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2011/04/17

「なゐふる」 の国 その2 ―― 不思議なガバナビリティ

東日本大震災以後に起きた M5 以上の余震が、今月 6日までに 400回に迫り、わずか 1ヶ月足らずで過去 10年間の年平均 120回の 3年分を軽く超えてしまったという (参照) 。気象庁のデータでは、今月 6日の午後 5時までに 394回だったというのだから、今日までには、とっくに 400回を超えてしまっている。

普通の状態の 40倍以上の頻度で大きな地震が発生しているわけだ。上述の記事のグラフをみればわかるが、とくに震災以後 5日間ぐらいはものすごい頻度で余震が起きていて、感覚的には 「揺れていない時間の方が短い」 と思われるほどの揺れ方だった。普段の 100倍以上の頻度で揺さぶられていたことになる。

知り合いのカメラマンが取材で宮城県に行って、一昨日帰ってきたばかりの時に会ったのだが、「どんな状況だった?」 と聞いても 「それを説明する言葉を、自分はもっていない」 と言うばかりだった。トラウマになりそうな光景の連続の中で、シャッターを切り続けたらしい。

毎日新聞の黒川晋史記者による 「惨状の中、優しさに驚き」 という記事が印象に残った。千葉から応援で宮城に入った黒川記者は初め、「壊滅的な光景にショックを受け、夜は数日間寝付けなかった」 ほどだったが、「惨状の中で驚かされたのは、東北の人々の優しさだ」 と、次のように書いている。

在宅被災者に支援物資が届かず困窮している実態を取材しようと、50代の女性宅を訪ねた。周囲が壊滅する中で、奇跡的に残った家で暮らしている。取材を終え、家を辞す際に、同居する 30代の娘さんが 「どうぞ。これしかありませんけれど」 と、ポリ袋に支援物資のパンや飲料水を詰めて渡そうとしてくる。貴重な食料をもらうわけにはいかないと何度も断ったが、「取材大変だと思うので」 と勧めてくる。どうしても断れず、結局 「大事にいただきます」 と言って受けとった。

悲劇の渦中で、なぜここまで優しくなれるのか。帰りの車で胸が熱くなり、涙が込み上げてきた。

東北出身者の私が 「何もそこまでしなくても」 と思うほど、東北の人間はこうした優しさをもっている。自分より先に相手のことを思ってしまうのだ。

しかし、こうした心情は東北人ばかりではない。先日、断水の続く茨城県北部と潮来市の知り合いの家数軒に地震見舞いに行ったときもそうだった。こちらが持っていったのは水道水を積めたペットボトルの箱 (ミネラルウォーターはまったくと言っていいほど入手できなかった) と果物ぐらいのもので、ほとんど金はかかっていないのに、先方は大変に喜んでくれた。

そして帰り際には必ず奥さんが 「あ、ちょっと待って」 と言って家に飛び込み、ポリ袋に入れたチョコレートやクッキーを持って出てくる。こちらが断っても 「せっかく来てくれたんだから、帰りに車の中で食べて」 と言って譲らない。おかげで、帰る頃には車の中がお菓子だらけになってしまった。どっちが地震見舞いに行ったのだかわからない。

人間は非日常的な災害に遭うと、不思議なほどに優しくなってしまうもののようなのだ。外国では被災した日本人の 「秩序正しさ」 がニュースになり、暴動や混乱が起きないのが不思議と報道された。しかし、日本人はこうした状況では逆に、暴動や混乱を起こせない体質のようなのである。急にお互いを思いやるしかなくなってしまうのだ。

ある意味、これは特段に高尚な心情というわけではなく、我々の 「身内意識」 が無意識のうちに急拡大して、自然に 「日本人、みな家族」 みたいな感覚になってしまうようなのだ。危機になると生じる 「不思議なガバナビリティ」 である。戦後復興の原動力になったのも、この心情だったかもしれない。

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コメント

>これは特段に高尚な心情というわけではなく

いいえ!
これは日本人特有の高尚な心根です
特に田舎、特に信越とか東北地方の
私は、どう思います
日本人の心根は高尚で美しい
それを、素直に認める機会が今回、あったのです
私たち自身が、自己認識していなかった、その精神性が、われわれ日本人特有のものとして、やっと、機会を得て、自他共に認められたのです
外国のトーク番組では、絶賛の嵐ですけれど、外国慣れしている私自身も、なぜそんなに驚くのか?と、こちらが驚いています
というのは、やはり、日本の常識は世界の非常識だったのです

私は、外国生活が長いが、主に欧米社会での印象を申しますと、キリスト教的慈善行為以外に、こんな自然な優しさはあまり感じません
もちろん、個人として優しい人はどこにでもいますが、強いて極論すれば・・・です
彼らは、基本的に自己責任意識で生きていて、セルフヘルプの気概が強く、その中での利他行為は特別であり、それは宗教的動機に基づく
そんな印象です
昨日の私の「外国に住むことOK」という私のコメントを読まれた方は、そんな厳しい自己責任の外国に私が住みたいとはおかしいではないか?と思われるかも知れません
しかし、そんな精神風土の中の方が、割り切りが出来て、性根が座ると言うこともあるのです

投稿: alex99 | 2011/04/18 06:16

そんな日本人の農耕民族としての
素朴な高貴さ・着実さ・謙虚さ・思いやり・連帯の意識

これらは、ひょっとすると、農耕民族特有のものでしょうか?
しかし、その農耕民族の特性を、いちはやく、近代工業・産業にも転換した
それらを、日本人以外の他民族には、そうそう無い、「希有な民族性」だと、誇りに思う事から、日本の再建があると思います


投稿: alex99 | 2011/04/18 06:28

こんにちは~すばらしいですね!!
私は自分の国の人間がそんなにすてきだと
思ったことが無いです。
いつも日本人であることを恥じていました。
でも、
認識を変えました。
うれしいことです。
ありがとうございました。


投稿: tokiko68 | 2011/04/18 15:50

alex さん:

同じことでも、「フツー」 と取るか 「高尚」 と取るか、なかなか深いところではありますね。

私は自分が東北人なもんで、どうも謙譲の美徳を発揮してしまったのかも知れません (^o^)

投稿: tak | 2011/04/18 18:23

tokiko68 さん:

>いつも日本人であることを恥じていました。

朱鷺子さんがそんな風に思っていたとは意外でした。

本当に意外でした。

投稿: tak | 2011/04/18 18:25

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