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2009/12/07

「懐かしい」 とポストモダニズム

昨年 4月に "英語には 「懐かしい」 とう言葉にぴったりと対応する単語がない" と書いた。英語だけでなく、欧米語にはないのだそうだ。

これは、日本人と欧米人のメンタリティの違いによるのではないかという推論を書いた。要するに、「懐かしい」 というのは、欧米人にとってはとりとめがなさすぎる感慨なのだろう。

それから、「懐かしい」 が欧米語になりにくいのは、主語をどうするかという問題もある。日本語では 「故郷の山が懐かしい」 などという言い方をするのだが、この場合、主語が自分ではなく、対象物である 「故郷の山」 になっているように見える。文の構成として、「懐かしい」 という情感が 「故郷の山」 の属性ということになる。

論理的に考えるとちょっとおかしい。そこで、この場合は 「私はチョコレートが好き」 というような言い方と同じで、「故郷の山」 というのはあくまでも目的格と考える方が都合がいい。つまり、言葉のはたらきとしては 「チョコレートが好き」 「あなたが好き」 というのと大差ない。

しかし、ここにも問題がある。「好き」 というのは辞書で引くと、名詞、形容動詞とあって、例えば 「あなたが好き」 というのは 「あなたが好きだ」 の省略形なのだ。一方、「懐かしい」 は形容詞である。

形容詞である以上、「故郷の山が懐かしい」 という文の主語は、やはり 「故郷の山」 なのだ。「故郷の山が好きだ」 というテキストとは、情感としては共通しているが、論理的構造としては明らかに違う。

本来なら目的語になってこそしっくりくるはずの対象物が、なぜか主語になってしまう。それが、欧米語のコンセプトに馴染まないのだろう。懐かしさを感じるのはあくまでも 「自分」 なのに、その自分が主語にならないばかりでなく、表現の中のどこにも登場しないのだから、かなりの違和感になってしまうのかもしれない。

辞書によると、「懐かしい」 は 「懐く (なつく)」 という動詞の形容詞化したものだという。とすると、元々の発想は、「私は故郷の山に懐いている」 ということなのだろうが、この言い方では 「懐かしい」 という形容詞に込められた万感の思いが表現されない。「懐く」 が 「懐かしい」 に変化した時点で、言葉のニュアンスがものすごく豊かになってしまったのだ。

例えば、「あなたがいなくなると淋しい」 という場合、英語では "I miss you." と言う。直訳だと 「私はあなたを失う」 という甚だ即物的な言い方だが、英語のニュアンスだと、あなたと離ればなれになることによる喪失感のような、万感の思いが、"miss" という単語に込められる。

で、「懐かしい」 というような思いを表現する場合、"I" (私) を主語にして万感の思いを込めることが可能な、"miss" のような働きをしてくれる単語が、英語にはないのである。それで、英語では 「懐かしい」 と言えないのだと思う。

思えば、日本語というのはかなりミステリアスな言語である。「故郷の山が懐かしい」 なんていう、よく考えてみると摩訶不思議な構造のセンテンスを、なんの疑いもなく受け入れてしまうのだから。

そして言葉の構造がミステリアスだということは、日本人の自我というものの構造もかなりミステリアスなのだということにつながるだろう。これは決して悲しむべきことではなく、ポストモダニズムの飛躍のキーになるほどの重要なことだとまで、私は思っている。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

旧記事も拝読しました。

「主語をどうするかという問題」は、寅さんも葉書には「懐かしく思います」と私を主語にしていて、「(対象物)が懐かしい(懐く)」という表現は口語での明らかに間違った使い方でしょう。

日本語の精神構造とか文化の特徴もそこにあるかも知れませんが、「故郷の山川などを思い出す」という現象自体を概念化すれば「望郷」とか「追憶」となって、一方missではちともの足りないと言うのも理解できます。

概念としての「ノスタルジー」ならば、主語は対象物であってもよく、形容詞としても副詞としても使えますので、「懐かしい」の持つ意味合いを全て含有するでしょう。

投稿: pfaelzerwein | 2009/12/07 16:45

pfaelzerwein さん:

>「主語をどうするかという問題」は、寅さんも葉書には「懐かしく思います」と私を主語にしていて、「(対象物)が懐かしい(懐く)」という表現は口語での明らかに間違った使い方でしょう。

微妙な問題ですが、「(私は)○○を懐かしく思います」 の場合は、明らかに主語は省略された 「私は」でしょうが、「○○が懐かしい」 は、少なくとも口語では間違いとは言えないと思うのです。

「あなたが愛おしい」 と同じような使い方で、「私はあなたを愛おしく思います」 とは別の構造のテキストと見ることもできるでしょう。

「花が美しい」 ―― 「私は花を美しく観じます」 とそれほどの距離はないような気がします。

とまあ、いずれにしても、日本語というのは微妙すぎる構造をもっていて、割り切りにくいのですが。

>概念としての「ノスタルジー」ならば、主語は対象物であってもよく、形容詞としても副詞としても使えますので、「懐かしい」の持つ意味合いを全て含有するでしょう。

"Nostalgia" という概念は、「懐かしい」という言葉ほどには、個人的な記憶に依存しないのではないでしょうか。

投稿: tak | 2009/12/07 21:13

いつもながらの鋭い分析には、
まったく敬服してしまうのですが、
今回のは、まさに「ツボ」でした。
大昔に聴いたカーペンターズの「イエスタディ・ワンスモア」の歌詞、
Every Sha-la-la-la
Every Wo-o-wo-o
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they're startin' to sing's
So fine
あの曲の切ない感じが、
どうしてStill shinesだのSo fineだのといった
雑駁な言葉になってしまうのか、
中学生なりにとても不思議でしたが…。
今回のコラムで、ようやく理由がわかりました!

投稿: なるとも | 2009/12/08 15:30

 こんちはっ。
 ポルトガル語の有名なSaudade(サウダージ)って単語は、この場合どうなるんでしょうか。結構、日本語の「懐かしい」に近しい意味合いの微妙で複雑なニュアンスの言葉っぽく私は感じたりします。
 日常で使う平易な口語かどうかってのは、ポルトガルやブラジルにいったことがないので、わからないんですけど(苦笑)。
 そのせいかどうかわからないんですけど「ポルトガル民謡のファドはヨーロッパの演歌だ」なんていわれたりもしているみたいですね。

投稿: まこりん | 2009/12/08 16:05

なるとも さん:

>あの曲の切ない感じが、
>どうしてStill shinesだのSo fineだのといった
>雑駁な言葉になってしまうのか、

"still shine" は、「今もきらきらよ」って感じでわかります。

"so fine" は、shine と韻を踏んでいるだけってことでしょうかね ^^;)

投稿: tak | 2009/12/08 17:15

まこりん さん:

>ポルトガル語の有名なSaudade(サウダージ)って単語は、この場合どうなるんでしょうか。

おぉ、欧米語にも 「懐かしい」にものすごく近い単語があったじゃないですか。
これは奇跡みたいな言葉ですね。

ポルトガルってラテン語圏の辺境だから、なかなか味わい深いところがあるみたいですね。

投稿: tak | 2009/12/08 17:20

以前の記事は自分が初コメントさせていただいたものですね。ちょっと懐かしいです(^^

>"Nostalgia" という概念は、「懐かしい」という言葉ほどには、個人的な記憶に依存しないのではないでしょうか。

形容詞のnostalgicなら、This song is so nostalgic! They are so nostalgic for (to) me, How nostalgic!, みたいな言い方はできるみたいですよ。

You Tube の古いテレビ番組やビデオクリップなどのコメント欄には、OMG! I used to watch these shows when I was a kid. Thank you for posting this. みたいな書き込みをたくさん見かけますし、そういうところから判断する限りでは、昔のものを懐かしむ気持ちというのは欧米の人たちにもあるのではないかという気がします。

omg "i used to watch" "thanks for posting"をセットにして(ウェブ全体で)ググるとかなり興奮した人たちのコメントがぞろぞろでてきます(^^;

ただ、Takさんは、日本人のように物がきっかけとなって記憶に引き込まれる(あるいは一体化する)のではなく、自分という主体は動かずに、その物にまつわる思い出を今いる場所から眺めている感じ、という趣旨のことをおっしゃっている印象を受けるのですが、だとすれば、そういう部分もあるのかなあという気もします。そのような違いがあるのだとすればとても興味深いですね。何がきっかけでそういうメンタリティの差が出てくるのでしょうか。

以前の記事で紹介されていたマイクさんのサイトにも(リンクが切れていますがwebarchiveで確認できます)

ところがこれが「君、山口君じゃない、なつかしいねぇ!」となりますと、"Isn't it you, Mr. Yamaguchi! It's so nice to see you again."というふうに「なつかしいね」が、きえてしまいますね。つまりこれだけ言語上の文化的違いがあるということだと思います。

という説明があるので、なつかしさを感じる場面や感じ方には微妙な違いがあるのかもしれませんね。

投稿: ぐすたふ | 2009/12/08 19:14

追記 何度も投稿に失敗してしまったのですが、webarchiveのURLを投稿に含んでいたことが原因だったようです。

http://furyu.tea-nifty.com/annex/2007/08/post_4bae.html
によると

ココログ自体やウィキペディアなどもひっかかってしまうようですね。一応ご報告しておきます(対策自体はとてもよいことだと思います)。

投稿: ぐすたふ | 2009/12/08 19:26

ぐすたふ さん:

>You Tube の古いテレビ番組やビデオクリップなどのコメント欄には、OMG! I used to watch these shows when I was a kid. Thank you for posting this. みたいな書き込みをたくさん見かけますし、そういうところから判断する限りでは、昔のものを懐かしむ気持ちというのは欧米の人たちにもあるのではないかという気がします。

そうした気持ちは、確かに世界共通でしょうね。

>物がきっかけとなって記憶に引き込まれる(あるいは一体化する)のではなく、自分という主体は動かずに、その物にまつわる思い出を今いる場所から眺めている感じ、という趣旨のことをおっしゃっている印象を受けるのですが、

日本人の 「懐かしい」 は、おっしゃる通りの感覚が強いという気がしますね。

写真とかビデオとかをみて、「わぁ~、昔を思い出しちゃうわぁ~!」 という感じももちろんあるんですが、対象物を目の当たりにしなくても、心の中に常に潜む感慨というか。

日本人というのは、懐かしがるのが好きなメンタリティをもっているのかもしれません。

>ココログ自体やウィキペディアなどもひっかかってしまうようですね。

ココログのスパムフィルタの設定なんでしょうけど、ココログ自体やウィキペディアが引っかかるのは、よくわからないですね。
前に何か問題が生じたのかなあ。

投稿: tak | 2009/12/09 11:24

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