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2010/12/20

「歌舞伎」 と 「傾き (かぶき)」

ブログや Twitter のあちこちに、歌舞伎の語源は 「傾く (かぶく)」 という言葉であるとして、「歌舞伎役者は本来、常識はずれで乱暴であるのが当然」 と、海老蔵を擁護するような書込みが山ほど見受けられる。

確かに、歌舞伎の語源が 「傾く (かぶく)」 であるという説はかなり流布していて、そのように信じている人が多いが、実は、これは確立した説というわけではなく、そのほかにも複数の説がある。しかしそれらのどれも、語源説としてはちょっと弱いものだから、一番もっともらしい「傾き」 説が有力で、Wikipedia には以下のように説かれている。

歌舞伎という名称の由来は、「傾く」 (かたむく) の古語にあたる「傾く」 (かぶく) の連用形を名詞化した 「かぶき」 だといわれている。戦国時代の終わり頃から江戸時代の初頭にかけて京や江戸で流行した、派手な衣装や一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを 「かぶき者」 とも言った。

そうした 「かぶき者」 の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な 「かぶき踊り」 で、慶長年間 (1596年 - 1615年) に京・江戸で一世を風靡したのが出雲阿国である。その後阿国を模倣したさまざまな踊りが世に出たが、その多くが 「かぶき踊り」 の範疇で受け取られた。これが今日に連なる伝統芸能 「かぶき」 の語源となっている。

というわけで、まあ、こう言っちゃなんだが、一見歌舞伎に馴染みが薄そうな人のうちの一部が、この語源説を笠に着たように、「歌舞伎役者は非常識で当然」 とか、「常識があってつまらない役者より、非常識でもおもしろい役者の方がいい」 とか言って、世を挙げて海老蔵叩きに走っているように見える現状を叩き返している。

しかし、歌舞伎の語源が 「傾く」 であるという説が有力で、初期の 「かぶき踊り」 が、やたらと 「かぶき者」 的なテイストを強調したものであったことは確かだが、だからといって、現代の歌舞伎役者が、常識的であるよりは単純素朴に非常識であるべきだという主張は、時代錯誤というものである。

現代の歌舞伎は、出雲阿国と名古屋山三の頃のものとは 「似て非なる」 ものである。あるいは、「似てさえいないもの」 と言ってもいいぐらいだ。その間の演劇史的考察をここでしている暇はないが、暇があったら こちら を読めば、歌舞伎の歴史を超駆け足で辿ることができる。

つまり、今の歌舞伎は天長の頃の 「かぶき者」 の風俗を前面に出したものではなく、かなり高度に洗練された町人文化を取り入れた古典芸能として、様式的にも完成されたものとなっている。つまり、あまり非常識をするものではないという類の芸能に、既になっているのだ。

なにしろ、歌舞伎という芸能自体が国の重要無形文化財に指定されており、さらに昨年秋には世界無形遺産にも登録されている。あまりにも低次元な無茶をされては困るのである。

もちろん、歌舞伎役者の心根の、そのまた根っこの部分には 「かぶき者」 の DNA が脈々と息づいていていい。むしろ、その方がおもしろい。その意味では、「常識があってつまらない役者より、非常識でもおもしろい役者の方がいい」 という指摘の通りである。

元禄の荒事を創始した初代団十郎は 「菰(こも)の十蔵」 と呼ばれた甲州の侠客の息子で、自身もどんな恨みを買ったものか、生島半六という役者に舞台上で刺し殺された。まあ、そうした DNA は直接の血筋は違っても今の海老蔵にまで続いているのかもしれないが、元禄といえば、歌舞伎が今の形に定着する前の話である。

これは前にも書いたことなのだが、ここで改めて書く。「非常識」 あるいは 「一種の狂気」 というようなものは、普段は奥に秘めつつ、時々ちらちら見せる程度にしておいて、舞台の上でこそ、ぞくぞくするようなパフォーマンスにまで昇華した形で見せてもらいたいものだ。

それのできるのが、本当の役者である。とくに成田屋の家の代表する江戸歌舞伎では、そうしたものが強く求められる。低次元の非常識を、夜中に怪しげな酒場で安売りしまくるのというのは、団十郎を継ぐべき役者としてはチンケすぎるのである。

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コメント

コメントするのは初めてですが
以前からブログを拝読しております。
わたしのtweetにご教示をいただきありがとうございました。
RTの引用元がこちらの記事なので
こちらにコメントさせて頂きます。

さてtweetの通り、わたし自身歌舞伎のエッセンスは
ほとんど落語からしか触れていないのですが(いや、その落語も半可なわけですが)、
「中村仲蔵」や「淀五郎」のエピソードなど聞く限り
takさんの仰る通り彼らは人格者として描かれているようで。

江戸後期〜明治期の大衆芸能である落語の表現であるだけに
少なくとも既に明治期においては、
一般大衆が期待する歌舞伎役者のペルソナは
傾奇者というより人格者であったのかなぁ、と感じます。

また戦国時代〜江戸初期の傾奇者に関しては、
個人的には女物のつっかけ履いてイキがっているあんちゃん、
くらいなテイストが実像じゃないかと勘繰ってもいるので、
なので変な形での先祖返りは勘弁願いたいところですね。

しかし海老蔵事件については、
擁護する方はもちろんですが、
ザマミロ的な感情が見え隠れするメディアスクラムにも
なんだかなぁ、でした。

とりとめもなく失礼いたしました。
落語「中村仲蔵」の成立が明治期以降とのご指摘
ありがとうございました。

投稿: S太郎 | 2010/12/21 12:17

S太郎 さん:

>少なくとも既に明治期においては、
>一般大衆が期待する歌舞伎役者のペルソナは
>傾奇者というより人格者であったのかなぁ、と感じます。

実際のところは、「中には人格者もいた」というぐらいでしょうかね。

幕末の中村芝翫(何代目だか忘れました)は、無学で無邪気な人で、「帝(みかど)を島に流し奉る」というセリフを「いかだを島に流し奉る」と言ってたぐらいだったそうですから、推して知るべしです。

ただ、仲蔵は苦労人だけに、本当に魅力的な人物であったようです。

>しかし海老蔵事件については、
>擁護する方はもちろんですが、
>ザマミロ的な感情が見え隠れするメディアスクラムにも
>なんだかなぁ、でした。

ずいぶん嫌われ者だったみたいで、「ザマミロ」感が露骨に出たみたいですね ^^;)

投稿: tak | 2010/12/21 18:12

参考になりました^^
初めて知る事が多くて、勉強になりました。

投稿: iphone小僧 | 2010/12/22 09:52

iphone小僧 さん:

コメント、ありがとうございます。

投稿: tak | 2010/12/22 10:27

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