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2010年8月に作成された投稿

2010/08/31

本宅サイトのアクセスが 700,000 を越えてた

yamanbaba さんの tweet で、自分の本宅サイトのカウンターが 700,000 を越えたことを知った。私の本宅サイトではキリ番を踏んでくれた方には記念の和歌をプレゼントすることになっていて、今回は 700,000 をそのプレゼント対象キリ番に設定していたのだ。

ところが、それを自分で忘れていて、さらに悪いことに、自分の本宅サイトへのアクセスがそろそろ 700,000 に迫っていることにすら気付いていなかった。そのため、前回の 500,000 まではブログなどでキリ番プレゼントの告知をしてプロモーションに努めたのだが、今回は何も触れていなかった。

サイトの管理人である私がぼうっとしていたのに、キリ番を狙ってくださった yamanbaba さんには感謝の限りがない。この tweet で初めて気付いて、誰かキリ番を踏んでくれた人からの通知を待っているところなのだが、今のところ、BBS にもメールにもそうした知らせはない。誰かが無意識に踏んでしまったのかもしれない。

私の本宅サイトは、ブログなんてものがこの世になかった頃にスタートした。一時は 1日に平均して 500以上のアクセスがあったのだが、最近はブログの方に直接アクセスする人が増えてしまったので、300 ちょっとに落ちている。その代わり、ブログの方は 1,500 ぐらいのアクセスを集めるようになった。

それだけに、最近の本宅サイトは今では 「本宅」 というよりは 「本籍」 みたいな感じになってしまっているが、本籍は本籍。あだやおろそかにはできない。

もしかしたら私が死んでしまっても、遺族がネット接続継続のため、プロバイダーとしての @nifty に料金を払い続けたら、web そのものは無料サービスなので、ずっとそのまま残ることになるかもしれない。ただそうなったら、最近の非実在老人みたいなことになるが。

というわけで、700,000 のキリ番を踏まれた方は、ぜひ当方にお知らせ頂きたい。この後のキリ番サービスは、1,000,000 の大台である。きっとロンドン・オリンピックの年ぐらいになるだろう。

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2010/08/30

民主党代表選、見てるだけで馬鹿馬鹿しくて

対決回避の動き続く=鳩山氏が小沢氏と会談、首相とも」 という時事ドットコムの記事を始めとする一連の報道をみるにつけ、やっぱり小沢さんは今回の党代表選で、ちょっと弱気というか、及び腰なんだろうという雰囲気が見え隠れする。

いくら世論なんてものは当てにならないとはいっても、大手新聞の世論調査をみると、なんと 4倍以上の大差で、菅直人圧勝だ (参照)。これだけ一般の支持が低いと、いくら強気でも、ちょっと考えてしまうだろう。

「挙党一致体制を求める」 と言っているようだが、そのココロは 「俺を幹事長にしろ」 ということに尽きるわけで、要するに小沢さんの本心は、表舞台に立つよりも影で権勢をふるいたいということなんだろうなあ。

しかしだからこそ、私はしつこく 「今度こそ、小沢一郎を首相に」 と、声を大にして言いたいのである。前にも書いたように、「影で大威張りされるより、表に出てきて柄にもなくペコペコしていてもらう方がずっとマシ」 だと思うからだ。

いずれにしても、今回の民主党代表選は、下手すると自民党などの野党を巻き込んだ政界再編につながる可能性もある。まあ、そんなこといいながら、結局のところは 「大山鳴動して鼠一匹」 みたいな結果になるというのは、これまで何度もしらけつつ学んでいるから、マジに期待なんてしないが、そうなったらおもしろいだろうとは思う。

とはいえ私の期待するのは、小沢さんが代表戦に勝利して、柄にもない総理大臣になって、表舞台で金の問題やらなんやらでいろいろ突き上げを食らって、ストレスでプッツンして早めにお引き取りいただくというストーリーなのだが、もし菅さんが勝ったら、話はややこしくなる。

「挙党一致体制」 とやらを求める声に妥協して、小沢さんを幹事長にしてしまったら、最悪のパターンだ。「闇将軍」 が支配していた自民党と何も変わらなくなってしまう。それだったら、菅さんには 「脱小沢」 を貫いてもらう方がいいが、それだと小沢さんが反旗を翻して党を割ってしまいかねない。

菅さんにとっては、行くも地獄、下がるも地獄。小沢さんにとっては、うまく話をつけて幹事長になるのが得策。そうなると、何だか前述の最悪のパターンで落ち着いちゃうんじゃないかという心配が出てきた。

要するに、今回の民主党代表選は、始めから馬鹿馬鹿しすぎる気がしているのである。

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2010/08/29

先週も今週も来週も、ずっと同じような暑さだそうだ

昨日のラジオの天気予報で、気象予報士のおねえさんが 「今日の天気は、昨日とほぼ同じです」 と言っていた。

「おいおい、ずいぶん簡単に済ませてくれるじゃないか」 と思ったが、よく考えればまさに言われる通りで、別に楽するためにテキトーに済ませているわけじゃないと気付いた。昨日が終わってみれば、本当にそうだったし。

しかし、話はこれで終わりではない。予報士は、「今日の天気は昨日とほぼ同じですが、それだけじゃなく、先週ともほぼ同じです」 と続けた。うむ、まさにそれもその通りで、間違いじゃない。

アナウンサーが 「そうですねえ。つまり、先週からずっと暑さが続いているというわけなんですね」 とフォローすると。予報士はさらに、「そして来週の天気も、ほぼ同じになります」 と、躊躇なく言い放った。

要するに、ずぅ~~っと暑さが続くというわけである。やれやれ。

一時的な最高気温が恐ろしく高い夏というのは過去にもいくらでもあったが、これだけずっと高温の続く夏というのはなかった。これまでは、35度以上の猛暑日が 2~3日続くと、ちょっと曇ったり雨が降ったりして 30度内外に下がり、一息つけたものである。ところが今年の夏は一息入れる暇がない。

今年はつくば周辺では蚊が少ないと評判である。寝ている耳元で 「プ~~ン」 とうなる羽音を、今年はほとんど聞いていない。これは、暑すぎるので蚊が発生しにくいのだそうだ。とくに雨が降らないので水溜まりがない。ボウフラが湧かないのである。

それから、庭の木に毛虫が付かない。いつもの年はちょっと気を許すと毛虫が大量発生して葉っぱを全部食い荒らされるのだが、今年は5月頃にちょっとだけ殺虫剤をふりかけただけなのに、毛虫の害がない。これも暑すぎるからだろうか。

7月初めまでは冷夏になるんじゃないかなんて心配していたのだが、梅雨が明けてみればこんなもので、心配しただけ損した気分である。

近頃は日が暮れてしまえば、そこかしこに 「小さい秋」 の気配を感じることがないでもないのだが、それも翌朝に日が昇るまでのことで、あっという間にかき消されてしまう。

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2010/08/28

ガラパゴス化って、そんなに悪いことじゃないのだが

iPhone を使い始めて 1年以上経った今、もはや、これなしでの生活は考えられないようなところまで来てしまった。iPhone なしでも生きていくことぐらいはできるが、もう不便でしょうがないという感じになるだろう。

これほどまでに iPhone のヘビーユーザーと化してしまった私だが、フツーのケータイ、というか、単に 「通話をする道具」 としてみれば、むしろ使いにくいと感じている。単なる電話機としてならば、以前に使っていた ソフトバンクの 705SH とかいう機種の方がずっと使いやすかった。

iPhone を使い続けているのは、日本の携帯電話機としてのちょっとした使いづらさを補ってあまりあるだけの、豊富なメリットがあるからである。逆に言えば、こうした豊富なメリットをとくに必要としなければ、つまり、通話とちょっとしたメールができさえすればいいというのなら、フツーのケータイの方がずっと使いやすいだろう。

いわゆる 「フツーのケータイ」 のことを 「ガラケー」 ということを、最近知った。「ガラクタ・ケータイ」 は言い過ぎではないかと思ったら、「ガラパゴス・ケータイ」 の省略形なのだという。

「ガラパゴス化」 ということが悪し様に言われ始めて久しいが、私は前から 「それって、そんなに悪いことなのか?」 と疑問に思っていた。今でも上記の如く、通話とちょっとしたメールのためだけなら、ガラケーの方がずっと使いやすいと、弁護しているわけである。

そりゃそうだ。「ガラパゴス化」 というのは、日本という特殊な市場に合わせて、多くのメーカーが技術の粋を競ってきた結果なのだから、使いにくいわけがないのである。世界標準なんてものが、この特殊な市場で無条件に通用するはずがないのだ。

平成 19年の 12月 12日の記事でも書いてあるように、私はガラパゴス化はそんなに悪いことではないと思っている。日本市場というものが結構特殊なものである以上、そこに適応して発展したものが、ある程度の特殊性をもっていないわけがないではないか。

国内市場に限界がある以上、海外進出しなければならないのだから、国際標準に適合する必要があるとも指摘されているが、実際には海外に市場を求めなければならないほど国内市場がシュリンクするのは、少なくとも何十年か先の話である。そこで、上述の記事で私は次のように書いている。

何十年か先の国際標準というのは、今の標準とは、多分違っているだろう。あまり早めに国際標準準拠なんてことをしてしまうと、本当に必要になった時には、それがレガシー・システムになっていたなんてことになりかねない。

それに、外資が日本に進出して、国際標準とやらを押しつけてきても、ウォルマートが未だに日本市場に根付けないように、いくら外圧でも、日本市場の特殊性を根本から変えるのは大変だ。不可能ではないにしても、めちゃくちゃ時間がかかる。

市場ニーズの自然の成り行きに対応して、商品企画を緩やかに変化させていけばいいだけのことである。国際標準適合のためのみに標準化を急ぐ必要はない。

ただ、まったく新しいことを日本に定着させるために、無理矢理に最初からガラパゴス化を狙う必要も、まったくない。つまり、これから本格化するであろう電子書籍のために、ことさらな日本スタンダードなんてものを必死になってこねくり上げる必要はない。

普通のテキストなら、既にある国際標準の ePUB 準拠でいいし、縦書きやルビといった日本独特のルールも厳格に表現したいというなら、やたらと面倒なフォーマット整備と利害の調整に無駄な時間を割くよりも、PDF でさっさと電子化してくれる方がずっとありがたい。

紙の書籍で実現されてきたスタイルの細部の細部まで譲れないというなら、ずっと紙の書籍を買い続ければいいだけのことだ。そうしたタイプの人のわがままに合わせていたら、いつまで経っても書斎の本棚があふれかえる状況は変わらないし、絶版書を読むために古本屋を探し回らなければならないのである。

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2010/08/27

酒田の「非実在老人密度」 がやたらに高い

昨夜の我が家は、久しぶりに酒田の話題で盛り上がった。天保 8 (1837) 年生まれの人の戸籍が残っていたというのである (参照)。天保 8年といえば、大塩平八郎の乱が起きた年で、坂本龍馬より 2歳年下。生きていれば 173歳になる。我が故郷も、ついに全国的トレンドに乗り遅れずに済んだようだ。

昨夜の Twitter では、@tkuy さんが 「俺の故郷の馬鹿!」 と、悲痛な叫びを上げ、それに反応して 「おぼげだ (驚いた)」 「やちゃくちゃね (だらしない)」 「しょす (恥ずかしい)」 など、見る間に庄内弁の嘆きの渦が広まったのであった。

さらに話は広がる。記事によると酒田市には、「所在不明の 120歳以上の戸籍が、この人を含めて 349人分あった」 というのである。これはなかなかすごい数字ではないか。なにしろ、酒田市の人口は 12万人にも達していない。仮に 12万人で計算しても、非実在老人率 0.3%。ほぼ 333人に 1人 (町内に 1人ぐらいか?) ということになる。

阪神大震災でゴチャゴチャになった、人口 150万人 (酒田の 12.5倍) の神戸市でさえ、100歳以上の生存不明者が 127人だった (あるいは、調べればもっといるのかもしれないが)。それを思えば、酒田市の非実在老人率は驚異のハイレベルと言っていい。酒田でも 「100歳以上」 ということに枠を広げたら、さらにすごい数字になるだろう。

これだけ非実在老人が見つかったということは、ある意味、酒田が結構な歴史を持つ街だということを示す。戦後に急に人が集まってきてできあがったような郊外のベッドタウンなんかでは、どう頑張ってもここまでの数字は上げられないだろう。さすがに東北の小京都である (と、無理矢理に開き直る)。

そして、私なんかもそうなのだが、酒田の街から出て所帯を構えても、本籍だけは酒田に置きっぱなしという人がかなり多い。便利さだけを考えれば、自分の住んでいる市町村に本籍を移して戸籍もそこに置けばいいのだが、酒田ラブの私としては、どうも酒田から戸籍を持ち出す気になれないのだ。

それだけに、わけのわからない人が戸籍に残ってしまうということもありがちなのだろう。これはもう、酒田が愛される街であることの証明である (と、さらに無理矢理度を増した開き直りをする)。

さらにますます際限なく開き直ってしまうが、酒田市民は 333人に 1人 という亡霊の如き存在を抱えながら、あっけらかんと平和に暮らしているのである。この抜群に高い 「非実在老人密度」 は、酒田が浄土の如き、桃源郷の如き地域であることを示している。

昨夜、この非実在老人の話題で田舎の親父に電話したら、「その人だば、日和山の神社の縁の下で暮らしった人でねがのう。このじよも、その辺でフラフラったどご見だぞ」 と、必殺の大ボケをかまされた。

(親父のコメント・日本語訳)
「その人なら、日和山の神社の縁の下で暮らしてる人じゃないかなあ。先日も、その辺でフラフラしてるところを見かけたぞ」

酒田の懐は、なかなか奥が深い。

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2010/08/26

今度こそ、小沢一郎を首相に

昨年の暮れに、「小沢一郎を首相に」 という記事を書いた。それがようやく実現しそうな雲行きである。嬉しい限りである。昔から私の言うことは、ずいぶん時間が経ってから成就するという傾向がある。

「小沢一郎を首相に」 とは書いたが、このブログをずっとご覧になっている方ならとっくにご存じの通り、私は小沢一郎が嫌いである。いつもは人を好き嫌いの感情論で判断しないように心がけている私だが、小沢一郎という政治家に限っては、論理よりも感情を表に出して、「嫌い」 で片付けている。

その嫌いな政治家を首相にしたいというのは、とにもかくにも彼を 「与党幹事長」 という天職から遠ざけ、首相なんていう、まるで似合わない地位に付けてしまいたいからだ。要するに、影で大威張りされるより、表に出てきて柄にもなくペコペコしていてもらう方がずっとマシだと思うからである。

思えば短い期間だったが、彼が前に民主党代表の地位にあった時には、本当に柄にもなく、気持ち悪いほどニコニコ、ペコペコして、ずいぶん 「ソフト路線」 を印象付けたがっていたように思われた。あの頃に戻ってもらいたいのである。

そして、ニコニコ、ペコペコし続けてストレスまみれになってもらい、どっかおかしくなって、早めにお引き取りいただきたいぐらいに、私は思っているのである。どっかおかしくなっても、首相の座から降りて、ニコニコ、ペコペコするストレスから解放されれば、じきに体調は戻るだろうから、心配ない。

とまあ、根が感情論で出発しているので、今日の記事はいつになく無茶苦茶な書きぶりになってしまったことを、ご容赦頂きたい。

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2010/08/25

相撲協会と iPad を巡る冒険

相撲協会、全親方に iPad 配布 スムーズな情報伝達を」 という記事を読んで、ちょっと複雑な気分になってしまった。相撲協会というところは、これまでは臨時の会合などの連絡にはFAX を使っていたのだそうだ。

ところが FAX 連絡だと、部屋を離れている親方に伝わっていないケースも少なくなかったらしく、最近はそんな関連でのクレームも増えていたらしい。フツーはそんなのは、部屋内部の連絡の悪さを問題視すべきことなのだが、お相撲さんの業界というのは不思議なところで、そんなことは棚に上げて協会に文句を言ってくるようなのだ。

それで、二所ノ関広報部長(元関脇金剛)は、「(iPad を) を全部屋に置けば、今後はどこにいても連絡が取れる」 と話していて、iPad によって相撲協会と親方衆の情報伝達は一挙に解決するとでも言わんばかりなのだ。

しかしこれって、ツッコミどころ満載すぎる話だと思う。

まず、「これまでは、Eメールとか、全然使ってなかったのね」 ということだ。最近はどこの業界でも Eメールぐらいは常識で、「インターネット使えません。メールの送受信、できません」 なんて言ったら、商売にならない。相撲の世界はそれでも十分商売になっていたようなのである。

それからのツッコミどころは、「FAX の代わりのメール受信ぐらい、iPad でなくても他の端末 (PC とかケータイとか) でいくらでもできるだろう」 ということだ。何もそれしきのことでわざわざ iPad を配る必要はないじゃないか。アップルは喜ぶだろうけど。

相撲部屋には、PC が 1台もないのだろうか。会計処理なんか、どうしてるんだろうか。相撲界では領収書のいらない裏の収入が多いなんていう特殊事情がきつすぎて、PC 用の会計ソフトなんかいくらカスタマイズしても使い物にならないんだろうか。

それから、親方衆はケータイメールが使えないのだろうか。PC は多少ハードルが高いということもあるかもしれないが、ケータイメールもできない人に iPad を与えたところで、いくらカンタンだといっても、果たして本当に使いこなせるんだろうか?

「親方衆の太い指にはケータイのボタンは小さすぎるので、iPad でないと操作できないのかも」 なんて言う人もいるが、そんなバカなことはない。小さなケータイで電話している関取衆を、私は街で何度も目撃している。

どうしても指が人並み外れて太すぎたら、エンピツか何かでボタンをちょいちょいと押せばいい。かのアンドレ・ザ・ジャイアントは、公衆電話のダイヤルを廻すとき、ボールペンを使っていたというよ。

まあ、ケータイでは機種によって操作法も違うので、否応なく一斉に導入するためには、機種を揃えて、操作法の講習会みたいなものまで実施して、どうしても使わなければならない状況に追い込まなければならないのかもしれない。もしそうだとしたら、なかなか厄介な業界だ。

しかしそれならそれで、「iPad ぐらい、自分で買わせろよ!」 と言いたくもなるではないか。これでは、あまりにも手取り足取り過ぎるだろう。これまで使っていたという FAX はいくらなんでも相撲協会が買い与えていたわけじゃないだろうが、iPad だと特別扱いになってしまうというのが、なんとも浮世離れしている。

「ケータイメールぐらいは、今でも使いこなしてるよ」 という親方だって何人もいるだろうから、そんな人にまで iPad を配ったら、それは無駄遣いというものだと思うが、その辺はどう考えているんだろう。

ツッコミどころはまだある。「iPad を全部屋に置けば、今後はどこにいても連絡が取れる」 と考えているようなのだが、これまでケータイメールもしなかった人が、ちょっと飲みに出かけるのに iPad を持って出るとは到底思われない。

少なくとも元関脇金剛の二所ノ関広報部長自身は、どこにでかけるにも iPad を持っていくおつもりなんだろうね。そうでないと、示しが付かない。親方衆にとっては、iPad の大きさなんてどうってことなくて、フツーの人間にとっての iPhone ぐらいの感覚で、懐にさっと入れておけばいいと思っているのかもしれないし。

最後のツッコミである。もし親方衆が iPad の便利さに目覚めて、メールでの情報交換を活発にし始めたりしたら、ヤバイ情報のデータもどっさり残ってしまうだろう。本当のところ、それが一番心配だ。

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2010/08/24

くれぐれも 「アレをナニして」 で済ませないように

まともなをスピーチしようとして、肝心の固有名詞が突然出てこなくなるなんてことがある。固有名詞だけではない。先日は 「拉致」 という言葉が出てこなくて往生して、「ほら、例の北朝鮮が勝手に人をさらっていったの、何て言ったっけ?」 なんてうろたえてしまった。

年のせいなのか、あるいはこの暑さのせいで頭が呆けただけなのか。私としては暑さのせいと思いたいのだが、本当のところはどうだかわからない。アルツハイマーなんてことにならないように、できるだけ頭は使っているつもりなのだが、若い頃よりは鋭さがなくなってきたような気もする。

これは前にも書いたことがあるのだが、ボケ防止のためには、ど忘れしてしまったことでも 「アレ」 だの 「ナニ」 だので済ませず、必死になって思い出す努力をするといいのだそうだ。「アレがナニしちゃってさあ、本当にもう、ナンだよなあ」 なんて会話をし出したら、ボケはどんどん進むらしい。

ボケが進むと、まず名詞が出てこなくなるという。固有名詞を忘れるのは、昔からしょっちゅうだが、どうでもいい名詞を忘れだしたら、要注意らしい。だから 「拉致」 を忘れたのはショックだったよ。いや、あれは新聞なんかで 「ら致」 なんていう無茶な表記をするようになったから、頭の中でイメージがおかしくなったに違いない (と、言い訳する)。

名詞を忘れたら、意地でも思い出すようにするといい。昔、仕事でお世話になった健保団体のお医者さんに聞いたら、思い出したとたんに、切れかかったシナプスがつながるんだそうだ。シナプスが切れ放題だと、脳も萎縮するらしい。

それで私は、名詞が出てこなくなったら大騒ぎしてでも思い出そうとする。おもしろいもので、いくら出てこなくても、必死に思い出せば思い出すものだ。コツは、忘れた名詞の関連事項から思い出すのだ。そのものズバリに突入しようとしてもなかなかできないなら、廻りから攻めるしかない。

あちこち廻りの関連事項を思い出して行くうちに、肝心の忘れていた名詞がふと出てくる。いろいろ関連事項を思い出して頭の中で転がすことで、脳の訓練にもなる。くれぐれも、「ナニがナニして何とやら」 に陥らないよう、心して会話しよう。

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2010/08/23

室内での帽子とコートの着用

一昨日書いた 「お寺の本堂の中での帽子着用」 という記事が、思いの外に反響を呼んでしまった。ブログへのコメント以外に、Twitter の DM でも、神社仏閣に詣でるときに帽子をかぶったままなのは抵抗があるというご意見をいただいた。

私としては、室内での男の帽子着用ということについても多少は抵抗があるが、一番声を大にして言いたかったのは、「神社仏閣にお参りするときに帽子をかぶったままとはどういうことだ」 ということなので、ストレートな共感の DM を頂いてありがたかった。

室内での帽子着用について、日本ではかなりユルユルになってきているようなのだが、それとは対照的に、コート着用についてはかなり違和感がもたれているようだ。日本では、コートを着たまま家に入るというのが、マナー違反だと思われているようなのである。

他人の家を訪問するときには、玄関に入る前にコートを脱げとか、拝殿の前で柏手を打つときにコートを着たままとはけしからんとか、ずいぶんいろんなことが言われている。

しかし私の知る限りでは、西欧のドレスコードでは、コートを着たままというのがとくに失礼なこととはされていない。コートを着たまま他人の家を訪問しても、葬儀に出席しても、別に礼儀知らずということにはならないようなのだ。

刑事コロンボだって、あのよれよれコートを着たままでどこにでも入っていく。というか、むしろコートを脱いだ姿を見たことがない。

レストランで食事をするときには、いくらなんでも脱いでコート掛けに掛けたりウェイターに預けたりするが、それは単に、コートを着たままでは食事しにくいからということににすぎないんじゃないかと思っている。暖房が効いているところで熱いスープを食したら、汗かいちゃうだろうし。

大体、英語では "coat" と "jacket" の間に明確な境目というのがないのだと思う。欧米の貿易統計などを見ると、ジャケットが "coats" という分類に含まれたりしていることが多い。コートって、要するに一番上に着るアイテムのことなのだ。

たとえば 「フロックコート」 というアイテムがあるが、これにもいろいろなバリエーションがあって、いかにもコートっぽいものもあれば、「それって、ジャケットじゃん!」 といいたくなるようなのまである。

そもそも、屋内に入る際に 「フロックコートをお脱ぎください」 なんて言われたら、中はたいていシャツとかベストとかしか着ていないから、カッコ付かなくなる。

まあ、何が言いたいのかというと、日本のドレスコードは、帽子に関してはものすごくユルユルになっているけど、いわゆる 「コート」 に関しては必要以上に厳格なんじゃないかということなのだ。

まあ、洋服の歴史が浅いんだから、妙なローカルルールが一杯できちゃってるのはしかたないことなのかもしれないし、靴を脱いであがってしまったら、コートを着込んでいるととても違和感を生じるということもあるだろう。

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2010/08/22

いくらなんでも暑すぎる

今日も暑い一日だった。東京は 34度になったようだが、京都や大阪は 36度だったという。この 2度の差は大きい。明日は二十四節気の 「処暑」 で、暑さが和らぐ時期ということだが、天気予報では、この暑さがあと半月は続くと言っている。

今年の夏の暑さは尋常なことではない。最高気温の高さだけでいえば、もっと高い記録はいくらでもあるが、猛暑日がこんなにも連続するのは珍しい。世の中が冷えるまもなく日が昇ればあっという間に 35度内外になってしまう。これだけ毎日汗を絞り出していたら、体にしんどくないわけがない。。

できればエアコンを付けるのは控えたいと思うが、部屋でパソコンに向かって仕事をしていると、パソコンというのはいわば、小型ファンヒーターのようなものだから、頭がぼうっとするほど熱を出す。エアコンなしには仕事にならないので、恐縮しつつ 27度ぐらいの設定で稼働させている。

エアコンの効いた部屋から廊下に出ると、廊下の空気が熱を帯びたスポンジのように体にまつわりついてくる。廊下の壁を触ると生ぬるい。確実に体温を上回っている。夜に寝るときにエアコンを切ると、開け放したドアからこの廊下の熱気が流れ込んでくる。

窓の外から入ってくる空気は、さすがに少しは涼しいが、廊下から進入してくる空気と混じり合って、なかなか涼しさが伝わってこない。毎日こんな具合だから、疲れるのも道理である。

今年は猛暑なのに、風邪引きが多い。寝るときにエアコンを付けっぱなしにしている人が多いせいだと思う。ただでさえ体力が落ちているのに、エアコンで冷やしつけるから、喉がやられる。皮肉なことである。

あと半月して、最高気温が 30度ぐらいになったら、かなり涼しく感じるだろう。しかし、30度で涼しく感じるというのは、かなり切ない話である。

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2010/08/21

お寺の本堂の中での帽子着用

土曜も日曜もない。仕事で桐生に行く途中である。今日は、少なくとも午前中の暑さはそれほどでもなく、車のエアコンもフル稼働させずに済んでいる。ありがたいことである。

カーラジオで永六輔さんの 「土曜ワイド」 を聞いている。今日の永さんは体調が芳しいみたいで、近頃としてはずいぶん滑舌がいい。何をおっしゃっているのか、想像力を駆使しなくてもわかる。このままずっと、滑舌が改善されていくように祈る。

この番組で永さんは、「近頃、帽子をかぶったままテレビに登場するコメンテーターが増えたのが気になる」 とおっしゃっていた。ゲストとして登場したぴーこさんも、ファッション評論家であるだけにきっぱりと、「男が室内で帽子をかぶるのは、マナー違反です」 と言い切っておられた。

帽子をかぶったままテレビに登場するのは、某 SMAP の某誰それに始まり、かなり多く見られるのだが、多分、スタイリストがそうさせているのだろう。それに関してぴーこさんは、「スタイリストはファッションは知ってても、マナーを知らないのが多いから」 と一刀両断に切り捨てておられた。

テレビに登場してはあちこちにイチャモンを付けまくる漫画家の某氏も、帽子をかぶったままだしね。「お前なんかに言われたくないわ」 なんて言い返されても仕方ないかもしれない。

この 「帽子をかぶったままでテレビに登場する」 というので私が今でもちょっと憤慨しているのは、10年ぐらい前の NHK テレビのお昼の番組で、仏像巡りというテーマで登場した某みうらじゅんという人である。

この人、あるお寺の本堂に上がり、仏像について語っていたのだが、その間ずっと、へんてこりんなつばの広い帽子をかぶりっぱなしだった。女性でも、つばの広い帽子は室内では取るのが礼儀である。この人は、お寺の本堂とご本尊を一体何と心得ているのかと、私は呆れてしまったね。

この人は、仏像に関しての著書もあるようで、かなりウンチクのある人らしいんだが、ウンチクなんて語る前に、まず礼儀というものを知れと、私は思ったのである。以後、この人の言うことは、あまり信じないことにした。

それから、そこに登場したご住職も、「恐れ入りますが、御仏の前では帽子はお取りくだされ」 ぐらい言うべきだったんじゃなかろうかなあ。いくらテレビの生放送でもね。

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2010/08/20

高速道の無料化を巡る冒険

高速道路無料化社会実験とやらで、日本のあちこちで高速道路が無料化されている。私の生まれた山形県でも、山形道の山形北 IC から先、終点まで無料になった。この他にも、東北中央道の山形上山~東根間、米沢南陽道路全区間が無料化されている。

で、今回お盆で帰郷した際、どんな様子になっているか通ってみた。これまでは、寒河江より先なんていうのは日が暮れればそんなに混まないので、節約の意味もあって一般道を通ることの方が多かった。

たまに山形道を通っても、すれ違う車もほとんどなく、がらんとしていたのである。高速道を通っても、1時間も 2時間も早く着くというわけでもなく、通行料金が余計に取られるだけなので、あまり利用することもなかったわけだ。

ところが今回、山形道を通って酒田まで行ってみて驚いた。なんと、それなりに混んでいるのである。月山の先なんて、これまでは夜間は 10分に 1台すれ違うかどうかという状況だったのに、今回は渋滞するほどではないが、普通に混んでいるのである。対向車線もひっきりなしに車が通りすぎてすれ違う。これまでにはなかったことである。

つまり、これまでは高速道を通ろうが一般道を通ろうが大した差はないので、ほとんどの人は一般道を通っていたのだが、最近は高速道も無料化されたので、多少なりとも早く着くなら高速道を通ろうということになったようなのだ。

これをどうみるか、興味深いところである。これまではみんなケチっていただけということもあるが、視点を変えれば、せいぜい数百円の通行量なんか取ることにしていたために、せっかくの道路がほとんど宝の持ち腐れになっていたということもできる。

結果としてみれば、無料化してでもきちんとした活用した方が、ガラガラのままで放っておくよりも経済効果は高いんじゃないかと思うのだが、どんなものなんだろう。

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2010/08/19

京都は暑かった (らしい)

京都からの帰り道、新幹線の中で更新している。

3日間、ほとんど缶詰状態だったので、多少疲れている。あまり屋外には出なかったので、京都特有の気の遠くなるような暑さには、やられずに済んだが、ちょっと外に買い物に出るだけで、むっとするような暑さは、さすが京都だった。

誰に聞いても、「こんな暑い夏は憶えがない」 という。最高気温はそれほど大したものではないのだが、とにかく猛暑日が続きすぎるという。冷える間がない暑さで、汗水を垂らし尽くした様子である。

昨年はどちらかというと冷夏気味だったので、京都に来たときも 「こんなに過ごしやすい夏の京都は初めて」 と思った。それと比べると、大変な違いである。

今日は頭がぼうっとしているので、この辺で失礼。

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2010/08/18

フロッピーディスクとビスケットを巡る冒険

一世を風靡したが今ではすっかりレガシー・メディアになってしまったものに、フロッピー・ディスクというのがある。最近の若い人の中には、フロッピー・ディスクを見たことがないという人までいる。

あのフロッピー・ディスク、IBM の世界では 「ディスケット」 なんて言っていた。英語では  "diskette" と書く。「貧弱なディスク」 というような意味合いになって、要するに "floppy disk" と同じことだ。

10年近く前に定年で業界を去った T氏は、定年間際にパソコンというものを始め、ワープロぐらいは普通に打てるようになった。最初に触った PC が往年の IBM の名機 Think Pad (今は Lenovo になってしまったが) だったようで、それを納品に来たスタッフがフロッピーのことを 「ディスケット」 と連発するので、そういうものだと思ったらしい。

ところが、本来の意味を知らないで耳だけで覚えたため、「ビスケット」 というものだと思ったらしい。まあ、大きさもちょうどビスケットぐらいなので、抵抗なくそう思いこんでしまったようなのだ。

そして彼もフロッピーディスクのことを 「ビスケット、ビスケット」 と言うようになったのだが、そのオフィスでは誰も、それが 「ディスケット」 の間違いであることを知らず、そういうものだということで流れていたようなのである。何しろ平均年齢の高いオフィスで、T氏以外はおばあさんに近いオバサンばかりだったから。

たまにそのオフィスに顔を出す私は、最初何のことを言っているのだろうと思っていたが、何度か訪問するうちに、ことの次第が理解できた。ただ、オフィス全体で 「ビスケット」 と言うものだと思っているようなので、あえて 「それ、違いますよ」 なんて無粋なことを言わずに聞き流しているうちに、T氏は定年になり、そのオフィスも閉鎖になった。

T氏は今でも、「わしがパソコンを始めた頃は、ビスケットにデータを保存してたものだよ」 てなことを口走って、周囲からは 「じいさん、だいぶボケが進んだな」 なんて思われてるかもしれない。

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2010/08/17

芋焼酎を巡る冒険

私は芋焼酎が苦手だ。苦手になるきっかけは、今を去ること 30年以上前、我が家に悪友どもが集結して飲み会を開いていた時のこと。夜も更けて皆かなり酔いが回ってきた頃、F という友人が遅れてやってきた。

「いやあ、遅れて悪い悪い。その代わり、今日は珍しい酒を持ってきたぞ!」

彼はそういうと、「薩摩白波」 の一升瓶を、ドン! とテーブルにおいた。今でこそ 「薩摩白波」 は、芋焼酎で最も知られたブランドの一つになっているが、30年以上前は、知る人ぞ知るという程度の存在だった。

「おぉ! これは珍しい、さっそく飲もう!」

我々はそれぞれのグラスを一気に空けると、そこに薩摩白波をドクドクと注いだ。そして一斉に飲もうとしたのだが、なんと、誰も飲めなかったのである。鼻先にグラスを近づけるだけで、強烈な臭いがし、ただでさえ相当に酔いが回っているので、今にも 「おぇーっ」 と吐きそうになる。

せっかく持ってきてもらった、当時としては珍しい芋焼酎だったが、はなはだ不評におわってしまったのだった。

それがトラウマみたいになって、私はずっと芋焼酎は避けて来たのだが、「最近の芋焼酎は飲みやすくなった」 という噂を聞いて、数年前、その名も同じ 「薩摩白波」 を買ってきて、試してみた。すると、なんと、本当に全然臭くないのである。さらりと飲めるのだ。これがあの 「薩摩白波」 とは信じられないほどだ。

ところが、それでも、あるいはだからこそというべきか、私は芋焼酎を好んで飲もうという気にはなれなかった。

「これだったら、麦焼酎や米焼酎と、変わりないじゃないか、あえて芋焼酎を飲む必然性がどこにあるのだ?」 30年前は臭くて飲めなかったくせに、「臭みのない芋焼酎に、何の存在意義があるのだ?」 などとうそぶく私がいたのである。なんとへそ曲がりなことか。

ちなみに、世の中には同じように感じている人が少なくないらしく、ネットで検索すると、「芋臭い芋焼酎を教えて下さい。飲み易さより芋風味の強いものを」 というリクエストに、親父さんごひいきの秘蔵ブランドを紹介したりするページがあったりする。(参照

私としても同じ芋焼酎を飲むなら、癖の強いヤツを飲みたいと思うのである。ただし、今度はおえーっとならないように、しらふの状態で。

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2010/08/16

自家製イオン飲料

今年の夏は暑すぎるので、水分と塩分の摂取が欠かせない。ウチの妹はあまりの暑さで熱中症気味になり、頭痛で 2日寝込んだそうだ。多分、都内のマンションでエアコンをかけずに我慢していたんだろう。

あまりのしんどさに、一体どうしんたんだろうと思い返すうちに、「もしかして、塩分不足?」 と思い当たり、試しに塩を一つまみ舐めてみたら、頭痛はたちどころに治ったそうだ。ウチの妻に電話してきて、「塩分摂取は大切だよぉ!」 なんていう話題で盛り上がったらしい。

我が家では、「手作りイオン飲料」 というのを作っている。あまりの暑さで、「お~いお茶」 を 1日に 2本以上買って飲んでしまうので、空のペットボトルがたまってしまう。それで、空いたペットボトルに自家製のお茶を入れて、再利用することにしたのだ。

その際に、単なるお茶をボトルに詰めるのではなく、食塩を一つかみ入れる。目分量でおおざっぱにやってしまうのだが、飲んでみて、塩味がわずかにする程度だ。例えて言えば、指先を切ってしまって思わず傷口を舐めた時に感じる血の味程度が、浸透圧的に一番いいんじゃないかと思っている。

ちなみに、「自家製イオン飲料」 のキーワードでググってみると、「1リットルの水に、白砂糖 40グラム、食塩 3グラム、そして味付けにレモン果汁少々」 なんていうレシピが出てきたりする。1リットルの水に白砂糖 40グラムと言えば、スティックシュガー 8本~10本分ぐらいである。

普通の 500ミリリットル入りペットボトルにしたら、スティックシュガー 4~5本だ。普通のコーヒーカップに換算すると、2~2.5本分というところだろう。コーヒーだってブラックで飲む私には、これでは甘すぎる。砂糖水になってしまう。

やはり、ここは自家製のお茶に塩を一つまみというレシピで、一夏を押し通してみようと思う。

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2010/08/15

「人魂」 に関する労作の紹介

「千日ブログ」 の管理人さんが 「人魂」 についてものすごい労作を書いてくださっているので、ご紹介したい。この労作は四部作になっていて、それぞれの記事がかなり長く、しかもそれがたった 1日でアップされている。これを労作と言わずになんと言おうかというほどのものだ。以下にそれぞれの記事のタイトルとリンクを記しておく。

「人魂の正体はリン」は嘘
人魂=骨のリンの可能性
人魂=リン説の経緯
人魂の種類

そもそも 「人魂」 とは、墓場なんかで見られるという、あの空中に浮かぶ火のようなものである。私は見たことがないが、怪談映画などではお馴染みだ。これに関して、「千日ブログ」 には次のように書かれている。

人魂 Wikipediaを見てみると、「正体」 というところに、「戦前の葬儀は土葬であったため、遺体から抜け出したリンが雨の日の夜に雨水と反応して光る現象は一般的であり、庶民に科学的知識が乏しかった事が人魂説を生み出したとする説もある」 と書かれています。

 しかし、その後に 「が、人や動物の骨に含まれるリンは発光しないので該当しない」 と続きます。

 昔の人は科学的知識に乏しかったからと言いつつ、非科学的な説を展開する……実は現代人だって大して科学的知識を持っていないのです。

 というか、私が一番だまされていました。

つまり、「人魂 = リン」 説は、嘘だというのである。で、中程はすっ飛ばさせていただいて、結論として次のように語られている。

 (前略) 紀元前の中国で 「人間や動物の血から燐や鬼火が出る」 と語られていたのが、そもそもの始まりのようです。

 そして、ここで言う 「燐」 というのは、元素の 「リン」 (P) を指すものではないそうです。ホタルの発光現象や、現在でいうところの摩擦電気も含むとありましたので、おそらく発光するもの全般を 「燐」 と呼んでいたのでしょう。

 ところが、日本で元素のリンに 「燐」 の字があてられたことで、混乱が起きてきます。

先程の 「燐」 が元素の 「リン」 と混同されるようになった他、リンが人体に含まれているとわかったため、このような誤解が生まれたのではと推測されています。

つまり、古代の中国で 「人間や動物の血から燐や鬼火が出る」 と語られていたのだが、日本で 「リン」 という元素に 「燐」 という漢字を当てたことで、「リンが燃えている」 と誤解されてしまったというのである。

中学生の頃、理科の教師が 「人の魂が抜け出して光っているのが人魂だなんていうのは迷信であって、あれは人間の骨から抜け出たリンが発光しているのである」 と、エラソーにしたり顔で言っていたが、なんてことはない、そんなのは嘘八百だったわけだ。

じゃあ、人魂の本当の正体は何なんだということになるが、それは明らかにされていない。そもそも、人魂を科学的にきちんと語るためには、「分析可能な人魂のサンプル」 を手に入れなければならないのだろうが、そんなサンプルを入手した科学者がいるとは聞いたことがないから、科学的には語りようがないのである。

つまり、人魂なんて、本当にあるのかどうかもはなはだアヤシイものなのだ。ところが、それほどアヤシイものが、世の中ではいかにもあるもののように語り継がれている。どのくらい語り継がれているかというと、人魂を現わす言葉だけで、ものすごい種類があるというほどなのだ。

「千日ブログ」 には、そのおびただしい種類の人魂を現わす言葉がリスト化されている (参照)。 あまり多いので、「とりあえず、頑張ったので、見てください。(でも、ざっとスクロールする程度が良いと思います。馬鹿みたいな量あります)」 との断り書きがあるぐらいだ。ちなみに私もざっとスクロールするだけにとどめておいた。

というわけで、最後に残されたのは、「で、結局のところ、人魂って何なの?」 という疑問だが、それについては、疑問のままでとどめておくのがいいのだろうと思う。何しろ前述のように、科学的には推定というレベル以上に語りようがないのだから。

まあ、かくまでにいろいろの言葉で語られるほどに、あちこちで目撃されている (というように語り継がれているだけなのかもしれないが) のだから、重要なのは、きっと本当にあるのだろう (と思われているだけなのかもしれないが) ということにしておけばいいのだ。

これが、科学的にはわけがわからないが、人文学的には意味のある態度というものである。

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2010/08/14

建前論が大好きな高校野球

酒田でたまたま甲子園野球の中継を見ていたら、高校野球史上最大の得点差試合というのが紹介されていた。それは、1998年の第80回全国高等学校野球選手権記念大会の地方予選 (青森大会) で記録された、「東奥義塾 122 - 0 深浦 (7回コールド)」 という試合だそうだ。

1998年というのは松坂大輔が活躍した年だそうだが、本番の甲子園大会に先だって、こんなすごい点差の試合が行われていたわけだ。東奥義塾というのは甲子園常連校で、対する深浦高校というのは、部員不足に悩み、急造部員を入れてようやく予選に出てきたような弱小チーム。点差がついて当然だが、それにしてもつきすぎだ。

東奥義塾は初回に 39点を取り、それからも毎回 2ケタ得点を記録している。よくまあそんなに点を取りまくったものだと思うが、「最後まで全力を尽くして敬意を示すことこそ、敗者への礼儀」 なんていう、妙な美意識が日本の高校野球にはあるらしい。試合後の新聞・テレビの報道は、両校の健闘を称える論調ばかりだったという。

本音を言えば次の試合に疲労を残さないように、10点ぐらい取った時点であとは手を抜きたいところだろうが、日本の高校野球でそんなことをしたら、「スポーツマンシップにもとる」 として、口を極めて非難されるに違いない。ちょっと前にどこだかの高校の監督が手抜きを指示したのが明るみに出て、大問題になったことがあると記憶している。

メイジャーリーグでは、形勢の決まった試合でさらにあくせく点を取りにいったりしたら、逆にマナー違反としてビーンボールを食らうそうだが、日本とはえらい違いである。

普通に考えたら、真夏のくそ暑い中で試合をしているのだから、選手の健康のためにも勝敗の見えた試合を延々と続けるより、適当に流してさっさと終わらせる方がいい。運営側だって、本音を言えば円滑な進行のためにも、その方がありがたいに決まっている。

ところが高校野球というのは、美しい建前論が大切にされる世界なので、なかなかフツーの考えが通らないところがある。こうした美意識は、高校野球だけでなくビジネス社会にも連綿とつながっているからコワい。

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2010/08/13

つくばの地に戻ってきた

今日は 13日の金曜日でおまけに仏滅というすごい日なのだが、酒田から無事に帰ってきた。帰省ラッシュとは微妙に逆方向なので、すいすい帰ってこれると思ったのだが、実は高速道路は上り方向も案外混雑した。

私は混雑した高速道路を通るぐらいなら、一般道を通る方がいいと思っているので、途中から一般道に降りてのんびりと帰ってきた。夏バテでダウンしていた妻も生き返って、まあ、楽しく帰ってきた。

高速道路よりも一般道を走る方が、いろいろな発見があって楽しい。私は急ぐ旅以外では、一般道支持派である。あちこちのおもしろそうな郷土資料館とか、そば屋とか、特産物のお店などに気軽に立ち寄れるのもうれしいし。それから、「なんじゃ、こりゃ?」 みたいな、奇妙な看板やら店構えやらを見るのも楽しい。

とはいえ、7時間ぐらい運転しっぱなしで疲れたので、本日はこれにて失礼。

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2010/08/12

夏の酒田 2日目

酒田 2日目。今日は台風が直撃するかもしれないというので、午前中にあちこちの墓参りツァーをして、昼前には完了した。完了したとたんに、台風の先触れの雨がどっと降ってきた。ぎりぎりセーフ。

墓参りツァーに出発する直前に、妻が夏バテでダウンしてリタイア。氷枕をして寝かせておき、墓参りの帰りに薬屋によって栄養剤やら胃腸薬やらを買って、飲ませる。おかげでだんだん人間らしい心地がしてきたようで、お粥を食べて回復してきた。

とはいえ、妻の世話もしなければならないので、「もっけだフェスティバル」 に行くのは、残念だが諦めた。来年は是非顔を出してみようと思う。

昼飯は姪を連れて、酒田ラーメンの名店、「満月」 に行き、かの有名なワンタンメンを食す。このワンタンメンは、前にも礼賛記事を書いたことがある (参照) が、本当においしい。酒田に来たら、ぜひ試してもらいたい。ただ、昼飯時には長蛇の列になるので、できれば 2時過ぎまで我慢して、おなかを空かせてからの方がいいだろう。

Cr100812a

椎名誠がこのワンタンメンを食べて、「ワンタンは 『雲を呑む』 と書く意味がわかった」 というほどのすごいワンタンである。

台風 4号は、秋田に上陸して東北北部を横断中らしい。酒田は午後はずっと大雨になるかと思ったが、そうはならず、断続的には降っていたが、夕方前には止んでしまった。もう少し降ってくれた方が、地面の熱も冷めたのになあという気もするが、まあ、たいしたことにならずに済んでよかった。

夕刻に雨が止んだものだから、網戸に蝉 (アブラゼミ) が止まったまま、まったりしてしまっている。

Cr100812b

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2010/08/11

庄内人の穏やかさと、庄内空港のエスカレーターのとろさ

朝につくばを発ち、妻と一緒に酒田に来ている。途中、寒河江サービスエリアでトイレ休憩をしたら、あまりの暑さに息苦しいほどだった。やはり内陸の暑さはすごい。さらに、我々が通り過ぎた後に大雨になって、道路冠水が続出したらしい。どうやら、ギリギリのタイミングで通り過ぎたようだ。ここでも、晴れ男ぶりを発揮してしまったようだ。

姪 (妹の娘) が、5時半庄内空港着の飛行機で来るというので、車で迎えに行ったら、羽田出発便の混雑で、離陸が 20分遅れ、そのまま 20分遅れで到着するという。到着ロビーは迎えに来た庄内人たちで一杯だ。

庄内人の顔にはちょっと特徴がある。上品めなお醤油顔というか、仙台出身の妻も、「庄内顔は、すぐわかる」 という。私もこの穏やかな顔に囲まれていると、何だかなごんでしまう。何しろ、20分遅れというアナウンスが流れても、誰一人として文句を言わない。みんなすぐに納得して、穏やかに待っている。これが関西人だったら、ぼろくそに言い始めるところだが。

ところで、私は酒田に帰るのにほとんど車を利用するので、庄内空港を利用したことがない。それで、今回初めて感じたのが、うわさに聞く庄内空港のエスカレーターのとろさである。

飛行機が 20分遅れるというので、3階の滑走路を展望できるところに行こうとして、エスカレーターに乗ったのだが、何しろとろい。乗る前の見た感じからしてとんでもなく遅いので、ある程度注意して乗ったのだが、それでも乗ったとたんに前につんのめってしまうほどのとろさである。

iku1117 さんも、「庄内空港のエスカレータの遅さには、結構腹が立っている。何度転びそうになったか」 と tweet しておいでだ (参照)。その気持ち、よくわかる。さらに、「も~ど~にでもして~なブログ」 でも、次のように紹介されている。(参照

これ、びっくりするぐらい遅いです。あまりの遅さに、逆に乗るタイミングがつかめないんですよ。乗ったら乗ったで、なんとなく体に染み付いているエスカレーターのスピードに合わせて重心を置こうとしてしまうので、ちょっと怖かったです。

エスカレーターには老人と幼児の安全のために、あえてスピードを落としていると表示されているが、遅くしさえすれば安全というのは、錯覚だ。他の普通の速さのエスカレーターに乗るときとの感覚的ギャップのせいで、逆にあぶない。本当にこけそうになる。

例えば、止まってしまっているエスカレーターに乗ると、止まっているとわかっていても、体がそれに反応しきれないで、がくっとこけそうになるという経験をしたことがないだろうか。それに似たようなことが起きるのだ。

この件についてネットで検索してみたら、「YOSSY の庄内まるかじり」 というブログに、次のようにあった。(参照

標準速度は30m/minのところですが、平成3年10月に庄内空港が開港してから13年間に、高齢者によるエスカレーターでの転倒事故が5件発生したことを受けて、平成16年10月に可変速度化工事を施し、低速度20m/minに速度を落としたところ、その後今日まで転倒事故は発生していません。

ふうむ、13年間に 5件 (ほぼ 2年半に 1件) の転倒事故に懲りて、普通の人に乗るたびにこけそうになるリスクを強いているのか。標準速度の 3分の 2のスピードでは、エスカレーターに慣れた人ほど感覚的ギャップが大きくて危ない。

数字に表れた事故件数と、数字には表れないが、多くの人が乗るたびに感じている危険性とのどちらを重視するのか。私なら、迷うことなく標準速度に戻すがなあ。

今のところ、庄内空港のエスカレーターは昇りしかないので、前につんのめってもなんとかなっているが、もし下りエスカレーターでこんなことをしたら、確実に転げ落ちる事故が続出するだろう。下りエスカレーターのないサービスの悪さが、この場合は幸いしている。

庄内人の気質的穏やかさと、このエスカレーターのとろさとを関連づけたくはないと思った。

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2010/08/10

電子マネーというものを持ってみようと思う

「電子マネー」 というものがあって、世の中でかなりの広がりを見せているようなのだが、私は JR の "SUICA" 以外は 1枚ももっていない。ただでさえ財布の中に、なんとかカードとかかんとかカードとかがあふれかえっているのに、これ以上また新しいカードをもつのはうっとうしいではないか。

取手駅のショッピングビルで買い物をすると決まって 「メンバーズカードはお持ちですか?」 と聞かれ、「いいえ」 と答えるたびに、「失礼しました」 と謝られる。いや、別に失礼でもなんでもないんだけどと、毎回思うのだが、あれって一体何なんだろうというのは余談なので、そそくさと電子マネーの話に戻る。

電子マネーなんて金輪際持つものかと思っていた ("SUICA" は、私にとっては単なる定期券に毛の生えたようなものなので、除外) のだが、最近、セブン&アイの "nanaco" (ナナコカード) なら持ってもいいかなという気がしてきている。

その理由は、単純にセブンイレブンで買い物をする機会が多いことと、コンビニで買い物するとかなりの確率で釣り銭の小銭が増えることだ。カード 1枚余分に持つことで、小銭が増えることを相殺しようという魂胆である。

ちなみに私には 「1円玉マーフィの法則」 というのが取り付いているようで、コンビニで買い物をするといつも 1円玉が 1枚だけ足りない。そのためもらった釣り銭と併せて、常に 5円玉 1枚と 1円玉 4枚以上の小銭が、財布の中にあふれかえることになる。

それがあまりにも頻繁なので、7年ちょっと前に記事を書いて嘆いているほどだ (参照)。財布の中に  5円玉 1枚と 1円玉 4枚があれば、どんな細かいお釣りももらわずに済みそうなものだが、そうとも限らない。それは、上述のリンク先を読んでもらえばわかる。

この "nanaco" さえあれば、「1円玉マーフィ」 の呪縛から少しは解放されるだろう。さらに、100円の買い物で 1ポイントが付き、1ポイントは 1円として使えるので、実質 1%の値引きだ。1年に 2~3度は、おにぎり 1個ぐらいタダでありつけるかもしれない。

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2010/08/09

「3Dテレビなんて買わない」 が 7割

J-CAST ニュースによると、「3Dテレビなんて買わない」 という人が 7割近くを占めたそうだ。年齢が若いほど購買意欲が低く、さらに、これからテレビを買おうと思っている人のうち、3D 対応を重視すると答えたのは全体の 4分の 1程度だったという。 半数以上が「あってもなくてもいい」 程度と答えている (参照)。

私は今年 5月に 3D 映像についての記事を書いている (参照)。結論は 「3D テレビが一般化するまでには、ハード的にもソフト的にも、まだまだかなりの時間がかかるだろう」 としているが、「ハード的にもソフト的にも」 に 「価格的にも」 という言葉を付け加えるのを忘れたのを、ちょっとだけ悔やんでいる。

J-CAST ニュースでは、「(普及の) ネックは高価格と、視聴に専用メガネが必要なことだ」 としている。確かにそれはそうだが、もっと深く考えてみると、3D テレビが必然的にもつ 「ヘビーさ」 が最大の要因だと私は思う。

3D で見たいソフトは、ヘビーなソフトだろう。例えば、3D 効果の映画、スポーツ中継など。これらは、いわば 「食い入るように見るソフト」 だ。そうしたソフトなら、専用メガネをかけて見るのも苦にならない。

しかし、どうでもいい番組、スイッチを入れっぱなしにして、横目で眺めたり、リモコンでばんばんチャンネルを変えてザッピングするようなライトな番組は別だ。ライトな番組をライトに見る時に、専用メガネなんて邪魔でしょうがない。そして、今時のテレビというのは、そのようにライトな見方をされる時間の方がずっと多いだろう。

私はテレビをあまり見ないラジオ人間で、たまにテレビを見ると、目と耳奪われるので疲れてしまうことがある。ラジオなら耳で聞いているだけなので、目までは奪われない。その分、自由なのだ。

3D テレビを専用メガネをかけて見せられたりしたら、「目と耳の両方を奪われる」 といううっとうしさの密度は、ますます濃くなるだろう。だから、そのうっとうしさに耐えられるヘビーなテレビ・ウォッチャーにしか受け入れられないのじゃあるまいか。

しばらくは、ヘビーに見たいのだったら、劇場に足を運ぶという程度でいいと思う。

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2010/08/08

森羅万象はクリアされ損なって場に残ってしまったカード

Twetter で @nittahitosi さんが、「世の中というのはつじつまの合わないことでできていて、もしつじつまが合いだしたら何もかも無くなってしまうんじゃないかという妄想がある」 (参照) と tweet しておられた。

これ、私も同じように思うことがある。

世の中のすべてのものごとで辻褄が合いだしたら、ソリティアで上がるように、端からぴたりぴたりとカードがそろい始めて、あっという間にクリアされ、この世の中には何も無くなってしまうのではないかという気がするのだ。

森羅万象は、ちょっとした 「揺らぎ」 というか、何かの拍子に生じた微かな誤差のようなもののおかげで、クリアされずに残っている残骸ではないかという妄想である。今からでも遅くないから、揺らぎのせいで生じてしまった 「誤差」 を調整すれば、すべてはめでたくクリアされて、無に帰すだろう。

しかし見方を変えれば、この揺らぎとか誤差とかいうもののおかげで、クリアされ損なった残骸の中で、あくせくしながら暮らすというのも、なかなかのオモムキなのではなかろうか。さんざんこの世であくせくし尽くしたら、自分に最適な波動のカードに飛び乗って、クリアされてしまえばいい。

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2010/08/07

「君が代合唱」 って?

どうでもいいことかもしれないが、「君が代合唱」 という言葉がネット界隈に散見する。多くは 「君が代合唱を拒否する人がいる」 といったような文脈である。本当に本当に、どうでもいいことかもしれないが、普通は 「君が代合唱」 ではなく、「君が代斉唱」 である。ここで念のため、その区別を書いておく。

合唱: いくつかの声部を、複数の歌い手が歌う (それぞれの声部を単数の歌い手が歌うのは、「重唱」)。つまり、歌でハモる。

斉唱: 複数の歌い手が一つの声部 (ひとつのメロディ) を歌う。つまりハモらない。

前者が 「コーラス」 で、後者が 「ユニゾン」。で、君が代は、普通は斉唱 (ユニゾン) である。私は未だかつて、君が代がハーモニーを付けて合唱されるのを聞いたことがないし、合唱譜も見たことがない。

ネットで検索してみると、 東京混声合唱団の 『君が代(合唱)』 (参照) というのが見つかった。おお、一体誰が君が代を合唱曲に編曲したのかと、興味津々で試聴してみたら、なんのことはない、フツーの斉唱だった。

なお、試聴は曲の途中までなので、その後にどばっとコーラスになってとてつもない広がりを見せるのかもしれないが、聞いたところでは、そんなようなムードじゃない。おそらく最後までユニゾンだろう。

まあ、広義では大勢で一つの歌を歌うことを 「合唱」 ということもある。だから、先だっての麻生太郎元首相の 「弥栄/いやさかえ」 問題のように 「合唱でも間違いじゃない」 という外野の声がとどろき渡るかもしれないが、一般的には 「君が代斉唱」 であって、「君が代合唱」 と言ってしまうと、かなり奇異な感じがするということは否めない。

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2010/08/06

儲けが絡むと、急にウルトラ気配り屋さんになる人

だいぶ前にも同じようなことを書いたことがあるのだが、「とてもよく気が付く人」 に関する話である。

本当に 「とてもよく気が付く人」 というのがいる。いつも周囲に気を配り、穏やかな笑顔を絶やさず、如才なくいろいろなサービスを提供する。かゆいところに手が届くというか、「あの人がいれば、その場は円滑に進む」 と誰もに思われてしまうタイプの人が、現実にいるのである。

こういうタイプの人と業界内の集まりでの酒席をともにすると、なんだか、こっちが落ち着かなくなるほど行き届いているのである。初対面の人が何人いようと、あっという間に顔と名前と所属企業を一致させて頭に入れ、自然な会話でコミュニケーションをとり、さりげなく嫌みなく、ビジネストークに移行させる糸口を作る。

グラスのビールが少なくなれば、さっと注ぎにくるし、料理が足りなくなりかかったら、絶妙のタイミングでおねえさんを呼んで、絶妙の注文をとりしきる。しかも、決して出しゃばることなく。

こういう人には 「かなわんなあ」 と思うのである。私がその場にいる人の顔と名前をようやく一致させた頃には、彼は誰それとは自分の大学の先輩後輩の関係で、誰それの長男が今年その大学に合格したなんてことまで知っていて、しっかりコネを構築しているのである。

彼は社内でもずいぶん評価が高いだろうと思う。「やり手」 と思われているのだろう。上司の覚えもさぞかし高いに違いない。

ところが、その酒席がお開きになり、たまたま同じ方向に帰るというので同じ電車に乗り合わせると、彼は座席 2人分に大股開きでどっかりと腰を下ろし、ずいぶん無遠慮な大声で話しかけてきたりするのである。

酒席でのあの気配りはどこに行ったのかと思うのだ。結局のところ、彼が気配りをするのは、ビジネスで儲けになりそうな場面においてだけで、何の得にもならないところでは気配りもヘッたくれもなくなってしまうのである。大した落差だ。

でまあ、こういう人とは、必要以上に親しくなりたいという気はしない。私としては、多少無愛想でも、儲けの絡む場面と絡まない場面でのギャップの小さい人の方が、ずっと好ましいと思うのだ。

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2010/08/05

アダルトサイトって、マメにチェックされてるらしい

昨日の記事でお伝えした、アダルトサイトからのリンクで当サイトの 「なぜ、日本人は羊を数えても眠れない?」 という記事に、夜間のアクセスが殺到したという件の続報である。リンク元がリンク元だから、昼間のアクセスが減るのは当然として、夜になればまた急増するものと、私は思っていた。しかし、実際にはそうならなかったのである。

一昨日の夕方 4時からの昨日の夜明け前までの 12時間で 1,300件以上のアクセスがあったのに、昨日の夕方 4時からの 12時間では、たったの 82件しかなかった。えらく拍子抜けである。

これは何を物語るのかというと、「動画ファイルナビゲーター」 というアダルトサイトにアクセスする人たちというのは、きっとほとんど毎日のように新情報をチェックしているのだ。だから、前日に紹介されたリンクなんか、もう興味の対象外になってしまうに違いない。

まあ、翌日になればトップページのコンテンツも変わってしまうので、前日のリンクはアーカイブを見ないと辿れないということもあるのだろうが、それにしても、なんとマメなことであろうか。私のブログも毎日マメにチェックされるような存在になりたいものだが、アダルトサイトには負けるだろうなあ。

ちなみに、アダルトサイトからのリンクで当サイトへの訪問が一時的に急増しても、リピーターになってくれる可能性というのは非常に低い。どっと増えて、またどっと元に戻るだけだ。「tak-shonai というやつはおもしろそうだから、しばらく継続してチェックしてみよう」 なんて思ってくれる奇特な人は、1,000人に 1人か 2人ぐらいのものだろう。

これは、「winmail.dat/開き方」 というキーワードでググって、私の 「"winmail.dat" の一番簡単な開き方」 という記事に、毎日 100件近くのアクセスがあるが、それがリピーター増加にほとんど寄与していないという事実とも共通している。

"winmail.dat" という添付ファイルの扱いに困った人が、開き方を知ろうとして 「winmail.dat/開き方」 というキーワードでググると、私の記事がトップに表示される。その記事を読んで開き方がわかりさえすれば、後は 1000人中 999人はそれで用が済んでしまって、私のブログのことなど忘れてしまう。そんなものである。

私のブログ記事のテーマは 「広く浅く、時々妙に深く」 的な傾向があるので、いわゆる 「オタク趣味」 ではない。リピーターがそれほど多くないのは、そのせいもあるのだろうか。1日に 1,500件ぐらいのアクセスの中で、リピーターといえるのは 3分の1の 500人ぐらいだとみている。そのほかは、"winmail.dat" という添付ファイルの開き方を初めとして、ちょっとしたことを調べにくる人たちだ。

まあ、その中からぼちぼち何度もアクセスしてくれるリピーターが増えて、今の状況になっているので、このポリシーをくずすつもりはないのだけれど。

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2010/08/04

羊を数えても眠れない夜のアダルトサイト

私のサイトのアクセス解析をちょっと除いてみたら、昨日の夕方から 「なぜ、日本人は羊を数えても眠れない?」 というページにアクセスが集中している。昨日の夕方 4時からの 8時間で 1,023件、そして今日も午前中だけで 500件以上のアクセスがある。

いったいどんな有力サイトがリンクしてくれたのかと、リンク元をたどると、なんと、「動画ファイルナビゲーター」 というアダルトサイトだった。アダルトビデオがどっさり紹介されているずぅっと下の方に、なぜか少しはまともなページを紹介するリンクがまとまっていて、そこに私の記事も紹介されている。

なるほど、これでわかった。昨日は夕方からの 8時間で 1,000件以上のアクセスがあったのに、今日は 12時間でたったの 500件、しかもそのうち 289件は夜中の 3時前までのアクセスで、夜が明けてからはめっきり減っている。

アダルトサイトだけに、「夜型」 なのである。とはいえ、朝の 6時以後でも 1時間に 20件以上のアクセスがあるというのは、なんだか複雑な思いにさせられる事実だが。

アダルトサイトからリンクしてもらうとアクセスが急増するというのは、 4年前に "「渋滞学」 ってのは、面白そうだ" というブログ記事を紹介してもらったとたんにアクセスが急増した経験からわかっていることである。

それで、3年前に 「アダルトはアクセスアップの特効薬だが」 という記事まで書いている。この記事の中で、「はてぶよりも大手ニュースサイトよりも、遥かにたくさんのアクセス数を稼げるサイト」 という記事も紹介している。まさにアダルトサイトからのリンクは、ものすごい効果があるのだ。ただ、単に一時的な効果に過ぎないのだが。

ちなみに、 「なぜ、日本人は羊を数えても眠れない?」 という記事は、日本人は羊と縁遠い文化圏にいるのだということを論じた記事である。手っ取り早く言えば、日本人はそういう文化圏にいるから、眠れない夜に羊を数えても脳が緊張してしまって、逆効果になりやすいのだ。

ユーラシア大陸を始めとする大陸では、羊はどこの田舎に行ってもごちゃっと群れているお馴染みの動物だが、日本には明治になるまで羊はいなかった。だから、全然お馴染みじゃない。そのお馴染みじゃない動物を、1匹ずつ思い浮かべて数えるなんてことをしたら、脳が活性化されてしまって、眠れるわけがないのだ。

ウェブでいろいろなサイトを見ると、"sleep - sheep" の音が似ているから眠りに導かれるなんていう寝言を言っている人がいるが、そんなことは英語圏のみで通じる話で、日本人が日本語で数えることとは全然関係がない。脳内翻訳までやったら、ますます眠れなくなっちゃう。

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2010/08/03

今野雄二さんの自殺

昨日の記事で 「やれやれ感の大きな夏」 と書いたが、今野雄二さんの自殺のニュースを聞いて、私の中の 「やれやれ感」 がますます大きくなってしまった。もう、大きなため息しかつけない。

決して今野雄二さんのファンだったわけじゃない。私の守備範囲からはちょっとはずれている。彼の映画や音楽の評論は、ちょっとお洒落だけど、かといって、「やられたなあ!」 と思うほどの何物かを突きつけられたというような思いは、一度も抱かなかった。

この感覚は何かに似ているなあと思ったら、昨年秋にやはり首を吊って死んだ加藤和彦の時とそっくりだと気付いた。この二人、「お洒落な団塊の世代」 の代表選手だったんじゃあるまいか。自らの魂の叫びは決して表に出さず、いつも海の向こうから時代の半歩先を行く素材を探して持ってきて、上手にこなして見せる。

こうしたスタイルのアーティストや評論家にとって、今の状況というのはとてもやりにくいんだろうと思う。加藤和彦の死について慧眼的な論評をされたまこりんさん (参照) の言い方を借りれば、「時代の気配をいち早く察知して形にするのに長ける」 タイプの人間には、つらい時期なのだ。きっと。

「お洒落な団塊の世代的サブカル」 派の多くは、「もう、俺たちの時代じゃなくなったのかな」 と思っておとなしくしていればいいのだろうが、そうした存在の中のトップランナーだった二人にとっては、自分の存在を扱いかねてしまったんだろうという気がする。

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2010/08/02

「やれやれ感」 が大きい夏は、現実感が薄れる

今年の夏は、暑いばかりでなんだか現実感が希薄だ。街を歩いていても気が遠くなりそうになるので、正常な認識機能がお休みしそうな感じである。

あちこちでいろいろな事件が起きている。秩父山中の遭難現場では、三次遭難まで起きてしまった。無理を押して入山した日テレの記者とカメラマンは、さぞかし山のド素人なのかと思ったら、少なくとも記者の方は山岳取材のエキスパートだったという。

妙なプロ意識と功名心が重なると、人の話を聞かないための最強の合わせ技になってしまうという例を見てしまったような気がする。

そのほかにも、大阪の幼児放置死事件とか、111歳だかになっていると思われていた男性が実はミイラになっていたとか、変な事件も発生している。このくそ暑いのに、「やれやれ感」 の濃厚なニュースばかり聞かされると、ますます現実感が薄れる。

こうなったら、早くお盆が過ぎて秋風が吹き始める季節になってもらいたいものだが、今年はどうやら残暑まで厳しいらしい。ますます世の中がおぼろにしかみえない感覚が続く。こんな風にして、人間の現実感というのはおかしくなって、ますます変な事件を起こす人間が増えてしまうのだろうか。

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2010/08/01

私の中の妙な頑固さ

子供の頃から、妙なところに頑固だった。4歳ぐらいの時、母親と外出する際に、母が 「今日は何も買ってあげられないからね」 (もちろん、オリジナルは庄内弁だが) と言い、私はそれに気軽に同意した。何か買ってもらうよりも、母との外出そのものの方が楽しみだったのだろう。

ところが、街に出た母は、何か私に似合いそうな服地を見つけて、「これ、買ってあげる」 と言い始めた。私はもちろん 「いらない」 と言った。「何も買わないと約束して出てきたのだから、買ってもらいたくない」 と主張したのである。

ところが母は、「今日買わないと、すぐに売り切れてしまいそうだから」 とか言って、是非とも買いたがる。私はあくまで 「いらない」 と主張する。しかし、財布を握っているのは母だから、ついにその服地を買ってしまった。

問題はそれからである。せっかく買ってもらった服地で縫った服を、私は一度も着なかった。無理に着せられようとしても、暴れまくって拒否した。そんな理不尽なことで手に入ってしまった服に袖を通すわけにいかないではないか。母は 「うちの子は妙に頑固で、一度決めてしまった原則は崩さないところがある」 と、そのとき始めて認識したらしい。

それから、今でも明確に覚えているのが、幼稚園での BCG 接種事件である。ツベルクリン接種をして、私の前に検査した子どもたちはみな陽性のようで、そのまま放免になった。ところが私の腕の赤いポッチをごちゃごちゃ計った先生は、「はい、そっちに行って、注射ね」 と言うのである。

幼い私は逆上した。何で他の子は放免されて、私だけが注射されなければならないのだ。私はダッシュで逃げた。逃げて逃げて逃げまくった。断固として注射されるのを拒否したまま帰宅した。

その夕方、幼稚園の先生が我が家に来て、「どうしても BCG 接種を受けてもらいたい」 と言う。私は 「イヤだ」 とはねつけた。「どうして自分だけ注射されなければならないのだ」

そのとき、幼稚園の先生は理由を明確に言わなかったが、別の先生が来て、ツベルクリンの接種の結果は、陽性と陰性があって云々ということを論理的に説明した。それを聞いてあっさり納得した私は、次の日に素直に BCG 接種を受けた。

子供に説明してもわかるものかと、無理矢理に注射しようとしたから、私は断固として拒否したのである。初めからきちんと理を尽くして説明してくれれば、あんなに逃げ回ったりはしなかったのだ。説明もしないでいきなり注射するなんてのは、いくら子供相手でもずいぶん乱暴で失礼な話ではないか。

とまあ、こんなような妙な頑固さが、今でも私の中には残っていると自覚している。おかげでずいぶん損しているというような気もするのだが、こればかりは改めようとは思わない。

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