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2011年3月に作成された投稿

2011/03/31

"Haiku" という文芸ジャンルの広がり

昨日の 「原発事故に思う その2」 という記事は、かなり七面倒くさい理屈っぽいものになってしまった。本当なら、昨日はもうちょっと柔らかく情緒的な文芸記事を書こうと思っていたのである。それで今日こそ、その文芸記事を書こうと思う。

まあ、中身の多くは私が毎日更新しているもう一つのブログ、「和歌ログ」 で既に書いてしまったことなので、昨日はそれほど焦って書く必要がなかったのだが、こっちの "Today's Crack" は、「和歌ログ」 の 100~200倍ぐらいのアクセスがある。やはりこっちでも書いておかないと、まともに紹介したような気がしないので、繰り返しになるが書いてしまおう。

「和歌ログ」 というのはリンクを辿って行ってみてもらえばすぐにわかるが、呑気な文芸サイトである。基本的に毎日三十一文字を詠み、それに見合った写真を添え、さらに最近は自分で詠んだ歌を英訳して添えている。英訳したものはスラッシュで区切って 3行仕立てとし、敢えて "haiku" (英語の俳句) というジャンルにしている。

私の感覚では、三十一文字を英訳してしまうと、"haiku" というジャンルに位置づけるのがちょうどいい気がするのだ。英語の "tanka" は 5行になるらしいが、それだと長すぎる。やはり 3行ぐらいがふさわしい。

最近、「写真俳句」 というのが流行っているが、私のは 「写真和歌」 と "photo-haiku" の合わせ技である。そして、"#haiku" というハッシュタグを付けて Twitter で紹介している。

一昨日のは "At the backyard of Tokyo / In unusual dimness / Cherry blossoms began to bloom" という haiku だった。元の歌は 「いつになくほの暗き街の裏庭で桜は既に咲きたりといふ」 という歌である。

これを Twitter に紹介したところ、時々私の haiku を Retweet して紹介してくれている SandyInBerlin さんが返句をくださった。

new cherry blossoms / need nothing more than a nudge / of encouragement (参照

Grace under pressure / Stoic despite such despair / a tear a smile (参照

という心のこもった haiku である。私はこれを詠んで、とても感動してしまったのだ。遠くベルリンの地から、日本の状況を気にかけてくれている人がいる。そして日本の被災者に、ある種の 「高貴さ」 を感じてくれている。

そこで私は、自分がいつもこなしている作業、つまり三十一文字を英語の "haiku" にするのと逆のことをしてみたのである。彼女の "haiku" を三十一文字に訳してみたのだ。こんな具合になった。

この年の桜は人の前を向く心のほかに何も求めず

何もかも失ひたれど涙もて微笑む人の高貴なるかな

もちろんこの二首も Twitter に掲げておいた。翻訳を経た retweet として。(参照 1参照 2

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2011/03/30

原発事故に思う その2

一昨日に 「原発事故に思う」 という記事で、自分がずっと昔から基本的には 「反原発」 の立場であることを明らかにして、次のように書いた。

私は原発関係の友人がいるとはいえ、個人的にはずっと昔から 「反原発」 である。今ある他の原発も、できるだけ早く運転を停止してもらいたいと思っている。

ただ、すぐに原発をすべて止めろと言っているわけではない。それをしてしまっては、現実の生活が維持できない。できるだけ早く脱原発の道を用意してもらいたいと思っているのである。

(中略)

コスト効率が悪いと言われる太陽光発電だが、重大事故が起こらないだけ最終的な効率はいいはずだ。太陽光パネルが四国の面積だけあれば、日本中の電力需要はまかなえるという試算もある。

こうしたエコ・エネルギーへの転換をできるだけ急ぎつつ、原発は最終的にはすべて止めるという方向に行ってもらいたいと思う。

私は 「反原発」 ではあるが、「現実的な反原発派」 である。だから上述の主張はごく慎ましいもので、そんなにエキセントリックなものではないと思っている。ところが、「狭い日本のどこに太陽光パネルを敷き詰める土地があるのだ?」 といった反論が寄せられて驚いてしまった。

原子力や火力、水力の発電所に替わる大規模な太陽光発電所を日本のどこかにつくり、そこで広域的な電力をまかなおうという発想は現実的ではない。まともな 太陽光発電推進論者の中でなら、そんな考えの人はおそらく皆無だと思う。

太陽光発電推進の基本的コンセプトは、「日本全国に極々小規模な発電所 (つまり家の屋根に載せたものなど) を分散させ、各家庭や事業所で自家需要電力の一定部分をまかない、少し余れば売電し、足りなければこれまで通り電力会社から電力を買う」 ということにある。私としては、それは言わずもがなのことと考えていた。

最近は屋根や外壁、あるいは窓ガラス自体に太陽光パネルを使える技術が実用化されている。つまり、新築の家は屋根を造った上に太陽光パネルを設置する必要はない。太陽光パネル自体を屋根にできるので、その下は屋根瓦やスレートで葺く必要がなく、コスト削減できる。

「太陽光発電なんかで、実際の電力消費をまかなえるはずがない」 という主張をよく聞く。もちろん、ピーク時や夜間の電力まではまかなえない。しかし既に太陽光パネルを設置した知人たちに聞くと、売電と買電を比較すれば 「単年では黒字」 という証言がかなり多い。「エコキュート」 と併用すれば、黒字額はさらに増えるらしい。まんざら捨てたものではないのである。

エコ・エネルギーへの転換は、電力会社が集中的に電力を生産し、広域的に面倒見るという従来型の発想からの転換を意味する。それは、ごく小型で安全でかつ持続可能な発電所を津々浦々に分散させるという発想への転換である。

もちろん、各家庭・事業所にある太陽光発電設備だけでは、ピーク時や夜間の電力までまかなえないのは前述の通りである。また、電力需要は家庭需要よりも事業所、とくに生産工場などでの需要が多いが、工場での自家発電促進は当面限定的にならざるを得ない。

足りない電力は買わなければならないのだから、電力会社の大規模発電所は、かなり長期的にみても不要とはならないだろう。

しかし、分散的な小規模システムによるエコ・エネルギーへの転換が進めば進むほど、電力会社の負荷が減ることは明らかだ。最終的には、自力でまかないきれない分と、季節的要因や夜間、ピーク時の不足電力を保証できればいいということになる。さらに将来的には、スマートグリッド化でその負担さえも軽減できそうだ。

電力会社の負荷が減るということは、彼らの収入が激減するということである。激減した収入で原発が維持できなくなるなら、そのときこそ、脱原発の仕上げのタイミングである。電力会社側でも、より小規模で安全な、多様化した発電システムへの分散を図ることになるのだろう。

その頃にはオイルピークは既に過ぎているだろうから、多分、石油や石炭などの化石燃料による火力発電は高コストになるはずだ。天然ガスならなんとかなるかもしれないが、先行きは不透明だ。まさに、「多様な発電システムの開発」 が必要になるが、それは容易なことではないというのは、いくら私でも理解できる。

これを既存の電力会社側の視点からみれば、発電の分散化というのは許し難い暴論になる。「電力会社に死ねというのか」 と言いたくもなるだろう。彼らの政治力はかなり強いから、そんなこともあって、原発の安全神話は普及しても、エコ・エネルギーへの転換はなかなか進まない。

私は 「健康のためなら死んでもいい」 という健康オタク (実際にはそんなのはいないだろうが) の喩えをよく使うのだが、これこそまさにその喩えで語られるべき議論ではなかろうか。現在の電力システムを延命させるために日本を殺したいとは、私は決して思わない。

もしかしたら、太陽光発電などのエコ・エネルギー普及の本格化にともない、電力会社から買う電気はものすごく高く付くことになるかもしれない。だが、それならそれでいいではないか。エコ・エネルギーへの転換をますます促進する材料になる。

現実に電気代が高くなってしまうほどの状況になったら、逆に言えば太陽光パネルの値段ががかなり下がっているということだから、手軽に導入しやすいということだ。安くなった太陽光パネルに投資するか、高い電気代を払い続けるかといえば、選択の結果は明らかだろう。多くを自家発電でまかなえば、電力会社に払う料金はそれほど変わらない。

私は 「原発は最終的にはすべて止めるという方向に行ってもらいたい」 と書いた。しかし何度も言うが、「すぐに止めろ」 とは一言も言っていない。すぐに止めてもらいたいのはやまやまだが、それをされては生活ができないことぐらいわかっている。夢物語を言っているわけではない。

しかし、いつまでも原発に頼っていいとは決して思わない。これも何度も繰り返すが、「できるだけ早く脱原発の道を用意してもらいたい」 と考えている。子ども手当なんか出すより、太陽光パネル設置補助を大幅に拡大する方が、ずっと意味があるだろう。

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2011/03/29

経済がシュリンクしたら

今回の地震で、とくに工業生産のエネルギーを供給する発電所の多くが壊滅的なダメージを負い、日本は長期にわたる停滞が余儀なくされている。経済は相当にシュリンクしてしまうだろうといわれているが、どのくらいシュリンクするのか、マスコミに登場する評論家たちは具体的には何も言えていない。

シミュレーションができないのだろう。原発はまだあんな具合だし、きちんとしたデータがフィックスされていない。こんな状態では正確な予測は誰もできない。だから 「相当にシュリンクする」 などと漠然としたことしか言えないのだ。

経済シュリンクはもう、当然のこととして覚悟しなければならない。80年代前半のバブル期に思春期だった層は既に 40歳内外になっているだろうが、あんな時代はもう、一生来ないと思っていい。これからが大変だ。

経済は 60年代後半から 70年代初頭ぐらいのレベルぐらいまで縮小するだろうか。その程度なら、私はむしろ得意である。

あの頃の日本人の多くはやせぎすだった。メタボなんていう言葉すらなかった。私が 18歳の年に東京で一人暮らしを始めて最初に自炊のために買った料理本には、「ナスは栄養的には見るべきものがないが、油に馴染みやすいので 『脂肪を摂取する台車』 としての意味がある」 と書いてあった。

つまり当時は、ナスで脂肪でも取らなければエネルギー不足が心配されるほどに、「飽食」 から遠かったのだ。当時の大学生は皆、いつも腹を空かせていた。「たまには肉食いてえなあ」 と思っていた。弁当を開ければ蓋の裏側についた飯粒から食い始めるのが当然だった。

木造アパートの小さな部屋にはテレビもなかった。プロレス中継のある金曜日の夜は、テレビのある友人の部屋に集まった。さらにケータイはもちろん、黒電話すらないから、実家に電話する用のある時は、公衆電話に入れる小銭の確保が大変だった。

あのレベルのライフスタイルなら、今でも戻れる。そんなに不便には感じないだろうという自信がある。いや、今はインターネットがあるから、あのレベルの経済規模でも、当時よりはずっと便利なことはいうまでもない。

それよりも、夏の電車内で冷房の寒さに震え、冬は逆に眼鏡が曇るほどの暖房に汗だくになるというような不条理がなくなるだけでもありがたい。OL たちは夏のオフィスで、カーディガンと膝掛けで武装する必要がなくなるだろう。

明るすぎる看板で夜空を焦がすこともなくなるし、過剰サービスを当たり前と思って、ちょっとしたことにクレームを付けまくるモンスター・カスタマーも減るだろう。人間同士の思いやりがなければうまく廻らない世の中になれば、いやでも思いやりの大切さがわかる。

経済が停滞すれば、心をフル稼働させればいいのだ。

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2011/03/28

原発事故に思う

あの地震以後、津波と原発事故のトリプルパンチで、まったく気が休まらない。誰と会っても皆、「精神的に疲れている」 という。とくに原発関連では、放射能という目に見えない驚異を相手にするのは、ほとんどの人にとっては初めての経験だから、どんな心持ちでいればいいのかわからない。精神的に疲れるのも仕方がない。

この原発事故関連で、今ある論調は大きく分けて 2つである。一つは 「起こってしまったことは仕方がないから、努めて冷静に受け止め、全力で対処しよう」 というもの。そしてもう一つは 「起こってしまったこと自体がほとんど人災であり、東京電力の欺瞞は許せない」 というものだ。

しかし、よく考えればこの 2つの論調は二律背反ではない。相容れないものではないのだ。「起こってしまったことは仕方がない」 という論調は、災害を最小限に防ぐために、とにかく冷静に対処しようというものである。「仕方がない」 のであって、東電を許そうというものではない。

そして、「これまでの東電の欺瞞は許せない」 という論調も、ただ東電を責めていればいいというわけではなく、やはり災害を最小限に防ぐための方策を求めている。

私はこの事故が最小限の被害で終息することを願いつつ、これらの 2つの論調が最終的に 「こうした事故を二度と繰り返さない」 という方向に向いてくれればいいと思っている。そのためには、これまでの東電の欺瞞をしっかりと糾弾し、福島以外の原発の安全性 (あるいは危険性?) をしっかりと検証することが必要なのはもちろんのことだ。

私は原発関係の友人がいるとはいえ、個人的にはずっと昔から 「反原発」 である。今ある他の原発も、できるだけ早く運転を停止してもらいたいと思っている。

ただ、すぐに原発をすべて止めろと言っているわけではない。それをしてしまっては、現実の生活が維持できない。できるだけ早く脱原発の道を用意してもらいたいと思っているのである。

こんなにも危険な原発がこんなにも増えてしまったのは、ひたすら 「効率がいい」 からである。ほかの発電システムに比べて、見た目のコスト効率がいいのだ。しかし何か起きたらご覧の通り、最悪のコスト効率になってしまう。

コスト効率が悪いと言われる太陽光発電だが、重大事故が起こらないだけ最終的な効率はいいはずだ。太陽光パネルが四国の面積だけあれば、日本中の電力需要はまかなえるという試算もある。

こうしたエコ・エネルギーへの転換をできるだけ急ぎつつ、原発は最終的にはすべて止めるという方向に行ってもらいたいと思う。

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2011/03/27

不謹慎シンドロームで、お花見自粛?

この度の地震に伴い、井の頭公園では 「園内における宴会の自粛のお願い」 という貼り紙が出されたそうだ (参照)。桜の開花直前のこの時期だから、つまりは 「園内で花見のどんちゃん騒ぎは止めろ」 というお達しだろう。ちょっと引用してみる。

今年も桜の開花時期となりましたが、東北地方太平洋沖地震の発生に伴い、当公園内における宴会の実施をご遠慮いただきますようお願いいたします。飲食については、できるだけ園内または近隣の飲食店をご利用いただきますようお願いいたします。

地震のせいで花見の宴会を止めろというのは、自粛の行き過ぎではないかという気がする。これを 「不謹慎シンドローム」 と呼ぶ人も多い。ただ一方では、井の頭公園の夜桜見物宴会は、毎年 「うるさい」 「迷惑」 「翌朝はそこら中、嘔吐物などゴミまみれ」 という批判が多く、今回の自粛は歓迎という声もあるようだが。

それともう一つ注目したいのは、飲食は 「できるだけ園内または近隣の飲食店を利用」 しろと言うくだりである。これ、要するに 「飲食物の持ち込みは遠慮しろ」 ということで、地元商店街と結託しているとしか思われない。まるでポップコーンやコーラは中で買えというシネコンみたいだ。

私としては、公園のお花見で盛り上がろうがどうしようが、それでいちいち 「不謹慎」 だと責める気はない。お花見ぐらいしてもいいだろうと思うのだ。こればかりは、大昔からの伝統なので、止めろというのは忍びないではないか。

もっといえば、テレビの CM を再開した企業に 「不謹慎」 と抗議するとか、ちょっとしたイベントを自粛させるように圧力をかけるとかいうのも 「困ったちゃん」 である。とくに中部以西の東北・東京電力以外の地域まで巻き込んだイベント自粛は、経済の停滞をもたらし、ひいては被災地の復興をも遅れさすというのは、あちこちで指摘されている通りだ。

関東でだって、花見ぐらいに目くじらを立てる必要はないだろう。夜間はライトアップが減るのでつまらないだろうから、お昼にどんどん楽しめばいい。ただでさえ心が暗くなりがちなのだから、花を愛でて少しは息抜きをしよう。そして太陽の光のなかで東北や茨城の酒を呑んで楽しんでくれれば、復興に役立つ。

とはいえ、ゴミぐらいは持ち帰ってもらいたいと思うのである。毎年 3月末から 4月初めの上野公園の朝の惨状をみるがいい。もう、あちこちゴミの山なのである。あのゴミの山をお昼前には片付けて、その晩のお花見に備えるのだから、清掃の人にとっては大変な作業だと思う。

日本人は外国からは規律正しい人たちと思われてしまっているようだから、花見の醜態でそれを裏切りたくはないものなのである。

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2011/03/26

「エダーノ・ニーロゥ」

あれからというもの英語圏では、命令形としての "go to bed" (寝ろ) を、日本語は 「ニーロゥ」 と言うのだと思われてしまったのではないかと心配している。

枝野官房長官の連日の名スポークスマンぶりが話題になる一方で、Twitter では彼の疲労を心配する声が高まり、"#edano_nero" というハッシュタグ付きの tweet が急増したというニュースを、外国メディアまでが伝えている。(ハッシュタグについての説明は こちら

英国の Guardian は "Please, Edano, go to bed" という見出しで、「日本政府の顔である枝野幸男氏の寝不足解消のために、一つの Twitter キャンペーンが立ち上がった」 と紹介している。(参照

また、カナダの National Post は 「Twitter が枝野官房長官を強制的に寝せようとしている」 との見出しで 「彼の疲れを知らぬ仕事ぶりは日本の Twitter ユーザーの間で、少しは彼を寝させようとするまでに話題になっている」 と書いている。(参照

この話題は米国のテレビの CNN ニュースでも取り上げられ、昨日の記事で紹介した Goo ニュースの加藤祐子さんは、次のように紹介している。(参照

CNNでも 「いま日本の Twitter で一番トレンドしてるのは、エダーノ・ニロです」とアナウンサーが紹介したので、観ていた私はつい静かに微笑んでしまいました。

とまあ、外国でも "#edano_nero" は話題になっている。枝野さんは既に、菅さんよりずっと有名な政治家になってしまったようなのだ。

ただ、上記でも 「エダーノ・ニロ」 と紹介されているように、英語圏では "#edano_nero" は 「エダノ・ネロ」 とは発音されない。そもそも "Nero" という単語はローマの皇帝ネロと同じスペルである。あのキリスト教を迫害したネロである。そしてネロは、英語での発音は 「ニーロゥ」 あるいは 「ニァロゥ」 に近い。

というわけで、英語圏の人たちは、"go to bed" を日本語では 「ニーロゥ」 というのだと誤解してしまったと思われるのである。

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2011/03/25

原発情報の解釈の仕方

今回の震災に伴う福島原発の事故で、かなり前から、政府、東京電力は事実を隠蔽しているのではないかという疑惑が生じている。初めは 「大丈夫」 と言っておきながら、徐々に避難範囲を拡大し、ついに福島第一原発 3号機が損傷して放射性物質が漏れだしている可能性に言及した。

私は 21日の 「原発、ヤマは越えたとみていいようだ」 という記事を書いているのだが、その中で、「現場は必死にやっている。それに関してきちんと説明するのは上層部の責任だが、それが必ずしもうまくなされていないというのは、専門家の目から見ても感じられるようだ」 と書いた。

どういうことかというと、私は友人の専門家から聞いた話の感触を次のように書いている。

少なくとも福島原発の現場における詳細情報については多分、隠すも隠さないもないというのが本当のところなんじゃないかという印象だ。そもそも原子炉に近づいて確認することなんか誰もできないんだから、つかんだ数値から推定するしかない。それも刻々と変わるから、相当に錯綜する。

(中略)

つまり、現場はいちいち上に詳しいことを説明して許可を求める以前に、今リアルタイムで求められている作業を命がけで進めることに追われているようなのだ。なるほど、それを聞くと 「隠すも隠さないもない」 という切羽詰まった状況がわかるような気がする。

現場に関しては 「隠すも隠さないもない」 という切羽詰まった状況だと理解する一方で、政府と東電首脳は最初から 「最悪の事態まで想定した情報」 を発信すべきだったという主張も、かなり多くみられる。それをしないのは 「情報隠蔽」 とみられても仕方がないという論理も、もっともだ。

ただ現状としては、現場の詳細情報は不足し (制御室さえやっと電灯が灯ったばかりで、制御システムはまともに再起動していないようだ)、その一方で、周辺情報は多すぎて処理しきれない。そんな中で、情報発信する側も相当に混乱しつつ、確かと思われる情報のみを選択的に提供しているのだと思われる。

そうした中で不用意に 「最悪の事態まで想定した情報」 を発信したら、かなりのパニックが引き起こされるだろう。私は福島原発に関連する情報発信で、今のやり方を支持しているわけではないが、「現時点でこれ以上のレベルを求めても、無理というものだろう」 という気がしている。政府と東電首脳の能力を超えてしまうのだ。

つまり、「意識的に隠蔽している」 というより、情報処理とその発信が、彼らの手に余ってしまっているのだ。これを別の言葉で言えば、「東電首脳の無能」 ということになるだろう。それで、「最悪の状況としてはこのようなシナリオが想定されるが、可能性はとても低いので冷静な対応をしてもらいたい」 といったような、説得力のある発信ができない。

現場はあれだけ必死にやっているのに、上がぼけているのである。

さらに言えば、情報公開は大切だが、原発のような高度に専門的な問題では、一時情報 (ナマ情報) を単純に放り出すだけでは役に立たない。ナマ情報を受け取るだけできちんと解釈できる人はごく稀なのだ。

同じ情報でも、冷静に判断できる人もいれば、わけもわからずパニックになる人もいる。「スーパーやコンビニの棚が空っぽ」 という断片的な単純情報を聞いただけで、我もわれもとヒステリックに買いだめに走る人があれだけいるのだから、単純な情報公開では逆効果も避けられないのは明らかだ。

高度に専門的な領域での情報公開を徹底するからには、収集された一次情報を分析し、さらに客観的に噛み砕いてきちんとした解釈の二次情報に加工する人が必要なのだが、それができる人は、さらに稀だ。

私はその番組 (3月 23日夜に放送されたらしい) を見ていないのだが、Twitter 上で @kidunokansuke さんが、次のように嘆いておられる。

池上彰さんの番組を観る。ゲストの東京工業大学准教授・松本義久氏の話がとてもわかりにくい。池上さんが分かり易く噛み砕いて一段落した話を、再度専門用語満載の説明で言い直している。(参照

なぜ呼ばれているのかを全く理解していない。池上さんに「~という説明で合っていますでしょうか、先生?」と振られた時に『合っています』と一言言えばいいだけなのに。(参照

せっかく池上さんが素人にもわかりやすく、やさしい言葉と喩えで説明してくれているのに、それを専門的な立場からオーソライズするという役割を理解せずに、再びわけのわからない次元に戻してしまっていたらしい。そうした 「専門家」 が、世の中には (とくに理系には) 多い。

さらにまた、噛み砕き方にも人によって楽観論から悲観論までいろいろあって、結局のところ、素人にはよくわからない。Twitter には 「誰を信じるかは宗教のレベル」 という tweet があったが、まさにその通りである。

どうせ宗教レベルなら、私としてはより希望のもてる噛み砕き方を信じたいと思う。もちろん、「それで死んでも本望」 など言って無闇な盲信に走るのは、極力避けるが。

また、日本政府の言うことよりも外国政府の言うことの方を信じるという傾向も一部にはあるが、それも考え物だ。日本発の (日本語の) 情報を、日本よりも外国の方が正確につかんでいるわけがない。

こうした状況では、外国の方がより悲観的に解釈して、自国民の早めの避難を促すというのは、当然ありがちのことだ。「外国人が一斉に帰国したぐらいなのだから、日本人も早く逃げろ」 と言われても、一体どこに逃げたらいいというのだ。

これに関して良記事が見つかったので紹介しておく。「日本の真の色が光るように 外国メディアも混乱しまくった大惨事のその先で」 という記事だ。

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2011/03/24

大連立オファーの大ボケ

菅首相が自民党に 「大連立」 の意向を打診し、自民党は即座に断ったという。そりゃ、断るだろう。

「想定を越えた大災害」 なのだから、野党に平時の常識以上の協力を要請するというのは、あってもいい。しかも言われる前から自民党は、ちゃんとそれを申し出ている。しかしだからといって、「大連立してくれ」 などと言い出すのは、自らの能力不足を天下に公言しているようなものだ。

大連立を言い出すからには、菅首相は退陣して首相ポストを明け渡すぐらいの覚悟がなければならない。そうでもなければ自民党は応じないだろう。「ちょっとボクの手に負えそうにないから、一緒に責任負ってくれないかなあ?」 といった程度ではお話にならない。そんなオファーを喜んで受けるほど、自民党は純朴じゃない。

そんな話を受けたら、いくら何でも割に合わない。これからよっぽどおいしい条件が提示されたら自民党としても受けるかもしれないが、当面はないだろう。

それにしても菅さんは、自民党に頼む以前に、協力をあおぐべき党内野党がいることに気付くべきじゃないか。わかっちゃいるけど、それは自民党を閣内に入れるよりも嫌なことなのか? そしてあの地震以来、小沢さんは一体どこに行ってしまったのだ。党員資格を失っているからと言って、どこかでふて寝してるんだろうか。

枝野さんの名スポークスマンぶりばかりが目立つようでは、民主党は悲しい与党である。

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2011/03/23

こんな中でナイトゲームをやるという馬鹿

彼岸だというのに寒い。つくば周辺の最高気温はようやく 10度になるかならないかという程度で、24日の夜明けは 0度になるという予報が出ている。雨が降って日が射さないので、気温以上に寒く感じる。

この寒さの中で、節電しないと大停電につながるおそれがあるからといって、関東では多くの人たちが暖房のスイッチを切って、あるいは切らないまでも設定温度をずいぶん下げて寒さに耐えている。一人一人の節電効果なんて大したものじゃないだろうが、こればかりは 「塵も積もれば山となる」 という諺を実感する。

私も地震発生以来、エアコンのスイッチを入れたことがない。部屋の中でもダウンジャケットを重ね着している。何もかも失いながら東北の避難所で身を切る寒さに耐えている人たちのことを思うと、エアコンを稼働させる気にならないのは私だけではないだろう。多くの人のこうした心情が大規模停電を遠ざけているのだと、私は思っている。

こうした中でプロ野球セ・リーグのオーナー連中は、開幕を 3月 25日から 29日にちょっとだけ遅らせて、しかも 4月 3日以降はナイトゲームも行う予定だという。開幕を 4月 12日まで延期し、しかも 4月中はナイトゲームを自粛するというパ・リーグとはえらい違いである。

暖房便座を切り、不要な照明を消し、エレベーターに乗らずに階段を昇り、一人一人が小さな節電をして大規模停電を避けようと努力している中で、何千世帯もの電力消費に匹敵する煌々とした照明を点けて、ナイトゲームをするというのである。そんな試合を見に来いと、どのツラ下げていうつもりなのだ。

ナベツネは、東京ドームではデイゲームだろうがナイトゲームだろうが、消費電力は変わらないから、ナイトゲームを行うのだという。だったら、東京ドーム以外の球場を借りてやればいいではないか。

どうしても東京ドームで試合をしてくれなどとは、誰も頼んでいないのである。屋根がふさがりっぱなしのドーム球場を本拠地としてしまったことを身の因果と諦めて、他球場に借り賃を払えばいいのだ。

ナイトゲームが実施されても、選手会はストライキやボイコットなどはしない方針だという。それは仕方のないところだろう。それならば、客の方が観戦ボイコットすればいい。観客がゼロになることはあり得ないだろうし、いざとなれば球団の方でもタダ券を配りまくるだろうが、それでも観客数百人とか数千人とかいう寂しい中で野球をやらせてしまえばいい。

こうしたことで一番効き目があるのは草の根的な不買運動であり、野球でいえば観戦ボイコットである。野球なんか見なくても死なないのだから、とくに巨人戦はボイコットすればいいのだ。私は元々巨人戦なんか見に行く人じゃないから、個人的には明確な影響力を発揮できないけど。

あ、それから読売新聞を読まないことだな。これも私は元々読売新聞なんか読まないから、個人的には明確な響力を発揮できないが。

昨日、高木義明文部科学相はプロ野球セ・リーグに、東京電力と東北電力管内でのナイトゲームを当面自粛するように求めたと伝えられる。「国民の理解を得られない」 という理由だそうだ。

そんな生やさしいことをいうより、「首都を大停電にしたいのか!」 と叱責すればよかったのに。海江田経産相の恫喝発言は困ったものだが、これなら誰も文句は言わない。

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2011/03/22

風評被害をなくすには

福島の牛乳と茨城のホウレンソウから規制値を超える放射性物質が検出されたと発表されたとたん、風評被害が発生しているという。ただちに健康被害が出るような数値ではないと付け加えられているとはいえ、既に売り場からは消えているらしい。

一方、Twitter などでは、「健康被害はないから、福島の牛乳と茨城のホウレンソウを買ってもらいたい」 といいうような書込みがどんどんされている。それに対して、「おう、買ってやるとも、飲んでやるとも、食ってやるとも」 という書込みも多い。しかし、買ってやるにも、飲んでやるにも、食ってやるにも、既に売り場から消えてしまっているところが多い。

こうした情報に一番ヒステリックに反応するのは、消費者よりも流通業界である。消費者はいくらでも買ってやると言っているのに、店が仕入れなければ買うことができない。で、どうして流通業界がそんなに過剰反応を示すかというと、一部の消費者がヒステリックだからだ。

検出されたのは直ちに健康被害が出る数値ではなく、しかも洗いさえすれば数値は 10分の 1に下がるという。しかも、消費者は一生その数値の農作物を食い続けるわけでおない。

さらに、一口に福島県、茨城県といっても広い。一部の産地の出荷が停止されても、この 2県のすべての農作物から放射性物質が検出されたというわけでもない。それでも、福島、茨城産の多くの農作物は風評被害に晒される。

店としてはいくら 「健康に害はありません」 という説明を添えて売っても、一部の消費者が 「そんなことは信じられない」 と言って、「健康に害があるかもしれない食品を売っている」 と非難すれば、店側は苦境に立たされる。どうしても安全策に流れて、仕入れを控える。

こうなったら、「福島産の牛乳と茨城産のホウレンソウを売るな」 というヒステリックな声を上回るような声で、「福島産だろうが茨城産だろうが、どんどん売れ!」 という声を上げるしかない。「どうして売らんのだ。お前んとこは、くだらない風評に左右されて、生産者と消費者の利益を損なうのか?」 と問いつめるしかない。

一消費者に過ぎない存在でも、今は情報を発信することができる。「○○という店は、風評被害に荷担している」 「△△という店は、被災地の農家を殺そうとしている」 という声を上げなければならない。そうでもしないと、馬鹿は死んでも治らない。

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2011/03/21

原発、ヤマは越えたとみていいようだ

ここだけの話だが (とか言って、こうしてブログに書いちゃってるわけだが)、私には原発関係の友人がいる。現役で某原発 (福島原発ではない) のメンテに関わっている、プロ中のプロだ。今日、その男と久しぶりに会って無事を確認して喜び合った後に、「ところでぶっちゃけて聞くけど、福島原発、あれって、大丈夫なの?」 と聞いてみた。

彼は初め、「そんなこと、私の口から言えるわけないでしょ」 と言葉を濁していたが、さらに突っ込んで聞いてみると 「正直言って、一時は本当に危機的状況だったと思うけど、ここまでくれば、絶対とはいえないのは当然にしても、まあ多分、大丈夫と思う」 と言っていた。少なくとも、原子炉が爆発して核物質が飛び散るなんて事態は、あり得ないという。

東電が本当に重要な情報を隠しているのではないかとの疑問については、「放射線がどういうものかという基本的情報、その影響については、確かに説明不足だと思う」 と言っていた。

彼の話を聞くと、少なくとも福島原発の現場における詳細情報については多分、隠すも隠さないもないというのが本当のところなんじゃないかという印象だ。そもそも原子炉に近づいて確認することなんか誰もできないんだから、つかんだ数値から推定するしかない。それも刻々と変わるから、相当に錯綜する。

原発というのは普段は、一つ先に進むにしても何重ものチェックがあって、いくつもの許可を得なければならないものであるらしい。ところが今は、そんな悠長なことを言っている場合じゃないので、実行部隊的にはかなりのことを、現場の判断で進めているはずだという。

つまり、現場はいちいち上に詳しいことを説明して許可を求める以前に、今リアルタイムで求められている作業を命がけで進めることに追われているようなのだ。なるほど、それを聞くと 「隠すも隠さないもない」 という切羽詰まった状況がわかるような気がする。

現場は必死にやっている。それに関してきちんと説明するのは上層部の責任だが、それが必ずしもうまくなされていないというのは、専門家の目から見ても感じられるようだ。その不十分な情報で、枝野官房長官はよくまああれだけうまくやれていると、感心していた。

とりあえず、東電の説明不足が致命的なダメージにつながるというような最悪の状況は、既に脱したとみていいようだ。ヤマは越えたようなのである。ただ、本当の終息までにはこれからも時間はかかる。焼けぼっくいのように、ジュッと音を立てて火が消えればそれでおしまいというようなものではない。

以上、報告終わり。

【6月 20日 追記】

3ヶ月も後になってからの情報を得た上でこの記事を読むと、かなり誤解が生じる可能性がある。なにぶん、これは震災からわずか 10日後の記事なのである。

この記事のタイトルの 「ヤマは越えた」 という 「ヤマ」 は、「最悪の事態」 という意味で、具体的には本文でも触れているように、原子炉自体が爆発して、中の核物質が直接飛び散るような事態を意味している。

この記事を書いた時点では、そのような最悪の事態にもなりかねないという憶測が飛び交っていたので、少なくとも、そうした事態になるような状況は越えたと、報告したのである。それは結果として、間違ってはいなかった。

そして、「実行部隊的にはかなりのことを、現場の判断で進めているはず」 と書いたが、例の海水注入中断を現場判断で回避したということで、まさにそういう状況だったのだと確認できたと思う。

さらにこの記事は 「本当の終息までにはこれからも時間はかかる。焼けぼっくいのように、ジュッと音を立てて火が消えればそれでおしまいというようなものではない」 と結ばれている。

今となっては、「これからも時間はかかる」 というところを、「延々と時間はかかる」 と書いておけばよかったという気がしているが、自分自身が被災地の端くれに暮らしていて、この時点ではかなり精神的に疲れていたこともあり、そこまで露骨に書きたくないという心理が働いていたと思う。

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2011/03/20

地震と 「スーパーフルムーン」

昨夜、外がやけに明るいと思ったら、昨日の月は 「スーパーフルムーン」 という特別の満月だったのだそうだ。19年ぶりに月が地球に最接近したため、通常より 14%大きく、30%も明るい満月として見えたのだそうだ。

それで思い出したのが、6年半前の新潟中越地震である。この年の 10月 23日の 「無視できない数字」 という記事の中で、私は次のように書いている。前日の朝日新聞の記事に基づいたものだ。

このほど、月の引力が地球上での地震発生の引き金になっている可能性が高いということが、米カリフォルニア大と防災科学技術研究所 (茨城県つくば市) の研究で明らかにされた。

月の引力は潮の干満を引き起こすだけでなく、実は地球そのものも微妙に変形させている。 1日 2回、地表面が約  20cm 上下する程度なのだが、これが地震を起こす地殻のひずみに影響し、「地震発生の最後のひと押し」 になるらしいということがわかったというのである。(参照

これだけでもちょっと薄気味悪い話なのだが、驚くべきことにこの記事を書いた、まさにその日の夕方に、あの新潟中越地震が起きてしまったのだ。翌日の 「月の引力と地震」 という記事で、私は次のように書いている。

昨日、月の引力は潮の干満だけでなく、地震を引き起こす 「最後のひと押し」 になっている可能性もあると紹介した (参照) が、その日のうちに、新潟中越地方で大地震が起きてしまった。

月の引力の 「最後のひと押し」 説が気になって、当日の新潟地方の干潮満潮時刻を調べてみたら、2度目の干潮時刻が 17:56で、最初の震度 6強の地震が起きた時刻とぴったり重なった。なるほど、月の引力が今回の地震の最後の 「ひと押し」 をしたもののように見える。

当時、この月の引力と新潟中越地震の関連については、少なくともマスコミ上では何の話題にもならなかった。「最後の一押し」 説を前日の紙面で紹介したばかりの朝日新聞も、そんなことはすっかり忘れて頬かむりしてしまったように、それについては何も書かなかった。

ずいぶん無責任な忘れっぽさだなあと、当時の私は思ったものである。あの記事を書いた記者は、当日の満潮干潮時刻を調べるという発想すらなかったのだろうか? さらに、これに関して、「当局からの圧力で何も書けなかった」 などという、謀略説を唱えるやつもきっと出てくるだろうなと思ったが、知る限りそれもなかった。

今回の地震は、満潮干潮時刻とは関係なかったが、19年ぶりの地上への最接近直前ということは、とても気になる。しかも、今回は昨夜のスーパーフルムーンになるかなり前から、「どこかで地震を引き起こすのではないか」 と噂されていたらしい。

何だか薄気味悪くなってしまうが、もし月が地震を引き起こす 「最後のひと押し」 になったのだとしても、昨夜の満月はひたすらきれいに澄み渡っていた。月を恨む気には全然ならなかったのである。(参照

【3月 21日追記】

Twitter で @dyviz さんから寄せられた情報によると、3月 11日の月は、むしろ地球から離れた位置にあったようで、地震との関係は否定されているということだ。(参照

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2011/03/19

地震 8日目

ちょっとやり残していた細々とした仕事をしているうちに、あっという間に日が暮れた。地震から 8日経ったが、福島原発はまだ一進一退を繰り返している。人間の感覚というのは不思議なもので、今週初めまではとても心配でしょうがなかったが、今となってはもう、運を天に任せている。

今さら逃げろと言われても、逃げるところは遠く山形県の酒田しかないし、酒田は酒田で、福島や宮城からの避難民受け入れで大変だ。それに、酒田に行っても仕事にならないから、結局ここ、つくばに留まるしかない。

きっと何とかしてくれるだろうと、ある意味楽観的に期待している。原発の地で命の危険も顧みず、必死の作業に当たってくれている現場の技術者、消防隊、自衛隊の方々には、本当に感謝するしかない。

原子炉の沈静化に成功して彼らが娑婆に戻ってきたら、英雄として迎えよう。いや、彼らは既に英雄である。東電の上層部がいかにダラ幹でチョンボしまくりだったとしても、現場の彼らは疑いもなく英雄だ。

原発騒ぎが収束しても、半径数キロ以内とかは立ち入り禁止になるだろう。そして農作物や魚介類に風評被害が出るに違いない。そうしたことのないよう、「どこからどこまでは安全」 ということをしっかり広報してもらいたいものだ。

菅さんの出番があるとしたら、ずっと昔のカイワレダイコンの時みたいに、牛乳飲みながらホウレンソウをわしわし食ってみせることぐらいのような気がする。

とかなんとか書いていたら、午後 7時前、また強い余震があった。この辺りは震度 5弱らしい。今日になって余震が間遠になってきたなと思っていたが、まだまだ安心はできないようだ。テレビでみると震源地は茨城県の陸地に入ったところである。心臓に悪いなあ。

しかし、最近では余震がある度に、「余計なエネルギーが放出されて、また一つ、地殻が安定に近づいた。ありがたい」 と思うことにしている。確かにそうなんだろうし、そうでも思わなければ精神衛生に悪い。

今のところはいろいろ仕事がぶっ飛んで自宅でおとなしくしているが、来週、ガソリンが入手しやすくなったら、本格的に仕事再開する。それまでは、なんだかうんざりだなあ。

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2011/03/18

ついに、身内で犠牲者が

心配していたことが現実になった。妻の実家は仙台にあり、その実家の家族は全員無事で、家も壊れていないので、避難もせずに済んでいるのだが、弟嫁の実家があの女川原発のある女川町にある。今回の地震で大津波に見舞われた地域である。

実は、弟嫁の両親と妹夫婦が、津波に飲み込まれてしまったようなのだ。最終的に死亡は確認されていないが、狭い町であれから一週間経って安否が不明なのだから、おそらくだめだろう。生き残ったのは、妹夫婦の息子一人だけだそうだ。

私自身が東北の田舎町生まれで、さらに妻が仙台出身なだけに、親戚や友人の多くが東北の中心である仙台かその近郊で暮らしている。必死に安否確認の連絡を取ったところ、しばらくしてあちこちから無事の知らせが入った。無事とはいえ、家が傾いたり土砂に埋まったりという話がないではないのだが、少しはほっとしていた。

しかし、最終的に残されたのが、妻の弟嫁の実家である。実は女川のことを思うと、こちらからはなかなか話が切り出せなかったし、向こうもなかなか言えなかったようだ。それで情報が最後になってしまったのである。

弟嫁の両親と妹夫婦とは何度も会ったことがあるが、カラカラと明るく気持ちのいい人たちだった。まったく邪心の感じられない人っているが、まさにそう した人たちだった。生き残ったという息子とも 20年近く前、義母の葬儀で会っているが、元気ないい子だった。今は立派な青年になっているだろう。悲しみは深いだろうが、せめて生き残ってよかった。

弟嫁の気持ちを思うと辛い。かける言葉もなく、まだ電話でも話せていない。もう少し落ち着かなければ無理だろう。今はただ、冥福を祈るばかりである。

【4月 11日 追記】

弟嫁の両親と妹夫婦が犠牲になったと書いたが、その後、弟嫁の妹は犠牲になったが、その夫は仕事で別の場所にいて無事だったとわかった。亡くなったのは、弟嫁の両親と妹、そしてその 3人の子どものうち 2人。

当初は 3人の子どもたちのうち長男が生き残ったのかと思っていたが、末の男の子 (高校生) が生き残ったのだとわかった。この子はまだ会ったことがない。会ったことのある上の 2人が死んでしまったわけだ。父親が生き残ったのは、不幸中の幸いだった。

自衛隊の捜索で遺体が見つかり、遺体確認も済んだそうだ。あの辺りでは 「幸せ」 の定義が、「生き残っただけ幸せ」 から 「遺体が見つかっただけ幸せ」 に変わってしまっているそうだ。何とも言いようがない。

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2011/03/17

枝野官房長官の 「説得力」

同じ感慨を持たれる方がとても多いと思うのだけれど、今回の大地震関連の政府公報のあり方で、官房長官が仙谷さんから枝野さんに交代してくれていたことは、日本にとって本当に不幸中の幸いだった。仙谷さんが毎回あの仏頂面で出てきて、永田町言葉そのままにぶつぶつ言っていたら、日本に暴動が起きるところだった。

この件について、広報専門家の立場からとてもよくまとめられているブログ記事を見つけたので、紹介しておく。「the Public Returns - 続・広報の視点」 というブログの 「枝野官房長官から学べる10のこと:危機管理広報の視点から」 という記事だ。

この記事では、危機管理広報の観点からみた枝野官房長官の対応姿勢の素晴らしさが、次のような 10項目にまとめられている。(以下引用)

  1. しっかりとした口調で、ゆっくりと、文節を切りながら説明する。
  2. 原稿を読まずに自分の言葉で話す。
  3. 記者を指名する際、回答する際に目を見て答える。
  4. (放射能漏れしているなどの)可能性を否定せず 「可能性はあるが」 と受け止める。
  5. 専門家の判断が必要な部分については、その旨を述べつつ、自らの見解を示す。
  6. 誤解が起きそうなところを繰り返し、説明する。
  7. 最大の関心事といえる放射能の身体への影響についてきちんと説明する (数値だけではなく、放射線を浴びた時間が健康に影響を与えることの説明など。「毎時」 が省略されている場合がある)。
  8. 質問に対して回避的な答えはせずに、事実ベースでできる範囲の回答をする。
  9. スポークスマンとして常に登場する。
  10. 国民一人ひとりができることを具体的に説明する(節電に協力を、チェーンメールをしない、買いだめをしない等)。

私も元、某外資系団体で広報の仕事をしていたので、とてもよくわかる。よくまとまった指摘だと思う。私自身の名誉のためにもちょっとだけ言っておくけど、日本の企業では、「営業で使い物にならないやつが広報に飛ばされる」 というほど広報は軽んじられる傾向にあるが、欧米での広報はかなり重要な仕事と位置づけられている。

今回のように、リスク・マネジメントの領域を越えたクライシス・マネジメントという事態になってみると、広報の重要性がよくわかるだろう。もし枝野さんが、わかったようなわからないようなお役人言葉か理系言葉そのままに繰り返すだけだったら、日本中大混乱になっていたところだ。

Wikipedia で枝野さんのキャリアを確認してみると、東北大学法学部卒で、「栃木県立宇都宮高等学校時代は校内の弁論大会で 3年連続優勝した」 とある (参照)。この 「非理系」 にして、弁論術に長けた官房長官の存在が、今回の事態にどれだけ貢献しているか、計り知れない。

例えば放射能の身体への影響についてというような、国民の最大の関心事については、純理系、とくに現場の技術者に説明させてもほとんどいいことはない。前にも書いた (「文系/理系」 と 「論理的/感覚的」) ことがあるが、現場の技術者というのは、自分の専門領域については詳しいが、それを人に説明するのがチョー下手な人が多い。

彼らの多くは、数値を語ることで全てを説明できたと思っている。しかし今回の事態でいえば、「400ミリシーベルトの放射能濃度」 なんて言われても、素人にとっては何の意味ももたない。重要なのは、その数値の放射能濃度が、具体的にどのような影響を人体に及ぼすのか、端的に言えば、「大丈夫なのか、そうでないのか」 ということだ。

そうしたことを、広範囲の情報を組み合わせながらきちんと整理して、説得力ある形で語ることのできる枝野さんは、官房長官としてとても有能である。菅首相のモタモタしたかみまくりの会見を聞くにつけ、「お前はいいから、早く官房長官を出せ!」 と言いたくなる人が多いだろう。

そりゃ、枝野さんは理系の人間じゃなく、放射能についての専門知識もないだろうから、現場から伝えられる情報を整理して自分の言葉に置き換えているだけなのだろう。つまり、彼の言うことが本当の本当なのかは、わからない。わからないけれど、今必要なのは、あながちでたらめではなさそうな情報の 「説得力」 なのだ。

この 「説得力」 というのは、専門家向けのという意味ではない。国民の大多数を占める素人向けの説得力である。それがなければ、パニックになる。その意味で秀逸なビデオを発見したので、最後にご紹介しておこう。(もう有名になったから、既にご覧になったかもしれないが)

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2011/03/16

石原都知事の 「天罰」「我欲」 という言いがかり

ご当人は謝罪撤回されたそうだが、石原都知事の 「天罰」 発言に、私は危険な思想を感じている。一度はあれだけ堂々と発言撤回を拒否しながら (下の埋め込みビデオ参照)、間もなくあっさりと妙にステロタイプな言葉で謝罪撤回しているのは、あまりにもヤバかったと気付いて、あわてて選挙対策に走ったとしか思われない。

まずは当然のことだが、地震は天罰なんかじゃない。それは単に自然現象である。地下や海底で蓄積されたエネルギーが一挙に開放されることによる振動だということは、現代人なら誰でも知っている。これは物理的プログラムとして避けられないことで、人間に罰を与えようなどという超越的意志が働いたわけでは決してない。

もしこれが 「天罰」 だと言うなら、「天」 という存在とは、時々自動的に巨大地震を起こし、『罰』 という名目で無差別的に人間に災害を与えるプログラムを含むものということになる。

こうした彼の思想を突き詰めれば、「神の審判」 などといったことを強調する危険な 「カルト」 の主張と共通するとさえ言える。東京都民は、こうしたエキセントリックな思想の持ち主を、10年以上にわたって知事に戴いてきたことになる。

とはいえ、ここであえて私自身が逆方向のエキセントリックに流れすぎないために、少しクールダウンして、石原氏の言わんとするところを最大限に好意的に解釈する試みもしてみよう。

彼の最初の釈明によると、それは 「受け取り方」 の問題なのだという。そうだとすると、地震・津波は単なる自然現象ではあるが、それを敢えて人間の方の 「受け取り方」 として 「天」 からのメッセージと解釈し、そこにしかるべき 「意味」 を加えてみたいということになるだろう。

そして、彼が (セーラームーンが 「月に代わってお仕置き」 するが如く、「天」 に代わって) 作り上げた 「意味」 とは、今回の地震と津波には、現代の日本人が身にまとってしまった 「我欲」 という醜い衣をひっぺがして、きれいさっぱり洗い流してしまうことであるらしい。

とてもとても好意的に解釈すれば、この未曾有の災害によって生じた厄災を、周囲と協力し合い、不便を分かち合って耐え抜くことで、「我欲」 の不毛さに気付く機会にしたいということなのだろう。そうした効果に関しては、私も否定しないし、むしろ期待したいところでさえある。

しかし、いくらそうした効果を期待しても、それが現れるのは 「結果論」 としてである。よりによって、被災地の人々にとっては 「我欲」 どころではないこのタイミングでそれを言うのは、日本最大の自治体の首長として、あまりにも人の苦しみや悲しみを理解しない所行である。

ましてや、 「この津波をうまく利用して」 とか 「天罰」 とかいう言葉を使う必要は、さらさらなかったはずではないか。彼の無慈悲な発言は、「被災者の方々はかわいそうですよ」 などという、とってつけたような一言で埋め合わせられるものではない。

さらに、彼の歪んだ目にはどう映っているのか知らないが、日本人の中には 「我欲」 に凝り固まるどころか。むしろ、それを捨てようとする人たちが大勢いる。それは、私の過去記事を 2つ読んでもらうだけでわかる

羽越線脱線事故・外伝  (平成 17年 4月 14日)

悲しみを堪え忍ぶ強さ  (同年 12月 28日)

石原氏は今度の地震津波を 「うまく利用して」、 「天罰」 との解釈のもとに、彼の政治信念をプロパガンダしようとしたと思われても仕方がない。しかしそのあざとい目論見はあっさり失敗した。要するに 「利用し損なった」 わけだ。彼の政治的臭覚も衰えたものだ。

これではっきりとわかった。石原的思想の時代は、既に終わっているのだ。

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2011/03/15

日本語/英語、そして Twitter/Facebook

昨日の記事で書いたように、近頃外国の俳句 (haiku) 愛好者との交流をきっかけにして、Twitter 上で英語の tweet をすることが何度かあった。そこで思ったのだが、Twitter の規定である 「140文字以内の tweet」 というのは、英語でやるとものすごく短いのだ。「えっ、もう終わり?」 という感じなのである。

私は Twitter を本格的に始めるまで、「140文字以内」 というのを、「英語で 140文字以内なら、日本語なら 70文字以内なんだろうな」 と、勝手に思いこんでいた。日本語は全角文字だから、半角で表示される英語の文字数の半分になるのが当然と思っても、早合点とは言えないだろう。

ところがやり始めてみて、日本語でもきっちり 140文字いけると知って、「へぇ、そりゃあお得すぎじゃないの?」 という感慨をもったことを、今でも思い出す。欧米言語圏と比べて、まさにハンデをもらったようなものではないか。

例えば、今回の地震の話を英語で tweet すると、「義捐金」 ということを言うのに日本語ではたった 3文字だが、英語でそれを言おうとすると、"relief fund" と、スペースを入れて 11文字になってしまう。短く "donation" で済ませても、まだ 8文字使ってしまう。

「多くの人々」 と言えば 5文字なのに、"thousand of people" というと、スペースを含めて 18文字だ。日本語だと、そこに 「が」 とか 「の」 とかいう助詞を付けても、余裕で英語の半分以下の字数で済んでしまう。これがハンデキャップでなくてなんだろうか。漢字の力は偉大である。

全世界的に Facebook ユーザーが圧倒的に多くなっている中で、日本は Twitter が優勢という理由の一つに、この 「140文字のハンデ」 があると思う。英語の 140文字は、「ほんの一言二言」 でしかないが、日本語だとある程度の内容のことが言えてしまうのである。英語の世界では、420文字使える (らしい) Facebook に人が流れるわけだ。

英語を含む欧米言語圏だと多分 420文字使って、ようやく日本語の 140文字よりちょっと多くのことが言えたような気になるんじゃなかろうか。というわけで、欧米言語圏では Twitter ごときは子どもの遊び道具みたいに見られるかもしれないが、日本語圏では、大人の道具として使えてしまう。

実名登録云々よりも、「先に使い始めた Twitter で十分足りちゃうから、わざわざ乗り換える必要を感じない」 というのが、日本で Facebook ユーザーがなかなか増えない理由なのかもしれないと思う。

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2011/03/14

#thanktheworld 日本はちゃんと世界とつながっている

私はこのブログとともに、「和歌ログ」 という酔狂な文芸サイトを持っていて、三十一文字を毎日更新している。そして近頃、この三十一文字を英語に訳して添えるなんて、さらに酔狂なことまで始めている。

この英語に訳した歌は Twitter にも投稿していて、ハッシュタグはあえて "#tanka" ではなく "#haiku" としている。つまり、短歌の形式の歌を詠んでいるのに、それを英訳したのは、自分では "haiku" (俳句は英語でもこういう) と位置づけている。英語にしてしまうと、ちょうど英語の "haiku" というにふさわしい長さになるからだ。

さすがに毎日のように英語の "haiku" を Twitter 上にも紹介していると、いつの間にか外国人の何名かが注目してくれるようになった。中でも Wendy o_O さんは "Haiku Today" という Twitter 新聞を運営していて、その中に時々、私の haiku も取り上げてくださるようになった。

そのWendy o_O さんが、地震と津波で大変な困難に遭っている日本のために祈ってくれている tweet を見て、今 Twitter 上には #prayforjapan というハッシュタグがあることを知り、世界中の人たちが日本のために祈ってくれているのだということがわかった。

さらに、SandyinBerlin さんの Haikus for Hope: to Japan from the World (希望の haiku: 世界から日本へ) というサイトには、世界中から日本を応援する haiku が寄せられている。私の haiku もビデオページで取り上げてもらった (参照)。

大変ありがたいことである。日本は決して孤立していない。世界とつながっている。私は彼ら/彼女らの祈りに感謝するために #thanktheworld (ありがとう、世界!) というハッシュタグを作って tweet するようにしている。できたら皆さんも、このハッシュタグで感謝の意を発信していただきたい。

思えば、最も日本的なことをしていながら、ふと気付くと世界につながっている自分がいることを知って、私は勇気づけられ、不思議な気持ちになっている。沈み込んではいられない。

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2011/03/13

こんな時こそ、笑わなければ

昨日の記事で 「普段はラジオ人間の私だが、今回ばかりは目と耳からの情報を得たくて、テレビを見ている」 と書いたが、またラジオに戻っている。PC で仕事をしながら、radiko でラジオ放送を聞いている。やっぱりラジオの方がいい。心と体にいい。ずっといい。

一昨日は津波の押し寄せるシーンに目を見張った。「さすがにテレビの情報力!」 と思った。ところが、そのシーンを繰り返し繰り返し見せつけられると、精神衛生に悪い。ただでさえ暗くなるのに、あんなテリブルなシーンを繰り返されたら、下手したら PTSD (心的外傷後ストレス障害) になりかねない。

私は前に 「エンパシー (empathy)」 について書いた (参照)。この言葉、辞書的には 「感情移入、人などへの共感」 と出てくる。

「シンパシー (sympathy)」 は、「同情や支援する自分」 という主体があるが、"empathy" は、自分という主体をベースにするというより、「相手の身になる」 ということだと、私は解釈している。相手の視点でものを見つつ、相手の立場に立って行動を起こすというニュアンスが大きいと思う。

問題は、とても誠実で優しくて、相手の立場に立ってものを考え、行動を起こすタイプの人が、今回の被災地の悲惨な映像を見過ぎると、「彼らのために何もしてあげられない自分」 を無意識に責めてしまい、それだけで罪の意識をため込んでしまいやすいということだ。時にはそれが PTSD につながることもある。

そこまでいかなくても、神戸の震災の後、しばらくしてからテレビでお笑いバラエティを流したところ、視聴者から 「不謹慎だ」 という抗議電話が相次いだという。私自身は、普段はテレビのお笑いバラエティにはくだらなさを感じてしまって、あまり見ないのだが、人々が落ち込んでしまって笑いを忘れてしまった時には、必要なことだと思う。

こんな時には、人々は 「モノ」 の部分でちょっとずつ我慢して譲り合いつつ、時々は明るく笑わなければならないのだと思う。笑っている人を見ても、「こんな時に楽しそうに笑うのは不謹慎」 なんてことは言わないでもらいたい。本当はこんな時こそ、笑いが必要なのだ。

高天原が真っ暗になった時に、光を取り戻すきっかけとなったのは、天の岩屋戸の前のアメノウズメノミコトの踊りを見た八百万の神の笑いだった。古事記では 「八百萬の神共に咲ひき (やほよろづのかみともにわらひき)」 とある。この時代は 「笑」 ではなく 「咲」 の字を当てていたようだ。この字、なかなかいい雰囲気である。

こんな時こそ、花が咲くような笑いを表情に現したいものだ。

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2011/03/12

とりあえず無事です

とりあえず、地震の報告。無事です。私の家族も、私の実家 (酒田) の父、妻の実家 (仙台市) の家族も、全員無事の確認が取れました。我が家の中は棚の物が落ちてメチャクチャで、ガラスや瀬戸物もずいぶん割れましたが、目に見える損壊は、玄関外のタタキにちょっとヒビがが入った程度です。


今回の地震、あとで正式に命名されるのかもしれないが、とりあえずは 「東北太平洋地震」 という名前で呼ばれているようだ。つくば周辺の震度は、6弱と発表された。12歳で体験した新潟地震は震度 5 (当時は、強弱の付記はなし) だったから、生涯で最大の揺れということになる。

以下、昨日付の和歌ログ記事より引用。

実は今日は昼過ぎまで自宅で仕事をしていて、5時頃に都内に用事があるので、ちょっと早めだが 2時半頃に家を出て、車で取手駅に向かった。そして途中で忘れ物に気付いて引き返し、家に戻って車から降りようとしたら、車が嘘のようにバウンドして降りられない。

一瞬、車がどうにかしてしまったのかと思ったが、すぐに地震と気付いた。ずいぶん長く揺れたように感じ、収まって家の中に飛び込むと、妻と末娘がテーブルの下に身を潜めて青くなっていた。

というわけで、夕方の用事は吹っ飛んで、先方との連絡もまだ取れていないが、月曜日に回す。とりあえず、都内に出なかったので、帰宅難民にもならずに済んだ。もっと言えば、昨日は妻が都内に映画を見に行く予定だったのだが、朝になってその気にならなくなったとやらで中止し、ずっと家にいて難を逃れた。ちょっとした奇蹟。

妻の実家は仙台市宮城野区なので、かなり心配だったが、昨夜の 10時近くになってうまく電話が通じ、家族全員の無事を確認。ただ、停電で暖を取れないので、家族全員集まって震えているらしい。

問題は父が一人暮らししている私の実家で、いくら呼び出しても出ない。多分、停電のせいで呼び出し音が鳴らないのだと思い、余計な心配はしないようにしていたが、それでもやはり心配である。朝になってから再び電話したらようやく出てくれて、無事が確認された。

やはり、停電のせいで電話の呼び出し音がまともにならなかったらしい。昨夜から 「ピン!」 という音が一瞬鳴ることには気付いていたが、まさか回線が通じて安否確認の電話が入っているのだとは思わなかったらしい。そしてようやく今朝になって、「もしかしたら」 と受話器を取ってくれたわけだ。

もしあなたがこの記事を、停電地域でケータイとかスマホとかで読んでおられるのだったら、電話がちょっとでも 「ピン!」 とかいう音を立てたら、それは多分、身内からの安否確認電話がようやく通じたのだから、すかさず応答するように口コミで周囲に伝えて頂きたい。

酒田の揺れは震度 5弱だったそうで、被害はほとんどないが、停電だけが問題のようだ。隣町の鶴岡市は新潟方面から供給される電力なので問題ないが、酒田は仙台方面から電力を供給されているのだそうだ。それで、一部を除いてなかなか停電から復旧していないようなのだ。

普段はラジオ人間の私だが、今回ばかりは目と耳からの情報を得たくて、テレビを見ている。岩手県から茨城県にかけての海岸の惨状は、目を覆うばかりだ。町がまるごと津波にさらわれてしまった陸前高田市などは、これから一体どうなるのだろう。同じ茨城県でも、私のいるつくば周辺と大洗付近では、別の国のようだ。鹿島神宮でも、鳥居が倒れている。

さらにいろいろ情報を聞いていると、福島の原発がヤバイ状態になっているので、すぐには電力供給が元通りになることはないだろう。関東でもしばらくは、節電サバイバルをしなければならないということだ。あちこちで水道管が破裂しているらしく、水道の出も悪いし。

つくば周辺は被害が軽いとはいえ、近所では塀が倒れたり物置が傾いたりという被害も出ているので、午前中はその後始末の手伝いに追われた。この辺りはまだ、近所づきあいというものが残っていて、心強い。

Twitter を覗くと、#prayforjapan (日本のための祈り) というハッシュタグで、世界中からのメッセージが見られる (参照)。世界が日本のために祈ってくれている。日本は孤立していない。ありがとう、世界!

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2011/03/11

政治への嫌気

あれだけ 「出ない」 と言っていた石原さんが急に都知事選に出ることにしたらしい。「多選の弊害」 を口にし、「政治家はぱっと消えるのがいい」 なんて美学を語っていたのは、あれは一体何だったんだ?

若者の多くは石原さんなんて支持していないんだけど、彼らがボンヤリして他の候補者に投票しなければ、「政治大好き」 な人たちの票で、石原さんが四選を果たしてしまいかねない。まあ、今度ばかりは金食い虫の銀行や馬鹿騒ぎしてこけたオリンピック誘致という失点があるの で、楽勝とはいかないだろうが。

それでなくても、首相まで外国人から献金を受けていたとかで、ゴチャゴチャだ。世の中を見渡しても、「政治への嫌気」 は既に万延してしまっている。とくに若い層が選挙に興味を示さない。政治になんか、初めから何も期待していないようなのだ。

しかし、若者は投票しないことで確実に損している。若者受けしそうな候補者もほとんどいないので、ある意味しょうがないところもあるのだが、これはどうやら堂々巡りだ。この悪循環の中で、将来を見据えた前向きのビジョンはまるで示されない。そんなものを示しても、官僚とマスコミに潰されるだけだし。

メジャーな政治家は、若者受けしそうなことを言ってもどうせ票にならないと悟っているから、確実に投票してくれる中年以上の 「政治大好き」 な人向けのアピールしかしない。その内容は、玄人好みのわけのわからないムニャムニャ話か、空虚なポピュリズムかのどちらかで、全然ぱっとしない。

そしてマスコミは、政治家が大きな理念を語ろうとすると、「絵に描いた餅で、実体が伴わない」 と批判し、小さな具体論に言及すると、「小手先ばかりで、ビジョンが感じられない」 と言う。もう何十年も前から、見え透いた決まり文句でしか反応できない人たちで、そのやり口にはもうんざりである。

フツーの人たちがこれで政治に嫌気がささなかったら、どうかしているとしか言いようがない。こんな状態にしてしまったのは、「嫌気」 のさすような動きしかできない政治家と、それを支えてきた 「政治大好き」 な人たち、そして、あまりにも速く政治に嫌気がさしてしまって、投票に背を向けた無関心層、つまり、日本国民のほとんど全員だ。自業自得である。

今後に向けた 「伸びしろ」 があるのは、「嫌気」 に満ち満ちた既成政党以外の集団だけだと思う。しかし彼らがまともに世の中に受け止められるには、既成の 「政治大好き」 な年寄りたちに、あの世にお引き取り頂いてからのことになるだろう。連中が妙にがんばっているうちは、何も変わらない。

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2011/03/10

「ごまかしとゆすりの名人」 を元の英語で言うと

米国務省のメア日本部長が、米国の学生に 「沖縄の人はごまかしとゆすりの名人だ」 と語ったという問題で、遂にクビが吹っ飛んでしまったが、この発言、元は当然英語で語られたわけで、日本語に訳されるときに何か恣意的な要素が働かなかったかという点が、私にはちょっと気になった。

で、インターネットで元の発言を確認しようとしたのだが、これがなかなか難しい。「メア」 という名前の英語の綴りさえわかれば、それをキーワードに簡単に検索できると思ったが、日本のニュースを見る限りでは、彼の名前のスペルがどんなものなのか、なかなか見当が付かない。

適当に "Mare" とかかなと思ったのだが、どうも違うようだ。ようやく探り当てた彼の名前は、Kevin Maher というものだった。なるほど、これはなかなか私ごときの英語使いには、想像が付かないスペルである。

で、この Maher 氏の発言で沖縄県民の怒りを買っている 「ごまかしとゆすりの名人」 と訳された部分は、検索してみたところ、どうやら "masters of manipulation and extortion" と言ったもののようなのだ (参照)。これ、フツーに学校で習う調子の英文和訳だと、「操作と強要の名人」 ということになるだろう。"

「ごまかしとゆすりの名人」 というのは、英和辞書に出てくる中でも最もひどいニュアンスの訳語を、敢えて選んで組み合わせた日本語である。誤訳というわけじゃないが、私の感覚ではちょっと訳しすぎではないかと思う。

私なら、「世論操作と強引な利益誘導の名人」 ぐらいに意訳したいところだ。この辺りが、Maher 氏の言いたかったところに最も近いだろう。「ごまかしとゆすり」 とは、誰が最初に訳したんだか知らないけど、沖縄県民の怒りを最高度に煽ってしまおうという意図を感じる。

「悪意」 とまでは言わないが、それこそ、ある種の "manipulation" (操作) に近いものを感じる。とにかく Maher 氏を 「ひどいヤツ」 にしておきたいという意図だ。そしてひいては Maher 氏の背後にある米国政府を悪者にしたいのだ。米国はその意図を察知したので、早めに Maher 氏のクビを切って、「彼の考えは米国政府の考えではない」 とのポーズを取ったのだろう。

まあ、訳し方で多少のニュアンスの違いはあるが、いずれにしても、Maher 氏が沖縄県民を侮辱したことには違いがない。一部には 「メア氏の言う通りじゃないか」 なんて言う人もいて、確かに知日派でなければ言えない指摘をも含んでいるとは思うが、政治家の発言としては、やはりちょっと問題ありだった。

ちなみに Maher 氏は 「建前と本音」 のことは "tatemae and honne" と言ったようだ。こればかりは、きっちりと正確に英語で言い換えることはできないからね。これ、そのうちに国際語になっちゃうんじゃなかろうか。

それから、野に下った Maher さんはこれからは誰に気兼ねすることもなく、日本文化のエキスパートとして、言いたいことを言える立場になったということだ。もしかしたら、こっちの方が儲かるかもしれない。

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2011/03/09

iPhone は Wifi につながりたくてしょうがない

時々、外出時に iPhone で Twitter の画面を更新しようとしたり、写真を添付ファイルにしてメールを送ったりする時に、やたらと重くてどうしようもなくなることがある。そんな時にふと気付くと、かなり離れたところにある公衆無線 LAN サービスの電波を拾って Wifi 接続になっていて、微弱な電波で難儀してしまっているようなのだ。

屋外で iPhone をいじっていると、街はそこら中、Wifi 電波が飛び交っているということがわかる。iPhone は基本的に、Wifi 電波を感知するとそのネットワークにつながりたくてたまらなくなってしまう子のようなのだ。ところが、近くのビルの中のオフィスが使っている無線 LAN の電波を拾って 「パスワード入力」 なんて表示されても困るのだ。

赤の他人のオフィスがやってる無線 LAN のパスワードなんか、私が知ってるはずがないではないか。それですぐに 「キャンセル」 してしまうのだが、もう、行く先々でいろんな電波を拾っては 「パスワード入力」 を求めてくるので、なかなかうっとうしい。

この問題は、Wifi 設定で 「接続を確認」 を 「オフ」 にしてしまえばいいとわかった。これを 「オン」 にしておくと、新しいネットワークを感知するたびに接続したがって、パスワード入力を求めてくるみたいなのである。

問題はひとつ解決したが、さらにうっとうしいことがある。マックなんか (ハンバーガー屋の方ね) では Yahoo の BB モバイルポイントとかいう公衆無線 LAN サービスをやっていて、これはもう Softbank Mobile とは一つ穴のムジナなので、いちいちパスワードなんか入力しなくても、こちらが知らぬ間にあっさりと入ってしまうのである。

この BB モバイルポイントの電波が強力ならまだいい。問題なのは、隣の隣のそのまた隣りのビルみたいな、離れたところにあるマックのネットワークの弱い電波を拾ってしまい、知らぬ間にそれに入ってしまっていたりする時だ。

「なんだか重すぎるなあ!」 なんて思っていると、大抵そんな弱すぎる Wifi 電波でインターネットに接続してしまっているのである。それに気付き、「設定」 で Wifi をオフにしてしまうと、自動的に 3G 回線に切り替わり、急にサクサク動き出す。

で、その時はそれでいいのだが、帰宅しても Wifi をオフにしっぱなしだと、今度は 「いつもより重いなあ」 なんて思う。自宅の Wifi は電波が強力だからそれを使えばいいのに、いつまでも 3G 回線のままでアクセスするものだから、イライラしてしまうのだ。

Wifi の電波が一定以上の強さでないと接続しないというような設定方法って、ないものなのだろうか。

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2011/03/08

ヴィトンのバッグがクローゼットの奥にしまわれる日

LVMH によるブルガリの買収が決まったというニュースに、日本のマスコミはなんだか異常に反応した。こんなの、日々の暮らしに何の影響も与えないし、それによって得するだの損するだのいう人も、まったくいないわけじゃなかろうが、まあ、フツーの人の回りにはいないだろう。

全然別世界のお話かと思っていると、世の女性たちにはそうでもないようなのだ。そういえば、日本女性の 3人に 1人はルイ・ヴィトンの製品を所有し、あわよくばブルガリの時計だって欲しくないわけじゃない。なるほど、彼女らにとっては、結構 「身近なニュース」 だったのか。この手の話を 「身近」 に感じてしまうのだとしたら、日本てすごい国だなあ。

この買収劇は、最近対等著しい 「新興国」 向けのマーケティングを行うため、競争力を高めるのが狙いだという。「新興国」 ってどこの国だといえば、そりゃもう、中国に決まっている。それとインドとかだろう。ルイ・ヴィトンとブルガリは、中国で大量販売したくてしかたないのだ。きっと。

私は 3年前に 「ヴィトンの価値が変容する日」 という記事を書いた。ルイ・ヴィトンに代表される高級ブランドの価値というのは、「モノそのもの」 としての価値ではなく、それをもつことによる 「満足感」 によるところが大きい。そうでなかったら、単なる塩化ビニール製のバッグに何十万円も払うのは理不尽すぎる。

ルイ・ヴィトンのバッグの値段というのは、消費者が 「未来永劫に、このステイタスを維持してくれるだろうな」 という 「委託金」 をメーカーに預けているようなものだと、私はこの記事の中で書いた。だからこそ、その 「委託金」 を預かったメーカーは、強力なマーケティングと宣伝で 「ステイタス」 という幻想を維持するために、莫大な投資を継続する。

しかし、この委託金の有効期間は永遠ではない。「ルイ・ヴィトンは子どもや孫の代まで残せるステイタスとしての価値をもつ」 といわれるが、果たしてそうだろうか。変わらぬ価値なんて、この世にあるんだろうか。私は上述の記事で次のように書いている。

ヴィトンの最重要市場は、日本から中国に移る。中国から大挙して押し寄せるツアー客が皆、あの特徴的なモノグラムのバッグをぶら下げて、辺り構わぬ大声で会話しながら街を歩き、電車に乗り込んでくるだろう。

そのような日は、もうすぐそこまで来ている。ルイ・ヴィトンの売上げの 4割が日本人向けで占められるようになって、ヨーロッパのセレブたちの感じたと似たような複雑な思いを、今度は日本人の大衆が抱くようになる。

そのとき、日本女性のもつルイ・ヴィトンのバッグは、クローゼットの奥にしまわれたままになってしまうかもしれない。

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2011/03/07

日が昇っても眠くてたまらないのは

近頃、うちのブログのアクセス解析をみると、「春眠暁を覚えず」 というキーワードで検索してのアクセスがやたらと多い。今月に入って 1週間足らずで 700件以上のアクセスだから、1日 100件以上ということになる。

とくに Google で検索してのアクセスが多いので試してみたら、このキーワードでトップに検索されるのが、私の昨年 4月の記事だったのでびっくりした (参照)。

このところ、「春眠暁を覚えず」 という言葉にピッタリの暖かい陽気が続いたというわけじゃないのに、これがキーワードになっているというのは、よほど眠気に襲われている人が多いんじゃないかという気がしてきた。

かくいう私も、近頃は電車で座席に座ってしまうとすぐに爆睡してしまう。あの振動が心地良すぎるのだ。私は大抵、常磐線快速電車の始発から終点 (取手~上野間) の約 40分間乗っていることが多いので、爆睡しても乗り過ごしてしまうことは少ない。ただ、ふと気が付くと終点に付いていて、電車の中はガラガラということはしょっちゅうある。

終点に着いても爆睡から醒めない人がいたら、私なら起こしてあげるけどなあ。本当に世の中、人情がなくなってしまった。

ちなみに、「春眠暁を覚えず」 という言葉の本当の意味は、「春になって世の中が暖まってくると、夜明け前に寒くて目が覚めずに済む」 ということのようだ。「日が昇っても眠くてたまらない」 というのは、現代人特有の悩みなんだろうか。

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2011/03/06

風力発電への疑問

CO2 を出さないエコな発電ということで注目されている風力発電だが、私はとても疑問視している。壊れやすい、バードストライク (鳥が衝突すること)、低周波による健康被害など、問題が多すぎる気がするのだ。

私が 「風力発電って、ダメなんじゃないの?」 と直観的な疑問をもったのは、数年前に遡る。私の故郷、酒田市に帰るとき、庄内町の 「風車村」 という施設の側を通る。ここには風力発電用の風車が何基か立っているのだが、全部揃って回っているのを見たことがない。

同じ 「風車村」 に林立しているのだから、大体同じ風を受けているはずだ。それなのに、順調に回っているものもあれば、のったりとしか回っていないものもあり、はたまた、全然回らないで止まりっぱなしのものもある。回せば回すほど発電できるのだから、意図して止める理由もない。ということは、動かないのは故障してるんだろう。

そう思いながら、東京有明から彼方に見える風車を見ても、まともに揃って回っていることがない。あるものは回り、あるものは止まりっぱなしだ。やっぱり、風力発電というのはまともに稼働させることがものすごく難しいんだろうなあと思うばかりである。

技術的な困難さに加えて、風力発電の周囲では低周波による健康被害が頻発していることが心配だ。バードストライクがよくあるというのも、低周波の影響で鳥の感覚がおかしくなってしまった結果かもしれないと、私は疑っている。

新潟県上越市の風力発電も、使い物にならなくて赤字の垂れ流しと報告され、そうした例は上越市だけではないという (参照)。これほどまでに稼働率が悪くて、健康被害が報告されているシステムを、国が補助金を出してまで作らせているのが、私には理解できない。

そこに感じられるのは、エコのためにいいのかどうかではなく、単に政治的な利害関係だけである。補助金をもらいさえすればいいと思って作っても、まともに稼働しなくては、赤字を生むだけだ。赤字が困るからとて取り壊せば、莫大な解体料がかかり、さらにもらった補助金も返納しなければならないという。

これでは、儲かるのは風力発電システムの業者だけだ。作り逃げして、あわよくば修理代でまた儲かってしまう。

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2011/03/05

iPad 2、買うぞ!

iPad 2 を買う布石として、E-mobile の Pocket Wifi を買ったことを 3月 2日の記事にしたと思ったら、その日のうちに Apple が iPad 2 の発表をした。しかも、今月中に発売されるというのだから、ビックリである。なかなかいいタイミングで買い物したようだ。

驚いたのは休養中のはずのスティーブ・ジョブズが元気な声でプレゼンテーションをしていたことだ。この人、相変わらずプレゼンがうまいなあ。聞く者をついその気にさせてしまう。痩せてはいたけど、まだなんとかなりそうだ。

スティーブ・ジョブズがガン治療のために休養というニュースが流れたとたん、アップルの株価が下落したというが、株を売っちゃう人の気持ち、わかる。やはり、彼はカリスマだ。私だって、あのニュースを聞いた時、iPad 2 じゃなく、ガラパゴスを買おうかと、ほんの一瞬だが思ったぐらいだから。

ところで、iPad 2 の発売が発表されてから、初代 iPad の値段が下がっている。昨日、アキバのヨドバシに寄ったら、8GB の Wifi モデルが、4万円を切って 3万いくらだかで売られていた。思わず衝動買いしようかと思ったが、それでは iPad 2 を待って今まで我慢した甲斐がないので、ようやく思いとどまった。

やはり、初代がいくら安くなっても、カメラが付いて Skype やテレビ会議が気軽にできる新モデルを買う方がいいだろうと思う。ついふらふらっと買っちゃった人は仕方ないけど、やはりもう少し待つことをオススメする。

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2011/03/04

入試問題流出事件のアイロニー

例の入試問題ネット流出事件の犯人が、山形県内の県立高校出身者だったとわかったので、私は 「おいおい、酒田東高校じゃあるまいな」 なんて、自分の出身校のことが心配になってしまった。

そうこうしているうちに、毎日新聞には既にその携帯電話の名義人 (流出させた予備校生の親) が山形県新庄市在住と報道されていたこともあり、どうやら酒田は関係なさそうだとわかった。ネットを調べればすぐにわかるが、新庄市内の県立高校出身者だったようである。

というわけで私は、自分の出身校が関係なかったと知って、少しホッとしてしまったのである。そしてその直後に、そんなことでホッとしてしまう自分のセコさに気付いて、ちょっと自己嫌悪し、反省してしまった。

そのことを Twitter で告白したところ、お二人から 「でも気持ちは分かる」 「いやいや、ごく普通の反応だと思います」 と、慰めの言葉をいただいた。ありがたいことである。少しは気持ちが穏やかになった。

新庄市は小さくて静かな町である。その静かな街に、マスコミが押し寄せて関係者の話を聞きまくっているらしい。ちょっと騒ぎすぎのような気がするが、まあ、何事も初めてのニュースというのは取り扱いが大げさになりがちだ。天災のようなものと思って、やりすごすしかないだろう。

それにしても、山形県内の県立高校は進学校とはいえレベルは知れたもので、私の母校、酒田東高校なんて、10年に 1人ぐらい東大に合格すれば大変な快挙というぐらいのものだ。東大に何十人もの合格者を輩出するような一流校とは、わけがちがうのである。

それより小さな町の高校から、一浪とはいえ京大を受験するなんていうのは、そりゃあもう、学校内では知らぬ者とてないぐらいの、ずいぶん優秀な子だったんだろうと思う。そうでなければ、ずいぶんな身の程知らずということになるが、今回は何校かで合格しているようだから、やっぱり優秀な子だったんだろう。

そんなに優秀な子が、つまらないことをしたものである。気にかかるのは、入試問題漏洩に先立つ 1月 18日に同じ Yahoo 質問箱に、「宮城県仙台市でいい精神科・心療内科を教えてください」 なんていう質問を寄せていることだ。精神的にずいぶん追いつめられていたのだろうか。

何か精神的な悩みがあるのなら、予備校にもカウンセリング機能はあるんじゃないかと思うのだが、所詮予備校ではまともな相談に乗ってくれないのだろうか。それとも初めから、予備校なんかよりネットで相談する方が頼りになると思っていたのだろうか。

ここで感じ取られるのは、ネットへの過剰な依存である。

精神科・心療内科の病院情報ぐらいは、人に聞くのが嫌なら、Yahoo 質問箱を使わなくても、ネット上での情報収集ぐらいはできるだろうに、どうしても不特定多数の中の第三者に質問して頼ってしまいたい性向があるようだ。だから、迅速に答えてもらえるかどうかの確証もない Yahoo 質問箱なんかで聞いてしまうのだ。

身近な人よりも、ネットの向こうの誰だかわからない人の方を信用してしまう。その信頼した相手による和文英訳の解答が、Google 翻訳で自動翻訳したトンデモな文章だった (参照) というのは、何だか象徴的なアイロニーのように思われてしまう。

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2011/03/03

神はゲイを憎むのか?

昼にたまたま BS NHK の国際ニュースを見ていたら、WBC に関連するニュースが流れた。米国の最高裁判決で、WBC の鼻つまみ的過激行動が、free speech (言論の自由) の名の下に、擁護されることになったというのである。

ここで話題になっている WBC というのは、ボクシングの団体ではない。Westboro Baptist Church の略称で、日本語では 「ウェストボロ・バプテスト教会」 と称される。中心人物はフレッド・フェルブスという男で、元は人権派弁護士だったがちょっとしたことからおかしくなって、今では同性愛者に対する過激な抗議行動をとるようになった。

彼はアメリカ合衆国がゲイに対して寛容な国になったことに憤り、別にゲイとは関係のない人 (米国のために戦死した人、災害にあって死んだ人など) の葬式にまで大勢で押しかけて、「神よ、ありがとう!」 と狂信的なデモンストレーションを展開するのである。

WBC の重要な教義は、"God hates gays above all other kinds of sinners" というもので、つまり、「神は罪人の中でもゲイを最も憎む」 というのだ。だから、「悲惨な死は同性愛を認める米国民に対する神の怒りの表れ」 として、葬式に押しかけて大騒ぎするのである。

これはあんまりだというので、多くの州で 「葬式でデモンストレーションしてはいけない」 という法律が作られたが、WBC はこの法律は言論の自由を認めた憲法に違反しているとして訴訟を起こしまくっている。

今回の最高裁判決は、アルバート・スナイダーさんという人が、戦死した息子 (この息子さんは、別にゲイというわけではないようだ) の葬儀に WBC のメンバーたちが押しかけて大騒ぎしたため、多大なる精神的苦痛を味わったとして訴えた裁判の、最終的な判決となるものだ。

この判決で、なんとスナイダーさんの訴えが退けられたため、 「言論の自由」 を盾にした、WBC の無茶苦茶な示威行動が認められたことになる。

どんなに不愉快で恥知らずな主張でも、言論の自由によって保護されるべきだというのは、そりゃ確かにそうかもしれないが、あきらかにモラルに反し、それによって人を悲しませ、具体的に精神的苦痛を与えるとしても認められるというのは、「ちょっと待てよ」 と言いたくもなる。

そして今回の判決は、最初の判例として今後への影響も大きい。それだけに多くの良識ある米国人は、とても恥ずかしい思いをしているらしい。

St. Petersburg Times という新聞も、このニュースを 「湧き起こる言論の自由の名の下に、誰もが好ましく思わない結果が生じた」 という、複雑な心情をうかがわせる書き出しで報じている (参照)。原告のスナイダー氏は、「もはやこの国では、故人を尊厳をもって葬ることができないということがわかった」 と不満を述べているようだ。

この、普通に考えれば 「おかしいんじゃねえの?」 という判決を根底的に支えるのは、米国保守層の感性ではないかと思う。WBC の行動はあまりにも過激で、一般の支持を得ているとは言い難く、KKK などの保守系団体さえも一様に距離をおいているらしい。それでも 「ゲイなんか殺しちまえ!」 という、米国保守層の感覚からは、それほど遠くないのだ。

振り返って、東京都では石原都知事が例の 「アニメ規制条例」 をごり押しして通してしまった。米国では 「言論の自由」 のために過激行動が認められる一方で、東京都では 「表現の自由」 すら認められなかったわけだ。しかしこれらの根底に共通してあるのは、保守的なカタブツ感覚である。

アメリカではリベラルな良識派が、超保守派の 「行き過ぎた自由の行使」 に悩み、東京都ではオタク層の 「表現の自由の行使」 に、保守派がストップをかける。「自由」 を軸としたプロセスは対照的に見えても、要するに、どこに行ってもカタブツは強いのだ。

「自由」 を叫んでも認められないことがある。そしてさらに気を付けなければいけないのは、表面的な自由が認められても、時として 「自由」 というコンセプトの本来の意味とは無関係に機能してしまうことがあるということだ。

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2011/03/02

E-mobile の Pocket Wifi を買った

昨日付の 「和歌ログ」 でも書いたが、E-mobile の Pocket Wifi (S31HW) を購入した。これまでも E-mobile の通信データカードを使って、外出時にもインターネット接続はしてきたのだが、これは @nifty の取り扱いによるもので、かなり前から使っているので、速度も下り 3.6mps と遅い。

このデータカードの @nifty との契約が今月で切れるので、7.2mps で通信できる Pocket Wifi に乗り換えようというわけだ。さらに、iPad 2 が出たらその Wifi モデルを買うつもりなので、その布石でもある。

iPad 2 を買ったら、普段の外出時には PC ではなく iPad にして、車での移動の時だけ、PC を持って出るという具合にできる。だいぶ荷物が軽くなるだろう。

これまで外出時は、E-mobile のデータカードを挿入した PC と iPhone でインターネット接続してきたが、iPad まで 3G  版を買ってしまうと、合計 3本分の接続料を払わなければならない。そこで、E-mobile を Pocket Wifi に集約して、PC でも iPad でも接続できるようにしようというわけだ。

昨夜遅く、PC と iPhone で接続試験をしたところ、ちゃんとつながった。Goo スピードテスト で計測してみると、平均 4.53 mps という数字が出た。これまでの倍ぐらいのスピードである。iPhone でも、Pocket Wifi で接続する方が、多少速くなるようだ。

ただ問題は、クライアント側 (PC、iPhone) で最初に接続する際に入力する 「セキュリティキー」 が、いったいどこに書いてあるのか探すのが、かなり面倒だったことだ。これについては、マニュアルもちょっと不親切だし、戸惑う人がかなり多いだろう。

結論から言うと、S31HW 本体の画面から 「設定」 - 「無線とネットワーク」 - 「テザリングと Pocket Wifi」 - 「Pocket Wifi 設定」 - 「Pocket Wifi のセキュリティ設定」 と、何度もタッチして辿り着く 「パスワード」 というのを入力すればいい。デフォルトはアスタリスク表示だが、その下の 「パスワードを表示」 にチェックを入れると、まともに表示される。

このパスワードは購入する際に、店側 (ヨドバシカメラ) で勝手に初期設定して渡してよこした (その間、1時間ほど時間つぶしが必要) ので、こちらとしては一度も関与していない。それだけに、マニュアルに 「パスワードを入力」 なんて書いてあっても、何のことだかさっぱり分からなかったのである。

店側としてはサービスのつもりで初期設定を済ませて渡すのだろうが、逆に後から、ユーザーに要らぬ戸惑いを感じさせることになる。このあたりは、商品を渡すときにきちんと説明してもらいたいところである。

S31HW は Android を OS としたスマートフォンでもある。ただ、スマートフォンとしてのでき具合は、iPhone と比較すること自体がおこがましいというほどの低レベルだ。これはあくまで 「スマートフォンみたいなおまけ機能のついた Wifi ルータ」  と考えるのが無難だろう。

ちなみに、Pocket Wifi のバッテリーは、Wifi 機能をオンにしたままだと、ほぼ 4時間だそうだ。ただバッテリーは時間が経てば経つほど劣化するから、長時間の接続が必要な時には、充電器とコードも持ち歩く方がいいだろう。

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2011/03/01

アサンジ と 小三治師匠

今日は仕事に追われて、本当に時間がないので、短いヨタ話で失礼する。

ウィキリークス関連で 「アサンジ」 の名前を聞く度に、落語家の名前のように思えてしょうがない。

「古今亭朝ん次」 とか、「柳家あ三治」 とか。

「古今亭朝ん次」 なら、もしかして洒落で 「あり」 かもしれない。「志ん朝」 の 「朝」 の字をもらって、二つ目ぐらいまでならもったいないぐらいの名前だ。ただし 「柳家あ三治」 はさすがにないだろう。ケレンの嫌いな落語協会会長 (小三治) が許さないんじゃないかと思う。

そういえば、小三治師匠について、永六輔さんが前にラジオでおもしろい話をしていた。楽屋で小三治が弟子の前座に足裏を踏ませていたのだそうだ。あのうつぶせに寝ころんで、足の裏 (土踏まず) を踏んでもらうやつである。あれ、やってもらうとツボが刺激されてなかなか気持ちがいい。

その弟子は一所懸命に足裏踏みをしているのだが、小三治師匠、一向に気持ちよさそうな顔をしない。むっつりと難しい表情のままだ。そして 15分も経ってから一言。

「おい、おめぇが気持ちよくなって、どうすんだ」

その弟子はずっと、師匠のかかとを自分の土踏まずで踏んでいたらしい。そいつを 「柳家あ三治」 にしたらよかったのに。

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