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2010/12/29

訃報とセンティメンタリズム

年賀状の印刷を 27日に終え、28日に投函したのだが、改めて子細にみてみると、今年は喪中が多くて、印刷枚数がいつもの年よりずいぶん少なくて済んだことに気付いた。届いた喪中欠礼葉書を重ねてみると、1センチ近くになるほど大量だ。

私と同年代の友人たちの親たちが 80代半ばになり、続々とあの世に行ってしまうタイミングになっている。とくに今年の夏は途方もない暑さが続いたから、年寄りの身には応えたのだろう。9月とか 10月とかに亡くなったという知らせが多い。

さらに、親戚の中の長老格もかなり亡くなった。80代後半から 90代という人は、4月とか 5月に亡くなっているケースが多い。昨年の冬はずいぶん寒さがだらだらと長引いたから、その寒さを越えてようやく暖かくなった頃に、ふと緊張が途切れて召されて行ったのだろう。

さらに、親の世代ではなく、同年代の友人が死んでしまうということもあった。私の同級生はまだ還暦前だが、それでもぽつりぽつりと訃報が入ってくる。朝にいつも通りに会社に出かけ、通勤電車の中で倒れてそのまま亡くなってしまった者もいるし、登山で沢に滑落して命を落とした者もいる。

私の葉書作成ソフト 「筆まめ」 の住所録には、既に死んでしまった人が何人も登録されたままになっている。死んだとわかっても、削除するのが忍びないのだ。一度削除してしまったら本当にお別れのような気がする。せめて住所録の中で、もう少しだけ生きていてもらいたいという気がする。

私の住所録から削除されるのは、大抵亡くなってから 5~6年経ってからである。なんとセンティメンタルなことであるかと、我ながら呆れるのだが。

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コメント

故人のアドレスを消去することに躊躇する気持ちは、とても理解できます。

私は何年後に消すかはわからない、たぶんずっと残すような気がします。

亡くなった方への最大の供養は思い出すことだと教わったからです。

投稿: jerjey | 2010/12/30 00:22

jerjey さん:

>私は何年後に消すかはわからない、たぶんずっと残すような気がします。

>亡くなった方への最大の供養は思い出すことだと教わったからです。

私以上のセンティメンタリスト、発見 ^^;)

でも、思い出すことが最大の供養というのは、言えてると思います。

死んでも思い出してもらえるうちは、死んでないんですね。

投稿: tak | 2010/12/30 15:01

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