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2009/05/05

『唯一郎句集』 レビュー #25

「病中吟」 と題されたかなりペシミスティックな 4句の後に、夏の光景の 3句が続く。健康を取り戻したようで、唯一郎特有の新感覚派的なシュールレアリズムも復活した。

旅に出るでもなく、特別の場面に遭遇するでもなく、目立った軋轢があるわけでもない。日常の中に小さな非日常が見出される。

世間一般の価値観とか意味付けとかを、何の疑いもなく受け入れる者には見えないものが、唯一郎の眼にはいつも見えていたのではないかと思う。当たり前以外のちょっとしたことは、ステロタイプな判断からは切り捨てられる。唯一郎の注目していたのは、その切り捨てられがちの、一見無意味な感慨だったのだろうと思う。

この一見無意味な現象の中に何を見出すのか。唯一郎の場合は、どちらかといえばペシミスティックなあわれさとか、哀しみのようなものだったようだ。ただ、そこに耽溺したわけではなく、むしろ客観的に表現するところが、シュールレアリスティックな味わいになっている。

レビューを始めよう。

鼈甲縁の眼鏡を折々は曇らして訪ね來る夏朝かな

「夏朝」 というのを何と読むべきか。「夏朝や」 で始まる俳句もあるから、ここは素直に 「なつあさ」 と読んでおこう。辞書の見出し語には見つけにくいが、そういう季語なのだろう。唯一郎は自由律の俳人なのに、伝統的な季語が好きなようで、それについては前にも触れた。

ただ唯一郎のユニークなのは、「夏朝」 という季語を、まるで輪郭のある実体的なもののように歌っているところだ。擬人化された 「夏朝」 が訪ねてくるというのである。

さわやかな夏の朝ならいいが、時々は眼鏡を曇らせるほどの湿度で、訪ね来る。昔 「ミスター・サマータイム」 という歌があったが、これは 「夏朝じいさん」 かもしれない。

遠景の夏雲がゆらゆら飛んでゆく地を這ふ毛虫

唯一郎が得意とする、意表をつくフラッシュバック効果。遠景と近景、天と地、飛ぶものと這うものの圧倒的な対称。

現代の映画の手法としても、うまく使えば斬新だ。これで、自分の見ている世界というもののかなりの部分が、有機的なまでに表現されてしまう。

真青な鶏頭に眼をとめて居る羅物の腰の圓さ

色づく前の青い鶏頭を、身を屈めて見ている女。「羅物」 は 「うすもの」 と読む。

色づく前の鶏頭と、薄い生地の着物を通して感じられる成熟した腰の丸さ。これもまた、唯一郎得意とするフラッシュバック効果である。

かなり視覚的な 3句。今日はこれぎり。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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