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2010/04/09

岡本かの子と変体仮名の葉書

今日付の讀賣新聞に、岡本かの子が川端康成に宛てた未公開の書簡 60通が発見されたというニュースが出ている。岡本かの子を知らない人でも、その長男の岡本太郎は知っているだろう。あの 「太陽の塔」 の作者で、「芸術は爆発だ!」 でお馴染みの芸術家だ。かの子はその母親である。

新聞に掲載された葉書の写真をさらに iPhone のカメラで写したものを添えるが、見れば流れるような変体仮名混じりの葉書である。さすがに毛筆ではなくペンで書かれたもののようだが、昔の人はなかなか風流な葉書を書いていたものである。

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ただちょっと疑問に思ったのは、大正から昭和にかけての人たちが皆、変体仮名を常識として読み書きできたものだったのかということだ。岡本かの子は元々の出発が歌人としてだったから、この程度は朝飯前だったかもしれないが、こうした葉書を受け取った人は、ちゃんと読めたんだろうか。

私の父は昭和 4年の生まれで今年で 81歳になるが、変体仮名はまともには読めない。同じぐらいの年配の人に聞いても、読める人は極々稀だ。学校で習ったことはないという。私が曲がりなりにも少しは読めるのは、学生時代に歌舞伎なんていうへんてこなものを専攻した副産物である。

昔の平仮名は、同じ 「あ」 と発音する文字でも、いろいろあった。今の 「あ」 の字は 「安」 という漢字をくずしてできたものだが、ほかに 「阿」 「亜」 「悪」 「愛」 の字をくずした平仮名もよく使われていた。メジャーなだけで、5種類の 「あ」 と発音される平仮名があったのである。だから 「アジア」 のことを自然に 「亜細亜」 なんて表記したわけだ。

しかも筆文字で各人各様の書き癖があるから、似たような文字はなかなか判別しにくい。昔の人は、よくまあ、あんなぐにゃぐにゃした字を読んでいたものである。今の人は落語の浮世床で徳ちゃんが 『太閤記』 を手にしどろもどろになるのを笑うが、それは身の程知らずというものだ。自分で読もうとしたら、きっと 1行も読めないだろう。

日本ではこのように、50音の平仮名にいろいろな文字が当てられていて、明治になってもそれは変わらなかった。ところが明治 33年の小学校令改正を受けた小学校施行規則において、小学校で教えられる仮名が一字体に統一され、それ以後は、「あ」 と発音される平仮名は 「あ」 の一文字のみとなってしまったのである。

で、岡本かの子の話に戻るが、どうして大正 9年生まれの彼女が 10歳も年下の川端康成に、こんな変体仮名の葉書を送ることができたのかを調べてみたら、意外な事実がわかった。Wikipedia の 「変体仮名」 の項から引用する。

小学校で教えられる仮名の字体が一字体に統一された以降は、一部の書道教育を除いて、一つの音韻に対しては一つの字のみが教えられることとなった。一旦は1908 年(明治41年)に26の異体字が復活したものの、最終的にはすべて1922年(大 正11年)に廃止された。この改正において採用されなかった数多くの平仮名の字体が、以降、変体仮名(異体仮名)と呼ばれるようになった

つまり、いわゆる変体仮名は明治 33年を期して小学校教育から廃止されたが、その 8年後の明治 41年から大正 11年までの 24年間、一時的に 26文字に限って復活していたのである。多分、異体字の平仮名が失われるのを惜しむ声が上がったのだろう。ある種の文芸復興みたいなものかもしれない。

だが、やはり新時代においては 1種類の発音の文字が複数あるというのは、わかりにくいということになったのだろう。大正 11年に廃止されたまま、今日に至っている。ただ、大正 9年生まれの岡本かの子は学校教育で変体仮名を習ったことはないはずだが、その名残の空気を十分に吸って育っただろうことは容易に想像できる。

つまり大正時代においては、変体仮名が普通に使われていたのだ。その名残は今でも、そば屋やしるこ屋の看板に見られる。蕎麦屋の看板は、「そむ」 と書いてあるんじゃないのだ (参照)。

それにしても、岡本かの子が気軽に変体仮名を使ったのは当然としても、10歳も年下の川端康成までが、(多分) 苦もなくそれを読めたというのは、なかなか素敵なことである。現代の我々は、ちょっと大切なものを失いかけているような気がする。

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コメント

初めまして。
私は自分の先祖調べをしていまして明治時代の戸籍に使われていた変体かなや草書体 
略字体と只今格闘中です。
 岡本かな子のお手紙を受け取った川端康成はきっと「粋に感じた」と思います。
二人共直接学校で習ったようではないようですが、親や親戚 近所の人など旧仮名がまだ
身近にあったから普通に読めたのではないでしょうか?
 制度が変わったからと言ってお役所関係以外はすぐに変わらなかったと思います。
別に使用しても罰金が課せられたわけではないので。

 私の子供の頃は明治20〜30年代生まれのお年寄りがかなりいましたから
「変体かな」を使ったお名前もかなりいました。
今私の祖母が大正6年生まれの95歳ですがいくらかしか読めないようです。

この記事の主旨を壊すようですが、制度が出来て急に禁止されるものではなく、
徐々に廃れたものかも知れません。
今老人ホームなどにいるお年寄りは昭和生まれがほとんどです。
もうすぐ戦後生まれが大半を占めるようになります。
 もはや戦争経験者でも従軍された方よりも学童疎開していた方々がほとんど占めています。
時代の流れで当たり前な事なのですがなんか切なく感じますね。
 

投稿: 光之進 | 2012/03/13 17:36

光之進 さん:

>この記事の主旨を壊すようですが、制度が出来て急に禁止されるものではなく、
>徐々に廃れたものかも知れません。

主旨を壊すどころか、まさに、「徐々に廃れた」というのが、この記事の主旨です。

私は学生時代、江戸時代の古文書を(草書体と変体仮名のまま) 毎日読まされていたので、昔の粋さにはかなり思い入れがあるのです。

投稿: tak | 2012/03/13 23:08

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