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2010/04/13

「四苦八苦」 ということ

「四苦八苦」 という言葉があるが、これは仏教から来ている。人間が娑婆に生きていく中で経験する 4つの基本的苦しみを 「四苦」 といい、それにさらに 4つの苦しみを加えて、「八苦」 という。合わせて 「四苦八苦」 というわけだ。

基本的な 「四苦」 は、かなり有名で 「生老病死」 という。ちなみに 「四苦八苦」 は Atok (Ver. 16) であっさりと変換できたが、「四苦」 と 「八苦」 に分解すると、もうだめだ。たった今、この 2つを単語登録したばかりである。さらに 「生老病死」 も 「しょうろうびょうし」 で変換できないので、これも単語登録した。

Atok はかなり難しい言葉でも変換できるものと信頼していたが、この程度のことも知らないようで、ちょっとがっかりである。それとも、普通はこんな単語に用がないほど、世の中は不信心になってきたのだろうか。

いやいや、話は Atok がテーマなのではない。「四苦八苦」 そのものを考察してみたいのだ。

ベーシックな 「四苦」 は、覚えやすい。「生老病死」、つまり、生まれて生きる苦しみ、老いる苦しみ、病を得る苦しみ、そして死ぬ苦しみの 4つである。字にしてもたったの 4文字だ。ところが、残る 4つはなかなか取っつきにくい。こんなのである。

  • 「愛別離苦 (あいべつりく)」 : 愛するものと別れる苦しみ
  • 「怨憎会苦 (おんぞうえく)」 : 怨み、憎むものと会う苦しみ
  • 「求不得苦 (ぐふとくく)」 : 求めるものが得られない苦しみ
  • 「五陰盛苦 (ごおんじょうく)」 : 五蘊(ごうん)に執着することから生じる苦しみ。

「五蘊」 というのは、諸存在を構成する物質的・精神的五つの要素、「色・受・想・行・識」 のことで、『般若心経』 では、これはみな 「空 (くう)」 であるという(さらに、それがまた 「色」 であるともいうのだが)。つまり 「五陰盛苦」 とは、娑婆のもろもろのことへの執着による苦しみで、まあ、これこそ 「四苦八苦」 の根源みたいなものである。

ちょっと注目してみたいのは、「怨憎会苦」 である。漢字で書くとなにやら難しすぎてピンと来ないが、実は今の世の中でもよくあることで、大きなストレスの元になっている。平たく言えば、「嫌いな奴としょっちゅう顔を突き合わせていなければならない苦しみ」 だ。人間のストレスの最大の要因は 「人間関係」 というぐらいだから、これは大変なことなのである。

どこに行ってもいい人にばかり巡り会えて、人に恵まれているというのは、よほど幸運な人である。現実にはそんな人は滅多にいない。大抵は、環境が変わるたびに、嫌でたまらない奴が必ず一人は出現する。その嫌な奴が、職場の直属の上司だったり、一つ屋根の下で暮らす姑だったりしたら、それはもう 「怨憎会苦」 の最たるものだ。

中には、せっかく好いて一緒になった結婚相手が、半年も経たないうちに 「怨憎会苦」 の根源になってしまったりする人もいる。よほどの因果である。

「怨憎会苦」 を含む四苦八苦から抜け出すために、仏教では 「四諦」 ということを説く。「苦諦」 「集諦」 「滅諦」 「道諦」 の 4つだ。

「苦諦」 というのは、娑婆というのはもとより 「四苦八苦」 に満ちているものだと知ることである。まさに 「諦める」 ことそのもののように思われる。仏教というのがこんな 「諦め」 を強いるものだったとしたら、全然 「救い」 にならないじゃないかと言いたくなるようなものだ。

しかし、大切なのはここから先なのである。「苦諦」 で、ちょっとした諦めの境地に達したら、そこから 「集諦」 に進む。これは結局、煩悩に執着すること、つまり迷妄が 「苦」 の原因だと知ることだ。つまり、煩悩に執着しなければ苦しまなくてもいいと気付くのである。

ここから先は、よくよく知ったところでなかなかそんな境地に達せられるものじゃないから、あっさりと触れる。「集諦」 の次にくる 「滅諦」 で、仏道を修行することにより、たとえ煩悩が多少残っていても苦を滅することができ、さらに 「道諦」 に至って、最高の悟りの境地である涅槃に住することができる。

まあ、最後の 2つはなかなか大変だから、置いとくとして、要するに、あまりいろんなことにこだわらない生き方をすれば、「四苦八苦」 の苦しみにそれほど追われることはないということのようなのだ。

こだわって苦しむより、のほほんとして苦しまない方がずっといいに決まっているのだが、なかなかそうもいかないというところが、「五陰盛苦」 なのである。

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コメント

「四諦」で大切な事は”諦める”ことよりもTakさんが書かれているように”娑婆というのはもとより 「四苦八苦」 に満ちているものだと知ることである。”の”知ること”だと思います。作家坂口安吾も堕落論で語ってると勝手に理解している「本当の自分を知れ」ということにもつながるのではないかと思いましてコメントしました。

投稿: TonyTani | 2010/04/14 08:42

TonyTani さん:

>「四諦」で大切な事は”諦める”ことよりもTakさんが書かれているように”娑婆というのはもとより 「四苦八苦」 に満ちているものだと知ることである。”の”知ること”だと思います。

この場合、「知ること」 と 「諦めること」 の差は、なかなか微妙ですね。
「諦めること」 に積極的な意味合いを持たせることが、悟りにつながるのではないかという気もします。

昔、ジョン・デンバーの曲に "Sweet Surrender" (「甘美なる降伏」 とでも訳しましょうか) というのがありました。

「降伏」 はフツーはいいものではないですが、"Sweet Surrender" となると、なかなかいいもんです。

「甘美なる諦め」 というのも、いいものなのではないかと。

投稿: tak | 2010/04/14 16:53

「諦める」ということについて、前に書いた記事があることを思い出しましたので、リンク先を書いておきます。

http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2007/10/post_b52f.html

投稿: tak | 2010/04/22 16:20

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