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2010/04/05

「春眠暁を覚えず」 の意味合い

「春眠暁を覚えず」 といって、これは 「春は眠い季節」 ということを表すものと思われているが、本来の意味はちょっと違っていたもののようだ。ちなみに、この言葉の出てくる孟浩然の『春眠』 という漢詩は次のようなものである。

春眠不覺暁   【春眠 暁を覚えず】
處處聞啼鳥   【処処 (しょしょ) 啼鳥 (ていちょう) を聞く】
夜来風雨聲   【夜来 (やらい) 風雨の声】
花落知多少   【花落つること 知るや多少 (いくばく) 】

夜が明けたことも知らずに眠っていた。気が付けば鳥が鳴いている。夕べは風雨が強かったので、花は散ってしまったかも知れない ―― というような意味合いだろう。今のフツーの感覚からすると、「春って季節は眠いから、ついつい寝坊してしまうよ」 ということと思われがちだが、次のような異論がある。

【理系視点からの異論】

ズブズブに理系でいこう!」 というユニークなブログの東大井真知男さんは、次のように書いておられる (参照)。

仮に毎朝同じ時刻、6時に起きるものとしよう。その場合、冬の間は、起きた時にはまだ夜明け前だ。ところが、だんだんと春になってくると、起きた時にはもう夜が明けている。

この句はそういう意味だ。つまり、「春になって日の出時刻が早くなった」という意味だ。決して、春はついつい朝寝坊しがちだ、というような意味ではない。

なかなか理系らしい視点で、理路整然としている。思わず膝を叩いて納得してしまいそうだ。しかし私としては、この指摘に関する限り、賛成しない。

この漢詩の作者である孟浩然は唐代の人で、西暦 689年に生まれ、740年に没している。この時代に現代のような時計があったわけがなく、中国では水時計や香時計などが使われていたが、正確に午前 6時を告げることはできなかっただろうという歴史的限界がある。

当時、一般には夜明けから日没までを日中とし、日が沈んでいる間を夜として、その間の時間をそれほど厳密に刻むことはしていなかった。普通には、太陽の位置を基準に時を知るという時代だった。つまり、「午前 6時」 は太陽の位置に先立たなかったのである。むしろ、太陽が午前 6時の位置に来たときが 「午前 6時」 だったのだ。

というわけで孟浩然の時代には、現代のような意味での季節に関わらない 「午前 6時」 という時刻を人々が認識して、その決まった時刻に起きるというようなことは、あり得なかったろうと思われるのである。

【文系視点からの異論】

まあ、これは 「文系」 というよりは 「考証学」 的な視点という方がいいかもしれないが、基本的に、多くの人々が夜にぐっすり眠れるようになったのは、たかだかこの 200~300年ぐらいのことだという指摘がある。

それ以前は、農業をしていれば、イノシシなどの野獣が畑を荒らすのを防ぐために、眠るともなく聞き耳を立てていなければならなかった。夜というのは、油断のならない時間帯だったのである。また必ずしも用水路が整備されているわけではないから、夜の風雨の心配もしなければならなかった。

用水路だけではない。雨漏りがしたらすぐに応急修理をしなければならない。さらに、夜は敵軍が夜討ちをしかけて来かねない。常に用心怠りなく、何かあればすぐに飛び起きなければならなかったのである。人々が夜にぐっすり眠れるようになったのは、厳しい自然や敵軍を常に相手にしなくても済むようになってからのことだというのだ。

ただでさえぐっすり眠れないのに、ましてや冬の間などは、寒くて熟睡などできない。今のしっかりした住宅でさえ、真冬ではあまりの寒さに目を覚ましてしまうことがある。昔の華北の内陸部では、一番冷え込む夜明け前に、寒くて寝てなんかいられないなんてことになるのは、しょっちゅうだったろう。

ところが、春になって世の中が暖まってくると、夜明け前に寒くて目が覚めるということはあまりなくなる。ふと気が付けば風雨が止んでいて、夜が明けて鳥が鳴いているというようなことに、そこはかとない喜びを感じるようになったりする。

この漢詩は、そうした感慨を歌ったものだと解釈するのが自然だろう。つまり、「春は眠い」 というよりは、「夜明け前に目が覚めなくても済む暖かさになった」 ということなのだ。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

おお!確かにそうでした。
山暮らしをしていた時は、雨だれの音に、風の音に目を覚まし、獣の気配にも夜鳴く鳥の声にも眠りを破られたものです。
寒い冬の夜は、寒さに耐えて体に力が入り、思わず目が覚めることもしばしば。
春の実感はまさにご指摘の通り。
ただ、夜明け方は季節を問わずいつも眠かった・・・。

投稿: Mikio | 2010/04/05 18:43

Mikio さん:

>おお!確かにそうでした。
>山暮らしをしていた時は、雨だれの音に、風の音に目を覚まし、獣の気配にも夜鳴く鳥の声にも眠りを破られたものです。

自然を相手にしていると、夜は安眠の時というわけでは決してありませんね。
神経が鋭敏になりますからね。

>寒い冬の夜は、寒さに耐えて体に力が入り、思わず目が覚めることもしばしば。

秋から春先の山で、テント泊まりだったりすると、とくに冬の山では、いくら分厚い寝袋を重ねても、夜中を越すと寒くて熟睡なんかできません。

ちょっとうつらうつらしては寒さに震えるという繰り返しです。それでも、なんとかなるもんです。

昔の人たちは、そんな暮らしをしていたんでしょうね。
その分、春先には体を柔らかくして少しは安眠することができたんだと思います。
冬の間の疲れを取るためにも。

投稿: tak | 2010/04/05 23:31

理系視点に対する反論が、これまた理系的に筋が通っていますね。私は文系視点の解釈が好きですが、なぜ好きかは「その方が春らしいから」くらいしか言えません(笑)

そもそも「春になると日の出の時刻が早いからいつ夜が明けたのか分からないなぁ」では詩情が乏しいのではないかと。

投稿: 山辺響 | 2010/04/07 15:38

山辺響 さん:

たまには 「春眠正午を覚えず」 ぐらいにグデグデに寝ていたいものですが、叶いません ^^;)

投稿: tak | 2010/04/07 21:04

理系的意見ですが、正確に午前6時を告げることはできなくても、人間には習慣というものがあり、いわゆる体内時計で、ほぼ決まった時間に目覚める人も多いと思いますよ。
それと春になって陽が沈むのが遅くなると、日没から夜明けまでを睡眠時間の目安としていた人にとっては、夜の睡眠時間が短くなり、より日中に眠たくなるという考えもあると思います。

投稿: 通行人ですみません | 2011/03/24 13:40

通行人ですみません さん:

>いわゆる体内時計で、ほぼ決まった時間に目覚める人も多いと思いますよ。

それは、本文でも指摘しているように、人々が夜にぐっすり眠れるようになった、この 200~300年ぐらいのお話で、それより前は、ほぼ決まった時刻に安心してぐっすり眠り、ほぼ決まった時刻に目を覚ますという生活パターンを守るのは困難だったと思われます。

とくに寒い冬の間は寒くて熟睡できず、震えながらうつらうつらしているうちに夜が明けるということだったことでしょう。

投稿: tak | 2011/03/24 18:12

少々書かせてください、
そのままでの理解でいいと思いますが、
中国の偉い方が云っていることですので私は以下のように理解したいと思います。

「陽が昇る前に、あちらこちらで鳥はさえずり、
陽が昇る前に、夜からの風雨で花は落ちているのに、
陽が昇る前に、みんな何かをしているのに私は何もしていない」

このように理解します。

投稿: 野切屋あんこ | 2012/03/15 11:29

野切屋あんこ さん:

>中国の偉い方が云っていることですので

孟浩然という詩人は、仕官も叶わず、「偉い人」というほどのところまで出世することはなかったようですが、まあ、何とか肉体労働はせずに食って行けたんでしょうね。

>陽が昇る前に、みんな何かをしているのに私は何もしていない

昔の芸術家というのは(今でもそう?)、言うまでもなく大抵そういうもんだったんでしょうね。

投稿: tak | 2012/03/15 14:10

春眠暁を覚えずの意味は、春、花の咲く時期、昨夜から風雨が強いため、花が落ちるのではないかと気が気でなく,夜よく眠れず、夜が明けたのも分からなかった、と云う意味です。決して、春はよく眠れて寝坊したという意味ではありません。そのことは,詩全体からも分かります。

投稿: きーちゃん | 2012/04/08 11:45

きーちゃん さん:

>決して、春はよく眠れて寝坊したという意味ではありません。

はい、そうですね。

投稿: tak | 2012/04/09 04:22

それって、学校で先生が教える解釈。

孟浩然は李白や王維と交際があった人です。そんな気宇壮大な友人があるからには、孟浩然も当然そのような気質の人だったでしょう。
事実、玄宗皇帝に謁見したときに政治を批判して玄宗を怒らせています。
そんな孟浩然が詠んだとすると、次のような解釈ができます。

その一、桃花緑柳という言葉は遊里を指す隠語ですから、第四句の「花落ちる」の花は女性の意味と解されます。
ここから、第一句~第三句は、ゆうべは鳥の啼くような声や激しい雨風のような物音がして、中々寝付かれず、朝寝をしてしまった。第四句は、何人もが花を散らしたことだろう。
こういうことになります。が。これは官憲の訴追を避ける表向きの解釈。

その二、昨夜は、鳥が啼いていると思っていたら、あちらこちらで合図をし合っている笛や太鼓の音が気になって寝られなかった。そのために日が昇ってから起きてから聞くと、幾つもの城が落とされたようだ。

どうですか。みなさん。

投稿: 和布禮一 | 2012/06/04 05:14

おはようございます~
おもしろいですね~~
皆さんのこの自由な書き込み。うふふ

投稿: tokiko | 2012/06/04 05:42

和布禮一 さん:

そう読めば、読めないことはありませんね。
深読みというのは、なかなかおもしろいものです。

投稿: tak | 2012/06/04 11:04

tokiko さん:

なかなか世界が広がりますね。

投稿: tak | 2012/06/04 11:06

大変勉強になりました。

投稿: おがさわら | 2014/03/26 12:25

おがさわら さん:

恐縮です。

投稿: tak | 2014/03/26 12:41

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