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2010/11/25

「いいえ」 と言えない日本人

「千日ブログ」 のキロさんが 「いいえといえるドイツ人」 というタイトルの記事を書いておられる。『本質か、現象か』、何を信じるのか? 「いいえ」 を教えるドイツ  という日経ビジネスオンラインの和田智さんという方の記事を元にしたものだ。

ドイツでの学校では "Nein Sagen" (ナイン・ザーゲン) という授業があるという。 直訳すると 「いいえ、と言おう」 「違う、と言おう」 という意味だそうで、どんな授業かというと、次のように説明されている。

生徒1人ひとりがみんなの前で、先生に言われたことに対して「いいえ、そう思いません」と答えなくてはいけない。そう答えるだけなら簡単ですが「なぜそう思わないのか」を説明できなくてはいけないという授業なのだそうです。

日本的発想ではあり得ない授業である。日本では基本的に、教師の言うことに 「いいえ」 「違う」 と言ってはならないことになっている。「はい」 という子がいい子で、「いいえ」 という子は悪い子なのだ。そうした空気のおかげで、私は子供の頃からどんなにストレスを感じていたことか。

私は小学校の頃から教師に向かって 「そりゃ違う」 というようなことばかり言う子供で、しかも、いつもきちんと教師を言い負かしていた。そのために通信簿の左側の学業欄はオール 5に近かったが、右側の 「素行欄」 の評価はひどいものだった。しかし、もし私がドイツに生まれていたら、学業も素行も優等生になっていたかもしれない。

しかし、この授業はドイツ国内でも、必ずしも歓迎されているとは限らないようだ。和田智さんの記事でも、この授業が始まって以来、「(ドイツ人の友人の) 奥さんが、小学1年生の娘が最近言うことを聞かなくなって困ると嘆いていました」 とある。

なるほど、ドイツ人は何でもかんでも 「いいえ」 ということには抵抗があるのかもしれない。私のヨーロッパ人との付き合いは非常に限定的なものなので、単なる思い込みに過ぎないかもしれないが、ドイツ人というのは、案外素直である。フランス人ほどなんでもかんでも 「私はそうは思わない」 というような、かわいげのない反応はしない。

フランス人といっても、とくにパリの人間にその傾向が強いという印象があるのだが、連中は、「自分は安易に他人に迎合するような人間じゃない」 と示すだけのために、ことさらしょっちゅう 「私はそうは思わない」 と言っているんじゃないかと思うことがある

小学校の頃から教師に 「そりゃ違う」 と噛みついてばかりいた私がうっとうしいと思うほどだから、フランス人の自己主張はものすごくしつこい。なにしろ、どうでもいいことに妙にこだわるので、こちらとしては疲れてしまうのである。

「そんなどうでもいいことで議論なんかしたくない」 と思っても、相手はしぶとく食らいついてきたりする。あまりうっとうしいから、こちらとしてはいい加減に 「はいはい、あんたの主張はよくわかったよ」 と言うと、相手は議論に勝ったようなつもりになっている。連中、案外単純なところもあるのだ。

ドイツ人は、そこまでなんでもかんでも余計な自己主張をしたがるところはないと思う。だからこそ、隣国の押しの強いフランス人に負けないためにも "Nein Sagen" の授業で鍛えているのかも知れないが。(日本も隣国に一方的な 「配慮」 ばかりしなくて済むように、少しは鍛えなければならないかもしれない)

ここで和田さんの記事に戻るが、和田さんは日本人としての自分の特性に立ち返り、「できるだけ相手の意見に耳を傾けようという謙虚さ、優しさ」 という、フランスやドイツの教育とは正反対の態度を 「日本が誇るべき感性」 と言っている。

しかしその一方で、「本来素晴らしいものであるはずのこの感覚が、今の日本の社会におけるこころの問題になっている」 と指摘する。現代の日本人は 「空気を読む」 ようにばかり教育された結果、「現象」 しか見えにくくなっていると言う。

「現象とは個人主義が明確にある環境であればあるほど起こりにくく、人に同調しやすい環境ほど起こりやすい」 もので、一方、自分の考えを簡単に曲げないドイツでは、「本質」 にアプローチしやすいというような指摘をされている。

これ、「一体どういう意味じゃ?」 と言いたくなるような、ちょっと飛躍的な論理だが、和田さんはご自身の専門であるデザインということに関して論究していることがわかると、「ああ、なるほど」 と思う。

付和雷同的で流行に弱く、ちょっとしたことにすぐにみんなで飛びつく日本人は、現象に振り回されやすいので、日本のデザインは一過性であることが多い。しかしドイツのデザインは 「何年、何十年経っても色褪せない」 重厚で本質的なデザインが多いと、和田さんは指摘する。

なるほど、デザインの切り口からみれば、確かにそうしたことは言えるだろうと思う。しかし、私はこれにはちょっと異を唱えてみたくなった。なにしろ、私は庄内人であり、庄内人は日本で一番 「ノー」 と言える人種なのである (参照)。

日本のデザインの良さは 「重厚」 とか、これ見よがしな 「本質」 とかいうのとは違うのではないかと、私は思うのだ。ある意味、日本の良さは 「軽さ」 である。「軽さ」 の中に 「深み」 を発見すると、「わび・さび」 になったりする。あまり強烈に 「本質に関する自己主張」 をしない深みなのだ。

日本人は、本質的なことに単刀直入に切り込むことをあまりよしとしない。それは下手すると 「野暮」 になってしまうと知っているから、できるだけ本質の周りの現象に頓着しようとする。周りのことばかり言って、本質はなるべく知らんぷりする。これが世阿弥の言う 「秘すれば花」 ということである。

いくら秘してもその秘し方が上手だと、本質はじわりと微妙に伝わるのだ。得も言われぬほど微妙で、単純な左脳の細胞には本質だかなんだかわからないほどなので、「幽玄」 というのである。

で、大切なのは 「上手に知らんぷりする」 ということなのだが、困ったことに最近は、「本当に知らないだけ」 ということが多くなっている。日本人は長らく知らんぷりしすぎたせいで、本当に大事なことを忘れてしまいつつあるのかもしれない。

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比較文化・フォークロア」カテゴリの記事

コメント

>日本のデザインの良さは 「重厚」 とか、これ見よがしな 「本質」 とかいうのとは違うのではないかと、私は思うのだ。ある意味、日本の良さは 「軽さ」 である。「軽さ」 の中に 「深み」 を発見すると、「わび・さび」 になったりする。あまり強烈に 「本質に関する自己主張」 をしない深みなのだ。

>いくら秘してもその秘し方が上手だと、本質はじわりと微妙に伝わるのだ。得も言われぬほど微妙で、単純な左脳の細胞には本質だかなんだかわからないほどなので、「幽玄」 というのである。

       ―――― ◇ ――――

素晴らしい考察ですね!
確かに日本の美意識は、本質そのものを真正面から捕らえるのではなく、あえて、その本質の陰のようなものを珍重する
そこから
◆ わび・さび
◆ 幽玄
と言う美が出てくるのだ、と思います

「わび・さび」「幽玄」について、私は以前、私のブログで、下記2点のエントリーを書いてみました
ご笑覧いただけば、幸甚です

◆今日は「幽玄」を調べる
http://plaza.rakuten.co.jp/alex99/diary/200411240000/

◆【わび】【さび】とはなにか?
http://plaza.rakuten.co.jp/alex99/diary/200411200000/

投稿: alex99 | 2010/11/26 04:35

いつも楽しく拝読しています♪「いいえ」ワタシにはとても大きな問題でした!いいえといえば良い子じゃない、嫌われる、のような。外国に行っていいえと言える様になってから(言えた時の感動は今も覚えている)いいえといっても悪い子じゃない嫌われない、というのが分かったし、それは日本で大事だと思うようになりました。ドイツなんかはヒトラーの影響を今もひきづってるように感じたりします。ヒトラーみたいのが出てもいやと言おう!のような。確か挙手もハイル!ヒトラー!みたいだから、人差し指を上げると聞いたような気がするんですが…。エコやオーガニックなんかもさかんなイメージのあるドイツはいつも背後にヒトラーから学ぶ(二度としない)感じがするんですが…考えすぎでしょうか♪

投稿: こりす | 2010/11/26 04:59

どうも偏見を披露してしまいそうなのですが(笑)、私も、多少の経験上、ドイツ人とフランス人の違いについて、同じような印象を持っています

私は、東西ドイツがあった冷戦時代、東ドイツで二ヶ月ほど、毎日、朝から晩まで、東ドイツの国営商社とプラント商談の契約交渉をやっていたことがあります
共産主義体制であったという要素もありますが、東ドイツの人間は、プロイセン流で、極めて質実剛健、タフなネゴシエイターでした
基本的に彼らは譲歩はせず、終始、基本姿勢に則って、重箱の隅のような部分にまで整合性を求めてきます
ただそれは、当方を困らせようとか、悪意があるとかでは無く、あくまで、彼らの体質や信念、方針に基づいたもののように思えました
また、ドイツを離れた海外でのドイツ人とのつきあいを通しての印象も、総じて無骨で素朴で男らしく、相性は悪くありませんでした

一方、私のフランス人に対する印象は、サンプル数が少ないのですが、tak shonaiさんの印象とほぼ同じ
気まぐれで、ご都合主義的、自己主張が強い、あまり公平性を気にしない、利己的で自分の事しか考えていない
ロンドン駐在員だった私から見ると、パリ駐在員までそんな感じに見えてしまいました(笑)
実際には、気のいい人もいたし、仲良くした人もいたたのですが、あえてフランス人の『微少な』(笑)特徴をかき集めてみれば、集計作業のブレで(笑)こういうふうに極端なものになってしまいました

なお、私は中東でのプラン輸出が本業でしたので、英国のコンサルタントとのつきあいが多かったのですが
彼らはフランス人とちがって、自己主張を抑え、フェアーで、リースナブルでした
東ドイツとはちがって「融通の効かなさ」はなく、「落としどころ」というものを心得た、「大人」でした
もっとも彼らは、階級社会の英国のエリート層に属する人達だからそうだ・・・と言う側面もあります
英国の下流階級だと、また、ちがってきますから
それに英国でもイングランドを離れた地方の中小企業のオーナーなどは、結構、癖のある性格の人もいました(笑)

総じて英国人やドイツ人などのゲルマン系は、したたかなラテン系に比較して「素朴」「正直」と言うことは言えそうです


投稿: alex99 | 2010/11/26 05:50

>付和雷同的で流行に弱く、ちょっとしたことにすぐにみんなで飛びつく日本人は、現象に振り回されやすいので、日本のデザインは一過性であることが多い。しかしドイツのデザインは 「何年、何十年経っても色褪せない」 重厚で本質的なデザインが多いと、和田さんは指摘する。
ーーー

ベトナムのホーチミンは、女性達に大人気ですね
バッグ・サンダル、その他のちょっとした小物が、お洒落でセンスがいい(さらに安価である)というのが、好評の理由です
私は、昔、ベトナムに駐在していたこともあるし、最近、再訪したこともあるので、ある程度知っているつもりですが、ベトナム人の美的感覚と器用さは、他のアジア民族にはないものだと思います

ベトナム小物の美は、日本のそれと似て、
繊細で、儚くて、センスがとてもお洒落な、一瞬の美と言った風情です
竹の文化から生まれたもの・・・という感じもします
tak shonaiさんのおっしゃる「軽さ」でもあると思います

ただし、日本以上に『重厚感』には、欠けます
結果的に、安物でもあります
だから、ベトナムのものを買っても、デザインも、すぐ飽きてしまいそうなのです

ただし、昔の王朝時代の螺鈿細工の家具や箱類等は、見事なものです

投稿: alex99 | 2010/11/26 06:11

alex さん:

こうした問題になると、alex さんは一家言も二家言もあるから、油断がなりません ^^;)

大まかには共感頂いて、安心しています。

投稿: tak | 2010/11/26 17:16

こりす さん:

>外国に行っていいえと言える様になってから(言えた時の感動は今も覚えている)いいえといっても悪い子じゃない嫌われない、というのが分かったし、それは日本で大事だと思うようになりました。

その気持ち、わかります。
本当に大きな違いですよね。

投稿: tak | 2010/11/26 17:18

ちょいと与太話をひとつ。

ドイツ人とフランス人は総じて異民族と言ってよいのですが、
両国の国境にストラスブールという街があるのは、
takさんもご存知でしょう。

ドイツ語でシュトーラスブルグと呼ばれる
この街があるアルザス地方は、
「最後の授業」の中で、ドイツ(プロイセン)の
占領によって、フランス語を封じられた悲劇みたいに書かれてますが、
もともとここはドイツ系民族が多く住んでいる場所。
かなりフランス側のプロパガンダが効いてますね。

ヨーロッパは地続きなんで、
民族の違いもグラデーションのように変化していきます。
たとえば、バイエルンのドイツ人は陽気で
、北イタリア パダーニャの人は
冷たいなんて言われます。

何を申したいのかというと、
それが理解しにくいのが日本人だと言う事なんです。

ものすごい狭い話で恐縮ですが、
鶴岡衆から見て、酒田衆は「そりゃ、違う。」
といつも言ってますよ。

ちょっと話の本質からはずれてしまいました。失礼。


投稿: ケジボン | 2010/11/26 20:17

ケジボン さん:

>ヨーロッパは地続きなんで、
>民族の違いもグラデーションのように変化していきます。

なるほど~!。

>鶴岡衆から見て、酒田衆は「そりゃ、違う。」
といつも言ってますよ。

わはは (^o^)
そうかもしれませんね。

「んでねの~」 とか 「んであんめちゃの~」とかね。

ちなみに酒田衆は、「鶴岡衆に 『んでがんすの~』 とか言われても、あまり真に受げねように」 とか言って …… あわわ、いや、何でもありません ^^;)

投稿: tak | 2010/11/26 20:40

takさん

毎度です&あらさがしみたいですみません・・・

>賢さん

和田『智』さんに訂正をお願いします。

この方、日産自動車→AUDI→フリーという経歴で、クルマ業界では著名な方です。
が、一般的にはどうなのかなぁ。

海外で活躍される(された)日本人カーデザイナは本当に希少で、和田さんはそのひとりなのですが。

投稿: 貿易風 | 2010/11/27 02:43

貿易風 さん:

カーデザインについては、ジウジアーロぐらいしかしりませんで、失礼しました。修正しました。

ご指摘ありがとうございました。

投稿: tak | 2010/11/27 21:13

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