚えてしまった。

おなじ材料でも、せっかちに形に仕上げてしまうと、それなりのものにしかならない。ところが、十分に寝かせてから形にすると、なんとなくオモムキが出てくるのである。こればかりは、説明しにくいがそんなものなのである。

一晩寝かせたカレーに 「コク」 が出るというが、じゃあ、その 「コク」 って何なんだと言っても、なかなかうまく説明できない。そんなようなものだが、人生、あまり急ぎすぎない方がいいという教訓なのかもしれない。

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2009/01/13

「お得感」 による海外旅行

今朝のラジオニュースを聞いていたら、昨年 12月の日本から韓国への旅行者数が、前年同期比で約 5割の急上昇なんだそうだ。

その要因は言わずと知れたことで、「円高ウォン安によるお得感」 だと言う。「お得感」 とはかなりオブラートに包んだ言い方で、要するにブランド品が安く買えるということなのだろう。

海外旅行というのは、どうしてもしなければならないもので、その中でも仕方なく一番 「お得」 なものを選ぶしかないというようなものでもない。だから、やっぱりそこにはちゃんとした目的があって、その代表格が 「ブランド品買いあさり」 ということなのだろう。

韓国にブランド品の買い出し旅行に行って、ついでに本場の焼き肉を食べ、ちょっと観光もして帰ってこようということのようなのだ。国内の観光地に旅行するより安く上がるだろうから、やっぱり 「お得感」 ということなのだろう。

だが、私ははっきり言って 「お得感」 で旅行するという気持ちがあまり理解できない。いくらお得でも、別に行きたくもないところに行こうとは思わない。ましてや、ブランド品を買いあさるために旅行しようとは決して思わない。

我が家は 「単なるブランド品」 というものについては、徹底的に興味のない家風である。「単なる」 と付けたのは、きちんと価値を認めて好きなブランドもないではないからだ。ただ、モノグラムやエンブレムだけがモノを言っているような、「単なるブランド品」 は、さっぱり興味がない。

ブランド品だけではない。いわゆる 「おみやげ品」 にも興味がない。私は案外出張の多い仕事をしているが、妻は私の出がけに 「余計なモノ買ってこないでね」 と言う。もとよりそんな気はないが、私が行った先でおいしいと思い、帰ってからも食べたくて買って帰るものでも、「余計なモノ」 に思えたりするらしい。

とまあ、そんな家風なので、「お得感」、すなわち 「ブランド品買いまくり欲求」 で旅行をするというのは、我が家ではあり得ないことなのだ。

ちなみに、「ブランド品」 というものの価値についても、私はかなり疑問を持っている。単なる塩化ビニールにモノグラムをプリントして、ちょっとていねいに縫っただけのバッグが十数万円もしたりするというのは、「モノとしての価値」 以上の価値を、消費者が認めているからだ。

そしてその価値が長く続くと思っているからこそ、投機的な意味も含めて高い金を払うのである。それが一種 「投機」 的側面をもっているのは、ウォン安だからといってどっと買いに行くという衝動をみても理解できる。

しかし、「投機」 にリスクはつきものだ。その価値が長く続くとは限らない。それについては、私が昨年 2月に書いた 「ヴィトンの価値が変容する日」 という記事を読んでいただければ、わかってくれる人もいるかと思う。

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2009/01/12

本格的インドカレーに期待

昨年の 2月に 「ラーメン vs カレーライス」 という記事を書いた。外食としてのラーメン専門店の裾野は圧倒的に広がっているのに、本格的なカレーライスを食わせてくれる店が極端に少ないと嘆いたのである。

その解答はどうやら、インド・レストランの増加ということで示されつつあるようだ。

件の記事に、ヒロさんが次のようなコメントを寄せてくれている。

大人のカレーは、密かに本場インドカレー、ネパールカレーなど、インド人、ネパール人等の店に、取って代わられています。そして、ランチには、女性がカレーにナンという組み合わせで、ライス(サフランライス含)を凌駕しております。(中略) 彼らには、チェーン展開をする力がまだなく、2年後くらいに、商社がどこかの有力インドカレーを経営するインド人と組み、チェーン展開をするでしょう。

確かに近頃、街を歩いているとインド・レストランというのが目に付く。ランチ・メニューとしてお手頃な値段で、カレーとナン、そしてちょっとしたサラダと飲み物というセットが提供されているので、軽い気持ちで入れるようになった。

このカレーとナンの組み合わせというのが、従来の 「カレーライス」 というものに馴染みすぎた日本人にはちょっとハードルが高いかもしれないが、慣れてしまうとやみつきになってしまう人もいる。かなり旨いのである。

私の居住するつくば近辺でも、とくに筑波大学の周辺にインド・レストランが増えてきて、かなり繁盛しているようだ。新しもの好きのウチの次女が何軒か開拓していて、その中でもオススメという店に何度か行ったが、確かに旨い。ランチ・タイムだと、1,000円以下の出費で十分満足できる。私は 「ニュー・ミラ」 という店が気に入っている。

私はチャレンンジングにも、本格インド・レストランでも辛口とか激辛とかを注文するが、中辛程度なら日本人の口にもマイルドに馴染むようだ。ちなみに、インド・レストランの激辛カレーというのは、立ち昇る湯気を吸いこむだけでむせそうになったりするものもあるので、なめてかからないように。

なんでもつくばには、あのタイガー・ジェット・シンだか、彼の甥だかが経営するインド・レストランもあるようなのだ (どうも ここ らしい) が、まだ行っていない。たまにシン本人も顔を出すというウワサなので、一度ご尊顔を拝したいと願っている。

ヒロさんはコメントの中で、有力インド・レストランに商社が資本参加してチェーン展開するだろうと予言しておられるが、なるほど、あり得ると思う。ラーメンほどのスケールは期待できないだろうが、そこそこの市場を形成するんじゃなかろうか。

日本のカレー市場は、「家庭の味」 としてのカレーライスと、「本場の味」 の本格的インドカレーの両極に分化していきそうな気配を見せている。ただそうなると、せっかく独自の地位を築いたココイチは、どう対応することになるのだろうか? もしかして別ブランドで本格カレーとナンの店を展開しちゃったりして。

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2009/01/11

逆古今集

百人一首に 「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪」 という歌がある。歌人は坂上是則。出典は古今集だ。

意味は、「夜がほのぼのと明けるころ、有明の月の光かと思うほど明るく、吉野の里一面に白雪が降った」 ということだ。なかなか雰囲気のあるいい歌である。

いい歌ではあるが、私はずっと、この歌は 「ウソ」 だと思っていた。いくらなんでも、雪が一面に降ったぐらいのことで、有明の月なんかと間違えるものかと。ただ、こう言ってみるとなかなか雰囲気があって、「事実」 以上のおもむきが感じられる。これは近松門左衛門のいう 「虚実皮膜の間」 にあるものだと思っていたのである (参照)。

しかし、これはまんざら 「ウソ」 でもないということがわかったのである。それは坂上是則とは逆の現象に遭遇したためだ。

昨夜は見事な満月だった。北風が強かったので大気中の水分が吹き飛ばされ、まさに皓々と照っていたのである。

そんな夜中、ふと窓の外を見ると、地面が真っ白に見える。うっすらと雪が積もったように見えるのである。天気予報では雪が降るなどとは言っていなかったが、山沿いの雪雲が強風に煽られてつくばの里まで飛んできたのかと思った。

思わず外に出てみると、しかし雪は降っていない。外は皓々とした月夜。

月の光があまりにも白く輝き、地面を照らしていたので、窓ガラス越しには雪が積もったように見えたのである。なんと、逆古今集をしてしまったのだ。

皓々とした月夜が、白雪の積もったように見えるのだから、その逆もまた真なりだろう。坂上是則は決して技巧に走りすぎていたわけではなく、直感的に感じたままを歌ったのだとわかった。

坂上是則さん、これまで 「ウソ」 だなんて思いこんでいて、申し訳ない。ただ、言い訳させてもらうと、私にとっての雪というのは、日本海側の雪のイメージなので、雪と月夜とは、頭の中で容易に結びつかなかったのだ。

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2009/01/10

「新コタツ文明」 って、火鉢文明?

日本発・緑の経済政策、"新コタツ文明" のすすめ」 という安井至氏 (東京大学名誉教授) のコラムを見つけた。

西欧的なセントラル・ヒーティングの思想の対極的として、「新コタツ文明」 (その基本的定義は 「サービスを必要なことだけに限ること」) なるものを提案している。

安井氏は自らの提案を多方面から分析し、「中国は若干の疑念があるが、それ以外のアジアが西欧型文明に染まる前に、是非とも、新コタツ文明を普及させる必要があるだろう」 と述べておられる。

安井氏が単に 「コタツ文明」 と言わずに 「新コタツ文明」 と言うのは、内向きメンタリティを助長する従来型の 「コタツ文明」 を越えたものという意味を込めておられるようだ。その意味で次のように書かれている。

日本という国は、国境線を閉じてしまったら、現在の2割程度の人口しか養うことができないだろう。もともと、海外との共存を図ることが日本の生存の必要条件なのである。

なんらかの製品を海外に売り込まなければ、必要物資、特に、長期的には価格が下がるとは思えないエネルギーを買うことができない。

というわけで、安井氏は 「地球の限界と調和する文明はセントラルヒーティングに代表される西欧型ではない。そして、海外に売り込む製品を作る思想が新コタツ文明なのだ」 とおっしゃっている。

その産業面での意味は、前述の基本的定義、すなわち 「サービスを必要なことだけに限ること」、そして、米国のオバマ次期大統領の提唱するグリーン・ニューディールの考え方を多少取り入れ、「目前の利益をある程度無視した技術開発」 を指向することとしている。

と、ここまで読んで、「う~ん、タイトルがチャーミングな割に、中身が当たり前すぎ」 と思ってしまうのは、私だけではないんじゃなかろうかと思ってしまったのである。

これはどうしてなのだろうと考えてみて、私は、安井氏のおっしゃっているのは、実は 「要するに炬燵から出てしまうこと」、ひいては、「炬燵櫓から布団を引っぺがしてしまうこと」 なんじゃないかと思ってしまったのだ。

炬燵に入って、せいぜい 4人ほどのごく近しい身内だけでチマチマやるのではなく、いっそ炬燵布団を引っぺがして自由に動き廻り、外とのコミュニケーションを図りながら、誰もいない他の部屋までは無駄に暖めないようにする。

つまりこれって、囲炉裏とか火鉢の思想とでも言えばいいんじゃないかという気がしてきたのである。なんだ、現代に当てはめれば、ガスストーブの思想じゃないか。

炬燵が日本に登場したのは室町時代と言われる。しかし、それがすぐに日本中に普及したわけではない。私の専門としていた歌舞伎の舞台を見ても、炬燵は農家の場面ではほとんど登場しない。商家や茶屋・遊郭の奥座敷専用のように思われる。

農家は基本的に板敷きに囲炉裏が掘ってあった。庶民の長屋でも、暖房器具は主には火鉢である。なにしろ、炬燵には炬燵櫓と布団が必要だが、江戸時代には綿入れ布団はかなり贅沢品だった。農家や長屋のハつぁん熊さんでは、炬燵は取り入れにくかっただろう。

炬燵があまり 「生産性」 ということを感じさせないのも道理である。元々、あまり生産的でないところから普及してきたもののようなのだ。だったらこの際、「火鉢文明」 なんていう方が粋なんじゃあるまいか。

実は私は炬燵というのがあまり好きじゃなくて、我が家には一つもない。そんな個人的な趣味もあって、恐れ多くも東大名誉教授にちょっとだけイチャモンをつけてしまった。あまり深い意味があるわけじゃないので、そのあたり、よろしく。

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2009/01/09

フードの縁のファー (毛皮) で考える

前の冬シーズンから、ダウン・コートやパーカのフードの縁に、貧相なファー (毛皮) のくちゃくちゃっとついたのが大流行である。

若い子たちの着ているものを見ると、大抵そんなデザインで、しかもそのファーがいかにもみっともなさげに付いており、見るだにおいたわしやという気になってしまう。

昨年の秋に 「ダウン・コートを買うときの注意」 という記事を書いた時、「今年もフードの縁に毛皮が使われているタイプが流行りそう」 と書いたが、その通りというか、思った以上の流行だ。まるで 「フードは安っぽいファーで縁取りするものです」 と言わんばかりの 「右へ倣え」 現象である。やれやれ、何が 「ファッションの多様化」 だ。

一方では、「毛皮を着るぐらいなら裸で行くわ」 と、盛大にヌードを公開してまで毛皮反対運動を行っている PETA  (動物の倫理的扱いを求める人々の会) という団体もある。昔は人の着ている毛皮にいきなりスプレーでペンキをぶっかけてしまうなんていう強硬手段をとることもあったようだが、今はそこまで過激じゃないようだ。いろんな噂もあるけど。

確かに、毛皮というのはけっこう残酷である。毛皮に傷つけないために、生きたまま吊した動物の毛皮をいきなり生はぎしてしまう映像が、インターネットで公開されたりしている (リンクは敢えてしない)。少なくとも愉快な映像ではない。

同じ動物を殺して得るのに、どうして毛皮だけが目の敵で、レザーなどの皮革はお構いなしなのかと疑問を呈する人もいる。その答えとして、皮革業界は 「皮革は肉を食べる牛などの動物の皮を利用するので、野生動物を毛皮のためだけに殺すのとはわけが違う」 と説明している。

野生動物の毛皮だけ取るのも家畜の肉を食って皮まで利用するのも、五十歩百歩という気もするが、まあ、確かに 50歩と 100歩の違いぐらいはあると言っていいだろう。

北極圏などの極寒の地域に暮らす人たちは、昔から毛皮を着て寒さをしのいだ。それは狩りをして肉を食い、残った毛皮を利用するのである。現在の皮革業界の言い分とそれほど変わらないし、彼らにしてみればそれしか生きていく方法がなかったのだから、責められることではない。

しかし現代の毛皮を着る人たちは、別に野生動物を (毛皮のための養殖もあるようだが) 殺さなくても、寒さで凍えることはないのである。私はミンク 50数匹分なんていう豪華な毛皮を着ている人をみると、「この人、きっとろくな死に様しないぞ」 なんて余計なことまで、ちらりと思ってしまうのである。

ヌードになってまで動物を無駄に殺さないことを訴えている勢力がある一方で、平気で毛皮商品を作って売るメーカーがあり、それを嬉々として買う消費者もいる。情報とは、かくも偏在するものである。いくら強力に情報発信しても、受ける気のないところには決して届かない。

温泉や銭湯に 「タオルを浴槽に浸けないように」 と、いくら大きく注意書きがしてあっても、湯につかりながら平気でどっぷりとタオルを浸し、ぎゅーっ、ジャブジャブっと絞って顔なんか拭いているおっさんが絶えないのと、その構図は変わらない。

ただ、最近はフェイクファーの使用が増えているようだ。ユニクロで売られているダウンコートのフードの縁は、フェイクファーである。さすがユニクロ、その辺はきちんと考えているようなのだが、それならそれで、もうちょっときちんと訴求しないと意味合いも半減するだろうに。

私個人としては、どうせ毛皮なんてイメージ良くないのに (いいと思っている人も多いのだが)、フェイクファーを使ってまで毛皮みたいにみせなくてもいいじゃないかと思ってしまうんだがなあ。まあ、この考えを押しつける気はないけど。

正直なところ、私は PETA みたいに 「倫理的」 とやらの見地を押しつけるというより、単に 「他に着るものがいくらでもあるのに、わざわざ殺された動物の毛皮を着るなんて、夢見が悪くない?」 という、かなり個人的な感覚で言っているのだが。

あるいは、これは昨日付で触れた 「フルーガリスタ」 感覚に近いかもしれない (なんて言っておこうか)。

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2009/01/08

時代は 「フルーガリスタ」 と 「トップレス会議」

RNN 時事英語辞典というサイトに 「2008年米流行語」 という、昨年 11月 23日付の記事があるのに、今頃になって気付いた。

ここには "frugalista" "hypermiling""moofer" "topless meeting" "toxic debt" という 5つの言葉が挙げられている。なかなか世相を反映していておもしろい。

5つの言葉の意味は、次のように解説されているので、コピーしておく。

  • frugalista
    倹約家だが、おしゃれで健康な生活を送る人
  • hypermiling
    燃費を最大化すること、ハイパーマイリング ■信号で停止中にエンジンを切る、最高速度を守るなどで燃費を最大化させること
  • moofer
    携帯機器を使いこなし、決まった勤務場所を持たずに働く人
  • topless meeting
    パソコンや携帯電話の使用を禁止した会議
  • toxic debt
    サブプライムローンなど金融機関にとって相当な負担となる負債

この中で、私は "frugalista" と "topless meeting" というのにとくに興味を覚えた。

"Frugalista" というのは、元々は何語なんだろう。私は日本語以外は英語しかわからないので、当てずっぽでイタリア語っぽいなあと思うほかない。あるいは "frugal" (倹約な、質素な) という英語をイタリア語っぽくこじゃれた言い方にしたのかもしれない。

外来語だとおしゃれっぽく聞こえるのは、日本人がお菓子をスイーツと言ったり、化粧品をコスメティックスと言ったりしていい気になっているのと同じことである。「フルーガリスタ」 ということで、「今は倹約が健康的でお洒落なのよ」 という雰囲気を醸し出している。

"The Frugalista Files" というブログがあって、英語ではあるけれど、雰囲気だけは伝わりそうなので、紹介しておく。サブタイトルに "The frugal side of fabulous" (「ぶっとび系でも実はしっかり者」 とでも訳したらいいのかなあ) とあるのもおもしろい。

ちょっと前だったら、電通系とか博報堂系の情報誌あたりが "ニューヨークでは、今、「フルーガリスタ」 がトレンド!" とか言って、うわついたマーケティングを始めたがるところだったが、今回は鳴りを潜めている。

長らくバブルに浮かれていた米国よりも、日本の方が 「フルーガリスタ精神」 では実質的にずっと先を行っているので、今さら新しがっていうほどのことでもないと判断したのだろうか。それとも、どっと不況になった上に、消費者にますます倹約精神を発揮されたら商売にならないので、とぼけているのだろうか。

"Hypermiling" (ハイパーマイリング) にしたって、ガソリンを節約するチマチマした運転が上手な日本人の目から見たら、「何を今さら感」 があるし。

というわけで、メジャーなメディアが 「フルーガリスタがトレンド!」 と騒がないので、マイナーな ブロガーの私あたりが、せいぜい騒いでおこう。「時代はフルーガリスタ!」 と。

"Topless meeting" というのもおもしろい。米国ではノートパソコンのことを 「ラップトップ」 と言うので、「ラップトップなしの会議」 というわけで 「トップレス・ミーティング」 と言うのだろう。おしゃれな言い方というより親父ギャグっぽいが。

コンピュータにあまりにも頼りすぎると、クリエイティブなアイデアが枯渇してしまうと思われ始めたらしい。それで、頭の中のアナログ回路を全開にするために、電子機器を持ち込み禁止にしたのだろう。

昔だったらそれで当たり前だが、一度電子機器に頼りすぎというプロセスを経過すると、それがものすごく新鮮で、創造性が刺激されてしまうのかもしれない。おもしろいことだと思う。

いずれにしても、米国で流行ったら必ず日本でも流行るから、マークしておいても損はないだろう。

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2009/01/07

わけのわからん信号と標識

押しボタン式信号というものがある。念のため説明すると、歩行者が道路を横断するためのもので、押しボタンを押すと歩行者横断用信号が青に変わるというものだ。

なかなか便利なものだが、設計によってはまったく使い物にならないばかりか、かえって危険を増してしまうことになりかねない。

Crack_090106 茨城県取手市内に設置された押しボタン式信号というのが、その典型例である。歩行者が横断しようとして押しボタンを押しても、横断用信号が青に変わるまで延々と待たされる。試しに時計で計ったら、3分間待たされた。

押しボタンを押してから 3分間も待てというのは、はっきり言って酷であり、さらに言えば、非現実的である。実際、3分も素直に待つ歩行者は滅多にいない。

そのうちに車の切れ目が来るから、待ちきれずに渡ってしまう。写真のオジサンも、ご多分に漏れず、1分ぐらい待った後にしびれを切らして渡ってしまった。そして、歩行者が渡ってしまってしばらく経ってから、横断用信号は思い出したように青に変わる。

ということは当然、横断歩道と直角に走る道路の信号は赤になるということだ。そんなタイミングでその横断歩道にさしかかった車は気の毒である。横断する歩行者もいないのに赤信号で何の意味もなく停められ、無駄に CO2 を排出する。まったく馬鹿馬鹿しい話である。

せいぜい 30秒以内に横断用信号が青に変わってくれれば、歩行者は安全に道路を横断することができる。ところがそうならないから、歩行者は信号が青に変わる前に危険を押して横断を決行する。そして、その後に車がまったく無駄に停止させられる。

他の地域では、押しボタンを押せばそれほど待たされることもなく信号は青に変わる。ただし、直前に青になっていたりしたら、しばらく待たされることになるが。しかし、取手市内の押しボタン信号は、そんな設計になっているわけでもなく、いつでも一律に 3分間待たされる。馬鹿信号である。

取手市民はそれがわかっているから、初めから押しボタンなんか押さない。横断用信号が赤のまま渡る。押しボタン信号を設置するにはそれなりのコストがかかっているだろうに、それが全く無駄になっている。結果として、信号無視を奨励するために立っているようなものだ。

Crack_090106b 取手市内には信号の他に、こんなような交通標識もある。左側の左折禁止標識の下に取り付けられた補助標識に注目してもらいたい。

わけがわからないが、なんとか解釈しようとすれば、「自動車は朝の 8時 30分から翌朝の 8時まで左折禁止」 で、要するに、朝の 8時から 30分間だけ左折できるというように読み取るしかなかろう。

ところが、その交差点の左折側の道路は一方通行の出口で、「進入禁止」 の標識が立っている。つまり、元々一日中左折なんかできないのだ。

じゃあ、この 「8:30 - 8」 という補助標識は、一体何なのだ? 朝の 8時から 8時半まで、一方通行が解除になるとでもいうのか? そんなはずはない。そんなことをしたら、その道路は大混乱になるだろう。

つまり、「とことんわけがわからない」 標識なのである。これは少なくとも 10年以上変わっていない。一度取手警察署に行って、その意味を聞いてみようかと思っているのだが、そんな暇がなかなかできなくて実現していない。

茨城県は交通事故多発県と言われているが、信号や標識の管理をもうちょっとまともにしてくれれば、少しは事故を減らすこともできるんじゃないかなあなんて、恐れ多いことではあるが、そんなことまでつい思ってしまうのである。

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2009/01/06

年越し派遣村に思う

年越し派遣村の話題が、賛否両論で盛り上がっている。私は単純に、日本が変わる契機の一つになれる可能性を感じている。まだ可能性というほかないのだが。

何しろ、首を切られた派遣は、切羽詰まっているのである。収入がない。収入がなくても、食わなければ死ぬのである。

日比谷公園に集まった 500人ともそれ以上ともいわれる 「村民」 たちは、全国で 8万人以上にも達するという派遣難民のごく一部である。多くはなんとか電車代か夜行バス代を支払って、田舎に帰ったのだろう。帰る田舎もない人たちは、日比谷公園しか行くところがなかったわけだ。

この日比谷公園の派遣村が、主にボランティアによって運営されたというのは、特筆すべき事だと思う。まあ、バックにいろいろな政治勢力の思惑が働いているのは言うまでもないのだが、それでも、これは画期的な出来事だ。

実際に見てきたわけじゃないので、あまり核心的なことは語れないが、さしせまった人の命を救おうというムーブメントが、実際に国や都を動かしている。こんなことは災害時を除いて、絶えてなかったことである。

総務省の坂本哲志政務官は 5日、仕事始めのあいさつで派遣村に集まった 「村民」 について、「本当に真面目に働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」 と述べた。彼としては、バックに見え隠れする政治勢力に何らかの思惑を感じたということもあるのだろう。

その気持ちはわからないでもないが、今、そうした発言をするのは決して利益にならないということに、彼が気付かなかったということが、私は悲しい。状況は彼の想像を超えているのだ。何しろ、多くの人がまともに年を越せないいうところにまで来ていたのだから。

派遣村でタダメシ食ったりテントや役所の講堂でゴロゴロしている暇があったら、さっさと仕事を探せという意見も、散見される。うん、確かに、私がその立場だったら、必死に仕事を探し歩くだろう。

しかし、時は正月である。多くの事業所は、4日までは空っぽだったのだ。仕事を探すよりもまず、正月を飢えずに越すことの方が重要だったかもしれない。それに応える形として、派遣村というものが生まれたのは、大きな意味があった。これは確実なことである。

仕事を選ばなければ、とりあえず食うための収入は得られるという指摘もある。しかし、実際には、コンビニのバイトだって応募すればすぐに採用というわけじゃない。一つの仕事に多くの人が殺到するので、なかなか決まらないのである。

この世に生きている限り、「仕事が全然ない」 なんてことはありえない。しかし、そのマッチングはいつでも不完全であり、不況になればなるほど、その不完全さの度合いは、個人の努力でなんとかなる領域を越えて増す。その不完全さを補う努力をするのは、社会の責任だ。

私は年越し派遣村的なところから、政治に束縛されないムーブメントが生じることを期待する。ただそうなるためには、今の派遣村の雰囲気は暗すぎて元気がなさ過ぎのような気がするし、特定の政治勢力に利用されやすい脆弱さをもっているとも思う。

しかしそれも、底を打てば変わってくるかもしれない。そこから何かが生まれるのでなければ、これは単にある年末年始の一過性のトピックに終わってしまう。

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2009/01/05

「定額給付金なんていらねえ!」 と言えるか

定額給付金問題が、まだ 「ぐずぐず」 で、うっとうしい状態になっている。民主党は 「2兆円あればもっと有効な使い方ができる」 と、誰が考えても正論の指摘をしている。

実際、たかだか 1万何千円だか 2万円だかもらっても焼け石に水であり、国民の多くも、これが 「愚策」 であることは認識している。

ところが、「だったらそんなもの、もらわなければいいじゃないか」 と言われても、多くの国民は、愚策であると散々批判しつつ、くれる金ならもらってしまうだろう。「俺は定額給付金に反対だから、意地でももらわん」 という国民は、ごく少数だろうと思う。

小泉内閣時代には 「米百俵」 のエピソードに感動していた日本国民だが、麻生内閣の時代となって、自分の懐に入ってくるものを拒否するまでの節操は、あまり前面には出さないということになる。

かくいう私も恥ずかしながら、くれるというならもらうだろうと思う。なんだか知らないけど、日本中が 「仕方がないからもらってやるよ」 みたいな傲慢な態度に出てしまいそうで、ちょっと嫌な感じなのだが。

年末の政治討論番組で、竹中平三氏が 「そもそも、安倍内閣が郵政造反議員の復党を認めた時点で、小泉チルドレンと言われる議員は、全員離党すべきだったのだ」 と、極めて正論と思われる指摘をして、出演していた佐藤ゆかり議員はほんの一瞬ひるんでいた。

まったくもって、竹中平蔵氏は、「そう言われてしまえば、まったくもってその通りなんだけど、でもさあ、できるわけないじゃん」 と言いたくなるような、甚だ効力のない正論を吐くのがお得意である。

問題は、その 「正論」 で相手の横面をぶん殴っておいて、次にどんな実効的な手を出すかということなのだが、それがなかなか出てこないのである。それがこの人の限界だ。ぶん殴りっぱなしでは困るのである。

定額給付金も、このままで行くとどんな正論もお構いなしに、実際に給付されちゃうことになるのだろう。同じくれるというなら、去年のうちにくれる方がまだしも印象が良かっただろうに、年が明けてまだ 「ぐずぐず」 なので、選挙の票にも結びつかないみたいなことになってきている。

せっかくの膨大な予算を使いながら、ほとんど役に立たないことになってしまいそうなのだ。とか何とか言いながら、私はやっぱりもらっちゃうだろうけど。

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2009/01/04

たやすく人を死に追いやらないように

偽メール問題で議員辞職した、あの永田寿康・元民主党衆院議員(39) が、なんと自殺してしまっていた。(参照

偽メール事件の時には、その追及の仕方のあまりのお粗末さに、私も呆れてしまったが、最後には、呆れすらも通り越して、叩きすぎずに放っておく方がいいと書いた。(参照

水に落ちた犬は、放っときゃいいじゃん」 というエントリーで私は、永田批判をする当時のマスコミのはしゃぎすぎに、ずいぶんな違和感を感じてしまったのである。私はこのエントリーでこんなことを書いている。

これ、自戒をも込めて言うのだが、この件に関してのマスコミの論調、「俺らが最初っからわかってた見え見えのガセネタ、こんなに無邪気に信じちゃうなんて、信じられないぜ。民主党って、馬鹿だぜ!」 と言わんばかりのはしゃぎすぎだ。

自分に跳ね返ってくる心配がないからといって、ちょっとエラソーすぎやしないか。いくら滅多にないチャンスだからといって、鬼の首でも取ったように自らの優位を示しすぎである。マスコミってそんなことまで言う立場じゃないんじゃないか。

(中略)

もういいじゃん。そりゃあ水に落ちた犬を叩きまくるのは気持ちいいかもしれないけれど、周り中で便乗的に騒ぎ立てるのは、止めにしとこう。マスコミも、「刀の穢れ」 ってことを知ったらよかろうよ。

私がこんなことを書いたのは、当時の民主党のリスクマネジメントのお粗末さに失望してしまったという要素もあるが、なによりも、あの永田氏にちょっとした 「アブナさ」 を感じていたからである。この人、偽メール事件以前にも、かなりエキセントリックな振る舞いをしていた。

松浪健四郎氏に 「党首と何発ヤッたんだ!?」 と野次を飛ばして、コップの水をぶっかけられたり、社民党議員の質疑が始まった途端に、カメラに映っているのを意識した上で、大まじめに折り鶴を折り始めたり、ずいぶん 「ヘン」 なところがあった。だいぶ 「イッタ」 目つきでもあったし。

だから、私はこれ以上叩くのはちょっとヤバイよ、もう止めときなよという気持ちだったのである。まあ、「水に落ちた犬」 というのも、まさか自殺してしまうとまでは思わなかったので、ひどい書き方をしてしまったものだが、とにかく、「これ以上責めるのは、かえってカッコ悪いよ」 ということが、ひしひしと感じられてしまったのだ。

本当に、あれ以上調子に乗っていたら、私自身、今頃夢見の悪いことになるところだった。

似たようなことがもう一度あった。昨年 5月、松岡利勝前農相が自殺した時である。自殺前の松岡氏は、NPO 申請照会口利き、事務所費の不透明な支出、議員会館の光熱水費問題、100万円献金使途不明問題などなど、数々の疑惑まみれで追及されていた。

こんなにも疑惑まみれの松岡氏を、私は意識的に無視していた。同じ頃、柳沢厚労相 (当時) の 「産む機械」 発言に対しては 「東大法学部卒業だからといっても、頭が悪いものは悪い」 とか 「謝ったからといって、馬鹿が治るわけじゃない」 とか、ムチャクチャどぎつい突っ込みを入れているのに。 (参照

その一方で、松岡氏についてどうこう言う気には、なぜかなれなかったのである。で、彼が自殺してしまってから、その理由がわかったような気がした。一昨年 5月、私は 「動物的ヘジテーション感覚」 というエントリーで、次のように書いている。

彼が自殺したというニュースで、なぜツッコむ気になれなかったかが、得心された。下手にツッコんだら、いかにも壊れちゃいそうで、どうしてもためらわれてしまったのだよ。これは何というか、論理的というよりは、ある意味、直感的あるいは生理的なヘジテーション反応である。

(中略)

松岡さんの場合には、なんだかそんなような感じがヒシヒシとしていたのだ。調子に乗ってツッコみ過ぎたら、何だかよくわからないが、きっと後で夢見の悪いことになるぞというような気がしていた。

国会で鬼の首でも取ったように追及質問をする野党議員には、「あ~あ、知ーらないぞ、知らないぞ」 みたいな気にもなっていた。「お前ら、そんなノー天気に攻撃できるなんて、動物的直感が鈍すぎ!」 と。

この記事を私は、「責めるときでも、最後の逃げ道までは塞がないようにという教訓なのかもしれない。戦争じゃあるまいしね」 と結んでいる。

ただ、これはどちらかというと、自分本位の身勝手な発想である。いかにも受け身の下手そうなやつには、危険な角度の投げ技は仕掛けられない。下手すると頸椎骨折で殺してしまうことになる。

実は相手の身を思いやってというより、後で自分が嫌な思いをしなくても済むようにというセルフィッシュな発想というのが、どうにもお恥ずかしいところである。

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2009/01/03

肝心なのは英語教師の力量

「エイゴの時間」 というサイトに 「remember to do と remember doing」 というページがある。2つの言い回しの違いは何かということだ。

正解は "remember to do" は 「これからするこを覚えておく」 ということで、"remember doing~ は 「過去にしたことを覚えている」 ということだ。同じ意味じゃないのである。

その昔、学校英語で、不定詞と動名詞というのを教わった。そして不定詞にも名詞的用法と形容詞的用法と副詞的用法とがあって、どーたらこーたらで、名詞的用法の場合は、動名詞を使った場合と同じ意味になるとかいうのであった。実際はそんな単純なもんじゃないのだが。

前述の二つの用法は、どちらも名詞的用法だが、意味が違ってしまう。いや、もしかして "remember to do~" は副詞的用法の範疇 (「~するために覚えている」 って感じ) なのかなあ。ああ、わけわからん。こればっかりは、文法なんかで覚えるよりも、できるだけ英語に接して感覚で理解する方がずっと確実だ。

ネイティブ・スピーカーだって、いちいち 「これは名詞的用法」 とか 「これは副詞的用法」 なんて考えながら使い分けているわけじゃあるまいし。

昨年 12月 23日に書いた 「英語の授業と東京タワー」 という記事で、「高校の英語の授業は、原則として英語で進める」 という文科省方針に、現場の教師が困惑しているというようなことについて触れた。

高校でそのレベルの授業をするためには、中学できちんとした基礎を身につけなければならないだろう。しかし、中学の英語の先生って、本当に大丈夫なんだろうか。大丈夫な教師もいるんだろうが、私は自分の経験から、ちょっと心配である。

私は田舎の中学での 3年間を、英語教師のあまりのお粗末さに呆れて過ごした。昨年のエントリーで触れた上野先生の塾でちょこっと英語を習ったばかりの私が、中学の教師の教える英語のひどさには、毎回がっくりくるのである。そして、「この教師を信じたら、とんでもないことになる」 と感じていた。

とくに A という教師は発音から何から間違いだらけなのだが、中学校 2年の年のある日、とても我慢のならないでたらめを我々に教え込もうとした。"I stopped to read a book." と "I stopped reading a book." は、両方とも 「本を読むのを止めた」 という同じ意味だというのである。

普段は 「まったくしょうがねえなあ」 と聞き流すことに決めていた私だが、こればかりは我慢がならず、「先生、いくら何でも、それは違う」 と注意したのである。「本を読むために止まった」 と 「本を読むのを止めた」 とは、全然違う。

ところが彼は、「違わない、同じ意味だ」 と言い張る。「不定詞と動名詞は同じ意味だ。文法的にそうなっている」 と、しまいには怒り出すのである。私は 「それじゃ、先生は勝手にそう思っていればいい。こっちも勝手に本当のことを学ぶから」 と、匙を投げた。

この時、クラスメイトはその A という英語教師よりも私を信じた。私の英語の方が使い物になるということは、既に証明済みだったのだ。前述の 「英語の授業と東京タワー」 の記事で書いたように、中学 2年生の私が米国人と英語で話すのを、クラスメイトたちは目撃しているのだから。教師の A の方が、外国人と英語で会話できそうには到底見えなかったし。

後日 A は私にこっそりと、「あの時は済まなかった。後でよく調べたら、お前の方が正しかった」 と詫びてきた。当たり前だ。ただ、それまで何年生徒にデタラメを教えてきたのだ。

私は 「それじゃ、授業でもちゃんとそう言ってください。俺たちは嘘を教えられてしまったんだから」 と言ったのだが、ついに彼は授業の中では自分の間違いを認めなかった。多分、翌年からはその部分だけは修正されただろうが。

平成の御代の中学の英語教師は、いくら何でもこれほどにはひどくないだろうが、それでも私の不安は消えない。英語の授業は (本当は英語の授業だけではないだろうが)、文科省の方針以前に、教師の力量が大きく左右するのである。

高校の教師が、今さらながら英会話スクールに通って会話を学ぶなんてことがあるらしいが、お笑いぐさである。本来なら街の英会話スクールごときは、英語の教師が参加するには、ちゃんちゃらおかしいレベルのはずではないか。

「本当に英語のできるやつは、学校で子どもなんか相手にせず、自分の商売に使う」 と聞いたことがあるが、確かにそうかもしれないと思ったりする。そうなると、ちゃんとした英語を教えてくれる先生に巡り会うのは、よっぽど運がよくなければならないだろう。

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2009/01/02

給紙エラー続出の年賀状印刷

年末がバタバタの大忙しだったので、年内のルーティンワークに全然手がつかず、年賀状印刷を元日にようやく終えた。

で、毎年腹立たしいのだが、官製葉書ってやつをプリンターにかけると、どうしてこんなにも給紙しにくいんだろう。給紙エラー続出で、手間がかかってしょうがない。

宛名の面は白黒印刷で OK なので、レーザー・プリンターでサクサク仕上げたいのだが、これが全然うまく行かない。まあ、ウチのレーザー・プリンターが安物というせいもあるんだろうが、とにかくひっかかる。2枚に一度ひっかかるので、お話にならない。

仕方がないので、インクジェット・プリンターでシコシコ印刷する。jこれはとにかく手間がかかる。1枚印刷するのにレーザー・プリンターなら 3秒ぐらいなのに、インクジェットは、30秒ぐらいかかる。これは大きい。20分で一丁上がりになるタスクに、3時間ぐらいかかることになるのだ。

それに、ちょっと気を許しているとすぐに 「紙詰まり」 で止まってしまう。紙詰まりでなければ 「用紙がありません」 という表示が出る。「用紙がありません」 とは何事だ。ちゃんとセットしてあるのに、お前が認識できないだけじゃないかと、プリンターに毒づきたくなる。

しかし、これはプリンターばかりが悪いのではない。というのは、官製葉書以外の市販の葉書用紙は、こんなにも頻繁にプリント・エラーしない。割とスムーズに印刷されてくれる。官製葉書になると、とたんにエラー続出になるのだ。

これは一重に、官製葉書が分厚すぎるからだと思うのである。市販の葉書用紙はこんなに分厚くない。だから安物のプリンターでも易々と給紙してくれる。ところが官製葉書は不必要に分厚くて固いから、フィードしにくいみたいなのだ。

JP、もうちょっと考えてくれんかなあ。薄くすれば資源節約にもなるんだから。薄くして裏面が多少透けてしまうぐらいは、致命的欠陥じゃない。たかが年賀状じゃないか。

と、文句ばかりも言っていられないので、なんとか小手先の対策を試みる。何もしないとストレスで暴れ出しそうになるので、小手先でもなんでも、少しでも有効と思われる技は使うのだ。

最も効果的なのは、葉書をグリグリとロールして湾曲させてプリンター内部を通りやすくすることだ。このグリグリロールは、不必要に強すぎる葉書の 「コシ」 を折る (紙を折ってしまうという意味ではない) という意味もある。ゴワゴワ感を少しでも消してしまうのだ。

で、片面の印刷を終えたら、今度は裏側にグリグリロールして、反対側に湾曲させる。これをしないと、給紙エラーはますますひどくなって、頭を冷やさないとプリンターを蹴飛ばしたくなる。

というわけで、年賀状印刷というのは、一日仕事なのであった。まあ、印刷している間、ずっとかかり切りというわけではなく、他の仕事をしながらやっていられるので、PC を使う意味はあるのだけどね。

いずれにしても、元日中に印刷と肉筆で一言添える作業を終えたので、二日の早いうちに投函できる。三が日中にはしんどいかもしれないが、後は JP にお任せだ。よろしゅうにお頼み申す。

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2009/01/01

新年のご挨拶

恭賀新年。昨年の正月は喪中だったので、祝いの言葉は言えなかったが、今年は正々堂々と 「恭賀新年」 である。

とはいえ、去年の暮れはバタバタに忙しくて、年内に仕上げなければならない仕事はほとんどできなかった。年賀状も大掃除も、年明けに持ち越しである。

さて、今年は丑年である。思えば丑年って、私にとっては思い入れのない干支である。PC を使い、その年の干支をモチーフにした年賀状を書き始めたのが平成 11年の卯年からで、丑年については今年がお初なのである。

まあ、言ってみれば平成 23年までは毎年お初なのだが、他の干支はまだなんとなく馴染みがある。しかし丑年に関しては家族や近しい親類縁者に一人も丑年生まれがいないし、なんとなく縁遠い気がする。

とりあえず Wikipedia で調べてみると、次のように書いてある。

『漢書』 律暦志によると 「丑」 は 「紐」 (ちゅう:「ひも」 「からむ」 の意味) で、芽が種子の中に生じてまだ伸びることができない状態を表しているとされる。後に、覚え易くするために動物の牛が割り当てられた。

歌舞伎の 「河内山」 には 「暗闇の丑松」 という人物が登場するが、 なるほど、「丑」 というのは、まだ未明の状態のようなのだ。ふぅむ。で、各干支に動物のイメージが当てはめられたのは後になってからのことなのである。

で、転じて 「牛」 である。牛肉にあまり魅力を感じない私は、牛といえば、「十牛図」 というのを思い出す。これについては以前書いているので、こちら をご覧いただきたい。

禅の悟りを牛に喩えているのだが、これによると、「本当に深く悟った」 という状態も、十段階のうちの六番目に過ぎないのだ。そして、「悟りも、悟った自分すらも忘れてしまう」 という、究極にすら思える境涯も、まだ八番目なのである。

ああ、私ごときはこのうちの何番目にいるのだろうかと思ってしまうのだ。それでも、その中で遊ぶのが人生と思うわけなのである。

というわけで、今年の年賀状は、こちら をどうぞ。

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