« やっぱり梅雨は長引いた | トップページ | 錯覚と歴史の物語化 »

2009/08/04

「お返し」 という風習

JR 山手線の車両では、ドアの上に液晶モニターがあって、CM やスポンサー企業制作の短いプログラムが放映されている。

その中に任天堂提供の 「大人の 60秒講座」 というのがある。ビジネスマナーを中心とした豆知識を提供するものとして、ファンも多いようだが、私はあまり評価していない。

名刺の正しい受け取り方とか、お辞儀の角度とか、着席の順番とか、車の座席の序列とか、手紙の時候の挨拶とか、初対面の人との会話での当たり障りのない話題とか、そりゃ、知らないよりは知っていた方がいいというぐらいの知識を、権威あるマナーの如く紹介する。

知らない人にとっては、案外 「目から鱗」 みたいなものなのかもしれないが、実際問題としては、別にそんなことは知らなくても構わないみたいなことも多い。常識的なことは別として、あまり微に入り細に入りすぎた形式的マナーは、こだわりすぎるとかえって邪魔になることがある。

実際問題として、名刺の受け取り方なんて、あまりぞんざいにしなければいいというぐらいのもので、大勢の名刺交換の時なんかは、一人があまり作法通りにやりすぎると、後がつっかえて迷惑になったりする。身に付かないことをやりすぎると、いかにも 「私、新人セミナーを受けてきたたばかりです」 みたいなイメージを醸し出して、滑稽だったりする。

ブロゴスフィアでも、「役に立つ」 という反応がある一方で、「どうでもいい虚礼じみたことばかり押しつける」 などと批判的な意見もみられる。それに、本当に 「役に立つ」 かということも、実際はかなり疑問だ。電車の中でちらっと見たことなんて、その時は 「へぇ~!」 と思っても、その日の午後には大抵忘れてしまっているものである。

私としては、名刺交換で妙にかしこまるよりも、道を歩いていて他人とぶつかった時にはきちんと謝る (参照) という方が、ずっと実践的なマナーだと思うのだが、このプログラムではそんなことが紹介されていた例しがない。

ところで今日電車で見た  「大人の 60秒講座」 は、「贈り物の習慣で、日本独特のものは何か」 という設問で、その答えは 「お返し」 というものだった。これは、微妙な答えである。正しくもあり、間違いでもある。

民族学の世界で、贈与に対する返礼が日本独特のものだなんていったら笑われてしまう。日本のお返しなんて、ある意味生やさしい。贈与・返礼で一番有名なのは、「ポトラッチ」 である。北米インディアンの風習で、互いにパンクするまで贈与と返礼を繰り返す。

一方、欧米社会では確かに、贈与に必ず返礼をしなければならないという観念は薄い。しかし皆無というわけではない。英語でも "acknowledgment" という単語があり、「謝辞、感謝のしるし」 といったような意味を含んでいる。

まあ、欧米ではモノの贈与に対して直接モノで応えるというようなことは少なく、大抵は丁重なお礼の言葉を返す。もらって迷惑なものでも、一応は心にもないような言葉でお礼を言う。それをしないと 「礼儀知らず」 ということになってしまうところは、日本の 「お返し」 と同じである。

一般には、東洋は精神文化で西洋は物質文化だという迷信的言い方がされているようだが、贈与・返礼に関する限り、それは一見したところ、逆である。西洋人は 「心を込めた (ように感じられる) 言葉」 で感謝するが、日本人の多くは 「機械的にでもモノを返しておきさえすれば義理は果たせる」 と思っている。

私個人としては、モノに対して直接モノで応える日本式の 「お返し」 という風習 (虚礼) は、かなりうっとうしいと思っている。できればなくなってもらいたいぐらいだ。返礼は 「お礼の言葉」 で十分ではないか。

それに、単に儀礼的な 「お返し」 でもらうモノ (香典返しとか) って、本当に 「つまらないもの」 ばっかりで、持って帰るのも面倒だし、持って帰っても食ったり飲んだりするものだとあまりおいしくなかったりするし、そうでないと置き場所やしまい場所に困る。かといって、すぐに捨ててしまうわけにもいかないし、なかなか始末に困るのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

|

« やっぱり梅雨は長引いた | トップページ | 錯覚と歴史の物語化 »

比較文化・フォークロア」カテゴリの記事

コメント

最近は、香典返しはカタログから選択するのが主流のようですね。これならまあまあ使えるものが手に入ります。不満の声が多く、改善されてきてるようです。

しかし結婚式の引き出物は相変わらずで、しゃぶしゃぶ鍋、チーズフォンデュの鍋とかで押入れに眠ったままです。
ただのフライパンならいつかは使うのでそっちのほうがありがたいのですが。

ところで結婚式の祝儀袋の折り返しの部分は下から折り返すほうが上に重なる(福を受け止める形)、香典袋はその逆だなんて10年位前まで知りませんでした。こんな細かいマナー(習慣といったほうがいいのか)はむしろ摩擦の元、社会の害悪とさえ思います。他にも、どうでもいいようなことを、マナーだ、常識だとメディアが伝えてるのを見ると、ちょっと複雑です。私が社会から乖離しているのかもしれませんが。

投稿: 偽浜っ子 | 2009/08/06 11:32

伝統と格式ってのを重んじるほうですが、それに踊らされること自体、好きではありません。

 『形骸化したマナー』の尺度で、「こいつは物を知らん」という扱いを受けることが、もっとも腹立たしい。
 心のこもっていない『マナー』でも、やらんよりはましなのでしょうが、場合によっては滑稽に見えてしまいます。

投稿: 乙痴庵 | 2009/08/06 12:51

偽浜っ子 さん:

>最近は、香典返しはカタログから選択するのが主流のようですね。これならまあまあ使えるものが手に入ります。不満の声が多く、改善されてきてるようです。

軽くてかさばらず、好きずきのないものとなると、お茶なんかが選ばれやすいようですね。
でも、個人的には要らないんだけどなあ ^^;)

>ところで結婚式の祝儀袋の折り返しの部分は下から折り返すほうが上に重なる(福を受け止める形)、香典袋はその逆だなんて10年位前まで知りませんでした。こんな細かいマナー(習慣といったほうがいいのか)はむしろ摩擦の元、社会の害悪とさえ思います。

冠婚葬祭というのは、迷信で成り立っている部分が大きいので、なかなか変わりません。
私も折り返しなんてどうでもいいと思いますが、気にする人が過剰に気にするので、どうしてもそれに合わせがちです。

あまりにも重箱の隅的マナーは、うっとうしいですね。

投稿: tak | 2009/08/06 12:57

乙痴庵 さん:

> 『形骸化したマナー』の尺度で、「こいつは物を知らん」という扱いを受けることが、もっとも腹立たしい。

細かいことにうるさい人が、思いっきり座布団の上に立ったまま、ぺこぺこお辞儀したりしているのをみると、「まあ、いいや」 ってな気になっちゃったりします ^^;)

投稿: tak | 2009/08/06 13:00

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42004/45831602

この記事へのトラックバック一覧です: 「お返し」 という風習:

« やっぱり梅雨は長引いた | トップページ | 錯覚と歴史の物語化 »