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2011/04/21

「自粛」 を巡る冒険

昨日、ある会合に出席した時、参加者の一人が 「そう言えば、『自粛』 っていう英語はないんですってね」 と言っていた。

いや、決してないわけじゃない。しかし、自然な訳語じゃないんだろう。「自粛」 を和英辞書で引けば "self-restraint" という語が出てくる (参照) が、それをさらに英和辞書で引くと 「自制 、克己」 という訳語しか出てこない (参照)。ちょっとニュアンスが違う。やはり 「自粛」 というコンセプトはグローバルな感覚ではないのだろう。

ニューヨーク・タイムズは先月 27日付の "In Deference to Crisis, a New Obsession Sweeps Japan: Self-Restraint" (危機を重く見るあまり、「自粛」 という新規の強迫観念が日本を吹き抜ける) という記事で、日本の 「自粛」 というメンタリティについて次のように書いている (参照)。

Even in a country whose people are known for walking in lockstep, a national consensus on the proper code of behavior has emerged with startling speed. Consider post-tsunami Japan as the age of voluntary self-restraint, or jishuku, the antipode of the Japan of the “bubble” era that celebrated excess.

【翻訳 (by tak-shonai)】
融通の利かない国民性が知られているとはいえ、行動規範に関する国家的なコンセンサスがすさまじい勢いで出現している。津波以後の日本は、「自粛」 という名の自発的な克己の時代となり、過剰なお祭り騒ぎをした 「バブル」 の時代とは対照的な様相になっている。

おもしろいのは、原文では "voluntary self-restraint, or jishuku," という表現になっていることだ。英語のニュアンスでは、「自粛」 というのは 「自発的な克己」、つまり、「自発的に我慢すること」 ということのように見えるのだろう。

しかし冒頭で 「行動規範に関する国家的なコンセンサス」 と述べられているように、「自発的」 ということも額面通りのものではない。言ってみれば 「雰囲気としての強制」 だ。国民性のジョークで有名なものに、沈没する船で救命ボートが足りないとき、女性と子どもを優先的にボートに乗せようとして、乗務員が各国人に次のように説得するというのがある。

イギリス人には 「紳士のあなたなら当然……」
アメリカ人には 「これであなたはヒーローです!」
ドイツ人には 「これは規則ですので……」
日本人には 「皆さん、そうされていますから」

というほどに、日本人は 「皆さんそうされていますから」 に弱い。「自粛」 というのも、これに似たところがある。ところが、同じ 「自粛」 でも、「皆さんそうされている」 という空気感覚が薄いと、この 「国家的コンセンサス」 の働きが弱くなってしまうようなのだ。

出荷制限の出ている農作物が、市場で流通してしまうという 「事件」 が相次いで伝えられた。一つは千葉県旭市産のサンチュ (参照)、もう一つは 同県多古町産のホウレンソウ (参照) である。

いずれも初めに 「出荷自粛」 の要請が出て、間もなく 「出荷停止」 という措置に変わったことから混乱が生じたもののようである。TBS ニュースによると、多古町のホウレンソウ出荷農家は 「最初は自粛と聞いていた。規制 (出荷停止) に変わったのが分からなかった。ちゃんと連絡して欲しいですね」 と話している。(参照

ここでちょっと疑問に思うのは、「自粛」 ということの意味合いだ。当初、行政は 「出荷自粛」 を指示しているわけだが、元々「出荷を自発的に控えること」 を 「指示する」 というのは、言葉の意味から言ってもナンセンスである。それで農家としては、「指示された自粛」 なんてものに強制力はないと判断したわけだ。かなり乱暴な判断ではあるが。

生産者への市場の信頼を失わないためには、本当に出荷を 「自粛」 する方がずっといいに決まっている。しかし今回の件に関しては、「皆さんそうされてますから」 の 「皆さん」 の数が足りなかったのだろう。

日本人は 「皆さん」 の数が足りないと、「空気感」 が薄まって、まともな判断ができなくなってしまうようなのだ。「なんで俺 (あるいは 「俺たち」) だけ ……」 と思ってしまうのである。

いや、「皆さん」 の数が多すぎても、今度は 「空気感」 が濃くなり過ぎて、やはりまともな判断ができなくなってしまうことに変わりはないのだが。

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コメント

千葉北部で震度5弱の地震がありましたが、だいじょうぶでしたか?

そうなんですよね。安倍首相の「ボランティア義務化?」とか、少し前の民主党の小沢さんに対する「自発的離党勧告?」とか、日本語っておもしろいというか、日本人の感覚っておもしろいですね。

投稿: たんご屋 | 2011/04/21 22:54

たんご屋 さん:

>千葉北部で震度5弱の地震がありましたが、だいじょうぶでしたか?

いやあ、あの程度は、もはや揺りかごみたいなもんですよ

…… と言いたいところですが、やはり、嫌ぁな感じに揺れましたね。

>安倍首相の「ボランティア義務化?」とか、少し前の民主党の小沢さんに対する「自発的離党勧告?」とか、日本語っておもしろいというか、日本人の感覚っておもしろいですね。

わはは (^o^)

投稿: tak | 2011/04/21 23:04

リストラと辞職の違いみたいなニュアンスですね。
要は言葉と気持ち(又は、多少の金銭)の問題なのでしょうが、言外の強制力の強いことといったら。

『自粛力』なんて言葉があってもおかしくないですね。
それにしても、奥ゆかしい国です。

投稿: 抹茶 | 2011/04/23 09:57

抹茶 さん:

>『自粛力』なんて言葉があってもおかしくないですね。

パラドキシカルな意味で。

>それにしても、奥ゆかしい国です。

いや、「出荷停止」なら従うけど、「出荷自粛」なら出荷しちゃう。そして、「停止になったんならちゃんと知らせて欲しい」と行政に責任転嫁しちゃう。

これが奥ゆかしいでしょうか?

投稿: tak | 2011/04/23 19:50

>責任転嫁
ああ、そこはふてぶてしい強かさを確かに感じます。
絶望的な死活問題なので形振り構っていられないのでしょうね。


奥ゆかしいと思ったのは、『自粛』という事の言外に犇めく強制力とその言語感覚についてです。
わざわざあんな曖昧な言葉に効力を持たせてしまう辺りが、非常に日本らしいなあと。
言葉足らずですみません。

投稿: 抹茶 | 2011/04/23 20:44

抹茶 さん:

>奥ゆかしいと思ったのは、『自粛』という事の言外に犇めく強制力とその言語感覚についてです。

つまり、アイロニカルな意味でおっしゃったということでいいんですかね。

投稿: tak | 2011/04/24 20:11

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