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2011年4月に作成された投稿

2011/04/30

「寄付金額を自慢する」 ということ

今日は仕事で福島の三春まで行き、帰り道はカーラジオで TBS の 『考えるラジオ』 という番組を聞きながら、ゆっくりと運転してきた。こんなテーマの番組だった。

"寄付金を自慢することを考える"

「寄付」 について考えます。
まず、あなたは、働いています。先日、自分の職場で、東日本大震災をめぐる義援金の話題になったと考えてください。

その話題の中で、あなたの一人の同僚が、今回、かなりのお金を寄付したことを明らかにして、さらには具体的な金額まで披露しました。あなたも、本当は寄付を行っていたのですが、そのことは敢えて明らかにしませんでした。彼は、それ以降も、職場で今回の寄付について、たびたび自慢しています。

さて、そこで問いかけます。そんな職場の同僚に対して、

あなたは、「自慢はやめた方がいい!」 と言ったほうがいいのでしょうか?
それとも、「自慢くらいいいのでは」 という気持ちでいるべきなのでしょうか?

あなたが考える 「自分の正しい行い」 について、ぜひ理由とともに教えてください。

この番組のホストである鈴木おさむ氏の意見としては、「自慢については、正直気に触ることもあるかもしれないが、それが周囲の人に、もっと寄付しなければいけないと気付かせることもあるのだから、いいんじゃないか」 というのがベースだったように思う。ところが聴取者からは、意外なほど多くの反対意見が寄せられていた。

「寄付するのはいいが、金額まで明かして自慢するのはよくない」 と思っている人が、かなり多いことに、私も驚かされた。ただ、多くの反対意見は "あなたは、「自慢はやめた方がいい!」 と言ったほうがいいのでしょうか?" という設問には直接答えていない。「いかがなものか」 「不愉快」 という感情論にとどまっていた。

印象に残ったのは電話で登場した某聴取者の意見で、彼の主張はかいつまんでいうと次のようなものだった。

孫正義氏のような、だれでも知っている人が金額を明かすのはいいが、自分も含めて無名の人間が寄付金額まで言うのは、どうかと思う。有名人の多額の寄付は売名行為だからいいが、無名の人間の場合は、アンフェアなのではないか。

正直なところ私は当初、この人が何を言いたいのかわからなかった。有名人が自らの寄付金額を明かすのは、 売名行為だからいいが、無名の人間がそれをやったら 「アンフェア」 だというのは、一体どういう意味なのだろう。「アンフェア」 というなら、彼の主張こそ、有名人と無名人の扱いに差を付けているだけアンフェアに感じられる。

そして彼の言う 「アンフェア」 の真意を無理矢理深掘りすると、次のようなことになるのではないかと思い当たった。

有名人がいくら金額を明かそうが、それは庶民の生活実感からかけ離れているので、プレッシャーにはならないが、身近な人間がちょっと大きな金額を吹聴したら、自分の寄付金額の少なさが意識されて、不愉快になる。要するに、「自分がみみっちく感じられるのは嫌だ」 ということで、そう感じさせる行為は 「アンフェア」 だ。

この考えの根底にあるのは、庶民はちょっとした金額を寄付すればいいというのが相場で、それ以上にがんばって必要以上に多額の寄付をして、それを吹聴するのは周囲に余計なプレシャーを与えるからよくないという、妙な 「横並び感覚」 なのではなかろうか。

これとは逆に、「多額の寄付をするのは、それだけで立派なことなのだから、素直に褒めてあげればいい」 という意見も寄せられていたが、多くは 「よくない」 という反応だったらしい。

私は 「ふうん」 というしかない。「100億円ポンと出しちゃう孫さんはすごいね」 とか、「1億円のイチローは大したものだね」 とか、「獲得賞金を全部出す石川遼クンはエライ」 とかいいながら、会社の同僚がちょっと思い切った寄付をして、それを吹聴すると、それは突然 「よくない」 ということになるのである。

「よくない」 という聴取者の中には、「この態度は 『上から目線』 だから、被災者にとっても不愉快なはずだ」 という意見もあった。しかし、上から目線だろうがなんだろうが、寄付はほとんど間接的に配分されるのだから、もらう金には色も味も臭いも付いてない。だから、出したヤツの品性なんてことは気にせずに受け取ればいいだけの話である。

ここまで考えて、「よくない」 と感じる人は、設問にある 「職場で今回の寄付について、たびたび自慢しています」 というのが気に触るのかもしれないと気付いた。要するに、自慢が過ぎたらうっとうしいということである。

それについては私も同感だ。いかにも恩着せがましく、くどくど自慢げに繰り返されたら、そりゃ誰だって 「いい加減にしろ」 と言いたくなるだろう。つまりそれは、寄付とか金額を明かすとかいうことよりも、「言い方の問題」 とか 「人間性の問題」 とかいうことになる。

「多額の金を寄付したのは偉いが、自慢たらしく言ったら、値打ちが下がる」 という範疇の、要するに 「美学の問題」 だ。「別にいいんじゃないか」 と反応した人は 「寄付したのは偉い」 ということをクールに重視したのであり、「いかがなものか」 と反応した人はやや情緒的に、「癪に障る」 と感じたのである。

仏教では 「布施」 (施し) に、「法施」 「財施」 「無畏施」 の 3種類あるという。それぞれ、「道を説く」 「物や財を施す」 「不安を取り除いてあげる」 というような意味である。そしてこの 3種類の中で 「法施」 が最上のものであるのだが、残り 2つも時と場合においてかげがえないほど重要だから、「財施」 である寄付も大変意義深いものである。

そして、これとは別に 「徳」 というコンセプトがある。布施によって、人間の徳が高まるのだが、それはこれ見よがしに吹聴して施すよりも、人に知られずとも粛々と行う 「陰徳」 の方が価値が高いと、一般的には考えられている。

これ見よがしだろうが、ひっそりとだろうが、前述のように受け取る方にとっては寄付は寄付で、別にどうでもいいことである。しかし、与える方にしてみると、あまり吹聴するとそれは人格的な修行にならないということだ。これについては、周囲は放っとくしかないだろう。

それを責めるのはややもすると、「他に与える」 という行為まで否定しかねないことになり、難しい。自慢したがる人は往々にして 「大したもんだねえ」 とヨイショしてもらいたいのだから、周囲が褒めることによって被災者が受け取る金額が増えるなら、プラグマティックな意味で OK である。

あとは、寄付した当人の人格がどうなるかという問題で、それはもうだんだん修行して、いろいろな気付きを得てもらうしかない。

もしランク付するとしたら、次のようになるかもしれない。

  1. できるだけの寄付をして、決して自慢しない。
  2. できるだけの寄付をして、自慢する。
  3. 寄付した人を褒めて、自分も少しだけ寄付する。
  4. 自分は少しだけ寄付して、吹聴する人を批判する (ちょっとセコい)。

「寄付を自慢するヤツを批判するだけで、自分ではなにもしない」 というのが、実は一番セコい。

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2011/04/29

来月初めに品切れでさえなければ、iPad 2 を買うぞ!

iPad 2 の日本国内販売が 28日、突然開始された。先週末、アキバのヨドバシで、アップルの売り場の店員に 「iPad 2 の販売開始は、ぶっちゃけ、いつ頃になるの?」 と聞いたら、「全然見当が付きません。なにしろ、この震災で日本からの部品供給が超タイトになってるので」 と言っていたが、それから 1週間も経たずに売り出されてしまった。

あの店員、本当に知らなかったのか、それともとぼけてたのか、ビミョーなところだが、こう付け加えるのを忘れなかったところは、さすがに商売人だ。「とにかく供給がタイトですぐ売り切れになっちゃうと思いますんで、販売開始が発表されたら、前の晩から並ぶぐらいのつもりでいた方がいいと思いますよ」

そんなことを言われても、こちらはヨドバシカメラの前で夜を明かすほどにはマニアックじゃないので、供給が安定してからゆっくり買おうと思っている。

私は周囲の還暦過ぎの人たちに、iPad を薦めまくっている。インターネットというものはしたいが、パソコンはまだ難しすぎると思っている人や、会社では仕方がないからパソコンを使ってメールなんてやってるけど、家に帰ってまでパソコンに触りたくなんかないという人たちに、iPad は最適のツールだと思うのだ。

かくいう私だって、PC は商売道具だから仕方なく使うけれど、外出先でインターネットに接続しなければいけなくなったときに、バッグからおもむろに PC を取り出して起動させるなんて言うのは、できることならしたくない。iPad で済ませられたら、それにこしたことはない。何しろ、軽いし。

というわけで、もう少し落ち着いたら買うつもりだ。5月 2日に都心に出る用があるので、帰りにアキバのヨドバシに寄ってみて、品切れでなかったら買ってしまおう。買ったらすぐに使用レポートを書こうと思う。

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2011/04/28

今日の教訓

今日は大忙しである。2時間の講演会のテープ起こしを月末までに仕上げるなんていう仕事を請け負ってしまって、ずっとキーボードを叩きっぱなしだ。しかも、録音媒体が今どき、カセットテープというものである。

押入の中から古い CD ラジカセを引っ張り出して再生しようとしたら、カセットテープの部分だけが壊れて動かない。仕方なく近所のショッピングセンターに行って、一番安いラジカセを買った。小型のカセットテープレコーダーもあったが、ラジカセの方がずっと安いので、それにした。何しろ、1,800円である。世の中、どうなってるんだ。

それで、昼からずっとテープを聴きながら、キーボードを叩きっぱなしで、肩がこりこりになってしまった。

そういうわけで、今日の教訓。カセットテープは、ほとんどレガシーメディアであること。モノラルのラジカセは、今どき、ものすごく安いこと。そして、テープ起こしという作業は肩がこりこりになることである。

以上、作業がまだ終わっていないので、これにて失礼。

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2011/04/27

ペットのいない暮らし

昨日、我が家に残った最後の猫が死んで、ついに 27年ぶりにペットが一匹もいない暮らしになってしまった。

思えば、長女が生まれた翌年にこのつくばの地に引っ越してきて、その翌年の昭和 58年に犬を飼い始めた。そしてその翌年に次女が生まれ、その二年後に末娘が生まれた。だから、長女は物心ついた時には犬がいたし、下の娘二人は、生まれた時には既に犬がいた。我が家の三姉妹の子どもの頃は、犬と一緒に育ったようなものである。

この犬はとても性格のいい優しい犬で、しかもいざというときには喧嘩も強かった。今でも 「本当に頼りになるいい子だったねえ」 と語りぐさになるほどである。我が家の娘たちは、犬といえばみんな性格のいい優しい生き物と信じて育ったので、そうでない犬もいると知ったときはショックだったという。

一匹目の白猫が我が家にもらわれてきたのは、平成 4年。さらに平成 9年に長女が黒猫を拾ってきた。こうして我が家は 5年間、犬 1匹に猫 2匹という、3匹のペットと暮らす時期があった。夏のキャンプに行くにも、里帰りするにも、常に犬 1匹、猫 2匹と一緒だった。

犬が死んだのは平成13年。脳梗塞で半身不随になり、一週間ほどおむつを当てて世話をした。その間、「ねえ、僕の体、どうして動かなくなってしまったの?」 と言うように、つぶらな目で見つめられるのが辛かった。一週間ほどして、夜明けに冷たくなっていた。その時、末娘は中学三年生。妻も娘たちも、一日泣き暮らした。

私が自分のサイトを立ち上げたのはその翌年の 平成 14年。犬がいなくなって、猫 2匹との暮らしになってからである。私のブログ、とくに Wakalog には、時々 2匹の猫が登場しているので、長年の読者にはお馴染みになってしまっていた。犬のことを書けなかったのが残念である。

そして昨年暮れに年長の白猫 (参照)、昨日に年少の黒猫が相次いで死んでしまった。ほぼ 4ヶ月の間に 2匹の猫を失ってしまったので、茫然というほどではないが、ちょっときょとんとしてしまっている。ペットの死でうつ病になる老人もいるというが、わからないでもない気がする。私自身はそこまで行かずに済みそうだけど。

実は死んだ祖母が近所でも有名な 「猫ばあさん」 で、私の子どもの頃は、犬 1匹に、猫が何匹だかわからないほどいた。中学になる前に最後の猫が死んで、その頃には祖母が床についたため、犬も猫もいない暮らしが長かったが、つくばの地で犬を飼い始めた時には、子どもの頃の感覚が戻ったような気がした。

私の血の中には、ペットとの暮らしが当たり前という DNA があるみたいで、ペットが一匹もいないというのが、何だか不思議な気がしている。それは我が家の娘たちも同様のようで、とても寂しがっている。そのうち、どこかから猫をもらって来そうな気がする。

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2011/04/26

死にさえしなきゃ安全なのか?

一昨日に "「原発リスクの不条理性」 を巡る冒険" という記事を書いたのだが、なんだか我ながらもってまわったような論理展開にしすぎた感じがする。そこで今日は、ぶっちゃけた言い方でリライトしてみることにしようと思う。

「原発は安全」 あるいは 「原発はそれほど危険なものじゃない」 というテーゼがある。何をもってそのように言えるのかというと、原発に起因する死者数は非常に少ないからだ。火力発電は大気汚染による健康被害をもたらす。さらに、燃料である石炭採掘には炭鉱事故がつきものだ。だから、火力発電は原子力発電より危険だというのである。

そうした主張の代表的存在にみえるのが、池田信夫氏である。彼は次のように tweet している。(参照

安全性 (死者の最小化) という目的から考えると、いま 「脱原発」 すると石炭火力が増えて、確実に死者が増える。経済的コストも増える。何の解決にもならない。

確かに、それを起因とする死者数という視点でみれば、原発は安全である。火力発電より安全であるばかりでなく、自動車より、飛行機より、電車よりずっと安全である。なにしろ、ここ10数年で、2人しか死者が出ていないのだから。

だから、池田氏の主張に真っ向から反対しようとは思わない。私の基本的立場は 「反原発」 なのだけれど、今すぐすべての原発を停止しろと主張したことは一度もない。すべての原発を即時停止することによる社会的混乱のリスクは、原発を使い続けることによるリスクよりもずっと大きいと思うからだ。

私は池田氏の現実的な主張をある程度容認するのだが、「安全性」 をかくも単純に 「死者の最小化」 という言葉に置き換えることには大きな疑問を感じてしまう。「死にさえしなきゃ、安全ってことよ」 ということに還元されてしまうコンセプトは、ちょっと乱暴すぎやしないだろうか。

まあ、池田氏は 「原発は危険」 という方向に振れ過ぎている (?) 現状へのアンチテーゼとして、敢えて極端な主張をされているというようにも見えるので、ここで必要以上に噛みつこうとも思わないのだが。

安全性の基準を 「死者数」 ということにすると、世の中で一番危険なのは 「人生そのもの」 ということになる。死なない者はこの世に一人もいないのだから、生きることほど危険なことはない。何しろ、全員もれなく死ぬのだ。

死者数の少ない原発というシステムを 「危険」 というのがバイアスなら、死者数で単純比較してリスクを論じ、それ以外のファクターを切り捨てて 「反原発は幼稚な論理」 と断ずるのも、やはりバイアスでないはずがない。

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2011/04/25

震災から 1ヶ月半

あの震災から、1ヶ月半が経った。

地震速報の文脈では、同じ茨城県でも 「県北」 と 「県南」 の別があり、例の東日本大震災の本震でも、県北の震度は 6強で、県南は 6弱だった。私の住んでいるつくば周辺は 「県南」 に位置するのだが、東京とか神奈川に住む人にとってはその辺が漠然としているらしく、親しい知人の中にも、私が水戸の近郊に住んでいると思っている人もいたりする。

同じ関東の茨城にしてそうなのだから、東北の位置関係なんかメチャクチャである。仙台と福島のどちらが北かすらあやふやな人もいる。私の生まれた山形県と秋田県の明確な区別なんか、なかなか付けてもらえない。何度訂正してあげても、庄内が秋田県だという思い込みから脱することのできない人もいる。

のっけから話がずれかかったが、本題に戻す。同じ茨城県内でも、県北と県南では今回の地震の被害のレベルがかなり違うということだ。6強と 6弱の違いは、同じ 「6」 でもずいぶん違うようなのである。

水戸以北の人と話すと、今回の地震では本当に強烈な怖さを味わったということが伝わってくる。怖かったといえば、つくば周辺の揺れも相当に怖かったが、水戸以北の揺れの怖さはケタが違ったようだ。

その揺れのほどは、今でも水戸以北に行くと道路がガタガタになっていることからも察することができる。常磐道は高速道路とはいえ、今でも制限速度が 80km/h に制限されている。まあ、この制限速度を律儀に守っている人は、今ではあまりいなくなったが、それでも 110km/h のスピードを出している人は少ない。

それは、路面がかなりダメージを被っていて、スピードを出しすぎると突然 「ガクン!」 とバウンドすることがあるからである。ざっと見たところ、多くの車が 100km/h 以下のスピードで走っている。ガソリン価格が上がっているから、エコ運転しているという事情もあるのだろうが。

震災直後、私の住む地域は停電にも断水にもならずに済んだ。水は一時、かなり出が悪くなったが、ついに止まらずに済んだ。しかし周囲の地域では、1日から 3日間、断水になったところが多い。

ところが、水戸以北の断水は、3日間なんてものではない。水戸市街で 1週間。水戸以北では 12~13日間、水が止まりっぱなしだったところが多い。その間、給水車の列に並び、大変な苦労をしたようだ。

現在は水戸以北でも断水しているところはほとんどないが、例外的に鹿行地区の神栖や潮来で断水が続いているところがある。この辺りは液状化現象による被害が大きく、水道管の復旧が進んでいない。建物もまともに真っ直ぐに建っているのが少ないほどだ。

それでも、年寄りたちは 「終戦直後のひどい状態に比べたら、まだマシ」 と言う。だが、「津波にやられたところは、終戦直後と同じぐらいのひどい状態なのかもしれない」 と心配している。何もかも失い、歯ブラシ 1本から買わなければならない状態なのだから。

今回の地震では、震度 7 を記録した宮城県北部以外は、おしなべて震度 6強という揺れの地域が広がった。つまり、震度としては宮城も茨城北部も、それほどには変わらなかったのだろう。決定的な被害をもたらしたのは、津波だったのだ。

津波に襲われた地域には、本当にひどい状況に追い込まれた人々がいる。激甚被災現場の人たちに具体的な希望を持ってもらえるような基本方針を、政府はそろそろ発表してもいいのではないかと、私はじりじりしている。

私は小学校 6年の 6月に新潟地震に被災し、断水が 1ヶ月以上に及んだため、共働きの両親に代わって水汲みに奔走した。しかし、4か月後の 10月には、テレビで流れる東京オリンピックでお祭り騒ぎをするほどに復旧していたのである。

今回の宮城や福島は、そんなわけにはいかない。

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2011/04/24

「原発リスクの不条理性」 を巡る冒険

「原発は自動車よりずっと安全」 というテーゼがある。自動車事故による死者というのは、実は統計の取り方によってずいぶん違うみたいなのだが、日本国内では事故後 24時間以内の死亡が年間で 4,000人台で、1年以内の死亡となると 1万人ぐらいなのだそうだ。

自動車事故が原因で 1年以内に 1万人ぐらいが死ぬということからみれば、原発は確かに安全である。1999年の東海村臨界事故で、死者は 2人。今回の原発事故では、少なくとも死者は出ていない。死亡数では比較にならないほど、「原発は安全」 だ。

自動車のリスクはあまりにも日常的であるが故に過小に認識され、原発はその逆にあまりにも非日常的であるが故に過大評価されている。「原発のリスクは自動車よりずっと小さい」 と認識するのが、確かに 「論理的で科学的な態度」 である。

しかし問題は、人間の心理というのは決して 「論理的で科学的」 であるばかりではないということなのだ。人間が 「論理的で科学的」 な存在であったら、世の中はこんなにもうっとうしいことばかりであるはずがない。もっとすっきりと割り切れて清々したものになっていただろう。

ところが人間というのは、いかに教育をほどこし、「論理的で科学的」 な啓蒙を行っても、いっかな 「論理的で科学的」 な存在にならないのである。疫病が流行れば加持祈祷するしかなかったという時代から、医学によってある程度は解決されると認識されるまで、1000年以上かかっている。

疫病という、ある程度は 「日常」 に近いものでもそんなに長い時間がかかるのである。「原発事故による放射性物質漏洩」 なんていう非日常的な問題で、「論理的で科学的」 な納得を得るのに、「自動車よりもリスクは小さいんです」 という理屈は全然有効に作用しないどころか、反発すら呼んでしまうというのは、ご覧の通りの事実が証明している。

原発事故が超非日常的なもので、人々がことさら恐れてしまうような状況であることは、ある意味、幸せなことで、「必要以上に恐れる必要はないんですよ」 と説かなければならない現状は、やはり非日常的に不幸な状況と言えるのである。この非日常的に不幸な状況において、日常の論理で人を納得させようとしても、それはなかなか難しい。

人間は不条理な存在なのである。その不条理性をことさらに擁護するつもりはないが、現実に不条理な存在であるとの認識の上に立ってものごとを進めることは必要である。「理屈で納得しないのは、しない方が悪い」 というのは簡単だが、そもそもの話で言えば、「人間は、元々理屈だけでは納得しない存在なのだ」 と認識しない方が悪いのである。

別の言い方で言えば、「理屈で納得しないのはおかしい」 と思う方が、理屈に合わないのである。人間というものの理解の仕方を間違えているのだ。論理的で頭のいい人が常に陥る罠である。十分に論理的で十分に頭のいい人というのは、人類の 10%もいない。

放射能というもののリスクは、そうした 「不条理性」 を含んだものとして認識されなければならない。目に見えず、臭いもせず、触覚にも感じられない、つまり、わけのわからないうちに被曝してしまう (原爆のようにわけがわかるほどの被曝だったら、そりゃ、ほとんど即死だ) ということによる心理的影響は、単なる物理的なリスクを超えている。

それは五感で認識できないが故に、心理的な影響を過度に被ってしまうのである。もっと言えば、精神的な病理性まで呼んでしまうのだ。こうした心理的、精神的なリスクは、ある意味物理的なリスク以上に手に負えない。つまり、原発のリスクは合理的な数値で認識される以上に大きく、不条理なものなのだ。あまりにも非日常的であるが故に。

もし原発事故が日常化して慣れっこになってしまい、「結構な被曝をしても、人間ってなかなか死なないものだね」 と、日常的感覚で理解されるような世の中になったら話は別だが、そんな世の中に住みたいとは、私は決して思わない。

つまり原発問題というのは、「リスクが日常化すれば不条理性は消える/リスクが非日常的なままだと不条理性も消えない」 という、表裏一体というか二律背反というか、微妙なテーゼに還元されてしまいやすい性質の問題なのだ。私としては、不条理性がいつまでも消えなくていいから、リスクが非日常であってもらいたいと願う。

そして今は、その危うい分水嶺なのだ。

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2011/04/23

東北の力を信じてる "prayfortohoku"

私はあまりテレビというものを見ないのだが、ラジオでもやっぱり何度も何度も繰り返される、あの AC のコマーシャル、「日本の力を信じてる」 に、ついに食傷気味になってしまった。あれを聞くと、もはや励まされるよりもうんざりしてしまう自分を見出してしまう。

かくいう私も、今月初めの 9日には "「日本の力を信じてる」-- あんまり言われ過ぎて、イラっとくる人もいるらしいけど、それを超えて、当たり前すぎるほど当たり前になるまでしつこく繰り返しちまえと、ここまで来たら思う" と、Twitter で tweet している (参照)。

しかしその思いは、 2週間と続かなかった。やっぱり、この私までイラッとしてしまうようになってしまったのである。あの CM に登場するタレントやアスリートたちの真剣な気持ちを疑うわけでは決してないが、あまり繰り返されてしまったために、白々しさが先に立つようになったのだ。

私は茨城に住んではいるけれど、今回の震災で大きな被害に遭ったわけじゃない。せいぜい、ガラス器と陶器がかなり割れて、めちゃめちゃに床に落ちた本を戻そうとしたら、書棚が歪んでグラグラになってしまっているのに気付き、さらに、玄関のタタキと土台にちょっとヒビが入ってしまったことにも気付いたという程度である。

というわけで、生活に支障があるというほどではないが、まあ、被災者の端くれではあるのだ。予定していた仕事がいくつかパアになって、当てにしていた収入が吹っ飛んでしまったこともあるし。

この程度の一番軽い被災者がついにイラッとしてしまうぐらいなのだから、周り中が瓦礫の山となってしまった激甚被災地で、避難所暮らしを余儀なくされている人にとっては、「日本の力を信じてる」 の繰り返しが、かなり空虚に響いてしまうのではあるまいか。「だったら、早く何とかしてくれよ!」 ぐらい言いたくなるだろう。

今どき 「震災をきっかけに前向きの CM が増えたのは喜ばしい」 なんて言ってるのは、被災地以外の人という気がしてしまうのである。

それで、21日には、"私だって日本の力を信じてるけど、ACの 「日本の力を信じてる」 が、申し訳ないけどもう食傷気味、というより、癪に障ってきた" なんて tweet をしてしまった。我ながら、堪え性のないことである。

ただ、この tweet には "東北人としては、東北の力を信じる" というフレーズが付け加えられている(参照)。何だか知らないが、それなら本当に信じられる気がする。それで、その直後につい勢い余って "東北の力を信じてる。日本で一番信じられる" なんて、年甲斐もなく青い tweet までしてしまった (参照)。

あれから、Twitter で #prayfortohoku というハッシュタグが少しずつ増えている。ま、ここ茨城県も関東とはいえ、準東北みたいなもんだし。

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2011/04/22

「集団登校」 って、本当は危険なんじゃないか?

集団で登校中の小学生の列に自動車が突っ込んでしまうという事故が連続して起こった。今月 18日の鹿沼市での事故は 小学生 6人が犠牲になり、そのわずか 4日後の 22日の事故では小学生 3人が巻き込まれた。

こうした事故が起きるたびに、日本の多くの小学校で行われている 「集団登校」 というシステムが、実は危険なのではないかと疑ってしまう。9年前に私は 「赤信号は、本当に皆で渡れば恐くないか?」 というコラムで、次のように書いている。

私は朝に車で出勤するのだが、小学生の集団登校の群れにはいつもヒヤヒヤさせられる。学校としては、子供たちの安全のために集団登校を指導しているのだろうが、とんでもない、完全に逆効果である。

多くの子供というものは、集団になると特殊な心理状態になる。妙に 「ハイ」 になるのである。どうしても 「ふざけっこ」 がしたくなる。キャアキャア言いながら、押したり突き飛ばしたり、蹴りを入れたくなったり、とにかく、普通に歩くことができなくなるのである。周りが全然見えなくなる。車ですれ違うものとしては、危なくてしょうがない。ふざけ半分に突き飛ばされた少年が、いつ車道に飛び出してくるかしれないのである。

私が子供の頃は、集団登校なんてものはなかった。気の会う子供、せいぜい 2~3人が誘い合う程度だった。これなら、集団心理に埋没することもなく、周囲に目を配ることができる。危ない時には身をかわすことだってできる。これが 10人以上の集団となったら、身をかわすスペースすらない。

(中略)

こんな危ない集団登校にいつまでもこだわるのは、学校側の責任逃れである。何か事件があった時に、「当校としては常に集団登校を指導していたのですが …… 」 と言い訳するための道具に過ぎない。こんなことが言い訳になり得るのは、「その指導こそが間違いなのだ」 という突っ込みを入れる人がいないからである。

「赤信号みんなで渡れば恐くない」 というのは錯覚である。あれは敢えて一人で渡るからこそ、自己責任で注意を払って、なんとかなるのである。付和雷同で我も我もと追従したら、危なくてしょうがない。

同様に、「集団登校すれば安全」 というのも錯覚だ。一人で通学しろとまでは言わないが、せいぜい 2~3人で歩けば、集団心理の中に埋没してしまうこともなく、いざというときには身をかわすスペースもある。最悪でも、子どもが 5人も 6人も同時に犠牲になってしまうという事態は生じにくい。

何でもかんでも集団主義というのは、一見安全に見えるかも知れないが、実はその中の各自の判断力が育つのを損ない、ひいては自分で考えられない大人を作り出すシステムだと思ってしまうのである。

私は子どもの頃から、集団の真っ只中にいるとかえって不安でしょうがなくなる性分である。どうしても集団のできるだけ端っこか、あるいはちょっと距離を置いたところにいたい。何も考えずに周囲と同じことをしていると、それだけで 「あぁ、これって間違ってる、絶対に間違ってる」 と思ってしまうのである。

などというと、日本の学校では 「集団不適応」 なんて言われかねないから、困ってしまうのだが。

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2011/04/21

「自粛」 を巡る冒険

昨日、ある会合に出席した時、参加者の一人が 「そう言えば、『自粛』 っていう英語はないんですってね」 と言っていた。

いや、決してないわけじゃない。しかし、自然な訳語じゃないんだろう。「自粛」 を和英辞書で引けば "self-restraint" という語が出てくる (参照) が、それをさらに英和辞書で引くと 「自制 、克己」 という訳語しか出てこない (参照)。ちょっとニュアンスが違う。やはり 「自粛」 というコンセプトはグローバルな感覚ではないのだろう。

ニューヨーク・タイムズは先月 27日付の "In Deference to Crisis, a New Obsession Sweeps Japan: Self-Restraint" (危機を重く見るあまり、「自粛」 という新規の強迫観念が日本を吹き抜ける) という記事で、日本の 「自粛」 というメンタリティについて次のように書いている (参照)。

Even in a country whose people are known for walking in lockstep, a national consensus on the proper code of behavior has emerged with startling speed. Consider post-tsunami Japan as the age of voluntary self-restraint, or jishuku, the antipode of the Japan of the “bubble” era that celebrated excess.

【翻訳 (by tak-shonai)】
融通の利かない国民性が知られているとはいえ、行動規範に関する国家的なコンセンサスがすさまじい勢いで出現している。津波以後の日本は、「自粛」 という名の自発的な克己の時代となり、過剰なお祭り騒ぎをした 「バブル」 の時代とは対照的な様相になっている。

おもしろいのは、原文では "voluntary self-restraint, or jishuku," という表現になっていることだ。英語のニュアンスでは、「自粛」 というのは 「自発的な克己」、つまり、「自発的に我慢すること」 ということのように見えるのだろう。

しかし冒頭で 「行動規範に関する国家的なコンセンサス」 と述べられているように、「自発的」 ということも額面通りのものではない。言ってみれば 「雰囲気としての強制」 だ。国民性のジョークで有名なものに、沈没する船で救命ボートが足りないとき、女性と子どもを優先的にボートに乗せようとして、乗務員が各国人に次のように説得するというのがある。

イギリス人には 「紳士のあなたなら当然……」
アメリカ人には 「これであなたはヒーローです!」
ドイツ人には 「これは規則ですので……」
日本人には 「皆さん、そうされていますから」

というほどに、日本人は 「皆さんそうされていますから」 に弱い。「自粛」 というのも、これに似たところがある。ところが、同じ 「自粛」 でも、「皆さんそうされている」 という空気感覚が薄いと、この 「国家的コンセンサス」 の働きが弱くなってしまうようなのだ。

出荷制限の出ている農作物が、市場で流通してしまうという 「事件」 が相次いで伝えられた。一つは千葉県旭市産のサンチュ (参照)、もう一つは 同県多古町産のホウレンソウ (参照) である。

いずれも初めに 「出荷自粛」 の要請が出て、間もなく 「出荷停止」 という措置に変わったことから混乱が生じたもののようである。TBS ニュースによると、多古町のホウレンソウ出荷農家は 「最初は自粛と聞いていた。規制 (出荷停止) に変わったのが分からなかった。ちゃんと連絡して欲しいですね」 と話している。(参照

ここでちょっと疑問に思うのは、「自粛」 ということの意味合いだ。当初、行政は 「出荷自粛」 を指示しているわけだが、元々「出荷を自発的に控えること」 を 「指示する」 というのは、言葉の意味から言ってもナンセンスである。それで農家としては、「指示された自粛」 なんてものに強制力はないと判断したわけだ。かなり乱暴な判断ではあるが。

生産者への市場の信頼を失わないためには、本当に出荷を 「自粛」 する方がずっといいに決まっている。しかし今回の件に関しては、「皆さんそうされてますから」 の 「皆さん」 の数が足りなかったのだろう。

日本人は 「皆さん」 の数が足りないと、「空気感」 が薄まって、まともな判断ができなくなってしまうようなのだ。「なんで俺 (あるいは 「俺たち」) だけ ……」 と思ってしまうのである。

いや、「皆さん」 の数が多すぎても、今度は 「空気感」 が濃くなり過ぎて、やはりまともな判断ができなくなってしまうことに変わりはないのだが。

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2011/04/20

地震という名の日常

関東、しかも茨城県というところに暮らしていて、あの大震災以後、余震がこれほど日常になってしまうと、ライフラインが止まっているわけでもなく、ましてや避難所暮らしをしているわけでもないのだが、神経がちょっとだけまともじゃない状態になってしまっているのを感じる。

18、19日の 2日間、阿波の徳島に出張した。徳島もあの阪神淡路大震災ではかなり揺れたが、余震が 1ヶ月も続くなんてことはなかったという。そしてあれ以来、大きな地震には見舞われていない。

そんな地にたった一晩泊まって、翌日の夕方までいただけなのだが、「地面が揺れない」 というごく当たり前のことが、とても新鮮で非日常的に感じられてしまった。それだけ、私にとっては余震が日常になってしまっているわけだ。

私の住む茨城県南西部というのは普段から地震の巣窟で、直下型の震度 4クラスの地震には慣れっこになっている。「ズーン」 という突き上げの縦揺れが最初に感じられると、「ああ、直下型だから、これ以上強くはならない」 と安心してしまう。逆にカタカタという初期微動が長引くと、次の瞬間にものすごい横揺れが来そうで、思わず身構える。

地震には慣れてしまっているだけに、ことさらにおびえているわけでもないのだが、これだけ続いてしまうと、やはりストレスがたまる。本来は非日常であるはずのことが日常になってしまうというのは、精神衛生によくない。

避難所暮らしをしている人たちは、既に限界を超えるほどのストレスを感じていることだろう。月並みな言い方しかできないのが悲しいが、一日も早い対策を講じてもらいたい。

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2011/04/19

阿波の徳島から、今帰った

一泊二日の阿波の徳島への出張から帰ってきた。夜の 9時頃に取手駅に着いたら、風の冷たさに驚いた。徳島も、今日は天気はよかったが前日に比べて 5度ぐらい気温が下がっていた。その冷たい空気が関東にも入ったものらしい。

それにしても、徳島の地は揺れなかった。泊まったのは眉山という観光名所のかんぽの宿で、風の音は夜通し聞こえたが、まったく揺れなかった。一晩地震を気にすることなく安眠できたのは、何日ぶりだろうか。大地が安定しているというのは、人間の精神衛生にとってかくも重要な要素だったのかと思い当たった。

度重なる余震で、精神的にしんどくなってしまった人は、関西以西に一時避難してみればいいと思った。余震を忘れていられるというだけで、精神的に本当に楽になる。人間らしい気持ちになれる。

昨夜、眉山の上から眺める徳島の夜景はきれいだった。翻って、羽田空港に着陸する際に見えた東京の灯りは、いつもよりずっと質素だった。さらに取手駅に着くと、北関東の地方都市の夜は情けないほど暗い。節電は当然にもしなければならないが、なんとなくうら寂しい気がしてしまう。一度に現実に引き戻された。

今夜もまた、余震で揺さぶられるのかと覚悟したが、今のところ、まだ体に感じるほどの余震にあっていない。少しは地面も安定してきたのだろうか。いやいや、まだまだ油断はできない。

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2011/04/18

「原発は経済問題」 というのは正しいからこそ

池田信夫氏が 「原発は経済問題である」 と述べておられる。この言い方は、反原発派からみるととても気に障るものかもしれない。

私自身の立場も 「反原発」 ではあるが、自分としては 「現実的反原発派」 というポジションに立っていると思っていて、「ただちにすべての原発の運転を停止しろ」 などと言っているわけではない。

原発はゆくゆくはすべて止めなければならないが、現時点でそんなことをしたら、社会が壊れてしまう。原発を運転し続けるリスクと即時運転停止によってもたらされる社会混乱のリスクを比べたら、後者の方がずっと大きいので、ここは仕方がないから、ある程度長い時間をかけて原発依存から脱却していくべきだというのが、私の主張である。

同じように考えている 「反原発派」 は多いと思うが、なかなかここまでぶっちゃけた言い方をしない。それは昔の労働組合運動で 2~3%の賃上げしか期待できないとわかっていながら、最初は強気に 「10%上げろ」 などとふっかけていたのと同じようなメンタリティだと思う。いくら言っても通らないとわかっているから、かえって安心して大声を上げる。

というわけで、私は情緒的に 「反原発」 と言っているわけではないので、池田氏の言う 「原発は経済問題」 という主張をヒステリックに否定しようとは思わない。確かに、「原発は経済問題」 であると思う。それは彼の記事を読んでいただければわかると思う。

単純に 「生命の危険」 というファクターだけを見れば、原発よりも火力発電の方がずっとリスクが大きい。8割以上を火力発電で補う中国の、あの深刻な大気汚染をみれば、それも納得されるだろう。中国の大気汚染の原因のかなりの部分は、火力発電所だといわれている。

さらに、火力発電の燃料の石炭採掘には、常に炭鉱事故というリスクがつきまとう。炭鉱事故で労働者が死ぬ確率は、原発事故で死者が出る確率よりずっと高い。つまり、今回の原発事故でもたらされているようなリスクを、中国は年がら年中抱えているのである。あまり日常的だから、声高に言われないだけだ。

しかしそれを鑑みても、やはり原発はゆくゆくは停止しなければならないと思うのである。私は今月 2日に 「原発事故に思う その3 (サブプライムローンとの相似性)」 という記事を書いた。これはその前の記事に対するきっしーさんからの次のようなコメントに共感したからである。

うまく回転している間は信じられないほど安価なサービスが供給されているように見えて、実は膨大なリスクが社会に拡散されているという意味では、原子力はサブプライムローンのと相似性があります。

そして今まさに、このサブプライムローンと相似したリスクは顕在化してしまったわけだ。まさに、「原発は経済問題」 なのである。もちろん、そればかりではないから、「原発は経済問題として捉えると、かなり論理的に考えることができる」 という方が正しいのだろうが。

今回の原発事故による補償問題まで考えると、「原発は安全で経済的」 などとは言えないことが明らかになった。そして、問題がここで一挙に顕在化したから、それを解決すればチャラになるというわけでもなく、核廃棄物処理の問題はさらに延々と続くのである。

経済的に見ても、原発は割に合わないのである。この割に合わない技術からのできるだけ早い脱却を実現するためにも、代替エネルギーの活用技術を急いで開発しなければならない。

原発擁護派の 「太陽光発電などの代替エネルギーなんて使い物にならない」 という主張は一種のデマゴーグだと、私は言っておきたい。確かに現状ではコスト効率が悪いが、技術が現状のまま停止してしまうはずがない。互いにデマゴーグの応酬をしていては、議論が前に進まない。

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2011/04/17

「なゐふる」 の国 その2 ―― 不思議なガバナビリティ

東日本大震災以後に起きた M5 以上の余震が、今月 6日までに 400回に迫り、わずか 1ヶ月足らずで過去 10年間の年平均 120回の 3年分を軽く超えてしまったという (参照) 。気象庁のデータでは、今月 6日の午後 5時までに 394回だったというのだから、今日までには、とっくに 400回を超えてしまっている。

普通の状態の 40倍以上の頻度で大きな地震が発生しているわけだ。上述の記事のグラフをみればわかるが、とくに震災以後 5日間ぐらいはものすごい頻度で余震が起きていて、感覚的には 「揺れていない時間の方が短い」 と思われるほどの揺れ方だった。普段の 100倍以上の頻度で揺さぶられていたことになる。

知り合いのカメラマンが取材で宮城県に行って、一昨日帰ってきたばかりの時に会ったのだが、「どんな状況だった?」 と聞いても 「それを説明する言葉を、自分はもっていない」 と言うばかりだった。トラウマになりそうな光景の連続の中で、シャッターを切り続けたらしい。

毎日新聞の黒川晋史記者による 「惨状の中、優しさに驚き」 という記事が印象に残った。千葉から応援で宮城に入った黒川記者は初め、「壊滅的な光景にショックを受け、夜は数日間寝付けなかった」 ほどだったが、「惨状の中で驚かされたのは、東北の人々の優しさだ」 と、次のように書いている。

在宅被災者に支援物資が届かず困窮している実態を取材しようと、50代の女性宅を訪ねた。周囲が壊滅する中で、奇跡的に残った家で暮らしている。取材を終え、家を辞す際に、同居する 30代の娘さんが 「どうぞ。これしかありませんけれど」 と、ポリ袋に支援物資のパンや飲料水を詰めて渡そうとしてくる。貴重な食料をもらうわけにはいかないと何度も断ったが、「取材大変だと思うので」 と勧めてくる。どうしても断れず、結局 「大事にいただきます」 と言って受けとった。

悲劇の渦中で、なぜここまで優しくなれるのか。帰りの車で胸が熱くなり、涙が込み上げてきた。

東北出身者の私が 「何もそこまでしなくても」 と思うほど、東北の人間はこうした優しさをもっている。自分より先に相手のことを思ってしまうのだ。

しかし、こうした心情は東北人ばかりではない。先日、断水の続く茨城県北部と潮来市の知り合いの家数軒に地震見舞いに行ったときもそうだった。こちらが持っていったのは水道水を積めたペットボトルの箱 (ミネラルウォーターはまったくと言っていいほど入手できなかった) と果物ぐらいのもので、ほとんど金はかかっていないのに、先方は大変に喜んでくれた。

そして帰り際には必ず奥さんが 「あ、ちょっと待って」 と言って家に飛び込み、ポリ袋に入れたチョコレートやクッキーを持って出てくる。こちらが断っても 「せっかく来てくれたんだから、帰りに車の中で食べて」 と言って譲らない。おかげで、帰る頃には車の中がお菓子だらけになってしまった。どっちが地震見舞いに行ったのだかわからない。

人間は非日常的な災害に遭うと、不思議なほどに優しくなってしまうもののようなのだ。外国では被災した日本人の 「秩序正しさ」 がニュースになり、暴動や混乱が起きないのが不思議と報道された。しかし、日本人はこうした状況では逆に、暴動や混乱を起こせない体質のようなのである。急にお互いを思いやるしかなくなってしまうのだ。

ある意味、これは特段に高尚な心情というわけではなく、我々の 「身内意識」 が無意識のうちに急拡大して、自然に 「日本人、みな家族」 みたいな感覚になってしまうようなのだ。危機になると生じる 「不思議なガバナビリティ」 である。戦後復興の原動力になったのも、この心情だったかもしれない。

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2011/04/16

「なゐふる」 の国

今日の昼前にも、大きな地震があった。震源は茨城県南部というから、私の地元そのものである。そして、気象庁によるとこれは例の大地震の余震ではないらしい。そして、余震ではないが、「東日本大震災によって誘発された地震の可能性」 というのが指摘されている。

「余震ではないが、誘発された地震」 というのは、震源が直接関係しているわけではないが、間接的に影響されて、遠く離れたところだけれども起きてしまった地震ということなんだろうか。よくわからないが、まあ、そんなところなのだろうということで納得しておこう。もちろん、喜んで受け入れているわけじゃないが。

というわけで我々は、今後 「余震ではないが、誘発された地震」 という形で、日本のあちこち、思いがけないところを震源として、結構大きいのが来る可能性があると、気象庁から宣言されたようなものだ。今後しばらくは余震ばかりでなく、そんなのまで覚悟しなければならないとは、やれやれ、やっかいなことである。

思えば、日本列島は太古の昔からこうした地震に付き合ってきたのである。古代には地震のことを 「なゐふる」 と言った。「な (土地、地面の意)」 と 「ゐ (居)」 の合成で 「なゐ (大地)」 という語になり、それが震えるので 「なゐふる」 という語になったのである。公益社団法人日本地震学会の広報紙名が 「なゐふる」 というのもここから来ている。

れっきとした大和言葉なのだが、なんだか "knighful" なんてつづってみたくなるほど、現在の日常からはかけ離れた言葉になっている。

そしていつの頃からか、「なゐ」 単独でも 「地震」 という意味になった。「地震る」 と書いて 「なゐふる」 という動詞にも読ませたので、自然そのようになったのだろう。そして、さらにいつの頃からか、「なゐふる」 に当てていた 「地震」 という漢語をそのまま音読みするのが一般的となり、大和言葉の方は滅多に使われなくなったもののようだ。

まあ、地震のことを何と呼ぶかは別として、日本人はずっとそれとともに生きてきたのである。よくもまあ、そんな危ない列島から逃げ出しもせず暮らしてきたものだと驚くが、そのおかげで豊かな温泉に恵まれ、豊かさと繊細さの両立した類い希なる自然を満喫してもいるのである。

そして、四方を海に囲まれているので、地震が危ないからと言って無闇に遠くまで逃げ出すわけにも行かず、これまた類い希なる無常観と諦観の合わせ技による文化を育みながら、独特の民族性をもつに至っているわけだ。

地震が危なかろうが、税金が高かろうが、首相が頼りなかろうが、この国から脱出しようなんていう日本人はあまりお目にかからない。私も、他の国に数年間暮らしてみるのもいいなと思いながら、外国に永住しようという気にはなれない。何だかんだ言っても、この国は住み心地が悪くないのである。

これって、かなり不思議な感覚なのだが、一体どういうことなんだろう。

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2011/04/15

追憶の Nifty-Serve

Nifty が開設 25周年を迎えているんだそうだ。その記念サイトが立ち上がっている。設立されたのは 1986年 2月 4日ということだが、パソコン通信 (なんて懐かしい響きなんだろう) の NIFTY-Serve が発足したのが、その年の 4月 15日だったのだそうで、それを記念して、当時のパソコン通信の画面を追体験できるページができている (参照)。

あまり懐かしい画面を見てしまったので、今日はちょっと昔話をしてみよう。私が自分の PC を買ったのは、多分 1993年の春だったと思う。OS は Windows 3.1 の時代だ。それまでは、勤務先では MS-DOS ベースのパソコンを使い、個人的にはワープロ専用機 (OASYS) を使っていた。

勤務先で DOS コマンドにうんざりしていたので、個人的にまでそんなものを使う気になれず、ワープロ専用機を使いながら 「マックでも買おうかなあ」 なんて思っていたところに Windows マシンが出た。それで、勤務先との互換を考えてこっちの方に飛びついてしまったのだった。

「あれからもう 18年も経ったのか」 と思う反面、「まだ 20年経っていないのか」 とも思う。この間に PC は体の一部というぐらいに必需品になったかと思うと、今度はあっという間に iPhone の使用頻度が高まって、さらに早く iPad 2 が欲しくてたまらないというところまで来てしまった。時代の変化は早い。

93年に Windows マシンを買って、すぐに NIFTY-Serve に入会した。当時はインターネットがまだまだ一般化しておらず、個人ベースで利用できるネットワーク・サービスといえば、パソコン通信の NIFTY-Serve と NEC の PC-VAN ぐらいしかなかった。私はワープロ専用機の OASYS 時代からの行きがかりで、NIFTY-Serve の方を選んだというわけだ。

NIFTY-Serve がどんなものかは、冒頭に紹介した追体験ページで知ることができるが、実際には、画面上でいちいち手打ちでサービスを選択して入るなんてことはしなかった。当時は今のような常時接続サービスなんていうのはなくて、いちいちダイヤルアップでアクセスポイントにつないでいたので、そんなことをしていたら通信料がかさんでしまう。

私は Nifterm というソフトを使っていた。これはNIFTY-Serve の中を指定したとおりに自動巡回して、新たなメールやフォーラムの書込みをダウンロードしてくれる。普通は 1分以内でダウンロードが終了するので、そこでいったん接続を切り、ゆっくり読んでレスを書いてから、また改めて自動巡回させて、今度は書いたばかりのレスをアップロードする。

ゆったりとネットサーフィン (この言葉も死語に近いなあ) できるようになったのは、Flets ISDN の定額接続というものができてからである。さらに私の 「知のヴァーリトゥード」 という個人サイトがスタートしたのは、つくばのこの辺りまで ADSL が普及して Flets ADSL になった 2002年冬のことだ。

そしてこの頃には、NIFTY-Serve なんてまどろっこしいものを使う気には全然なれず、放りっぱなしにしているうちに、2006年には廃止になってしまった。パソコン通信が廃止になっても、全然困らなかった。もうすっかり時代が変わっていたのである。

だから、今回の追体験ページを見た印象は、ずいぶん昔の懐メロを聞いたような感じだったのである。

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2011/04/14

浅草漫遊

今日は妙な一日で、午前中と、夕方から夜まで、浅草で仕事が入った。つまり、昼から夕方まではポッカリと暇だったのである。それも、浅草で。

それで、浅草のことを書こうと思うのである。浅草で午後に暇ができたとなれば、まずはちょっとひっかけて蕎麦でもと思う。それで、並木の藪で 「にじよじ」 しようかと思ったのだが、なんと店がない。

確かにあの昭和の面影をまともに残した店のあったはずの一画は、シートに覆われて工事中になっている。iPhone でインターネットに接続して調べると、建て替え工事に入っているという。

まあ、あのままの店構えでは、今回の地震に耐えられたかどうか怪しいので、それもよしとしよう。それで急遽予定を変えて、浅草演芸ホールに行った。昼の部のトリは、川柳川柳。この人の落語を、私は初めてナマで聞いた。

音に聞く 「ガーコン」 という演目を、これもまた初めてナマで聞いた。知ってはいたけど改めて笑った。

4時半にはけて、仲見世通りに向かうと、思いがけないほどの間近に東京スカイツリーが見えた。それで、この建物はチョー高い通天閣なのだと得心した。

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まことに妙な一日だった。

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2011/04/13

今まさに 「正常化の偏見」 をフル活用中

人間は自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価してしまう特性があり、これを 「正常化の偏見」 (normalcy bias) という。宝くじで一等賞に当たるよりも交通事故で死ぬ確率の方がずっと高いのだが、人間は宝くじで大もうけする自分の姿を思い浮かべても、交通事故で死ぬ姿をよもや想像したりはしない。これも正常化の偏見のなせる技である。

私はこのことについて、過去に 2度書いている。"自分だけの都合による偏見" と "少し色褪せた 「正常化の偏見」" という記事である。両方とも、正常化の偏見というのはちょっと複雑に機能することがあるというようなことを書いている。しかし私は今、自分が最も単純な形で正常化の偏見をフル活用していると意識している。

それはもちろん、福島第一原発事故の推移についてである。原発事故の評価は最高のレベル 7 にまで引き上げられ、ちまたにはこれでは済まず、さらに危険な状態にまで到達する危険性があるとの見方もあるのだが、私ばかりでなく、多くの日本人は恐れ過ぎもせず、案外淡々と日常を送っている。

この 「落ち着き払った」 日本人の態度は、外国から見るととても不思議に思えるらしい。しかし、これは不思議でも何でもない。我々は今まさに、「正常化の偏見」 をフル活用してストレスから逃れているのだ。「多分、大丈夫」 と思っている。そう思わなければ頭がおかしくなってしまうから。

なにしろ、日本は狭い島国だ。身近に放射能の脅威が存在するからと言って、簡単に逃げ出すわけにいかない。逃げるといっても、一体どこに逃げろというのだ。車でずっと遠出すれば国境を越えられるヨーロッパやアメリカとは、わけが違うのである。

この 「正常化の偏見」 は当事者において最も顕著に表れるから、遠く離れた外国からみると日本人の態度が不思議に思われるのだろう。外国では 「多分大丈夫さ」 とは思いにくい。「日本ではエライことが起きているらしい」 と思うのが当然だ。それはたしかに 「エライこと」 には違いないのだが。

ここで大切なのは、「我々は今、正常化の偏見を利用してストレスから逃れている」 ということを、客観的に意識しておくことだろう。ちゃんと覚悟して、その上で 「多分大丈夫さ」 と思うことにしようではないかということだ。そうでないと、単なる 「ノー天気」 になってしまう。

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2011/04/12

「地震酔い」 復活

あの震災から 1ヶ月経った昨日、茨城県と福島県は改めて揺れまくった。夕方 5時過ぎに福島県浜通を震源とする地震で、、福島県いわき市や茨城県鉾田市は震度 6弱を観測、つくば周辺でも 震度 5弱となった。

いくら記念日でも、そんなに律儀に揺れまくってくれなくてもいいのにと思うが、この地震以後、震度 3から 4ぐらいの余震が、いちいち数えちゃいないけど、20回以上続いたと思う。先月の本震以後も、揺れていない時間の方が短いんじゃないかと思うぐらいに常に揺れていたが、今回もそんな感じだ。

こうなってしまうと、地震で揺れているのか、風で揺れているのか、あるいは自分の心臓の鼓動に合わせて揺れていると感じているだけなのかわからなくなる。感覚が狂ってしまうのだ。これを 「地震酔い」 というらしい。

先月の震災以後、ずっとそんな感じが続いていて、周囲に聞いてもほとんどの人が同じ感覚に戸惑っていた。1ヶ月経ってようやくまともな感覚に戻ったと思っていたのに、またぶり返しである。

地震酔いを治すには 「水を多めに飲んで深呼吸」 するといいらしい。先月、県北の友人と電話で話したときにそれを言ったら、「水飲みたいけど、まだ水道が出ないんだよ」 と言われた。彼らは地震からほぼ 2週間近く、給水車からもらってきた貴重な水で暮らしていたのである。

県南でもつくば市、牛久市、土浦市では 3日間ぐらい水の止まったところが多いのだが、私のところはついに断水せずに済んだ。停電にもならなかったし、被害としては一番軽く済んだ地域である。それでも、ほとんどの人が 「地震酔い」 になった。

昨日の地震では、常磐道のいわき勿来といわき湯本の間で土砂崩れが発生して、下り車線を完全に塞いでしまったらしい。この土砂崩れで埋まってしまった車というのはないらしいが、ちょっとぞっとするお話である。人間だけでなく、地面も地震酔い状態になっていて、ちょっとした揺れでも崩れやすくなっているのかもしれない。

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2011/04/11

都知事選、本当に呆れた

私は 3月 16日の記事で、「石原的思想の時代は、既に終わっているのだ」 と書いた。今でもその考えには変わりがないが、都知事選では開票がほとんど進んでもいないうちから、まさに 「秒殺」 的な速さで石原氏に 「当確」 マークがついてしまった。はっきり言って呆れた。本当に呆れた。

4年前の今頃、私は 「都知事選の総括にならない総括」 と題して次のように書いた。

私は、4月 2日のエントリーで、「東京都民の中には、12年前にあの青島幸男氏に投票するという愚を犯した人たちも、まだまだ大勢生き残っているし」 と危ぶんでおいた、本当に、東京都民の中の、投票率 40数%の中の、ほぼ 50% (要するに、有権者都民の約 2割強) の人たちのメンタリティって、よくわからない。

今回も 「12年前に」 の部分を 「16年前に」 と変え、「投票率 40数%の中の、ほぼ 50%」 の数字を入れ替えて、同じことを繰り返したい気持ちである。

前回も今回も、石原氏は有権者都民の約 2割強の支持を得たわけだが、この人たちのメンタリティは本当によくわからない。石原氏と青島氏では政治姿勢は全然違うが、この 2人に投票した層はかなり共通しているんじゃないかとも思ってしまうのだよ。

今回は石原氏支持者の中にも、「四選はやりすぎ」 として投票を避ける動きさえあった。首長が 4期 16年もやってはいけない。個人的には 2期 8年に制限すべきだと思う。それが無理なら、長くて 3期 12年までだ。

青島さんの前の鈴木さんは結構いい都知事だったと思うが、それでも 4期目には周囲がイエスマンばかりで、おかしなことになってしまっていた。バブル崩壊後の 「都市博」 構想なんて、土木建築業界以外には、単なるお祭り騒ぎへの無駄な負担を強いるもので、全くの話、いい迷惑だった。青島さんの唯一の功績は、これを中止してくれたことである。

石原さんは大赤字銀行への執着、初めから無理とわかっていたオリンピック招致運動と、他の知事なら 4期目で初めて言い出すような 「個人的な夢の実現」 を 3期目のうちからやってくれている。これが 4期目になったら、一体どうなることやら。

今回はもう、あんまり呆れたから、これでおしまい。

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2011/04/10

お笑いリテラシーと英語リテラシーは、使う筋肉が違う

昨夜、風呂から上がったら家族がテレビの 「めちゃいけ」 ってのを見ていて、その中で 「東京スカイバカ」 というのがあったので、私もつい一緒にみてしまった。この 「東京スカイバカ」 というのは、タレントが英数国理社の 5科目の学科試験を受けて、その得点を競うものらしい。

この企画の中で得点の一番低かったのが、「シゲモリさん」 という女性タレントで、いわゆる 「お馬鹿」 系の役どころらしい。番組では彼女の英語の珍回答が紹介されていて、かなりの笑いを取っていた。こんなんである。

church → 「中1」

Michael has lived in the U.K. ten years ago. → 「U・Kさんのライブ見ちゃえるよ」

Frogs use their long tongue to catch bugs. → 「ながい事テレビ出てるカトチャン」

Church が 「中1」 というのはさすがの発想で、私は褒めてあげたくなった。しかし、残りの 2つは、お笑いを取るにはうまく考えたものだと思ったが、残念ながら問題の英文自体が間違っているので、笑えなかったのである。

もうお気付きだと思うが、2番目は、現在完了と "ten years ago" が一つのセンテンスに混在しているというだけでアウト。これに関しては、ネットで検索したらやっぱり気付いている人がいた。(参照1参照2

しかし、3番目に関してはネット上では間違いの指摘が見あたらない。実は単純な話である。主語が "frogs" と複数なのに、「長い舌」 が "long tongue" と単数形になっていて、辻褄が合っていないのだ。

フジテレビでお笑い番組をやってるスタッフの英語リテラシーの低さがバレバレになってしまったわけだが、私は別にそれについてどうこう言おうってわけじゃない。私の言いたいのは、あの 「シゲモリさん」 という女性タレントのお馬鹿っぷりは、やはりちょっと 「やらせ」 なんだろうなあということだ。

2番目の設問の主語は john でも Tom でも Jimmy でもいいのに、あえて "Michael" なのは、それを 「見ちゃえる」 とお馬鹿読みさせるためにわざわざ誂えたんじゃないかと勘ぐりたくなってしまうし、 3番目の "catch" を 「カトチャン」 と読ませるのも、なんとなく演出が見える。

それだけでなく、「消しゴムを英語で書け」 という設問に正解できたのも、手元にあった消しゴムに "Plastic eraser" と書いてあったからという 「カンニング」 も、どうにもネタっぽい。フツーは、こんな問題出さないよね。

こうしてみると、"church" が 「中1」 というのも、台本通りなんじゃないかと思えてしまうのである。本当の 「お馬鹿」 では、なかなかこうは笑いを取れるものじゃない。だからといって、「シゲモリさん」 が素で臨めばきちんと正解を書けただろうと言っているわけでも、決してないのだが。

こう言ってしまうと、はなはだ無粋なことになるのだが、いわゆる 「お馬鹿タレント」 の多くは演出によって作り上げられているのだと思う。「おいちゃん、それを言っちゃあ、おしまいだよ」 という寅さんのセリフが思い出されてしまうのだけれどね。

今回の企画は、スタッフが笑いを取るのに集中しすぎて、問題の英文そのものには全然集中しなかったというチョンボなのだろう。「お笑いリテラシー」 と 「英語リテラシー」 は、使う筋肉が違うみたいなのだ。

たまにテレビをみると、こんなのに遭遇してしまうのが、ちょっとナンだなあ。

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2011/04/09

「鐘聲七條」 という公案

大変久しぶりの 『無門関』 ネタである。今日は第十六則 「鐘聲七條 (しょうせいしちじょう)」。次のような公案だ。

雲門曰く、「世界恁麼に広闊たり。甚に因ってか鐘声裏に向かって七條を披る」

雲門和尚については、Wikipedia に 「中国の唐末から五代の禅僧。五家七宗の一つ、雲門宗の開祖」 とある (参照)。「日日是好日 (にちにちこれこうじつ)」 という禅語の作者としても有名である。

さて、この雲門和尚が、「世界は恁麼 (こんな) にも広闊 (ひろびろ) としているのに、どうしてまた、修行僧たちは合図の鐘が鳴るとみんな法堂に向かうために七條の袈裟をまとうのか」 との問いを発したというのである。

これは、「世界はこんなにも広いのに、どうしてみんな、朝になると始業の時刻に合わせて、満員電車に揺られて会社に出かけるのか」 という問いにもなるかもしれない。「だって、そう決められてるんだから、従ってるだけじゃん」 と言いたくもなるが、それでは禅問答にならない。第十六則には 「無門曰く」 として、次のように続く文がある。

無門曰く、「おおよそ参禅学道、切に忌む、声に随い色を逐うことを。たとい聞声悟道、見色明心なるもまた是れ尋常なり。殊に知らず、納僧家、声に騎り色を蓋い、頭頭上に明らかに、著著上に妙なることを。是くの如くいえどもしばらく道 (い) え、声、耳畔に来たるか、耳、声辺に往くか。たとい響と寂と双 (なら) び忘ずるも、此に到って如何んが話会せん。若し耳をもって聴かばまさに会し難かるべし。眼処に声を聞いて、方に始めて親し」

無門和尚は 「およそ禅に学ぼうとする者は、声や色を追ってはならない」 と言うのである。「声や色」 とは、直接的に耳に聞こえ、目に見える様々なあれやこれやである。「納僧家と言われる禅の大家はそのようなことを追わず、とらわれず、逆にそれらを支配するのだ」 というわけだ。

つまり、ゴーンと鐘がなってから、「あ、法堂に行かなきゃ」 なんて言って、あわてて七條の袈裟をまとうのではなく、ごく自然に行動を起こしているというのだね。その上で無門和尚は、「ゴーンという鐘の音が認識されるのは、鐘の音が耳に届くのか、あるいは耳の方が鐘に向かっているのか」 などと、さらに込み入ったことを言いだしている。

さらに 「響きにも静寂にもこだわらなくなったとしても、耳で声を聞くようなことだからだめなのであって、眼で声を聞くような心境になれば、初めてものになる」 なんて、シュールなことを言った上で、最後に 「頌 (じゅ) に曰く」 として、次のような 「超シュール」 な結論に至る。

頌に曰く
会するときんば、事、同一家 (どういっけ)。会せざるときは、事、万別千差 (ばんべつせんしゃ)。会せざるときも、事、同一家。会するときんば、事、万別千差

「うまく符合するときは、すべてが一体となり、符合しなければバラバラになる」 と言いながら、続けて 「うまく符合しなくても、すべてが一体で、符合するとバラバラ」 と続けるのである。こうなるともう、理屈もヘッたくれもない。

仏道の深いところまで行ってしまうと、無理に理屈をこねて話の辻褄を合わせなくても、「鐘が鳴ったから七條の袈裟をつけなきゃ」 なんてことがなくなり、すべてが成仏して一体となっていて、同時にそれぞれが多様な姿となって現れている」 ということなのだろうね。

地震が来たからどうのこうの、放射能が漏れたからどうのこうのというのも、もう疲れちゃったから、「鐘が鳴ったからどうのこうの」 なんていう話もないんだというパラダイムが、なかなか心地良い。もういいわ。死ぬときゃ死ぬし、まだ果たすべき何ごとかがあるのなら、しぶとく生きる。それだけのことだ。

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2011/04/08

壊れた 「ぐし瓦」 とブルーシート

地震以後、屋根の棟の部分をブルーシートで覆った家が目立つ。棟の方向が揺れ方向に垂直だと、ぐし瓦が崩れやすかったようだ。我が家の周辺ではそれほど多くはないが、水戸辺りを車で走ると、軒並みブルーシートという一画もある。

Cr110408

屋根の棟の部分を覆う瓦を 「ぐし瓦」 というのを、地震以後初めて知った。手持ちの大辞林にも明鏡国語辞典にも載っていない。専門用語なのだろう。「ぐし瓦」 といわずに、単に 「ぐし」 という人も多い。「ウチの 『ぐし』 が落ちちゃってねえ」 なんて、案外フツーに言うのだから、専門用語とはいえ、知る人ぞ知るという言葉なのだろう。

「ぐし」 の漢字はわからないし、もちろん語源もわからない。屋根のてっぺんの瓦だから、髪の毛という意味の 「おぐし」 から来ているのかもしれないし、または 2つの斜面の合わせ目なので、2枚の布をきれいに縫い合わせる 「ぐし縫い (串縫い)」 と共通する発想なのかもしれない。はたまた 「揃える」 という意味の 「具す」 から来ているのかもしれない。

これ以上は、まったく何ともいえない。

このぐし瓦の補修は、やたらと長期戦になるという。何しろあちこちで壊れてしまっているので、瓦職人も、瓦そのものも不足していて、1年先になるか 2年先になるかわからないのだそうだ。それまではブルーシートで覆っていなければ雨漏りしてしまう。気の毒なことである。

ぐし瓦に限らず、屋根瓦の形状やサイズというのは、きちんとした規格がないらしい。JIS で決められているわけではないのだ。だから、それぞれの家がそれぞれの寸法に合わせて瓦をあつらえている。

だから、部分的に壊れてしまったからといって、すぐに代替品を仕入れられるわけではないというのだ。下手すると特注で焼いてもらわなければならないこともあるらしい。大変気の長いことである。

6年近く前に、「ヘンリー・フォードと畳」 という記事を書いた。フォードの往年の名車 「サンダーバード」 は、部品を共通化して大量生産化することで成功した。2台のサンダーバードをばらしてシャッフルし、また組み立てても同じ車が 2台できることは、当時としては画期的なことだったのだそうだ。

しかし、日本家屋の畳では、それができないのである。私は以前、我が家の六畳間の畳をはがして敷き直すときに、6枚の畳をそれぞれ元通りの位置に戻さないとぴったりと収まらないことに気付いて、腰をぬかすほど驚いた。それぞれの畳のサイズが微妙に違う特注品だったのである。

そしてどうやら、瓦というのもそういうものらしい。畳ほど 1枚 1枚が違うということはないのだろうが、それぞれの家の屋根の寸法から瓦のサイズを割り出すので、部分的に壊れたからといって、おいそれと同じ規格のものを探して来るというのは、なかなか難しいことのようなのだ。端の部分になると、斜めにカットする角度というのもあるだろうし。

私なんか、寺社建築などは別として、個人住宅の部品のサイズなんかは工業製品としてしっかり規格化してしまえば、建設コストも抑えられるのになあと思ってしまうのだが、そうしたアイデアは、あまり受け入れられないらしい。

とくに檜造りの御殿みたいな家に住むのが大好きな茨城県民にとっては、そんなちゃっちい既製品みたいな家は論外ということになるようなのだ。それで、地震でぐし瓦が壊れてしまうと、1年待ちとか 1年半待ちとかいうことになってしまうのである。ブルーシートの代わりに、何かもうちょっとまともな応急処置ってないものなのだろうか。

ちなみに我が家は、安価でカジュアルなスレート葺きにしておいて、幸いだったのである。

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2011/04/07

震災ダイエットに挑戦中

転んでもタダでは起きたくないので、実はあれから震災ダイエットに励んでいる。震災前は危うく 80kg になりかかっていた。7~8年前にも 「多分 80㎏ を超えただろうな」 と思った時期があったが、その時は恐くて体重計に乗れず、意識して落としてから測ったら 79㎏ をちょっと超える程度だった。

だから私の体重は、公式記録としては 80kg を超えたことがない。その公式記録に迫りつつあったのだから、内心あせっていた。いくら身長が 180㎝ 近い私でも、体重が 80㎏ を超えたら辛い。(私のサイトやブログに使っているプロフィル写真はちょっと痩せて見えるが、実は 15年ぐらい前に撮影したものなのだ)

そんなタイミングで、あの地震が来たのである。本震以後 3日間は、まともな食事にありつけなかった。我が家のある地域は茨城県の中でも最も被害が軽く、電気も水道も止まらず、ガスも出たのだが、なにしろ食料調達がままならず、米と小麦粉と味噌と、野菜少々ぐらいしかなかったのである。

それで一度に食べる量を抑えた上に、間食もしようがなかった。さらに、彼岸を過ぎても真冬のような寒い日が続いた数日、暖房を付けずにがんばった。食べる量を減らし、寒さに震えながら体内脂肪を燃やして体を暖めていたおかげで、体重が劇的に減った。彼岸過ぎには 75㎏ そこそこに落ちていたのである。2週間足らずで多分 4㎏ 以上減った。

それで、この際だから 70㎏ 以下に落としてしまいたくなった。若い頃、体重が 60㎏台だった頃は、動くのが本当に楽だった。階段を駆け上がっても息も切れなかったし、靴下をはくときにおなかの脂肪が邪魔に感じることもなかった。あの頃の体に戻ろうと思ったのである。

ただ、2週間足らずで 4㎏ 減らしたペースを守り通せるとは思わなかった。こんなペースを続けたら、体をこわしてしまうし、ストレスで心までおかしくなってしまう。ただでさえ余震が続いて精神的には不安定なのだし。

それで 1ヶ月以上かけ、4月一杯かけて 70㎏ ギリギリにまでできるだけ近づこうと考えた。60キロ台に突入するのは、5月に入ってからでいい。それなら案外楽に行けると思ったのである。ダイエットに無理は禁物だ。

ところが、これが難しい。なかなか 75㎏ を切ることができないのである。2週間にわたって 75㎏ 台をキープし続けている。最近はあちこち地震見舞いに行って後かたづけを手伝ったり、結構動き回っているのに、なかなか減らない。それどころか、ちょっと気を許したらリバウンドがきてしまいそうだ。

そう言えば、前に 80kg に迫った時 (非公式には多分超えていた時)、半年で 10㎏ 落としたのだが、その後 3ヶ月のうちにリバウンドで 5kg 増えた。せっかく 10kg 落とした苦労が、最終的に 5㎏ の成果にしかならないのでは悲しい。

こうなったら焦りは禁物だ。なるべく精神的ストレスを感じないで済むように、長期戦を覚悟するしかない。意識してちまちま動きながら、やけ食いなんかしないように気を付けよう。

幸いにも、小食で済むような体にはなっている。今日、仕事仲間とともにチェーンのそば屋で、ざるそばと天丼小鉢のセット・メニューを注文して完食したら、腹が苦しいほどパンパンになった。もう昼飯にセット・メニューを食うのは無理な体になってしまったようだ。

リバウンドを避けることに集中しつつ、無理をせずに徐々に減らしていくようにしてみよう。

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2011/04/06

「正しい情報」 を見るアンテナ磨き

ただでさえ数字や単位に弱いのに、何とかミリシーベルトとかベクレルとか言われても、さっぱりピンとこない。しかし我が旧友、食工房の mikio さんは、すぐに直観重視に走りたがる私と違って、頭の中がずっと緻密で論理的にできているから、ブログ 「飯豊の空の下から」 の昨日付記事で次のように書いている。(参照

勉強不足のメディアの解説なんか聞かなくて構いませんから、生のデータをくださいと申し上げたい。
自分で勉強してでも分析しますから。

そして今一番欲しいものは、放射線の計測器です。

東電さんよ!各集落に一台くらい配りなさいヨ!

使い方なら、勉強しますよ!私たち。
何しろ命がかかっていますから!

会津の地で地元産の小麦粉を使い、天然酵母のパン作りをしているだけあって、彼の立場は切実である。東電発表の開設を鵜呑みにして繰り返すだけのマスメディア情報は、もはや信じるに値しない。生データさえきちんと提供してもらえば、彼なら自主的な判断ができるだろうと思う。

私は今日、Twitter に次のようにポストした。日本のジャーナリズムの体質についてである。

ニュースソースと親密な 「お友達=運命共同体」 になって裏の裏まで教えてもらい、その一部を小出しにするというのが日本のジャーナリズム。だから記者会見なんておざなり。しかし最近は、裏の裏まで知ろうとする記者すら少なくなり、おざなり会見記事だけが垂れ流される。(参照

私も昔、業界新聞とはいえジャーナリストの端くれをしていたから、日本の 「記者」 と呼ばれる人たちのメンタリティはわかっている。とくに政治や経済の分野の記者たちは、ニュースソースと 「親しい関係」 になろうとする。そうでないと、日本人のお偉方は絶対に本音情報を語ってくれないからだ。

「お友達関係」 になって、初めて本音をかいま見せてもらえる。しかし、そのようにして知り得た本音情報は 「オフレコ条項」 だらけなので、そのままでは決して記事にはならない。自分の知った本音情報をうまくオブラートに包み、上手なさじ加減で書くのが (いわゆる) 一流といわれる記者のすることなのだ。

「お友達関係」 が大きくなりすぎて一介の記者では収まらなくなると、フィクサーみたいなことまでやりたがる。大会社や政界の人事まで動かしたくなる。つまり、ナベツネみたいなのが出てくるのである。最近はあまりいなくなったけど。

今、日本の政治ジャーナリズムは、「記者クラブ」 の是非をめぐって大いにもめている。伝統的 (因習的) な政治家は、「お友達関係」 にないフリージャーナリストへの対応のしかたを知らないし、既存のジャーナリズムはせっかく築き上げたニュースソースとの 「お友達関係」 を、どこの馬の骨だかわからないフリージャーナリストに壊されたくない。

話がだいぶ横道に逸れたが、つまり今回の原発事故では、既存のジャーナリズムからは本当に信頼に足る情報なんか流れてこないと思っていいということなのだ。政府、東電、既存ジャーナリズムは 「お友達関係」 にあり、運命共同体なのである。しかも東電はマスコミの大スポンサーだ。でんこちゃんはああ見えて、かなりやり手のおねえさんなのである。

今回の原発事故は、「信頼に足る情報」 というのは、自分で努力してかき集めなければならないということを、我々に教えてくれている。世の中は 「情報」 に溢れているように見えて、信頼に足る情報というのはわずかだ。そして同じ情報源の中に、非常に正確な情報とあやふやな情報が混在するということも、ごく当たり前のこととしてある。

また、「正確な情報」 というのが、数値的に正確というだけで、それ以上の何物をも語っていない場合もあれば、「大雑把な生情報」 に基づきながら、非常に有益な結論を語るという場合もある。また、これらの情報が組み合わせられてとてもいい情報になっていながら、なぜか無視されて、クズ情報の方が取り上げられてしまうことさえある。

情報というのは、とらえ方がものすごく難しいのだ。我々は今、とてもハードな現場で自分のアンテナを鍛えているといっていいのかもしれない。

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2011/04/05

いやでも節電が意識されるガジェット

このブログの右側サイドバーの一番下に、「節電ですよ!」 のタイトルで 「東京電力の電力使用状況」 というガジェットを貼り付けた。1時間ごとの東京電力の電気使用状況とピーク時供給力に対する現在の使用量の割合を表示するもので、「ごみパソ」 という故障パソコン専門の買取サイトにある。(参照

東京電力からの情報に基づいて 1時間ごとに数値が更新されるらしい。なかなかうまく作ってくれたものだ。

本来ならばもっと上の方に貼り付けたかったのだが、どうもこのガジェットとココログの相性があまりよろしくないようで、上にずらすとそこから下の情報が全部表示されなくなってしまう。それで仕方なく、一番下においてある。

で、気になるのはこのガジェットの数値が、ほとんど常に 85%内外を示していることだ。供給能力の 85%が消費されているということである。今日などは暖かかったのでエアコンの暖房のスイッチはあまり入っていなかったのではないかと思うのだが、それでも 86%とかの数値になっている。常にレッド・ゾーンなのである。

まだ春を迎えたばかりで、しばらくは昼でもエアコンは作動しない時間帯が増えるだろうが、本格的な夏になってしまったら、冷房が作動することになる。そのとき、このガジェットの数値は一体どうなるのだろう。

90%を超えて、限りなく 100%に近づくに違いない。東京電力の供給能力を超えてしまったら、突然大停電になる可能性がある。そうなったら目も当てられない。

というわけで、当面はこのガジェットとにらめっこしながら、電気を使いすぎないように注意しなければならないだろう。皆さんのブログにも貼り付けてみたらいかがだろうか。ココログでなかったら、もっと目立つところにも貼れそうだし。

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2011/04/04

「ちょっと寄り道」 スタイルの花見を根付かせたい

近頃、「花見 自粛」 というキーワードによる検索で、私の先月 26日付 「不謹慎シンドロームで、お花見自粛?」 という記事に飛んでくるアクセスがやたらに多い。試しにこの 2単語でググってみると、私の記事が 4番目にランクされていてたまげた。別に力を入れて書いた記事ってわけじゃないのに。

あれから石原都知事が花見自粛を要請したり、それに対して蓮舫さんが反論したりと、ずいぶん賑やかなことになっている。さらに桜の名所になっている公園の中には、派手に花見の宴を張っているとガードマンが飛んできて注意されるところがあるなんていう噂も飛んだりして、話題としてなかなかのものになっている。

で、この間の議論の推移を見ていると、同じ 「花見」 という言葉でも、人によってイメージがずいぶん違うのではないかという気がしてきた。個人的な印象だが、「花見」 といえばシートを敷いて車座になり、酒を呑んで大いに盛り上がなければ気が済まないというような人は、「自粛」 に向かう傾向が大きいみたいなのだ。

この時期にそんなことをしても、「酒がまずいだろう」 というのである。なるほど、桜は例年通りの桜でも、酒がまずいから、花見なんかする気になれないということのようなのである。私からみれば、「花を愛でる」 という要因より 「酒のまずさ」 要因による自粛ということになる。

一方 「花見自粛はいかかがものか」 と思っている人は、「なにもかも自粛したら、経済がシュリンクする一方ではないか」 という 「経済効果派」 と、「戦時中でも花見はしたのだから、伝統行事を自粛する必要はない」 という 「伝統派」 の 2派である。これら両方の合わせ技派もかなりいる。

「花見自粛はいかがなものか派」 に共通するのは、「車座になって酒飲んで大いに盛り上がらなければ 『花見』 とは言えない」 とは、必ずしも思っていないことである。あくまでも 「花が主で、酒は従」 である。ゆったりと花を愛でればいいじゃないかと思っているところがある。

だから、会社帰りの黄昏時、気の合う同僚や仲間とコンビニでコップ酒を 1~2本ずつ買い、近くの公園に寄り道して散歩しながら、あるいはベンチに腰を下ろして花を愛でつつ、ちょっと非日常的な時を過ごすというだけで、十分に 「花見」 だと思っている。

とくに今回の地震では交通麻痺やライフラインの混乱などで、ずいぶんなストレスを味わったのだから、少しは落ち着きを取り戻したこの時期、ちょっとほっとする時間を持ちたいものではないか。

私なんかは、この時に買うコップ酒 (花見はやはり缶ビールじゃない方がいい) は、できれば岩手か宮城か福島か、あるいは茨城のも候補に入れて欲しいが、今度の地震で被害の大きかったところの地酒にしてもらえれば、少しは経済効果があるだろうと思っているぐらいである。

というわけで、私にしてみれば 「花見の自粛」 なんて発想はこれっぽっちもなかった。むしろ 「今年こそ花見は必要」 と思っているぐらいである。ところが、花見自粛派は、車座になって盛り上がらなければ花見じゃないと思っているから、「今年はする気になれない」 ということになる。

ただ花見自粛派でも、会社帰りに同僚 2~3人とコップ酒を買って近所の公園に寄り道するぐらいなら、やってもいいと思っているようだ。なんだ、結局どちらもそれほど違ったことを言っているわけじゃないじゃん。

昔の花見は、酒肴をもちこみ、歌舞音曲を取り入れてまことに風雅に行ったもののようなのである。本来の花見はそうしたものだったのだろう。だが、現代の花見はもう少しカジュアルでライトタッチなものでいいではないか。これを機に、「ちょっと寄り道」 スタイルの花見を本格的に根付かせてみるのもいいかもしれない。

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2011/04/03

蛙の鳴き声の不思議

今日はどんよりとした雲に覆われて日が射さず、寒い一日になっている。昨日は東京で 17度まで気温が上がったのに、今日は 8度までしか上がらなかったらしい。真冬でもちょっと日が射せば 9度や 10度に上がることもあるのだから、最近の天気の振幅はやたら大きい。

ただ、寒いとはいえやはり春である。さっきほんの数分だが、蛙の鳴き声が聞こえた。

ここは筑波の地だから、昔は春から秋までは蛙の大合唱だった。夜通し蛙の鳴き声が辺り一面に響き渡るのだが、不思議なことにそれは騒音とは感じなかった。うるさくて寝られないなんてことも、まったくなかった。蛙の大合唱は、意識して聞こうとしなければ、聞こえていても全然気にならない音だったのである。

つまり、いくら大音響で蛙が鳴いていても、普段は鳴いていることにすら気付いていないのだ。蛙の声というのは太古の昔から日本人が馴染んでいて、ある意味、馴染みすぎていたからかも知れない。「意識されない大音響」だった。これがうるさくて眠れないと嘆いてしまうような遺伝子だったら、日本人は狂い死にするしかなかっただろう。

ところが近頃、蛙の鳴き声が昔ほどの大合唱ではなくなってきた。空間をびっしりと埋め尽くすような大合唱というわけではなくなり、時々不意に何匹かが思い出したように鳴くというような状況になると、逆に蛙の鳴き声が敏感に意識される。

「あ、今、蛙が鳴いた」 と思う。人間の感覚とは不思議なものである。

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2011/04/02

原発事故に思う その3 (サブプライムローンとの相似性)

今、日本で、いや世界でも一番関心を集めている地域の一つが福島県だろう。福島といえば、私の旧友 mikio さんが 「食工房」 というパン屋をしている。天然酵母でつくった自然のパンだ。そのおいしさは折り紙付きである。そして、食工房から分けてもらったのが我が家の天然酵母だから、ウチの自家製パンもけっこううまいのである。

食工房は福島県の中でも会津にある。今、原発が大問題になっている浜通からは 100km も離れている。だからそれほどの影響はないだろうと思っていたのだが、パンを焼く原料を地元福島産の信頼のおける小麦粉とライ麦粉でまかなってきた食工房としては、今後の原料入手を考え直さなければならない事態になっているようだ。

そればかりではなく、福島県全域の農業がどうなるのか、瀬戸際の状況になっているようなのだ。mikio さんのブログ、「飯豊の空の下から」 の 3月 26日付から少し引用しよう。

県は、県内全域の農家に対し、今年の作付けを当面延期するよう要請したのです。
そしてその間に、土壌の汚染状況を分析してデータを公開し、それを元に各農家で判断して営農計画を立てることを求めています。

それはそれとして会津の場合、米はちょうど今種籾の準備を始める頃ですから、蒔くか止めるかまさに瀬戸際です。

分析結果が問題なくても、風評被害を心配して作付けを止める農家もあるでしょう。

もし今年の稲作が取り止めになって、広大な会津平(盆地)の田んぼに水が入らなかったら、一体どんな風景になるのでしょう・・・?

そしてきっと水が入らないことによって地温が上がり、夏の気候が一変するのではないかと思うのですね。(参照

100km 以上離れた原発の事故によって、ここまで深刻な影響が広がろうとしているのである。そうでなくても、去年収穫した米まで、福島県産というだけで売れ残るという馬鹿な風評被害が広まりつつある。

それでも mikio さんは東電を一方的に責めることはない。「でもそれは、もしもの時の可能性として、当然私たちが覚悟しておかなくてはならないことでした」 と書いている。さらに翌日は、「原発を止められなかったのは、他の誰でもない私たち全員の責任だということを、自覚しなくてはならないと思っている私です」 と書いている。(参照

この視点は重要である。原発に賛成・反対に関わらず、これまで日本人のほとんど全員が、原発で発電した電気の恩恵を被ってきたのだから、単純に東電を責めればいいというわけではない。我々全員が自分自身の暮らしぶりを顧みることから始めなければならない。

そして mikio さんのブログで知ったのだが、平井憲夫さんという原発に直接関わってこられた方の書かれた 「原発がどんなものか知ってほしい」 という文章の全文を、ネットで読むことができる。内容はこれまで薄々知っていたこともあれば、まったく初めて知ることもあった。

長い文章だが、リンクをクリックして読んでみることをお勧めする。立場が原発推進にしろ、反対にしろ、とにかく実態を知ることから始めなければならない。そしてこれを読んだ私としてはやはり、「原発は最終的にはすべて止めるという方向に行ってもらいたい」 と繰り返したい気持ちになったのである。

【4月 4日 追記 = 注: 「原発がどんなものか知ってほしい」 という文章は、ネット上では賛否両論あるようで、すべてが正確なデータに基づいているというわけではないようです。ただ、総論的には私がこれまで調べて知っていたことと大きな矛盾はなく、さらに今回の福島原発事故の推移をみるにつけ、実情をうかがわせるに十分と思わされる箇所もあります。さらに詳細的には、こちら を参照されて判断していただきたいと思います】

私の 「原発事故に思う」 と題した最初の記事に、きっしーさんが次のようなコメントをつけてくれた。

うまく回転している間は信じられないほど安価なサービスが供給されているように見えて、実は膨大なリスクが社会に拡散されているという意味では、原子力はサブプライムローンのと相似性があります。

まさに今、それが破綻した状態を見せつけられているのである。そして、たとえ地震や津波などの災害がトリガーにならなくても、原発は大きなリスクを年々蓄積していて、その危険な後始末を先送りして子孫に委ねているだけなのだ。

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2011/04/01

山の標高訂正と、生意気な木っ端役人

日本中で山の標高が訂正されてしまっているのを知ったのは、昨年夏頃のことだ。きっかけは、帰郷の際にいつも越える国道 112号線 (通称: 月山街道、あるいは 六十里越え街道) で、月山の標高が 1,984メートルと表記された案内を見たことである。

「おいおい、月山の標高は 1,980メートルだろうよ、案内板が間違ってちゃ、困るなあ」 と、私はつぶやいたのである。庄内ラブの私のことだから、鳥海山の標高は 2,230メートル、月山は 1,980メートルと、小学生の頃からきちんと頭に刷り込まれている。

ところがよく調べてみると、確かに 1,984メートルが正しいようなのだ (参照)。どうやら、何年か前に公式データの標高が訂正されてしまったようなのである。それだけでなく、我が心の山、鳥海山までもある年を境に、2,236メートルに変わっていたのである。いつの間に 6メートルも盛り上がってしまったんだ。

ちょっと調べてみると、こうした標高の訂正は全国的に行われているようで、有名なところでは、日光の男体山や、北アルプスの剣岳、南アルプスの北岳などが上げられる。

修正年月日 山名 修正前 修正後
2003年10月07日 男体山 2,484m 2,486m
2004年10月15日 北岳 3,192m 3,193m
2004年10月28日 剱岳 2,997m 2,999m

ご覧のように、修正後はいずれも 1~2メートル高くなっている。しかし、月山や鳥海山のように、4メートルとか 6メートルとかいうのは、少し誤差がありすぎのような気がしないでもない。

ところが、昨年末に開かれた高校の同窓会で久しぶりに会った S君は、鳥海山の高さは 2,230メートルよりちょっと高いということを、ずっと昔から知っていたというのである。「鳥海山の本当の標高は、国土地理院の公式データよりは高い」 と、先祖から言い伝えられていたというのだ。

S君の先祖は、またぎをしていたという。またぎとは、Goo 辞書では 「東北地方などの山間部に住む、古い猟法を守って狩りを行う狩猟者」 と説明されている。そして S君の先祖は、明治期の鳥海山標高の測量にあたり、基準となる三角点の柱石を山頂まで運ぶ仕事を請け負ったのだという。山奥に分け入るプロとして。

重い柱石をふもとから山頂に担ぎ上げるのだから、かなりの重労働である。よくまあ、そんな仕事を引き受けたものだ。もっとも、息子 2人とのチームで交代しながら運び上げたようだが。

ところがその際に山頂まで同行した国土地理院の役人 3人が、やたらと横柄で気にくわない若造ばかりだった。そいつらは、重い柱石を背負う S君のおじいさんのおじいさん (作造じいさん) 親子に、やたらと高圧的な態度であたったので、作造じいさんたちは、相当ぶち切れてしまったのだそうだ。

そこで頭に来た親子は、鳥海山の本当の最高点をちゃんと知っていたにもかかわらず、そこに辿り着く前に、「ここが一番高い」 とごまかして、そこに柱石を立て、さっさと降りてきてしまったのだそうだ。

柱石を下ろして身軽になった作造じいさんたちは、生意気な木っ端役人どもをひいひい言わせながら、すたすたと下山してきたという。役人どもはそれから三日間も過労と筋肉痛で寝込んでしまったが、作造じいさんは 「ざまみろ」 と思っていたそうだ。

そんなわけでこの時、三角点となる柱石は実際の最高点より 6メートル低いところに置かれ、それを基準に測量が行われたため、鳥海山の標高はずっと 2,230メートルと思われてきたのである。それが訂正されるまでに、100年近い年月が流れたのは、みな国土地理院の生意気な木っ端役人のせいである。

そして作造じいさんの子孫である S君の家では、「鳥海山は、本当はもう 3間以上高い」 と言い伝えられてきていて、彼の親類縁者はみなそれを知っていたのだそうだ。親類縁者以外は、それを聞いても誰も信じてくれなかったが、今、S君は 「作造じいさんからの言い伝えは正しかった」 と、鼻高々なのである。

ちなみに、今でも鳥海山の標高は 2,230メートルと思いこんでいる人はかなりいて、「鳥海山 2230」 というキーワードでググってみると、こんなにたくさん 見つかる。

最近になって標高の訂正された山が全国にかなりあるということは、明治の頃に柱石を運び上げる登山に同行した役人に、生意気なヤツがかなりいたということじゃあるまいか。そしてその中でも、鳥海山と月山の柱石を運び上げる際に同行した役人が、とくに生意気だったということだ。

お役人には是非、心していただきたいところである。役人が生意気な態度に出ると、100年スパンで不正確なデータが保存されてしまうのだ。

【4月 2日 追記】

えぇと、本気にされた方には甚だ申し訳ありませんが、例年通り、エイプリルフール・ネタですので、よろしくお願いいたします。

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