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2010/10/16

庄内弁による言文一致体テキストの模索

一昨日の 「ちょっとばかり、庄内弁で語ってみる」 という記事が、庄内の読者を中心にちょっとした反響を呼んで、予想以上のコメントをいただいた。その中で、「庄内弁どご活字さすんなだは、ほん―とでよいでね―ですよの」 (庄内弁を活字にするのは、本当に容易じゃないですね) と、shun さんがおっしゃっている。

この場合の 「活字にする」 というのは、「文章にする」 という意味と捉えていただきたい。確かに、庄内弁に限らず、方言をテキスト化するのはそれほどやさしいことではない。

なにしろ、「疑似方言」 というのがあるほどだ。小説 (とくに翻訳小説) や新劇などで、登場人物が田舎者であることを示すために、想像上の方言で語らせるのである。「そうでごぜえますだ」 「あんれまあ、なんてこった!」 など、北関東と南東北の訛りをごっちゃにしたようなしゃべり方をさせれば、便宜的に田舎者ということになる。

しかしそれは、あくまで 「疑似方言」 であり、そんなような言葉を話す地方なんて、ありそうで、実はなかったりする。ただ、文字で表しやすいのでそのような言葉を作り上げたわけだ。しかし本当の方言というのは、文字では表しがたいのである。

ここで、「標準語のなかった昔は、どうしていたんだろう」 という疑問が上がったりするが、答えは簡単だ。昔は文章を書くのはそれなりのインテリの仕事であり、文章専用の文体 (文語) で書かれていた。口語として存在する方言を口語のまま文章化するなんてのは途方もないことで、普通はそんな発想すらなかったのである。

それは方言に限らず、いわゆる 「標準語」 と言われる言葉においてすら、容易には文章にならなかった。江戸時代は、「○○にて候」 という文語でなければ、手紙すら書けなかったのである。

江戸時代に深川言葉をそのまま文字にした式亭三馬などの戯作は、ある意味革新的なことだったろうが、それでも会話の部分だけで、地の文にはほとんど使われなかった。

今では当たり前と思われている 「言文一致」 というのは、先人が苦労して作り上げたスタイルなのだ。その記念すべきモニュメントと言われる二葉亭四迷の 『浮雲』 は、明治の御一新以後 20年経って、ようやく世に出たのである。当時、坪内逍遙を中心とした文士たちが模索を繰り返していたのだ。(参照:二葉亭四迷「余が言文一致の由来」

明治期の原文一致体の確立に貢献したのは、初代三遊亭圓朝の落語の口演筆記だったということが、上記の二葉亭の文章にも記されている。落語の口演をそのまま筆記するのだから、さすがに、そこには文語の入り込むことはない。

ただ、その口演筆記を書き、そしてそれを読むのは、当時の人たちには、なかなか非日常的な作業だったのではなかったかと思われる。当時の感覚では、「文章の読み書き」 というよりは、口語で発せられた言葉に記号としての文字を当てはめて記述し、そしてそれを判読するというような作業に近かったのではないかと想像する。

そしてそれは、今私が盛んにトライしている 「庄内弁のテキスト化」 と同じ感慨だったと思うのだ。

私が 「庄内弁のテキスト化」 に初めて本格的に取り組んだのは、今から約 6年前、「庄内力養成委員会」 というサブサイトを作ったときである。このサブサイトの中に "「庄内力」 チェック" というコーナーがあり、このチェックをするための質問項目はすべて庄内弁で書かれていて、解読できない人は回答すらできないことになっている。

この質問項目を庄内弁で作り上げるのには、確かにちょっとした苦労があった。なにしろ、庄内弁のテキスト化というのは、確立されたメソッドがあるわけではないからである。私は shun さんのコメントに応え、次のように書いている。

「言文一致の庄内弁文体」 は、おらがだの代で開発していがねばねもんだよです。
(若っげ人がだだば、しぇねんでろもの)

【翻訳】
「言文一致の庄内弁文体」 は、私たちの代で開発していかなければならないもののようです。
(若い人たちでは、できないだろう)
[※ 訳注: 若い人たちの多くは、既に庄内弁が話せなくなりつつあるので]

とはいえ、私が庄内弁のテキスト化に取り組んだ時には、ありがたい先例があったので、私自身はそれほどのパイオニア的苦労はせずに済んだ。それは、佐藤公太郎氏による 『庄内むかしばなし 唐の大王鳥』 (みちのく豆本の会・出版) という本である。

この本は、著者である佐藤氏が自身の語り継いだ昔話を、庄内弁の語り口のまま、ほぼ忠実にテキスト化したものだ。この本を読んで私は、「んだんだ、こげだ話、子供の頃、聞いだもんだのう」 (そうそう、こんな話、子供の頃に聞いたものだなあ) と、とても懐かしく思ったものだ。

ちなみに、子供の頃に聞いた昔話というのは大変なもので、私は一度聞いただけの昔話を、今でもかなり忠実に再現できる。だから、古事記を暗誦した稗田阿礼の業績というのも、素直に信じられる。

そしてこの本が、私が 「庄内力チェック」 を庄内弁で作成するときの 「圓朝落語の口演筆記」 のような役割を果たしてくれた。私の庄内弁テキスト化のメソッドの多くは、この本の表記によっている。もちろんそればかりでなく、私独自の改良もあるが。

最近では昔話のテキスト化はかなり盛んに行われているようで、鶴岡市議会議員の田中宏氏が、Twitter 上で山形新聞の 「音読・山形の民話」 という業績を紹介してくださった。この中に、庄内の昔話もたくさん載せられている。喜ばしいことである。

方言の衰退が問題になっている今、できるだけ多くの材料を、録音のみでなく 「方言テキスト」 として残しておくことは、とても重要な文化的作業に違いないので、私としては意識してトライしているわけだ。それは前述の通り、「若っげ人がだだば、しぇねんでろもの」 (若い人たちでは、できないだろう) ということだからである。

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コメント

日本の昔話を語る場合、お国訛りを無視することはできません。
しかし、こればかりは、文字で書いていただいても、なかなかその微妙な空気感を表現するのは難しゅうございます。
私は、世界各地の民話・昔話、漱石からアンデルセンまで、さまざまな物語を語りますが、その中に山形県の昔話もございます。(私は九州の人間です)
これまでは、秋田にいる義兄の言葉をなんとなく真似て発音していましたが、tak様の省内弁を拝見し、これはただ事ではない、と反省した次第でございます。
その土地の方言を知らない者は、昔語りも標準語で行うべきなのでしょうか?


投稿: ベロニカ | 2010/10/17 05:32

ベロニカ さん:

>その土地の方言を知らない者は、昔語りも標準語で行うべきなのでしょうか?

難しい問題ですね。

方言はその土地の人の身体性と不可分ですから、よその土地の人が付け焼き刃で真似ると、とても違和感が生じます。

例えば、映画「おくりびと」の庄内弁は、庄内の人間からみると「ま、庄内ってぐらいだから、しょうがないか」というぐらいのものでした。

でも、庄内人以外の人たちにはそれはほとんど気にならないことだったでしょうから、映画の価値を下げる要素とはなりませんでした。

それどころか、庄内弁をあまりリアルに再現しすぎたら、庄内以外の人に伝わりにくくなりますね。

昔話を方言で語るべきかどうかは、ケースバイケースでいくべきだと、私は思います。

投稿: tak | 2010/10/17 08:44

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