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2010年1月に作成された投稿

2010/01/31

『唯一郎句集』 レビュー #100

今日の 『唯一郎句集』 レビューは、早春から晩春にかけての作と思われる 4句である。さっそくレビューに入る。

葱の香に雪はれて葱を掘り張りくる乳房

「張りくる乳房」 などというと、女性の句と勘違いされそうだが、これは多分、出産の近い妻の様子を句にしたものだろうと思われる。私の母は 10月の生まれだから、多分、伯父の誰かが生まれる時のことだ。

畑で葱が育つようになり、雪が晴れて青空がのぞくようになった。庄内の暗い冬が終わりかけ、ようやく命の息吹が感じられるようになった頃、新しい命が生まれようとしている。

日本主義者らむれてゆくにことに降る雪の山茶花

「日本主義者ら」 というのは、この頃台頭していた国粋主義を信奉する者たちのことを言っているのだろう。唯一郎は国粋主義に対してはかなりシニカルな見方をしているように思われる。

群れて声高に政治を論じながら行く者たちに雪は降りかかり、山茶花がぽたりぽたりと落ちる。

蛙遠く鳴き山うどの和など辛い

山うどが食卓に上るのは、雪が解け、すっかり春になってからだ。「和」 は 「あえ」 だろう。冬眠から覚めた蛙たちの鳴くのが遠く聞こえる中で、山うどの和え物を食べると、辛い。

遠くの鳴き声と、口の中の辛さ。

まろい手の甲が見え著莪の花の雨

著莪は 「しゃが」 と読む。私の和歌ログに写真が載っている (参照)。小さいがよく見ると妖艶さを感じさせる花だ。

「まろい手の甲」 とは、子どもの手のことか。子どもたちが著莪の花を摘んでくる。春の雨が優しく降る。

本日はこれぎり。

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2010/01/30

『唯一郎句集』 レビュー #99

『唯一郎句集』 の今回レビューするのは、今頃の季節より少し進んだ、立春過ぎの季節の句だと思う。立春過ぎとはいえ、酒田はまだまだ寒く、根雪は解けていない。

私が酒田で暮らしていた昭和 40年中頃までは、真冬の道は雪で覆われ、3月になるまで根雪が残った。近頃では、真冬に酒田に帰っても全然雪の積もっていないことも多いのに驚く。中学校や高校のグランドで、野球部が元気な声を出して練習している。昔は信じられないことだった。

こんな風に地球が温暖化したので、近頃は甲子園野球でも東北や北海道の高校がけっこう活躍できるのだと思う。昔は冬には体育館で腹筋や腕立て伏せでもしているしかなかったから、練習にならなかったのだ。

というわけで、隔世の感を覚えつつ、レビューに入ろう。

母の雪沓の雫よこの川うすらひの雪を覆ふ

「うすらひ」 は漢字では 「薄ら氷」 と書き、読みは 「うすらい」。薄氷のことで、歳時記では春の季語ということになっている。

母の雪沓とはどんなものだったのか。ゴム長靴は昭和初期には一般化していたようだから、多分、そんなものだったろう。

所々に薄氷の張った川の畔は雪で覆われ、その雪の中を歩く母のゴム長靴に付いた雪が解け、雫になって流れ落ちる。

唯一郎は妻のことはあまり句にしないが、母のことは愛情を込めてよく句にしている。

ひき舟ともづななのたわみもとおい山々の雪

ひき舟が川岸につないである。その舟をもやうともづながたわむ。たわむのは川の流れが早くない証拠だ。

遠い山々の雪が解けて水量が増える春には、ともづなもぴんと張るようになる。庄内の春はまだ遠い。

本日はこれにて。

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2010/01/29

iPad に興味津々

Apple が iPad というタブレット PC というか、情報端末というか、まあ、そういったものを 3月から展開するという情報に、私は興味津々である。

うちは 5人家族 (妻と娘 3人) で、この 5人が 5台の PC を使っている。私がデスクトップとモバイルの 2台を使っていて、長女と次女がそれぞれ Mac を持っている。残り 1台の Windows デスクトップ (私のお下がり) を、妻と末娘が共有しているという状況だ。その他に私と長女は iPhone を、次女は iPod Touch を使っている。

ちなみに、1台の Windows デスクトップを共有していて、最も IT にはまっていないようにみえる妻と末娘にしても、自分専用の iPod は持っている (旧式の iPod mini だが)。こうしてみると、我が家の Apple 浸透率はかなり高い。私の使っている 2台と、そのお下がりである妻と末娘の共有 PC を除けば、すべて Apple なのだ。

ビジネス上で Windows のファイル共有やアプリケーションの共通性、周辺機器の拡張性などを厳密に求めるのでなければ、個人ユーザーにはどうも Apple 製品の方が馴染みやすいみたいなのである。

で、私の PC 環境だが、次に買い換えるときは、Panasonic の Let's Note の最新型にして、これ 1台ですべてまかなおうと思っている (今使ってるのは、HD 容量がちょっと不足)。もうデスクトップとノートを使い分ける時代じゃないような気がしてきたし、最新のLet's Note はメインマシンとして十分に使える。2台使い分けると、同期も面倒だし。

そして、自宅で Let' Note を使うときには 「ミニポートリプリケーター」 というのを使おうと思っている。これ 1本で、外部ディスプレイ、有線 LAN、外付 USB 機器をまとめて着脱できるから、自宅の書斎では 19インチのディスプレイと手に馴染むキーボードを使って楽に作業できる。プリンター接続に煩わされることもない。

今使っているマシンは壊れちゃったわけじゃないから、もしもの時の代替機として確保できる。そして、iPad の話に戻るが、これを買えばいいのかどうか、私は現時点ではかなり迷っている。はっきり言って、iPad は iPod Touch を大きく使いやすくしたという感じなので、私としては当面は Let's Note と iPhone があれば用は足りそうなのだ。

どちらかといえば、iPad は妻と末娘に勧めたいと思う。この二人は、Windows デスクトップでも、どうせインターネットぐらいしか使わないし、ビジネス・アプリなんて全然用がない。だったら、普通の Windows マシンなんて、オーバースペックでしかない。

5万円そこそこで買えるなら、こうしたライトなユーザーには Windows XP のネットブックなんかより iPad の方がすっといいと思う。

私はこれまでも、多くのホーム・ユーザーにとって Windows マシンは馬鹿馬鹿しいほどオーバースペックだと指摘してきた。100年に 1度も使わないような機能に金を払うのは馬鹿馬鹿しすぎる。

インターネットとメールができて、音楽と画像の管理ができて、文書や家計管理、住所録管理、葉書の宛名印刷などが楽にこなせるぐらいの、ユーザーフレンドリーなマシンが絶対に必要と思っていたのだが、この iPad こそがその期待に応えるものになるかもしれない。

ちなみに、Softbank の孫さんも言っているらしいが、私も近頃、「今までよく iPhone なしで生きてこれたな」 と思ってしまう。普通のケータイを持っていた昨年夏までは、通話と家族同士のメールにしか使っていなかったが、最近はもう、iPhone をヘビーに使い込んでいて、紙の手帳などはとっくに手放してしまった。

せっかく持ち歩いている Let's Note だが、電車やコーヒーショップで起動させる回数が急減した。そのくせ iPhone のおかげで、インターネットに接続している時間は増えている。スケジュール管理は楽になり、アポイントの時間が近づくと画面で知らせてもらえる。そして iPad なら、確実にこのレベル以上の活用ができるだろう。

小難しいビジネス文書や、既存のデータベースを管理するときには高スペックの Windows マシンを使うことになるだろうが、ごく普通の文書、スプレッドシート、プレゼンテーション、ウェブ管理ぐらいをすればいいなら、iPad で十分かも知れない。ファイルは Mobile me か何かで Web 上に置いておけば、自分のマシンの容量は食わずに済むし。

となると、私の PC 環境もそのうち、自宅用 1台と iPad 1台みたいな形になるかもしれない。ただ、そうするのは 1~2年経過して、次のバージョンの iPad が出てからということにする方がいいかもしれない。それから、今使っている E-Mobile を付け替えてそのままネット接続できるようにしてもらえれば、ありがたいなあ。

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2010/01/28

「赤いスイートピー」 を巡る冒険

デーモン閣下が女性ボーカリスト楽曲のカバーを集めたベストアルバム "GIRLS' ROCK Best" というのを出したらしい。先日、TBS ラジオの夜の番組にゲスト出演していて、その中から 「赤いスイートピー」 を聞かせてくれた。あの松田聖子ちゃんの大ヒット曲を、ちょっとおしゃれなロックにして歌っている。

この曲のアレンジは、スエーデン人のなんとかいう人が担当したらしい。そしてそのなんとかさんとのやり取りを英語でやっているうちに、デーモン閣下は 「スイートピー」 が英語では "sweet pea"、つまり 「甘豆」 なんだということを初めて知ったのだという。

彼はさすがに悪魔だけあって、花に関しては相当に疎いらしく、この年 (10万何歳だか) になるまでそのことを知らなかったという。知ったのはレコーディングが済んでしまってからで、事前に知っていれば、カタカナ発音の 「スイートピー」 ではなく、それなりの発音で歌いたかったのにと、少しだけ悔やんでいた。

スイートピーが "sweet pea" であるというのは、私は子どもの頃から知っていた。それは、あのポパイのアニメのお陰である。あのアニメに出てくる赤ん坊の 「スイーピー」 が、"Swee'Pea" なのだ。私はそれが "sweet pea" の省略形で、花の 「スイートピー」 と同じなんだろうなあと思ってずっと見ていたのである。

ちょっとマニアックな話になるが、あのスイーピーが誰の子どもであるのかは謎である。ポパイとオリーブが結婚しているという事実はないようで、この二人の一粒種というわけではないようだ。

Yahoo 知恵袋に 「スイーピーって誰の子供なの?」 という質問があり、そのベストアンサーとして、「おそらく、オリーブの姉か妹の子であると思います」 という回答が選ばれている。「時々スイーピーが登場するのは、スイーピーの両親が外出するとき、オリーブがベビーシッターを引き受けるという設定」 だったからというのがその理由だ。(参照

「なるほど」 と、私は納得してしまったね。

ちなみに、あのハンバーガーばかり食べている 「ウィンピー」 は、"Wimpee" という名前のようだが、一時 "Wind pea" と表記されていることがあったと記憶している。「ふぅん、『風豆』 か」 と思ってみていたのだから、間違いないと思う。どういう紛れだったのか知らないが。

「赤いスイートピー」 の話に戻るが、聖子ちゃんがこの歌をヒットさせた 1982年 1月の時点では、世の中に赤い色のスイートピーは存在しなかったのだそうだ。しかしその後、品種改良によって本当の赤いスイートピーが出現したのだそうである。(参照

知らなかったなあ。詩が現実に先駆けてしまったのだ。オスカー・ワイルドの言った 「ロンドンの霧」 とはちょっと違うけれど。

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2010/01/27

不条理な電話人生相談

先週の金曜日、仕事先に向かって車を走らせながらカーラジオを聞いていると、電話による人生相談のコーナーがあった。相談の回答者は作家の吉永みち子さん。相談者は還暦過ぎの男性である。

相談者は房州育ちで、きつい房州弁が抜けない。しかし一緒に住んでいる年の離れた兄夫婦が別の土地で育ったという事情があり、一つ屋根の下で言葉が通じず、疎んじられているということなのである。

兄は酒を飲むと 「お前の言うことはさっぱりわからん」 と怒り出すし、兄嫁は普段から口をきいてもくれないという。市役所などでも職員が自分の言うことを理解してくれず、困っているのだそうだ。

と、こう書くと、そもそも電話相談自体が成立しないのではないかと思われるはずだが、不思議なことに、回答者の吉永さんには、この男性の言うことがちゃんと不都合なく通じている。ラジオを聞く私も、苦もなく理解できる。

吉永さんが 「房州弁が通じないと言いますが、あなたの言うことは、私にはちゃんとわかりますよ」 と言うと、相手は 「今は、ちゃんとていねいにしゃべっているから」 と言う。

「普段だって、わからないならどこがわからないか言ってくれれば、ちゃんと言い直してやるのに、聞き返しもしないで、ただわからないとだけ言われるのが癪に障る」 のだそうだ。かなり勝手な理屈ではある。

そこで、相談は当然ながら次のような流れになる。

「あなたね、ちゃんと房州弁も共通語も両方しゃべれて、バイリンガルなんだから、あなたの方が、初めからちゃんとわかるようにしゃべればいいだけのことでしょうよ」
「でも、身内なんだから、つい房州弁でしゃべる」
「それで通じないんだから、しょうがないでしょ。あなたがちゃんと通じるようにしゃべればいいのよ」

というわけで、相談者は心の底から納得したようなふうではなかったが、この不条理極まりない電話相談は、こんな具合のまま時間切れになった。

この不条理の根底にあるのは、相談者の 「甘え」 である。彼は独身で、兄の家の二階に住まわせてもらっているのだが、要するに、淋しいのだ。彼の潜在意識は、身近な身内の兄夫婦に甘えたいのである。

甘えたくてたまらないのに、他人行儀な標準語なんか使えない。どうしても慣れ親しんだ房州弁でしゃべって理解してもらいたいのだ。ところが兄夫婦としては、ろくに働きもしないで居候を決め込んでいる上に、乱暴な房州弁でわけのわからないことばかり言う弟に、うんざりしているという構図である。

この救いがたいギャップを埋めるのは、話し方のテクニックなんかではない。心の問題だ。それも、「感謝」 という心である。相談者は居候させてくれている兄夫婦に、これまでずっと感謝の意を表現したことがないということに思い至りさえすればいい。

自分のことをわかってくれろと要求するばかりで、相手の気持ちをわかってやろうという気持ちになっていない。そんな一方通行な気持ちでは、兄夫婦に拒絶されるばかりである。

兄夫婦に心から感謝して謙虚に振る舞い、進んでできるだけの手伝いをすることだ。それだけで、同じ房州弁で話しても兄夫婦は聞く耳をもつ。人間とはそういうものである。思い切り甘えた経験のない人間が感謝の意を表すのは難しいことだが、どんな に不器用なやり方でもいいから、すべきことはしなければならない。

感謝する気持ちになれず、兄夫婦は冷たいと思いこんでいる限り、「あなたがわかるようにしゃべればいいのよ」 では、問題は決して解決しない。

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2010/01/26

必要なときに必要な措置ができればいいのだが

近頃、ものすごく眠くて、会議なんかでもちょっと目を休めたつもりで閉じているだけで、本当に引き込まれるように眠ってしまうから、油断がならない。こっくりこっくり船をこいだりしないように、気を付けなければならない。

もっとも私は、4年 3ヶ月ほど前に 「会議というのは眠いもの」 という記事で書いたように、会議で眠る名人である。いかにも資料に目を通しているようなそぶりで、すっと眠る。そして、決して熟睡はしない。先日もこの手で 3時間半の長丁場を切り抜けた。

それにしても、近頃本当に眠い。昨年の 11月頃に 「季節の変わり目は眠い」 という記事を書いてからこっち、ずぅっと眠い。11月頃は秋から冬への変わり目だったが、あれからずっと真冬なのに眠さは変わらない。これから春に向かうのだから、さらに眠くなるだろう。えらいことである。

40歳を過ぎてからの眠さというのは、体全体がぐったりと疲れて泥のように眠りに落ちるというような眠さとはちょっと違う。目だけが眠いのである。デスクワークで PC とにらめっこしているうちに、いわゆる 「眼精疲労」 ってやつになってしまうのだ。しょぼついた目を休めようとしてちょっと閉じると、あっという間にすぅっと眠ってしまう。

デスクワークの最中に目がしょぼしょぼしてしまうと、時々目薬をさす。近頃は 「遠近調節を行う目の筋肉 (毛様体筋) のはたらきを活発にするビタミンB12 (シアノコバラミン) 配合」 なんてことを謳って、パソコン作業による疲れ目専用みたいなことを訴求している目薬があり、私もその類を使っている。

とくに自宅ではそれを冷蔵庫に保管してあるので、目薬をさした時の爽快感に冷たさも加わって、かなり気分が違う。それから、思い出したように目の周りのツボを押したりする。プロのマッサージ師の人に教わったのは、後頭部と首筋の境目あたり、頭蓋骨の端っこを下からぐっと指圧してやることだが、これは確かに効き目がある。

対処の仕方は、ちゃんとわかっているのだ。

ところが人間というのは、本当に目が疲れかけているときには、必要な措置ができないのである。その時は一心不乱に書類や原稿の作成に集中しているから、他のことを思い出せないのだ。そしてふと気付いたときには、もう取り返しの付かないほど目がしょぼしょぼになってしまっている。

肩凝りにしてもそうだ。デスクワークの最中に、1時間おきぐらいに適当に立ち上がって運動をすれば、そんなにひどい肩凝りにならずにすむ。ところが、それを忘れて過度に集中してしまうから、気付いたときには肩がガチガチになってしまっている。

目の疲れや肩凝りぐらいの話ならまだいい。もっと大きなことでも同じことが言える。虫歯や内臓疾患などでも、早めに治療をすればそんなに大変なことにならずに済む。さらに職場の人間関係から経済、国際問題に至るまで、早めに手を打っておけば良かったのに、こじれてしまってどうしようもなくなることが多い。

人間が、必要なときにさっと必要な措置を講じることができる生き物だったら、世の中ずっとよくなる。

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2010/01/25

シナプスがつながった感

heis101 さんの Tweet からのリンクで、「邪念草」 というブログの 「なぜ勉強ができないか」 というエントリーを読んだ。このブログでは、その理由をとてもシンプルに結論づけていて、「勉強ができるかどうかは興味が持てるかどうか。以上」 と言い切っている。ずいぶん潔いことである。

で、Twitter の中でも、「点」 が 「線」 になるとかいう話題で少し盛り上がっていた。まてよ、私もそれと似たようなことを書いたことがあるなあと思いつつ、自分の過去記事を辿ったら、"「知ること」 の醍醐味" という記事が見つかった。私はこの 3年 3ヶ月も前の記事で、次のように書いている。

「知ること」 の醍醐味は、いくつかの知識の断片でしかなかったものが、たった一つの新たな知識によって、突然、美しい 「体系」 に姿を変えてしまったりすることだ。

(中略)

「知の醍醐味」 を知るためには、断片的な知識はできるだけ多くあった方がいい。一見無関係に思われるそれらの知識の断片が、一瞬にしてバチバチっと関連付き、見事な体系となるのだから、知識が多ければ多いほど素晴らしいダイナミズムを表現できる。

とまあ、こんなことを書いているのである。この醍醐味を知ってしまったら、「興味が持てるかどうか」 どころじゃない。もう、抜け出せない境地にはまりこんでしまうのである。「点」 が「線」 になる程度で満足しちゃいけない。「面」 になるなんていう言い方もあるだろうが、それでも物足りない。「体系」 にまでならなければつまらないではないか。

で、私も少しそれ関連で Tweet してみたのだが、それは言い換えると、「シナプスがピッとつながった感」 ということだ。長いんで、以後は 「つながった感」 と省略させてもらう。この 「つながった感」 が大切で、それがないと一歩も前に進めないのだ。いや、無理に進めば進めるかもしれないが、それじゃ全然楽しくないのだ。

「つながった感」 もないのに進んでも、それは単なる 「詰め込み」 だから、すぐに忘れてしまう。忘れてしまえばそれっきりで、何も残らない。だから、凡人は 「勉強なんて役に立たない」 と思ってしまうのだ。

と、こんなところまで考えて、自分のことを思い返してみると、近頃、この 「つながった感」 が希薄なことに気が付いた。まったくないわけじゃないが、それはもう、得意分野の延長線上でちまちまとつながっているだけのような気がする。だから、思いっきり新鮮に 「ピッと」 つながったという 「つながった感」 じゃないのだ。

年とると、まったく新しい分野に挑戦して 「つながった感」 を得るというのがおっくうになる。お馴染みマターだと、いくらでもどんどんつながっていくが、それはある種のデジャヴゥでしかない。新鮮じゃないのだ。

だから、おっくうでも少しは新しい分野に興味をもって、新しい 「つながった感」 を獲得しないと、ボケてしまいそうな気がするのである。「興味が持てるかどうか」 というより、「つながった感」 の醍醐味を知っていて、「また、あいつを味わってみたいな」 と思えるかどうかなのだと、私は思ってしまうのだよね。

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2010/01/24

『唯一郎句集』 レビュー #98

今日レビューする 『唯一郎句集』 は、 「湯温海にて」 という添え書きのある 3句。温海は湯野浜と並ぶ温泉地で、湯野浜は海岸に沿って温泉が湧いているが、温海は海岸からは少し陸地に入ったところに温泉街がある。

だから、普通は 「温海」 といえば海岸をイメージするが、「温海温泉」 とか 「湯温海」 とかいうと、そこから少し離れた温泉街を思い浮かべる。前にレビューした 「湯野浜にて八句」 は海の香りが濃厚だったが、今回は少し違う。

  湯温海にて

柚子湯を呑み粉雪の夜暗い温海嶽

温海嶽は、芭蕉の奥の細道の俳句 「温海山や吹浦かけて夕涼み」 の 「温海山」 と同じ山と思われている。正式な地名としては、温海山ではなく温海嶽なのだそうだ。

芭蕉の句は夏の雄大な景色を詠んだものだが、唯一郎の句は対照的に粉雪の舞う冬の句である。旅館の部屋で柚子湯を呑み、外をみると温海嶽の暗い影がすぐ近くに見える。それ以外には何も見えない。

閉じこめられた冬。しかし閉じこめられているのは旅先の非日常である。


口あけて温海蕪をくふ冬夜の想念

温海蕪は、温海地方だけで栽培される伝統野菜。甘酢漬けにすると赤い色に染まり、とてもおいしい。今でも温海の名物になっている。

温海蕪の漬け物は、薄く切ってあるが結構大きい。食べるときには口を大きく開けなければならない。

大きく開けた口の中に温海蕪を押し込む。何もかも閉じこめられる冬の夜の印象と、どこか重なる。

日にけに雪つもる土の中温海蕪あらむ

「日にけに」 は、今ではほとんど使われないが 「日増しに」 というような意味。唯一郎は不意にこうした古風な表現をするときがある。

日増しに積雪が増すその下の土の中に、温海蕪があるのだろうという。唯一郎は温海蕪が好物のようである。

真っ白な雪の下にある赤い蕪。目には見えないが、想念の中にある見事なコントラスト。

本日はこれぎり。

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2010/01/23

『唯一郎句集』 レビュー #97

先週末は 「知のヴァーリトゥード 8周年記念」 の記事を書いたせいで、『唯一郎句集』 を一度しかレビューしなかった。近頃、週末に 2度のレビューをするのが習慣になってしまっていたので、少し淋しいような気がしていた。

句集もだいぶページが進んできて残り少なくなったので、春頃にはレビューを終わるだろう。その後にぽっかりと、燃え尽き症候群なんかにならないように考えておこう。

さて、レビューである。

さびた鋏の水底に見えて二月盡くる

水底というのは、何の水底か語られていない。どこかの小さな池かもしれないし、あるいは、川か海かもしれない。いずれにしても、さびた鋏が沈んでいるのが見えるのである。澄んだ水である。

池でも川でも海でもいいが、水底に鋏が沈んでいるのが見えるというのは、ちょっとした非日常である。意識がふと別の方向に向いてしまう一瞬だ。

その一瞬のうちに、短い二月が終わってしまう。酒田はまだ寒いのだが、季節は変わろうとしている。

冬海雲のかげりも見え島崎の海苔かき人ら

冬の日本海は荒海だが、それでも 2月になれば少しは日の射して波の静かな日もある。そんな日に、海苔かきをする人影がみえる。

海苔かきとは、岩についた海苔をかき集めること。かいたばかりの岩海苔はそれはそれはおいしい。

島崎は酒田から北の吹浦方向にいったあたりの海辺である。そこで冬の海と海苔かき人らを眺める唯一郎。雲のかげりで、明るくなったり暗くなったりする海である。

冬白い花もちて女の手女の指

昔の庄内で冬に花が登場するなんていうのは、それは仏前に供える花でしかない。白い菊だろう。

登場する 「女」 は妻だろうか。冬のこととて、少し赤く荒れているかもしれないが、それでも白い花にふさわしい繊細さを感じている。

本日はこれにて

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2010/01/22

米国人、肩凝らない

「肩凝り」 という言葉が英語にないというのは、一部では結構知られた話である。いや、「英語にない」 というのは、正確な表現ではない。英語でだって言おうと思えば言える。しかし、一般的な会話の場面では 「肩凝り」 と直訳される言い回しが、出てこないのである。

私が自分の iPhone にインストールしている 英和・和英辞書 (Wisdom) で引くと、肩凝りは

(have) a stiff neck; (have) stiff shoulders (!前の方が普通)

と出てくる。つまり英語圏では、肩ではなく 「首が凝った」 と表現するのが一般的のようなのだ。

前に読んだ記事では、米国人に聞いても、「僕ら、肩なんか凝らないよ」 という返事が返ってきたと書いてあった。その記事では 「米国人はノー天気だから、肩が凝らないようだ」 みたいな結論になっていたと思う。

しかし、ノー天気だからといって肩が凝らないと結論づけるのはあまりにも乱暴だろう。私の母はかなりノー天気な人だったが、結構な肩凝りだった。私は母の肩をもんでいるうちに、マッサージがかなり得意になったほどである。それに、私だって相当ノー天気なんだけれど、肩は凝る。ノー天気と肩凝りは、あまり関係がないんじゃないかと思う。

とまあ、「米国人、肩凝らない」 という怪しげなテーゼを考えているうちに、私の中に一つの試論が思い浮かんできた。それは、連中は会話しているときにジェスチャーが多く、盛んに身振り手振りをするので、自然に肩の運動になっていて、それで肩が凝らないのかもしれないということだ。

肩凝り予防のためにはどうすればいいかを書いたサイトに行くと、必ずと言っていいほど 「同じ姿勢で長時間仕事をすることを避け、時々仕事を中断して適度な運動をする」 なんてことが書いてある。米国人はそれが自然にできているんじゃなかろうか。何しろ、連中は電話で話しているときですらかなり大げさなジェスチャーをしている。

それから、Twitter で Kinme さんにサジェストされたのは、客観的に肩が凝っていても、主観的にはそれと自覚されないのではないかということだ。Kinme さんは鍼灸師としてのキャリアをお持ちで、いくら米国人でも 「凝らないって事はないですよ。プロから見るとちゃんと凝ってるし、マッサージとかすると凄く気持ちいいって言いますね」 とコメントされている。

つまり、ちゃんと肩凝りしてるのに、当人たちにはそれがわからないということがあるようなのだ。もしかしたら、「肩凝り」 と言わずに 「首凝り」 としか言わないので、肩が凝ったと自覚できないのかもしれない。

言葉がないと自覚できないというのは、面白い現象である。まあ、あまり極端な肩凝りを経験しないから言葉ができず、言葉がないので自覚もしないと、堂々巡りで卵と鶏のようなものなのかもしれないが、身体感覚でさえ言葉に依存するというのはとても興味深い。

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2010/01/21

「私のせいで Twitter が落ちた」 と言ってみたい

ああ、「私のせいで Twitter が落ちた」 みたいな大ボケ発言をついしてみたくなるほどの、自分のサイトへのトラフィック増大を、一度でいいから味わってみたい。

私はリアルタイムでは全然気付いていなかったのだが、昨夜 9時前頃から 1時間以上 Twitter が落ちてたんだそうだ。で、ちょうどタイミングのいい (?) ことに、シンガーの広瀬香美が その日 9時から Twitter ユーザーを 「記者」 にした 「史上初」 の会見を開こうとしていたのだそうだ。

ところがこの試みは Twitter ダウンのせいで実現できず (参照 1)、ブログのネット中継に切り替えたのだが、なにやらブログの方もダウンしちゃったらしい (参照 2)。

で、毎日新聞のサイトに "広瀬さんは 「わたしのせいでツイッターが落ちちゃった?」 と興奮気味" なんて記述があったものだから、それが一人歩きしてしまって、あちこちで広瀬香美が 「わたしのせいでツイッターが落ちちゃった」 と、疑問符抜きで語ったということになってしまっている。

さらにここからがおもしろくて、「Twitter のダウンは広瀬香美のせいだったのか」 とマジに受け取って、「迷惑なことしないでくれ」 「ちゃんと詫びろ」 なんて批判する向きと、「そんなわけねえだろ」 「広瀬香美、自意識過剰」 という向きの、大きく言って 2通りの批判が展開されたようなのである。

中には、「Twitter って、その程度のことでダウンしちゃうのか」 と、システムそのものへの批判みたいな発言もあるが、実は今回のダウンは、ステイタス・ブログによると 「バックアップシステムの切り替えによって生じたいくつかの問題によって突発的な障害が起こり、90分間にわたって大量のエラーが発生しました」 ということのようなのだ (参照)。

で、まあ、普通に考えれば、この程度のプロジェクトの影響で Twitter が落ちるなんてことは考えにくいだろうし (マドンナがやったというなら別だが)、広瀬香美の発言は無邪気な大ボケ・ジョークだったと思う方がよさそうなのだ。

それにしても、大ボケ・ジョークでも、疑問符付きでも、なんでもいいから、私もそんなことを言えるだけの状況に遭遇してみたいものだと思うのである。

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2010/01/20

スギ花粉、飛び始めたんじゃないかなあ

気象庁の予報によると、今年のスギ花粉飛散は少ないのだそうだ。例年の 4割から 6割の量に止まるらしい。

しかし、私の鼻の具合は、既になんだかおかしいのである。今週に入ってからどうも鼻がムズムズしてくしゃみが出やすいし、そしてひどくはないがほんの少しだけ鼻づまりのような気がする。一体何のアレルギーかと思っていたが、ふと気付けばそろそろスギ花粉症の季節じゃないか。すっかり忘れていた。

気象庁の情報によると、スギ花粉の飛散はまだ始まっていない。気象庁の基準では、1平方センチあたりに 1個以上のスギ花粉が観測されることが 2日以上続いた最初の日が、その年のスギ花粉飛散の始まりとされるのだそうだ。

しかし、この情報は当てにならない。花粉症のひどい人はいつも、気象庁が発表するスギ花粉飛散の初日よりずっと前から、アレルギー症状が出始める。毎年この時期になると、「飛び始めたね」 というのが挨拶代わりになったりする。気象庁のデータよりも、スギ花粉症の人の感覚の方がずっと頼りになるようなのだ。

私の花粉症は、一番ひどかった頃よりはずっと軽くなっている。個人的には、近頃酒を飲む機会が減ったことが大きいんじゃないかと思っている。はっきりとした医学的根拠を知っているわけじゃないが、酒を飲む機会が多いと花粉症の症状がひどくなるというのは、実感としてある。

だから、今頃から花粉症の症状が出始めたとはいえ、私の場合はそれほど日常生活に差し障りが出るほどのものではない。ただ、花粉の飛散量が少ないとはいえ、症状の出方は人それぞれのようだということで、重症の人はそれなりに覚悟しておく方がいいかもしれない。

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2010/01/19

3色ボールペンの使い方

これはかなり昔からだと思うが、私は鉛筆が嫌いである。高校の頃から鉛筆をもたない主義で、ノートを取るのもボールペンだった。今でも私のデスク周りには、鉛筆とシャープペンシルが一本もない。

なんで鉛筆が嫌いなのかというと、力を込めて書かないと薄~い気の抜けたような字しか書けないからだ。鉛筆は消しゴムで消せるから便利だという人もいるが、私から見ると、書いたときは気の抜けた薄さなのに、消しても消しても消え残るのが気にくわない。

いくら消しゴムに持ち替えてゴリゴリこすってもでどうせ消しきれないのだから、ボールペンで書いて、書き損じたらグリグリっと二本線を引いてしまう方がずっと手っ取り早い。どうせメモだから、それでいいのである。

私は薄~い字が嫌いだから、鉛筆で書こうとすると力が入ってしまい、すぐに疲れる。だったら、2B とか 3B  とかの濃く書けるタイプを使えばいいと言われるが、それだとすぐに芯がちびてしょっちゅう削っていなければならない。シャープペンシルだと、力を込めるとすぐに芯が折れる。

というわけで、私はボールペン派なのである。しかも最近は三色ボールペン派になっている。高級品はいらない。コンビニで 250円ぐらいで売られている安物だ。

もちろん、書類や原稿は PC を使って作成するから、ボールペンを使うのはメモ書きの時が多い。自分のメモ帳に書くときは黒インクで書くことが多いが、会議などで配付された紙の資料にメモするときは青インクで書く。その方がメモの字が目立つからである。さらに、重要ポイントは赤インクで書く。

アンダーラインも赤インク、資料の誤りを訂正するのも赤インクが便利だ。また、本の重要ポイントにサイドラインを引くとき、書き込みをするときも赤インクである。

このようにインクの色を使い分けると、あとでメモや書き込みを見るときにとてもわかりやすい。

ただ、困ることがある。いつも青と赤のインクがたっぷりと残っているのに、黒インクが早々となくなってしまうことだ。私のデスクの筆立てには、黒インクだけがなくなった三色ボールペンが、使われないまま 4~5本立てられている。

だったら、色違いのボールペンを 3本持って使い分ければいいと言われそうだが、3色ボールペンのカチっとノックするだけで色が変わる便利さに慣れてしまうと、いちいち別のペンを持ち変えるなんて、想像もつかなくなる。無精というのは困ったものだ。

そんなことを Twitter につぶやいたところ、赤で書いて黒で修正するとか、いつもは青を使うことが多いとか、3色ボールペンではなく、黒の芯が 2本、赤が 1本という製品もあるとか、いろいろなレスがついた。

なるほど、いろいろなやり方があるものだと、感心した次第である。

実は私も最近、青でメモすることが多くなった。赤はアンダーラインや修正などで案外使うことが多く、いつも最後まで残るのは青インクだったので、だったら、青から先に使おうというわけである。すると、黒と青の減り方が均等に近くなった。

黒がデファクトというのも、単なる思いこみである。青がデファクトでも全然不都合がない。硬直した思いこみは人生の邪魔者だ。それに、黒で書いたり青で書いたりすると、ちょっとした気分転換になったりする。しばらくこのメソッドで行ってみようと思っている。

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2010/01/18

政権交代で生き返った天然記念物

私は 39年前に高校を卒業して酒田を出た。以来ずっと関東暮らしだが、田舎に帰ればすぐに庄内弁モードに切り替わる。ところがその庄内弁はほぼ 40年前の庄内弁なので、「今どきそんなしゃべり方をするやつは珍しい」 なんて言われる。

酒田もずいぶんソフィスティケイティッドされてしまったようなのだ。私の庄内弁は、もはや化石のようなもので、私は生きた化石、天然記念物扱いである。

似たようなことが、日系ブラジル人にも言える。茨城県には日本に出稼ぎに来たまま永住しかかっている日系ブラジル人 (二世、三世) がかなりいて、彼らの中には、日系一世である親を日本に呼び戻してしまった人たちもいる。

そして、何十年ぶりかで日本に戻ってきた日系一世の人たちに接すると、こちらの身が引き締まるような思いがするのである。彼らは昔の日本人の美徳をそのまま保存していて、それはもう 「古き良き日本人」 そのものなのだ。その親の世代から受け継いだ 「明治の気骨」 のようなものを濃厚に漂わせている。

今どき、最も日本人らしい日本人は、ブラジルにいたのである。

なんでこんなことを言い出したのかというと、ここで話はぐっと生臭くなってしまうのだが、民主党幹事長の小沢さんは、古き自民党体質 (というか、田中派体質) をそのまましっかりと保存してしまっているように見えるのだ。途中で自民党を出てしまったために、まるで私の庄内弁のように、あるいは日系一世のように、天然記念物と化しているのである。

ああ、何という歴史の皮肉だろうか。我々はこの国でようやく政権交代を実現させたつもりでいたのだが、実は新政権はゾンビのごとく生き返った純粋培養の田中派だったのだ。この問題にけりをつけない限り、政権交代の落とし前はつかないようなのである。

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2010/01/17

『唯一郎句集』 レビュー #96

昨日は 「知のヴァーリトゥード」  8周年記念記事になってしまったので、恒例の週末の 『唯一郎句集レビュー」 は、今回は日曜だけとなる。

さっそくレビューである。

児らに腹一杯シユーマイたべさせるそれを見ている冬夜

日本でシュウマイが食べられるようになったのは、昭和初期、横浜の中華街が最初のようだ。とすると、昭和初期に酒田でシュウマイを食べるなどというのは、なかなか新しもの好きである。

しかも、そのちょっと変わった中華点心を子どもたちに腹一杯食べさせている。唯一郎自身はそれを見ているだけで満足している。冬の夜である。

ひとり酒のむくせの冬夜ひとにあやまりたき

唯一郎はシュウマイは子どもたちに食べさせるだけで自分で腹一杯食べようとはしていないが、一人酒を飲む。

伯父たちも皆、酒好きである。母も酒は嫌いじゃなかった。とすると、唯一郎も酒は好きだったのだろう。

冬の夜、一人で酒を飲む。すると、人に謝りたい気持ちになる。取り立てて謝ることもないのに、原罪意識と言うほどのものでもないのに、不思議な思いになる。

「あやまりたき」 などとと連体形で止めるのは、唯一郎好みの技法のようだ。後に続く言葉を省略して、謎めいた余韻を残す。

本日はこれにて。

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2010/01/16

8周年を記念して、本宅サイトのデザイン変更

私のメインサイト (本宅サイトなどと言っている) は、平成 14年 1月 16日に、敢えて知人友人の誰にも知らせず、ひっそりとスタートした。個人的思い入れに過ぎないのだが、そういうわけで今日は、「知のヴァーリトゥード」 8周年記念日である。

もっともスタート時には、このサイトのタイトルは 「知の海に跳び込め」 というものだったが、なんだかちょっと気負いすぎで気恥ずかしい気もして、平成 16年 10月 13日に 「知のヴァーリトゥード」 に変更した。この経緯については、当日のブログで説明してある (参照) ので、ここでは繰り返さない。

8周年を記念して行なったのは、「知のヴァーリトゥード」 トップページのデザイン変更である。このトップページは、8年前のスタート以来、基本的には大した変更もせず、ただ色合いだけを少しずつソフィスティケイティッドなものに変えてきたに過ぎない。そろそろモデルチェンジしてもいい頃のような気がしていたので、この際、やっちまった。

モデルチェンジとはいえ、基本的なパーツは元々使っていたものと同じだ。大きな違いは、この "Today's Crack" というブログの表示のしかたである。

前のデザインでは。書き出し、リードの部分を地のデザインの中で処理し、「続きを読む」 というアイコンをクリックすることで、ブログを別ウィンドウで表示させていた。今回の新デザインでは、初めからブログをトップページの一部として表示させることにしたのである。

これによって、リードの部分をトップページの小さなボックスにうまく表示できるような体裁と長さにしなければならないという制約がなくなり、私としては少し楽になった。それにともない、ブログの最初の部分を、「本宅サイトの繰り返しだから」 という意味で 「引用表示」 としてインデントする必要もなくなった。(あれはあれで、ちょっと味があったのだが)

しばらくは、前のトップページのデザインも、こちら に置いておくので、「あれ、どんなんだっけ?」 なんて思った方には確認してもらうこともできる。

というわけで、「知のヴァーリトゥード」 は今日から 9年目に入った。今後ともよろしくご愛顧のほどを。

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2010/01/15

小沢さんの問題について

昨年 5月の西松建設がらみのスキャンダルで小沢さんが民主党代表を辞任したとき、私は辞めるのが 「遅すぎた」 と書いた (参照)。

民主党のリスク・マネジメントは、全然しっかりしていない。今度のことにしても、小沢さんが幹事長辞任に追い込まれるのは必至なのに、まだぐずぐずしている。

小沢さんの首を切れないのは、当人が辞める素振りを全然見せずに、やる気満々だからである。民主党の中に、「あんた、ここは辞めときなさいよ」 と直接言ってやるだけの力のある人がいないのだ。こういうボス猿が威張っている組織というのは、攻めには強いが、守りにはからきし弱い。

それに、前回の総選挙で民主党に投票した人の多くは、そうしたボス猿が牛耳る古い体質の政治に嫌気が差して、新しい手法を期待していたのである。ところが政権交代を実現してみたら、直前の自民党政権よりもっと古い自民党的体質ギンギンの小沢さんが 「闇将軍」 になってしまっているのだから、ほとほとうんざりである。

あの人が政権中枢からいなくなってくれないことには、本当に 「政権交代」 したことにならない。多分、遅かれ早かれ少なくとも幹事長辞任には追い込まれるだろうし、民主党内部のかなり多くの人たちは、内心ではそれを望んでいるに違いない。そして、幹事長を辞めたらそれっきり、闇の権力ももたせないでもらいたいものだ。

それにしても、小沢さんの資金管理関係の番頭をしていたというのが、あの石川なんとかいう若い議員のようなのだが、もうちょっと頼りになりそうな老練の番頭さんはいなかったものかと思う。

本当のところを言えば、いなかったんだろうなあ。小沢さんのところには、要するに能力のあるまともな人が居着かないんだと思う。こうした話になると、人徳とかそういった方面の話になりがちだが、まあ、そういうことになるのかなあなんて思ってしまうのである。

余談だが、山手線の電車についている液晶画面でよく CM が流される風邪薬のコンタックちゃんが、あまりにも小沢さんに似ていて、ちょっと笑ってしまう。これからは、「コンタック小沢」 とでも呼ぼうかしらん。

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2010/01/14

お風呂と入れ墨

"「入れ墨お断り」 無視し入浴、組長に実刑7月" という記事が目に付いた。昨年 9月 12日付で "「入れ墨お断り」 を無視 建造物侵入容疑で組長逮捕" という関連記事もある。

逮捕の記事は産経新聞だが、実刑判決の記事は讀賣新聞。産経は逮捕後のフォローをしそこなってしまったようだ。

2本の記事からざっと事実関係を追うと、まず、逮捕されたのは山口組系暴力団の組長で、逮捕容疑は、入浴施設が 「入れ墨のある方は (入浴を) 固くお断りします」 との看板を掲げていたにもかかわらず、無断で施設内に入って入浴したということ。直接の容疑は昨年 2月のことのようだが、継続して入浴していたらしい。

容疑者の背中には入れ墨があり、1月の段階でこの施設の経営者が 「客に迷惑がかかる」 として、以後の立ち入りを断っていたという。ところが、6月に 「入れ墨をした男が浴場に入っている」 という匿名の通報があり、県警が捜査を開始。入浴施設側からも、7月に被害届が提出された。

さすがに、入浴施設側は 1月の時点で一応やんわりと注意はしたものの、半年近くもの間、全然無視されていたもののようで、県警が動き始めたのは、匿名電話がきっかけということになっている。この匿名電話が客からなのか、施設の内部からなのかはわからないが。

この度の福岡地裁の判決は、「身勝手な犯行」 として、懲役 7月の実刑となった。ちなみにこの被告は、市内のスナックを脅迫して営業を停止させたという強要事件でも、懲役 10月の実刑判決を言い渡されている。

私の知る限り、日本のほとんどの公共入浴施設には 「入れ墨お断り」 の注意書きがある。ご丁寧に 「シール、タトゥーなど、入れ墨に類したものも含む」 と書いてあるところも少なくない。ところが実際には、入れ墨をした人が入浴を断られるのを見たことがない。

浴場で入れ墨をしている人を見かけるのは、日常茶飯事である。中にはサポーターやタオルで隠している慎ましい人もいるが、多くは堂々とさらけ出している。他の客としては、まあ、直接の関わりを持たなければ特段の迷惑でもないので、無視しているということが多い。

今回の件では、「匿名の電話」 が警察にあったというぐらいなので、もしかしたら本当に他の客に 「迷惑」 がかかっていたのかもしれない。直接の暴力ではないにしろ、圧迫感がやたらと大きかったということもあるだろう。

個人的には、入れ墨の人に 「入浴するな」 とまでは言いたくないが、まあ、注意書きを無視して入るからには、慎ましく、周囲に余計な圧迫感をまき散らすことのないように心がけてもらいたいと思うばかりである。

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2010/01/13

暖冬なんだか、そうじゃないんだか

今月 5日に 「暖冬というのはますます怪しい」 という記事を書いたが、暖冬は怪しいけれど、厳冬というわけでも決してない。近頃、季節をどう感じたらいいか戸惑うことが多い。

「飯豊の空の下から・・・」 の mikio さんは、雪の積もった会津から 「やっぱり暖冬では」 と発信してくれている。

mikio さんの会津での実感は次のようなものだ。

思いがけない大雪に、暖冬の予想が外れたと気象庁も認めたそうですが、本当にそうでしょうか・・・?
確かに、降る時にはドカッと大雪だし、寒さも厳しいような気がするのですが、よく見ているとちょっとの間に雪が融けてなくなって行くスピードが速くて、ここ二三日除雪の行き届いた道路では路面が乾いているほどです。

そして、雪が一段落すると、まるで早春のようなお天気になってしまうのだそうだ。ずっと冬空が続き、毎日毎日雪が降り続くというような、典型的な冬の天気ではないようなのである。

酒田の父に電話してもそんな感じだ。さすがに 「日本海側は暴風雪」 という予報の時は 「一歩も外に出られないから、冬ごもりしてる」 なんてことを言っているが、それをやり過ごすと 「もう雪は解けかけてる」 なんて、拍子抜けするようなことを言うのである。

つまり、この冬は 「典型的な暖冬」 というほどのぽかぽか陽気が続くわけではなく、寒気が来れば来たでそれなりに冷え込むのだが、それが長続きしないという特徴があるみたいなのだ。要するに、寒気に体力がないのである。

それに、いくら寒いと言っても昔ほどの寒さじゃない。私はつくばに引っ越してきてからもうすぐ 30年になるが、冬の夜にかけて寝る布団が、越してきた当初より 1枚少なくなっている。

うちの羽毛布団は 30年前に奮発して買った結構な高級品で、ものすごく保温性がいい。それが少しもへたらず、ずっと現役で活躍している。ところが、1990年代半ば頃までは、それでもこのふかふか羽毛布団の上にもう一枚、薄い布団をかけ、その上を毛布で覆わなければ寒くて寝られなかった。

ところが、最近はそんなことをしたら暖かすぎて眠れない。羽毛布団の上に毛布をかけるだけで十分だ。そういえば、昔は夜中にしょっちゅう水道が凍ってしまうので、ちょろちょろ水を出したまま寝るなんてことが多かったが、最近は何の対策を講じているわけでもないのに、水道が凍結するなんてことはまずない。

だから、中期的にはやはり温暖化しているとみるほかない。この温暖化している中で、時々思い出したようにそれなりの寒波がやってくるのだが、それにしてもなかなか意気地がなくて、すぐに息切れしてしまうということのようなのだ。

だから、この冬は、中期的視点では暖冬と言えば暖冬と言えないこともないが、短期的な視点での印象としては寒いときはちゃんと寒い。しかし、だからといって決して厳冬というほどのことではなく、要するに、何とも言いようのない冬ということのようだ。これからは、こういうのを 「普通の冬」 と思えばいいのだろうか。

さて、これから 2月に向かってはどんな推移になるのだろう。私が心配しているのは、関東の雪である。関東は例年、春先に雪が降ることが多い。日本海側の雪とは降るメカニズムが違うのだ。東海上を低気圧が通り過ぎるとき、気温が低いと雨でなく雪になる。

こうした天気図になるのは、真冬ではなく春先が多い。そしてその冬が暖冬だと、典型的な冬型の気圧配置になることが少なく、真冬のうちから春先のような天気図になることがある。つまり、暖冬だと関東には雪が降りやすいというパラドックスが生じやすい。

関東の人は雪に慣れていないから、本当にちょっとした雪でも大混乱になって、滑って転んだり、車がスリップ事故を起こしたりする。事故につながらないとしても、鉄道が遅れたり道路が大渋滞になったりするのは必至だから、その程度は覚悟しておくことにしよう。

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2010/01/12

Twitter その後

今月 7日に Twitter に登録し、というか、2年以上も前に登録して忘れていたアカウントを生き返らせ (参照)、Twitter の何がおもしろいのかを体験してみようとしている。

既にヘビーユーザーと思われる ululun さんからは、「公開備忘録」 としての使い道があると示唆していただいた。

初めは、備忘録というか、ネタ帳なら、iPhone でやっているから十分だと思っていた。もしも Twitter をネタ帳として使うなら、思いつくままに少しずつつぶやいていけば、だんだんまとまったものになるのではないかと考えた。いわば、アイデア・ジェネレーターである。しかし、そんな楽屋裏を公開してどうなるのかという気もした。

ところが ululun さんは、「個人的には公開備忘録という事を前提に使っていると思わぬ反応がお得です、みたいな感じですね」 とおっしゃる。なるほどね。ululun さんの Twitter の使い方をみていると、まさにそんな感じだ。

個人的な備忘録、あるいはネタ帳に、他の視点からの思わぬ反応が寄せられることがあるので、アイデアが膨らむということはあるかもしれない。そうなるとある意味、ゆる~い共作みたいなものとみることもできる。

共作といえば、今回の芥川賞候補になっている 「犬はいつも足元にいて」 という作品は、大森兄弟というペンネームの兄弟の共作である。兄弟でキャッチボールのようにやりとりしているうちに、作品が完成するのだそうだ。

まあ、Twitter でのやりとりはそこまでは行かないとしても、個人では膨らませ切れないネタに奥行きを与えることができるかもしれない。「時代は共作」 しかも 「ゆる~い共作」 ということなのかもしれない。

ただ問題は Twitter というのは、ある程度暇がないと、そうしたキャッチボールを続けにくいということだ。忙しすぎると、つぶやくことすらできないし、つぶやくことはつぶやいても、それに関する反応に目を配る余裕がないことがある。

まあ、この問題はある程度 「慣れ」 というものが解消してくれるのかも知れない。それだけに、あまりマジにならずに、「ゆる~く」 やっていくというのがキモなのかもしれないとも思う。

いずれにしても、Twitter の最大のポイントは、この 「ゆるさ」 なのだというのは、わかってきた。Twitter を始めた鳩山首相に対して自民党の加藤紘一元幹事長は、「日本で Twitter を一番やってはいけないのは総理大臣。1日 10回くらいつぶやかないと、みんな見ない」 なんて批判をしたそうだ。

この人、やっぱりわかっていない。1日 10回つぶやかなくても、今では鳩山さんのつぶやきには大変な数のフォロワーがいる。どうせ、ゆるゆるなんだから、そんな大上段に振りかぶらなくてもいいのだ。

加藤さんは 「そんな時間あるなら、普天間のことをじっと考えてほしい」 と言っているようだが、そういうことなら、まとまったブログなんて書くよりは、Twitter の方がずっとましたろう。Twitter で 140以下の文字数をつぶやくのに 30分以上もかかるというような筆無精なら別だが。

ちなみに、昨日まで世間では三連休だったが、私は 10、11日の 2日間は大忙しで、つぶやくどころではなかった。しかし、つぶやく時間がなければつぶやかなければいいだけのことのようだ。私は Twitter 空間では、どうせ 2年以上も沈黙していたのだし。

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2010/01/11

医者は治さなくてはならないのか?

土曜日にラジオを聞いていたら、永六輔さんの番組に、元フォークル、現在精神科医の北山修氏が出ていて、おもしろいことをおっしゃっていた。

世の中に、医者にかかるのが好きな人というのはあまりいない(たまに大好きという人もいるが)。 それはなぜかということである。

というのは、さしもの永六輔さんも寄る年波か、転んで肋骨を折ったりというようなこともあって、医者にかかることが多くなったという話からの発展である。永さんは、初めは医者にかかるのがいやでしょうがなかったが、最近になってようやく医者に慣れて、安心して身を任すことができるようになったという。

で、北山氏は、「私は医者はサービス業だと思ってやってますよ」 と応じる。永さんは 「そういう医者は少ない」 と言う。医者はなんとなく役人ぽいというのである。役人ぽい人を好きな人というのは、そうはいない。

そして、北山氏は近頃の医者が役人ぽくなったのは、「医者は病気を治さなければならない」 と思われるようになってしまったからだと言うのである。なるほど、そうかもしれない。

昔は、病気は治らないものだった。治る病気なら、医者になんかかからなくても放っておけば自然に治る。放っておいても治らないから医者にかかるのである。ところが、放っておいても治らない病気というのは、医者としてもそれほど簡単に治せるものではない。医者にかかって治ったら、それは運がいいのである。

昔の医者は 「治す」 というよりは 「慰める」 のが仕事だったというのである。だから、医者は 「男芸者」 だったというのだ。治るか治らないかわからないが、まあ、医者にかかっているうちは、なんとなく不安から逃れることができる。死ぬときは死ぬのだから、不安からうまく遠ざけてもらいさえすればいい。

ところが現代人は、病気を治してもらうために医者にかかるのである。治らないのは医者の責任とでも言わんばかりの患者が多い。治らなかった人の遺族の中には、訴訟に出る人もいる。

そうなると、医者の側でも防衛のために役人ぽくならざるを得ない。まず、「治るか治らんかわからん」 みたいなことをいう。そして、「治ったら医者の手柄、治らなかったら不可抗力」 という認識を患者に持たそうとするのだ。

そんなことでは、せっかく癒しを求めて医者に掛かった患者の方では、不安の方が先に立つ。ストレスが増えてしまって、治る病気も治らなくなってしまうかも知れない。これは医者にとっても、患者にとっても不幸なことである。

もしかしたら、現代人は生きながらえることにこだわりすぎているのかもしれない。

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2010/01/10

『唯一郎句集』 レビュー #95

昨日に引き続き、「湯野浜にて八句」 のレビュー。今日は後半である。湯野浜に来てから 2~3日経ってからの句だろう。

旅行者ながら、そろそろなんとなく湯野浜の風土に馴染みかけている。旅行気分で高揚するというわけではないが、ゆったりとした風情を味わっているのがわかる。

楽しさをストレートに表現するタイプではない。何をするにしても、何気なくそそくさと行きすぎる。それで当人としてはちゃんと風情を楽しんでいるもののようだ。

さっそくレビューである。

海に日の入るかかはりもなく人ら歩むに交り

庄内の夕暮れ、日は日本海に沈む。海面が黄金に染まり、荘厳なまでの眺めとなる。旅館の部屋もいい部屋はすべて海に向っていて、その素晴らしい景色を眺めることができるようになっている。

しかし、土地の人にとっては日常の風景に過ぎない。夕陽に見とれるわけでもなく、すたすたと歩く。唯一郎もその中に混じって、何気なく歩く。ことさらに夕陽の景色を誉めるよりも、そうした状況に嬉しさを感じている。

日没のあとご覧竹の秋

荘厳な、しかし唯一郎としてはさりげなく見やった日没のあと、海辺の町はどんどん暗くなる。竹藪のシルエットが浮かび上がる。

竹の秋で黄色っぽく染まった竹の葉も、その夕闇に溶け込んでいく。その様がかえって竹の秋という言い方に馴染むように思われる。

防風掘りの男から防風を買ひてもどる

ここでいう 「防風」 とは 「ハマボウフウ」 のことのようだ。海岸に自生するセリ科の植物で、山菜として食用にされたほか、薬用にもされたらしい。

かつては各地の海岸にみられたが、最近は非常に珍しくなっているということだ。私も見たことはない。土地の防風売りの男から防風を買う。当時としても、それほどどこででも買えるものではなかっただろう。

そろそろ酒田に帰る日も近いのだろう。土産に防風を持ち帰る唯一郎。

水族館のおこぜの顔あかず見て空の青

ここに出てくる水族館とは、湯野浜の近くにある加茂水族館だろうと思い、一応 Wikipedia で調べてみたら、昭和 5年に地元有志によって設立された 「山形県水族館」 が、加茂水族館の前身なのだそうだ。

ということは、この句は 昭和 5年以前に作られたものだ。このページより後に、「大正十五年六月北陸関西の俳句行脚」 とか 「昭和二年湯澤の海紅大会にて」 とかいう句があるから、もう所載の時系列はめちゃくちゃだ。

水族館でおこぜのごつい顔にみとれる唯一郎。ごつい顔の背景の空は青い。

本日はこれまで。

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2010/01/09

『唯一郎句集』 レビュー #94

今日と明日とで、「湯野浜にて八句」 という添え書きのある句をレビューする。湯野浜というのは、今の鶴岡市 (酒田のお隣) にある海辺の温泉町である。

夏は海水浴場としても大勢の人が集まるが、この 8句は春に訪れた時のことのようだ。2句めに 「竹の秋」 という季語があるので。

湯野浜の観光シーズンは、海水浴場もあるので圧倒的に夏なのだが、この時は湯治か何かで湯野浜を訪れたのだろう。湯治目的ならば、混雑する夏よりも春の方が落ち着いて温泉に浸かれるのだろう。

とりあえず、前半の 4句のレビューをしてみよう。

   湯野浜にて八句

草の花しろきに海が見え電車は砂山曲がる

今は湯野浜に行くには鶴岡駅からバスに乗るのだが、昔は電車があった。私が小学生の頃には、海水浴に行くのにこの電車に乗っていたのだが、今は廃止となっている。

湯野浜には車でいくという風潮になってしまったので、採算が取れなくなったのだろう。Wikipedia で調べてみたところ、庄内交通湯野浜線という路線で、1975年まで運行していたようだ。そんなに後まで運行していたとは知らなかった。私自身、60年代後半以後はもっぱら車で行っていたので、電車のことは念頭から消えていた。

余談はともかく、句そのものは、シンプルな写生である。草の花が白く咲き始めている景色を眺めていると、突然進行方向にきらめく海が見える。庄内砂丘の砂山を曲がると、そこは湯野浜だ。

酒田からそれほど遠くないのに、そこはかなり非日常的な町。旅情を感じさせる。

ゆふべわかめ汁の腹に収まるを竹の秋

旅館で一夜を過ごし、周囲の散歩をする。夕食にはわかめ汁がついていた。葉が色づいた竹藪がみえる。

腹の中のわかめと竹の葉がなんとなくリンクする。いつもの風景ではないところを歩いているからかもしれない。

すなはまの草が根の白きうすぐもり

砂浜の所々に草が寄り集まって生えている。その草の群落の端は、風に吹かれて砂が飛ばされ、草の根が露出している。その草の根は思いがけないほど白い。

根の白さと同じような白さの薄曇り。その空の色を映して、海の色も白っぽい。蒼い海とはまったく異なった情緒の風景。

海辺山に入る道の何の白い木々の垂り花

鶴岡と湯野浜の間には、ちょっとした丘陵地帯がある。海辺からの登り口に、白い垂り花の咲く木がある。木の名前はわからない。

湯野浜という海岸の温泉町に来ているのに、眼につく色は、青ではなく白っぽい色である。唯一郎の心象風景に原色は似合わない。

本日はこれぎり。

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2010/01/08

講談社の 「現代ビジネス」 というサイト

「講談社、ビジネス誌をウェブ上で創刊 大手初、閲読は無料」 という記事が目を引いたので、その 「現代ビジネス」 というサイトに行ってみた。創刊号だけに、力が入っている。

閲覧は無料で、広告収入だけで運営するということのようで、「本当にそれでやっていけるのか」 と一部では疑問視されている。

私が想像するに、講談社はこの 「現代ビジネス」 というサイトを独立採算的には見ていないのだと思う。多少の赤字が出ても、大手出版社として初のネット・マガジンを運営することで、ネット上でのビジネス展開のトレーニングをするつもりなのだろう。

それに、ざっと見たところ、このネット・マガジンは、同社の雑誌、「週刊現代」 や 「フライデー」 に掲載された記事をアーカイブ化しているだけというのも結構あるようだ。このサイトだけのために原稿料を払っているというのはそれほど多くないのだろう。

多分、ウェブにも掲載するから、原稿料を割増で支払うというケースはあまり多くないんじゃないかと思う。寄稿したライターには、「今後、場合によってはウェブ上に掲載することもあるということをご承諾ください」 みたいな手紙一本で済まされているということも、十分にあり得るんじゃなかろうか。(想像だけど)

ということは、これまでの紙の媒体のネット化と、それほど内容的な差はないということになる。まずはローリスクのところから入って、本格的なネット配信時代に向けてのノウハウを蓄積しようということだろうと思う。

今日は時間がないので、この程度で失礼。

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2010/01/07

Twitter って、何がおもしろいの?

何かと話題の Twitter だが、私は、「それって、何がおもしろいの?」 と思っていた。試しに 「Twitter 何がおもしろいの」 というキーワードでググると、64万8,000件がヒットする。

で、何がおもしろいかは、やってみなきゃわからないと思い、私もようやく Twitter に自分のアカウントを持とうと思ったのである。

そうと決めたら、善は急げ (善だかどうだかはしらないが) である。さっそく Twitter Japan のサイトに行ってみると、右側に 「今すぐ登録」 というボタンがある。深く考えることなく、そのボタンをクリックすると、「ついったーに参加しましょう」 という登録画面になる。

で、ユーザー名の欄に "tak-shonai" と記入しようとすると、ハイフンは使えないようで、自動的に "takshonai" になってしまう。「まあ、いいや」 と、そのまま進めようとすると、右側に 「使用可能かどうか確認中」 というメッセージが現れ、しばらくすると、「ユーザー名はもう使われています」 と表示された。

何を !? Twitter の中には、私の名をかたる偽物がいるのか !? 一瞬、むっときた。探し出して懲らしめてやる。とりあえず、自分のユーザー名は "tak_shonai" にして、「俺こそ本物だ」 とばかり登録を進める。

アドレナリン出まくりでパスワードを設定し、次に自分のメールアドレスを入力する。すると、なんと、メールアドレスの隣にも 「ユーザー名はもう使われています」 と表示されるではないか。

ふと画面の右上をみると、「もうつぃったーに登録していますか?」 とある。ここまでくると、いかにぼんやりな私でも、気が付かざるを得ない。もしかしたら、ずっと前に既に登録してしまっていたのかもしれない。

試しに 「ログイン」 をクリック、心当たりのあるパスワードを適当に入力すると、あっさり自分のページにログインできてしまった。おやおや、Twitter 内にいたのは、私の偽物ではなく、私本人だったのだ。

そこには、自分で入力した覚えはさっぱりないのだけれど、"takshonai waiting for someone" とあり、日付は "" ということになっている。いやはや、すっかり忘れていた。2年も前に既に登録していたのか。私もずいぶん新しもの好きである。

そういえば、思い出した。何かのネット記事で 「Twitter に注目」 とかいうのを読んで、例しに登録だけはしてみたような気がする。そして登録してはみたものの 「こんなの、何がおもしろいの?」 と思ったまま、ずっと忘れていたのだ。

というわけで、ほとんど死にかかっていたアカウントがせっかく生き返ったのだから、少しは使ってみつつ、何がおもしろいのかを、ぼちぼち探ってみようと思う。この段になっても、何がおもしろいのかはさっぱりわかっていないのだけれど。

【同年 8月 28日 追記】

Twitter のアカウントは、最初に勢いで登録した "takshonai" を使い続けていたが、いつでも変更できることを知り、最近  "tak_shonai"(ハイフンが使えないので、アンダーバーで区切っている) に変更した。

ちなみに、「Twitter 何がおもしろい」 でググると、私のこの記事がトップにランクされ続けているが、最近は多少はおもしろさがわかってきた。

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2010/01/06

年賀状デザインのコレクション

ふと気付いてみると、PC を使ってオリジナル・デザインの年賀状を書き始めたのが、平成 11年の卯年だから、今年でちょうど干支が一巡した。

その前年の平成 10年まではどうしていたのかというと、これが全然思い出せない。残念ながら、デザイン・データも残っていない。

平成 11年といえば西暦では 1999年で、Windows 95 が出てからだいぶ経っている。私は Windows 3.1 の時代から自分の PC を購入し、すぐに 「筆まめ」 を使って宛名印刷をし始めた。いや、宛名印刷だけなら、25年ぐらい前からワープロ専用機の OASYS を使ってやっていた。

だから、宛名印刷だけではなく、文面の方だってかなり前から手書きだの 「プリントごっこ」 だのの段階は卒業していたはずなのだ。だが、オリジナル・デザインに凝るようになったのは、平成 11年からで、その前までは、ありきたりの門松だのの絵を配していたのだと思う。

平成 11年は、Windows 98 が出て間もない頃だったが、この年の年賀状を作成した時点では、まだ Windows 95 を使っていたと思う。ただ、その頃に、画期的な変化があった。インターネットを使って、年賀状用の画像素材が簡単に入手できるようになったことである。

私は何しろ、絵を描くのが下手くそである。文章を書くことなら、昔は業界新聞の記者だったし、今でも多少の原稿料を稼ぐのだから、一応プロである。それに この通り、毎日和歌を詠んで、写真まで添えているのだから、文芸と写真だって、少なくとも苦手というわけじゃない。

音楽だって、こちら に書いたとおり、昔はセミプロだったこともある。音楽理論だって少しはわかっているから、母校の校歌のアレンジだって、この通り、ちょいちょいっとやれる。自慢じゃないが、私は文学修士の称号を得ている。英語でいえば、Master of Arts というぐらいのもので、芸術関係は苦手じゃないのだ。

ところがなぜか、絵を描くのだけは昔から苦手なのである。もう、ガキの落書きみたいな絵しか描けない。だから、インターネットでデジタル素材が簡単に入手できる時代になるまでは、オリジナル・デザインの年賀状なんて、作りたいと思ってもできなかったのだ。

ただ私は、自分でイチから絵を描くことはできないが、素材を組み合わせてアレンジすることなら多少はできるみたいなのである。つまり描くテクニックがないだけで、アイデアやセンスは、ないこともないのだ。だから、他人の作った素材をアレンジして勝負できる時代になったことは、ありがたい限りなのである。

というわけで、本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 では、毎年正月限定企画として、「年賀状コレクション」 を公開している。平成 11年からのオリジナル年賀状のコレクションだ。平成 14年頃まではネットで公開するなんて想定していなかったから、手書きコメント用の余計な空白があるが、それ以後はウェブ向けのデザインになっている。

平成 20年の子年は母の喪中で欠礼しているので、干支が一巡したとはいえ、11年分しか作っていないのだが、来年は二度目の卯年のデザインをすることになる。さて、どんなのになるだろうか。

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2010/01/05

「暖冬」 というのは、いよいよ怪しい

エルニーニョだから、この冬は気象庁の季節予報通りに暖冬になるものだとばかり思っていた。

ところが、気象庁の季節予報は、1月 2日から 2月 1日までの平均気温がしっかりと 「低め」 に予想されていて、北海道以外は地図がブルーっぽくなっているではないか。(参照

昨年の 11月 24日の 「暖冬傾向という予報なのだが」 という記事で、私は 「11月になってからというもの、寒暖の差が激しくて、結構寒い日が多い。気象庁の予報は当たるんだろうか」 と疑問を呈している。

その後、12月になってからは結構な寒暖の差で 「寒いんだか、暖かいんだか、わけわからん」 なんて言っているうちに、年末からはずっと寒い。今日にしても、関東は日中だけは暖かかったが、夕方からはぐっと寒くなってきた。

これまでも、季節予報は当たらないと何度も指摘してきた。当たる確率は 5割を少し切っているという。つまり、当たらない確率の方が少しだけ高いのだ。ただ、まったくはずれまくっているわけでもないので、「気象庁の言うのと逆だと思っていればいい」 というわけにもいかないところがつらい。

こんな 「当たるも八卦当たらぬも八卦」 というレベルの予報なら、出してくれない方がまだましとみることもできるが、それでも人間というのは、何らかの目安というか、拠り所というか、そんなものを必要としているので、一応、季節予報というものを意識している。信じているわけじゃないけど。

そして、当たるか当たらないかわからない程度のものでも、ずっと長い間継続してくれれば、少しは精度が上がるんじゃないかと期待しているのも確かである。だが冷静に見れば、長期予報の当たる確率が 7割ぐらいになるなんてことはあり得ないんだそうだ。せいぜい 6割弱程度になればいいなあという世界らしい。

まあ、自然界のことだから、小さな変動要因が多すぎて 3ヶ月先の天気なんて誰にもわからないということなのだろう。それだけに、気象庁だって季節予報は 「確率」 という手法を使ってどうにでも逃げられるようにしている。あまり鵜呑みにしないでおけばいいだけのことなのだろう。

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2010/01/04

青木真也 対 廣田瑞人 の惨劇を廻る冒険

大晦日の 青木真也 対 廣田瑞人 の試合が話題になっている。青木がわずか 77秒で廣田の右腕を骨折させ、試合後に相手を侮辱するパフォーマンスをしたという試合だ。

この試合後の青木の行為が、スポーツマンシップに反するとして非難されている。確かに、どう見ても美しい行為ではない。

私はこの試合を大晦日の夜にテレビで見て、青木のあの行為が生じる以前の問題として、3つの疑問をもった。

  1. 試合の裏で、何か青木が本当に怒ってしまうような事情でもあったのだろうか。
  2. 廣田はどうしてあんなにも寝技の基礎がないのだろうか。
  3. レフリーはどうして止めなかったんだろうか。

この 3つの疑問は、まだ少しも晴れていない。試合の裏の事情は、関係者以外にはわからないことだ。ただ、試合後のインタビューで青木が 「笹原さんが 『刺しに行け』 って言って、しっかり刺せたんで、(技名は) 笹原圭一2010です」 なんてコメントしているのが気にかかる。

青木の言っている 「笹原さん」 とは、青木をライト級チャンピオンと認定している格闘技団体 Dream のプロデューサーである。そのプロデューサーが 「刺せ」 と、つまり、超ガチンコでつぶしに行けと指示したというのである。確かに、事前の煽りの段階で笹原氏がそう言ったらしい。

笹原氏がこの件に関して公式にコメントしていないので、その真意がどんなことだったかはわからない。もしかしたら、青木が笹原氏の演出オーバーな煽りに過剰反応してしまっただけなのかもしれないが、試合直後の青木の興奮ぶりを見ると、何もなかったとは思いにくい。ここでは、「さっぱりわからない」 とだけ言っておこう。

2つ目の疑問。廣田の寝技の防御が下手すぎる点である。寝技のスペシャリスト、青木と対戦するなら、どうして最低限の寝技の防御法ぐらいは練習してこなかったのだろうか。寝技を甘く見すぎである。

最初のタックルであっさり左脚を取られてしまうのだが、あれだけ完璧に足を取られる前に、もっとしっかりと上からがぶって切ってしまわなければならなかったところである。タックルに対する防御がなっていない。

あまりがぶり過ぎたら、横になって寝技に持ち込まれると思ったのかもしれないが、きちんと切って上になるのと、中途半端に立とうとして尻もちをつかされるのと、どっちがいいか、それほど考えなくてもわかるだろう。

結局コーナーを背にして尻もちをつかされる。完全に横にされていないだけ、まだ大丈夫と油断したのかもしれないが、あれよあれよという間に、右手首を自分の背中越しに青木の右手でホールドされてしまう (ビデオの 1分過ぎあたり)。これが最後の腕折りにつながるのだが、信じられないほど簡単に取られすぎだ。

自分の背中越しに右手を極められるなんていう屈辱的な状況を避けるためには、右手をマットにしっかりついて踏ん張らなければならないし、さらに取られたとしても今度は腕を伸ばし気味にしながら体を右に反転させ、極められるのを防がなければならない。

ところが、体を反転させる前に右足まで妙な角度で易々と相手の脚に挟まれて、身動きを封じられてしまっている。その後にしても、左手で下から逆スウィング気味に殴ろうなんてことにこだわっている。

そんな無駄で定石と逆の動きをするから、右手は自動的に 「どうぞ折ってください」 状態に、どんどん追い込まれている。あの時点で、試合は実質的に終わっていたのだ。

最後に、レフリーの判断の悪さである。あの試合の後半で最も危険な状態にあるのは、青木に極められた廣田の右腕なのに、レフリーはそのことに最後の最後まで頓着していない。コーナー際の展開で死角に入っていたとする人もいるが、ビデオの 1分 50秒目あたりから約 10秒間、危険な角度寸前まで極められた廣田の腕が見えていたはずだ。

その後の展開で、さらに腕の角度が危険な状態になっていることは容易にわかるはずなのに、レフリーは見当違いの方向ばかり注目している。どうして廣田の背後に目をやろうとしないのだ。あのレフリーは格闘技の素人か、そうでなければ、わかっていて腕折りをやらせた確信犯かのどちらかである。

というわけで、私はあの残劇には 「何らかの裏の事情」 「廣田の寝技が下手すぎたこと」 「レフリングがおかしかったこと」 の、3つの要素が絡んでいると思う。1番目は想像に過ぎないが、残り 2つは誰が見ても明らかなことだ。

そして、試合後の青木の行為についてだが、まあ、人の腕を意識して折るなんていうのは、あのくらいの 「狂気モード」 に入っていないと、そうそうできることじゃないとだけ言っておこう。昔、UWF の試合で佐山の肩を脱臼させてしまった藤原は、リング上で柄にもなく男泣きに泣いた。私はそれをリングサイドで観戦していた。

つまり、ねらって相手の腕や肩を折ったり脱臼させたりするというのは、それくらい尋常なことじゃないのだ。繰り返しになってしまうが、あの試合は青木を 「狂気モード」 に入らせてしまう何かがあったのだと、思わざるを得ないのである。

【追記】

よく調べてみるとあの試合は、組み合わせ決定の段階でいろいろすったもんだがあったようだ。青木自身は直前まで大晦日の川尻建也とのタイトルマッチに合意していて、その準備を進めていたところ、いつの間にかポリティックな事情で戦極との対抗戦にすり替わっていたということのようだ。

さらに、22日の記者会見で、川尻との対戦が決まった横田一則がかなり言いたいことを言ったことに青木がぶち切れかかって 「黙れよ!」 と怒鳴っていたらしい。まあ、かなり怒っていたことは確かなようだ。(参照

ちなみに、言いたいことを言っていた横田は大晦日の試合で、川尻にいいところなく敗れている。

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2010/01/03

『唯一郎句集』 レビュー #93

昨日に続いて、今日も 2句のレビューとなる。季節は冬。庄内の冬とて、雪が降っている。正月前の頃かもしれない。

私が過ごしていた頃の庄内は、12月を過ぎれば根雪が積もった。今は雪のない正月なんていうことがあるが、昔は考えられなかった。その根雪になり始める前の情景が浮かぶ。

さっそくレビューに入ろう。

積もりがたなく から檜葉雪をこぼしている

「積もりがたなく」 というのは、「積もり方なく」 ということで、「積もるような方向ではなく」 というような意味だろう。雪がそれほどひどくはならず、一段落している情景が思い起こされる。

「から檜」 というのは、もしかして 「唐檜」 のことだろうか、本来は 「トウヒ」 と読むらしいのだが、もしかしたら、酒田では 「カラヒノキ」 と言っていたのかもしれない。

その葉に積もりかけた雪が、風に揺れた時にこぼれ落ちる。その背景はあくまでも鉛色の雲に覆われた空。

うどん屋の夫婦寝けり雪の夜

読んでそのままの句。雪の夜、客の来る当てもなく、うどん屋は早々に店じまいして、窓の灯も消えてしまった。

酒田には珍しい静かな雪の夜である。つまり、吹雪ではないということで、明ければかなりの積雪だろう。

なお、「寝けり」 は 「いねけり」 と読む。念のため。

本日はこれぎり。

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2010/01/02

『唯一郎句集』 レビュー #92

年明け初の 『唯一郎句集』 レビューである。正月休みというのは、のんびりできそうで全然のんびりできない。そんな中で俳句の鑑賞なぞをすると、ますます浮世離れしそうだ。

今日は 2句。どちらもおめでたい題材の俳句である。おめでたいと言えば正月らしいが、唯一郎の句は、あくまでクールだ。

一つめは妊娠、二つ目は結婚をテーマにしている。しかし、唯一郎にとってそうした事柄を手放しで祝賀するというのは、あまりにも気恥ずかしいことのようだ。それで、テーマとはおよそほど遠い情景描写となっている。そのほど遠い情景描写の中で、おずおずと喜びの意を表している。

ともかく、レビューである。

  挙児

八千草の花咲けり家ぬち秋空の見え

「挙児」 という言葉は初めて知った。Goo 辞書で調べてもそんな見出し語は見当たらないが、ウェブで調べると、どうやら妊娠し、出産を希望するということの意味らしい。

「八千草の花」 とあるが、「八千草」 という名の植物があるわけではなく、たくさんの草の花という意味である。秋の草が一斉に咲き始めたのだろう。

この時に妊娠した子が、私の母でないことは確かだ。私の母の誕生日は 10月 30日だから、妊娠がわかったのは多分春先のことだろう。季節が合わない。三人の伯父のうちの誰かなのだろう。

「家ぬち」 は 「家のうち」 の短縮形。家の中から秋空が見えるのである。さわやかな情景だ。

  祝成婚

花野菜の巻葉もある朝の畑

「成婚」 とあるので、もしかしたら皇族のご成婚かとも思ったが、昭和天皇のご成婚は大正 13年のことだし、どうも時期が合わない。また、皇族のお話なら 「御成婚」 と言うだろう。

というわけで、多分親族か知り合いの結婚を祝っての句だろうと結論づけることにした。

「花野菜」 とは、カリフラワーの和名。昭和初期にカリフラワーがあったのだろうかと思って調べると、カリフラワーが日本に入ってきたのは明治時代なのだという。ただし、本格的に普及したのは 1960年代。ほそぼそとカリフラワーが栽培されていたのだろうか。

いずれにしても、ちょっと珍しい西洋野菜のくるっと巻き気味の葉も見える朝の畑の情景描写で、若い新郎新婦の旅立ちを祝福しているのだろうか。

本日はこれまで。

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2010/01/01

沢庵和尚と虎

恭賀新年。平成 22年、西暦 2010年である。早いもので、西暦も、ついに中程にゼロが 2つ並ばなくてもいい年になった。

今年は寅年。私より 2歳上の、団塊の世代の末尾の人たちが、寅年生まれである。とくにこの年は 「五黄 (ごう) の虎」 だから、この年に生まれた女性は気が強いとされる。

別に生まれた年によって気の強さが左右されるということはないと思うのだが、知り合いを見渡すと、確かに、「私は五黄の虎の生まれだから」 と吹聴する女性は気が強い。亭主を尻に敷く免罪符みたいに、生まれ年を都合よく使っている。ただし同じ年の生まれでも、そんな免罪符が必要ない人だっていくらでもいる。

Nyc10恒例の年賀状だが、今年はこんなのである (クリックで拡大表示される)。元ネタは素手で虎を手なづけてしまったという伝説をもつ沢庵和尚ゆかりの臨済宗大徳寺派の高僧、足立泰道和尚の描かれた掛軸を、不遜ながらアレンジさせてもらった。

禅画にはわけのわからんのがいっぱいあって、とくに目立つのが、単に ○ が描いてあるだけというものだ。単なる ○ に、禅の極意が表現されているらしい。その ○ を虎の尻尾に見立てさせていただいたわけである。

沢庵和尚が虎を手なづけたというのは、実話かどうか怪しいものなのだが、講談などの世界ではまことしやかに語り伝えられている。

ある日、将軍徳川家光に朝鮮から珍しい大きなトラが献上されたが、家光は将軍家武芸指南番で、天下無双の剣の達人、柳生但馬守宗矩を虎の檻に入れてみろと、超酔狂なことを言いだした。

ところが柳生宗矩も大したもので、「承知仕りました」 と、虎の檻の中に入り、刀を構えて虎に迫った。しばらくにらみ合いが続いたが、ついに、虎は宗矩の威厳に屈して視線をそらす。宗矩は静かに後退し、すばやく檻の外に出た。出たときの宗矩は、さすがに冷や汗びっしょりだったという。

ところが家光の酔狂には限度というものがない。今度は同席していた沢庵和尚に向かい、「どうじゃ、和尚もやってみないか」 と言う。和尚はこともあろうに、「お望みとあらば」 と、素手で虎の檻に入ったところ、虎は猫のように目を細め、喉を鳴らして甘えたというのである。

禅の世界では、柳生宗矩の姿勢は 「主客対立」 で、沢庵和尚の姿勢は 「主客融合」 であると称している。で、まあ、我々も対立よりは融合の方がおめでたいだろうということでいきたいものなのである。

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