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2009/05/13

エラソーな理系が注意すべきこと

昨日まで 2回連続で話題にした 「モスキート音」 のニュースを知ったのは、TBS ラジオの 「アクセス」 という番組中の 「バトルトーク」 という視聴者参加型プログラム経由だった。

で、昨夜たまたまこの番組を聞いたら、ちょっとむっとする発言があったので、ここでうっぷん晴らしをさせていただく。

昨夜は帰りが遅くなり、駐車場に戻ってカーラジオのスイッチを入れたのが夜中だったので、この番組が終わる直前だった。だからその前までの話の成り行きは聞いていない。しかし、成り行きはわからなくても、私のむっときたのは一部分なので、それについて書く。

ちょうどそこに登場していた聴取者は、「自分はシステムエンジニアで、妻は医者」 という、ちょっとエラソーな男性。彼は最近の 「何でもエコ」 という風潮が気に入らないらしい。こんなことを言っていたのである。

「我々は夫婦で理系ですから、よく二人で話するんですが、文系の言う 『エコ』 なんて、何の説得力もないわけですよ」

ほほう、まあ、そういう人はよくいるよね。あまり付き合いたくないけど。そしてその後に続いたのが、こんなような発言だった 「彼らは耳ざわりのいいことばかり言いますがね」 (録音してたわけじゃないので、このままだったかどうかは定かではないが)

ははあ、この人、確かに理系だね。でも、いくら理系でも、ラジオの電波を使って自分の意見を全国に発信したいというなら、日本語ぐらいは正しく使ってもらいたい。そうでないと、「理系の言う日本語なんて、何の説得力もないわけですよ」 なんて言われかねない。

私は、書き言葉としての 「耳障りがいい」 は明らかな間違いだから認めない。そして、カジュアルな口語としての 「耳ざわりがいい」 は、しぶしぶ認めないでもないが、それはとても破格の用法であり、昨日のラジオに登場されたようなエラソーな方がエラソーに使うと、とたんにお里が知れる。(参照

まあ、今回は文系エコ派として、過剰に反応してしまっただけかもしれないが。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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言葉」カテゴリの記事

コメント

いるんですね~、そういう理系の人。
私は人文系学部出身ですが、入学後のガイダンスで、
「この科学万能の時代に、文系の人間の存在価値ってなんでしょうか?」
と某教授に質問した学生がいました。
教授の答えは、

「確かに理系の人間がいないと進歩していかないが、理系だけだと社会は非人間的な方向に突っ走ってしまう。その方向修正をし、うまく操ってやるのが君達文系の役目だ。頑張って下さい」

このエントリーみたいな理系さんには、確かに必要ですね。

投稿: Pales | 2009/05/13 15:36

Pales さん:

>うまく操ってやるのが君達文系の役目だ。

その教授も、すごいことおっしゃいましたね ^^;)

投稿: tak | 2009/05/13 15:41

まぁそういう間違いは文系でもやるとは思うんですが……(^^;

ここに一つの時計があったとして、今何時かは分かるけど時計の仕組みは分からないのが文系で、時計の仕組みは分かるけど今何時かは分からないのが理系である、というのは如何?

投稿: 山辺響 | 2009/05/13 16:07


理系、文系という命題ですが

その教授の言葉は、自衛隊に於ける制服組と背広組
文民支配の話しみたいですね

tak-shonai さんはご自分でいつも文系だとおっしゃるけれど、極めてロジカルな人ですよね

私は大学での専攻科目の後遺症 (笑) もあるだろうが、ロジカルか否かの違いの方が、人間の区分けとして重要だと思う

理系の学科ができるから頭がいいというのは間違いですよね

いわゆる文系の卒業者でも、論理的に思考するものと、そうでない、山辺響さんのおっしゃるブラックボックスだらけの (笑) 人もいる

ただ、よく言われる理系の人の情緒不足というものは、一部、あるかも知れません

投稿: alex99 | 2009/05/13 19:55

山辺響 さん:

>まぁそういう間違いは文系でもやるとは思うんですが……(^^;

確かに (^o^)
今回のは、大人げなくも、売り言葉に買い言葉です。

>ここに一つの時計があったとして、今何時かは分かるけど時計の仕組みは分からないのが文系で、時計の仕組みは分かるけど今何時かは分からないのが理系である、というのは如何?

理系の人から、「今何時かぐらい、見りゃわかるぞ」 と突っ込まれそうです ^^;)

投稿: tak | 2009/05/13 20:33

alex さん:

>tak-shonai さんはご自分でいつも文系だとおっしゃるけれど、極めてロジカルな人ですよね

私は理論的 (theoretical)じゃないですが、論理的 (logical) ではあると自負しています。
論理学 (logic) というのは、文系の学問ですしね。

ただ、論理的積重ねがうっとうしくなると、つい直観に走ります ^^;)

論理というのは、レンガを積重ねるように一つずつ突き詰めて行く必要がありますが、直観は、一筆書きの如くに、さささぁっと描けてしまいます。

アインシュタインの相対性理論も、彼の直観がなければ導かれなかったと思っています。

投稿: tak | 2009/05/13 20:45

私は理系の人間なので、その方の弁護に回りたいと思います(^-^)

確かに言葉の使い方に問題があったのでしょうが、その方の言いたいことは多分そこにはなかったのでしょう。

私も「こんな馬鹿なことに金を使うなら、ちゃんと理系の人間の研究費に使ってくれよ」と思うことが多いのです(研究って言うのは地道でお金のかかることで、理系の人間はお金の不足に悩んでいるのです)。

例えば、某企業の「東南アジアでのマングローブ植林活動」(大きなお金を使う事業の例)
元々マングローブ林のある海岸で、マングローブが生えることの出来ない深いところに田植えのように植えたってすぐに枯れるに決まっています。
とか、
よく小学校なんかが取り組んでいる「EMぼかしは何にでも効くから、河川浄化のために川にぼかしを撒こう」(身近な取り組みの例)
ぼかしは肥料として畑に撒くもので、それを川に撒いたらCODがむちゃくちゃ高くなって、逆効果だ。
とか、
悲しいくらいむちゃくちゃなことを、平気で(いや素晴らしいことと信じて)するのです。

文系の人が苦手とする分野のことは、それなりの人にきちんと問い合わせるようにして欲しい。と私は思っていますし、きっとその方もそういう風に言いたかったのだろうなぁと言う気がします。

投稿: 蝠樂亭 | 2009/05/13 22:45

蝠樂亭 さん:

>文系の人が苦手とする分野のことは、それなりの人にきちんと問い合わせるようにして欲しい。

それは、まったくもって正論です。
理系の領域を情緒でやって、ろくな事はありません。

この単純なことをこれ以上難しく語ろうとすると、あの不毛な 「疑似科学論争」 に陥りそうなので、やめておきますが。

投稿: tak | 2009/05/14 07:45

今回の話の肝は文系・理系問わず偉そうに話す人は、結局人望を得にくいってことですかね?
あ、
だから麻生首相は。。。(笑)

投稿: 雪山男 | 2009/05/14 09:11

エラそうな理系のフリをしてみたいと常々思っております。で、理系の人間って嫌われ者が多いのね。と今更思ってしまいました。

というか、自分でも理系の人間の我の強さは感じています。

エコについての認識は、この理系さんまったくもって自分の認識違いですね。エコロジーって、なにもそんなに片意地張って訴える問題でもないでしょうに。と、偉そうに言ってみる。

投稿: やっ | 2009/05/15 00:09

雪山男 さん:

>今回の話の肝は文系・理系問わず偉そうに話す人は、結局人望を得にくいってことですかね?

結局そういうことでしょうかね。

投稿: tak | 2009/05/15 09:08

やっ さん:

>エコについての認識は、この理系さんまったくもって自分の認識違いですね。エコロジーって、なにもそんなに片意地張って訴える問題でもないでしょうに。

「エコ」 と思ってやっていることの中に、多くの見当違いがあることは、蝠樂亭さんのおっしゃるとおりで、それについては、活動プロセスの中で柔軟に修正していかなければなりません。

ただ、"「エコ」 と思ってやる" という気運をそぐような言動は、慎まなければならないと思うのです。
(「エコ大嫌い」 というなら、別ですが ^^;)

「エコ」 に限らず、何事も人間の歴史はトライ&エラーの繰り返しです。短期的には明らかに見当違いのことが、長期的には何とか収まりがついてきたりするものです。

直接的な因果関係のみを取り上げて論じるのは、理系人間の陥りやすい罠であると、私は思っています。

人間社会と自然は複雑系なのだということを十分に把握してものを言う理系は、少ないようです。自分の得意分野の視点からのみ批判的なことを言うケースが多い。

これは、経済学にも言えそうですが。

頭のいい人が 「こうすればいいんだ」 と一方的に言っても、運用が困難なんです。それを理解できる人間は非常に少ないので。

だから、私はいつも 「人間の歴史とは、限りなく多くのうんざりするような要素がとぐろを巻くようにからまりあって、こけつまろびつ進むもの」 と言っています。

投稿: tak | 2009/05/15 09:18

「耳触りがいい」
っていうのは、誤りではないとおもうのですが。
耳障りなら、そもそも「耳障りだ¥でおわりでして、悪い意味でつかいますが、耳触りの良い言葉とか耳触りのいい音楽とかは、普通に使うとおもうのですが、いかがでしょうか?
辞書には載っているようですが・・・

投稿: かみさん | 2009/05/20 16:35

かみさん:

>辞書には載っているようですが・・・

ありゃ、本当だ。Goo 辞書に載ってる。

「大辞林も堕落したなあ」 なんて言ったら、負け惜しみに聞こえるでしょうか ^^;)

個人的には、使いたくない言い回しです。

投稿: tak | 2009/05/20 19:01

takさん

『耳触り』について、私も使いませんが少々気になったので、手元の古い広辞苑(第二版補訂版、昭和55年発行)を引いてみました。

『みみざわり』は『耳障り』としか記載されておらず。
(意味については記載するまでも無いですね。)

同じ発音で反対の意を持つ単語というのは、例え表意文字を用いることで視覚的には識別出来ても聴覚的には錯誤要因となることは避けられませんから、使いたくない/使うべきでない表現だろうという私見です。
学者さんの中には『耳触り』は認めないという見解を展開される方も居られるそうですし。

広辞苑も絶対では無いでしょうし、四半世紀前を大昔と云ってしまえばそれまでですが、『耳触り』という語句表現にはそれほど歴史も含蓄も無いのかなという印象でした。

以上、オジサンのぼやきが混じってますが。(笑)

投稿: 貿易風 | 2009/05/21 02:44

貿易風 さん:

>同じ発音で反対の意を持つ単語というのは、例え表意文字を用いることで視覚的には識別出来ても聴覚的には錯誤要因となることは避けられませんから、使いたくない/使うべきでない表現だろうという私見です。

厳密には 「同じ発音で反対の意を持つ単語」 というわけではなく、

「みみざわりだ」 と言ったら、「耳障り」で

「みみざわりがいい」 と言ったら 「耳触り」 なんでしょうね。

ただ、錯誤要因であるとは十分に言えます。
というわけで、個人的には使いたくないし、オススメもしたくないですね。

>『耳触り』という語句表現にはそれほど歴史も含蓄も無いのかなという印象でした。

「困った日本語」 ではありますね ^^;)

投稿: tak | 2009/05/21 08:59

人間、謙虚な姿勢が必要だと思います。

投稿: 市田(株) 元社員 | 2009/05/26 20:46

市田(株) 元社員 さん:

>人間、謙虚な姿勢が必要だと思います。

その通りですが、それで?

投稿: tak | 2009/05/27 08:58

手触り、肌触り、舌触りなどは、みんな触覚に関することなので「触り」という字を使っているわけで、この字は基本的に聴覚には使えないような気がします。

みみざわりのさわりが「障り」だという認識がない状態で使用する人が増えて耳の感触という誤解が生まれ、一部の辞書が追認するようになったんでしょうね。昔は「耳に心地良い」とか「響き(聞こえ)がいい」とか言ってた気がします。

投稿: ぐすたふ | 2009/05/27 18:49

ぐすたふ さん:

全面的に御意。

投稿: tak | 2009/05/27 20:44

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