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2010/03/26

「センス」 ということ

Twitter で riahhu さんが 「センスまではディレクションしきれない」 と tweet していらっしゃるのを見て、「まさにその通り」 と思ってしまった。それで、「下手は練習で何とかなるけど、センスのないのは時間かけてもダメですね。申し訳ないけど」 とレスを付けさせてもらった。

本当に申し訳ないけど、どんなことでも、そっち方面のセンスのない子はいくら一所懸命に練習してもモノにならない。まあ、ある程度は上達するとしても、それでメシを食えるほどにはなれない。こればっかりはどうしようもない。

例えば、「彼は野球センスがある」 なんて言い方がある。天性の才能みたいなものだ。その才能が開花するには、そりゃもちろん努力が必要だが、その努力がきちんと報われて、きちんと素晴らしい野球選手になることができるというのは、やっぱりセンスに裏打ちされている。

そして、野球センスがあってもサッカー・センスがあるとは、全然限らない。センスというのはなかなか微妙なもののようなのだ。

プロ・スポーツの一流選手でも、よく 「自分は才能がないから、努力だけでやっとここまで来れた」 みたいなことをいう人があるが、とんでもない、謙遜にもほどがある。本当に才能がなかったら、いくら努力してもプロになれるほどには報われるものじゃない。努力の結果が開花するというのは、実は才能 (センス) がある証拠なのだ。

もし、努力だけでなんとでもなるというなら、世の中はいろいろな分野で、一流と言われる人であふれてしまうだろう。そして努力だけで達成した一流ばかりでは、やっぱりちょっとつまらないところがあるだろう。だから世の中というのは、いくら努力してもモノにならないことがあるようにできているのだ。それでうまく行っているのである。

例えば元々の音感に問題のある人は、練習でかなり修正できたとしても、アイドル歌手にならなれるかもしれないが、クラシックの歌手にはなれない。リズム感の悪い人は、一流のダンサーにはなれない。

私なんぞみたいな者でも短歌を教えてくれなんて言われることがたまにあるが、鉛筆舐め舐め指折り数えて歌を詠んでも、どういうわけか 五・七・五・七・五 になっちゃう人っている。そして、あれだけ指折り数えていたはずなのに、当人はそれに気付いてないなんていうのも、やっぱり言葉のリズム感がないみたいなのだね。

同様に、俳句は 五・七・五 だよといくら教えても、できあがるのはなぜか 五・七・七 になっちゃう人もいる。そういう人は大抵、自分の句が明らかに字余りだということに、全然無意識である。基本的な部分で日本語センスが不十分みたいなのだ。

ただ、ある方面にセンスがなくても、それで悲しむことはまったくない。人間の価値ということに関しても、そんなことは全然関係ない。その人は別の方面で卓越したセンスをもっているかもしれないし、実際にそういうことも多い。

私なんか理系分野ではお恥ずかしいほどセンス皆無だが、文系でなら、なんとか食っていけるしね。

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